第五章 剣士死ににゆく
1 父と子らと
「行こうか。」
長月がアナに呼びかけると、彼女は静かに頷いた。
決勝戦当日の早朝。まだ太陽が昇っていない時間の事である。
長月とアナは宿に別れを告げ、コロシアムに向かおうとしていた。
外は、朝日が昇るまえ独特の薄暗さと、海から流れてくる朝もやに包まれていたが、何度となく深淵のラグナード迷宮をもぐってきた長月の苦にはならなかった。アナの方はかなり視界を奪われているようで、長月の手を掴みながら恐る恐る歩いている。
長月たちは、闘神都市の大通りから噴水広場に出た。
広場の真ん中にある噴水が目に入ったとき、長月はふいにうなじがひりっとするのを感じ、立ち止まってアナを強く抱き寄せた。
「……あっ。シードさま? シードさまが居るのね!」
アナは嬉しそうに叫んだ後、長月の表情を見て、はっと口元を押さえた。
「アナが親父をずっと見ていたのは知っていたよ。」
「長月……、私……。」
長月は静かに笑いかけた。
「それ以上言わないで。」
長月はアナの額に軽く接吻すると、言った
「今はいいんだ。でも、いつか僕はアナの中の親父を越えてみせる。僕は勝つよ。だから先に行って待っていてほしい。」
アナは心配そうに頷くと、長月の頬を両手で撫でた。
そして名残惜しそうにコロシアムに向かってかけていった。
彼女の背がもやのなかに消えたのをみて
「親父でてこい。」
長月が振り返りながら呼びかけると、十メートルほど先のもやの中に、シードの姿がうっすらと浮かび上がった。
真っ赤なよもぎのようにぼさぼさの髪。優しさと精悍さがまざった顔、鍛え上げられた肉体、それを覆う着古した旅装束。
間違いなくずっと長い間一緒に暮らしてきた実父であるはずだったが、道場で薫陶を受けていたころと印象がまったく違っていた。
長月が変わったのか、シードが変わったのかはわからぬが、長月には既にシードが禍々しい怪物としか思えず、その体を吹き流れるもやが、まるで妖気のようにすら見えた。
「長月。」
淡々とした声にも関わらず、長月の心臓をわしづかみにするような力がある。
「最早、何も言うまい。死んでくれ。」
そう言って顔を左右に振ったシードにも、どこか、空漠たる寂寥があった。
長月はカラカラに乾いた唇を舌でなめると、腰を落とし手をかるく柄にあてた。
シードはふっと笑った。
「腕をあげたな。」
「お前はラグナード迷宮をどれだけ潜った。」
「九階。」
長月はシードの一挙一動を見ながら絞り出すように答えた。
「そうか、あの八階を越えたのか。その若さで大したものだ。これから、どれだけ腕を上げるのか、楽しみで仕方がないなあ。」
シードはわが事のように目を細めた。
その目は長月を見つめてはいたが、今の長月を見てはいなかった。
ゆっくりとシードの目が、目の前の長月へと戻った。
「だが、俺がもっとも深く潜った階層は六十七階だ。俺は、闘神の館と言う地獄のなかから、真の地獄に辿りついたのだ。」
「ありえないっ!」
長月が叫んだ瞬間、シードの影が霧に溶け、長月の視界から消え去った。
長月は鞘を腰から抜いて握り締めると、噴水を背にあたりへと目を配った。
(どこだ、どこにいる!)
みつからないのだ。
確かに傍からシードの眼光は感じるのだが、気配が広場全体に均等に拡がり、まったく正確な居場所をつかませない。
「光の槍!」
長月の左肩を熱線がかすり、ずきりとした痛みが走ったのと、シードの掛け声はほとんど同時だった。長月も噴水の影に転がり込みながら炎の矢の魔法で応戦したが、当たった気配はない。シードは再び、完全に周囲にまぎれた後だった。
長月は知らぬ。
この戦い方が、二十年前の最終決戦においてシードと葉月が戦った、闘神幻杜坊の戦術を模したものだということを。それでも、長月はシードがこの戦いで父と息子・娘の因縁にケリをつける気だと言う事だけはひしひしと感じていた。
「なぜ? なぜ? どうして! あんたという人は、なんで母さんというものがありながら、なぜアナの母さんに手をだした? 全部、お前の、お前のせいだ!」
長月は己の恐怖を振り払うように叫んだ。
「そうだな。俺が悪い。」
聞いたこともない、悲しく暗い声が、静かに四方から長月の体を刺した。
全身を襲った怖気に体をぶるっと震わせると、長月は自らを鼓舞するように柄を握り締めた。
「雷撃。」
長月はふいに横に飛んだ。
その直後、長月がいた場所は無数の稲妻の檻に包まれた。あのまま辺りを窺がっていれば、黒こげになり深刻なダメージを受けていたはずだ。
避けた長月を追うように次々稲妻が放たれていく。間断なく放たれ続ける雷の前に長月は逃げ続けるのが精いっぱいで、反撃の糸口がつかめない。
反撃はおろか、広場に響き渡る大音声で叫んでいるにもかかわらず、いったいシードがどこにいるのかを探る事すらできなかった。
それでも機会は来ると信じ、長月はじっと耐え続けた。これだけの魔法を連発すれば、必ず大きな隙ができると確信していたのだ。
しかし、不幸なことに、長月はシードには天使を食って手に入れた『気力回復』のスキルがあることを知らなかった。つまり長月の持久戦略は根本から破綻していたのである。
「終わりだ!」
突然、天から重厚な声が響いた。
それまで幻のように聞こえていた声が、突然に実体を伴って長月の脳髄を刺激したのだ。
はっと見あげると、そこには噴水から高々と『ジャンプ』して、二刀を羽とした怪鳥のように舞い降りてくるシード・カシマの姿があった。
長月は意味のわからない言葉を絶叫すると、我を忘れ、避けるのではなく逆に一歩踏み出した。
父がなんと言おうと、長月も譲るつもりはなかった。少なくとも、父と母は相思相愛の間柄から、幾多もの困難を乗り越えて結ばれたではないか!
両親に出来て、子である自分たちに出来ないはずはない!
長月の悲鳴のような声は、男の意地と剣士としての誇り、父に対する深い敬意と自分達をこの境遇に産ませた強烈な憎悪、全てがぐちゃぐちゃにされ、まじりあった悲壮な叫びだ。
片手に掴んだ剣から一閃の剣光が迸った。
瑞原長月の全精力を込めた抜きうちだった。闘神大会をここまで圧倒的強さで勝ち残り、迷宮を深く潜ってきた瑞原長月の渾身の一撃。
誰が想像しようか? それが空を切るなどとは。
長月の目ははっきりと、シードの剣が右ひじの上を、もう一つの剣が左手首を、真っ二つに断ち落としたのを見た。
時間が止まったかのような空白を置いて、長月の両腕が大地に転がった。
次の瞬間、長月の喉にシードの剣が突きつけられていた。
シードが何か言っていたが長月の耳には言葉は届いていなかった。
長月は呆然と切り落とされた両腕を眺めながら、これまでの修行が全て意味を失った事と、自分の命運が尽きた事を知った。
長月の唇がかすかに動いたのを見て、シードが顔を寄せた。
鈍い音がした。
長月が鞠のように跳ね、シードの顎に渾身の頭突きを浴びせたのだ。
完全にふいをつかれたシードが大きく体のバランスを崩した。
長月はその脇を駆け出し、逃げ出した。最後の力を振り絞り、コロシアムに向かって必死に走った。文字通り追いつかれればそこで終わりだ。
しかしシードはそれを追おうとはせず、実子の血が滴る刃をひっさげたまま、もやの中にいつまでも立ち尽くしていた。
2 闘神大会 決勝
血の気の失せた顔の瑞原長月が、両腕を失った姿で武舞台に現れたのを見て、コロシアムには大きな驚愕がはしった。
そして誰よりも、対戦相手である臥路義竺が衝撃を受けていた。臥路は思わず全身が串刺しになったように立ち尽くした。
「シードと戦ったのだな。」
「まったく相手にされませんでしたよ。この様です。」
そして闘技場にドラが鳴り響き、闘神大会最後の戦いが始まった。
普段の瑞原長月ならばいざ知らず、両手を失った長月に勝ち目はない。長月には歯で剣の柄を噛み掴み、首を振って刃を振るうほかないのだ。臥路義竺の敵ではなかった。
臥路は、特攻を仕掛ける長月の、残った腕をとると、軽々と投げ飛ばして大地に叩きつけた。なんども長月が挑み、臥路が赤子の手を捻る様にいなし、さらに大地に叩きつける。
戦いというよりは一方的に臥路が嬲っているといったほうが正しい。
しばらくそれが続いたが、長月のダメージが深刻になりつつあるのを見て、臥路が右肩に手を伸ばした。臥路の背に控えるそれは、まさに死神の鎌。長月にとって、待望の死を運んでくれる刃だった。
「本当に良いのだな。」
刃を引き抜いた臥路の問いに、長月は腫れあがった顔で凄惨に笑った。
「殺してください。僕は死に時を得ました。ここで生き延びていったい何の意味があるというのでしょうか。剣士の命を失い、アナをも奪われる僕の人生にいったいどんな意味が? 臥路さんのような空虚さを抱えた、生きる屍のようになってまで生きたくはないのです。」
「言ってくれる。」
臥路は怒るわけでもなく、むしろ嬉しそうに笑った。
「僕にも意地がある。親父の手にだけはかかりたくない。……だから、臥路さん。今ここで殺してください。」
ゆっくりと臥路の刀がその頭上にあがり、大上段の構えになる。
臥路はそのまま、微かな砂もたてないスリ足で進み寄って、満身の自信を込めて真っ向から斬りつけた。
「アナ。さよなら。」
長月の呟きに、肉と骨を断つ鈍い音が続き、闘技場の土に朱の血潮が雨と降った。臥路が身を震わしながら陣羽織を翻すと、左肩から右脇腹まで斬りさげられ躯になった長月だけがそこに転がっていた。
「おめでとうございます。臥路さん、ついに優勝ですよ。積年の本懐を果たしましたね! 今度の女の子は少し影のある美人ですよ。そういえば、闘神シードさまがひきとって育てていた箱入り娘らしいです。臥路さんったらうらやましいなあ、もう! このこの〜!」
緑を基調にしたドレスを着飾って満面の笑みを浮かべたシュリ。
そんな彼女に肩を叩かれ、陽気に控え室から送り出された臥路が、いつも通りの最悪の気分で敗者のパートナーの部屋を訪れると、そこには寝台の上に座るアナがいた。
彼女は俯きながら静かに勝者の来訪を待っていた。
白と深い紺の色彩で構成されたメイド服はまるで修道女のそれ。臥路の目に映ったアナの横顔には、この世ならざる光に包まれた純白の神々しさがあった。
アナは臥路の姿を見もせずに、静かに呟いた。
「長月は……負けたのですか……。」
「瑞原道場の後継ぎらしく見事な最期だった。」
「ああ……長月……。」
アナはぎゅっと心臓の辺りでこぶしを握り締め、悲しげに目を伏せた。
何か言おうとしたがそれは言葉にならず、彼女は両手で顔を覆って静かに泣き出した。それは敬虔な信者が神に懺悔しているような光景だった。
「臥路さま。私は……!」
臥路は瞑目しながらアナの言葉を待った。
「シードさまへのあてつけに、シードさまの目を私に向けさせるために、私はそう心中に叫びながら、それでも私は長月を心より愛していたのです。それが、長月が死んでからやっとわかりました。長月がシードさまと戦ったときから私は怯えていました。そして臥路さまに斬られる為に決勝に出ることを止められないとわかった瞬間からの恐ろしさ、そしてその後やってきた無限の寂しさ……。臥路さま、愚か者とお怒りください。私は……。」
そして再びアナは静かに泣きだした。
いたたまれなくなった臥路が部屋から出ようとすると
「だから、せめて、私の手で長月の仇を取りたい。」
臥路が眉をしかめて振り向くと、そこにはアナが座ったままの姿でナイフを手にしていた。その双眸からは涙がこぼれ続けていた。
「残念ながら不可能だな。」
「ですから、こうするのです。」
「なに?」
臥路が止める間もなく、アナは自分の喉笛にナイフを深々と突き立てた。
まるで、それはあの時の雫姫のように。
臥路が駆け寄って、うつ伏せに崩れ落ちたアナを抱き起こした。
アナの首はヒューヒューと音をたてていたが、顔は意外にも穏やかなだった。
人事を尽くし天命を待つのみ、そういう人間の満足げな顔だった。
「……シードさま、どうか……どうか。長月とアナの仇をとって……!」
「アナ殿、そこまでして仇をとりたいのか。」
「長月、私……。もし生まれ変わりとかあるなら、絶対に一緒に居ようね。……今度は。シードさまと葉月さまのように、普通の……。」
それを最期にアナ・カシマは、永遠にその瞳を閉じた。
3 シードの文
「よくぞ、過酷な闘神大会を勝ち抜き、わが館に辿りついた。」
臥路と狐嫁女を前にして、闘神の館の玉座に座る闘神アレキサンダーは、たてがみのような赤毛を揺らしニタリと笑った。その野太い声と強烈な闘気は、ただそこにいるだけで、正面で片膝をつく二人を吹き飛ばさんばかりの圧迫感だ。
主が「最強の闘神」アレキサンダーであるからであろうか、謁見の間は贅を尽くされた豪奢なものかかわらず、どこか武の香りが漂っていた。
広間には新たなる大会優勝者を迎え入れるにあたり、館の主だった人間が全員集まっていたが、シーンと静まり返り、人っ子一人居ないかのようだった。それだけアレキサンダーの存在感は際立っていた。
もっともカスタムがこの場に居れば話は別だったろうが、カスタムとクミコ夫婦は大会の決着を待たず闘神都市を離れ、旅の人となっていたためにこの場には居なかったのだ。
「くっくっく。まさか、あのような形で闘神の子が敗れるとはな。流石に思いもよらなんだわ。もっとも、闘神の子が万全であったとしても、相手が貴様ほどの剣士なれば、結果は同じだったかもしれんがな。」
そこでアレキサンダーが、二人に向けて意地悪そうに笑いかけた。
「今日はゆっくり休むがいい。と言いたいところだが、一つ面白い話がある。」
アレキサンダーが手を叩くと、脇に居た一人のメイドが、一通の手紙を盆に載せて恭しく臥路の前にかしずいた。
「臥路義竺へ名指しの手紙だ。受け取れ。」
署名を見ると、そこにはシード・カシマとあった。
臥路はあてがわれた部屋に戻るや否や、シードからの手紙の封を切った。狐嫁女が心配そうに覗き込んだ。
「シードからの文にはなんと?」
臥路は無言で、同封されていた二通のうち読み終わった手紙を渡した。
それはアナの遺書だった。
しかし、これは臥路へのものではなく、シードへ向けての遺言状だった。
「親愛なるシードさま。
どうか長月を責めないであげてください。全ては私の責任です、シードさまへの鬱積した想いを晴らすために、長月の愛情を使った私のせいです。そんな愚かしい私ですが、もし長月と私の死に、シードさまが少しでも悔いる事があるならば、アナの願いを聞き届けてください。
仇を、どうか仇を。どうか長月を殺したあの男を殺してください。私の死は、あの男に無理に犯され、自刃したものだと思ってくださいませ。
そう、ちょうどシードさまが二十年前にあの男の恋人に対してなさったように。
実の父親に愛していただけなかった娘の最後のお願いです。
あの男を殺して……。臥路義竺を殺して!」
死の直前に、時間もなく精神的な余裕もない状態で書いていたのであろう。
優美なアナらしからぬ、乱文乱筆なひどい手紙だった。
それだけに彼女の頼みは哀切極まっていたが……。
「ふざけるな!」
狐嫁女は読み終わると、怒り、手紙をびりびりに引き裂いてしまった。
そして狐嫁女は臥路を睨みつけた。
「アナが自殺したなど聞いてないぞ。なんで黙っていたんだ!」
臥路はそれに答えず、淡々ともう一通の手紙の内容を告げた。
「今日の夜、闘神都市を見おろすあの丘で拙者と果し合いたいとある。」
「闘神シードも耄碌したもの。いったいなにを言い出すかと思えば! 闘神大会のルールのなかでのこと。文句など言われる筋合いはない!」
狐嫁女は嘲るように笑った。それに対し臥路は言った。
「受ける。」
「はっ?」
狐嫁女は臥路が何を言っているのかわからず、間抜けな声を出した。
「拙者は行く。」
「やっ、やめろ! あの男は強すぎる! あれは鬼か魔か、必ず殺される! ここにいろ、ここならあの男といえども簡単に手は出せん!」
「いや、行く。行かなければならぬ。」
「お、お前。頭でもおかしくなったんじゃないのか?」
「アナ殿の死体をみて、拙者もおおいに感じることがあった。年端もいかぬ少女といえども、愛する人間のためにはあれだけするのだ。そして雫姫を殺され、仇であるシードを憎みきれもせずにただ深く絶望していた拙者だからこそ、またシードと合間見えなければならぬ。」
「死ぬ、死ぬつもりだな。」
狐嫁女は口をばくぱくさせ、辛うじて言葉を搾り出した。
そして扉までばっと飛ぶと、仁王立ちで立ちふさがった。
「私のほうが、お前より強い! 力づくでも、行かせてなるものか!」
「そうだな。拙者では狐嫁女に勝てんだろう。」
臥路は、静かに言った。
「お前が言っていたように、姫が死んでからの拙者は、悔恨の檻の中で安楽を貪る生ける屍だった。姫の弔いを兼ねて、再び闘神大会になんかでてもみたがどうしてもダメだった。
そこへ、このまえ決勝で両の腕を失ってももがき続け、拙者のようになりたくないと言って死んだ瑞原長月と、愛する男の復讐を懇願しながら自刃したアナ・カシマの壮絶な姿を見た。あれで、ようやく拙者もなすべき事を悟ったのだ。」
「やるべき事……? ふざけるなっ。あんな下衆どもから得るものなんてありはしない! 第一、それで、そのやるべき事で! お前はシード・カシマに殺されにゆくじゃないか……。 死ににゆくんだろ!」
やはりあの二人は臥路にとっていい影響を与えなかった! 狐嫁女は二人を宿屋で切って捨てなかったことを心底後悔していた。
「それにな、狐嫁女。瑞原長月を斬り殺した時、拙者にあったのは悲しみでも同情でもなかった。シードに忘れえぬ一撃を加えてやった歓喜の震えだったよ。」
「だからって。」
と、狐嫁女は身もだえした。
「拙者にとって死に場所をみつけた事は、生の道標を見つけたに等しい。このまま生きていたって、空っぽな生きた死体のまま終わってしまうに決まっている。」
臥路は静かに笑った。
「狐嫁女、お前も過去にしか生きられない馬鹿な男についてきたものだな。こんな俺に尽くしてきてくれたお前にも、いつか礼をしたかったのだが……。どうやらそれは叶わぬ望みのようだ。いや、闘神シードといえども人間。必ず拙者が敗れ、死ぬと限ったわけではない。また狐嫁女のもとへ帰ってくる事もあるかもしれん。その時はこの命をお前の為に使おう。」
「出来もしない約束をしないで!」
狐嫁女はこぼれる涙を拭いもせず、ただ喘ぐだけであった。
死を前提にしたその言葉よりも、臥路の顔にあふれ凍っている無限の哀感と、見たこともないほど強い光を取り戻していた臥路の瞳に心うたれ、もはや彼女は言うべき言葉を失っていた。
「泣くな狐嫁女。お前もJAPANのサムライの妻だろう? サムライの出陣になにが悲しむ事がある。勝利を願い、快く送り出してくれ。」
「だけど、だけど! いや……、行かないで……。」
狐嫁女は臥路の胸にすがりついた。
「拙者はゆく。彼奴のおかげで姫は陵辱の末に自害して果て、鈴夜や多くの同胞も無意味に死ぬ事になった。
――ただ、その亡霊を背負って、拙者はゆくのだっ!」
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