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キーボードに最後の一文字を押してエンターを押すと、にらめっこしていたモニターから 体を離し一息ついた。 「ん〜・・・・。キツ〜・・・・」 なれないパソコン作業に固まった肩と首をコキコキ回す。モニターすみの時間が20:3 0となっていた。一般の利用者が閲覧できる時間を過ぎて人の気配のない図書館を、作業を しているカウンター越しに眺めた。合コンがあると困っていた図書と事務員を兼任してるお 姉さんを先に帰らして、図書館の鍵はキーボードの脇に転がっている。 作業を終わらせたら鍵を閉めて、今職員室で会議をしている山代先生に鍵を返すことになっ ている。 日頃の悪行がたたり、廃棄予定の書籍のパソコン入力を命令された。図書委員長の今井に 終わるまで帰るなと念を押されたが、とても今日中に終わる量でない。図書のお姉さんも、 一ヶ月ぐらいかけてやる量だと、帰り間際こっそり教えてくれた。ただの罰なのだろう。 もう暗くなっているだろう外を見る窓は厚いカーテンで覆われている。閲覧と勉強をす るために使われる机の群れを、青白い蛍光灯の光が照らしていた。県内でも屈指の書籍を 保護するために、空調がきき中は暑くも寒くもない。天井まで届く書棚が、机の群れを囲 んで並んでいる。他と完全に遮断された空間独特の、圧迫感が少し心地よくもある。ポリ ポリ髪を掻き、結城遊馬はつぶやいた。 「う〜ん。相変わらず、うるさい場所だな。ここ・・・」 途切れた集中力はすぐに回復しそうにもない。しかたなく 席を立ち図書館の中を歩いて 気分転換することにした。カウンターを出てマナーモードにしていたケイタイをポケット から取り出す。メールと着信と留守電のイルミが交互に点灯している。 メールは神無姉妹であることが多い。着信は百景のぞみで、留守電が多いのは風霧零。 零の留守電は無言で切られていることが多いが、すぐにかけてやらなくてはならない。で ないと翌日教室で凄く悲しそうに睨まれる。奈々月絢音からは、まずかかってこないし、 そもそもケイタイの番号すら知らない。持っていないという噂がある。 悪友の黄泉塚一夜は 、夜のケイタイには一切でない。どこをフラフラしているのだろう?ケイタイを開いて誰か ら来たのか確かめたかったが、それをすれば作業に戻れなくなる気がして我慢した。 「ん?」 新刊とライトノベルの低い書棚から、一般教養の高い書棚へと歩いていくと、奥から物 音が聞こえた。自分一人のはずだと、音のしたほうに足を伸ばした。個人伝記のコーナー の列をのぞくと、数冊の本を抱えた華奢な女子生徒と目があった。ぎょっとしてそのまま 逃げ出しそうな顔に見覚えがあってあわてて声をかけた。 「ま、牧子(まきね)ちゃん?」 そう呼ばれて踵を返そうとした、女の子は動きを止めた。そして短いダブルポニーを揺 らしてペコッとお辞儀をした。 「・・・・。こんにちわ、結城先輩・・・」 抱えた本を胸に抱きしめて、紗奈の友達の牧子は挨拶をした。普段なら聞き取れそうも ないもじもじした声は、今の図書館なら良く聞こえた。 「こんにちわというより、こんばんわじゃないかな?」 「あ、そうですね、・・・。こんばんわ」 遊馬は牧子の抱えている本が、保護用のカバーフィルムがはられているのに気付いた。牧子 の背後に書棚と窓の間に独立してある机が見えた。その上にはフィルムのロールや、カ ッターや物指しが置かれている。 「・・・・・」 それを目にしながら、なんとなく一歩足を出すと、牧子が一歩後ずさりした。 「・・・・・」 「・・・えっと、・・・」 うつむいて視線を合わせない牧子に頬をかく遊馬。 (たしか男性恐怖症とか、紗奈ちゃんが言ってたな・・・・・) そう思い出したが、かなりショックな反応だった。しかたなくそのままで話 しかける。普段は私語は禁じられているが、この時間なら問題ないだろう。 「図書委員だったんだ牧子ちゃん」 「・・・はい」 「本が好きだからなったって感じかな?」 「・・・はい、・・・・・。それもありますけど・・・」 「?」 「教室より男子の数が少ないから・・・」 「ははは、なるほど」 苦笑いして納得するしかない。 「・・・・・」 うつむいた牧子の肩が小さく震え、その頬が少し血の気を失っている。 (うわ〜っ!もしかして喋るのも駄目なわけ?) どやら長話もNGらしいので、話を進める遊馬。 「あ、あのさ、もう帰ったほうがいいよ。その仕事今日中にってわけじゃないんでしょ?」 「あ、あの、そうじゃないんです」 「え?」 「・・・。・・ごめんなさい・・」 何故か牧子がまた頭を下げた。 「えっ?えっ?」 「今井先輩に、結城先輩を見張るように言われたんです。信用できないかっらって・・・。・・・それで・・・」 「それで、こんな時間までいたのっ?」 遊馬が一歩足を体を前に進めた。牧子はそれに気付いたが、後ろに下がらなかったのは 遊馬の剣幕に驚いたからだ。 (牧子ちゃんみたいな下級生が、上級生に言われたら断りきれないよな。おれが遅くまでや るの知ってるんだし、ちゃんと帰る時間を決めてやらないといけないのに。真面目だから こんな時間までいちゃうって考えなかったのかよ・・) 「あの野郎〜、明日あったらぶん殴ってやるっ!!!」 自分の仕事のこともあって握りこぶしを作って遊馬は激昂する。あわてた牧子が一歩前に 身を乗り出して、怒りをしずめようとする。 「あっ、やめてくださいやめてください。殴るなんて!私平気ですから、フィルムはる のに夢中になっていただけなんです!」 「駄目だ絶対許せないっ!信用できないなら、あいつが見張ればいいじゃないか、何で 関係ない下級生の牧子ちゃんに命令するんだ!委員長だから余計に許していいことじゃな い。ただのパワハラじゃないか!!!・・・・って、え?え!」 「・・・ううっ、ごめんなさい、ごめんなさい・・」 牧子の目からポロポロと涙の粒が零れ落ちるのを遊馬は見た。 「うわああああっ!!!なんで牧子ちゃんが泣くの?謝るのおっ?」 一歩踏み出すがさすがに、それ以上近づけない。遠くからオロオロする遊馬。 「ううっ、ひっく。私が悪いんです。・・・ひっく、私が・・・うううううっ」 肩を震わせて本格的に泣き出しそうになる。 「ま、待って!あ、あのさ、牧子ちゃんのこと攻めてるわけじゃないんだよ?頼むから泣かないでええ っ!!!何でも言うこと聞くからあ!」 「・・・・、ぐすっ、・・じゃあ、今井先輩殴ったりしませんかぁ?」 鼻を赤くして涙目で尋ねられる。こんな小さな女の子にこんな風に見上げられると、いじ めていたみたいで切なくなる。 「うん!しない絶対にしない!!だから泣かないで。お願いだからさ」 「・・・本当ですか?」 「うん誓う!世界中の神々に誓う!なんならG馬場さんにだって誓う!」 「・・・クスッ。・・・G馬場さんて誰ですか?」 調子のいい遊馬の言葉に、涙目ながらに牧子が口元をゆるませた。 「え?知らない?プロレスの神様なんだけど・・」 「知りませんよぉ。プロレス見たことないです」 「あはは、そりゃそうか」 男嫌いが、男が半裸で戦うスポーツを見るわけがない。愚問だなと思ったが、牧子の表情 が明るくなったので良しとした。やっぱり、馬場さんは偉大だ。 「本当に殴ったりしないでくださいね?」 「うん。G馬場さんに誓ったからね」 「あははは、だからぁ・・・」 「あはは、知らないんだよね。ごめんごめん」 本を抱えたまま、涙をぬぐい微笑する牧子に、遊馬は見惚れた。そして牧子には 絶対内緒だが、今井を殴る回数は最初考えていた数の三倍に決定した。 落ち着いた牧子に帰っていいよと声をかける前に、牧子のほうが尋ねてきた。 「先輩はどうして、図書委員になったんですか?」 「ん〜、勝手に決まってたと思う。今井委員長に言われるまで自分がそうなの知らなかっ たもんな・・・」 「・・・・。・・・本嫌いなんですか?」 「う〜ん。そうじゃないんだけど・・・そうだな、なんて言うかな・・・」 遊馬は二人を囲む書棚を見回した。 「・・・・・?」 「こういう感じで集まった本って、おしゃべりでうるさくない?」 「・・・え?」 「新刊は読んで欲しいのに読まれて当然って高飛車なところある、なんていうか ツンデレというかのな?少し前まで人気があった本は恥も外聞もなく読んでくれって媚び へつらうしさ・・・」 「・・・・・」 ニコニコしながら言う遊馬の言葉が理解できず、牧子は返す言葉がない。遊馬は気に しないようで、言葉を続けた。 「本当に読むべきものは、沈黙を含み探し出すのが難しい」 「うん、そうそう」 「・・・!」 牧子が驚いて、息をのんだ。今遊馬は自分が言った言葉に、まるで他人のように 相槌を打った。それに同じ口から出た声質に、確かな違いがあった。牧子の驚きに 遊馬も気付いた。相槌を打った最初の声に聞き覚えがある。本当に困った時、自分 の真意を問いただす。あの落ち着いた男の声。 「しかし、完全に沈黙している本には警戒が必要だ」 遊馬の意思に関わらず、その声が喋り続ける。 ―・・・ひとりぼっちのぼくが編み出したひとりぼっち専用遊びなんです・・・― 屋上に続く扉の前で、静流に言った言葉が頭を掠めた。 (・・・・・。・・何故、今それを思い出す?・・・・あれはただの冗談じゃないか・・ ・。・・・ずっとおれには友達がいた家族だって・・・ひとりぼっちだったことなん て一度だって・・・・。・・・一度だって・・・・) 遊馬の意識は埋もれていた記憶の中に吸い込まれ、霧散した。 《・・・ベットで眠っている自分を男と女が見下ろしている。一人は若い頃の母だ。 もう一人は、父親ではない。誰だろう?部屋には月明かりが差し込んでいる。ああ、 獣の爪のような三日月だ。枕元には、小さい頃よく遊んだ車のおもちゃが置かれている。 自分の寝顔を覗き込みながら、二人がひそひそ話している。 「兄さん、遊馬は大丈夫なの?」 「・・・。このことを本家に相談したと言っていたが、本当なのか?」 「うん。兄さんと全然連絡取れなかったから」 「はやまったな、本家の奴等が来る前に何とかしないと・・」 「え?でも、こんなこと本家の人たち意外に誰に相談できるっていうの?」 「この子が喋ったのは、中国の地方の言語、韻に癖のある英国の英語、ラテン語と いたたぐいだ。別に宇宙語を話したわけじゃないんだあわてる事じゃないんだ」 「あわてるわよ!まだまんぞくに自分の名前もいえない子が、そんな言葉を喋りだし たら、誰だって驚くでしょ?」 「・・・俺が子供を作らなければ途絶えると思ったに・・・。『結城』の名を継ぐべ きじゃなかったんだお前は」 「それは、兄さんが!兄さんが!」 「・・・静かにしろ、遊馬が起きる。とにかくこれからは遊馬を一人にするな、危険 を感じれば彼等は降りてくる。遊馬はきっと彼等の言葉を意味も分からず鸚鵡返しして いるだけに過ぎないんだ」 「彼等?」 「・・・・・。多少荒っぽいが、しかたないな」 「何をするの?」 「彼等を呼び出し交渉する。あえて遊馬に危険をさらしてでも」 「!」 「この子の為だ。この子の一生を台無しにしないために・・・」 耳にした男の声に、おぼえがある。ああ、おじさんの声だ。覗き込むその顔は霞がか かったようにぼやけている。小さな胸がキリキリ痛んでいた。自分が母を、おじさんを困 らせているのが悲しかった。小さいながらに自分は決めたのだ。誰もいない時に語りかけ てきた彼等とのおしゃべりをもう止めようと。再び話しかけてきても、誰にも気付かれな いようにしようと。そう強く決めたのだ・・・》 口調の変わった遊馬が一歩足を伸ばし、書棚から本を一冊手にした。 「たとえばこれがそうだ。これはよくないものだ」 「・・・・あっ!」 離れた場所からでもその本なんであるか、牧子には分かった。 「・・・ん?」 「あの、それ私の好きな本です。よくない本じゃありません」 戦争に巻き込まれ命を失った少女の日記を綴った本は、小学生の頃から何度となく読み 返していた。つい最近も借りたばかりだった。 「本の内容のことをいっているのではない。・・そうだな、そこにある本を取ってみろ」 抱えていた本をあいていたスペースに置き。牧子はその本を手にした。 「・・・・?」 遊馬は『そこにある』としか言っていない。指差すこともしなかった。けれど牧子はニ 三歩進んで、多くあるうちからその手は一冊の本を選び取り出した。フランスの鬼才と言 われた映画監督の自伝書。牧子はその本も借りたことがあった。 「どのページでもいい、開いて光にかざしてみろ」 「・・・あっ、・・・え?」 言われるままにページを光にかざすと、びっしりと並んだ文字のいくつかに光を通す小さ な穴が開いているのが見えた。 「第三の禁書といわれるものです」 遊馬の口からまたちがう口調。あきらかな女性の声。 「・・・禁書?」 「本来は、秘密裏に伝えたい文を本を使って伝達するために使いました。酷く原始的なや り方で、本というものが誕生した時代から存在します。ただしやり方が単純なあまり、それ を認知している者にはたやすく見破られてしまい、また本の質そのものが粗雑だったことも あり正確な情報伝達手段といえない欠点から、このやり方は廃れました。しかしあるもの達 がこのやり方が持つ不思議な効果に気付き悪用するようになった」 「・・・・?」 「人間の目というものは、思っているよりも精巧にできているのです。そのような 小さな穴を光にかざすことなく認識することができるのです。しかし脳に伝達されさらに意 識にまで昇華される段階で、これらの情報はふるいにかけられ消去されるのです。意識 の下にある潜在意識の闇の中に・・・」 「だが、だからこそ潜在意識に暗示をかけるのに、これほど効果的なやり方はなかった。 人により暗示のかかりに多少の差異はあったが、わずかな細工で最大限の効果が得られる。 熟成しある程度の文化を持つ国家に、本が、図書館がないことなどないのだから。その圧倒 的な数と、それが世に知らされた後の反響を恐れ、教会も『INDEX』禁書目録に載せる ことを諦めた代物だ。その危険性に気付き、勇敢にも抗おうとした聡明な人物の多くが、後 に暴君の烙印を押されているのは皮肉な話だな。そして今もこの暗示にかけれたものが、本 人が意識することなく、この禁書を増殖させている。ある一つの目的のために」 「・・・も、目的?」 耳を疑いたくなるような突飛な話だったが、遊馬の真剣な語り口に牧子は息を飲み尋ね た。 「「世界の破滅」」 淡々とした口調に、体を震わす牧子。手にした本が床に落ちた。 「ど、どうすればいいいんですか?」 床に落ちた本と遊馬を交互に見る、図書委員としてか、あるいは本が好きなものとして、 見過ごすことができないことだった。 「何もする必要はない。そのままでいい」 「・・・・え?」 「そのほうが、分かりやすくなるだろう」 ことの成り行きを楽しんでいるような、冷たい微笑。 「・・・・・」 「善と悪。光と闇。今は混沌としすぎている。この禁書によって色分けができるなら望ましい ことだ」 「の、望ましいって!どういう意味ですか?そんな怖い本が増えていいことないです!」 小さい体いっぱいに牧子は怒っていた。遊馬の態度が許せなかった。本を悪用する人が許せ なかった。つかつかと遊馬に詰め寄る。冷ややかに見下ろしながら遊馬もまた牧子に近づい ていった。互いが手を伸ばせば届きそうな距離に足を踏み出した時、牧子の足元でガッチャ と小さな金属どうしが噛み合うような音がした。伸ばした足が何かに引きずられて、体のバ ランスが崩れた。 「・・・あつ!」 「・・・・」 華奢な牧子の体が、遊馬の胸に倒れこんだ。遊馬はその体を支えようと手を伸ばすことな く、牧子の頭越しにその足元を見ていた。床には何もない、だが反動で上履きが脱げた片足 は、罠に捕まった小鳥の翼のように不自然に浮きでねじれている。遊馬が目を凝らすと、白 いニーソックスのつま先から黒い鎖の影がはいあがってくる。同時にジュウっと物の焼ける 音と、肉の焼ける匂いが、二人の周囲にした。ニーソックスから短いスカートのわずかなあ いだにのぞける腿の肌に、その鎖の影が進む時その音とともに白い肌から煙があがった。影 ではなかったのだ。見えない鎖が牧子の肌を黒く焼き焦がしながら進むその痕だったのだ。 牧子の腕が遊馬の背中に伸びってぎゅうっと抱きしめた。小さな制服の背中には鎖の痕が 縦横無尽に巡っている。湧き上がる煙と、焼きただれる匂いと音に遊馬が目を細める。牧子 がガクガク震えている。見えない鎖に焼かれる苦痛からかと思えたが、すぐにそれが違うこ とを知らされる。書棚を震わすほどの笑い声が図書館に響いた。体を震わし牧子は笑っていた。 喜びを堪えきれないように・・・・ 「クククククククク、ヤット捕マエタ・・・」 牧子が顔を上げる。にごった瞳を細めて微笑んだ顔に、鎖の焼き痕が走り続けている。 「オ前ノ友達ノ鎖ハヒドイ武器ダ。肉体ヲ滅ボスダケニ飽キ足ラズ魂マデモ消失サセヨウ ト絡ミツキ離レナイ。新タナ肉体ヲ得テモコノ様ダ。アト十日ト、モタナカッタ」 「・・・・・」 「バイブルコレクターガイナクナリ、油断シタナ。ダガアノ男ノ仕掛ケタ罠ハ残サレテイタ ノダ。サアコノ苦痛ヲオ前ニ、分ケテヤロウ・・・」 歯を剥き出しにして笑う牧子。獣のような笑い声に、呼応するように鎖の痕が駆け巡る。 だが、遊馬がその頭をそっと抱きしめ胸に埋めた。 「・・・捕まえた」 「・・・アッ?」 「罠には気付いていたさ。だからバイブルコレクターがいる時ここに遊馬を近づけなかっ た。なかなかやっかいだったからな、あいつは」 牧子の頭を抱きしめるのと逆の手に、先ほど書棚から出した本がまだ残っていた。遊馬 が抱える頭の後ろで、その本を開く。風がないのにそのページがパラパラとめくれて いく。 「・・・・!コノ感覚・・・『ラッセルノ聖書』?マサカココニハナイハズダ!!」 鎖に焼かれ続ける体をバタつかせる牧子。だが大きな翼に包まれたように、身動きが できない。 「『聖書』ではありません。あの悪魔祓師の能力は言霊を操ること。あの崇高な信念 が聖書の言葉に埋め込まれた文字の力を、神の御意思を呼び起こした。言霊は彼とともに あり、あの『聖書』はその依り代にすぎなかった。純粋な彼は死ぬまで聖書の力と信 じていたけれど・・・・・。彼と親しんだ言霊が彼の遺品に宿っていました。まるで彼の 意思を受け継ぐように、意思そのもののように・・・」 「・・・・・?」 めくれるページの輝きを遊馬は目を細めて見詰めている。 「・・・ああ、なんて孤高で気高き光。これは言霊のものなのか、それともあの悪魔 祓師の心なのか・・。お前は、あの姉弟に手をだすべきではなかった・・・彼等を傷 つけるものを、彼は許さない・・・」 ページが止まり文字が輝きだす。それを見た遊馬の口から男の笑い声がこぼれた。 「あはははは、凄まじいなあの鎖!お前の『真名』すらも変化させてしまっているぞ!!!」 「・・・・?」 「−chain−」 「・・・・」 もがいていた牧子の動きが止まった。牧子の後ろ髪を引き、強引に顔を上げさせる。にごっ た瞳に、冷たく笑う遊馬の笑顔が映る。 「もといた闇に帰るがいい」 「アア、ソウシヨウ。コノ鎖カラ逃レラレルカモシレナイ・・・」 ゆっくりと牧子の瞼が下り、鎖の暴走もとまった。力なく小さな体の重たさが遊馬にかか る。 男の声がつぶやく。 「タタラの技、あなどれないな」 女の声が答える。 「私達の力も無力化するでしょう。あの鎖と『風斬り』は遊馬を殺すことができる」 「その武器を扱うものがこの街に、集まっているのはどういうわけだ?」 「意味があることなのでしょう。きっと・・・」 「ふむ、しかし、同じ鎖で敗れたはずの、−crying man−にはあんな痕は見えな かったようだが?」 「殺され方が違いました。それに先ほどの悪魔と同等に見るのは危険です」 「そうか?同じにしか見えないが・・・」 「・・・くっ、・・・あっ」 胸の中にいた牧子が声を声をあげた。意識を取り戻しつつあるらしいその声は、まどろみ から抜け出たというより、あきらかに苦痛の響きがある。悪魔が去っても、その肌に付いた 鎖の焼き痕は残ったままだった。こぼす息が荒く乱れはじめた。悪魔によって麻痺していた 苦痛が牧子の小さな体にあふれでて、瞬時にまた気を失った。 「・・・・・」 「かまうな、悪魔に付け入られるような隙があったこいつが悪いのだ。」 「・・・。・・・はい」 体から牧子を剥がそうと、遊馬の体があとずさりする。だが、その腕が牧子を抱きしめ て離さない。 「ん?」 「ふふふふ、遊馬が不服そうですよ」 微笑んだ口がすぐにため息をこぼした。 「まったく、こいつの女好きは、・・・血は争えんということか」 「中だし好きも、洪秀全に教わったままですし」 「・・・・・」 「・・・・・」 「・・・・・」 「・・・すいません、つい・・・。ともかく私が・・・」 そう言って手にしていた本を書棚に置き、牧子の体を抱きなおすと手に印を結び女の声が呪を唱えだした。 「龍樹王如来 授吾行持 北方壬癸・・」 「・・・・・・。異教の呪を使うのか?」 「慣れしたんだものですから、・・・冷たい風をあててくれませんか冷水でもかまいま せんが」 「気が進まんな。・・・・こんな風でいいのか?」 印を結ぶのと違う手から、霧を含んだ風が吹き出し牧子の肌を流れていく。 「龍樹王如来 授吾行持 北方壬癸 焚火大法 龍樹王如来 吾是北方壬癸水 収斬天下火星辰 千里火星辰 千里火星辰必降 急急如律令」 女の声が呪を繰り返す。鎖の焼き痕が浮かび上がり、霧を含んだ風が 流し清めている。牧子の荒かった息がおさまり、落ち着いたものに変わる。 「・・んん。・・・」 再び意識を取り戻し牧子が声をもらした時、その肌どころか焦がした衣服にも鎖 の痕はなくっていた。 「さて、そろそろ引き上げるか」 「禁書はどうします?」 「そのままでいい・・・が、遊馬を害する文言があるのは見捨てて置けないか」 「はい」 「まあ、遊馬を使えばすむことだ、ちょうど廃棄書籍の仕事を任されているから な」 「ああ、これも必然・・・」 「そういうことなのだろう」 「では、遊馬の望むままに」 「我々は深く潜ろう」 「「約束のその時まで」」 「・・・・?」 深い意識の底から戻ってきた遊馬は、本達のノイズに自分が図書館にいることを 思い出した。 「ゆ、結城先輩・・・」 消え入りそうな声が、そばで聞こえた。視線を落とすと、自分の腕の中に、顔を青ざ める牧子が見上げていた。 「わ、わたし、どうして先輩の腕の中に・・・」 「え?うわっ!ご、ごめん!」 どうしてこんな状況になっているか、さっぱり思い出せない。きれいに記憶が飛んで いる。今まで不注意で女の子とぶつかったりすることは、何度かあった。けれどいきな り抱き締めていることはない。あるはずがない。怯えたきった目で牧子が見上げている。 男子と向かい合うだけで貧血が起きるくらいだから、こんな状況に耐えられるはずがな い。あわてて両腕をほどこうとした時、遊馬の中で誰かが、たしなめた。 −手を離しては駄目。その娘の恐怖は、男からの暴力からきているわけではない の、自分の思いを拒まれた反動にすぎないから・・− 何故だろう初めて聞くのに、涙ぐみそうになるぐらい懐かしい女性の声。言われるま まに再びやさしく牧子を抱き寄せた。 「・・・・あっ、・・・・・」 胸の内にうずまった牧子が小さく息をのんだ。その時になって、遊馬は小さな体が、可 哀想なほど冷えきって震えていることに気付いた。ほうっておけなくなって、その背中を さすりながら、遊馬は嘘をついた。 「・・・立ちくらみしたんだよ、牧子ちゃん。急に動くと危ないからさ、もうちょっと だけこうしてて」 「・・・はい。・・ごめんなさい」 「こんなに遅くまで、仕事していたせいじゃないかな?」 「・・・・。・・・・・そうかもしれない・・」 遊馬の嘘を信じたのか、その体重を遊馬に預けてきた。胸の内に顔をうずめて牧子が つぶやいた。 「・・・・・先輩、あたたかい・・」 (・・・・・牧子ちゃん?) 腕の中の体が、小さく震え緊張している。けれど、それは最初見せたガチガチの拒絶 とは違う。冷たかった肌は、微熱を含みはじめた。制服を通る牧子の呼吸が、胸 をくすぐる。堪えようにも鼓動が高鳴りだしている。肌が触れ、それが分かるはずなの に、牧子はじっとしていた。頭越しに見える、細いうなじがほんのりと紅潮している。 もういいかなと腕の力をゆるめようとした時、小さな手が遊馬の制服を掴んだ。胸を くすぐる吐息が途切れたのは、顔を横にしたからだ。腕の中で牧子が何をしているのか、 気付いた遊馬。腕を離すのを、もうちょっとだけ後にすることにした。 牧子は遊馬の胸に耳をあて、鼓動を聞いていた。その無邪気な仕草に胸の鼓動は乱れる が、じっと耳を澄ます牧子を邪険にすることもできない。 「・・・・・」 「・・・・・」 苦手な本のざわめきも遊馬の耳を煩わせない。二人を見守るように、本達も息をひそめ ていたのかもしれない。 「ほんとうにすみませんでした。家まで送ってもらって・・」 外灯が照らす家の前の道路で、牧子がペコッと頭を下げる。 「いいって、お姫様を無事にお城にとどけるのが騎士の役目だから」 「・・・・・」 (う〜ん、ここはなんかリアクションが欲しいな〜・・・・・) 照れて黙ってしまう牧子に、苦笑いを浮かべるしかない。図書館で腕をほどいてか ら、ずっとこんな感じで会話が続かない。家に送ることさえ最初は遠慮していたが、 さすがにこんな時間に一人で帰すわけにいかなかった。神無家のある新興住宅 街の一角にあった牧子の家を見る。紗奈と仲良しになったのは、家が近いこともあ ったのだろう。 「・・・・・」 「・・・先輩?」 顔を上げた牧子は、遊馬が何かをじっと見ていることに気付いて声 をかけた。目線を戻す遊馬、頬かきながら口を開く。 「いや、苗字知らなかったから、紗奈ちゃんが使ってたまま、牧子ちゃんって 呼んでたけど・・なれなれしかったかなって、・・・迷惑だったよね?」 どうやら表札を見ていたらしい。反省している遊馬に、牧子があわてる。 「め、迷惑だなんてっ!そんなことないです。・・・あの、わたし・・・その、・・・・・」 何か言おうとしたが、もじもじして口を閉じてしまった。遊馬が黙って次の言葉を待っ ていた。やさしく見詰められて、牧子は意を決して言葉を続けた。 「紗奈ちゃんが、先輩にちゃん付けで呼ばれてる見て、うらやましかったんです」 「・・・・・」 「・・・わたしも、そう呼んでもくれるの嬉しいです。・・・ちょっと、恥ずかしい けど・・・」 顔を赤くしてうつむく牧子。その髪をなでなでしたくなるのを遊馬はこらえた。 「うん、それなら良かった。じゃあ、これからもそう呼んでいいね?」 「はい」 笑顔でうなづいた牧子が、すぐに「あっ!」と声を上げた。 「ん?」 「あの、紗奈ちゃんの前では・・・」 「どうして?」 「先輩には見せないけど、紗奈ちゃんわたしがそう呼ばれると、凄くすねちゃうんです」 「そうなの?」 「はい。だから、・・・・・二人きりの時だけ」 「え?」 「だ、だめですか?」 悲しそうに見上げられる。どうにも断りきれない感じだ。 「あ〜・・・。うん、まあいいか、図書館の時とかね?」 嬉しそうに、うんうんうなずく牧子。いつまでもその笑顔を見詰めていたい気分になり、 遊馬はあわてて目線を切った。 「・・・・・?」 「じゃ、じゃあこれで・・」 「・・・え?」 「もう、遅いしね」 「・・・はい。今日はいろいろとすみませんでした」 無理に笑顔を浮かべるが、ちっともさびしさを隠しきれていない牧子。いじらしくて、 見ているほうが切なくなる。 「・・・・・うん、じゃあね。牧子ちゃん。また明日図書館でね」 「はい。図書館で、おにいちゃん」 牧子の返事に笑顔で答えようとした遊馬の顔が、最後の言葉で固まった。 「・・・・え?」 「わあああっ!すみません!すみませんっ!お、おやすみなさいっ!」 ペコペコ頭を下げて、牧子は家の中に逃げ込んでしまった。音をたてて閉まったドア のむこうから、『きゃあああああああ〜』と恥ずかしさで混乱しきった牧子の悲鳴が聞 こえた。 「・・・・、おやすみ」 思いっきり筒抜けなドアに、お大事にとでも言うように言葉をかけて歩き出した。 「お、おにいちゃんって・・・」 今聞いた言葉を繰り返す。確かに年は一つ上だし、間違った使い方ではないが・・・ (う〜・・・・。なんでだろう?すごいドキッとしたなあ・・・) どうしてもユルユルしてしまう頬をかきながら、遊馬は家路を急いだ。 その後姿をじっと見詰める存在があった。闇の中、金色の瞳が怪しく輝いている。 「む〜・・・・」 頬をふくらまし、むくれる紗奈。メールの返事のない遊馬を心配して学校まで迎えに行 ったせいで制服姿だった。校門を出る二人の様子がおかしく声をかけそびれて、ここまで ついて来たのだ。今、目にした光景に悪い予感があたっていたことを知った。 ふくれる頬をぷにぷに突付く指。頬を戻し振り返ると、同じ制服姿の静流がにっこり 微笑んで言った。 「紗奈〜、明日の放課後保健室にあの子連れてきてくれない?」 「え?でも・・・牧子ちゃんは友達だし・・」 さすがに、紗奈もその行為の意味に気付き動揺する。 「だいじょうぶ、簡単な暗示をかけるだけだから・・・、それとも紗奈、あの子が放課 後図書館で、遊馬くんと二人きりになるの平気なんだ?」 「だって、二人とも図書委員だし」 「くすっ、知らないんだ、もりあがっちゃうんだよ、ああいう場所って・・・」 静流がそう言いながら紗奈をやさしく抱きしめる。 「お、おねえちゃん?」 戸惑う紗奈の体に手をはわしながら、静流が語りかける。 「ある目的ためのみに作られた特殊な空間。普段人がいる時には気付かないプレシャー が人の数が少なくなるたびに増えていく。一人きりならそれは居心地の悪さですんでしま うけど、・・二人きりだと違う意味になるの」 「・・・・・」 「それが、そばにいる相手のせいだと勘違いしてしまう。普段気にもならない相手でさ え、その些細な仕草に鋭敏に反応する自分に気付く。抑圧から逃れたい反動から理性は鈍 り、あらぬ方向に妄想をはじめるともう止まらない。ここが厳粛な場だと戒めることも抑 圧からの解放に拍車をかける。まして相手が意識しているならなおいっそう・・・」 「・・・・・」 頬ずりする紗奈の頬が熱を帯びる。静流の言葉に、いけない想像をしているらしい。 「行為がはじめれば、あとはただ乱れるだけ。抑圧からの解放のための行為。けれど、 それはさらに厳粛な場を汚しているという罪の意識の抑圧が加わって、二人の体が果てるま で、行為を焚きつける薪は、その場にいる限り尽きることがない・・・・」 「・・・・・」 「もしかしたら、あの二人。それを味わってしまったのかも・・・」 「ま、牧子ちゃんは、絶対に、そんなことないもん!」 「でも、おかしかったわね?あの二人の感じ、妄想ぐらいしていたのかも・・・、でも、 いつまでも妄想だけですむのかしら?健全な男の子と女の子なんだから・・・」 赤い耳に息を吹きかけるように静流が囁く。 「・・・・。・・・ほんとうに暗示だけだよね?ひどいことしないよね?」 「もちろんよ、おねえさんを信じて、ふふふ」 安心させるように紗奈の頭を抱きしめ、金色の瞳を細める静流。淫猥で惨忍で美しい 淫魔の微笑を浮かべていた。 END |