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死
「あたたたっ…もっと丁寧にやってくれよ!」
眞のベッドの上であぐらをかいている朱華が、眞に毒づく。
「しかたないだろ。こんなに腫れてんだから、治療する時に傷にふれたら痛いに決まっているじゃないか」
眞は、傷薬を片手に朱華に言い返した。
朱華の左頬は、拳で殴られ、腫れていた。
「しかしまあ…いつもながら、派手な親子喧嘩だなー…今回は特別だな…これ…おじさん、容赦なしでやったな…」
「ああ…いったた…歯ががくがくする。口ん中も切ってるし…まー…俺もやりかえしたけどな」
と、朱華は腫れていない方の頬を、自分の拳で軽くぱん、と叩いてみせた。
「今回は、お前も殴ったのか!」
「ああ…これだけは絶対ゆずれなかったんだ」
朱華はそう言って、床に置いてある自分の荷物を見た。大きめのスポーツバッグには、それなりの量の着替えが入っている。家族旅行に行く為に作った荷物だが、朱華は家族ともに旅行には行かず、それとアコーディオンを持って、家を飛び出し、眞の家にきていたのだ。
「音楽学校の進学の話…とうとうしたのか」
「ああ。そしたらこれだよ」
「おじさん…お前が絵描きになると思っていたんだな」
「思っていたっていうか、それ以外、考えられないと思っていたみたいだぜ。そうそう親の思い通りに子供がなるかってんだ」
「まあ…そうだけどさ…仲直りっていうか…もう少しきちんと話し合いした方がいいよ。進学するにしたって金がいるんだぞ。それに…おばさんや二藍さんも心配してるだろ、その傷の具合から予想出来る喧嘩をしたんなら…」
眞の言葉に朱華は黙りこくった。
そして、やおら立ち上がる。
「プール。プールに行くぞ。眞、お前、おふくろさんからひらぴーのタダ券貰ったって言ってたよな」
「貰ったけど…お前、その傷でプール入ったら、雑菌が…」
「冷やすんだよ。腫れてるから。あ、水着忘れた。いいや、お前の予備貸してくれ。俺、遊園地もプールも初めてなんだよ、ほら、行こう」

二人は準備を済ませ、荷物を背負い、どたどたと玄関に向かう。
「あら、どこか行くの?」
「うん、ひらぴー行ってくる」
と、眞は母親に言った。
「あら…朱華ちゃん、その派手な顔でプール行くの?」
「派手だから、冷やしてくる」
「あー…そういう考え方もあり、ね。じゃあ念の為、消毒薬も持っていきなさい、今用意してあげるからちょっと待ってて」
眞の母親がそう言って奥に戻ってしまってから、二人は玄関でスニーカーを履き、眞が扉を開ける。真夏の日差しが容赦なく照りつけ、地面を白く光らせている。
朱華はその眩しさに、家の中へ顔を背けた。
「……っ…えっ…」
眞が素っ頓狂な声をあげた。
「どうしたんだよ、眞」
「あれ…なんだ?」
眞は真上を見つめ、呟いた。
「え…?」
朱華がつられ、上を見る。
木々の枝の向こうに、真夏の青い空と入道雲。
その中央に、見た事のない異質なものが存在していた。
パステルのピンク、グリーン、イエローのまだらの帯。
細く、しかしはっきりとした色のそれは、空をカッティングするように走っている。
「な…んだ?」
二人があんぐりと空を眺めていると、ずず…ん…と何かが爆発するような鈍い音が、不規則に連なった。
「なんだ、今の音…」
「事故…?」
「二人とも、外に出ちゃだめ!!」
眞の母親が、せっぱ詰まった大声をあげた。
「何が起こったんだよ、母さん」
「テレビ…テレビ、テレビ!!」
二人はばたばたとリビングに向かう。リビングにある32型のテレビの画像には、さっき朱華達が見た異質な帯が映し出されていた。チャンネルを変えても、どこも同じだ。
そして、それに続いて、自動車の衝突事故の為、混乱する各地の道路が映し出される。
テレビからは、ヒステリックに現状をリポートするアナウンサーの声が響いているが、要領を得ていなかった。
「!!」
眞が、ケーブル放送のローカルチャンネルに変えた瞬間、朱華は画面にはりついた。
「朱華、どうしたんだよ?」
「ここ…親父達…通る橋だ…いつもここを通って、湖の別荘に行くんだよ!」
それは、大きな川にかかった大きな橋で、その橋の上も衝突した車の混乱を伝えていた。
「っ……どう…なっちまったんだよ!」

その現象が何かわからないまま、朱華は三日後に別の事実を突きつけられた。

柳条の家にみっつの棺桶が並んでいる。
そこには動かなくなってしまった三人が入っていた。
三人とも、エンバーミングが施されていた。
菊の花に囲まれた箱の中に、三人が横たわっている。
朱華は父親の顔を見る。
朱華が殴ってつけた傷跡は、うっすらと跡が残ってはいたが、綺麗にされていた。
次に母親の顔を見た。
今にも目を醒ましそうな顔で、動かない。
次に二藍。
二藍もまた、彼女の義母と同じく、眠っているようだった。
朱華は二藍の顔を寄せる。
自分の皮膚に、二藍の息が当たらない。
そっとふれてみた。
冷たい。
冷たい、という事はわかる。
ただ、わかるだけだった。
それ以上のものが沸いてこない。
どうしていいかわからない。

しばらく朱華はそのまま動けなかった。


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