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ましろ
金魚は、金魚鉢では長生き出来ません。
広い場所で暮らしているのが一番。
鉢に移す時は、いつもいる池の水を混ぜて入れてあげるといいですよ。

ましろはそう教えられ、きちんと守っている。

ましろは、自分の部屋で金魚鉢に入れた、黒の金魚と赤の金魚、たろうとはなこをぼんやり眺めていた。
その金魚鉢を持って、縁側に向かう。
その先はすぐ、裏庭だった。
客室に面した立派な庭とは違って、こちらはまだ生活感があった。
物干しに、水道。そしてその横に小さな池があった。
下駄を履き、その池に向かうましろ。
ましろは金魚鉢の中の金魚を、鉢の中の水と一緒に池の中へ放った。
「また明日…ね…」
ましろは池の中のたろうとはなこに、そう言った。
たろうとはなこはましろの言葉に応えるかのように、くるくると池の中で元気に回ってみせた。
それを見てましろはゆっくり立ち上がり、自分の部屋ではなく、家の奥へと向かう。
他の部屋よりしっかりとした扉を開く。薄暗い部屋の中。そこにはわざと光が入らないように工夫されていた。
絵が保管されているからだ。
元は大きな和室だったのだが、現当主が大量に描くツヅキの絵を保管をする為に、そしてぐるりと見る事が出来るように、そこは改造されていた。
ましろはそのツヅキの絵の保管室へときたのだ。
ましろの父、黝簾の描くツヅキの絵は高額で売買されるのだが、その絵が保管されているこの部屋には鍵はかけられていなかった。
柳条の家は、遺伝子レベルで入った人間を判断する最新のセキュリティが入っている。そして、ましろがその部屋に時折出入りしているのを家政婦の雪花が知っている為、鍵そのものが存在していない部屋だった。
様々な大きさの絵が、壁や扉に貼られている。
絵の中に描かれている端々の景色は違うのだが、その中央はすべて同じものが描かれている。
ツヅキ。
ましろがまだとても幼かった時に初めて発生した、未だなおそれがどうやって発生するのかわからない、世界中の人間すべてが知っている超常現象。
そして…母となる予定だった女性を、間接的に奪った三色の帯。
ましろは少し上を見上げ、ぐるりと回って、絵を眺める。回ったままゆっくりそこに座りこむ。
そしてぱたりと仰向けに寝ころんだ。
どこを見ても父の絵。こうしていると、父に抱かれているような錯覚に陥る。
ましろは目を閉じる。
自分がまだ子供だった頃。父は笑っていたような気がする。
叔父になる予定だった朱華も、アコーディオンを弾いている時は、笑っていたような気がする。
気がする…というのは、まだ記憶が残るか残らないかの幼い頃の話だからだ。
(…ここにいれば…お父さんを感じる…だから……)
ましろはそう思いながら、目の端に浮かんだ涙を浴衣の袂で拭った。

ましろは自分の部屋に戻った。
もう日は山の向こうに落ちようとしている。
ましろは赤から紫になろうとしている空をじっと見つめていた。
空にはツヅキがあり、暗くなろうとしている空に、ぼんやりとその姿を残していた。
「失礼します、ましろ様」
部屋に入ってきたのは、家政婦の雪花だった。
「もうすぐ、朱華様のご家族の法事ですので、法事の時の為に、制服を虫干ししました」
ましろは黙ったままこくりと頷いた。
「夏服は、冬服と一緒に頂いた時に、試着しただけでしたから…もう一度、試着なさいますか? もしお直しが必要なようでしたら、雪花がお直しいたします」
「……………」
ましろは雪花のその言葉に少し戸惑っている。
「きちんとあってませんと、朱華様にからかわれてしまうかもしれませんよ」
「………………」
雪花のその言葉にましろは顔を赤らめてから、制服を手に取った。
制服はほんの少し、肩が浮いた。ウエストも少し大きい。ましろが痩せた為だ。
「んー…これでしたら、薄い肩パットをお入れしましょう。ウエストも…とりあえずは安全ピンでプリーツひとつ分、当日につめるようにいたしましょう。肩パットは着脱が楽に出来るようにしておきますね。ましろ様はまだ成長期ですし」
「…………」
ましろは少しうつむいて、雪花の言葉を聞いている。
「黝簾様も明日辺りにお戻りになられると思いますよ。朱華様も必ずこられるでしょうし…法事なので、こんな事を申してはだめだとは思うのですが…人がくるという事は、楽しみですね」
「……………」
雪花がうつむき、自分の顔を見ていないのを確認してから、ましろはほんの僅かに頷いた。


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