第四章 地下七階の戦い
1 再抽選
準々決勝以降の組み合わせが決まる再抽選の日。
噴水広場の噴水前には、緋毛氈が敷かれたステージが組まれ、それを多くの群集が十重二十重に取り囲んでいた。
三回戦がはじまると闘神大会も中盤戦にはいる。
そしてブロック決勝と呼ばれる三回戦が終わると、八人の勇者が出揃い、翌々日の再抽選の末に大会は佳境へと突入していくのだ。
八強に残った出場者とパートナーが、一組ずつステージにのぼり、シュリが抱えた箱からクジをひいていく。
雨雲に覆われた曇り空と、あいにくの天候ではあったが、次々クジをひく着飾った美しい女性と強者の行進は一大ファッション・ショーの趣すらあった。
(居る。シードがどこかに居る。)
臥路はその間、群集へと油断なく目をはしらせていた。
(どこかはわからないが、シードの目がじっと光っている。)
雫姫を死に追いやった仇が目と鼻の先に居て、自分を視界におさめているという事実はそれだけで臥路を昂らせた。
一組ずつ名が呼ばれ、組み合わせが決まるたびに人々がどよめいた。そのどよめきが一際高くなり、ふいに凪いだのはやはり瑞原長月とアナの時であった。
長月は闘神の子としての名に恥じぬ、圧倒的な強さを披瀝しここまで勝ち進んできた。さらには父と母に続いての大会制覇がかかるとなれば、多くの注目が集まるのも当然だった。
そして臥路と狐嫁女の名前が呼ばれ、檀上にあがると、ほんの少しシードの視線が驚きに揺れたことを臥路は見逃さなかった。
(シード。覚えているのだな。この臥路義竺を、鈴夜達を、あの準々決勝を。姫を犯して殺したことを、貴様も覚えているのだな!)
一瞬、喜びにも似た新鮮な感情が臥路の体内を奔り、ありとあらゆる記憶を吹き飛ばした。そして身をよじるように、なにかが顔を出した。
――それはうずくような激しい怒りだった。
臥路がこの群衆の中に居るであろうシードに向かって歩み寄ろうとしたとき、ぐいっと左腕を狐嫁女に抑え込まれた。
「そっちは帰り道じゃないよ。」
狐嫁女の清麗な顔が、怪訝そうに下から覗きこんできた。
臥路は我に返った。気がつけば、次の戦士の名前がよばれていた。
「なんでもない。」
臥路は何事でもないように、右腕を下ろしスタスタと檀上から降りて行った。
そのすぐ後ろを歩きながら、狐嫁女が臥路の背中を心配そうに見つめていた。
まもなく全ての抽選が終わった。
臥路と長月は、幸いな事に真逆のブロックに配置された。
あたるとすれば、それは決勝の舞台でであった。
臥路と狐嫁女はアナと集まると、そのままラグナード迷宮に足を向けた。
狐嫁女とアナには泉の精霊を使いを地下階に潜り、しばらくしてから帰り木で闘神都市に帰るように言い含めていたのだが、泉の精霊を前にしていざ潜る段になり急に狐嫁女がごねだした。
長月とアナを臥路と関わらせる事を好ましく思わなくなったフシのある狐嫁女が、臥路と一緒に行きたがったのだ。
小半時ほどかけて、それをなだめると、臥路は二人を送り出した。
狐嫁女とアナが光の中に消えたのを見届けると、臥路は迷宮入り口の方をゆっくりと振り返った。
ここからだと入り口は、小さな光の点にすぎない。
瑞原道場の精鋭達が簡単に気配を察せられる間抜けであるはずがないが、ここまでは特に追っ手の気配らしい気配を感じることはなかった。
もしかすると、全員が長月を追っているのかもしれない。
それに何かを仕掛けて来るとすれば、もっと見晴らしのいい階層であろうと臥路は考えていた。このように狭い場所では数の優位がいかせないからだ。
間もなくして臥路も、泉の精霊を使い地下七階に飛んだ。
軽くなった体が再び重くなると、臥路は底が見えぬ断崖絶壁の上に立っていた。臥路は上の階層につながる階段のそばまで歩いていくと、岩陰に座り込み、長月が降りて来るのを待った。
地下七階は底が見えない断崖絶壁が屹立する階層である。
冒険者は、その断崖の上を歩いて次なる階層を目指すのだ。
そのためか、ここの独特の風景はよく未開の大原林に例えられる。老木がうっそうと生い茂っているような物凄い圧迫感があるからだ。
もちろんこの階層に老木の森などはない。
そこには切り立った断崖絶壁と、その上に広がる岩と砂利が織りなす荒涼とした更地という、異様な風景があるだけだった。
静かに地下七階に身を潜めていると、大地の奥底に自らが飛び込み、一体化していくかのように思えてくる。
臥路は自分の体が、溶けて気体となり、闇と混ざり合うかのような錯覚を覚えていた。特に谷底の闇は夜のそれよりもさらに濃く、視覚、聴覚、触覚といったありとあらゆる感覚が、すべて溶けあってゆくようだった。
自分の体が大地を貫く深淵に墜落している様な気すらした。
そのような感覚が殺戮を呼ぶのか、ここは二十年前の大会でも、シードが準決勝の相手であるザビエル一味と激しい戦いを繰り広げた階であった。
臥路はしらない事であったが、シードは人質にされた葉月を取り返し、そのままザビエルを斬り殺して決勝進出を決めたのだ。
そのザビエルとの激戦の過程で、シードは葉月と間違って人質に取られていたアシカという既知の少女をその手にかけていた。
自分に想いを寄せてくれていた少女を、シードは断崖から突き落として、亡き者にしたのである。それはあまりに唐突で、アシカは何が起きたのかすらわからなかっただろう。
若かりし頃のシードの心理を探るのは、今となっては本人すら難しかったが、もしかしたら、抱いてくれと懇願してきた少女にシードは衝動的な恐怖をいだいたのかもしれない。いずれにせよ、罪のない少女を突き落とした事は、シードが暴走して犯した罪の最もたるものであった。
しばらくして、臥路は身を隠したまますっと立ち上がった。
じきに長月が階段から姿を現し、続いて六人の追っ手達が音もなく姿をみせた。
追っ手達は、長月に気取られぬよう慎重に距離をとっていた。
2 狂笑
臥路は長月がこの階層に足を踏み入れた時から緊張感を味わっていた。
それは――仕掛けてくるなら間違いなくここだろう。という緊張であった。
ここには身を遮るものも、隠れる場所も少ない。階層が深くなっているため人目もない。逆に追っ手にとっては、身を隠しにくいが見られる心配もない場所に出たことになる。
「長月っ。」
長月が少し開けた場所に出た途端、呼び声と共に六つの人影が次々に旋風のように飛び出していった。
四方からの影に長月はばっととびずさると、左の腰へ手をやった。
「待ってくれ!」
六人はふいに立ち止まると、意外にも、戦うつもりはないとばかりに両手を高々と掲げたのだ。
その面々を見て長月の瞳が妖しく光った。
怒りとも悲しみともとれない光だった。
六人の中から一人が前に出た。
「俺達はできれば長月と戦いたくはないんだ。」
残りの五人も次々頷いた。
追っ手に共通するのは長月と同じ程度の若さと腰にさした剣。
これはアナを連れ戻そうとして、狐嫁女に阻止された瑞原一党であった。
「やっぱり来たのはお前達だったのか。」
長月が構えたまま舌打ちをした。
「シード師範に無理を言って連れてきてもらったんだ。そして、ようやく俺達だけで長月と話す機会を得た。」
皆が再び頷いた。
「俺達はお前に投降を勧めに来たんだ。」
口を開こうとした長月を手で制すると、男は続けた。
「全て聞いたよ。アナさんの事もシード師範から全て聞いた。その上でだ。」
長月は構えを解かずに静かに聞いていた。
不思議な事に、その落ち着きが、なぜか追っ手達を動揺させているようだった。
「投降してくれ長月! 事情が事情だ、シード師範も必ず寛大な措置をしてくれる。もちろん俺達もお前の弁護をする。だから、あの女と手を切って戻ってこい!」
長月はまったくの感情をみせぬまま、その言葉を遮った。
「今さら投降? 正気の沙汰じゃないな。」
「そんなことはわかっている! 俺達は頭がおかしくもなければ、正気を逸したわけでもない! あの魔女に誘惑され、畜生道に堕ちたお前を救うために言っているんだ。」
長月は無表情のまま、静かに近づくと、喋っていた男を無造作に切り捨てた。
リーダー格が血煙につつまれどうと倒れたのを見て、追っ手達は信じられぬと言う表情を浮かべながら、長月を放射状に取り囲んだ。
「長月! 狂ったのか!」
そして閃々たる刃を長月にむけ、口々に叫んだ。
「同じ父を持った姉と相姦したいがために、高弟を何人も殺しまくった僕が今さら投降だって? ふふふ……ありえないなあ。」
長月の顔には憑かれたような瞳と、名状しがたい引きつった笑みがあった。
「アナは僕のものだ!」
狂笑した長月は五人に襲い掛かった。
まず一人を脳天唐竹割りにすると、後ろから伸びてきた刃を振り向き様に叩き落す。長月の剣がきらめくと、そのたびに血しぶきが上がり死体が増えていった。
気がつく度に死体が増えていくかのようなそれは、臥路が以前見たよりも、さらに冴える恐ろしいほど冷徹な剣技であった。
臥路も物陰から飛び出しそれに続いた。
二人が臥路に気がつくと振り向き様に刃を振り上げた。その一瞬、一人がびーっと上から下へ真っ二つになった。裂けた剣士の影から、臥路の長刀が薙ぎ上がり、もう一人を右腰から左肩へと両断した。
このときはじめて最初の男の体が音をたてて左右に倒れた。
長月がはじめて見る、恐るべき臥路の鬼速抜刀術であった。
最後の一人は、ストンと腰を抜かしていた。
「長月……。シード師範から逃げきる事が出来るはずないだろ! お前だってそれくらいわかっているはずだ!」
辛うじて恐怖を飲み込んだような、それでいて友人の近い将来をいまだ危ぶむ同輩の声に、長月は顔を伏せた。次の瞬間、長月の剣がすっと横に動き、六人の追っ手は死に絶えた。
道場での仲間を切り捨てた長月は、呆然と立ち尽くしていた。
まるで、自分がした事を信じられぬと言う風に。己の成長に瞠目したのではあるまい。友を切ったことを苦悶しているのだろう。
知己の血の海に佇むその姿に、臥路は思わず昔の自分の姿を見てしまった。
ふいに臥路に背を向けた長月から乾いた笑い声がした。
「何か聞きたい事があるんじゃないですか? 友達惨殺記念の出血大サービスだ。今ならなんだって答えてあげますよ……。」
臥路は刀を一振りして血を払うと鞘に収めた。
「別段、興味はないな。拙者の雫姫を犯し、殺したシード・カシマだ。様々な女と関係を持っていたとしても、そう驚くことではあるまい。」
そこには、臥路とシードが既知であるという意味を含んでいたが、長月は気がつかなかったようであった。
「しばらく、一人にさせてもらえませんか。」
長月は静かに血のりをふき取りながら、血の池に沈む友人達の死体を見つめ、抑揚のない声でそう言った。その声には言い様のない慟哭があった。
臥路が踵を返して歩き出すと長月の小さな声が絶壁に響いた。
「……こいつら、僕が親父に剣を習い始めた頃に入門してきた奴らなんですよ。一緒に練習して、競い合って、同じ釜の飯くって、馬鹿やって……。いい奴らだった。……でも、友人達を斬り殺すことで、大会を勝ち進む時間が稼げると言うのならば、僕は幾らでも冥府魔道に身をやつしましょう。例え……、この先に破滅が待っていようとも、微かな希望がある限りそこへむかって突き進むしかないのです。」
臥路が去り際に、ちらりと長月を見ると、長月は死体の上に崩れ落ちていた。一瞬重い怪我をしているのかと思ったが、そうではなかった。
死体の上に被さるように、泣いていたのだ。声を出さずに、長月は、肩を振るわせ泣いていた。
3 水の精
外に出ると、表は激しい吹き降りの雨になっていた。
臥路にはそれが長月の涙雨のように思えた。
そしてラグナード迷宮の前には、闘神都市の方向を眺める少女が居た。
傘をさして、雨中のなかにひとりぽつんと立っていた。
――アナ。アナ・カシマだ。
目を凝らしてもあたりに狐嫁女はいない。
アナはどこかで狐嫁女をまいて、ここにやってきたのだ。
(狐嫁女め、わざと彼女を見逃したな。)
臥路は舌打ちした。
それにしても、今さっき迷宮の中で長月と門弟達の殺しあいが行われていたばかりだ。さらに、まだ肝心のシードは残っている。捕まりたがっているかのような行動であり、ありえないような不用心だった。
しかし今の臥路にはアナの矛盾に満ちた行動も、彼女に抱えてきた違和感も、すべてかっちりと嵌ったような気がしたのだ。
「追っ手は皆死んだぞ。残るはシードだけだ。」
「臥路さま。」
アナは振り向いた。
「待っても貴殿を捕まえてくれる人間は来ない。」
アナの瞳には意中の人が現れず落胆したような光がある。
それは長月かそれとも。
「そうですか、あの方々も殺してしまったのですね。」
雨は滝のように降り続いている。アナの持つ傘にもしぶきがたち、傘のまわりから銀のすだれのようにこぼれ落ちている。
臥路には彼女が青く透明な水の精のように見えた。
「まさか、アナ殿が長月を誘ったとは思わなかった。弟を堕とす姉か。優しげな顔に比べ、中々どうして。やる女人だな。」
臥路は淡々といった。
「清純ぶっていたのは、まぁご愛敬ですね。それとも自己紹介の時に、弟と乳繰り合いをしていて父親から逃げていま〜す♪ と正直に言えば、少しは笑いでもとれたかしら?」
アナは驚いた様子もなく、優しく微笑んだ。
青い炎が彼女をまいて巻き上がったような笑みだった。
「……ここは両親の思い出の地。適当な門弟への嫁に出される前に、長月と訪れてみたかったのもあります。」
アナは自分が立っている場所を指差した。
「例えばここ。数え切れないほどシードさまを迷宮に送り出した母は、何度となく死に損い、ぼろぼろになって帰って来たシードさまをここで迎えました。そして、その度に二人の距離は少しずつ近くなっていった場所なのですよ。たとえ一時でも葉月さまを忘れ、母の体に溺れるほどにね。だから、私が死ぬまでに、一度はこの場所に立ってみたかった。」
初めて会ったときから、決死の覚悟をきめた凄艶な決意を感じさせたが、今はこの世にあらざるものすら臥路に感じさせた。
「私はシードさまに娘として見て欲しかった。それが一番の理由です。」
愛おしげにラグナード迷宮を眺めていたアナが、ポツリと言った。
意表をついた言葉に、臥路はつかのま反応することができなかった。
「シードさまは私がいくらお慕いしても……。いえ、本当はわかっているのです。シードさまが、九つもの罪を犯した自分を許した葉月さまを深く感謝し愛する以上、それはできないということは。そして年が経れば経るほど、実の息子が私に焦がれていったのだから、私を娘として愛することなど出来るはずがなかったのです。でも、私は。」
アナが水車の向こうを指差した。その方角には闘神都市の扇の要があった。
「母も当時のことを語りたがりませんでしたが、闘神にとっても仕える人間にとっても、あそこは魂の牢獄であり地獄だったと言っていました。そして、母は亡くなるとき、シードさまをお父さんにしなさい、と告げました。それがあなたにとって一番良いから、と。」
臥路は眉をひそめた。
「しなさい? ……それではあまりに長月がむごいと思わんか?」
「どうなのでしょうね。私の覚えている限り母に男はいなかったとおもいます。だからシードさまに迷惑をかけたくなかっただけかもしれません、どこまでも儚げで慎ましやかな人でしたから。」
水の精は息を吐いた。
「ただ、闘神の館を思い出したのときの、母とシードさまの物悲しげな顔はそっくりでした。その時の私は、二人の愛と後悔と……いいえ、そんな言葉では言い表すことができない深遠な闇を垣間見たような気がするのです。それだけで十分です。実の父であろうとなかろうと、私にとってお父さんはただ一人です。」
アナの唇は歓喜にふるえ、ずっと甘えるように微笑んでいる。
だが、その微笑みには厳粛で壮絶なものが混ざっていた。
「だから、私は長月に全てを話し、陽の光の下に居た弟を狂気の泥沼に引きずりこんだのです。近親相姦という狂気の泥沼に。潔癖な長月は、怒り、悲しみ、絶望して、衝動的に私をさらって逃げ出しました。後は臥路さまが知っての通り。」
アナはうっとりと胸を抱いて身もだえた。
「でも、その甲斐はありました。シードさまは帰ってきてくれた。数多くの罪を犯して、思い出すことも話すことも嫌悪し続けた、アンナお母さんとの思い出が眠るこの闘神都市へ! 私のために、かってないほど私と向き合いながら戻ってきてくれたのです。血のつながった娘である私を、血眼になって探すために!」
アナの瞳がなにを見ているのか、臥路にはわからなかった。彼女の瞳に見えるのは、この世にあらざる白い光の中、天上の花園で遊ぶような法悦であった。
「今、私はこの上なく幸せです。」
「だが、長月は死ぬ。」
雨に打たれ、ぬれ鼠になりながら臥路は言った。
アナは初めて笑みを凍らせ、ぎょっと瞳を伏せた。
「可哀そうに、長月は真人間だ。仲間を切り殺しつつ、姉と姦通するなどできる人間ではない。そう遠くない未来、長月は狂うかシードに斬られるだろう。いずれにせよ、長月は死ぬ。」
「……すべて覚悟の上です。長月がどうなろうと、知ったことではありません。」
「それは、嘘だな。」
「いいえ。すべてはシードさまを呼び寄せるための邪恋にすぎません。この父狂いの歪んだ女こそが私の真の姿。長月とのたわけた痴語は、必死の偽恋でしかないのです。」
翌日と翌々日に準々決勝、三日後には準決勝が行われ、ついに闘神大会の決勝進出者が確定した。瑞原長月と臥路義竺の両名であった。
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