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「失礼しました」 ペコっと頭を下げて、職員室を出る百景のぞみ。扉を閉めて振り返ると、廊下に風霧零が 腕を組んで立っていた。 「おまたせ」 「ああ」 零は手にしていた弁当入れの手提げ袋のひとつをのぞみに渡した。二人そろって歩き出 す。 「ごめんね。先に行っててもよかたのに・・」 「かまわん。それより何の呼び出しだったのだ?」 「うん。最近病欠していた音楽の山口先生、学校を辞めることになったんだって」 「ああ、特別教室を私物化していたふとどき者か」 「そうね。んふふふふ」 「・・・?何だ」 のぞみの含み笑いが、同意と違う気がして零がたずねる。 「ん?多分部長の仕業だなって思って」 「神無先輩が?」 「うん。ああいう人に容赦ないからね。・・・なんか最近部長すごくはりきってるんだ、 執行部の仕事」 「そうか。・・・・」 うなずきながらも、どこか腑に落ちない顔をする零。普段遊馬と接する神無静流のイメー ジが強いのかのぞみの話に違和感があるのだ。 のぞみも零の態度にちょっと困った顔をする。 いまだに神無姉妹の話がNGなのだ。アルバイト先の店長奈々月絢音に協力していることも あり、そろそろなじんで欲しかったりするわけで・・・。ため息をつきしかたなく話題を変 えるのぞみ。 「ところでさ、今から行くところってほんとに人がいないの?」 「ああ。たぶんな」 玄関で下穿きに靴を換えて、体育館の日陰を歩いていくと、のぞみ達と同じく暑くなった 教室を避けてお弁当を広げている生徒達がひしめき合っている。 「でも柔道部の道場の前なんでしょ?柔道部の人達が使ってるんじゃないの?」 「もともと部員の数は少ないし、それに道場を使っている者は、かえって近づかない だろう」 「・・・・?」 「そのベンチは、大きな銀杏の木の下にあってな、秋はギンナンまみれになって、なか なかにおいキツイイメージがあるからな」 「なるほど、期間限定のベンチか」 「そういうことだ」 古武術に興味のある柔道部の顧問に頼まれて、月一ほどで零は関節技や締め技の指導を していた。剣術の道場とはいえ古流武術の一派である風霧の家は、小具足組打捕手を含 む柔術、槍術、棒術など剣術以外の武術も修練の対象としていた。自分の道場の門下生 が増えるきっかけにでもなればいいかと引き受けた事だが、剣道部の顧問は引き抜かれ るのではと危惧していい顔をしないらしい。 体育館と運動部の部室を通り過ぎて、柔道場の先に大きな銀杏の木々が見える。この学園 ができる前からはえていたという巨木達である。道場の角をとおり、ベンチに向かった零が 足を止めた。 「・・・・?」 後から歩いていたのぞみが肩越しに見ると、銀杏の木陰のベンチに腰をかけでサンド イッチをかじる神無紗奈に気付いた。 「・・・・」 無言で急に踵を返す零。そのままのぞみの脇を抜けて、引き返そうとする。 「・・・・」 のぞみも無言で零の腕を掴んで、強引に歩き出す。 「の、のぞみ!」 じたばたする零を無視してベンチの前に行く。紗奈が2人に気付いてペコッとお辞儀を した。のぞみも会釈して笑顔で尋ねる。 「ねえ、紗奈ちゃん一緒にお弁当食べてもいい?」 「あ、はい」 いつもの穏やかな表情で、ベンチの隅に座り直し席を空ける紗奈。そこまでさ れて立ち去ることができなくなった零が振り返る。ちょっとすねたようにのぞみを睨んだ。 どうしてこんなに紗奈のことが苦手なのだろう? 「れ〜い〜、怒るよ?」 いつまでも聞き分けがない態度にのぞみが満面の笑顔でたしなめた。 「・・・・。す、すまないな神無」 怒りを潜ませた笑顔に観念したのか、零が紗奈に言葉をかける。 「いいえ、いいですよ」 「・・・・」 花がほころぶように紗奈が微笑んでうなづくと、零が言葉をなくした。いつまでもその 笑顔に見とれている。のぞみが不思議そうに声をかける。 「零?座ろうよ?」 「っ・・・!ああ、そうだな・・・」 言葉をかけられて我に返った零。のぞみをはさむようにベンチに座る。ぎこちなく弁当 の封をとく零をのぞみは盗み見ていた。なんでだろう?ちょっと頬が赤い感じがする。 (・・・もしかして零って、紗奈ちゃんが嫌いなんじゃなくて、可愛くてまともに見れ ないとか・・・) 小さな男の子が好きな女の子意地悪するような心理で、零は紗奈を避け続けていたのか もしれない。なんとなく零っぽい感じがするが、その解釈は一つ問題がある。 (・・・・。じゃあ平気でお喋りできるあたしは、ちっとも可愛くないってこと?) お弁当のおかずのコーナーにあるウインナーを箸でぶっ刺して、口に放り込む。ムシャ ムシャしてむくれていると、様子に気付いたのか隣の紗奈が、じっと見上げている。 (・・・う、・・・・) 子犬のようなつぶらな瞳に見詰められるだけで、心の中の張り詰めたものが、はにゃっ と、とろけてしまう。可愛い。可愛すぎる。 (・・・・。もう、この子は特別だな・・・) 気分をなおして、紗奈を見ると、足元に置かれたレジ袋のふくらみが気になった。手を 伸ばして中を見ると、たくさんのサンドイッチや菓子パン、紙パックのジュースが見えた。 「紗奈ちゃん、これ全部一人で食べるの?」 「あっ、違います。・・・・、その、・・・・先輩と一緒に食べようと思って・・・」 「え?」 「・・・・」 「でも、教室に行ったら、おねえちゃんがいて・・」 「あらら・・・」 職員室に呼ばれて出くわすことなくすんだが、とんだ修羅場になっていたかもしれない。 紗奈がしゅんと表情を曇らせた。 「おねえちゃんずるいんです。争奪戦の間は、手作り弁当とかでポイント稼ぐのは駄目 だって言ってたくせに、ちゃっかり作ってきてて、無理やり先輩を連れていって・・・」 「部長だと、屋上かあ・・」 「・・・はい」 「・・・・」 言葉がなくなり、もぐもぐ食事を取る三人。 (あのバカップル。またイチャイチャしてるんだろうなぁ) (私あんなに、強引に迫れないよぉ・・・) (・・・手作り弁当・・・) 「「「・・・、ハア・・・」」」 口の中のものを飲み込んで三人一緒に深いため息をついた。そのことに気付いたのぞ みが紗奈と零に声をかける。 「ね、部長と遊馬のこと考えるのやめにしない?せっかくこんなお弁当食べるのに絶好 の場所にいるんだし。もったいないよ」 日陰を作る銀杏の枝をのぞみが見上げる。光をすかす緑の魚麟がそうだとそうだという ようにかさかさ音をたてた。潤いを含んだ風が三人の頬をくすぐる。 「確かに、そうだな」 「はい」 2人もこころよくのぞみの提案に従うことにした。 「んじゃ、サンドイッチもらっていいい?どうせ残してもいたんじゃうでしょ?」 「はい、どうぞ」 紗奈がレジ袋を膝の上に乗せてひろげる。のぞみが手を入れて照り焼きサンドを取り出 した。 「零はどれがいい?」 「いや、私はパンは、・・・」 「そう?じゃあジュースとかでいい?」 「ああ」 のぞみが紙パックのジュースを選んでいると、紗奈が零に言葉をかけた。 「あ、ジュース以外にもありますよ。このプリン美味しいですよ?」 レジ袋からお気に入りのプリンを出して、にっこり微笑んだ。けれど、零がビクっと目 線を逸らした。 「あっ・・、キライですか?」 露骨な態度に、紗奈の笑顔が曇る。しかたなく戻そうとすると、目線を反らしたまま零 が、手で制した。 「ま、待て」 「・・・・?」 「その、嫌いじゃないんだ。・・・嫌いじゃないから・・・」 おずおずと目線を戻す零。なぜだか怯えるような顔をして、紗奈とプリンを見る。のぞみ が渡しやすいように、ベンチに背を預ける。紗奈はプリンを零に差し出した。お茶会の席の 作法のように、そっと両手で受け取る零。手にしていたプリンをスカートの上に置き、じー と見詰めている。2人が様子を見ていることも気付かないほど集中している。そしてほんの ちょっとだけ口元をゆるませた。 ((・・プリン好きなんだ・・・)) ぎこちない喜び方にのぞみと紗奈は思う。のぞみは紗奈の耳に口を寄せて、囁いた。 「今度、美味しいスイーツのお店に、三人で行かない?」 のぞみが誘うと、紗奈は喜んでうなづいた。少しづつ紗奈も零の不器用さに気付いた ようだった。 「零、デザートは一番最後にしなよ」 「わ、分かってる。それぐらい・・」 今にも開けそうな気配で見詰めていた零をのぞみがたしなめる。零は唇を尖らしながらも、 スカートの横にそっとプリンを置いた。幼い姉妹のようなやり取りに、紗奈はクスクス笑い ながら、紙パックのジュースにストローをさした。 * お昼を終えて、のぞみと紗奈はおしゃべりを続けていた。零は心地よい風にうとうととし、 ポニーテールの頭を、のぞみの肩に預けている。 「そういえば、一夜さんとのぞみさんって幼馴染なんですよね?」 「ん?一夜?」 「・・・・」 零がその名に、目覚めた。まどろみから抜け切れていない瞼をぬぐいながら、二人の話に 耳を傾ける。 「う〜ん。幼馴染っていっても、小学生くらいからなんだけどね」 「そうなんですか?」 「うん。あー見えて帰国子女なんだよね、あいつ」 「あっ、・・・フィンランド?」 「あはは、聞いことあるんだ?あいつ何言っても冗談ッポイから信じられないだろうけど、 ホントそうなんだよね。その頃はいろいろ事情があったらしくて、お姉さんの七姫さんと二 人きりだったらしんだけど」 「あっ・・・・」 何故かしら紗奈が頬を赤らめたことに零は気付いたが、のぞみは気付かず話を続けた。 「家の人と古い知り合いの家に預けられていたんだって。すっごくおっかないおじいさ んで・・・、確か、そう、ラッセルっていうおじいさん」 「・・・・」 「背が高くてね。2メートルは軽く超えていた巨人だって・・」 つい最近耳にした人物の名前に紗奈は動揺して口を閉ざすが、のぞみは話がそれたかな と、一夜のことに話題を変える。 「小学校に一緒に通いだした頃は、どうしょうもないくらいやんちゃでね〜。あいつを 手なずけるために、空手を始めたくらいだもん」 「へえ〜」 「野生児って言うか、ケダモノそのものって感じで。学級どころか学校そのものを崩壊 させるんじゃないかってぐらい暴れてた。言葉とかも全然片言だったくせに妙に人気者で ね。あんたおかしいよって言っても、『向こうでは狼と仲良くなれたから、関係ない大 丈夫』って、いや、今の場合あんたが狼なんだけどって突っ込んでも通じないし。あいつの 尻拭いばっかりさせられての苦労したんだから。高学年になって言葉もうまく使え るようになってからは少し落ち着いたんだけど」 その頃の苦労が蘇るのか、はあと息をつくのぞみ。そのわりにはニコニコして話してい た。今の零との関係といい、のぞみは人の世話をやくのが好きなのかもしれない。 「まあ、ホントに大変だったのは、中学に入ってからなんだけどね・・」 陽気だった声のトーンがすっと落ちた。 「?」 「小学生の時、はしゃぎすぎた反動なのかな?中学になると急に笑わなくなったの、お昼 とかに物を食べなくなって、そのくせ身長はぐんぐん伸びてガリガリでね、気持ち悪いっ たらない。クラスでも浮いてたし、いじめられていたのかな〜って心配したけど。腕力じゃ 、高校生でもまともに相手できるやついなかったから。・・・・あいつがいるだけでクラス中がギリ ギリ緊張して、息苦しくてたまんなかった。中学の時は給食があって、一回だけ担任が、無理や り食べさそうとしたんだけど・・・」 今思い出してもつらいのか、口をつぐんだ。零が、うつむいたのぞみの顔を心配そうに見詰 めている。 「あの苦しみかたは普通じゃなかった。七姫さんはアレルギーだっていってたけど・・ ・・、まるで毒でも食べさせられたみたいに、吐いてのた打ち回って。そのことがあってか ら、ますますクラスで浮いちゃって・・・」 「「・・・・」」 「あの頃の一夜は、目を離すと何処かへ行っちゃいそうで怖かった。でも、あいつはいつ でもあたしのそばにいたから・・・・いつもそばにいたから、・・・大丈夫だって・・・」 遠い目で喋るのぞみを見て、ふと紗奈は思った。一夜がのぞみのそばにいたのではなく、 のぞみが一夜のぞばにいつもいてあげていたんじゃないのかと・・・・ * 空調が悲鳴をあげながら冷風を送るが、闇にこもる熱気はいっこうにその覇気を衰えさせる 気配がない。 おぼれそうなぐらい湿ったシーツの上で寝返りを打つと、脚がパソコンを置いた机を蹴った 。音をたててモニターが再生し、光の入らない部屋を照らし出した。 部屋の壁には洋書や巻物が詰まれ、怪しげなオブジェがその前に無造作に転がっている。 モニターの光に重い瞼を開け、シーツから上半身を起こす。こぼれる汗が、身に着けた黒のキャ ミとショーツを濡らし、肌に張り付いて気持ちが悪い。朱色に染まった喉をポリポリ 掻きながら、軽いあくびをかみ殺す黄泉塚七姫は、ぼんやりと部屋の様子を見回す。 床について眠 ろうとした記憶がないから、気絶して寝床に倒れこんだのだろう。キーボードの脇に散らば る眼鏡の一つを取り、かける。机の横にある小さな冷蔵庫の扉を開け、製氷機に溜まった氷 の塊りを掴んで口の中に放り込む。ボリボリと噛み砕きながら扉を閉じると、そばに少年が 立っていた。にごった瞳が七姫を見下ろしている。 「ピアスヲフヤシタ方ガ、イイノデハ?」 手に持っていたタオルを渡しながら進言する。 「今、こうなっているのは狩りの反動だし、我慢しないとね。あんまり安易にピアスを 使かって、体に耐性が付くほうがやばいし」 タオルで体を拭うと、立ち上がりモニターに向かっていた回転椅子をくるっと回し、どっかと座り 込む。背もたれと肘掛に体重を預けて、暗いままの天井を見上げる。あふれ出る陽の気に で氷は蒸気になり、息をつく唇から、白い靄になりこぼれでる。自らの疲労を少年に隠す余裕 はない。 「大変デスネ・・・」 「そうでもない。完全にこうなってしまえば覚悟ができるから、慣れるとまで言わない けど耐えることができる。・・・・つらいのは、一(イチ)だよ」 「・・・・?」 「巫病のような状態でね。なるまでのほうがキツイの。日の光を浴びただけで、焼かれ るような感覚があるはずなのに、普通の生活を捨てることもできない。なまじ頑丈な体な ばかりに・・・すごく中途半端なんだ・・・」 そう言う七姫の肌からまた汗が吹き出ている。天井を睨む目が、わずかに細まる。 「・・・・バカだね、一は、ほんとバカだね。私は言ったの、のぞみちゃんを大事に思う なら、犯せって。どうせいつまでもそばにいれるわけないんだし、嫌われても憶えてもらえる ような傷を残してしまえって。・・・言う通りにしないから、あんなツライ思いして・・・」 「・・・・」 七姫の言うことが、この数週間一緒にいただけの少年には理解できない。 この姿になって 一度だけ彼は一夜に会った事がある。一夜は彼をちゃんと認識できた。闘ってはいけない 場所で、一夜も少年も万全ではなかった。だが、七姫がいなければ彼は仕掛けてきただろ う。そして自分も、喜んで対峙しただろう。一度負けているはずなのに、どうしてか彼と いるとらしくない感情が込みあがるのだ。 モニターの光に照らし出された陰影の濃い少年の顔に、七姫はあることに気付いた。物 思いにふけっている少年に声をかける。 「・・・これかけてみてくれない?」 机の上にある眼鏡の一つを少年に渡す。少年が言われるままにすると、七姫は納得した ようにうなづき、口を開いた。 「・・・どこかで見たことある顔だなって思ってたけど、・・・そうか、ネコ耳のお兄さ んじゃない。・・・忙しくて、目を通さなかったけど人探しの依頼が・・・」 半身をモニターに向けてマウスをいじる。メールの一つを開封した。 「ああ、やっぱりあんただ。・・・う〜ん。・・・そろそろその子から離れてくれると うれしいんだけど・・」 モニターを見たままお願いしたのは、断られることもあるだろうと考えたからだ。だが少年は素直に受け入れた。 「私ノ『真名』ヲ知ッテイル我ガ主ヨ、ソレハ貴方ノ自由デス。タダ・・・」 「うん、分かってる。病院を用意させておく。狩りでは無茶させちゃったもんね。あり がとう助かった。あんたがいなかったらやばかった」 褒められて嬉しそうに目を細める少年。そういった仕草は、宿った少年に影響されてい るのだろうか?一度一夜に敗れていると聞いたが、その実力は七姫でも測りきれないこと がある。一夜も守るものがある時、えげつないところがあるから、その力を出させる前に 潰したのかもしれないが・・・・ 「私モ、ラッセルヲ知ル者ト、仕事ガデキテ楽シカッタデス」 「え?」 その言葉に七姫が驚く。 「バイブルコレクターニ封印サレテ三十年チカク経チ、目覚メタ時ニハ彼ハ死ンデイタ。 彼ノ『聖書』ヲ知ル者ハイテモ、彼自身ヲ知ル者ハ、ホトンドイナクナッテシマッタ」 「そうか、あんたは・・・」 『真名』を知るとはいえ、あまりに従順な態度を悪魔ゆえの気まぐれかと思っていた。 しかしそれは誤りだったのかもしれない。 「最後ノ審判ハ、マダナノデショウカ?ラッセルハ言ッテイマシタ、自分ハ地獄ニ堕チ ルダロウカラ、ソノ時ハ一緒ニ行コウト」 「あの堅物がそんなことを言ったの?」 「ハイ」 「ふうん、そう」 にごった瞳を細める少年に、七姫は笑顔を浮かべて立ち上がる。冷蔵庫の扉を開けて、冷 やしていたグラス二つを取り出し、氷を入れる。同じく冷蔵庫の中に転がっていたウイスキー を取り、封を切りそれをグラスに注いだ。一つを少年に渡した。 「アノ、私ノ体ハ・・・」 「いいじゃん。ちょっとだけ付き合いなさいよ」 「ハア・・・」 「人生最大の愉悦て、何か知ってる?」 「ナンデショウ?」 「人を置いてけぼりにして死んじまった馬鹿の悪口を肴に酒を飲むことよ」 にっと笑って、少年のグラスに自分のグラスを打ち鳴らした。 「あの大戦を一人で止めようとした大男に」 少年もニコッと笑って答えた。 「悪魔ヲ魅了スル、不埒ナ悪魔祓師ニ」 濃いアルコールを二人は一気に飲み干した。 * 耳慣れぬ小鳥が、気持ち良さそうに鳴いている。沈んだ気持ちを紛らわすように、のぞみは 銀杏の枝に間にその姿を探すが見つからない。 「高校に入ってからも、一夜は同じ感じだった。・・・でもね、去年の今頃、一緒に学校 に行ってる時に、本当に久し振りに笑って話しかけてきたの。それがね、・・・・・あっ!・ ・・・・・・・・・・」 「「・・・・?」」 楽しげに喋りかけたのぞみが、急に口をつぐんでしまい、零と紗奈は不思議そうにその顔を 見つめる。 のぞみは思い出したのだ。一夜が小学生の頃みたいに無邪気に笑って、『クラスに変な奴が いてよ〜』と話し始めたのが、遊馬のことだったのを。以前の野蛮なやんちゃさはなかったた が、それから一夜は陽気さを取り戻した。人当たりのいい遊馬をかいして、クラスの生徒とも 仲良くやっているようだった。中学の頃が嘘のように、一夜は変わった。 そう、はじめてその名前を聞いただけで遊馬が気になったのは、間違いなく一夜の笑顔だっ た。どうしてそのことをすっかり忘れていたのだろう。胸が痛いほど高鳴り続けている。自分 は何か大切なことを気付かないでいる。そんな気がした。 「黄泉塚を変えたのは、結城なのではないか?」 黙りこんでいるのぞみに助け舟を出した零。胸騒ぎを抑えながら、のぞみはうな ずいた。 「・・・うん。多分遊馬だと思う」 「そうか、やはりな」 銀杏の葉を見上げる零。その表情はどこか納得した感じだった。 「・・・・?・・・あの・・」 不思議そうな紗奈に零は気付いた。自分が遊馬と一夜の関係で感じたことをそのまま口 にすることはのぞみの手前できない。慎重に言葉を選びながら、その視線に答える。 「あいつには、ここに吹く風のように、どこか人を穏やかにさせるところがあるんだ」 「そうなんですか?」 「ああ、そばにいるだけで、心の棘を溶かしてしまうようなところがな。・・・ああ、 そうか、・・・少し違う感じだが、紗奈にもそんなところがある。うん、お前達は似ているん だな、・・・だからか・・・」 『・・・だから、どうしてもお前を憎むことができなかった・・』という言葉を零は飲み込んだ。ただ微 笑んで紗奈を見詰めている。そのやさしい視線と、遊馬に似ていると言われたことに、紗奈 は頬を赤らめてうつむいてしまった。 いつのまにか、会話の蚊帳の外に置かれたのぞみ。けれど、零と紗奈が普通に話をして いるのに気を良くした。胸のざわめきを無視して、二人に声をかける。 「そういえばさ〜、気付いている?一夜と遊馬ってね・・・」 とっておきの話をのぞみは、聞かせた。零と紗奈はその話に興味を持っただが、どこか 半信半疑のようだった。その時、噂をすればなんとやらで、とぼけた声がした。 「お〜・・・。めずらしいメンツだな」 道場の影から、だらしない足取りで一夜が現れた。衣替えの季節は過ぎているのに何故か 長袖の制服のままだった。 銀杏の陰に入る一夜と目があった紗奈がペコッとお辞儀をした。 『京極屋』のプリンをおごってもらった時、一夜は遊馬を連れてきてくれた。お店には二 階に小さいスペースながらお菓子とお茶を出すところがあることを、紗奈に耳打ちすると、用が あるからと二人を残して出て行ってしまった。 「どうしたの?」 のぞみが一夜に声をかける。一夜を見て胸の高鳴りはひどくなったが、そのわりにいつも と変わらない自分の口調に、少し気が軽くなった。何を気付かないのかは分からない。でも それより一夜と普通に喋れるほうが大切な気がした。 「遊馬を探してるんだが、知らないか?目が覚めたらいなくてよお〜」 「あ、それなら。おねえちゃんと一緒です。屋上だと思います」 問いに紗奈が答えた。屋上という言葉に、一夜は露骨に嫌そうな顔をする。 「げっ、屋上かぁ、あち〜だろ、あのバカ・・・」 「・・・長袖を着ているお前が言うのか?」 零が無表情に突っ込みを入れた。 「あん?」 眉をひそめて、一夜が零を睨んだ。だが、零の足元に置かれている弁当入れの手提げ袋に 気付き、顔を強張らせた。その態度に零がまた無表情に尋ねた。 「なんだ?」 「・・そ、それは弁当か?・・・お前が作ったのか?」 何故かニ三歩後ずさる一夜。震える両拳を握り締め、ファイティングポーズをとっている。 「いや、母親が作ったものだ。・・・それがなんだ?」 あくまで無表情だが、言葉に静かな怒りが満ちている。 「いや、それならいいんだ。・・・ああ、世界は平和だな〜」 構えをといて、ほっと息をつく一夜。過去の悪夢を払拭するように、遠い目で青い空 を見上げる。何故か零が、そのまま斬り付けそうな気配だったので、のぞみがあわてて話を 変えた。いつのまにか一夜と二人が自然と会話していることに驚いてもいた。 「一夜、昼飯は食べたの?」 「ん〜。まだだけど」 「そう、ちょうど良かった」 のぞみは紗奈の足元にあるレジ袋をごそごそする。 「あ、あった。紗奈ちゃんこれいいよね?」 「はい。どうぞ」 紗奈がうなずいたので、手にした紙パックの野菜ジュースを、のぞみは一夜に差し出した。 「お?」 「はい、あげる。コレ好きでしょ?」 「・・・・」 「なに警戒しているのよ?紗奈ちゃんが遊馬のために買ってきたけど、部長にさらわれて あまったやつよ。遠慮しなくていいから」 「いや、お前のことだから、なにか裏があるんじゃないかと・・・」 「あ〜っ?」 「あっ、うそうそ!じゃ、遠慮なくいただくぜ」 のぞみからジュースを受け取ると、一夜がにっと笑った。 「「「・・・・」」」 その顔を三人が息を止め凝視している。それに気付いた一夜。言葉をかけようとすると、 零は横に顔を背け、紗奈は顔をうつむき目線を反らした。その頬や肩が小刻みに震えている。 「・・い、一夜〜。・・・あ、あんた、遊馬のとこ行きなよ・・・」 のぞみだけが一夜を見上げていたが、何か感情をこらえているのか、口調がしどろもどろだ。 「なんだよ、お前ら」 「い、いいから!あっちいけっ!」 野良犬を追い払うように、シッシっと手を振るのぞみ。遊馬の居場所も知ったし、ジュース ももらったので仕方なく言われる通りにする一夜。柔道場の影に戻った時、どっと笑い声が聞 こえた。振り返ると、ベンチの三人がこっちを見て笑っている。のぞみなんかはこっちを指し て腹を抱えている。 (なんだ〜っ!) ムカついて戻ろうとしたが、体がこれ以上光にあたるのを拒んでいたので、一睨みして背を 向け歩き出す。パックからストローをちぎって差し込み、ジュースを飲むが、怒り はおさまらない。 (ったく、タダほど怖いものないってこのことだな!) 少しぬるくなったジュースを飲み干し、一夜はむくれた。 ベンチの三人は、一夜が視界から消えても、笑いが絶えない。 「ふふふふ。なるほど、言われて見ると、まったくそのとおりだったな」 「私、笑いこらえるの必死で、息できませんでした。もう、苦しくて、あはははは」 『三無しの風霧』といわれた態度はどこへやら,すっかり破顔した零。可笑しすぎて目じりに溜まった 涙をぬぐう紗奈。のぞみも笑いながら、うなずき答えた。 「でしょ?一夜と遊馬って笑い顔、そっくりなんだ」 END |