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(前編) 『CLOSED』の表札がかかった扉の前で奈々月絢音は、帰ろうとする百景のぞみに声をかけた。 「ほんとうに送らなくていい?」 「はい、大丈夫です。・・・ちょっと歩きたいし」 泣きはらした顔をうつむかせのぞみは答える。歩いて気がまぎれるなら無理にしいることはできない。一人 になりたいのだろう。けれどどうしても心配で絢音は口を開いた。 「のんちゃん」 「・・・・・」 「あきらめちゃだめだよ?」 沈んだ表情のままのぞみは答えない。『のんちゃん』を拒む気もわかないようだった。絢音は手を伸ばし その頬に触れた。のぞみが頬をなでられて困ったように目をあげる。 「・・・・・」 「・・・あきらきれないでしょ?あきらめきれるわけないんだもん」 「・・・・っ、・・・・うっ・・・うう・・・」 必死で泣くまいとしていたが、その目じりからまた涙が零れ落ちる。絢音がのぞみの頭を胸に抱き寄せた。 視線から逃れたことと、やさしい弾力に包まれたことで、張り詰めていた気が弾けのぞみはまた泣きだした。 絢音はやさしくその髪をなでる。 道路には会社帰りのサラリーマンや帰宅途中の学生達がいて、二人を不思議そうに見詰めていた。絢音 は、その無遠慮な視線に気付かないようでのぞみをあやし続けた。 のぞみを見送った後、店内に戻った絢音は残っていたカップとソーサーを片付け、カウンターを拭いてい た。 「・・・ん?」 光源をおとした店内の光を、反射するものに気付きカウンターを出ると、のぞみの座っていた椅子に雫が たまっていた。 「・・・あらら、ふふふ」 絢音は口元をほころばす。床にまでこぼれる雫にフローリングの床に膝をつき拭き始める。椅子の足から 布巾を上げようとした絢音が顔のそばのシートの部分にたまる雫に気付き手を止める。誰もいないはずの 店内を見回して安心すると、そっと、顔を寄せてその一滴を舐めた。 「・・・・・」 少し唾液をくわえながら、雫を味わう。微かに漂う匂いで感じていたことが正しいことが分かる。コクンと 喉を鳴らした。 (・・・・気持ちよすぎて、少しおもらししちゃったんだ・・) ドア越しに聞いた二人のぎこちないやりとりと、その後の可愛いあえぎ声を思い出し、白いうなじが朱色 に染まる。意味もなく肌が熱を含む。 (可愛かったな、のんちゃん) 泣きじゃくる姿に、胸がドキドキした。その鼓動には、痛みが含まれていた。二人がうまくいかなかったこ とが残念でならない。シートの雫をぬぐい終えると、洗い場で布巾をゆすいできつく絞った。 カウンターに戻ると両肘をテーブルの上につき、その手にあごを乗せて誰もいない空間を見詰めた。対面 の椅子は遊馬が座っていたものだ。その幻影があらわれた。 「やっぱり本命は静流ちゃんと紗奈ちゃんなの?あーちゃん」 微笑んで問いかけるが、いつもの苦笑いを幻影は浮かべるだけだ。風霧零とうまくいかなかったことは、 のぞみの話で察しがついた。思ったより早く争奪戦が終わりに近づいているのが、さびしかった。せめて 夏まではもって欲しかった。 (・・・静流ちゃんと紗奈ちゃん、どちらを選ぶのかしら・・・) 二人とも可愛い姪である。どちらになっても応援するつもりでいる。残された子を慰めるつもりでいる。ぼん やりその先のことを考えていると、幻影が自分を見つめていることに気付いた。苦笑いは消え、真剣なまな ざしでこちらを見詰めている。 「・・・・・」 視線に耐え切れないように、もじもじと目線をおとす。だが、きっと顔を起こすと、その幻影を追い払うよう にその空間を薙いだ。幻影は煙のように空間に解けて消えた。 「・・・いやな子」 らしくないイライラした口調。幻影がかき消された空間をいつまでも睨み続けていた。 「・・・・・?」 不意に小さなカタカタと言う振動音が聞こえた。カウンターの隅にある小さな引き出しを引くと、中にあった ケイタイが着信イルミを点灯させながら震えている。その相手を確認することなく、絢音はあわててケイタイ に出た。 「ケイタイは携帯しろって言ってるだろ!このバカ女!!」 いきなりの罵声がかえって絢音を喜ばした。 「あははは、ナッキーごめんね〜」 「その呼び名はやめい!つむじ風かあたしはっ!」 「フル〜〜〜」 「お、お前はコロス!絶対コロス!!」 「やあん、コワイコワイ♪」 「・・・・・。ったく・・」 かけあいが、いつまでも続きそうな感じがしたのか、ため息を付いて相手が会話を止めた。 「ふふふ、で、なに?めずらしいねナッキーからかけてくるなんて」 「ああ、そのなんだ、・・・しゃ、写真を送ってきなよ」 「え?」 「あんた〜絶対忘れてるでしょ?あたしが見立てたウエイトレスの制服、特別安くしてやるから、代わり にバイトの女の子の写真をよこせていったじゃない」 「ああ、それ?でもバイトの子なんていないわよ?」 「こ、このうそつき女!よくしゃーしゃーと嘘がつけるな!!お前は昔からそうだ!!!・・・・・ネットでお 前の店の名前が出てるぞ、バイトの女の子が可愛いってな」 「え?そうなの・・・」 「ああ、変なメイド喫茶より盛り上がってる。ちょっと熱くなりすぎだな・・・」 「・・・・・」 「・・・絢音?」 「・・・あ、うん・・・」 「ああごめん、大丈夫だよ。ここにいるのは、みんないい奴らだからさ。変なほうに走ったらチクルか流す かするから。・・・それよりはやく写真よこしな」 「うん、じゃあケイタイで」 「だめだ。そういって送んないつもりでしょ?あたしがやったパソコン生きてるでしょ、それで送りな」 「えーめんどくさいなあ〜」 「・・・・そういこと言うのか?・・・決めた」 「え?」 「奴らに、お前の恥ずかしい過去を暴露することにしよう」 「きゃあ〜っ!!!、やめて、やめて、すぐ送るからあ」 「ったく、早くしろバカ女」 「てへ♪」 「てへ♪っじゃない!」 あわててリビングに上がり、パソコンを起動する。争奪戦が始まった日に撮った全員の写真を、メール に添えて送信する。その間ずっとケイタイからブツブツ声が聞こえる。たぶんサイトをチェックしているのだ ろう。写真は口実で、書き込みのことを教えるつもりで電話してきたのだ。自分の優しさを気付かれること を何よりい嫌うのだ。 (ありがとうナッキー) そう思ってメールを送る。けれど耳にした嬌声に感謝の気持ちは吹きとんだ。 「はわあ〜〜〜〜〜〜んんんっ!!!、カワイーーーーーーーンンン!!!」 脳みそが半分とろけてしまったような声だった。 「・・・・・」 「あ、あのさ、防犯カメラお店に置かない?ほら、変な客とか来るかもしれないし?安く設置する業者知っ てるんだ。あ、管理とかはこっちでやるから、なんならお金とかもこっちでもつからさ〜」 変な客よりも危険な人物がいることを、ケイタイにかかるハアハアという荒い息が教えていた。 「絶対に嫌っ!!」 「な、なんでよ〜意地悪しないでよお」 カメラ設置が防犯目的でないことを、速攻で認めてしまう相手。 「あたし意地悪だもん」 「う〜、けち〜、オニ〜、悪魔〜、人でなし〜、人外鬼畜〜」 「そんなに見たいなら、お店に来ればいいじゃん」 「うっ・・・・」 「ナッキーも出資してるお店なんだよ?どうして一度も来ないの?」 「一度は行ったことあるよ・・・」 「わたしがいない時でしょ!」 「うっさいなあ、そんなのあたしの勝手でしょ?都合が悪いの」 「ナッキーはいつもそう言う、・・・・・・」 「あ、こら泣くなバカ!もう泣き虫は嫌いだからね、切るよ」 「ああっ、待ってよ〜!・・・・・、・・・・・・」 プツっと切れてしまったケイタイを耳から離すと、地団駄踏んで悔しがる。 「う〜〜〜、ナッキーのバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカっ!」 怒りが収まらずケイタイをソファーに投げ捨てようとしたが、途中で手が止まる。 「・・・・・」 むくれながらケイタイを見詰める。いつもこうだ、せっかく電話がつながっても最後は来る来ないの問答 で終わってしまう。もっと話したいことはいっぱいあるのに・・・・ ケイタイのイルミがいまだに点灯していた。開いて見ると留守電が入っている。お店が営業中にかかって きたものらしい。ボタンをいじり再生する。 「・・・・あ、・・・」 聞いていた絢音の表情が、すぐに和らいだ。ひどく懐かしい呼び名で、その伝言は始まっていたのだ。 今ではもう、てれてけっして使わなくなった呼び名に、赤らんだ目を細めた。再生を繰り返して、その留守電 をいつまでも聞き続けた。 数日後の『ななつき』、執行部の仕事がないらしく、神無静流がカウンターに立って珈琲をいれている。も ともとシフトだった百景のぞみと風霧零は、客が少ない間に店で足りなくなったものの買い出しに行ってもら っている。 「〜♪」 鼻歌交じりで珈琲をカップに注ぐ静流。このところいつになく機嫌がいい。オーダーや、注文の品を届ける 足取りも軽く。そのまま踊りだしそうな感じさえする。洗物をすませて退屈していた絢音は、その無防備な 背中につい、悪戯心がわいた。 足音を忍ばせて、その背後からギュウっと抱きしめた。『しーちゃん、ごきげんね?』そう声をかけようと口 を開く前に静流が店内を震わすほどの悲鳴をあげた。 「きゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」 「・・・・・!」 抱きついた絢音が驚いて離れてしまうほどの悲鳴。店内にいた客がいっせいに二人を見た。ばっと振り 返った静流がカウンターに背を当てて絢音を見ていた。その瞳が怯えきっている。 「し、静流ちゃん?」 冗談で抱きつくことは何度かあったが、嫌がる程度でここまでの反応は見せたことがない。 「あ、・・・絢音さん・・・」 「あっ、珈琲」 その背後にあったカップが倒れていた。静流は布巾を手にしてあわてて拭き始めた。店内の視線が集ま っていることを感じるのか、その頬が赤い。絢音も手伝おうと近づくと手で制して止められた。 「いいです。一人でできますから」 カップとソーサーとおさじを洗い場に運び、いそいそと洗い始める静流。両手を合わせて絢音はあやまっ た。 「ごめん、おどろかしちゃった?」 「いいいえ、違うんです。・・・その・・」 「・・・・・?」 「うう・・・、最近女性不信なんです。わたし・・・」 「?」 意味が分からずきょとんとしていると、背後から声がかかった。 「だ〜れだっ?」 後ろから伸びた腕が見えて目隠しされると思ったが、視界はいつまでも良好だった。そのかわり絢音の 豊満な乳房が鷲掴みにされた。静流の悲鳴からこちらを見ていた客が、飲み物を吹いて、思いっきりむせ ていた。頬を赤くして絢音が視線をまわすと、抱きついた制服姿の紗奈が満面の笑顔を浮かべていた。 「さ、紗奈ちゃん?」 「ピンポーン♪」 嬉しそうに擬音を口にする。倉庫のほうから、やってきたのだろうか?その時店のカウベルが鳴った。 「絢音さん買ってきましたよ」 「ただいま戻りました」 制服姿ののぞみと零がレジ袋を持ってカウンターに近づく。 「ありがとう、のんちゃん零ちゃん」 「これ、どうします?」 「わたしのは倉庫でいいですか?」 「うん、のんちゃんのは半分だけカウンターにおいて、残りはリビングに。零ちゃんのは倉庫でいいよ」 「はい、わかりました。これでいいですね」 「承知した、では着替えてきます」 「はい、お願いね」 奥にそろって歩いていく二人。のぞみは次のバイトの日には、いつもの明るさを戻していた。簡単に気持 ちの整理がつくことではないだろうに、健気だなと思ってしまう。零はいつもの無表情でその傷がどれだけ のものだったのか判断できない。ただ、のぞみとは仲良くなったようで、一緒にバイトしていると表情が明 るくなる。紗奈とも口をきくようになった。静流とは相変わらずだが、喧嘩するほど仲がいいというので、ま あいいかなと見守っている。 奥のドアが閉まるのを見て、コホンと咳をついて絢音は口を開く。 「紗奈ちゃん、そろそろ離してくれないかな?」 「絢音さんの胸、柔らかーい」 いつまでも胸を掴んでいる紗奈に言うが、ちっとも離す素振りがない。鷲掴みにしていた手が、あきらか に揉むような動きになっている。 「さ、紗奈ちゃん!」 ちらちらと視線を送る客の目線もあってたしなめるが、紗奈はさらに体を摺り寄せて、無邪気にもみ続け る。目の前には、洗い場では沈んでカップを拭いている静流。 (静流ちゃんと紗奈ちゃん、最近なにかあったのかしら?) 困惑して考えるが、どうにも想像がつかない絢音だった。 夕方の混みもひと段落ついた頃カウベルが鳴った。扉を開けて入ってきた客を見て、それまでずっと沈ん でいた静流の表情が、パッと華やいだ。駆け出すように客の前に立った。 「いらっしゃいませ、一名様ですか♪」 「はい」 とびっきりの笑顔に、頬をかく結城遊馬。 奥のキッチンにいた絢音、注文されたメニューを並べていたのぞみ、レジにいた零、一番奥でアイスティー をのんでいた紗奈がまじまじ二人を見ていた。 ((((しーちゃんセンサー、おそるべし!)))) と、心の中で連呼しながら。 「こちらへどうぞ」 そう言うと静流は遊馬の腕に自分の腕を絡めて歩き出した。あまりの自然な動きに、拒むこともできずついていく遊馬。のぞみが『ちっ!』と大きな舌打ちをして、零の目に殺気がこもった。紗奈はふくれてストローをさしたアイスティーがブクブク泡を立てた。 (・・・あら?) 紗奈はともかく、のぞみと零の反応に絢音は感心した。 (ふーん、そっかそっか♪) ちょっと嬉しくて微笑みながら、カウンターに座る遊馬に声をかける。 「いらっしゃい、あーちゃん。久しぶりかな?」 「は、はあ・・・・。・・・・・」 遊馬がちらっと後ろを見た。様子をうかがっていたのぞみはあわてて、目線を反らしてトレーに残っていた レシートををテーブルに置いた。 「ご注文はお決まりですか〜」 「う、うわっ」 お水を置いた静流が耳に息を吹きかけるように尋ねて、びっくりして振り返る遊馬。お互いの顔が鼻先が 触れそうなほど近い。驚いて固まってしまう遊馬と静流。互いの瞳にお互いの顔が映っている。 「・・・・・」 「・・・・・」 頬を赤らめながら、見詰め続ける。と、垂直に立てられたトレーが、遊馬の後頭部に振り下ろされた。コン っといい音が店内に響いた。頭を抑えてカウンターにうずくまる遊馬。後ろにいたのぞみがイライラしながらカウンターの中に戻る。 「なにどうどう見詰め合ってるんだ、このバカ」 零と紗奈が『ナイス!』と言いたげにぐっと片手を握り締めてうなずいた。 「ちょっと、のぞみちゃん注文を聞いてるんだから!」 邪魔をされて静流が口を尖らすが、のぞみはどうじない。 「どーせアイスコーヒーなんだから、部長もとっとと作る!」 と言い捨ててチラッと見るが、二人はまったく聞いていなかった。 「遊馬くん大丈夫?痛くなかった?」 「あ、平気です。静流さん」 周囲に視線を無視して自分達の世界を作り上げている。 「ひ、人の話を聞け―――っ!」 キイ〜〜〜っとのぞみが叫んで掴みかかろうとするのを、絢音と零があわててとめた。 『ななつき』の閉店後、制服に着替えた静流のぞみ零、残って片づけを手伝った紗奈と遊馬をカウンタ ーに座らせて絢音は飲み物をふるまった。 「おつかれさまでした」 「「「「・・・はい」」」」 長く冷房にあたっていた女の子達のために、温かいジンジャーティー。めいめい好みで黒砂糖を加え、一 口飲んだ女の子達からほっと息がこぼれる。 自分のカップを脇に置き、遊馬の前のカウンターに 腕を組んだひじをのせて、身を前にせり出す絢音。胸が強調されるポーズに、しばし目を奪 われる遊馬、非難の白い目が集中していることに気付いて目線を泳がした。クスクス笑いながら絢音が尋 ねる。 「そういえば、静流ちゃんから聞いたんだけど。あーちゃんのおかあさん、帰るののびたってほんとう?」 「あ、はい。なんか向こうの生活が気に入ったらしくて、もうちょっと楽しむって言ってました」 「ふ〜ん。そうか」 意味ありげに微笑んだ絢音。頬をかきながら遊馬が尋ねる。 「な、なんですか?」 「う〜ん、つまりそれって、あ−ちゃんの家、当分お泊りし放題ってことだなーって」 「「「「・・・・・」」」」 カップを手にしていた女の子達がぴくっと動きを止めた。ある者は速攻でお泊り計画を立て、ある者はお泊 りの意味を妄想し、ある者はそれに気付かなかったことに舌打ちし、ある者は過去のお泊りの思い出に頬を 染めた。そしてすぐにまわりの女の子達が大同小異同じことを考えていることに気付き、無言の威圧を放ち はじめた。 その重力磁場の中心にいた遊馬は、冷や汗を流し明らかにこうなることを想定して誘導した犯人 を非難の目で見る。けれど容疑者は、ニコッと笑顔で返し、さらなる混乱を招こうとしていた。組んでいた腕 をほどき遊馬の手を両手で取る。 「・・・・?」 手のひらに感じた異物に遊馬は気付いた。それを確認して絢音はぎゅっと握り締める。 「あーちゃん、今度お泊りしていい?」 「・・・・・」 遊馬が真意がわからず戸惑っていると、絢音は握った手をその柔らかなふくらみに押し付けおねだりす る。 「ね?いいでしょ」 「・・・・・」 手に伝わる柔らかさに、戸惑いなんか吹き飛んで顔を赤らめる遊馬。見かねた静流が、その手を強引に ほどいた。 「ちょっと、絢音さんなにしているんですか?」 「あん、だってみんな黙っているから、お泊まりしたくないのかなって・・・、あーちゃんがそれじゃ可哀想 だったから」 「だれも、お泊りしないっていってません!」 「そうなの?」 「そうです!」 きっと絢音を一睨みして、静流は遊馬に向き直ると、とたんに頬を赤らめてもじもじと言う。 「あ、あのね、遊馬くん、ほら、知ってるでしょ?わたしの家も親が海外に行ってること。遊馬くんが許し てくれるなら、ずっとお泊りOKなの。おそうじとか得意じゃないけど、それ以外のお世話ならできるから・・・・ いいでしょ?」 「え?」 紗奈が黙っていれなくなって口を挟む。 「ちょっと、おねえちゃん!抜けがけなんてずるいよおっ」 「うるさい紗奈、お子様には無理なお世話もあるの」 「お子様じゃないもん!」 のぞみも参戦する。 「部長、執行部の人間がそんなことしていいと思っているんですか?」 「ふ〜ん、そう言うわりに、さっきはのぞみちゃんもお泊り考えていたみたいだけど」 「・・・・・・。そ、そんなことちっとも考えていませんっ」 「その『・・・・・・・』は、なんなの?絶対考えていたじゃない」 お泊りという言葉に、抵抗があるのか零は女の子達のバトルに参加できずに遠巻きに遊馬に声をかける ことしかできない。 「遊馬っ、わたしはお前を信じているぞ!」 「あはははは、あーちゃん大変♪」 「って、絢音さん!なにカウンターから出てきて抱きついているんですか!」 「そう言って、おねえちゃんも抱きつかないっ」 「バカバカ、このヘタレ!なにニヤついてるんだ」 「遊馬っ、遊馬ああああっ」 ・・・・・結局五人に抱きつかれてぐちゃぐちゃにされる遊馬だった。 それから一時間後、ひっそり静まりかえった『ななつき』の前に遊馬は立っていた。 「・・・・・」 その格好が制服姿のままなのには理由があった。五人の抱擁から解放されてすぐ、店を出た静流紗 奈のぞみ零が走るような早足で帰っていった。 いつもなら家まで送る神無姉妹に、驚いて声を かけると、静流が落ち着かないように睨んで振り返って『まっすぐ家に帰るのよ?遊馬くん』と念を押され た。踵を返して歩き出した静流に待っていた紗奈が、『歯ブラシとか持っていたほうが、いいのかな?』と尋ねているのが、はっきりと聞こえた。もう姿の見えないのぞみや零も同じなのかもしない。 遊馬は家に帰るのを断念した。苦笑いを浮かべて・・・・。 店のライトは落ちていて、ドアに手をかけるべきか悩んでいた。右手を開く、あの惨事の中握り締めていた メモ用紙があった。 『一時間後お店にきて、二人のことで相談があるの 絢音』 その二人のくくりが少し遊馬には気がかりだった。まあ、姪だからかなとも覚悟をきめてドアを開けた。静 まりかえった店内に、人の気配がしない。暗さに目が慣れるまで立ち尽くしていると、奥の扉が開き、中の 光がこぼれてきた。 「あ、あーちゃん、ちゃんと来てくれたんだ」 「はい」 「鍵を閉めて、こっちにきてくれない?」 「はい」 鍵を閉め、光のこぼれる扉に近づく。お風呂から出たてなのだろうかシャンプーのにおいが闇にまぎ れていた。近づくと絢音はパステルカラーのパジャマ姿なのに気付く。柔らかな 布地がその体のラインを描いている。普段の仕事着とは違う、無防備な色気が逆光の絢音から漂っていた。 「・・・制服?お家に帰らなかったの?」 「あ、いえ、あはははは」 『あなたのせいですよ』と言いたいのをぐっとこらえる遊馬。そばによると、大きな胸がどうにも気 になってしまう。柔らかなパジャマに包まれたふくらみは、きっと何もつけていないはずだった。邪悪な視 線に気付いているのかいないのか、絢音はにっこりと微笑んだ。 「さあ、中に入って」 「はい、お邪魔します」 倉庫を抜け階段を上がり、リビングに通されて小さなテーブルを囲むソファーの一つに座らされる。絢音は 奥にあるらしいキッチンで飲み物をつくりにいった。はじめてでもないが、喫茶店と違いどうにも落ちつかない。 微かに香る匂いは、絢音のものなのだろうか? 「おまたせ、あーちゃん」 飲み物をのせたトレーを持って絢音が戻ってきた。トレーをテーブルの上におくとソファーには座らず、対面 においてあったクッションの上に腰を下ろした。トレーには湯気をたたせる二つのカップ。てっきり自分と絢音 の分だと思っていたが、絢音はそれを二つとも遊馬の前においた。 「・・・・・?」 一つは珈琲、もう一つはホイップクリームののったココア。 「ほんとうは、のんちゃんと零ちゃんのもおくべきなんだろうけど・・・。敗者復活戦にまわってるって感じか な?」 「あ、あの〜?」 意味が分からない遊馬を、絢音はじっと見上げた。 「このお店にはじめてきた時、質問したよね。静流ちゃんと紗奈ちゃんどっちが本命かって・・・」 「あっ・・・・」 「もう、そろそろ決めて欲しいんだけどなあ」 「はははは」 困って前髪をいじる遊馬に、絢音は微笑んだ。 「あーちゃん、静流ちゃんと紗奈ちゃんは、普段は人前で男の子のことで言い争うような子じゃないのよ? そのこと分かってるのかな?」 「・・・・・」 穏やかな口調の中に、姪のことを心配する絢音の気持ちがこもっていた。緩んだ口をあわてて戻す遊 馬。出された飲み物を、じっと見詰める。珈琲が静流、ココアが紗奈ということなのだろう。 「さあ、どっちなのかな?」 テーブルに肘を着き、じっと遊馬の判断を見守る絢音。遊馬は二つのカップを見詰めて悩んでいた。そし て意を決したように手を伸ばした。けれどおずおずと伸ばした手は、どちらのカップも取ることなく、一つの 方向を指差した。恥ずかしさで言葉にできず、語尾だけを口にした。 「・・・です」 「え?」 自分を指している指に、きょとんとする絢音。見上げると遊馬はコクンとうなずいた。 「はい」 「・・・・・」 頬を赤らめて固まっていた絢音は、急に立ち上がりトレーをもって奥に消えてしまった。 「え?あれ?」 消えてしまった絢音に、遊馬は唖然とする。怒らせてしまったのだろうかとオロオロしていると、あわただし い足音をたて絢音が部屋に戻ってきた。遊馬の前に紙のソーサー差し出し、そこに飲み物を置いた。 「・・・・・」 「・・・・?」 それはお店でまず最初に出す、グラスのコップに入ったお水。てっきりミルクティーかと思っていた遊馬 。その意味が理解できず絢音を見る。 「・・・・・」 絢音はトレーを胸に抱えて黙り込んでいる。 しかたなく遊馬はそれを手にして、一気に飲み干した。ニコッと微笑んで感想を言った。 「うん、おいしいです」 「あ・・・、・・・ありがとう」 絢音は顔を真っ赤にしてそれだけ言うと、うつむいて黙り込んでしまった。 「・・・・・」 「・・・・・」 まるで少女のようにもじもじしている絢音。普段と違う態度に、遊馬も告白してしまったと緊張がこみ上げ て照れてしまう。何か言わなければならないと思いつつ時間ばかりが過ぎていく。何かしなければいけな いという焦りがかえって体を重くした。 遊馬は、のどの渇きを覚えた。おかれたほかの飲み物に目がいく。思いはちゃんと伝えたしせっかく入れ てくれたので、このまま捨てるのももったいない気がして珈琲のカップに手を伸ばした。お店で出すのと違う 風味の珈琲で喉を潤していると、それに気付いた絢音が声を上げた。 「あっ!飲んじゃったの?」 「わっ、ご、ごめんなさい、喉が渇いて・・・」 すっかり空になってしまったカップをソーサーをあわてて元に戻した。 「・・・・・」 「あの、やっぱりまずかったですか?駄目でした?すみません『お水』のお代わり頼めばよかったですよね・・・」 「・・・・。・・・あ、そうじゃないの」 「・・・・・?」 「それ、クスリが・・・」 「・・・・クスリ?・・・・え?・・・・あれ、・・・・・」 ぐにゃっと視界が歪んだ。体のバランスがとれずにソファーに背を預けたが、意識はさらに奥に沈んでい く。その感覚に抗うこともできずに遊馬の瞼がやがて下りた。 スースーと寝息をこぼし始める遊馬。あまりの速攻に絢音も驚いていた。時々ナッキーが送ってくれる 怪しげなものは、そのグレードが高いなあと感心してしまう。遊馬の隣に座って、その頬をつんつんしてみ るが、その寝息は微塵も乱れない。つついた頬に顔を寄せて、音をたてて口付けをする。 「さあ、あーちゃん、ぬぎぬぎしようね♪」 悪戯なネコの笑みを浮かべて、絢音は制服のボタンに指をかけた。 空が白み朝の陽光がリビングに差し込み始めた。シーツにくるまり眠り続ける遊馬の顔を、膝枕している 絢音はニコニコして見下ろしていた。同じように体をくるんだシーツから伸びた腕が、柔らかな髪をなでなで している。いつかは起きるだろうと思って見詰めていたが、結局朝まで遊馬は眠り続けていた。 (〜ん、クスリの量間違えたのかな?それともクスリに弱い体質とか?) 本当なら、静流か紗奈かをちゃんと決めさせてクスリで眠らせて、寝起きをたっぷり誘惑しようと計画を立 てていた。けれど遊馬は意外にも自分を選んでしまった。それが無理に起こすことができない理由でもある 。 人の気配があれば目を覚ますかと思ったのに、かえってそれに安心して深い眠りについている感じだ。両 親がいなくなって一ヶ月が過ぎようとしてる。その間遊馬は、家にいる時は一人で生活していた。 (さびしかったの?あーちゃん) 幼い寝顔に絢音は目を細める。トクントクンと鼓動が高鳴ってしまう。 「・・・・・・」 ゆるんだ唇をきゅっと結んだ。細めた目を閉じる。どんなに抑えようとしても、こうなってしまう自分 が、そうさせてしまう遊馬が許せないでいた。心に幾重にも張り巡らした垣根を、いつからだろう遊馬は 壊しはじめた。いつか最後の垣根を手にかける瞬間がくるのではと絢音はずっと怯えていた。 けれど、こ の頃、その瞬間をイメージしてしまう自分がいる。その度に胸の奥が、ぎゅうっと熱くなる。この感覚はときめ きじゃない、恐怖だと絢音はと強く自分を戒める。 瞼を開けると、ソファーの隅に置いた遊馬のケイタイに気付いた。曇った表情はすっと消えて、いつもの微笑 が口元に浮かんだ。ケイタイを手に取ると、開いていじくる。ケイタイをその寝顔にむけて、そしてボタンを押した。 「・・・・・」 不自然はまぶしさが瞼を透かし、遊馬は目覚めた。意識が今ひとつぼんやりしてる。妙に心地よい弾力の が頬を圧迫する。いつまでも味わっていたくて、頬をすり寄せる。 「あん♪」 すぐそばで甘い声がする。何気なく瞼を開けて、顔を上にむける。視界いっぱいの絢音の笑顔があった。 「・・・・・」 「おはよう、あーちゃん」 「・・・・・」 「そろそろ起きないと、学校遅れるよ」 「・・・・?」 あまりに甘い笑顔での問いかけに現実味がわかない。夢かな?と、うなじをくすぐる弾力を手でさわさ わすると、見下ろす絢音が『あん♪』と甘い吐息をこぼした。自分が遠慮なく触っているものが、だんだんわ かりはじめた。頬を赤らめて絢音がとがめる。 「もう、あーちゃんたら・・・・くすぐったいよ」 「わあああああああっ!!!!」 ソファーから転げ落ちるようにして体を離す。床をあわあわと這いながら、ここが自分の家でないことに気付 く。絢音からテーブルを挟んで、体を起こし辺りを見回している。動揺している遊馬をよそに腕を伸ばし、あく びをする絢音。体を覆っていたシーツがめくれて、やわらかな乳房がこぼれるように、外気にさらされた。 目を丸くする遊馬の視線に気付き、シーツで隠すと頬を赤らめて絢音は言った。 「う〜ん、昨日のあーちゃん、凄かったね」 「え?あの?」 「もう、ドキドキしすぎて眠れなくなっちゃったんだから」 「!?」 まったく記憶のないことを言われてますます混乱する遊馬。絢音が遊馬のある部分をしげしげと見詰めて 『わあ』と息をのんだ。 「あーちゃん、まだしたりないの?」 「えっ?・・・・あっ!うわあああっ」 視線の先に、青年期特有の生理現象を起こしている部分があることに、いやそれ以前に自分が全裸なの に気付いた。あわててテーブルにおいてある制服を掴もうとすると、絢音の手がそれを押しとどめた。 「先にシャワーを浴びてきたら」 「?」 「このまま学校に行ったら、また静流ちゃんと紗奈ちゃんに気付かれちゃうよ?」 「あ!」 それで、いろいろな目にあった遊馬の顔が青ざめる。押しとどめていた手をそっと離し、赤らんだ頬にそえ 絢音は恥ずかしそうに言う。 「もしあーちゃんが、バレてもかまわないって言うなら、いいんだけど・・・・」 抑止のなくなった手で制服を掴むと遊馬は駆け出すように部屋を出て行く。 「シャ、シャワー借ります!」 「奥に行って、つきあたりの左だからね〜」 「はい!」 「のんびりしていってね、その間に朝食つくっておくから〜」 「はいっ!」 素直でどこかやけくそ気味の返事にクスクスして、絢音は背後に隠したケイタイを取り出す。こっそり撮っ た遊馬の寝顔の画像に目を細める。画面に口づけしてから、ケイタイをいじくる。 「ふふふふ、あーちゃん、ガンバ」 そう言ってケイタイのボタンをピッと押した。届いたことを知らせる音がなり、送ったメールを削除して、わかりやすいようにそれをテーブルの上におくと、いつもの制服に着替えてリビングを出て階段を下りる。カウンターの奥の厨房に立ち、鼻歌まじりに朝食を作り始めた。 絢音に笑顔で送られて登校した遊馬。昨日の記憶がまったくないことに違和感を覚えて混乱したままだっ たが、校門をくぐるときには、何一つ思い出せないことを悔やみだしてもいた。階段を上り教室に向かうと、 廊下に黄泉塚一夜が立っていた。いや、一夜だけではないクラスメイトのほとんどが、廊下にたむろしてい る。 「お〜い、どうし・・・・」 遠くから声をかけようとすると、一夜が普段の動作から想像できないダッシュをかまして口をふさがれた。 驚いてジタバタするが、指を立てて一夜が囁いた。 「し〜〜〜っ!声をだすな」 真剣な表情にうんうんうなずくと、やっとのことで手が離される。 「・・・・・。なんだよ、いきなり?」 ぼそぼそと喋りかけると、一夜はキセルを揺らして答えた。 「お前、帰れ」 「えっ!なんっ・・・ぐう・・・・」 驚いて聞き返そうとすると、また口がふさがれた。鬼のような顔をして睨まれる。手は当分離されることな さそうなぐらい力がこもってる。 「・・・・。・・・神無姉妹とのぞみと風霧が、お前を待っているだが、なんか尋常じゃないんだわ・・・」 「・・・・?」 「ん〜・・・・、まあ、見たほうがはやいか」 人ごみを掻き分けて、ドアに近づく。二人に気付いた生徒に、一夜が人差し指を立てると緊張してうんうん うなずく。どうやら、同じ理由で外にでていたらしい。 わずかな隙間からおそるおそる中をのぞく。遊馬の席を囲むように神無姉妹、のぞみ、零が立っている。 腕を組んでその表情は・・・・ (・・・・・) 笑っていた。めちゃめちゃほがらかに笑っていた。しかし、これは、これで・・・・。 「なあ?怖いだろ?朝からずーっと、あーなんだわ」 「・・・・・(コクコク)」 たとえるなら嵐の前の静けさ、津波の前の引き潮。とても高圧な何かがその笑顔の下に隠れている気が した。 「お前、なんか心当たりあるか?」 「・・・・・(シーン)」 お泊りから逃げたことだろうと思うが、一応知らんぷりをする。しかし付き合いの長い一夜には通じないよう で、『ハア〜』とため息をついた。 「・・・あるんか。まあ、とにかくほとぼりがさめるまで帰るか隠れるかしろ。その間に俺がなだめておくか ら」 「・・・・・(ジーン+ウルウル)」 「お前に、そんなふうに見詰められてもうれしくもなんともねえ。とりあえず貸し+1ってことで・・・」 と言いながら後ずさりする一夜と遊馬の肩をポンっと叩く者がいた。振り返ると珍しく遅く登校してきた風 紀委員の木下がにこやかに声をかけた。 「よう、黄泉塚!結城!プロレスごっこか?鉄の爪か?朝から仲いいなあ〜!!」 (((((((き、木下――――――――――っ!!!!!))))) その場にいた全員が心の中で突っ込みを入れた。 ザクっと後頭部の延髄に太いパイプを突っ込まれるような感覚がした。いやいや振り返ると、机を囲んでい た四人がこちらを見ていた。 (・・・ああ、笑ってる・・・。・・・笑ってるよ〜〜〜・・・・・・) 蛇に睨まれた蛙のように体を萎縮した遊馬を一夜が突き飛ばした。転げそうになりながらその 場を離れることができた。そのままの勢いで駆け出す遊馬に一夜が声をかける。 「行けっ!ここは俺がなんとかするっ!」 「わりい!一夜」 走りながら振り返り礼を言おうとして見た一夜の顔が、横に吹っ飛んでいた。 「どけ!クソ幼なじみ!!」 強烈な蹴りを食らわしたのぞみが、人ごみから駆けてくる。吹き飛んだ一夜がもろに木下にあたり二人 一緒に崩れかける。それに行く手を阻まれた零が叫んだ。 「排除するっ!!!」 どっと、前になぎ払われた一夜と木下。零の手には鞘から出た『風斬』が輝いていた。 (・・・みねうちだよね?みねうちだろ?) 廊下に倒れた一夜と木下をアリを潰すように踏みしめて、静流と紗奈が歩いてくる。 (ひ、瞳が、金色なんですけど〜・・・) 半べそをかきながら走る遊馬。けれど恐怖ですくんだ足はちっとも進まず、のぞみのジャンピングニーと、 零の『風斬』の一刀をくらい、捕まった。 屋上、絶対授業が始まっている時間、腕を組む四人に囲まれて、遊馬は正座をしてうなだれていた。か れこれ十分、にらまれるだけで何も言わない。変にののしられるより、それはそれで怖くあるが、しだいに 冷静になっていた遊馬。恐怖の連続で感覚が麻痺しつつあった。 「・・・・もう」 いつまでも黙っていてもはじまらないと、腕をほどき静流がため息をついた。 「うなだれているってことは、悪いことしたって思ってるってとでしょ?反省してるの?」 「あの、なんのことでしょう?」 確かにお泊りから逃げたのは悪かったかもしれないがここまでされることじゃないと、尋ね返す。とたん、の ぞみの左足が頭を踏みつけ、左頬に白刃があたり、右頬に伸びた爪が突き当てられた。 (・・・・・。のぞみパンツ見えてるぞ。零、学校で抜刀するんじゃない。紗奈ちゃん零がいるんだから爪を伸 ばしちゃ駄目だってば・・・・) 「ふ〜ん、あくまでしらを切るんだ」 実は、こうゆう時の静流の冷たい笑顔が一番怖いわけだけど、とりあえず笑顔で答える。 「こんな場面はまずそうしないと、もりあがらないでしょ?」 「〜ん、なんか余裕だね、しょうがないな」 交渉決裂の雰囲気が周囲から漂う。 (うっ・・・・・、しかたない体に聞くぞって展開ですか?この感じ・・・) いまさらながらに謝る好機を逃したことに後悔する。その遊馬に、四人の手がいっせいに伸びた。たこ殴り を覚悟し目を閉じる、ところがいつまでたっても痛みはやってこない。不思議に瞼を開けると、顔の前には それぞれのケイタイが画面を開いていた。どれも同じ写メールが映っている。 日付は今日で時間は朝、一斉送信らしく、送くり主は自分のケイタイ。眠っている自分の寝顔に、髪をな でている白いあらわな腕。件名は『あーちゃん、可愛い♪』 (・・・・・、・・・・あ、絢音さん、何してくれてるんですか?あなたは・・・) まるで逃れることのできない、渦潮の中に突き落とされた感覚。あと数分で髪が白く染まっていくそうな 虚脱感。体のいたるところから変な汗が湧き出てくる。どんな誹謗中傷暴力が自分を襲うのだろうと、忌み 嫌われた黒猫の気分で固まっていると、自分を包む雰囲気が少し変わっていることに気付いた。 「・・・・おねえちゃん、やっぱりなんか変だよ。このメール」 ケイタイを閉じて紗奈が静流を見た。 「うん。・・・ねえ、遊馬くん、このメール送ったのって君なの?」 遊馬はフルフル首を横に振る。そんな勇気があったら、世界征服だって夢じゃない。思案気に腕を組む 静流。 「そうだよね、普通は隠すよね。・・・・送ってきたのって、絢音さん?」 「遊馬、お前は絢音さんを抱いたのか?」 零が哀しそうに尋ねてきた。朝の絢音の言葉ならそうなのだろうけど、なにか違和感があるのも事実だ った。 「・・・・わからない、・・その珈琲を飲んだら眠くなって・・・、・・朝になったら裸で・・・」 のぞみが割り込んでくる。 「結城言ってることおかしくない?なんで珈琲飲んで眠くなるのよ?」 「ほ、ほんとなんだって、・・・変な味のする珈琲で、・・・絢音さんが飲んだおれを見て、・・・クスリって」 「クスリ?・・・・睡眠薬?」 静流がつぶやくと、のぞみが反論する。 「な、なに言ってるんですかっ、絢音さんがそんなことするわけないですよ」 「のぞみちゃんは知らないでしょうけど、絢音さんって謎だらけな人なの」 チッチッと指をふり、そう答える静流。紗奈がうんうんうなずいた。静流が膝頭を抱えてしゃがみこ んだ。 「ねえ遊馬くん、昨日のこと詳しく話してくれない?」 「わかりました」 抵抗する意思はすっかりなえていたので、遊馬は問われるままに答えた。ただ、珈琲とココアとお水の ことは黙っていた。火に油を注ぐ行為だし、もう少し落ち着いて、絢音さんの気持ちを確かめてからちゃんと 話すことだと思った。 ひとしきり話をすると、遊馬は正座を許された。少し離れてくれといわれて、しびれる足を引きずって手すり のあるとこまで歩いていく。熱心に話し込んでいる四人の様子をうかがった。何故か四人とも顔を赤らめてい る。時々風に流れて聞こえてくる言葉に、その理由がわかった。 「・・・・、・・・男の子って、その眠っていてもできるの?・・そのごにょごにょって立つの?」 「立つんじゃないんですか?・・そのごにょごにょだってあるわけですし・・・」 「「・・・・・」」 会話のメインは執行部の二人で、理路整然と推理している。紗奈は顔を赤らめて、聞き耳を立ててい る。あきらかにダメージを受けているのは零だった。涙目になってひきつっている。遊馬のことでなけ れば耳をふさいで逃げ出していたことだろう。 一時限目も終わりごろになって、静流は一つの結論を出したようだった。 「う〜ん、つまり遊馬くんは、絢音さんに睡眠薬を飲まされて眠らされただけじゃないのかな?朝の言葉 や裸だったのはそう思わせるように仕組んだって感じ?」 「・・・絢音さんはそんなことしないと思うんだけどなあ」 隣で不満らしいのぞみがぶつぶつこぼしているのを、静流がたしなめる。 「だって『凄かった』って何度もしてるってことじゃない?いくらクスリで眠っていてもいい加減起きるでしょ ?遊馬くんから積極的にいかないとそうは言わないわよ。絢音さんが記憶を消す能力があるっていうなら 話は別だけど・・・」 「・・・・・」 その言葉の危うさに紗奈は身を竦める。何気なく零のほうを見ると、視線に零が気付いた。 「ん?どうした紗奈?」 「あ・・・・。い、いえ、なんでもないです」 「・・・・?」 あわてて目線を切りうつむく紗奈を、零は不思議そうに見詰めた。 のぞみはそれでも納得できなようだった。 「結城が嘘をついてるかもしれないじゃないですか」 「のぞみちゃんは、絢音さんの肩もちすぎ」 「部長は、結城のこと信じすぎです」 「・・・・・(ギロ)」 「・・・バカップル」 どこまでも話は平行線をたどりそうな気がして静流は論議するのを止めて、話題を変えた。 「・・・・んんっ。・・・で、問題はこのメールなんだけど。どういう意味があるのかしら?」 「あ、あの、いいか?」 零がおずおず挙手をする。 「なによ?」 静流の言葉に棘があるのは、議論するどころか満足に聞き役もできていない零への非難がある。けれど いつも口論ばかりしている零は、臆することなく自分の思ったことを口にした。 「このメールは布告ではないのか?」 「ふこく?」 「うむ、宣戦布告だ」 「「「・・・・・・」」」 それを聞いた静流紗奈のぞみは、零の言っていることが瞬時に理解できた。そして件名の『あーちゃん可 愛い♪』の後に続くだろう言葉が天の啓示のように頭の中にこだました。 『いつまでのんびりしているの?誰もゲットしないっていうなら、おねえさんそろそろ、本気をだしちゃおうか な〜♪』 久しぶりの快晴の青空いっぱいに、天使ような笑顔を浮かべている絢音の姿が見えるような気がした。 言い出した零も含めて、四人の顔から血の気がうせた。普段その魅力で遊馬を手玉に取る静流でさえ その大人の魅力にはかなわないと感じている。争奪戦がはじまってから、みんなの競争心を あおるよに遊馬にせまることがあっても、個人的になんらかのアプローチをしているように見えなかった。 遊馬の気を引くことより、みんなとわいわいすることを楽しんでいるみたいだった。だからみんな安心しき っていたのだ。 けれどこのメールは、絢音も争奪戦にエントリーしている一人であることを思い出させた。そしてその気に なればいつでも遊馬をおとせることを教えていた。どこまでも終わりのない負の思考の連鎖を、学園内に響 くチャイムの音が断ち切った。 考え込んでいた四人が顔を上げる。静流が口を開いた。 「とにかくここで考え込んでいても、しかたないわね。放課後『ななつき』で集合でいい?」 紗奈のぞみ零がうなずいた。静流が遊馬にも声をかける。 「遊馬くんもいいわね。逃げちゃ駄目よ」 「あ、あの〜図書委員の仕事が・・・・」 四人が一斉にギロッとにらんだ。 「はい、すみません。行きます。是非ご一緒に行かせてください」 遊馬に拒否権はなかった。 放課後『ななつき』の前で五人は呆然と立ち尽くしていた。入り口のガラスに張り紙が張ってある。 『当分の間、お休みさせていただきます ななつき』 公園にお店を出していたクレープ屋の前で、ラズベリーのクレープをむくれて食べる静流。 「なんなのよ絢音さんは、人を振り回し続けて何が楽しんだか・・・」 ストロベリーのクレープをかじる紗奈が隣でプンプンうなずいた。 「あの部長おかしくないですか?」 チョコバナナのクレープを手にしたのぞみが口を開く。 「なにが?」 「お店を休むことです。絢音さん今までだって、どんなに体調が悪くてもお店休むことなかったじゃな いですか」 「・・・それは、そうだけど」 「ねえ結城、ほんとうに絢音さん何か言ってなかった?」 「・・・・うん」 みんなにクレープをおごらされてブルベリーを断念して生クリームのクレープを食べていた遊馬が答える。 初めて食べるクレープに悪戦苦闘していた零が、顔をあげる。のぞみと同じバナナチョコのチョコが唇 についていてちょっと可愛い。 「昨日わたしとのぞみは、仕事に必要なものを買いに行かされた。お店を休むのが分かっているのなら そんなことをさせるだろうか?」 「そうか、・・・ねえ誰か絢音さんのケイタイの番号知ってる?」 「え?絢音さんケイタイもってないんじゃ?」 『ななつき』で一番最初にバイトを始めた紗奈が、そう言った。 「そんなことないでしょ?遊馬くんは知らない?」 「おれも知ってるのは、お店の番号だけです」 そのお店の電話も留守番になっていた。仕入れ業者が使う倉庫のほうにある入り口のほうも回ったが、 二階に人の気配はなかった。 「そうか、う〜ん。しかたないなあ、明日も放課後『ななつき』集合でいい?」 「うん」 「はい」 「かまわん」 「・・・・・、・・・あの、図書委員の仕事が・・・・」 「「「「・・・・・・(ギロ)」」」」 「あ、すいません。行きます、喜んで行かせていただきます」 遊馬に拒否権はなかった。 それからに数日後、学園のある街から、いくつか駅を乗り継いだ街の雑踏の中で、『仁義なき戦い』の テーマが流れた。人の群れから離れて、一夜がケイタイを耳にあてた。 「ん〜・・・・。なんだ七姫、なんか用か?」 「仕事中ごめんね。のぞみちゃんから電話があってさ、あの子がバイトしているお店の店長と連絡が取れ ないっていうの。・・・一(イチ)、あんたその店長の顔知ってる?」 「あー・・・。まーなー、のぞみと何度か一緒に行ったことあるからな」 そう言いながら後頭部をさする一夜。この前のぞみに食らった蹴りの痛みが蘇ってきた。 「そう、・・・・一、動ける?」 「んにゃ、無理だな。朱門の尻尾がもうちょっとで掴めそうなんだ。日にちがたって、においを消したくないんだわ」 「・・・・そうか、・・・・ねえ、結城のケイタイ番号教えてくれない?」 「・・・かまわねえが、・・・・・」 「わかってる。この件だけだから、昼間動ける手駒が欲しいの。あんたの貸しひとつチャラにしてやるから」 「まあ、別にいいんだけどな・・・」 その数時間後、遊馬のケイタイにメールが入った。七姫が調べたらしい、絢音の行きそうな場所がリストアップされていた。その中に『cafe la crescent』の名前があった。 つづく |