「box lunch」







 「失礼しました」
ペコっと頭を下げて、職員室を出る百景のぞみ。扉を閉めて振り返ると、廊下に風霧零が 腕を組んで立っていた。

 「おまたせ」
 「ああ」
 零は手にしていた弁当入れの手提げ袋のひとつをのぞみに渡した。二人そろって歩き出 す。

 「ごめんね。先に行っててもよかたのに・・」
 「かまわん。それより何の呼び出しだったのだ?」
 「うん。最近病欠していた音楽の山口先生、学校を辞めることになったんだって」
 「ああ、特別教室を私物化していたふとどき者か」
 「そうね。んふふふふ」
 「・・・?何だ」
 のぞみの含み笑いが、同意と違う気がして零がたずねる。

 「ん?多分部長の仕業だなって思って」
 「神無先輩が?」
 「うん。ああいう人に容赦ないからね。・・・なんか最近部長すごくはりきってるんだ、 執行部の仕事」
 「そうか。・・・・」
 うなずきながらも、どこか腑に落ちない顔をする零。普段遊馬と接する神無静流のイメー ジが強いのかのぞみの話に違和感があるのだ。
 のぞみも零の態度にちょっと困った顔をする。
 いまだに神無姉妹の話がNGなのだ。アルバイト先の店長奈々月絢音に協力していることも あり、そろそろなじんで欲しかったりするわけで・・・。ため息をつきしかたなく話題を変 えるのぞみ。

 「ところでさ、今から行くところってほんとに人がいないの?」
 「ああ。たぶんな」
 玄関で下穿きに靴を換えて、体育館の日陰を歩いていくと、のぞみ達と同じく暑くなった 教室を避けてお弁当を広げている生徒達がひしめき合っている。

 「でも柔道部の道場の前なんでしょ?柔道部の人達が使ってるんじゃないの?」
 「もともと部員の数は少ないし、それに道場を使っている者は、かえって近づかない だろう」
 「・・・・?」
 「そのベンチは、大きな銀杏の木の下にあってな、秋はギンナンまみれになって、なか なかにおいキツイイメージがあるからな」
 「なるほど、期間限定のベンチか」
 「そういうことだ」
 古武術に興味のある柔道部の顧問に頼まれて、月一ほどで零は関節技や締め技の指導を していた。剣術の道場とはいえ古流武術の一派である風霧の家は、小具足組打捕手を含 む柔術、槍術、棒術など剣術以外の武術も修練の対象としていた。自分の道場の門下生 が増えるきっかけにでもなればいいかと引き受けた事だが、剣道部の顧問は引き抜かれ るのではと危惧していい顔をしないらしい。

 体育館と運動部の部室を通り過ぎて、柔道場の先に大きな銀杏の木々が見える。この学園 ができる前からはえていたという巨木達である。道場の角をとおり、ベンチに向かった零が 足を止めた。

 「・・・・?」
 後から歩いていたのぞみが肩越しに見ると、銀杏の木陰のベンチに腰をかけでサンド イッチをかじる神無紗奈に気付いた。

 「・・・・」
 無言で急に踵を返す零。そのままのぞみの脇を抜けて、引き返そうとする。
 「・・・・」
 のぞみも無言で零の腕を掴んで、強引に歩き出す。

 「の、のぞみ!」
 じたばたする零を無視してベンチの前に行く。紗奈が2人に気付いてペコッとお辞儀を した。のぞみも会釈して笑顔で尋ねる。

 「ねえ、紗奈ちゃん一緒にお弁当食べてもいい?」
 「あ、はい」
 いつもの穏やかな表情で、ベンチの隅に座り直し席を空ける紗奈。そこまでさ れて立ち去ることができなくなった零が振り返る。ちょっとすねたようにのぞみを睨んだ。 どうしてこんなに紗奈のことが苦手なのだろう?

 「れ〜い〜、怒るよ?」
  いつまでも聞き分けがない態度にのぞみが満面の笑顔でたしなめた。
 「・・・・。す、すまないな神無」
 怒りを潜ませた笑顔に観念したのか、零が紗奈に言葉をかける。
 
 「いいえ、いいですよ」
 「・・・・」
 花がほころぶように紗奈が微笑んでうなづくと、零が言葉をなくした。いつまでもその 笑顔に見とれている。のぞみが不思議そうに声をかける。

 「零?座ろうよ?」
 「っ・・・!ああ、そうだな・・・」
 言葉をかけられて我に返った零。のぞみをはさむようにベンチに座る。ぎこちなく弁当 の封をとく零をのぞみは盗み見ていた。なんでだろう?ちょっと頬が赤い感じがする。
 
 (・・・もしかして零って、紗奈ちゃんが嫌いなんじゃなくて、可愛くてまともに見れ ないとか・・・)
 小さな男の子が好きな女の子意地悪するような心理で、零は紗奈を避け続けていたのか もしれない。なんとなく零っぽい感じがするが、その解釈は一つ問題がある。

 (・・・・。じゃあ平気でお喋りできるあたしは、ちっとも可愛くないってこと?)
 お弁当のおかずのコーナーにあるウインナーを箸でぶっ刺して、口に放り込む。ムシャ ムシャしてむくれていると、様子に気付いたのか隣の紗奈が、じっと見上げている。

 (・・・う、・・・・)
 子犬のようなつぶらな瞳に見詰められるだけで、心の中の張り詰めたものが、はにゃっ と、とろけてしまう。可愛い。可愛すぎる。

 (・・・・。もう、この子は特別だな・・・)
 気分をなおして、紗奈を見ると、足元に置かれたレジ袋のふくらみが気になった。手を 伸ばして中を見ると、たくさんのサンドイッチや菓子パン、紙パックのジュースが見えた。

 「紗奈ちゃん、これ全部一人で食べるの?」
 「あっ、違います。・・・・、その、・・・・先輩と一緒に食べようと思って・・・」
 「え?」
 「・・・・」
 「でも、教室に行ったら、おねえちゃんがいて・・」
 「あらら・・・」
 職員室に呼ばれて出くわすことなくすんだが、とんだ修羅場になっていたかもしれない。 紗奈がしゅんと表情を曇らせた。

 「おねえちゃんずるいんです。争奪戦の間は、手作り弁当とかでポイント稼ぐのは駄目 だって言ってたくせに、ちゃっかり作ってきてて、無理やり先輩を連れていって・・・」
 「部長だと、屋上かあ・・」
 「・・・はい」
 「・・・・」
 言葉がなくなり、もぐもぐ食事を取る三人。

 (あのバカップル。またイチャイチャしてるんだろうなぁ)
 (私あんなに、強引に迫れないよぉ・・・)
 (・・・手作り弁当・・・)

 「「「・・・、ハア・・・」」」
  口の中のものを飲み込んで三人一緒に深いため息をついた。そのことに気付いたのぞ みが紗奈と零に声をかける。

 「ね、部長と遊馬のこと考えるのやめにしない?せっかくこんなお弁当食べるのに絶好 の場所にいるんだし。もったいないよ」
 日陰を作る銀杏の枝をのぞみが見上げる。光をすかす緑の魚麟がそうだとそうだという ようにかさかさ音をたてた。潤いを含んだ風が三人の頬をくすぐる。

 「確かに、そうだな」
 「はい」
 2人もこころよくのぞみの提案に従うことにした。

 「んじゃ、サンドイッチもらっていいい?どうせ残してもいたんじゃうでしょ?」
 「はい、どうぞ」
 紗奈がレジ袋を膝の上に乗せてひろげる。のぞみが手を入れて照り焼きサンドを取り出 した。

 「零はどれがいい?」
 「いや、私はパンは、・・・」
 「そう?じゃあジュースとかでいい?」
 「ああ」
 のぞみが紙パックのジュースを選んでいると、紗奈が零に言葉をかけた。

   「あ、ジュース以外にもありますよ。このプリン美味しいですよ?」
 レジ袋からお気に入りのプリンを出して、にっこり微笑んだ。けれど、零がビクっと目 線を逸らした。

 「あっ・・、キライですか?」
 露骨な態度に、紗奈の笑顔が曇る。しかたなく戻そうとすると、目線を反らしたまま零 が、手で制した。

 「ま、待て」
 「・・・・?」
 「その、嫌いじゃないんだ。・・・嫌いじゃないから・・・」
 おずおずと目線を戻す零。なぜだか怯えるような顔をして、紗奈とプリンを見る。のぞみ が渡しやすいように、ベンチに背を預ける。紗奈はプリンを零に差し出した。お茶会の席の 作法のように、そっと両手で受け取る零。手にしていたプリンをスカートの上に置き、じー と見詰めている。2人が様子を見ていることも気付かないほど集中している。そしてほんの ちょっとだけ口元をゆるませた。

 ((・・プリン好きなんだ・・・))
 ぎこちない喜び方にのぞみと紗奈は思う。のぞみは紗奈の耳に口を寄せて、囁いた。

 「今度、美味しいスイーツのお店に、三人で行かない?」
 のぞみが誘うと、紗奈は喜んでうなづいた。少しづつ紗奈も零の不器用さに気付いた ようだった。

 「零、デザートは一番最後にしなよ」
 「わ、分かってる。それぐらい・・」
 今にも開けそうな気配で見詰めていた零をのぞみがたしなめる。零は唇を尖らしながらも、 スカートの横にそっとプリンを置いた。幼い姉妹のようなやり取りに、紗奈はクスクス笑い ながら、紙パックのジュースにストローをさした。


                   
 *



 お昼を終えて、のぞみと紗奈はおしゃべりを続けていた。零は心地よい風にうとうととし、 ポニーテールの頭を、のぞみの肩に預けている。

 「そういえば、一夜さんとのぞみさんって幼馴染なんですよね?」
 「ん?一夜?」
 「・・・・」
 零がその名に、目覚めた。まどろみから抜け切れていない瞼をぬぐいながら、二人の話に 耳を傾ける。

 「う〜ん。幼馴染っていっても、小学生くらいからなんだけどね」
 「そうなんですか?」
 「うん。あー見えて帰国子女なんだよね、あいつ」
 「あっ、・・・フィンランド?」
 「あはは、聞いことあるんだ?あいつ何言っても冗談ッポイから信じられないだろうけど、 ホントそうなんだよね。その頃はいろいろ事情があったらしくて、お姉さんの七姫さんと二 人きりだったらしんだけど」
 「あっ・・・・」
 何故かしら紗奈が頬を赤らめたことに零は気付いたが、のぞみは気付かず話を続けた。

 「家の人と古い知り合いの家に預けられていたんだって。すっごくおっかないおじいさ んで・・・、確か、そう、ラッセルっていうおじいさん」
 「・・・・」
 「背が高くてね。2メートルは軽く超えていた巨人だって・・」
 つい最近耳にした人物の名前に紗奈は動揺して口を閉ざすが、のぞみは話がそれたかな と、一夜のことに話題を変える。

 「小学校に一緒に通いだした頃は、どうしょうもないくらいやんちゃでね〜。あいつを 手なずけるために、空手を始めたくらいだもん」
 「へえ〜」
 「野生児って言うか、ケダモノそのものって感じで。学級どころか学校そのものを崩壊 させるんじゃないかってぐらい暴れてた。言葉とかも全然片言だったくせに妙に人気者で ね。あんたおかしいよって言っても、『向こうでは狼と仲良くなれたから、関係ない大 丈夫』って、いや、今の場合あんたが狼なんだけどって突っ込んでも通じないし。あいつの 尻拭いばっかりさせられての苦労したんだから。高学年になって言葉もうまく使え るようになってからは少し落ち着いたんだけど」
 その頃の苦労が蘇るのか、はあと息をつくのぞみ。そのわりにはニコニコして話してい た。今の零との関係といい、のぞみは人の世話をやくのが好きなのかもしれない。

 「まあ、ホントに大変だったのは、中学に入ってからなんだけどね・・」
 陽気だった声のトーンがすっと落ちた。

 「?」
 「小学生の時、はしゃぎすぎた反動なのかな?中学になると急に笑わなくなったの、お昼 とかに物を食べなくなって、そのくせ身長はぐんぐん伸びてガリガリでね、気持ち悪いっ たらない。クラスでも浮いてたし、いじめられていたのかな〜って心配したけど。腕力じゃ 、高校生でもまともに相手できるやついなかったから。・・・・あいつがいるだけでクラス中がギリ ギリ緊張して、息苦しくてたまんなかった。中学の時は給食があって、一回だけ担任が、無理や り食べさそうとしたんだけど・・・」
 今思い出してもつらいのか、口をつぐんだ。零が、うつむいたのぞみの顔を心配そうに見詰 めている。

 「あの苦しみかたは普通じゃなかった。七姫さんはアレルギーだっていってたけど・・ ・・、まるで毒でも食べさせられたみたいに、吐いてのた打ち回って。そのことがあってか ら、ますますクラスで浮いちゃって・・・」
 「「・・・・」」
 「あの頃の一夜は、目を離すと何処かへ行っちゃいそうで怖かった。でも、あいつはいつ でもあたしのそばにいたから・・・・いつもそばにいたから、・・・大丈夫だって・・・」
 遠い目で喋るのぞみを見て、ふと紗奈は思った。一夜がのぞみのそばにいたのではなく、 のぞみが一夜のぞばにいつもいてあげていたんじゃないのかと・・・・


       
 *



 空調が悲鳴をあげながら冷風を送るが、闇にこもる熱気はいっこうにその覇気を衰えさせる 気配がない。

 おぼれそうなぐらい湿ったシーツの上で寝返りを打つと、脚がパソコンを置いた机を蹴った 。音をたててモニターが再生し、光の入らない部屋を照らし出した。

 部屋の壁には洋書や巻物が詰まれ、怪しげなオブジェがその前に無造作に転がっている。 モニターの光に重い瞼を開け、シーツから上半身を起こす。こぼれる汗が、身に着けた黒のキャ ミとショーツを濡らし、肌に張り付いて気持ちが悪い。朱色に染まった喉をポリポリ 掻きながら、軽いあくびをかみ殺す黄泉塚七姫は、ぼんやりと部屋の様子を見回す。
 床について眠 ろうとした記憶がないから、気絶して寝床に倒れこんだのだろう。キーボードの脇に散らば る眼鏡の一つを取り、かける。机の横にある小さな冷蔵庫の扉を開け、製氷機に溜まった氷 の塊りを掴んで口の中に放り込む。ボリボリと噛み砕きながら扉を閉じると、そばに少年が 立っていた。にごった瞳が七姫を見下ろしている。

 「ピアスヲフヤシタ方ガ、イイノデハ?」
 手に持っていたタオルを渡しながら進言する。

 「今、こうなっているのは狩りの反動だし、我慢しないとね。あんまり安易にピアスを 使かって、体に耐性が付くほうがやばいし」
 タオルで体を拭うと、立ち上がりモニターに向かっていた回転椅子をくるっと回し、どっかと座り 込む。背もたれと肘掛に体重を預けて、暗いままの天井を見上げる。あふれ出る陽の気に で氷は蒸気になり、息をつく唇から、白い靄になりこぼれでる。自らの疲労を少年に隠す余裕 はない。

 「大変デスネ・・・」
 「そうでもない。完全にこうなってしまえば覚悟ができるから、慣れるとまで言わない けど耐えることができる。・・・・つらいのは、一(イチ)だよ」
 「・・・・?」
 「巫病のような状態でね。なるまでのほうがキツイの。日の光を浴びただけで、焼かれ るような感覚があるはずなのに、普通の生活を捨てることもできない。なまじ頑丈な体な ばかりに・・・すごく中途半端なんだ・・・」
 そう言う七姫の肌からまた汗が吹き出ている。天井を睨む目が、わずかに細まる。

 「・・・・バカだね、一は、ほんとバカだね。私は言ったの、のぞみちゃんを大事に思う なら、犯せって。どうせいつまでもそばにいれるわけないんだし、嫌われても憶えてもらえる ような傷を残してしまえって。・・・言う通りにしないから、あんなツライ思いして・・・」
 「・・・・」
 七姫の言うことが、この数週間一緒にいただけの少年には理解できない。
 この姿になって 一度だけ彼は一夜に会った事がある。一夜は彼をちゃんと認識できた。闘ってはいけない 場所で、一夜も少年も万全ではなかった。だが、七姫がいなければ彼は仕掛けてきただろ う。そして自分も、喜んで対峙しただろう。一度負けているはずなのに、どうしてか彼と いるとらしくない感情が込みあがるのだ。
 モニターの光に照らし出された陰影の濃い少年の顔に、七姫はあることに気付いた。物 思いにふけっている少年に声をかける。

 「・・・これかけてみてくれない?」
 机の上にある眼鏡の一つを少年に渡す。少年が言われるままにすると、七姫は納得した ようにうなづき、口を開いた。
 「・・・どこかで見たことある顔だなって思ってたけど、・・・そうか、ネコ耳のお兄さ んじゃない。・・・忙しくて、目を通さなかったけど人探しの依頼が・・・」
 半身をモニターに向けてマウスをいじる。メールの一つを開封した。

 「ああ、やっぱりあんただ。・・・う〜ん。・・・そろそろその子から離れてくれると うれしいんだけど・・」
 モニターを見たままお願いしたのは、断られることもあるだろうと考えたからだ。だが少年は素直に受け入れた。
 「私ノ『真名』ヲ知ッテイル我ガ主ヨ、ソレハ貴方ノ自由デス。タダ・・・」
 「うん、分かってる。病院を用意させておく。狩りでは無茶させちゃったもんね。あり がとう助かった。あんたがいなかったらやばかった」
 褒められて嬉しそうに目を細める少年。そういった仕草は、宿った少年に影響されてい るのだろうか?一度一夜に敗れていると聞いたが、その実力は七姫でも測りきれないこと がある。一夜も守るものがある時、えげつないところがあるから、その力を出させる前に 潰したのかもしれないが・・・・

 「私モ、ラッセルヲ知ル者ト、仕事ガデキテ楽シカッタデス」
 「え?」
 その言葉に七姫が驚く。

 「バイブルコレクターニ封印サレテ三十年チカク経チ、目覚メタ時ニハ彼ハ死ンデイタ。 彼ノ『聖書』ヲ知ル者ハイテモ、彼自身ヲ知ル者ハ、ホトンドイナクナッテシマッタ」
 「そうか、あんたは・・・」
 『真名』を知るとはいえ、あまりに従順な態度を悪魔ゆえの気まぐれかと思っていた。 しかしそれは誤りだったのかもしれない。

 「最後ノ審判ハ、マダナノデショウカ?ラッセルハ言ッテイマシタ、自分ハ地獄ニ堕チ ルダロウカラ、ソノ時ハ一緒ニ行コウト」
 「あの堅物がそんなことを言ったの?」
 「ハイ」
 「ふうん、そう」
 にごった瞳を細める少年に、七姫は笑顔を浮かべて立ち上がる。冷蔵庫の扉を開けて、冷 やしていたグラス二つを取り出し、氷を入れる。同じく冷蔵庫の中に転がっていたウイスキー を取り、封を切りそれをグラスに注いだ。一つを少年に渡した。

 「アノ、私ノ体ハ・・・」
 「いいじゃん。ちょっとだけ付き合いなさいよ」
 「ハア・・・」
 「人生最大の愉悦て、何か知ってる?」
 「ナンデショウ?」
 「人を置いてけぼりにして死んじまった馬鹿の悪口を肴に酒を飲むことよ」
 にっと笑って、少年のグラスに自分のグラスを打ち鳴らした。

 「あの大戦を一人で止めようとした大男に」
 少年もニコッと笑って答えた。
 「悪魔ヲ魅了スル、不埒ナ悪魔祓師ニ」
 濃いアルコールを二人は一気に飲み干した。


             
 *



 耳慣れぬ小鳥が、気持ち良さそうに鳴いている。沈んだ気持ちを紛らわすように、のぞみは 銀杏の枝に間にその姿を探すが見つからない。

 「高校に入ってからも、一夜は同じ感じだった。・・・でもね、去年の今頃、一緒に学校 に行ってる時に、本当に久し振りに笑って話しかけてきたの。それがね、・・・・・あっ!・ ・・・・・・・・・・」
 「「・・・・?」」
 楽しげに喋りかけたのぞみが、急に口をつぐんでしまい、零と紗奈は不思議そうにその顔を 見つめる。
 のぞみは思い出したのだ。一夜が小学生の頃みたいに無邪気に笑って、『クラスに変な奴が いてよ〜』と話し始めたのが、遊馬のことだったのを。以前の野蛮なやんちゃさはなかったた が、それから一夜は陽気さを取り戻した。人当たりのいい遊馬をかいして、クラスの生徒とも 仲良くやっているようだった。中学の頃が嘘のように、一夜は変わった。
 そう、はじめてその名前を聞いただけで遊馬が気になったのは、間違いなく一夜の笑顔だっ た。どうしてそのことをすっかり忘れていたのだろう。胸が痛いほど高鳴り続けている。自分 は何か大切なことを気付かないでいる。そんな気がした。

 「黄泉塚を変えたのは、結城なのではないか?」
 黙りこんでいるのぞみに助け舟を出した零。胸騒ぎを抑えながら、のぞみはうな ずいた。

 「・・・うん。多分遊馬だと思う」
 「そうか、やはりな」
 銀杏の葉を見上げる零。その表情はどこか納得した感じだった。

 「・・・・?・・・あの・・」
 不思議そうな紗奈に零は気付いた。自分が遊馬と一夜の関係で感じたことをそのまま口 にすることはのぞみの手前できない。慎重に言葉を選びながら、その視線に答える。

 「あいつには、ここに吹く風のように、どこか人を穏やかにさせるところがあるんだ」
 「そうなんですか?」
 「ああ、そばにいるだけで、心の棘を溶かしてしまうようなところがな。・・・ああ、 そうか、・・・少し違う感じだが、紗奈にもそんなところがある。うん、お前達は似ているん だな、・・・だからか・・・」
 『・・・だから、どうしてもお前を憎むことができなかった・・』という言葉を零は飲み込んだ。ただ微 笑んで紗奈を見詰めている。そのやさしい視線と、遊馬に似ていると言われたことに、紗奈 は頬を赤らめてうつむいてしまった。

 いつのまにか、会話の蚊帳の外に置かれたのぞみ。けれど、零と紗奈が普通に話をして いるのに気を良くした。胸のざわめきを無視して、二人に声をかける。

 「そういえばさ〜、気付いている?一夜と遊馬ってね・・・」
 とっておきの話をのぞみは、聞かせた。零と紗奈はその話に興味を持っただが、どこか 半信半疑のようだった。その時、噂をすればなんとやらで、とぼけた声がした。

 「お〜・・・。めずらしいメンツだな」
 道場の影から、だらしない足取りで一夜が現れた。衣替えの季節は過ぎているのに何故か 長袖の制服のままだった。
 銀杏の陰に入る一夜と目があった紗奈がペコッとお辞儀をした。
『京極屋』のプリンをおごってもらった時、一夜は遊馬を連れてきてくれた。お店には二 階に小さいスペースながらお菓子とお茶を出すところがあることを、紗奈に耳打ちすると、用が あるからと二人を残して出て行ってしまった。

 「どうしたの?」
 のぞみが一夜に声をかける。一夜を見て胸の高鳴りはひどくなったが、そのわりにいつも と変わらない自分の口調に、少し気が軽くなった。何を気付かないのかは分からない。でも それより一夜と普通に喋れるほうが大切な気がした。

 「遊馬を探してるんだが、知らないか?目が覚めたらいなくてよお〜」
 「あ、それなら。おねえちゃんと一緒です。屋上だと思います」
 問いに紗奈が答えた。屋上という言葉に、一夜は露骨に嫌そうな顔をする。

 「げっ、屋上かぁ、あち〜だろ、あのバカ・・・」
 「・・・長袖を着ているお前が言うのか?」
 零が無表情に突っ込みを入れた。

 「あん?」
 眉をひそめて、一夜が零を睨んだ。だが、零の足元に置かれている弁当入れの手提げ袋に 気付き、顔を強張らせた。その態度に零がまた無表情に尋ねた。

 「なんだ?」
 「・・そ、それは弁当か?・・・お前が作ったのか?」
 何故かニ三歩後ずさる一夜。震える両拳を握り締め、ファイティングポーズをとっている。

 「いや、母親が作ったものだ。・・・それがなんだ?
 あくまで無表情だが、言葉に静かな怒りが満ちている。

 「いや、それならいいんだ。・・・ああ、世界は平和だな〜」
 構えをといて、ほっと息をつく一夜。過去の悪夢を払拭するように、遠い目で青い空 を見上げる。何故か零が、そのまま斬り付けそうな気配だったので、のぞみがあわてて話を 変えた。いつのまにか一夜と二人が自然と会話していることに驚いてもいた。

 「一夜、昼飯は食べたの?」
 「ん〜。まだだけど」
 「そう、ちょうど良かった」
 のぞみは紗奈の足元にあるレジ袋をごそごそする。

 「あ、あった。紗奈ちゃんこれいいよね?」
 「はい。どうぞ」
 紗奈がうなずいたので、手にした紙パックの野菜ジュースを、のぞみは一夜に差し出した。

 「お?」
 「はい、あげる。コレ好きでしょ?」
 「・・・・」
 「なに警戒しているのよ?紗奈ちゃんが遊馬のために買ってきたけど、部長にさらわれて あまったやつよ。遠慮しなくていいから」
 「いや、お前のことだから、なにか裏があるんじゃないかと・・・」
 「あ〜っ?」
 「あっ、うそうそ!じゃ、遠慮なくいただくぜ」
 のぞみからジュースを受け取ると、一夜がにっと笑った。

 「「「・・・・」」」
 その顔を三人が息を止め凝視している。それに気付いた一夜。言葉をかけようとすると、 零は横に顔を背け、紗奈は顔をうつむき目線を反らした。その頬や肩が小刻みに震えている。

 「・・い、一夜〜。・・・あ、あんた、遊馬のとこ行きなよ・・・」
 のぞみだけが一夜を見上げていたが、何か感情をこらえているのか、口調がしどろもどろだ。

 「なんだよ、お前ら」
 「い、いいから!あっちいけっ!」
 野良犬を追い払うように、シッシっと手を振るのぞみ。遊馬の居場所も知ったし、ジュース ももらったので仕方なく言われる通りにする一夜。柔道場の影に戻った時、どっと笑い声が聞 こえた。振り返ると、ベンチの三人がこっちを見て笑っている。のぞみなんかはこっちを指し て腹を抱えている。

 (なんだ〜っ!)
 ムカついて戻ろうとしたが、体がこれ以上光にあたるのを拒んでいたので、一睨みして背を 向け歩き出す。パックからストローをちぎって差し込み、ジュースを飲むが、怒り はおさまらない。

 (ったく、タダほど怖いものないってこのことだな!)
 少しぬるくなったジュースを飲み干し、一夜はむくれた。


 ベンチの三人は、一夜が視界から消えても、笑いが絶えない。

 「ふふふふ。なるほど、言われて見ると、まったくそのとおりだったな」
 「私、笑いこらえるの必死で、息できませんでした。もう、苦しくて、あはははは」
 『三無しの風霧』といわれた態度はどこへやら,すっかり破顔した零。可笑しすぎて目じりに溜まった 涙をぬぐう紗奈。のぞみも笑いながら、うなずき答えた。

 「でしょ?一夜と遊馬って笑い顔、そっくりなんだ」




           
END





 

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 「sunset」 

−「box lunch」後のお話−


 黄昏に染まった街を、黒の外車が低い排気音をたてて進んでいる。帰宅時間と重なり混み始めた道路を、 その大きな車体を感じさせない足取りで、すり抜けていく。

 大きな交差点を曲がり、細い路地に入り込んでいった。学園帰りの生徒達が、侵入してきた車に驚いて道 をあける。少し行くと樹木を蓄えた大きな公園が視界に見えた。その入り口に、同じタイプの車が並んでいる。 車はその列の後ろに静かに止まった。

 運転席から黒のフロックコートとスリムなスラックス、ベストをそつなく 着こなす男が出てきた。ウイングカラーシャツにつける黒い蝶ネクタイがだけが、わずかにだらしなくゆるんでいるのは、鍛錬のため発達した太い首のせいだが、灰色の長髪にうなじが隠れるために、それに気付くの 者は少ない。前の車の脇に立っていた黒い背広を着た男が小走りで近づいてくる。

 「公園の封鎖は完了しました」
 「お嬢が出る。人を配置しろ」
 「はい」
 うなずいた黒服は公園のほうを振り返り、指笛を吹いた。公園の入り口からぞろぞろと黒服の男達が出てく る。長髪の男は用心深く公園を囲む住宅に目をやる。ここを見下ろすような高層マンションがないことを確かめ ると、後部座席のドアを開けた。

 広々とした座席の中央に、通っている学園の制服をつけた少女が座っている。今街を染める黄昏の色のツイ ンテールの髪が、執行部の人間だけがつけることを許されるという黒いセーラー襟にかかり優美なながれを つくっている。
 襟から伸びる首は細く白い、白磁の陶器の持つ温かみでなく、鍛え抜かれた刀剣の冷たさが その白さにある。だからこそ、その切れ味を確かめてみたくなる危険な衝動がこみ上げる。
 きつい感じを与える目が、冷ややかにじっとこちらを見詰めていた。だが、それに構わずその目を見詰め返 せば、その心根の優しさが緑がかった瞳に映るのを人は見るだろう。

 「着きました」
 「そう」
 ほんの少し唇を開き答える少女。気丈な子だ。扉を開けた瞬間飛び出したかったはずなのに、 それを必死に隠し平静を装っている。男が手を伸ばすとそれを支えに、少女は車の外に出た。歩道は黒服 たちに封鎖されている。少女はツインのポニーを揺らして、公園の入り口に進んだ。
 その歩調が少しづつ 速まっていく。男は歩幅を広げて、歩みのピッチをあげる。あくまで自分のスピードに、少女があわせている ように見せるために。

 噴水の前を通り過ぎて、ジャングルジムや砂場ブランコなど子供達の遊戯施設がたたずむ一角に、黒服 の男達が固まっている。二人の歩みをその壁が阻んだ。自分の何倍もの質量がある男達を見上げる少女 に、微塵も臆するところがない。

 「どきなさい」
 静かな口調に、男達がはじけるように道を開けた。急造の黒い壁の先に、どの公園でも良く見かける凡 庸なベンチが見えた。少女と同じ学園の制服を着た小柄な少年が横たわっている。衣替えの季節は過ぎたのに 何故か長袖のままだった。瞼を硬く閉じたその顔に生気がないのが、遠くからでもわかった。

 「・・・・」
 少女が小さく息をのんだ。その顔が青ざめている。倒れることがないように、その肘に手をあてて男がベン チに導いた。近づくと我慢できなくなったのか、少女がベンチに駆け寄った。

 「・・・ふ、藤宮くん?」
心配そうに声をかけるが、少年は何の反応も示さない。少女の肩越しに少年の顔を見て男は、眉をひそめ る。報告を受けていたが、予想以上に酷い状態だった。少女が男を振りかえった。動揺を、必死で隠そうと している。

 「藤宮くんを車に」
 「待ってくれ、救急車を呼んである」
 「なにを言ってるの?車ならいっぱいあるでしょ?」
 なだめるように怒りで震える華奢な肩に手をのせる。少女の横に同じようにしゃがみ説明する。

 「少しでも振動をあたえたくない。外部からではわかりにくいが、内部にだいぶダメージを負っているらし い」
 そこまで近づき、少年から微かにアルコールの匂いが漂うっているのに気づいた。

 (死者へのはなむけとでもいうのか?・・・あいつ・・・)
 ぎりっと歯軋りする男。男の様子に少年が酷い状況であることにを感じたらしい少女。

 「誰?誰なの?誰がこんなひどいことを」
 「お嬢おちつけ」
 「十郎、答えなさい!」
 あふれ出す怒りの感情に、少女の語気が乱れた。その時、かろうじて聞こえる言葉が男と少女の耳を掠 めた。少年を見る二人。弱々しく光る瞳が、少女を見上げていた。

 「・・・、お姉ちゃん・・・」
 「藤宮くん」
 少女が少年に近寄る。

 「・・・・あ、秋奈お姉ちゃん?・・・」
 年相応でない幼い口調。少女が戸惑っていると男が冷静に判断し助言を与える。
 「脳にもダメージがある可能性がある。それによる記憶の混乱か・・・、ともかく付き合ってやれ、安心さ せるんだ」
 コクンとうなずき少女が語りかける。

 「・・藤宮くん、大丈夫?」
 「・・・・・。・・・お姉ちゃん?・・・・」
 その呼びかけに少年の反応が鈍い。瞳には映っているはずだ。視力がないのか、判断できないだけなの か。じっと見詰める少女が、そのことにひどく動揺している。何か言うべき言葉が思い浮かんだのだろうが、 何故かためらっているように見えた。誰かを探すようにさまよっていた瞳の動きが止まった。瞳が光を失い、 重たげな瞼が閉じようとしていた。少女がその胸の内いっぱいに満ちていた言葉を、やっとの思いで吐き出 した。

 「・・・トモくん・・・」

 顔を赤らめて、握り締めた両手を胸に押し付けながら、少女が囁いた。降りかけようとしていた瞼が止ま る。
 「秋奈お姉ちゃん」
 少年の腕がピックと動き体から離れる。震える手が少女に伸びたが、途中で力尽きたのか落ちる。少女 があわててその手を取り、胸の内にぎゅうっと握り締めた。

 「うん、そうだよ、トモくん。わたしだよ」
 「・・・・・?・・・どうしたのお姉ちゃん?・・・おなかが痛いの?・・・誰かにいじめられた?」
 その言葉に男は少女がポロポロと涙をこぼしているの気付いた。

 「ううん、なんでもないよ、なんでもないの」
 「・・・でも・・・」
 血の気のない顔が心配そうになった。自分のダメージに無自覚なのだろうか?それとも、その痛みより 少女のことが気になるのだろうか?男はこのまま会話を続けさせていいか判断しかねた。もし仮に、前者 なら、かなり最悪の状況だった。

 「えへ、違うの。トモくんに、あえたから、うれしかったんだ」
 「・・・・あ、・・・うん」
 涙をぬぐうことなく優しい笑顔をうかべる少女。安心させるように少年の頬をなでる。すると、土色の 頬に生気が戻った。はずかしいそうに、そして、うれしそうに瞳をほそめる。しかしすぐに、その顔が苦痛に ゆがんだ。『・・・・くっ』と体を震わし、声をもらした。

 「と、トモくんっ!」
 「お嬢、言葉を続けて、いい兆候だ、苦痛が戻ってきた」
 「?」
 「痛みは、肉体が生きることを選択した証だ」
 「・・・・・!」
 見詰める少年の体が、激しく震えだした。その度に、その瞳に強い意志がこもりはじめる。

 「・・・あ、秋奈お姉ちゃん・・・」
 「なに?トモくん?」
 苦痛にうめきながら必死にその名を呼ぶ少年。少女は握り締める手に力を込めて尋ねる。見上げる瞳に ポロポロと大粒の涙が溢れこぼれていく。

 「・・・待ってたんだ、ずっとここで。・・・公園で・・」
 「・・・・え?」
 「・・あ、会いたくて、・・・遊び・・・たくて・・・、ずっと・・・来てたんだ・・・」
 「・・・・・」
 少女が絶句する。人がこれほどまでに流すかと思うほどの涙が、その頬に零れ落ちた。

 「・・・でも、・・・いつまで・・・待っても、・・・来なくて・・・、・・・凛も、いなし・・・ずっと・・一人で ・・・ずっとさびしくて、・・・・」
 少女が少年の頭を抱き寄せる。その頬に頬を寄せて泣きじゃくりながら、あやまり続ける。

 「っ・・・・、ごめんね・・・くう・・・ごめんトモくん、ごめん」
 「・・秋奈・・・お・・姉ちゃん・・・、・・・また、・・・あ、・・遊んで・・・くれる?・・・」
 「うん・・遊ぼうっ、・・・いっぱい、遊ぼう、トモくん、また以前みたいにいっぱい遊ぼうね」
 「・・・ああ、・・・よ・・かった・・・」
 そうつぶやくと、涙をこぼす瞳を瞼がおおった。

 「・・・・?・・・・トモくん・・・?」
 力が抜けた少年に気付く少女。少年を抱きしめながら、男を見上げた。

 「・・・十郎?」
 「大丈夫だ、苦痛が勝って意識がとんだだけだ。・・・お前の言葉に安心したんだ」
 「・・・・」
 「ともかく、ベンチに体を戻そう。・・・腕を離すんだ」
 動揺させないように、男は声のトーンを落として話しかけた。だが、それはかえって少女の不安を沸騰さ せてしまった。

 「・・・・。・・・・な、なにを言ってるの?十郎」
 「・・・お嬢?」
 怯えるように少女は少年の体を抱きしめた。

 「・・・・いやっ、いやよ!」
 「お嬢、振動をあたえるべきではないんだ。・・・さあ、」
 「いやっ!絶対にいや!!トモくんは渡さないわ!」
 「だから・・・」
 「トモくんっ!トモくん、起きて!起きてよう・・・やっと、・・やっと、昔みたいにおしゃべりできた のに・・・」
 泣きじゃくる少女の顔を男は両手で掴んで叫んだ。

 「秋奈っ!!!」
 「・・・・・っ!」
 その怒号に、少女は体を竦ませた。涙を溢れさせる瞳に、男は語りかける。

 「・・・いいか、よく聞け。俺はその子を見殺しにしない。殺したくもない。救急車が来るまで、ベンチで安 静にしなければならないんだ。・・・わかるな?」
 「・・・・・・」
 少女は答えない。だが、それを同意と受け止めた男は、その腕から少年を離しベンチに寝かしつけた。黒 服の一人の上着を脱がしてその体にかけた。

ベンチのそばで、うなだれ落ち込んでいる少女。どうすればい いのか、わからなくなって、オロオロしている。男はその手を取って、少年の手を握らせた。

 「声をかけてやれ」
 「・・・・・」
 「意識はなくたって、思いっていうのは通じるもんだ」
 少女は握った手に両手を絡めて、涙のこぼれる頬にあてた。瞼を閉じる少年に、震える声で語りかける。

 「・・・トモくん、・・・・トモくん・・・がんばれ、・・・・トモくんがんばれ・・・がんばれ・・・」
 泣きじゃくりそうになるのをこらえながら、少女は必死に励ます。

 「・・・・・」
 自分らしくなく感情を高ぶらせたことに男は後悔していた。少女の姿が痛々しくて、黒服の輪から抜け出 ると、マナーモードにしてあるケイタイの振動が伝わる。いつもの非通知を確認しながら電話に出た。

 「すっかり平和ボケしてるんだね十郎。依頼人を交渉の場にのこのこ連れてくるなんて」
 冷ややかな言葉に、男は周囲を見回した。高層マンションは近くには見えない。何より公園の樹木 が視界を遮る。封鎖される危険がある樹木の中に身を潜ますミスを犯す相手ではない。夕闇が濃くなった 公園に、外灯がともり始めている。そのいくつかに防犯カメラがついていることに気付いた。ベンチそばにあ るカメラが、不自然に下に向けられていた。

 「・・・・っ!」
 鋭い呼気を発し、腕を降る男。服の袖に隠しこんだ投擲用ナイフが、そのカメラのレンズを貫いた。

 「あははは、だめよ、公共物壊しちゃ」
 「どういうつもりだ、貴様」
 高ぶる感情を抑えて男は話す。
 「ん?何が?」
 「あの少年の体だ」
 「別に〜、あんたの依頼って、生死を問わないが基本じゃん?生きてるだけ感謝して欲しいね」
 「・・・ハイエナが」
 「いいわよ〜悪態大好き!もらえるもんくれるなら、いくらでも言って!」
 「・・・・・」
 あきらかにこちらの感情を乱して楽しんでいるふしがあり、男は相手にしなかった。

 「あらあらさすが十郎ちゃん大人ね。えらいからお姉さんがアドバイスをあげる」
 「・・・・・?」
 「その子を、棗家の息がかかる病院に連れて行かないほうが賢明よ」
 急に真剣になった口調に男が尋ねた。

 「なに?」
 「鳳火がその子に興味を持ちはじめている」
 「鳳火、藤宮の本家だろ?・・・・これも鳳火のしわざなのか?」
 「ああ、そうなったのは別の話。けど、それをきっかけに関心をもたれたみたい。棗家と藤宮の関係は知 ってる。けどそれが鳳火と棗となれば立場は逆転する。私達みたいなら雑魚なら、無視するだろうけど、 棗はなまじ大きいから目をつけられたら・・・・」
 「・・・・・」
 「私がいいって言うまで、そこのお嬢ちゃんとその子をあわせては駄目。あんたも変な気を起こさないで 大切なお姫様の子守に専念して、いい?」
 「・・・・わかった」
 男がうなずくと、相手の口調がまた元に戻る。

 「で、さっそくなんだけど、報酬の話しいていい?」
 「いつもの口座でいいんだろ?」
 「あ〜そうじゃない。秋津ちゃん貸してくれない?」
 「・・・・・、お前・・・」
 「ああ違う、やましい意味じゃない。最近仕事が忙しくてね、真剣にヘルプが欲しいの」
 「・・・・」
 「あんたが許さないと、日本にこれないんでしょ?あの娘」
 「考えておく」
 「なるべくはやくね」
 「ああ」
 ケイタイをしまうと、救急車のサイレンが聞こえてきた。黒服を掻き分けて、少女のところに戻る。相手の情 報が確かなら、ここで少女と少年を引き離すべきだ。だが、それをすればどれだけ少女が傷つくのかも想像 できた。

 (せめて数日、そばにいさせてあげよう。説得はその後にすればいい・・・)
 それが少女にも、少女の家にもいかに危険であるかは痛いほどわかっているが、今は少女の感情を優先 することしか考えられない。

 (確かに俺は、平和ボケしたのかもしれないな・・・)
 まだ点灯したばかりの外灯よりも、強い夕焼けが公園をオレンジと黒に色分けする中、 少年を励まし続ける少女、棗秋奈を、まぶしそうに庵十郎は見詰めた。



                       
 *




 モニターの光しかない部屋で黄泉塚七姫は、少年が担架に乗せられて救急車に入る映像を見てい た。付き添うように、ツインテールの少女と長髪の男が乗り込んでいくのを見て、ため息をつくとモニターの 画面を変えた。
 その背を少し離れた場所から神無静流が眺めている。マウスを動かしながら七姫が静流に声をかける。

 「ごめんね、あの子についていた悪魔が、離れ間際に、この子と自分は波長があうから記憶が残ってし まう可能性があるって言いだしてね。うん、助かった、とりあえず貸し+1引いとくね」
 「・・・・・」
 画面には人の名前と+―のついた数字が並んだ表が映っている。黄泉塚一夜と結城遊馬が恐れ噂す る『貸し借り帳』のようだ。静流は黙って視線を向けている。その先にあるのはキーボードの横に置いてあ る使い込まれた古い聖書。『ラッセルの聖書』だった。

 「でもおかしいわね。わたし紗奈ちゃんに頼んだんだけど・・・?」
 「紗奈も貴方に会いたがっていました。でも、やめさせました。貴方は危険だから」
 『あははは』と笑いながら、座っていた椅子を回転させて静流に向き直す七姫。肘あてに肘を乗せた腕 に軽くあごを乗せてニヤニヤしてる。

 「ふーん、それがわかっててここに来たなら、覚悟はできてるんだ」
 「・・・・・」
 「本当にできてるみたいね。やる気満々って感じ?」
 「・・・・・」
 「・・・ん?殺る気まんまんかな?」
 その言葉が終わる前に静流が飛んだ。ぎりぎりと張り詰めた弓から解き放たれた矢のように。伸びた爪 が。なんのためらいもなく、七姫の目を狙っていた。『聖書』を使わせないために・・・。

 「−golden eye−
 七姫は落ち着いて、静流の『真名』をつぶやいた。だが、その勢いは止まらない。そのスピードに、たまね ぎの外皮がはがれるように、静流のイメージがペリペリとはがれ飛んでいく。静流を連想させるために首に かけていただけの赤いスカーフが離れ飛んだためだ。そのイメージの中から飛び出たのは、くせのない長い 白亜の髪をなびかせ、豊満な肉体を赤と黒のプロテクトで覆った淫魔。静流と紗奈の母、芹亜だった。

 赤みを帯びた金色の瞳。伸ばした爪が七姫の目にますっぐに貫くのを確信した瞬間。その爪先が切断 された。

 「・・・・!」
 芹亜は見た。自分と七姫の間に少女がいることを、その手に爪を切断した細いワイヤーが張られているこ と。黒い大きな羽をはばたかせて、後方に着地する芹亜。今の今まで、芹亜ですら、その気配を感じること ができなかった。背後の扉は閉められている。少女はずっとこの部屋にいたのだ。

 クラシカルなロング丈の黒のメイド服の上に、フリルのついた肩紐がパフスリーブにかかるアリスエプロ ン。まるで来客を出迎えるように白い袖口から伸びた小さな手が、エプロンの前で組み合った。紗奈ほど 背丈のわりに不釣合いなほど大きな胸のふくらみが、そのせいで際立って見える。灰色に近い銀色の 長髪が東南アジア系を思わせる焼けた肌に、不思議とマッチしていた。微かに赤みがかった瞳を細めて そのメイドは穏やかな笑顔を浮かべた。

 「お客様、おイタをしてはいけませんよ」
 「・・・・・」
 「その女は、幻術を使う気を付けて」
 「はい七姫様」
 そう言った瞬間、何かがポトッと落ちる音がした。その音に芹亜の意識がそれた瞬間、メイドは姿を消し た。

 「・・・・?」
 標的を見失う金色の瞳。見詰める視界が一つのラインで区切られていることに気付いた。ワイヤーから逃 れようと身をかがめようとしたが、翼ごと腕を回されてさがることができない。後ろの相手に打撃を加えれ ば、その反動を利用されてワイヤーは芹亜の肉を面白いように切り刻むだろう。
 しゃがむことをあきらめた 芹亜はメイドの足ごと床をけり、天井に跳んだ。得体の知れない相手が二人では、部が悪すぎると感じた 芹亜はそのまま天井を抜けて外に抜けようとした。
 だが、その体が天井のボードを抜けようとした瞬間、強い衝撃が体を弾き飛ばした。衝撃に顔をゆがめな がら、狭い飛翔空間で体を反転させて床に四つんばいに着地する。
 きっと見上げた視界がまたライン に分断されていた。 伸ばした羽が背後でないと教えていた。左右に金色の瞳が泳ぐ。相手の位置を掌握 しなければワイヤーから逃れる方向が判断できない。ふっと血の匂いが鼻腔をくすぐる。

 「・・・・!」
 すっと視線を下に向けると、四つんばいになった手足の間に、メイドがもぐりこんでいた。頭に回されたワ イヤーを締めようとする腕を、芹亜は掴んだ。けれど、その腕の動きが止められない。爪を伸ばしその腕の 腱をえぐろうとしたが、長袖の下には何か潜ませているのか、爪が肌まで届かない。
 金色の瞳が相手を睨 みつけるが、相手は涼しげな表情のままだった。

 相手の腕に体重を乗せて、その上で倒立するように足を上げる。黒い翼を羽ばたかせ加速し、一気に腹に膝蹴 りを叩き込んだ。ここにも何か仕込んであるのか膝に激痛が走る。だが、蹴りの衝撃で床に沈んだ相手の 体が、空中に弾き飛ばされた。天井からの脱出を妨げた結界の障壁が床にも張り巡らされていたのだ。

 芹亜は吹き上がるメイドの腕を蹴り飛ばし、ワイヤーから逃れる。その反動のままバクテンし着地し再び 構えを取る。床に横たわるメイドに起きるなと念じたが、しばらくしてゆっくりと立ち上がる。あの笑顔を浮か べながら。

 「・・・へえ、自分がやられた結界をすぐ利用するなんて、こなれてるね」
  二人の戦いを見ていた七姫が感心する。その七姫にメイドが話しかけた。

 「七姫様、このお客様殺していいですか?少しイライラします」
 「駄目よ、生け捕りにして、この手のタイプが罠にかかるなんてめったにないんだから・・・」
 「・・・・」
 「・・・ん?」
 「・・・・嘘つき」
 戦闘中にもかかわらず、メイドは芹亜から目そらし、振り返った。

 「・・・・・」
 「お兄様に許しを得たと聞きました。だから貴方の仕事を手伝いました」
 その顔から笑顔か消えていた。同じ部屋にいたのなら、庵との会話を聞いていたのだろう。だが、睨みつ けられて七姫は、我慢できないように笑い出した。

 「あははははは!本当にまっすぐで可愛いね、秋津ちゃんは」
 「・・・・・」
 「わたしと十郎の過去を知るなら、そんな話絶対無いって分かっていて日本に来たんでしょ?わたしに騙 されたと言えばあいつも納得するしかないんだから。そうまでして会いたいんだよね?お兄様に。いいわ喜 んで悪者になってあげる」
 「・・・・・」
 その話に耳を貸すメイド、庵秋津の表情がゆらめいでいる。

 「十郎はしばらく、あのお嬢様の代わりとして、あの少年を見守ることになる。棗家の外なら、十郎も嫌がらな いんじゃない?違う?」
 「・・・・そう」
 表情のゆらめきは続いている相手を油断させるための笑顔は作れても、本当に心の底から喜んだ時どん な表情をすればいいのか秋津は知らない。

 「さあ、仕事を済ませて頂戴。これをはやく付けないといけないから・・」
 「・・・・!」
 そう言って七姫が床から拾い上げたものを見て、芹亜の表情が険しくなった。七姫が大事そうに持ったも の、それは幻術封じに関節で綺麗に切り落とされた、秋津の左手の薬指だった。

 「はい七姫様」
 床を血に染めながら、秋津が振り返る。穏やかな笑顔を浮かべて。

 「あ、そうだ。口と耳は残しておいて、その女には聞きたいことがたくさんあるから・・・」
 そう言うと、二人に興味をなくしたようにモニターに向き直す七姫。マウスをいじり画面に映るのは『貸し借 り帳』。軽やかにキーボードを叩き、『庵秋津』『神無芹亜』の名前を打ち込んだ。




END





 神楽さん届きましたか?『ばりテン』SSは、また日を改めて。これは少しフライングです。
 このお話は隠れSS第一弾です。どうか内密に願います・・・

 

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