「cocoon of  deepsea」





(後編)


 絢音は砂浜に腰掛け、海を見詰めていた。まだ梅雨開け切らぬ観光シーズンが訪れていない浜辺の町は 閑散とした空気を潮風が慰めていた。
 今日も見れないと思った夕陽が、先ほどまで冷たい雨を降らしていた雲のあいまから顔をのぞかせた。暗い 海に赤い光が乱反射している。その光が絢音の瞳を赤く染める。

 (・・・・、・・・泣かないで・・・)
 海に焼き爛れ落ちていくような夕陽に、魅入る瞳。

 (・・・・泣かないでナッキー・・・)


  
 *



 《「・・・・!・・・・・!」
 果てしない闇に、落ちようとしていた絢音の魂を、その呼び名が呼び戻した。

 「・・・・死ぬなっ!駄目だっ!!いくなっ!ああああっ!誰か!誰か!助けてくれ、この子を救ってくれっ」
 強い人だった。クラスメイトや教師でさへ子供に思えてしまうほど強い人だった。そんな人が泣き叫んでいる。 あられもなく助けを求めている。
 顔にぼろぼろ零れ落ちる熱い雫。痛いほど抱きしめられている。叫び続ける荒い息が、鼓膜を打つ。すぐそば にいるはずなのに、その顔が見えない。瞼を開けているのか閉じているのかもわからない。激しい痛みの熱 と空虚な悪寒が体を襲い続ける。口にたまった血のせいで咽び、満足に息ができない。けれど絢音を一番苦 しませたのはその悲痛な泣き声だった。

 「・・・・ひっく、・・・お願い・・・助けて、・・・・誰でもいい・・・、くうう、・・・なんでもいいから・・・」
 とぎれそうな意識の中で、絢音は必死に彼女を慰めようとした。だが、満足に唇が動かない。たまる血を吐 き出すだけで、声がでない。すぐそばにいるのに、何もできない自分が許せなかった。

 (・・・、・・泣かないでナッキー・・・)
 心の中で絢音は必死に呼び続ける。
 (泣かないで、・・・・わたしは大丈夫。・・・平気だよ、・・・だから泣かないで・・・)
 校庭からセミの鳴き声が聞こえる。二人で通った通学路に、百日紅の花が咲いていた。一生分の恋を、絢 音はその夏した。》





 《学園に通い二年になると、世話好きとお人よしぐらいが取り柄でしかなかった絢音は、推薦され断ることも できずクラス委員長になった。少しあこがれていた執行部の黒襟だったが、実際は担任の教師とクラスメイト の雑用係でしかなかった。

 その絢音を困らせていたのは、クラスメイトの一人の女の子だった。絢音の感覚で言うと彼女には不思議な 引力があった。たとえば均等の取れたプロモーションで、そののっぽな背を感じさせない体付きとか、ハーフな のかと疑いたくなる白い肌と栗色よりも淡い色調の髪とか、人目をひきつける要素はいくつも持っていたが、 それとはまったく別な何かを彼女を持っていた。それが教師や周りのクラスメイトに畏怖と畏敬の念を抱かせ、 そして孤独にさせていた。

 委員長というより、絢音のおせっかいな性分から、彼女を取り巻く壁を取り除こうと接触しようとしたが、こと ごとく拒絶された。それでもがんばって、言葉をかけ続けていると、彼女は怒り出し絢音を泣くまで罵倒した。ク ラスメイトと教師の前で、絢音の容姿から性格まで否定され罵られた。ショックのあまり部屋から出られなくな るほど、絢音は落ち込んだ。母親に病気だと嘘を言って休んだ三日目の夜、不安と苛立ちと悲しみがこみ上げ て布団の中で泣いていると、声がかかった。

 顔をだすと、ベランダに続くガラス戸のそばに、制服姿の彼女がいた。泣き声が聞こえたからと、困ったよう な笑顔を浮かべていた。戸惑って固まっていると、彼女は近づき包まった布団ごと絢音を抱きしめた。そして少な い言葉で彼女自身のことを話してくれた。彼女は生まれてからずっと多くの敵がいて、自分と仲良くしてもいい ことがないと教えてくれた。彼女は謝らなかった。心配して慰めるために部屋まで入ってきたのに決して謝ろう としなかった。
 その後、唇を奪われて、動揺して絢音は泣いてしまった。彼女はやさしくあやしてくれたが、やっぱり謝ら なかった。なんとなく彼女らしいと泣きながら絢音は思った。彼女の引力は、そのかたくななプライドからきて いるんだとわかった気がした。世界中で自分一人だけが、そのことを理解できたと喜んだ。


 昼間教室で彼女は、絢音につらくあたり続け、そして夜には部屋に来て慰めてくれる。そんなおかしな日々 が続いた。


 ある晩、彼女の腕の中から星空を眺めていると、万葉集の『籠毛与 美籠母乳』からはじまる雑歌を彼女 が口ずさんだ。そして古きよき時代。女性は婚姻を結ぶ相手にだけ、本当の名前を告げたのだと教えてくれ た。
 それから、二人だけの時使うあだ名を考えないと?切り出された。星明りの中彼女の白い肌が赤らんでいる のがわかった。その意味が、なんとくなく理解できた絢音は、二人の時にだけしか使えないような恥ずかし い呼び名にしようと提案した。
 満天の星の下で、二人は彼女達にとっての本当の名前を、恥ずかしいそうに呼びあった。多感で純粋で残 酷なある時期の少女達だけが結ぶことを許される、純潔の婚姻を彼女達は交わした。訪れた蜜月は、蜂蜜よ りも甘い日々だった。》


 《その日の出来事のすべてを、絢音はどうしても思い出せないでいた。目覚めた時には病院にいて、 17の夏はそこで終わってしまった。二学期になって学校に戻ると教室に彼女の姿はなかった。はじめて 彼女の家に行ったが、彼女は出ていってしまったと聞かされた。行き先も教えてくれず。伝言すらなかった。

 神隠しにあったように彼女は絢音の前から姿を消した。絢音は何もできず、ただ泣くしかなかった。そして その悲しみも単調な日々の中で磨耗していった。


 二年前祖母から受け継いだ『ななつき』の経営が行き詰まり、親からの援助も断られ立ち行かなくなった 時、店に小包が届いた。中にあったケイタイで、同封された紙に書かれていた番号をかけると、彼女が出 た。けれど彼女は、電話やメールを交わすだけで、けっして絢音の前に姿を見せようとしなかった。


 あの日のことで、絢音が覚えていることがもう一つあった。彼女の涙と自分の涙で、眼が洗われた瞬間 見ることができた夕暮れの教室。天井も床も彼女も自分の制服も真赤に染まっていた。
 ただ、その光景は もしかしたら、気を失っている時に夢に見たものではないかと疑っていもいる。あの後何度もあの教室で、 夕暮れを過ごしたが、あの時ほど鮮烈な赤で教室が染まることがなかったのだ。》 
 

 *



 水平線に太陽が沈んでいる。海の彼方は曇っているのか、赤く照らす光が途切れて、灰色の海が波を立 てている。空は強い風に千切れた雲の下辺が鮮やかにオレンジに輝いている。まるで巨大な黄金の蛇の蛇 腹が空いっぱいにのた打ち回っているようだった。

 圧倒的な夕暮れに感情はこみ上げるが、瞳は潤んでも涙一つ零れ落ちない。零れ落ちるほどの涙は4年 前にすべて流し枯れてしまった。
 視線を感じて目線を夕陽からそらすと、ウエットスーツを着た男達がこちらを見ていた。顔は夕闇 にかくれて見えないが、値踏みするような無神経な視線は嫌でもわかってしまう。地元なのだろうか?
 静かな海をちょっと前まで、我が物顔でマリンジェットを乗り回していた人達だ。夕陽を見ていた自分をギャラ リーと勘違いしたのだろう。

 「・・・・♪」
 彼らに向かってニコっと微笑んで見せた。この数日することがなくて退屈していたのだ。男達も気付いたの だろう、誘われるようにこちらに歩き出した。その歩みがすぐに止まった。
 その視線が自分からそれているこ とを感じていると、背後に人の気配があった。

 「・・・・・」
 戸惑う瞳を背後から回った手が隠そうとした瞬間。絢音の唇にこらえきれないような笑みが浮かんだ。
 「だ〜れだっ?」
 「・・・・・」
 だが、目をふさがれ耳にした声にすぐに唇の笑みが消えた。小さなため息をついて肩を落とす。

 「・・・・・?」
 「・・・・・」
 「あ、絢音さん?」
 いつまでも反応のないことに、力の抜けた手を絢音は掴んで目からはがす。掴んだ手を引っぱり両肩にまわした。後ろから絢音を抱きしめている形になったことにあわてる遊馬に、絢音は静かに言った。

 「お願い、少しだけこうしていて」
 「・・・・・」
 いぶかしげに男達がこちらを見ていることに遊馬は気付いた。中途半端な姿勢から腰を下ろすと、絢音が体 重を預けてくる。潮風に冷えた体を、照れながら遊馬は包み込んだ。
 男達が去っていき、夕陽が完全に波に のまれた。いつまでも輝きを残こす雲のあいだから、星が顔をのぞかせるようになる。ずっと口を閉ざして海を 見ていた絢音が、肩を震わした。

 「んふふふ、ひどいな〜わたしって・・・」
 「・・・・・?」
 「あんな悪さしたのに、そのあーちゃんに慰めてもらうなんて」
 「・・・・・」 
 絢音が少し振り返る。
 「大変だったでしょ?あの後」
 「大変でした。もう殺されるかと思いました」
 目と鼻の先にある悪戯っぽい瞳に苦笑いを浮かべる遊馬。

 「あはははは」
 「あははははじゃないですよ、まったく、・・・・。帰りましょう?みんな心配したんですよ」
 「ふうん」
 「のぞみなんか、ついてくるって言いだしてきかなかったんですから。執行部が授業サボったのばれたら 大事になってしまうって必死に説得して、止めさせたんですから」
 「のんちゃんが・・・・。そうだね、黒襟がそんなことしたら大変だもんね」
 「?・・くろえり?」
 「あーちゃんも帰ったら?学校サボっちゃ駄目でしょ」
 「え?・・・あのお・・・」
 「今から帰れば、今日中には家に着くはずだから」
 「このまま手ぶらで帰ったら、それこそみんなに殺されます」
 「んふふふ、そうか、あーちゃんはみんなが怖くてわたしを探しにきたんだ・・・」
 「・・・・・」
 「・・・・・」
 「違います。最初はなんでのぞみがあんなに心配してるか分からなかったのは事実ですけど」
 「・・・・・?」
 「だって、絢音さんいつだって幸せそうにしていたから、悪いイメージとか全然湧かなかったし、それに何 であんなことされたのか意味わかんなかったし・・・」
 「メールのこと?」
 「はい」
 「簡単だよ、嫌われたくて、ひどいことしたんだよ」
 「・・・・・」
 「ここに来たのもそう。嫌いなあーちゃんから逃げてきたんだ」
 おかしそうに言いながら、絢音はさらに体重を預けて回した腕に顔を寄せる。遊馬は戸惑うことしかで きない。

 「おれのこと嫌いなんですか?」
 「うん♪大嫌い」
 いつもの穏やかな口調が、かえって胸に刺さる。力の無い腕をほどき、絢音は立ち上がる。

 「みんなには、もう少ししたら帰るからって伝えといて、のんちゃんには、わたしから電話かけるから・・・ バイバイ」
 暗い海を見ながら絢音は言う。振り返らない。振り返ってへこんでいる遊馬の顔を見たら、このお芝居を 続けられなくなる。お尻についた砂を払いながら砂浜を歩き出す。すると、サクサクと砂を踏みしめる足音がついてきた。

 雲も輝きをなくし空の闇にのまれる。はるか対岸の街の明かりが海を照らしていた。海面に揺れる光に目 をぼんやりと見詰める。足音は依然ついてきている。傍から見れば恋人同士に見えるのかなっと思いながら 足を止める。海を見ながら絢音は諭した。

 「あーちゃん、本当にそろそろ帰らないと、今日中に家に着かなくなっちゃうよ?」
 「・・・・・」
 「わたしは、ちゃんと帰るから・・・」
 「・・・・あ、あの・・」
 「・・・・ん?」
 「帰りたくても帰れないんです。・・じつはここに来るまで電車とかバスとか散々乗り間違えて、最後にタクシーとかもつかっちゃって・・・・お金が・・・」
 言い終わる寸前、遊馬のお腹がぐうううううっとなった。
 「・・・・・。・・ここに来るまで、食べてないの?」
 「朝は早く出なきゃならなかったし、とにかく絢音さんに会ってからって我慢してたら、缶ジュースも買えない 状況で・・」
 「・・・・・」
 「・・・・・」
 また、タイミングよく遊馬のお腹がなった。
 「もーおっ!」
 少しむくれてつぶやくと、絢音が振り返る。遊馬の腕に自分の腕を絡めた。

 「え?あっ!」
 「しょうがないなあ、おねえさんが保護します!」
 腕に胸を押し付けてそう言ったが、遊馬の表情は曇りがちだ。さっきの『大嫌い』を引きずっているのだろう。 口をつぐんでいる遊馬をよそに、ポケットからケイタイを取り出すと電話をかけた。

 「すいません。『翡翠』に泊まっている奈々月です。えーと、急に弟がこっちに来ちゃいまして、宿泊はいい ですか?・・・・、・・はい、・・・すみません。それで夕飯なんですけど・・・・、・・・・はい、大丈夫ですか?すみ ません無理を言って・・・・。・・・もう少しで旅館に着きます。・・・・はい、お願いします」
 ケイタイを閉じた絢音に、遊馬が戸惑っている。

 「あ、あの〜?」
 「ん?お金を渡してもいいけど、ちゃんと帰えれる自信ある?」
 「・・・・、ないです。はい」
 来た道と帰り道では視界が違う。まして暗くなり目印になっていたものは見えなくなってしまった。こ こまで行き当たりばったりでたどり着いた遊馬に、自信などあるわけが無い。

 「じゃ、決まりね?」
 「うう、すいません」
 絢音の腕に引かれて、砂浜を出て海岸通を歩いていく。少し坂道を登った先にある古風な旅館を見て遊馬 は息を飲んだ。

 「た、高そう」
 「うん♪高いわよ〜」
 不安を煽るように、絢音が言葉を変えると、遊馬がしゅんとなる。

 「・・・・、す、すみません」
 「あははは、嘘。東のほうに比べれば断然安いの。この辺交通の便が悪いでしょ?首都圏の観光客はみ んな東に流れちゃうから」
 「そうなんですか?」
 「そうよ、高校生ぐらいだったら、背のびをすれば泊まれるよ。ちょっと穴場っぽくていいでしょ?」
 そう言いながら、瓦屋根の乗った門をくぐる。広い玄関につくと、おかみらしき着物を着た女性が出迎えた。

 「すいません、急に来ちゃって、泊まるところとかなんにも考えてなかったみたいです」
 ペコッと絢音が頭を下げたのを見て、遊馬もあわてて頭を下げた。
 「いいですよ、今はシーズンじゃないですから」
 品のいい受け答えをする女性はちらっと遊馬を見た。唇には笑みがあるが、目は鋭くうかがっている感じが した。

 「弟さんですか?すいませんが、ここにお名前を」
 「は、はい」
 おかみが出した台帳を、書きやすいように絢音が支える。

 「住所は同じだから、名前だけでいいよ」
 そう言いながら『わかってるよね?』と目線で合図を送る。遊馬は小さく頷いた。弟なら同じ苗字にしなくて はならない。なるべく自然に、『奈々月 遊馬』と書き込んだ。

 「・・・・・」
 「・・・・?」
 書いた文字を遊馬がじっと見詰めていた。部屋に向かう途中で絢音は尋ねた。

 「やっぱり、『結城 遊馬』ってしたかった?恋人として」
 「あ、違います。そうじゃないんです」
 遊馬が頭を横に振る。なんだか恥ずかしそうにしている。
 「・・・・?」
 「な、なんか苗字が同じだったから、夫婦みたいだなって・・・」
 「あっ、・・・・・、・・・・」
 絢音はドキッとして声をこぼす。何故かこのまま部屋に入るのが、ためらわれ、向かう足取りが少し遅くな った。
 遊馬は、時々こんな風に女の子の心を鷲掴みにするようなことを言う。



 食事の準備がまだかかるというので、先にお風呂をもらうことにした。海の見える露天風呂で、今日一日 の疲れを癒し部屋に戻ると、遊馬と同じ浴衣姿になった絢音がケイタイで誰かと話していた。部屋に入ってき た遊馬に気付き困ったような笑顔を浮かべる。すぐに目線を切った。

 「・・・うん。・・・ごめんね、心配させちゃったね。・・・・・、・・・ああ、のんちゃん泣かないで・・・・。 ・・・・・・、・・・・・うん、ちゃんと帰るよ。・・・・・うん、・・・・はい、わかりました。・・・・・はい、じゃあお土産買 っていくから、・・・・あはは、・・・はい、じゃあね」
 ケイタイを切ると、絢音がふうと息をこぼした。遊馬が尋ねる。

 「のぞみですか?」
 「・・・うん、怒られちゃった」
 「絢音さんのこと凄く心配してました。のぞみは、絢音さん好きなんです」
 「わたしも、のんちゃん好きだよ。・・・あの子って、高校の頃のわたしによく似てるの」
 その言葉に、遊馬が驚きを隠さない。
 「ええっ!」
 「あん、のんちゃんと同じ反応するんだね」
 「でも、あいつメチャメチャ乱暴者だし・・・」
 「あの子の、そーいうところって、繊細さの裏返しだよね。あーちゃんは、分かっているんでしょ?」
 「え?」
 「ん?」
 ニコッと絢音が同意を求めてくる。少し照れながら遊馬は頷いた。

 「そうかもしれない。みんなの中で、一番距離感が掴めないのあいつだから・・・」
 「・・・・・」
 「静流さんはするりと腕の中にもぐりこんでいる感じ、紗奈ちゃんは腕の中から、手をつなぐまでの距離。でないと寂しそうな顔をする感じ。零も紗奈ちゃん同じ距離かな、でも意味が違って離れすぎと危険なことが多いから。・・・・でも、のぞみはどの距離がいいのかまだ分からない。あいつからは絶対近づかない。けれど、こっちから無理に引き寄せたら、きっと凄く困った顔するんだろうなって・・・・。あってすぐ、あいつはそんなところが あるって、分かった。一夜はいつも、あいつとつるんでいるけど、大変じゃないのかなって・・・・」
 「・・・一夜?」
 「あ、のぞみの幼馴染で、おれの悪友です。何度かのぞみと『ななつき』に来たんじゃないかな?」
 「そうなの?う〜ん。憶えてないなあ」
 バイトを始めるまで、のぞみもお客の一人に過ぎなかったかもしれないし、お店が忙しかったのかもしれ ない。

 「そうですか?・・・のぞみが気分屋で、自己中な奴なら話は簡単なんだけど、そうじゃないからむずかし いっていうか・・」
 考え込んで口を閉ざす遊馬を、絢音は嬉しそうに見詰めていた。

 「ふうん、じゃあわたしはどんな感じなの?」
 「え?」
 「ん?」
 「・・・・内緒です」
 恥ずかしそうに遊馬は頬をかいた。

 「え〜、なんで?教えてよお」
 「いやです。口が裂けても言いません」
 絢音との距離感は、ほとんど願望になってしまう。静流の時と立場が逆で、その腕の中に、正確には胸の 中にもぐりこみたいという邪な欲望。口にすれば、絶対嫌われてしまう。

 「〜ん?そう?」
 けれど遊馬のモジモジとした態度に、想像がつくのか絢音は腕を寄せて、浴衣に包まれた大きな胸を強調 した。胸の着物のあわせがゆるみ、深い胸の谷間が目に飛び込んでくる。
 「・・・・うっ」
 「うふふふ、あーちゃんのH」
 ストレートすぎる攻撃にたじろぎながら目をそらすことができない遊馬を、絢音がからかう。

 部屋に置かれた電話がその時鳴って絢音が出る。受話器を置くと絢音が振り返る。
 「ご飯ができたって、行きましょう」
 「はい」
 待望の食事に廊下に出ると、絢音が自然に腕を絡めてくる。

 「ん?」
 「あの、姉と弟なんでしょう?」
遊馬の腕に柔らかな弾力で抗議する絢音。
 「そうよ、腕を組んじゃうぐらいすっごく仲のいい姉弟。こんな綺麗なおねえさんがいたら、あーちゃん幸せ でしょ?」
 「え?・・う〜ん、どうかな?」
 「どうして?」
 「だって、血がつながってるってことは、やっぱり結ばれないんでしょ?綺麗なひとがそばにいるのに、そ れってつらいんじゃないかな・・・」
 「大丈夫大丈夫♪あーちゃんみたいな可愛い弟がいたら、おねーさん我慢できくなくて手を出しちゃうんだ から!」
 「そ、それはまずいんじゃ」
 「あははは」

 食事を取る広間に入る前に、さすがに絢音は腕をほどいた。20人ほどの人が座れそうな広間に、座卓が 並んでいる。旅館には他にもお客がいるはずなのに、姿がない。くつろげるようにと時間をずらしているのか もしれない。その証拠に二つとなりの座卓には、片付ける途中のお皿があった。ひかれた座布団に腰を下ろ し、座卓に置かれた料理を見て、つい周りの席を見渡した。

 「どうしたのあーちゃん?」
他の席に料理がないのを確かめて、改めて自分の席の料理を見た遊馬が苦笑いを浮かべた。
 「あの?この席でいいんですか?凄すぎるんですけど・・・」
 座卓に所狭しと並んだ料理は、大きな赤いキンキの煮付けを中央に、小ぶりなイセエビがうごめく刺身の盛り合わせ。肝を絡 めた丸ごとのイカのホイル焼き。カレイのから揚げ。サザエのつぼ焼き。色のあでやかな海藻類の サラダ。と、これでもかと海の幸を贅沢に使ったものだった。

 「うんそうだよ、凄いでしょ?」
 「なんか宴がはじまりそうな感じですね」
 「何言ってるの?あーちゃん」
 「え?」
 「宴を始めるのよ。これから」
 玄関で出迎えたおかみが来て、二人の前に、瓶ビールとコップを置いた。

 「え?あの・・・?」
 「大学生になったんだから、お酒の味も覚えたでしょ?付き合いなさい」
 何気におかみに聞かせるように、絢音は言った。確かに高校生が平日観光地にぶらぶらしているのはお かしな話だ。絢音が浴衣の上に来た半纏のすそをおさえて、瓶ビールの口をこちらに向ける。断ることもでき ずコップを持つと、トクトクと注がれた。

 「どうも」
 「どうもじゃないの!コラ」
 「え?」
 「ほーら」
 瓶を置いた絢音が、自分のコップを手に持ち差し出す。遊馬は手前の瓶ビールを持って、見よう見まねでビ ールを注いだ。やり方がわからず。ちょっとしくじった。

 二人の様子を見守っていたおかみが尋ねた。
 「ご飯は、後のほうがよろしいですか?」
 「あ、もう持ってきてください。この子まだお酒よりもご飯のほうがいいみたいだから」
と返す絢音は、泡だらけの自分のコップをおかみに見せた。おかみも笑って頷いた。
 「そうみたいですね、分かりました」

 おかみが襖を閉めるのを見て、絢音が囁いた。
 「無理しなくていいから、適当に付き合って。あの人絶対疑っているから」
 「はい」
 「それに、あーちゃんには大事なミッションがあるから、飲みすぎちゃ駄目だよ」
 「・・・・?」

   おかみがご飯の入ったおひつと、茶碗をもってきた。絢音がお盆ごとそれを受け取ると、おひつからご飯を よそり遊馬に渡した。
 かなり大盛りな茶碗に戸惑っている遊馬に、絢音が嬉しそうに、ふたを開けたおひつ の中のご飯を見せる。
 「あーちゃん見て見て!」
 「・・・・・?」
 「知らない?旅館に泊まったら守らなくてはいけない『鉄の掟』があるのよ」
 「なんですか?『掟』って・・・」
 「客はね、食事に出されたおひつのご飯を全部食べなくてはいけないの。絶対空にするまでその場を 離れることはできないの」
 「ど、どうしてですか?」
 「そうしないと、祟りがあるの。こっちのほうの旅館では、有名な伝承でね。旅館でお客様に不幸があると 、あの客はご飯を残したからああなったって嘆くんですって」
 「・・・・、ほんとうですか、それ?」
 「もちろんよ、旅館をなめちゃ駄目よ!」
 満面の笑顔でたしなめられると、説得力がないが、どうも絢音さん本気モードのようだ。

 「・・・・・」
 「あーちゃん、ガンバ!」
 かつ、決定事項のようだ。何となく今まで、その笑顔でごまかされ続けてきたけど、絢音の性格を遊馬 は、分かりかけてきた。

 (意地悪だ!絢音さんはすごく意地の悪い人なんだ!)
 緊張した喉を、ビールで一口潤して覚悟をきめると、遊馬は料理に挑んだ。期待に満ちた絢音の視線に 見守られながら。


 *



 三時間後布団の中で、うんうんうなり続ける遊馬がいた。激しいバトルだった。かろうじて勝利を収めた が多くの犠牲を払ったものだった。と、いうかお腹が張り裂けそうだった。もらった胃薬で多少はおさまった が、後遺症で廃人寸前で布団の中で息をしていた。

 絢音は隣の布団にいる。夕食の時、かなり飲んで酔っていた。いつもより陽気になって、遊馬のことを応 援していたが、絶対に『鉄の掟』を遵守させようとしていたから、たちの悪い酔っ払いだった。

 わずかに開いた窓から、潮の音が忍び込んでくる。なんとか治まりだしたお腹をさすりながら、なんとなく 絢音は起きている気がした。暗闇の中、潮の音を耳にしていると、声がかかる。

 「あーちゃん、大丈夫?」
 その声が聞きづらいのは、お互い背を向けて寝ているせいだろう。その姿勢のまま遊馬は答えた。
 「・・・・はい、なんとか」
 「そう。・・・・、・・わたし明日帰るね。のんちゃんの声聞いたら、みんなの顔が見たくなちゃった」
 「そうですか、よかった」
 「みんな怒ってるんだろうな・・・」
 いつもの絢音らしからぬ、不安そうな呟きに、つい遊馬の口がゆるんだ。

 「そんなことないですよ、みんな絢音さんのこと心配していましたから、帰ってきたら喜んでくれますよ」
 「そうかな?」
 「そうですよ。それにいない絢音さんの分も、おれがたっぷりしぼられましたから」
 「あはは、ごめんね。・・・うふふふ」
 「笑い事じゃありません。まったく絢音さんは・・・」
 「〜ん、よかった」
 「何がよかったんですか?」
 「本当はね、あーちゃんが一番怒ってるんだろうなって、怖くて帰れなかったの」
 「・・・・・。・・・おれのこと『大嫌い』じゃなかったんですか?」
 「・・・・嫌いよ。あーちゃんもわたしのこと嫌いになってくれればいいって思ってた」
 「・・・・・」
 「でも、やっぱり怖かったの。怖くて怖くて仕事も手につかないぐらいで、・・・それで、逃げちゃった・・・」
 「・・・・。・・・・・おれ、絢音さんに何かひどいことしましたか?」
絢音は答えない。背後で布団の布がこすれる音がした。そして遊馬の布団の中に、絢音が入ってきた。 近づくぬくもりに遊馬が緊張していると、そっと背後から抱きしめられた。豊満な乳房が背中に押し付けら れて耳元で囁かれた。

 「そんな質問をするところをみると、まったく無自覚なんだね」
 耳に柔らかな唇が押し付けられる。ビックと震える遊馬の体を、絢音の腕がとらえて離さない。解きつ つあった浴衣の隙間から侵入した絢音の手が、直接遊馬の肌をなでる。

 「・・・・絢音さん。おれ一体何を?」
 「責めてないよ、責められないの。それはあーちゃんのいいところでもあるから」
 「・・・・?」
 肩をつかまれて引かれる。闇の中見下ろす絢音の肌が白く輝いて見えた。絢音は自分の髪をかき上げると、唇を重ねた。唇の弾力を味わうだけの淡いキス。頬を両手でつかまれて受けていた遊馬も、唇を味わう ようについばみ返す。重ねた肌が熱を帯びる。淡いままであるがゆえにいつまでも、楽しんでいられる。じ わじわとその余韻が、脳の奥を痺れさす。すっと、唇が離れた。絢音が満足そうに吐息をこぼす。

 「ふう、・・・うふふ、これで二度目だね?」
 「・・・・・?」
 瞳をとろけさせた遊馬はきょとんとする。絢音は寂しそうに笑みを浮かべた。

 濃厚な性交を重ねた二人だったが、これが二度目のキスだった。二回の交わりの時、先に遊馬の精液 を口で受けてしまったこともあり、絢音はそれを求めることができないでいた。若い男の子が、そうした口 を汚いと思うだろうと考えたのだ。ただ、遊馬が喜んでくれればいいと、リードしていた。

 争奪戦のはじまった朝、絢音は本当にただキスがしたくて遊馬の家に向かったのだ。自分でも理解でき ないほどの、子供じみた衝動。唇を重ねる行為を、セックス以上に特別なものと考える絢音の中に残って いた少女の感性が、体を勝手に動かしていた。
 けれど、やっとのことでできたキスをした遊馬の家に、風霧零がいた。そして絢音の目の前で、零は遊 馬と唇を重ねた。まるで自分のキスで穢れてしまった彼の唇を清めるように・・・・。

 その後女の子達が押し寄せてはじまった熱狂を、何処か他人事のようにやり過ごしていた絢音は、黒襟を つけた少女に気付いた。部屋に押しかけてきたくせに、熱狂の輪に入るのをためらっている少女に、欲しい ものがわかっていたのに何もできないで終わってしまった、十代の自分の姿が重なって見えた。

 

 しかたなく絢音は言い直した。
 「最後までしたいの?駄目?」
 「え?・・・あ・・・」
 「他の子とは隠れてしてるでしょ?最近は静流ちゃんかな。もうバイトしている時ウキウキしてるからばれ ばれなんだよね」
 「・・・・・」
 「それなのに、おねえさんだけ一度きりなのは悲しいなあ」
 「・・・・・」
 戸惑っている遊馬。こういう言い方が一番なんだと絢音は知っている。

 遊馬の欠点であり、いいところ。 それは困ったり悲しんでいる女の子を見るとほうっておけないで、かまってしまう性分。そのやさしさが、付 き合っているとか、肌を重ねたこととか関わりなく平等なこと。
 以前神無姉妹から、遊馬の失恋の話を聞か されたことがある。二人は遊馬をふった彼女のことを怒っていたが、絢音はその彼女の気持ちがよく分かっ た。恋人になり体まで許した。その子は遊馬の特別な存在になりたかったのだろう。けれど、そのやさしさ が他の誰にも同じであることを目の前にして、深く傷ついたに違いない。『他に好きな人ができたの』は、 嘘。そんな遊馬への復讐、あるいは引き止めて欲しかったのだろう。だから、彼女は泣いたのだ。

 あの時、部屋に零がいたことに感謝すらしている。でなければ、自分を見失い絢音は遊馬にのめりこん でいただろう。それぐらい遊馬のやさしさは甘美だ。心に傷を負った者にとって。

 あくまで火遊びと心を決めて、絢音は遊馬の肌に体を摺り寄せる。言葉はいらない。求めれば 許してくれる。自分の浴衣の帯をほどき、こぼれる乳房を薄い遊馬の胸に押し当てる。切なそうな顔をし て遊馬と三度目の口付けをする。情熱に任せたまま、互いの唇を奪い合うようなキス。息が乱れ て開いた歯の間に、舌をもぐりこまして柔らかい舌をからめあう。 その度に重ねる肌が震える。遊 馬の硬くなったものが腿を圧迫する。火傷しそうな熱さに絢音は唇を離した。乱れた息をこぼす遊馬の 唇を指でくすぐる。

 「おいしいな、あーちゃんの唇、朝まで味わっていたいくらい」
 「・・・・・」
 頬を赤くした遊馬が困ったように見上げているのは、絢音の腿が執拗に性器を刺激していたからだ。

 「なあに?」
 「・・・・あっ」
 腿の刺激に手が加わる。パンツ越しにその先端をなでなでする。
 「なにかして欲しいことがあるの?言ってくれないとおねえさん分からないなあ・・・」
 「あっ、そ、その、!・・っく、」
 快感にゆがむ顔が可愛くて、絢音は赤い頬に音をたててキスをする。

 「早く言いなさい。それとも、もうお眠むなのかな?」
 囁いて、その耳に熱い息を吹きかける。ぞくぞくして肩をすくます遊馬。少し怯えたような瞳をしている。
 「あ、絢音さん。・・・っあっ!」
 その呼び方に、絢音が性器を遠慮のない力で握り締めた。痛みよりも喜びのほうが強い。そのまま遊馬は、はぜてしまいそうになった。

 「こ〜ら、ここではおねえさんでしょ?」
 「え?あくっ!」
 またきつく握り締め付けられる。
 「誰かが、聞き耳を立てていたらどうするの?旅館を追い出されちゃうでしょ?」
 「でも、それでこんなことしてたら、やばいんじゃ・・・」
 「言ったでしょ?仲のいい姉弟なんだって。セックスしちゃうぐらい」
 「・・・・・」
 遊馬が反論しないのは、性器をやさしくなでられているからだ。

 「あーちゃんがして欲しいこと、おねえさんが教えてあげるから、口にするのよ。いい?」
 「・・・・・」
 遊馬は戸惑いながらコクコク頷く。

 「僕のオチ○チンを」
 「ぼ、僕のオチ○チンを」
 「いっぱいいじめて」
 「いっぱいいじめて・・・、んん」
 言い終えた遊馬の唇をご褒美のように絢音が奪う。歯をこじ開けて舌が入り口の中を舐められる。それだけ で意識は飛んでしまいそうなのに、絢音は攻撃の手を緩めない。唾液が口の中に注ぎ込まれる。わけがわか らないままそれを遊馬は飲み込んだ。口の中から、歯の裏、唇をゆっくりと舌でなぞられて唇が解放される。  息をするのを忘れていたのか遊馬は、肩で呼吸をする。潤みすぎて頬にこぼれた涙を、絢音が舌で舐めた。

 「可愛い声を、おねえさんに聞かせてね」
 そう言うと絢音は上半身を起こした。遊馬の見上げる前で、肩にかかった浴衣をゆっくりと落とす。その時に なって絢音が浴衣の下に何一つ身に着けていないことを遊馬は知った。絢音の手で服を脱がされていく。はち きれそうに隆起した性器が、視線を感じてピクピク震える。薄いピンクの唇が、淫靡にゆるんだ。

 絢音が体を寄せる。じらすように遊馬のうなじに唇が吸い付いた。唇の弾力が、じりじりと降りていく。希望と 焦燥に敏感になった肌に、唇が吸い付くたびに、肌が震えてしまう。柔らかな髪先がその周囲辺を掃くようにく すぐる。鎖骨を這い、薄い胸板に降りる。唇が触れる前からとがっていた乳首を執拗にねぶられる。感じる ところでないのに、情けない声が遊馬からもれる。倒錯と期待、女の子のように攻められていることに酔い、 じらされている性器も同じ位ぐらい激しくされると想像して、唇がを震わす。

 「んふふふふふ」
 こらえきれないような笑い声。乳首を音をたてて吸われる。
 「・・・んん、・・・くう〜っ」
 「なあに、おっぱい攻められて感じちゃうの?おかしいな〜、あーちゃん弟じゃなくて妹なの?」
 「・・・・・う〜・・・」
 「だったら、おねえさん遠慮しないんだけどな・・・」
 「・・・・・?」
 「でも、こんなのつけているから弟なんだよね」
 「・・・・あっ、・・・」
 そう言って、開いた遊馬の脚の間に膝をついた腿で、まちぼうけをくらっていた性器を圧迫する。我慢でき ず、遊馬が腰を動かすと、『あん♪』と絢音が腿を離す。

 「こらっ、なにこすりつけているの?」
 「・・・だって、意地悪だよ。・・・・ね、ねえさん」
 「んふふふ、意地悪だもん」
 ニヤニヤしながら体を下にずらす。遊馬の期待に満ちた目に応えるように。もう片方の膝も脚の間に落とし た。未だに膨らんでいるお腹を這わした舌が、目的地に向かっていると、その前に肌をくすぐっていた、乳房 が性器を撫ぜた。
 「・・くうううっ!!!」
 遊馬が悲鳴に近い声をあげる。乳房を離した後も、体を震わしている。

 「あーちゃん?」
 「・・・・・、・・・それ、気持ちいいかも・・」
 恥ずかしそうに視線をそらしながら、ぽっつと呟く。少し投げやりな言い方が、かえって期待に満ちているよ うな気がした。

 「・・・こう?」
 再び体を寄せて、垂れた豊満な胸のふくらみの間に、軽く性器を通すように動かした絢音。遊馬があえぎをかみ 殺して体を震わせる。強い刺激とは思えなかったが、その喜びの深さは、性器の切り口から飛び散った先走 りの液の熱さが教えてくれた。あごにかかった液をぬぐうと、絢音はそれをまた繰り返す。さきよりもずっと、 のんびりと胸の柔らかさを性器に摺りこませるように。

 (こういうのも、パイズリなのかな?)
 初めてのやり方に、ちょっとドギマギする。喜びを噛み締める遊馬の表情が可愛い。一方的でない、こうい う気付きのあるセックスは楽しい。攻めているようでじらしている感覚があるこの愛撫が、絢音は気に入った。 それに・・・。

 「・・・おねえさんの、とがってる」
 「・・・・・」
 喜びを味わうだけで精一杯だと思った遊馬がそう言う。性器の周りのきめの細かい肌に、ぎりぎり触れる 胸の先端。甘い刺激に硬くとがってしまうのは仕方ないことだ。気持ちがいいの?と聞いていいるのだろう か?恥ずかしくて答えることができない。

 「あーちゃんだって、こんなになっているくせに」
 とがった先端で、液をこぼす先端の切り口をつついた。

 「「・・・んんっ・・」」
 二人の口から吐息がこぼれる。性器が快感をもたらすのは、喜びのポイントとともに、異常に繊細な感覚 が潜むせいであることを思い知らされる。動きを止めた絢音と遊馬。目があうと照れて、お互い唇をゆるま せる。

 「こいうのもあり?」
 「・・・うん」
 「うん、そっか」
 自分の喜びに忠実であろうとするあまり、姉弟ゴッコが終わってしまう。
 それよりも楽しいことを二人は求め た。ふくらみの先端で、性器を掠めるように刺激する。何が正解がわからず、絢音はその行為を繰り返す。触 れあう部分はさらに小さくなり、感覚が鋭敏になる。手のように動きが的確でないもどかしさも、喜びになる。 お互いの敏感な部分をこすり付けている行為。淫靡さの中に無邪気さが見え隠れする。

 とがった乳首は、先走りの液でビチョビチョになっている。こする度に、小さな水音がする。凄い量だ。男の 子も濡れることに、絢音は息を乱れさせる。激しい刺激を与えれば、簡単に遊馬はいってしまうだろう。でも じらせばじらすほど、その瞬間の喜びが大きいことを知る絢音は、それをしない。夜は長い、お店もない。布 団の上で女の子のように身悶えている遊馬を見下ろしながら、さらに動きをゆるめていく。単調にならないよ うに、ふくらみの間に通す動きも織り交ぜる。

 「・・・・っ!」
 我慢できなくなったのか、遊馬が腰をせり上げる。火柱のように熱い性器を谷間の奥に押し当てられて、 絢音はふくらみを震わした。その振動がきっかけになった。熱い粘液が絢音の肌を汚した。その射精感を あおるように、豊満な乳房が性器を圧迫する。強すぎる刺激に遊馬が逃げようとするが、脚を抑えて絢音 は許さない。
 最後の一滴までやわらかな弾力に搾り取られた。



 「・・・・凄い量・・・」
 ティッシュでふき取れないと、絢音は温泉で使い干してあったタオルで胸を拭う。上気した肌の匂いと遊馬 の精液の匂いが混ざりあって、火照り続ける絢音の鼻腔をくすぐる。いまだに、荒い息が収まらない遊馬を 見た。

 「大丈夫?あーちゃん」
 「・・・・・んっ!」
 天井を見詰めていた遊馬が肌を震わせていたのは、絢音が性器をタオルで拭き始めたからだ。絢音の手 が丁寧に性器を綺麗にしていくのを、遊馬は恥ずかしいそうにうれしそうに見詰めている。

 絢音の手の中のものは射精したはずなのにその大きさを失わない。タオルを離し、性器を見ると名残の汁が 切り口にたまっている。口元をゆるませて顔を寄せると、それをチュっと吸った。
 「くうっ!」
 射精後の敏感な性器に刺激を受けて遊馬が息をこぼす。ちゃんと吸ったはずなのにまた、汁があふれていく。絢音は唇をあけて、先端を舐め清めた。硬くなりはじめると唇を離し、うれしそうに頬を摺りあわす。

 「・・・あ、絢音さん」
 「・・・・ん?」
 性器越しに遊馬の顔を見ると、手招きしている。
 「・・・・・」
 「なあに?」
 顔を寄せると、抱きしめられて唇を奪われた。

 「あっ!・・・駄目だって!・・今、口で・・・んんんんっ!」
 驚いて止めさせようとしたが、強引に唇をふさがれる。遊馬の舌が歯をこじ開けようとしていた。まだ精液 が残っているのにと困惑したが、舌は執拗で、仕方なく口を開け受け入れた。遊馬の舌が絢音の口の中を ねぶる。清めてくれている感じがして、絢音の顔から緊張がとける。うっとりと、絢音も舌を絡めていく。遊馬 に体重を預けて、熱い肌を摺り寄せる。

 唇が離れて、余韻にポーっとしている絢音に遊馬が微笑んだ。
 「すごい気持ち良かったです。だから」
 「そう」
 絢音も微笑んだ。だから、キスしたということなのだろうか?遊馬は何か喋ろうとして口を開いたが、恥ずか しそうにまた口を閉ざしてしまった。
 「・・・・・」
 「・・・・なあに?」
 「・・・・、・・・へ、変なこと言っていいですか?」
 二人だけなのに、何故かヒソヒソ声。
 「うん、なになに?」
 絢音もつられて、ヒソヒソ尋ねる。

 「時々トイレとかで、用をたしている時、自分の・・・そ、そのオチ○チンを見て、絢音さんがおっぱいでして くれたこと思い出すんです」
 「うん?」
 「そうすると、自分の一部なのに、すげーむかつくんです。お前ばっかりいい思いしやがってって」
 「あははは、なにそれ?」
 「あはは、ですよね。・・・でも、その時は本当に腹が立って、絢音さんがうれしそうに愛撫していたのを思う と、お前ばっかり愛されてずるいぞって・・・」
 「あーちゃんのオチ○チンなんだよ?」
 「うん。でも、やっぱり気持ちよさより、絢音さんに唇とかで愛されてるのを思い出すと、うらやましいなあて ・・・・」
 絢音が遊馬の髪をなぜる。
 「今も、嫉妬したとか?」
 「おれだってと思って、我慢できなくてキスしました。・・・変ですよね、こいうの」
 「・・・・・」
 絢音は何も言わず髪をなでた手を、赤らんだ遊馬の頬にあて、指でポリポリとかいた。

 「・・・・絢音さん?」
 「あーちゃん恥ずかしいと、頬をかく癖があるよね」
 微笑んで頬をかく絢音。そのくすっぐったさと恥ずかしさに、遊馬は逆の頬に指をあててポリポリする。絢音 がクスクス笑った。

 「で、嫉妬はおさまったの?」
 「え?・・・あの・・」
 「あはっ、おさまってないんでしょ?はい」
 「・・・・」
 絢音は体をずらし、遊馬の目の前にゆたかなふくらみを見せ付ける。視界を埋める大きさに圧倒される遊 馬。クスクス笑い声が、おでこをくすぐる。

 「えいっ」
 という掛け声とともに、遊馬の顔がおっぱいにうずまった。まるで雪崩に飲み込まれたように、視界が肌色 に埋め尽くされる。目鼻口がふさがれ、その窒息感の甘美なこと。もっともぐりこみたくて、顔をうごめかす。く すぐったくて逃げようとすると絢音の体を遊馬が抱きしめる。

 「んんっ、・・・もう、あまえんぼさん」
 しょうがなさそうにされるがままにする絢音。遊馬の頭の脇に肘をつき、空いた手でその髪を撫でた。やわら かな雪崩に遭難中の遊馬。自分の精液の匂いより、絢音の匂いを強く感じる。その鼓動と、穏やかなぬくもり は性器では感じることができないものだ。ふくらみに包まれながら目線をあげると、じっと見下ろしていた絢音 と目が合う。

 「満足した?」
 ふくらみに両頬をあずけて、うんうん頷く遊馬。抱きしめていた手が、そっと胸の先端に伸びた。先ほどの愛 撫でこすられ続けていた乳首は、摘まれるとすぐに硬くとがりだした。快感にゆるむ絢音の唇を見ながら、遊 馬が聞く。

 「激しくしたほうがいいですか?」
 「・・・・あっ、・・・」
 前に肌を重ねた時言った『マゾかな?』という言葉をちゃんと覚えていた。いつもなら、相手の願望をあおるこ とを優先する絢音が、戸惑いながら答えた。

 「や、やさしくして、自分でも嫌になるほど大きなおっぱいだけど、鈍感なわけじゃないの・・・」
 「はい、わかりました」
 「・・・・ありがとう」
 「?なんで、お礼するんですか?」
 「え?ああ、うん、・・・なんとなく・・・」
 「う〜ん?じゃ、おれもありがとう。絢音さんおっぱい大きいから大好きです」
 「あははは、なにそれ?」
 「あははは」
 もじもじしていた絢音が、遊馬の言葉に吹き出す。遊馬も笑った。
 
 「じゃあ小さかったら好きじゃなかったの?」
 「違います。綺麗な絢音さんが好きで、その上おっぱいが大きいから大好きなんです」
 「ん〜ん?なんかうまくごまかされている感じがする〜」
 そう言いながら絢音はニコニコしている。遊馬はその繊細さを教えてくれる小さな乳輪に、ちゅっと吸 い付いた。

 「あんっ」
 唇の裏の柔らかいところで、ゆるゆるされると絢音の肌が震える。もう片方の先端も汗ばんだ手のひらで、 心地よく転がされる。

 「あーちゃん、上手・・・んあんっ」
 無邪気な顔して吸い付いているようで、なかなかテクニシャンだ。唾液にまみれた乳首が、ちゅっぽっと解 放される。ほっと息付く暇なく、反対の乳首に吸い付いた。柔らかな舌に乳首を転がされる。解放された乳 首にも指が伸びた。とがった先端をさけるように指腹で乳輪を刺激されるのはわざとなのだろうか。微妙な 快感のずれに、熱い息が漏れる。肘で体をささえることができなくなって、体を遊馬の横に倒すと、遊馬の唇 は離れることなくついてきた。なんか凄いシンクロ率。

 (あーちゃん専用おっぱいね、まるで)
 熱い息をこぼす唇をゆるませて、その髪を撫ぜた。 遊馬が唇を離して、顔をあげる。先端がとがった乳房 を両手で包みながら、尋ねてきた。

 「どっちが気持ちいいですか?」
 「?・・んんっ、あんっ」
 両方の先端をいじりながらまた、尋ねてくる。
 「左と右、どっちが気持ちいいいですか?」
 「そういうこと?ん〜、日によって違うし、あんっ、こら、両方いじられちゃ、わからないでしょ?」
 「そうですか?」
 「そうなの。・・・じゃあ、あーちゃんは、どっちが気持ちいい?」
 そう言って、腿にあたっていた遊馬の性器に両手を伸ばし、その先端とさおを包み込んだ。遊馬が 喜びに顔を曇らす。

 「・・・・っ!」
 「うふふふ、どっちなの?」
 それぞれを刺激しながら、意地悪な笑顔を浮かべる絢音。
 「・・りょ、両方かな?」
 「んふふふ、ね?そうなっちゃうでしょ?」
 ちゅっと唇を重ねる。遊馬もそれに答える。お互いの両手で、相手を刺激しながら。熱い息をこぼしながら、 唇をかさね続ける。遊馬の性器はまた先走りの汁をこぼしはじめた。舌を重ねる音と違う、水音が部屋に こだましている。唇を離して絢音が尋ねる。

 「かわろうか?すごく切なそうだよ、あーちゃんのここ」
 「あ、いいです。わがままな奴だからほっといてください」
 「あは、またそんなこと言う・・・」
 まだ、嫉妬してるのかなと絢音は苦笑する。それに気付いた遊馬が尋ねる。

 「・・・もしかして、しつこいですか?」
 黒目がちの目が悲しそうに曇る。年上のお姉さんのハートをきゅんとさせる表情。そのおでこにチュッと唇 をあげ、やさしく囁いた。

 「ううん。・・・好きにしていいのよ・・・おっぱいもお尻も、アソコも、全部あーちゃんのものだよ」

 激しい背徳感、罪の意識がかえって絢音の体を熱く焦がす。この宣誓の言葉を、無理やり言わされたのは 四年前のことだった。

 沈んだ気持ちを喜びが慰める。遊馬が新しい悪戯を始めた。大きなふくらみの先を中央に寄せて、先端を 近づけると、二つの乳首を一緒に舌で舐め上げる。どっちが気持ちいいか教えてくれないなら、両方愛そう ということなのだろう。時々遊馬の舌が攻撃の手を緩めるのは、お返しに絢音の手が性器を刺激するから だ。無邪気に貪欲に喜びを与えあう。遊馬の吐息が絢音の肌をすべり。絢音の吐息が遊馬の髪を揺らし た。

 ぎゅっと遊馬がふくらみの下に手をあて持ち上げる。
 「・・・・・?」
 あえぎを止めた絢音がなにをするんだろうと見守っていると、先端を上に向けた。柔らかな肌に指をあてる と、荒い息をこぼす絢音の唇に、ピコっと乳首が向けられた。
 「・・・・・」
 遊馬の期待に満ちた瞳に、邪悪な計画の意図がはっきりとわかる。絢音は表情をむくれさす。なんて恥ずか しいことをたくらんでいるのだろうと。

 「あーちゃんの、スケベ・・・」
 「・・・・・」
 抗議に答えず、遊馬がコクンと喉を鳴らした。期待に興奮しているのだ。絢音は恥ずかしいそうに舌を伸 ばし、とがった自分の乳首を舐め上げた。絢音ほどの豊満な乳房でも、舌先がかろうじて、かかる程度だ。 だが、そのたどたどしさが、見る側もする側も官能を高ぶらせる。我慢できないように遊馬が、絢音が舐め ている先端に舌を伸ばし、加勢する。

 「・・・・んん!・・・いやっ・・・あーちゃん!んんっ・・・・」
 「絢音さんやめないで、・・・続けて・・・」
 乳首越しに舌が絡まる。キスしているのか、乳首を攻められているのか絢音にはわからなくなる。唇の端か らだらしなく、唾液をこぼしながら、遊馬の舌に答え懸命に舌を動かす。

 「んちゅ、・・んん、んん、・・・・はうっ・・」
 「・・・、ちゅっ・・・可愛い、絢音さん・・・」
 感動してるよな遊馬の言葉。もう片方の乳首に延びた遊馬の指が、その根元をきゅううっと挟んだ。その瞬 間絢音の体がはじけた。性器をいじっていた手を離し、遊馬を抱きしめる。ガクガク震える肌に、遊馬は愛撫を止める。かたく瞼を閉じてハアハアと息をこぼす絢音の表情に見惚れている。

 遊馬がやさしくその髪を撫でる。びっくと体を震わせて、絢音が瞼をあける。目があうと、恥ずかしそうに 遊馬を睨んだ。
 「もう、おっぱいでいかされちゃったじゃない」
 まだ激しく上下する胸元を押さえて、息を整えている。揺れる乳房に、遊馬が手を伸ばそうとすると、やん わりと拒まれる。
 「・・・・?」
 「だ〜め、あーちゃんおっぱい星人だから、止まらなくなっちゃうでしょ?これ以上はおあずけ」
 「・・・そ、そんな」
 「あはっ、へこんだ顔してもだめっ!もう許さない、おっぱいだけでイクのすごく切ないんだからね。 今度はおねえさんの番なんだから」
 絢音は遊馬を抱きしめて、横に転がる。上になった絢音は、乳房を揺らして上半身を起こし、馬乗りになる。

 「・・・・んっ」
 遊馬が声をもらしたのは、張り詰めていた性器を、絢音の割れ目が圧迫したせいだ。絢音はゆるゆると腰を 揺らした。

 「あーちゃんだって、もう限界なんでしょ?」
 「あ、絢音さん」
 性器にこすりつける割れ目から蜜がこぼれ、先走り液とまざり、淫靡な音をたてる。

 「気持ちよくしてあげるから、ね?」
 顔を寄せて唇を重ねる。胸にふくらみが押し付けられる。絢音の高鳴る鼓動がつたわる。密着した腰を絢音 が動かすと、性器が熱い媚肉に飲み込まれた。吐息をこぼす遊馬を、絢音は目を細めて見詰めている。

 「・・・あ、あーちゃんの大きい」
 その言葉を吐く、唇が震えていた。いたっばかりの体に、その感覚は鋭利すぎる。すぐに体を動かすこ とができない。
 「絢音さんの中も、熱いし柔らかいし・・・っ、・・・今、しめた・・・」
 「やあん、・・・それは、あーちゃんのがピクピクって動いたからだよ・・・」
 甘えて抗議する表情が可愛すぎて、また絢音の中でこわばってしまう。絢音が『・・・あつ』っと、 声を震わし、遊馬が『・・・っ』と息を吐いた。目があう二人。気恥ずかしくて、照れ笑いを浮かべる。
 絢音が また顔を寄せる。乱れた息が唇をくすぐるのが、こそばゆく遊馬が顔を上げて唇を奪う。
 それを合図に、絢音が腰を揺らした。まだ、力が入らないのか、ゆったりとした動き。かえってそれで、絢 音の肉襞を鮮明に味わうことができた。どこまでもどこまでも、絢音の中にもぐりこんでいくような感覚。深い よろこびに、遊馬がこぼすあえぎは、絢音の柔らかな唇に吸い取られた。
 絢音からこぼれる汗の雫が、肌をくすぐる。押し付けられるふくらみの先端が硬くとがっているのを感じる。 性器はいつ達してもおかしくないほど高まっているが、緩やかな腰の動きに、焦りはない。

 唇に力が入らなくなったのを感じたのか、絢音が顔を離す。潤んだ瞳で遊馬を見下ろす。その視線が恥ず かしくて顔をそらす遊馬。髪からのぞく真赤な耳に、絢音は息を吹きかけた。ビックと肩をすくます遊馬に囁い た。

 「すっごくHな顔してる。そろそろかなあ?」
 「・・・・・」
 うれしそうな声に、つい気をやりそうになる遊馬。こらえる顔が絢音を煽るのか、性器が甘く締め付けてくる。 まるで、射精をうながすように・・・・。

 「いいよ、いつでも来て。おねえさんの中を、あーちゃんのでいっぱいにして・・」
 「・・・・・っ!」
 あくまで緩やかな律動に、遊馬の体が緊張する。体の中で遊馬の性器があがいているのを、蜜壁が蠢き苛め抜く。 我慢できずに、その中に、ドクドクと精液を放った。

 「ああっ・・・すごい・・・あつい・・・んんっ!」
 体の奥を打つ勢いに、絢音がもだえる。遊馬の喜びをふくらまそうと、恥骨をこすりつけるように腰を回す。 射精を続ける先端が、肉壁にぐりぐりとこねられた。
 「くうううっ!かはっ!!」
 その刺激に耐え切れず、止めようと絢音のお尻を遊馬が掴んだ。

 「あん!あっ、あーちゃん」
 遠慮ない力で掴まれ絢音が体をしならせる。美しくのけぞる喉、震える乳房を見上げながら、遊馬は腰を突き上げ、精液を注ぎ込んだ。


 脱力した熱い体を絢音は、遊馬にあずける。やわらかな圧迫を受け止めながら。遊馬は絢音の匂いをかい だ。甘い汗の匂いに酔っていると、髪をなぜられる。瞳の潤んだ絢音が恥ずかしいそうに囁いた。

 「もう、・・・・いつまで、お尻掴んでいるの?」
 「・・・あっ!」
 その言葉に、自分の手がまだお尻を掴んでいることに気付いた。あわてて離そうとすると、絢音が止めた。
  「あっ、・・・・そ、そのままでいいよ」
  「・・・・・?」
  「さっきね、乱暴に掴まれて、痛かったけど、ドキドキしちゃった」
 ぺロっと舌を出して、秘密を打ち明けるように絢音が言う。そしてちゅっと、唇を奪われた。あえぎ続けて渇い た口を絢音の舌で潤す遊馬。乳房とも違う弾力のお尻を、何となく揉みこんだ。絢音の中の性器がその度に 締め付けられる。絡んだ舌を離した絢音の顔に、微熱は残っている。

 「もう、あーちゃん、お尻星人になっちゃったの?」
 「・・・・絢音さんの体が、うれしそうだから、つい・・・」
 「あん、こらっ!そう言って揉まないの、・・・・あーちゃんだっで、全然小さくならないくせに・・・」
 そう言って遊馬のものを締め付けてくる。圧力で、絢音の中から精液と愛液がこぼれて、腿をつたう。濃厚 な匂いが闇に融け、二人は顔を赤らめる。

 「「・・・・・」」
 「んふふ、いっぱい、出したね・・・・」
 「す、すみません」
 「うふふふ、こっちのあーちゃんは、ちっとも反省してないみたいだけど?」
 微笑んで、硬さを取り戻しつつある性器をまた締め付けた。
 「・・・っ、・・・すみません、ホントわがままやつなんです」
 「あははは、もう、笑わせないで・・・、ちゅっ・・・」
 「・・・・ん・・・・」
 おでこをつけながら絢音が囁いた。

 「今日は寝かせないから、覚悟しなさい」
 「はい、絢音さん」
 遊馬は笑顔で答える。こんなHな体がそばにあるのに眠れるはずがない。唇を重ねて、ゆっくりと下から絢 音を突き上げはじめた。
 


 *



 耳に心地良い潮騒の音に、絢音は目を覚ました。
 障子を通してまぶしい光が部屋に差し込んでいるのを、 ほんのり汗ばんだ肌で知る。それなのに、その光が自分を煩わせないのを不思議に思っていると、自分を包 む、ぬくもりに気付いた。瞼を開け、遊馬の腕の中にいることに動揺した。お互い生まれたままの姿だ。鮮 明に情交の記憶が蘇り、胸が痛いほど高鳴った。眠ろうとした記憶がない。疲れ果てるまで求めあったのか? それとも快感のあまり気を失ったのだろうか?
 おずおずと、軽い寝息をこぼす遊馬の顔を見る。硬く閉じた瞼を確かめると、起こさないように腕の中から抜 け出る。寝起きの顔を見せる勇気はない。浴衣を羽織り、化粧道具の入ったポシェットを取り出すと、温泉のある浴場に 向かった。

 浴場には、幸運にも人影がない。昨夜使ったタオルをこっそりと洗う。その間に体が冷えたので、温泉につ かることにした。

 「・・・あ、・・・」
 肌がお湯を弾く、水面越しに見える胸のふくらみが昨日より大きくなっているのが分かった。たった一晩愛さ れただけなのに、ここまで変化する女の体が生々しくて、ため息が口をついた。体に疲労感があるが、寝不 足の憂鬱さはない。わずかな睡眠だと思うが、深い満足な眠りに落ちたのだろう。

  (・・・・あーちゃんが、そばにいたから?・・・)
 朝湯に上気した頬がどうしてもゆるんでしまう。人のぬくもりを感じて目を覚ましたのはいつ以来だろう?

 「・・・困ったな」
 遊馬と距離を置きたくてここまで来たのに、かえって親密になってしまった。何よりそう言いつつ、自分の 顔がちっとも困った顔にならないのが問題だ。

 (・・・・・あの子が悪いんだもん・・・)
 誰に言うでなく、弁解する。そう、遊馬のせいにするしかないのだ。必死で頭の中で遊馬を悪者にしようと する。けれど、そんな意思と裏腹に、体を妙に念入りに洗う自分がいる。髪まで洗ってしまう。脱衣場で髪を 乾かし終えると、しっかりと、けれどあくまで自然な化粧をしてしまう。

 (・・・だから、あーちゃんがわるいの!)
 鏡に映る自分の頬をふくらまして見せたが、5秒ともたない。今日はどうして過ごそうかと、考えながら部屋に もどる足取りが、スッキプになっている絢音だった。



 不自然なまぶしさが瞼を刺した。クスクスと小さな笑い声が耳をくすぐり遊馬の意識は目覚めた。頬を圧迫 する妙に心地良い弾力にデジャブ感。けれど、やっぱり頬をすりすりしてしまう。

 「あん♪」
 すぐそばで甘い声。これもデジャブ・・・・
 「・・・・・」
 「おはよう、あーちゃん」

 視界いっぱいの笑顔って・・・・
 「えっ?・・・あ!お、おはようございます」
 数日前と同じ状況。違うといえば浴衣姿と、シャンプーの匂い。

 「ん?今日は腿をなでなでしないんだ」
 「あ、まあ・・・・、えーと・・・」
 「朝食にはまだ時間があるから、風呂もらって、さっぱりしたら?」
 「ああ、そうですね」
 少し寝不足もあって、頭がぼーとしている。もうちょっと、膝枕を味わっていたかったが、言われるままに体 を起こす。自分が全裸なのに気付いて、昨日のことが蘇る。動きを止めていると、肩に浴衣がかかった。遊 馬が絢音を振り返る。

 「ん?なあに?」
 部屋には、朝日が差し込んでいる。開いた窓から、潮の匂いが混ざった、すがすがしい空気が入り込んで いる。濃厚な性交の余韻は微塵も部屋には残っていなかった。
 「・・・・、いえ・・」
 薄化粧をした絢音の顔がまぶしくて、目線をそらし浴衣を着ると、もじもじして部屋を出て行く遊馬。
 しかし、 すぐにあわただしい足音を立てて、戻ってきた。血相を変えて部屋に入ってきた遊馬は、布団に座る絢音 が自分のケイタイを手にしているのを見て声をあげた。

 「だあああああああああああ!!!」
 「きゃあっ」
 襲い掛かるように、ケイタイを奪おうとする遊馬。絢音も抵抗し布団の上でもつれあう。
 「なああああに、してるんですかああっっ!」 
 「〜♪、みんなにあーちゃんとの仲を、ご報告!」
 「やめてください、やめてください!ほんとうに殺されます!」
 逃げようとする絢音の体を抱きしめて、手からケイタイを奪った。画面にはしっかり遊馬の寝顔が映ってい る。速攻で消して、メールが送られていないのを確認してホッと息をつく。

 「もう、あーちゃんの意気地なし」
 その背中に絢音が笑顔で罵る。
 「こんなの送ったら、帰れなくなりますよ」
 恨めしそうに振り替える遊馬。
 「あ、それいいかも、ずっとこのまま、ここにいようよ?」
 「だめです!絢音さんを連れ戻すために、おれここに来たんですよ」
 「そうだっけ?」
 「・・・・・」
 「あん、おこっちゃいや♪」
 「怒りません。少し泣きたい気分です」
 「お風呂にいってくれば?そうすればさっぱりして機嫌も治るかも」
 「紗奈ちゃんですか!おれは!」
 「あはははは」

 布団に倒れておなかを抱えて笑い出す絢音。無邪気な仕草が可愛くて怒りが続かない。この人にはかな わないとあきれながら、ケイタイを握り締める遊馬だった。



 電話がかかり、二人で広間に向かう。夜とは違い、他のお客達が朝食をとっていた。座卓には、朝の定 番メニューが並んでいる。いつも簡単な朝食で済ましていた遊馬には、ため息もののラインナップだ。対面に 座った絢音がうれしそうに声をかけてきた。

 「あーちゃん見て見て!」
 絢音の手には、ふたを取ったおひつ。中のご飯の量が明らかに昨日より多い。完食したせいで、大喰らい と認識されたのだろうか?
 「・・・・・・」
 固まる遊馬の目の前で絢音がお茶碗に、これでもかとご飯をもっている。『鉄の掟』は、どんな犠牲を払って でも厳守しなければいけないものなのだろうか?お茶碗をこちらに渡す絢音。

 「たーんと、めしあがれ」
 期待に満ちた笑顔。やはり決定事項のようだった。
 (う〜ん、時々SとMが、ひっくり返るのはどうしてなんだろう? )
 疑問が浮かぶが、こんな笑顔の女王様には逆らえない。覚悟をきめて箸を持つ。その期待を下僕は裏切る わけにはいかないと、戦闘を開始した。



 結局その日も胃薬のやっかいになった。あぶなかった。昨日出されたイセエビの殻でだしをとった味噌汁が 抜群に美味しくなかったら、どう転ぶかわからない展開だった。旅館を出るまでの時間、遊馬は横になって動け ない。『掟』に殉じた者へのご褒美なのか、絢音は膝枕をして子守唄を歌ってくれた。肩口をやさしく叩か れながら遊馬は少し眠った。



 *



 旅館を出て駐車場に置いてあった絢音の車に荷物を詰め込むと、腹ごなしもかねて海岸の町を散歩する。

何処か懐かしい感じのする街角。どこにでもある、どこでも同じようなものを扱うお土産屋。魚の干物が干し てあるお店では、朝食に出たのと同じものがあり、その美味しさに感動していた絢音がお土産にし ようと言い出したが、みんなの困惑する顔が浮かんで遊馬は止めさせた。

 日焼け防止に、お土産屋で買ったおそろいの麦藁帽子。釣り人が被りそうな素朴なものだったが、二人で すると、それほど悪いものじゃない。

 「絢音スパニッシュ♪」
 ポーズをとって、ご機嫌な絢音。バギーのデニムパンツと肩のあらわなチュニックスブラウス、夏らしい いでたちの絢音に、麦藁帽子は不思議とマッチしていた。その後ろにきらめく海が見える。胸の内に浮かん だ言葉が遊馬の口からこぼれた。

 「絢音さんって、海が似合います」
 「・・・え?」
 喜んでくれると思ったのに、その表情が固まった。
 「・・・・・?」
 「あ、・・・・・うん、ありがとう・・・」
 あわてて笑顔を浮かべたが、何処かぎこちない。それが自分でも分かるのか、顔を海のほうに向けてしまっ た。

 「・・・・・?」
 「・・・ごめんね」
 「え?」
 「前にも、同じようなこと言われたことがあるんだ。だから、ドキッとしちゃった・・・」
 「・・・・・」
 誰に言われたのだろうと思ったが、口にできない。海を見続ける絢音の後姿がそれを拒んでいた。言葉少 なく海岸道路を歩く二人。



 お昼時を少し過ぎた頃、海岸通に面した喫茶店に入った。『cafe la cresent』のcresentは三日月 で『ななつき』と同じ月がつく名前だと絢音が微笑んだ。外観から想像できないほど開けた店内は、落ち着い たインテリアで統一されて、漂う珈琲の香りとともに来た者をほっとさせる雰囲気がある。店員に案内される ことなく、絢音は海の望める窓辺の席に腰を下ろした。

   トレーにお水とメニューを持ってきた女の子がやってきた。置かれたメニューを開くことなく絢音が遊馬に尋 ねた。
 「何か食べる?」
 「あ、・・まだちょっと・・・」
 「うん、そっか、すみません。いつものを2つお願いします」
 そう言いメニューを返した。女の子が立ち去ると、絢音が遊馬に笑顔を浮かべる。

 「ね、あーちゃん」
 「はい?」
 「喫茶店に入って、そのお店がおいしい珈琲を出すかださないか、簡単に分かる方法があるんだけど、なん だかわかる?」
 「え?」
 「ヒント、今見えるものだよ」
 「えーと」
 何となく店内を見回すが、どれが正解なのか見当がつかない。絢音に降参の苦笑いを浮かべる遊馬。絢音 が唇をゆるませる。

 「これ」
 そう言って、だされたお水の入ったコップに指を当てた。
 「?」
 「飲んでみて」
 言われるままに、一口飲んでみる。

 「あ、・・・おいしい」
 何がどううまいとかなんかは表現できない。けれどうまいまずいは何となく分かる。
 「あーちゃんは、緑茶を飲むみたいだね」
 「はい。母親の本家が京都なんです。おれは一度も顔をだしたことないけど、その家が新茶の季節になると お茶を送ってくるんです」
 「旅館のお茶も感心していたもんね」
 「あっ、・・・さすが茶どころだなって感じでした」
 「うん、お茶の葉もいいんだろうけど、それと同じくらい、ここのお水がおいしいこともあるの」
 「それはあると思います」
 「うん、それは、珈琲にもいえることなんだ。どんなに豆を厳選しても、お水が駄目なら台無しになる」
 「・・・・・」
 「わたしの『ななつき』で使ってるお水も、ここと同じ井戸水なんだ」
 「そうなんですか。街中なのに・・・」
 「街自体が山に沿ってあるでしょ、そのせいじゃないかな?おいしいお水ですごく助かってるの。水道代も うくしね・・・」
 「・・・・・」
 「珈琲を入れるときはちゃんとした水を使うっていうお店もあるけど、この水だってお客様の飲むものなんだ もん。水道水をそのまま出すなんて間違っている。だから、最初出されるお水がおいしければ、そのお店の 珈琲はまごころがこもっているし、おいしいはずなんだ」
 「あの、この前でた『お水』は・・・」
 「うん、お店で使う井戸水。あの水の味が変わらない限り、わたしは『ななつき』を続けていきたいの」
 絢音はますっぐに遊馬をの目を見て、そう言った。唇には微笑が残っていたが、瞳には強い意志があった。

 「すいません、おれ・・・」
 気おされて目線を落とす遊馬。あの『お水』の意味も分からずに、飲み干しおいしいと言った自分がひどく 間抜けに思えた。あの『お水』は、紛れもなく、『ななつき』を守る絢音そのものだった。

 「・・・・・」
 うつむく遊馬に絢音も、言葉をかけない。珈琲の香りとともに、落ち着いた男の声が二人にかかった。

 「おや?姉弟ケンカかい?せっかくうまい珈琲を持ってきたのに」
 注文を受けた女の子とは違う男性が、トレーから珈琲をテーブルに置いた。使い込んだ感じのあるエプロン をつけたその姿は、喫茶店の店員というより、何かの職人のように見えた。

 「こんにちわ。・・ケンカじゃありません」
 「そうかい?こっちの坊やは、半べそかいてるじゃないか」
 「か、かいてません」
 妙に馴れ馴れしい絢音との会話と『坊や』にカチンときて声を荒げる。男は『お?』という顔をして、にやりと 笑った。

 「あーちゃん。この人はこのお店のオーナーの沖田さん。わたしの珈琲の師匠なんだ」
 「おいおい、お世辞を言ってもお金は取るよ。それより飲んでくれ、ほら君も」
 「え?」
 「沖田さんは、淹れてすぐ飲まないと味が落ちるって考えてる人なの」
 「そう。そばと同じ、挽きたて打ちたて湯でたてってやつさ。さあ、急ぐ」
 トレーに残った三つの目のカップを手にすると、立ったまま乾杯の仕草をして沖田は口をつけた。絢音もカッ プを口にするのを見て、あわてて遊馬もカップを取った。まるで、お酒を一気飲みにするように珈琲を飲み 干しているのを、カップの角度で知る。ひどく乱暴だなと思いつつ、熱い珈琲を飲み込み、カップをソーサーに 戻した。すると珈琲の味と香りの余韻が、口と鼻腔をくすぐり心地良い。

 「風味なんて喉越しの後に感じればいい。これもそばと一緒。まあ、人に言わせれば外道らしんだが、どう だい?」
 何故か遊馬のほうに感想を求めてくる。絢音は聞くまでもないということなのだろうか?絢音もこちらのやり取りを楽しそうに、見守っている。その視線にそくされるように、素直な感想が、口から出た。

 「・・・・お、おいしいです」
 「そうか、良かった。おかわりをつくるから、待ってなさい」
 カップを片手に、いそいそと立ち去ろうとする沖田を絢音が呼び止める。
 「沖田さん、お昼の休憩取ったんですか?」
 「いや、まだだが?」
 「じゃあ、変わります。沖田さんの珈琲を飲んだら、淹れたくなちゃったんで」
 「お、生意気に挑戦してくるか!」
 「あはっ、そんなところです。ついでに簡単なものつくりますけど?」
 「ん、それならカルボナーラだな。すまんが、うちのバイトに作り方を教えてやってくれ、どうもコツがつかめて ないみたいでな」
 「わかりました。ゆっくりしていってくださいね」
 軽い足取りでカウンターに入る絢音を見届けると、沖田は椅子に腰を下ろし、しげしげと遊馬を見た。その視 線に遊馬はペコッと頭を下げる。

 「弟か、・・・。昨日彼女のことを尋ねてきた時は、そんな感じじゃなかった気がするんだがね。遊馬君」
 「えっ?」
 「はは、君が泊まった旅館が私の本業でね、こっちは趣味でやってるんだ。昨日応対したかみさんの話 じゃあ絶対違うということなんだが、・・・さてどうなんだろう?」
 「・・あ、あの・・その・・・」
 あわてて誤魔化そうとしたが、沖田が笑って詮索を止める。

 「まあ、それなら、それでいいとするか」
 「は、はあ」
 「で、その姉さんのことなんだが・・・」
 目の前の絢音の使ったカップを指先でそっと遠ざけて、沖田は言葉を続けた。

 「・・・・3年前ぐらいからかな、この時期になるとあの子はうちの宿に何日か泊まり、一日の大半をここで 過ごすんだ」
 「えっ?」
 「まだ夏の賑わいが訪れない観光地に、彼女みたいな綺麗な娘が、さびしそうに海を見ていれば嫌でも目に 付く」
 「・・・・・」
 「彼女や私が珈琲を淹れるやり方はサイフォン式というのだが、知っているかな?」
 「はい、それは」
 「今風の凝った喫茶店では、ドリップ式というのが主流なんだが、私はサイフォン式が好きでね。あのランプ の炎や、コポコポという音に愛嬌がある。なにより、お客に出した珈琲の味を確かめることができる。大量に 均一な味の珈琲を淹れることができるのが、このやり方のメリットといわれているが、じっさいのところ、自分 が納得できる味がだせるのは、一年に5、6度あるかないかなんだ」
 「・・・・・?」
 何が言いたいのか遊馬は分からずにいると、沖田はカウンターの絢音を見て、笑顔を浮かべた。 

 「不思議な話でね、その大半が彼女が店に来ている時なんだ。彼女はうちに住み着いているらしい珈琲の 妖精に気に入られているらしい。さびしそうにしている彼女に、とびっきりうまい珈琲を飲ませてやれということ なんだろう。彼女も喜んでね。おしゃべりするようになり、仲良くなって、時々店を手伝ってくれるようになった。 彼女の話では、この店が今の内装に変わる以前に訪れていたらしい。その時うちの旅館も泊まったようだ」
 「・・・・・」
 「うちの旅館は、そんなにたいそうなもんじゃないが、けっして高校生が一人でぶらっときて泊まれるほど敷 居が低いわけでもないんだ。多分相手がいたんだろう」
 じっと絢音のカップを見詰めて沖田は言った。

 「彼女は待っているんじゃないかな?」
 「・・・・・」
 「その時、一緒に珈琲を飲んだ相手を」
 「・・・・」
 「そして、それは、君じゃない」
 「・・・・」
 「時々、さびしいのだろう。彼女は男を連れてくることがある。でも待ち人でないことはすぐにわかる。奴等 は珈琲を、ちっとも味わってない。そんな時でも、彼女はニコニコしているんだがね。その笑顔は痛々 しくてまともに見れたもんじゃない・・・・」

 「あれ?ケンカしているんですか?」
 右手に出来上がったパスタを乗せたトレー、左手におかわり用のコーヒーサーバーを持った絢音がそばに いた。沖田は動じる風もなく、受け答える。

 「ああ、若い頃からフラフラしてると、ろくなことにならんと説教していたんだ」
 パスタをテーブルに置きながら絢音がとがめる。
 「あんまり、いじめないでください、泣きそうな顔をしてるじゃないですか。大丈夫、あーちゃん?沖田さんて、 普段はネコかぶっているけど、仲良くなると、途端に柄が悪くなの」
 そう言いながらも、サーバーの珈琲を最初に注ぐのは沖田のカップだった。遊馬のカップに注ぎながら、 絢音が安心させるように微笑んで見せた。けれど、その笑顔を遊馬はまともに見れない。

 「・・・はい、大丈夫です・・・」
 「・・・・・?」
 視線を落とす遊馬を不思議そうにする絢音に、沖田がカップを差し出す。
 「おかわり」
 「もう、早すぎますよ。ちゃんと、味わってます?」
 「うん、おいしいよ。腕を上げたな奈々月ちゃん」
 「じゃあ、免許皆伝ですか?」
 「甘いぞ、小娘。珈琲道は奥が深いんだ。技術は才能にあらず、ただ日々の鍛錬によってのみ受け継が れるんだ」
 「はーい。もう一回おかわりを作れってことですね?作ってきまーす♪」
 クスクス笑って絢音が席を離れる。注がれたカップをもう空にした沖田が遊馬に声をかける。

 「せっかく淹れてもらったんだ。冷めないうちに飲みなさい」
 「・・・はい、いただきます」
 言われるままにカップを手に取り、沖田のまねをして一気に飲み干す。そうなること見越していたのか、少 し冷ましてあった。何故だか、悔しそうに遊馬が呟いた。

 「・・・ああ、おいしいや・・・」
 「そりゃそうだろう。彼女の愛情がいっぱい詰まってるんだから」
 「・・・・?」
 カップから目線をあげると、沖田は気恥ずかしさからか、乱暴にパスタを食べ始めた。遊馬に遠慮しないで、 音をたててパスタをすする。まるでざるそばを食べてるように、一気に皿を開けると、ごちそうさんと、両手を 合わせた。ナプキンで口をぬぐいながら、沖田が独り言のように言った。 
 
 「女性には本当の笑顔というものがあって、それを見せる男性は限られていると言ったのは八雲だったかな? まったく、何度となく彼女の笑顔を見てきたが、今日の笑顔にはかなわない」
 沖田はカウンターの絢音に目をやる。遊馬もつられて顔を向けると、珈琲を淹れている絢音が気付き、小さ く手を振り微笑んだ。
 「あの子は、あんな笑顔をするだな。知らなかったよ」
 「・・・・・」
 「彼女の待ち人は、思い出とともに美化されいるだろう。手強いぞ。だが、あんな笑顔を今あの子にさせて いるのは君だということを忘れるな」
 「沖田さん?」
 戸惑う遊馬に、沖田は不器用なウインクをする。

 「珈琲の味がわかるようだから、私としては合格だ。応援するよ。がんばれ少年」
 そう言うと、カップとパスタの皿を持ち沖田は席を立つ。

 「お〜い奈々月ちゃん!もう交代だ!」
 「え〜?今、珈琲もって行きますから、待っててくださいよ〜!」
 店にはお客がいるのに、まるで自分の家にいるように大きな声で話す二人。

 「弟さんをひとりぼっちにするもんじゃない。カワイイからおじさん口説いちゃうぞ〜?」
 「きゃああああ!やめてください!」
 「わははははは」
 大笑いして沖田さんがカウンターに戻っていく。かわりにサーバーを持った絢音が席に着いた。遊馬のカッ プ自分のカップの順に、珈琲を注いだ。

 「沖田さんと何話していたの?」
 「え?あの・・・」
 「ひょっとして、本当に口説かれていたとか?」
 「ち、違いますよ」
 「あははは、そうか、安心した」
 どこまで本気なのか、分からない口調。二人してカップを取ると、珈琲を一気に飲み干した。すっかり沖田 流に染まっていることに、お互い笑った。その雰囲気のままで遊馬はさらっと尋ねた。

 「絢音さんは、好きな人がいるんですね?」
 「・・・・・。・・うん、そうだよ」
 絢音はちょっと驚いた顔をしたが、すぐに笑顔を浮かべて頷いた。分かっていたはずなのに、その返事に遊 馬は動揺する。じっと空になったカップを見詰めていたが、意を決して顔をあげた。

 「絢音さんは幸せになるべきです」
 「・・・・・?」
 「おれや静流さんや紗奈ちゃんのぞみや零が、それにお客さんが『ななつき』に来るのは、絢音さんと絢音さんのつくる雰囲気に会うと、凄く幸せな気分になるからです。絢音さんが淹れてくれる珈琲みたいに、ほっと息がつけるんです。本当にそうなんです」
 「・・・・・」
 「そんな絢音さんが、一人で悲しみを背負い込んでいるのはおかしいですよ。おれその人こと知らないし、 どうして今みたいな状況になっているか分からないけど、でも、一つだけ分かることがあります」
 「・・・・・」
 「その人も、絢音さんが幸せになるように祈っていると思うんです。今でもきっと。だから、絢音さんは幸せに ならなきゃいけない」
 
 「んふふふふ」
 じっと聞いていた絢音が口元をゆるませた。そっと腕を伸ばし、遊馬の鼻先をちょんと突付いた。
 「え?」
 「昨日のお布団の上では、あんなに従順だったのに、今日は生意気言うんだね」
 「・・・あっ、・・・」
 はぐらかされたと分かっていても顔を赤らめる遊馬に、絢音は目を細める。

 「・・・・・。幸せになれって、忘れてしまえってこと?それは無理。わたしがあーちゃんぐらいの時、あの人は わたしのすべてだった。あの人がわたしの前からいなくなった時、本当に自分の心と体をもぎ取られたみた いだった・・・。今でも思うの、あの人はわたしの半身、わたしの欠片だったんじゃないのかって・・・不完全な この世界がわたし達を妬んで引き裂いてしまったんじゃないのかって・・・」
 「・・・・・・」
 「もう、わたしの目の前に姿を現すことがないのかもしれない。・・でもいいんだ。・・・わたしは思い続ける。 愛し続ける。わたしのリアルはあの人の隣にいた時だけにあって、それは終わってしまって・・・・、そうするこ とぐらしか、今のわたしには許されていないの」
 「そんなの絶対おかしいです」
 「・・・・・」
 顔をこわばらせる遊馬を絢音は静かに見詰める。

 「そんなの全然幸せじゃない!終わったってなんですか?まるで死人みたいなこと言わないでください! 出会いや、めぐり合わせがまだまだ、あります。絢音さんが望みさえすれば人を好きになることだって、愛する ことだってできる・・・、そうすれば絢音さんは幸せなれるんですよ、それなのに・・・」
 「あーちゃん。それは違うよ」
 「・・・え?」
 あくまで静かに、けれど強い意志を込めて絢音は言った。

 「人を愛することと、幸せになることはまったく別のことだよ。だってそうでしょ?愛する人が不幸なら、相手 はわたしを必要としてくれる。わたしも愛する人がそばにいるなら何もいらない。不幸になってもかまわない」
 「・・・・・」
 言葉をなくす遊馬。絢音はそれを見て、表情をゆるませた。そして自嘲気味に言った。

 「・・・・なんてね・・・、・・わたしはあの人が苦しんでいる時に、必要とされなかった・・・」

 テーブルに肘をついた手にあごを乗せて、絢音は海を眺めた。テラスに続くドアから吹く潮風が、絢音の髪を 揺らした。見詰める遊馬が息をのむほど、圧倒的に綺麗な横顔だった。そして思い知らされた。そのおだや かな雰囲気のせいで、いつのまにか仲良く親しげになった気がしていた。けれど、自分はこの人の何を知って いるのだろう?何を見ていたのだろう?と・・・・。


 *



 『cafe la cresent』を出ると、海は夕陽に染まっていた。店の外まで見送りに来た沖田が、少し離れた ところで沈んでいる遊馬を見て、『玉砕かあ』とこぼしていた。

   その場に遊馬を待たせて駐車場に車をとりにいったが、戻ると姿がない。しかたなく道端に車を置きあたり を探すと、浜辺に腰掛けて海を見ていた。

 「・・・・・」
 夕日に染まるその後姿に、目を細める絢音。自分がこの4年間で失ったものを、遊馬が持っているような 気がして・・・。

 波音にまぎれて近づき、昨日のお返しと、後ろから目を隠す。何気にその背に豊満な胸を押し付けた。『だ〜れだっ?』と言葉をかけようとして、止めたのは。手のひらを濡らすものがあったからだ。
 「・・・・」
 「・・・・」
 泣き顔を見られたくはないだろうと、手はそのままに、後ろに腰掛ける。そっと抱き寄せるように体を近づけ ると、目を隠されたまま遊馬が口を開いた。

 「・・・前から、ずっと疑問に思っていたことがあるんです」
 「ん?なあに?」
 涙のことは気付かない振りをして、言葉を交わす。

 「絢音さんって、みんなに可愛いあだ名をつけるのが好きでしょ?・・だから小さい時、絢音さんってなんて呼ばれていたのかなあって・・・」
 「・・・あっ、・・・・」
 言葉を詰まらせる絢音。それはトラップ。絢音が遊馬に仕掛けた巧妙な罠。はじめて『ななつき』で、紹介さ れた時、本能的に感じた危険を回避するために用心深く作った最後の垣根。動揺して黙ってしまった絢音に、 遊馬が尋ねる。

 「・・内緒ですか?」
 「・・・うん。・・・ちょっとね」
 「・・・、・・おれ絢音さんのことが好きです。もっとあなたのことを知りたいです」
 「ありがと。わたしもあーちゃんのこと好きだよ」
 「・・・・本気になっちゃ駄目ですか?」
 「・・・・うん。あーちゃんにはもっとふさわしい子がいるでしょ?静流ちゃんや紗奈ちゃんやのんちゃんに、零ちゃん。あの子達を悲しませたら、お姉さん承知しないぞ」
 「・・・ははは」
 嘘だと遊馬は思う。絢音は言った。愛する人と一緒なら不幸になってもかまわないと。それは裏返せば、そ の人の愛を得るためだったら、他人を不幸にしてもかまわないということだった。

 おだやかな絢音の中に、溶 岩のように熱い恋心が存在する。けれどそれは深海のように深い心の奥に沈められている。わずかな隙間か ら溶岩が吹き出ても、その水圧と冷たさに瞬時に固まり閉じ込める。できあがった硬い繭玉の中で、その思いは海底に眠り続けるのだろうか?
 その深さと冷たさに、遊馬はもぐり続けることができない。手が届かない、たどり着けない。息が続かない。

 黙ってしまった遊馬から、そっと手を離す絢音。泣いているのかと思ったが涙はなく、じっと海を見詰め物思 いにふけっている。その頬に何となく頬を寄せた。漠然とした願望が絢音を突き上げる。

 (・・・・この子の、ひと夏の女になりたり・・・)
 自分がそうであるように、大人になった遊馬が、この季節が来るたびに淡い痛みとともに思い出す存在になりたい。その無垢な心に深い傷跡を残したいと・・・・。

 遊馬は気付かない。海底の繭の中で、水圧も冷たさにも負けない新しい恋心が生まれたことを、もぐってきた 遊馬を、隙間からじっと見上げていたことを、そして水面に戻ろうとするその後をついていこうとしていたことを ・・・・。

 だが、その時、繭を海底に沈めた鎖がしなやかに伸びた。それは遊馬のケイタイの着信音となって、二人の 耳に届いた。

 「・・・・?」
 不意の着信音に、遊馬がズボンからケイタイを取り出す。画面を見て遊馬が驚く。

 「あれ?」
 「どうしたの?」
 「『ななつき』からです」
 「えっ?」

 ケイタイに出ると、悲鳴に近い声が鼓膜を突いた。
 「あ、遊馬か?絢音さんは見つかったのか?」
 「零?・・・うん。・・・・?」
 なんだろう今にも泣き出しそうな切羽詰った感じで、零がまくしたてる。

 「絢音さんはそばにいるのか?いるなら代わってくれないか?大変なんだっ!」
 「な、なんだよ、零?」
 「はやくしてくれ!『ななつき』が危ないんだ!!」
 その剣幕が届いたのか、絢音が遊馬からケイタイを受け取る。

 「どうしたの、零ちゃん?」
 「絢音さん、はやく店に戻ってきてくれ!」
 「落ち着いて、何があったの?」
 「ナッキーという人は、『ななつき』の共同経営者だいうのは本当なのか?」
 「ええっ!・・そ、そうだけど・・・?」
 「今日放課後みんなで寄ったらお店がやっていて、絢音さんが戻ってきたんだと中に入ったら、その人が 出てきたんだ」
 「えっ?」
 「神無先輩は悲鳴をあげて逃げてしまうし、紗奈は何故かその人にべったりで、のぞみはそれを見てむくれて倉庫に閉じこもってしまうし・・・。わたし一人で、なんとか手伝おうとがんばってみたのだが・・・・・ううっ、・・・ 。あいつは、いったいなんなんだあああ!」
 「・・・・」
 「来る男性客、男性客に親の敵のように悪態をついて追い出してしまうんだ。こんなことをしていたら、悪い評判がたって、お店が潰れてしまうっ。・・・・っ!きゃああああああああっ」
 零が珍しい女の子らしい悲鳴をあげているのが、遊馬の耳にも届いた。

 「れ、零ちゃん?」
 「きさま!耳に息を吹きかけるなっ!尻をなでるなあああっ!!!紗奈笑ってないで、こいつを止めろっ!」
 なにやらもみあっていると音がして、別の声が電話に出た。

 「こっちは朝からがしゃぶりなんだけど、そっちはどう?綺麗な夕陽は見えてる?」
 「!」
 その声に絢音は立ち上がり、遊馬から離れた。遊馬に背を向けて質問する絢音。

 「どうして、『ななつき』にいるの?」
 「どうしてって、お前が言ったんだろ?来ればいいって・・・」
 「あっ・・・」
 「前からあんたが欲しがっていたアンティークの水出し珈琲の器具が手に入ってね。それを届けに来たんだ。アイスコーヒー用の豆でもいいんだろうけど、せっかくだし、普段使わない癖のある豆のサンプルも一緒にね。 ちょっと前に一度手に入れたんだけど、車ごとおしゃかにしてしまって、また取り寄せるのに苦労したんだ から。ホントは届いた日にお店に行ったんだけど、そこの結城とお取り込み中みたいだったから・・・・」
 「あっ!・・・ち、違うの・・・こ、この子とはそんなんじゃ・・・、・・・・・・あのね、・・その・・・」
 必死で弁解しようとするが、動揺して言葉が続かない絢音。相手が見かねてやさしく喋りかける。

 「バカ女、取り乱すな。かえって疑ってしまうだろ?」
 「・・・あうっ」
 「今日も『水風亭』に泊まる予定なの?」
 「ううん、もう帰るつもりだけど・・・」
 「そうか、よかった。せっかく店を開けたのに、雨のせいかな?お客が来ないし、ヒマだったんで水出し珈琲を試しているんだ」
 その声に、『ちがう!こいつが客を駆逐したんだっ!!』と零の叫び声がかぶった。『ちっ』という舌打ちの後 『ちょっと、待ってて』と言うと受話器の置く音がした。遠くから、零の女の子っぽい悲鳴が、連続で聞こえた。

 「お待たせ、でさ〜」
 と、何事もなかったように喋りだす相手。微かにさめざめと零の泣き声が聞こえるような気がするのは、空 耳なのだろうか?

 「そこから、帰るぐらいにちょうどできるんだ。あんたも一緒に飲まない?」
 「えっ!行っていいの?」
 「何言ってるんだ?あんたのお店だろう」
 「で、でも・・・・・」
 「・・・・、風向きが変わったんだ・・・」
 「え?」
 「そこにいる結城がしたことには、殺してやりたいほどはらわた煮えくりかえっているけど。おかげでいろん なことが、いい流れに転んでね。感謝もしているんだ」
 「・・・・?」
 「けど、風は風、いつ流れが変わるか分からない。だから、会える時に会っておきたい」
 「・・・・・」
 「分かってる。調子のいいことを言ってる。・・・でも、どうしても会いたいんだ」
 「・・・ナッキー・・・」
 胸が詰まって絢音は、そう言うのが精一杯だった。けれど相手はその呼び名で、その気持ちを理解したら しい。やさしくそれに答えた。

 「うん、待ってるよ。・・・・あーちゃん・・・」


 *



 『ななつき』のカウンターで、少し照れながら受話器を戻すウエイトレス姿の女性。胸のプレートには『ナッキー』の文字。 そののっぽな背で、女の子達のものではあわないため、絢音が遊馬のために着た制服を身にまとっている。胸の生地にだぶつく ことがなく、胸のふくらみが絢音クラスなことが分かる。
 
 それまで後ろに抱きついていた紗奈が、急に体を離した。お店のレジの陰でしくしく泣いていた零もきっと、こちらを睨みつけてきた。

 「・・・・?」
 その思いの詰まった『あーちゃん』に新たに争奪戦にエントリーしたと勘違いされて いたことに気付かない黄泉塚七姫は、きょとんと首をかしげた。


 *



 数日後の『ななつき』。非道の限りを尽くした七姫のせいで、客足が途絶えるかと心配されたが、以前より もにぎわい混雑している。ネットの書き込みで、強烈なツンデレウエイトレスが出現したという噂がたったせ いだが、絢音達に分かるはずもない。
 絢音と一緒にいたいのかシフトを無視して女の子全員が、お店を手伝っている。一番奥の席でその様子を見ていた遊馬の耳に『オールスターじゃないか』という男性客の呟きが聞こえた。

 絢音が戻り変わったことが二つある。ひとつは七姫の忠告で、胸のプレートの名前がニックネームに変わった。静流の『しーちゃん』とのぞみの『のん』はわかるのだが、紗奈の『りん』と零の『つばめ』は何から来ているの か謎だ。それとカウンター奥に、水出し珈琲の器具が置かれている。その手間と、注文にこたえるほどの量 を作れないため、営業中は使われていない。けれど、お店のインテリアになったわけでもない。


 閉店後、学園の制服姿に戻った女の子達が、カウンターに座ると水出しのアイスコーヒーが出された。
 「おつかれさまでした」
 「「「「・・・はい」」」」
 めいめいに一口飲んで、それそれのリアクションをする。その手間と時間にふさわしい味だった。遊馬は沖 田流で冷やしすぎていない珈琲を飲み干した。

 「どう?あーちゃん?」 
 「おいしいです。凄いですね」
 「でしょ〜」
 遊馬の座るカウンターに肘をついた両手にあごをのせる絢音がニコニコする。その笑顔が一段とくだけたものになって、まるで少女のような微笑だった。遊馬が連れ戻したこともあって、女の子達は絢音の変化に思うと こがあるようだったが、失踪がこたえているのだろう何も言わないでいる。
 沖田の言葉が遊馬の頭をかすめるが、この笑顔が自分のせいなのか自信を失っている。それぐらい、帰ってきてからの絢音は輝いていた。

 (失恋の味かな・・・)
 飲み干した珈琲の余韻にそんなことを思う。絢音が今までどおりに接してくれるだけで、満足しなければい けないのかもしれない。あの時のケイタイの相手が、七姫だと、その後のぞみから教えてもらった。そのこと が、ちょこっとひかかっている。

 (・・・・・。・・・まさかな・・・)
 頭の中で浮かんだことを打ち消したのは、遊馬が普通の男の子だからか・・・。

 その遊馬のカップにおかわりの珈琲を注ぎながら絢音が質問してきた。
 「そういえば、あーちゃんは、夏休みなにか予定があるの?」
 「いえ、別に・・・」
 「そう、よかった♪」
 「え?」
 「沖田さんから電話があって、夏休み中、手伝ってくれないかっていうの。行ってみない?」
 「えーと、みんなとですか?」
 そういって、まわりの女の子達を見たが、怪訝な顔をする。初耳らしい。

 「ううん。わたしとあーちゃんだけにきまってるじゃない」
 「「「「・・・・・・」」」」
 びしっと周囲の空気が凍りついた。
 「わたし思ったの、『奈々月遊馬』なるからには、もう珈琲の入れかたぐらいはおぼえてほしいな〜って」
 「あ、あの〜、絢音さん?」
 「ホントはわたしが教えるべきなんだろうけど、絶対甘くしちゃうの目に見えてるでしょ?だから沖田さんのところできっちり、しごいてもらおう って。将来の『ななつき』のマスターになるためには、くぐらなくてはいけない愛の試練なの」
 「あ、あの〜・・・・」
 どっぷり妄想モードに入っている絢音を、遊馬は必死で止めようとする。周りの視線がブスブス刺さる。

 「大丈夫♪お店で疲れた心と体は、おねえさんが旅館でたーっぷり癒してあげるから。この前みたいに。・・・・ね?」
 「・・・・・」
 「ほら、みんなも賛同しているみたいよ。笑顔笑顔」
 おそるおそる周囲を見渡す遊馬。だがすぐに怖すぎて硬く瞼を閉じた。

 (・・・ああ、笑ってる・・・。・・・笑ってるよ〜〜〜・・・・・・)

 その後に起きた惨劇を、遊馬はこの季節が来るたびに思い出しうなされることになる。

 遊馬を取り囲みとっちめている女の子達を、絢音は止めるどころか、きゃあきゃあ喜んではやしたて ていた。自分の恋と争奪戦は別腹なのか、エントリーから抜けでる気は微塵もないようだ。その行く末を 最後まで見届けるつもりでいる。

 おせっかいで悪戯好きの絢音おねえさんは、天使で悪魔な微笑を浮かべて、遊馬と女の子達を見守っていた。



 あの繭はどうなったのだろう?鎖に縛られてまだ海底に沈んでいるのだろうか?月明かりの指す海面に引き上げられたのだろうか?それとも愛する人の心も入り込み、その窮屈さを満喫しているのだろうか?






絢音END





 

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