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−海岸 「夕、あんまり遠くに行っちゃ駄目だよ」 ビーチパラソルが一つ。その下で、子供の様子を見ていた津崎悟が声をかけた。元気な返事を聞いて、彼は優しく微笑む。隣では妻の香苗が、娘の美羽を抱いて、同じく微笑んでいた。 この夏、香苗は恋をした。もう恋愛云々という歳でもないのかもしれないが、彼女はそれを恋だと思った。ただ純粋で、あるがままの感情の発露なのだと。 「どうかしたのかい、香苗?」 はっと我に返って顔を上げる。悟が少し心配そうに覗き込んでいた。香苗は笑みを返そうとして、できないとわかって、再び視線を落とした。 「・・あなた・・・」 波の音だけが聞こえていた。それが少し、遠ざかったような気がした。 「・・私、あなたに謝らなきゃいけない・・・」 悟が言葉を止める。香苗は、うつむいたまま言葉を続けた。 「・・私はあなたを愛してる。本当に愛してるわ。あなたも、私を愛してくれてる。・・それなのに、それを知っていながら、寂しさに任せて、私は・・彼と・・・」 鼓動の音が聞こえる。 「許されない事だって、謝って済む事じゃないってわかってる。私のせいで、色んな人が傷付いたっていう事も。・・あなたは笑ってるけど、本当はすごくつらいんだっていう事も・・・」 堰を切ったように言葉が溢れる。一つ言葉を発するたびに、熱い雫が頬を伝う。 「・・でも・・だから・・・!・・私、苦しいの・・・!」 一つ、二つ、雫が零れる。視界が滲む。目を閉じる。 「どうして私を責めないの・・・!?いっそ滅茶苦茶に責め立てられた方が・・私は・・楽なのに・・・!」 もう、言葉が出てこない。嗚咽だけが喉を震わせる。感情の濁流が激しくなる。覚悟した自分と、諦めた自分と、愛を失うことを恐れる自分と・・・。 「香苗」 強い口調に驚いて目を開けた。 「香苗、顔を上げなさい」 緩々と顔を上げ、夫の顔を見る。滲んだ視界の中で、夫は・・・優しく微笑んでいた。 「・・僕は、君を愛してる。これからも愛していく。たとえ君が誰かを好きになっても、そんな君を丸ごと愛せる自信がある。・・朝霧くんとの事は、確かにショックではあったけど、だからといって君を責める理由も、責めるつもりもない」 悟は香苗の左手をとり、薬指に光る指輪を一撫でして、強く握り締めた。 「長く一緒にいれば、傷付いたり傷付けたりっていうのは必ずあるんだ。そういう事もひっくるめて夫婦なんじゃないかな?」 視界が再びぼやけて、涙が零れた。それはさっきまでのものと違って、不思議なぬくもりがあった。 「ほら、もう泣かないで」 拭う指先が温かくて、少しくすぐったくて、香苗は口元を綻ばせた。 「あなた・・ごめんなさい」 香苗は笑った。笑ってもいいんだと教えてもらった。そして、これからも笑っていられるだろうと強く信じることができた。 「あなた・・・」 唇が、心が近付いていく。 「・・あ!その前に・・・」 悟は眉根を寄せて、香苗の目を覗き込んだ。 「もう僕以外の男とキスしちゃ駄目だよ」 その口調と表情があまりに子供っぽくて、香苗は思わず吹き出した。 「笑うことはないだろ?これでも、さっきの事は結構ショックだったんだぞ」 ふいに唇が塞がれる。柔らかな感触が伝わってくる。 「・・・反則だぞ」 お互いに笑みが零れた。本当の笑顔はとても美しい。 「あなた、愛してる。大好きよ」 唇が重なる。 「ああ〜!ちゅうしてるぅ〜!」 パラソルの前には夕、香苗の腕の中には美羽。もちろんここにも愛は在るよ。夕にも、美羽にも。 黄金色の鬣に煌めく海面。空には一筋の飛行機雲。波の音が聞こえる。 end ※これは、「妻みぐい2」の香苗エンド『夏のおわりに…』の後のお話のつもりで書きました。なんかもやもやが残る終わり方だったんで、自己完結しないとどうにも座りが悪くて・・・。 |