『迷い道くねくね』「薙原ユウキ! これはどういうことですの!」 「それは俺が聞きたいわっ」 背丈の数倍もあるだろう樹木に囲まれた大森林を抜けるとそこは、ごつごつとした岩肌が目立つ採掘場のような光景が広がっていた。 「前もこういうことあったぞ。進歩どころか悪化してるじゃねえか」 「か、過去のことを殊更大仰に取り上げるなんて失礼にもほどがありますわ」 「大仰じゃねえ」 膝から力が抜けて思わず、その場にしゃがみ込みたくなるのを何とか堪える。 宝の地図だというものを手にしたエリーゼから探索に出ようと誘われたのが昨日の夜。日帰りで済むからという言葉に不審を抱きつつも、今朝早くから二人で冒険に出かけていた。前の時は明らかに目的地とは違うだろうということがわかっていたが、今度は自分は明確な目的地を知らない。だからこそ道中不安を抱えながらも、道無き道を掻き分けるようにしながら彼女の指示の通り山道を登り続けたのだが、この結果だった。 「だから地図を見せろと何度も」 「お断りですわっ」 「何故そこで意地を張るっ」 俺たちは新大陸に渡ってからは同じギルドに入って冒険を続けている。スカウトと神術士を兼ねた前衛の俺と、後衛で魔法使いである彼女のコンビは問題も多かったが、学園の実習用ダンジョンで慣らしたこともあって今のところは上手く行っていた。 「……だって、見せてしまっては何の地図か悟られてしまうじゃないないですの」 「は?」 「う、うるさいですわっ。あなたも男なら黙ってついてくるぐらいの甲斐性をみせたらどうですの」 相変わらず随分と勝手なことを言うエリーゼだったが、以前ならこの後「お兄さまなら…」と続くところだがコルウェイドに来てからはそれがない。ヒューズとではなく俺と一緒に冒険をしようとしていることも含めて、彼女なりに頑張ろうとしているのはわかった。強情と見栄っ張りなのは相変わらずだが。 「見せたからこうなったんだろうが。くっ……場所のせいか伝話も通じねーし」 携帯伝話の画面には圏外の文字が空しく踊っている。 「冒険者たるものが冒険に伝話に頼ろうなどと、甘えたことを言うものではないですわ」 「ギルドサービスで冒険者専用伝話ヘルプセンターとかある現実は無視か」 「そんなのはそこいらの駆け出し冒険者が使えば宜しくてよ。仮にもシーザーの娘である私と、その私に見込まれたあなたが頼るようなものではありませんわ」 「いやもう、地図見ながら迷っている時点で十分要資格者だと思うんだが……」 そう答えながらも何を言っても無駄なのだろうなと諦めた。 問題は、これからどうするかだ。 「引き返すしかないだろうな」 「何を言っているんですの。これぐらいで弱音を吐くなんてだらしがなくてよ」 「いや、だってなあ」 「だったら私一人で行きますわ」 「お、おい。待てって……」 何をムキになっているのか岩肌を這い登ろうとするエリーゼを慌てて追う。 「これしきの苦難、私は乗り越えて見せ……ます……わ…」 「わかった、わかったから……無理するな」 「こ、今度こそ…絶対です…わ」 第一、そこ登ったら辿りつく訳でもないんだろうしという言葉を飲み込んで、張り付いたまま少しも登れそうにないエリーゼの体を後ろから支える。 「ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ……このままついてきなさい…おーほほほ……きゃぁぁぁっ!?」 「うわっ、とっ」 この後の展開を予期しつつも、俺は覚悟を決めてついていくしかないのだと諦めることにした。 そしてもちろん、それは裏切られることはなかった。 ギャアッギャアッ! 更に数時間後、聞いたこともない鳥の鳴き声がバサバサという羽音と共に頭上から聞こえてくる。 「ん… このキノコは食べられそうだな」 「水はさっきの泉を使えば、なんとかなりますわね」 「ああ、そうだな」 「………」 「………はぁ」 「な、なんですの。そのあからさまなためいきは」 「だってなあ」 今のこの会話といい見事にデジャヴを体験している自分達にため息の一つもつきたくなる。わかってた筈なんだけどなあ。 「ちょ、ちょっとだけ運が悪かっただけですわ」 「運の問題かあ? まあ俺自身に関しては間違っていないかも」 結局更に山奥へと入り込み、何が何だかわからない樹海の真っ只中で俺たちは力尽きた。詳しい生態系も判明していない土地なだけに、これ以上暗くなる前にキャンプを張ることにしてその準備に取り掛かる。 「あーあ。参ったな」 口ではそう言いながらも、俺としてはそんなに悲壮感は覚えていなかった。現実味がないと言うのか、どうにかなるだろうという気分の方が勝っていたからだろう。単に楽天的なだけかも知れない。 「ねえ……薙原」 それでも暫くは疲労もあって軽口も叩かずに無言で準備を続けてきたが、枯れ枝を集め終えて火をおこすと、少し思いつめた顔でエリーゼが話しかけてくる。 「どうした。足でも揉んでほしいのか」 「なっ、そ、そんなこと……」 真っ赤になって言葉が続かなくなる。 「幾ら鍛えているとはいえ今日はちょっと無理が続いたからな。遠慮しなくてもいいぞ」 「そうではなくて! その……」 口ごもる。特に催促せずに、じっと待ち構えていると彼女は語尾を更に弱めて言葉を続けた。 「後悔してたりしませんの? 私なんかとパーティーを組んだりして」 「はあ?」 何を今更と思ったが、エリーゼも今日のことで少し弱気になっているらしい。普段からは見ることの出来ない上目遣いで、俺の顔色を伺っているように見えた。 「あなたの目的を果たすためについてきたのにこっちに渡ってからずっと何の役にも立てないばかりか、今日も結局振り回してしまっただけで―――」 疲れもあるのだろうが、落ち込んでいるようにも見える。 俺の目的、オヤジを探し出すことについて彼女に話したのはこのコルウェイドへと渡る船の上だった。別に秘密にしておきたい話でもなかったし、一緒に行動するのであれば知っておいてもらった方が良いだろうと考えたからだ。 あっさり話してもらったのが意外だったのか、慌てた素振りを見せながらも任せておきなさいとか言っていたのだが、やはりというか何と言うか今日まで何の手がかりも見つかっていない。彼女の実家に協力を仰げば早いのかもしれないが、それは俺が断っている。俺の手で、探し出したかったから。その拘りもあって、時間がかかるのは承知の上だった。そんなことを言ってみるが、実家の下りで彼女の表情がまた少し曇る。もしかしたら内緒で頼んでいたのだろうか。でも今は敢えて気にしない。 「その驚異的な方向音痴は何とかしてほしいが、別におまえと冒険することはイヤじゃないし、後悔もしてないぜ」 かなり疲れるがと茶化したかったが、今は止めておいた。そのぐらいの分別はある。 「それは、その……今日が特別で……」 いや特別じゃないだろ。その方向音痴は。全く地図を見せてみろと何度も言ったのに今日に限ってはひた隠しにしてた。大丈夫なところを見せようとしたのなら、失敗だろう。けれども彼女のそんな部分も嫌いではなかった。 「何を気にしてるのかと思えば……確かに強引なところもあったが誘ってきたお前を受け入れたのは俺だぜ。嫌ならイヤっていうさ」 卒業式の終わった後、屋上で彼女に捕まった時のことを思い出しながらあの時に告げたようなことを言い直す。あのころの気持ちは変わっていない。 「そ、そうですの」 表情がぎこちないが、取り戻しつつあるようだった。だがその表情のなかにも、どこか怯えが含まれていた。最近のエリーゼはこんな調子であることが続いていた。初めは一過性のものと気にしないでいたが、パートナーとしてそろそろ気にしたほうがいいかも知れない。今日だってそんなエリーゼが妙に焦って勧めてきたからこそ、付き合ってしまった部分もあった。 「それで今日は―――ん?」 突然、気配を感じた。 「どうかしましたの」 「いや、何かが近づいてくる」 目を離さずに答えた俺の言葉にエリーゼは慌てて手にしたロッドを構える。俺は既にナイフを抜いていた。 「……来る。気をつけろよ」 「わかってますわ」 ガサガサと草を掻き分ける音はもうすぐそこまで迫ってきていた。すぐ側の茂みが揺れるのを見て、エリーゼの顔に緊張が走る。そして中から現れたのは、 「ま、待つのさ〜」 「へ?」 「え?」 見覚えのある姿かたちをした人間だった。 「ナツミなのさ〜」 「なっ」 「ナ、ナツミさん……どうしてここに」 慌てる俺たちの前によろよろとナツミが近づいてくる。 「どうした、何かあったのか」 「敵ですの?」 慌てて駆け寄ると、 「疲れた、のさ…」 そう言ってばたりと倒れこんだ。 「まさかこんなに歩き回るとは思わなかったのさ」 焚き火の前で少し休むと、次第に回復してきたのか調子を取り戻してきたようだった。俺たちの後を付けて歩いていたのだが、途中ではぐれてしまい彷徨っていたのだそうだ。 「途中大変だったのさ。危うく山林王になるところだったのさ」 絶対ならないと思う。 「しかしどうして俺たちの後を? というか、いつからついてきたんだ」 純粋な疑問をぶつけると、 「ナギーとエリーゼが二人きりで冒険を続けていることは既にサーチ済みなのさ」 口元を手で隠すようにしながらもにししと笑う。何でも彼女は冒険の傍ら、卒業後の俺たちの近況を調べているのだそうだ。 「それはギルドで調べればわかるだろうが」 「ナギーは鈍いのさ」 何故かまた笑われる。反論しているのが俺だけなので静かにしているエリーゼを見ると、何故か赤くなって俯いていた。 「トイレか?」 「違いますわ!」 杖で殴られた。う、さっきの落ち込みぶりをまだ引きずっているのならこうして和らげようという俺の遠回りな優しさは誰にも理解されない。いや今でっち上げただけだけど。 ナツミから委員長や鈴木、くおんとさっちんらの最近の話を聞く。皆相変わらずながら元気にやっているらしい。サワタリからはわざわざ伝言をもらっていた。伝話番号は互いに教えあっているが、確かに一度も皆にかけたことはない。他の皆も似たようなものなのだろう。だからこそナツミが動いたのかもしれない。 「かといってこっそりついてくるのが良く分からないんだが」 「本当は普通に再会するつもりだったさ。けれど昨日偶然怪しげな古文書店で見つけたエリーゼが、それを見つけたカップルが―――」 「銀のマナ、疾き稲妻よ… 落ちなさい!」 ピシャーンッ! 「あ、危ないのさー!」 さっきまでナツミが立っていた場所に小さな稲妻が落ちる。 「あら、魔法の練習をしておこうと思ったら手元が狂ってしまいましたわ」 ごめんなさいナツミさんと笑うエリーゼはあまり笑っているようには見えなかった。 「……ね、狙われてるのさ」 この話はとりあえずここまでにしておいた方が良さそうだ。 「まあ、もう今更目的地のことはいい。それよりも現状をどうするかだが……ナツミ。ここ、どこかわかるか?」 「ナギーたちを見失わないようにスカウトの能力の全てを使って隠れて二人の背だけを追ってきたのさ」 「つまり、わからないと」 「そ、遭難なのさー!」 今頃自分達の置かれた状況に気づいたのかナツミが叫ぶ。 「いや、それもう知ってるし」 「そうですわ、ナツミさん。あなたも一緒するのでしたら食料の供出と、寝床の準備を」 「うぅ…わかったのさ。けど、その前にひとつ聞いておきたいことがあるのさ」 「なんだ」 「なんですの」 「すぐそこにある洞窟はなんなのさ」 「へ?」 「え?」 ナツミが指差す方、壁のように切り立った山腹にまるで草木に隠されるようにして横穴が見える。人が通り抜けられるほどの大きさだった。 「ええと、なんだろうな。気づいてたか、エリーゼ」 俺は全然違うところで枯れ枝を集めたりしてたからという遁辞を匂わせながら、エリーゼに尋ねる。 「わ、私も足元はよく調べていましたが、そこは見てませんでしたわ」 向こうは向こうで精神的に余裕がなくてそれどころじゃありませんでしたわ文句ありましてという顔をして俺を見る。 「……」 「あー、なんだろうな。あはは」 「わかりませんわね、おーほっほっほっ」 冒険者としてどうよという感じの出来事に俺たちは笑ってごまかし合うしかなかった。だが、その対象であるナツミは笑いあう俺たちを相手にせず、洞窟の前に立って何やら調べまわっているようだった。 「ナツミ?」 「ナツミ…さん?」 「こっ」 「こ?」 「これは古代遺跡に違いないのさ!」 顔を上げたナツミは目をギラつかせていた。 「大大大ニュースなのさっ」 さっきまでと比べてありえないテンションで、騒ぎ出す。 「いますぐ探索なのさ! お宝発掘なのさ!」 「まだ明るいけど、そろそろ暗くなるぞ。明日にした方が」 元々その準備をしていただけに、今更変更するのもどうかと思う。それにこの横穴がただの横穴でなく深く奥に続いているのであれば危険もあり、尚更だった。 「そうですわ。休んだとは言え今日はかなり歩き通しでしたし」 「遺跡の中に入ってしまえば、昼も夜も関係ないのさ! それにもたもたしていると誰かに先を越されてしまうのさ!」 「それはないと思うが」 俺たちがここを動かない限り。 「ぐずぐずしてないで、みんな行くのさ!」 「はぁ……こりゃ何を言っても駄目だな」 「薙原……ナツミさん。いつにもましてテンションが高くありませんか」 「ああ。アイツ、オヤジさんの影響で未踏の洞窟とか未知の遺跡とかに目がないんだ」 しかし何か手の付けられない女ばかり知り合いに持ってないか、俺。 「そうなんですの……」 「仕方ない。俺たちも行くぞ。放っておくわけにはいかないだろ」 既に入り口から奥を覗き込んだり、しゃがみ込んで足元を調べたりしているナツミは今にも潜っていきそうな勢いだった。 「ずいぶんとナツミさんのこと詳しいんですのね」 「まあ元クラスメートだしな」 「……私も一緒のクラスになりたかったですわ」 「ん、何か言ったか?」 「二人とも早くなのさ! ほらほらゴーゴー!」 ナツミが俺の腕を引いて、洞穴に引き擦り込む。 「っとと、引っ張るなって!」 「な……っ」 「しゅっぱーつ」 「お、おう」 「ちょっとナツミさん。いくらなんでも慣れ慣れし―――」 「うっせーぞ、おまえらっ」 入り口付近で騒いでいると、洞窟の奥からドスの利いた声が響いて届いてくる。 「ヒィッ!」 「へ?」 「……なんだ、今の声。この奥から聞こえた……よな」 「先客、でしょうか?」 こんなどことも分からない場所の謎めいた洞窟から人の声など全く予想できなかった。もしかして人里近いのか。それとも冒険者が潜るようなギルドに知られた場所なのかと考える。見るとナツミもその可能性を思ったらしく、さっきまでの期待に満ちた表情から何やら考え込んだ顔になっていた。 「こ、これはきっと……」 「きっと?」 「すごいのさっ 地底人は本当にいたのさ」 でもナツミはナツミだった。 「待て、飛躍するな」 「そうですわ、ナツミさん。地底人などとあやふやなものなど」 「ここは新大陸なのさ。それまで常識なんか覆すようなことなんて一杯あるのさ」 「普通にここを棲家にしているだけかも知れないだろう」 「何を言っているのさ、ナギー。こんな辺鄙な遺跡に住み込んでいるというだけで、地底人なのさ!」 「いや、そのりくつはおかしい」 俺の言葉も耳に届いていないのか、ナツミは一層興奮して騒いでいた。どうしたものかと思っていると、洞窟の奥から足音と共に何かが近づいてくるのが感じられた。 「地底人が来るのさ!」 騒いでいたくせにナツミも察知したらしい。三人で身構えようとすると、奥からまたしても見覚えのある姿が現れた。 「あの……哨戒から戻ってきたばかりのドッツさんが眠れないとのことで、静かにしていただけないで―――先輩っ!?」 「へ……? クリス!?」 何と、現在好評行方不明中の元俺の後輩だった。 「どうしてここに……もしかして、見つかっていたのですか?」 「いや、ここは単に偶然迷い込んだだけだ。おまえこそどうしてこんなところに」 「迷い込むって…そこらに罠や仕掛けもありますし、元々結界も張ってあってそれを解かなければここには……」 「罠や仕掛け? あー、何か幾つか解除した気がする」 「結界ですか……それらしきものを解いた記憶がありますわ」 実習の上級ダンジョンで鳴らした俺たちとしては、さ迷い歩く間も無意識の作業の一つとしてこなしてしまっていたようだった。 「ナギーはこの地底人を知っているのさ?」 「その制服は確かファルネーゼの……」 果たして二人にクリスを紹介すべきなのだろうかと迷っていると、また一人誰かが洞窟から外に出てくるのがわかった。 「クリス。侵入者は皆殺しにしろと言った筈だぞ。それにそろそろ夕餉の支度に入って―――むっ」 「リ、リカルド……」 現在絶賛指名手配中のクーデター未遂犯リカルド・グレイゼンその人だった。 「まさかこんなところで再会することになろうとはな」 いつも通り倣岸な素振りのまま中指で眼鏡を直すが、微かに指が震えていた。 「お前こそ、こんなところに隠れていたなんてな」 一見、身奇麗ないつものリカルドだが良く見ると着ている制服はところどころ補修した跡が見て取れた。 「そういえば、こないだ隠し資金が押収されたとかニュースで言ってたな」 「違うぞ薙原。これは潜伏の仮の身であって……」 所詮はエリート。逆境には脆いようだ。かつての威厳が失せているように見える。 俺は説明を求めるようにクリスを見た。クリスもわかっているのか俯きながら事情を話し始める。 「初めの頃はその……それなりの隠し施設を転々としていたのですが、グレイゼン家にあった秘密基地一覧表が警察当局の手に落ちてからは、着の身着のまま新大陸に逃げ込むしかなくて……」 「秘密基地一覧表?」 「暗号にしていたというのに何てことだ。あの馬鹿と無能の集まりにも少しはマシなヤツが混ざっていたらしい」 エリートはどっか抜けてるという俺の自説は守られた。でもどこかショックを受けている俺もいた。ヒューズはともかく、このリカルドがなあ。 「アゼルはどうした」 ヒューズにエリーゼがいるように、そう言えばいつも必要以上にリカルドをよいしょする筈の女がいなかった。 「新大陸に渡る際、旅費がかさんでな」 うわ、なんか涙の物語っぽい。それ以上聞くのは憚れる。 「肉体労働にはドッツ。頭脳労働には私がいるのだ。あんな女は必要ない」 「頭脳いるのか? その逃亡生活で」 思い切り原始的な生活に見える。 「フン。クズはこれだから始末に終えない。いいか薙原、臥薪嘗胆という言葉を知っているか? 目先のことに囚われているお前には理解できないだろうが。私は人を統べるべく選ばれた者なのだ」 「いや、この状況で言われても説得力ないし」 相手が落ちぶれたから急に親しみを感じるのは失礼だとは思いつつも、以前のように向かい合っても肩に力が入ることはなくなっていることに気づいていた。 「お前らがどうしようと自業自得だが、せめてクリスぐらいは開放してやれよ」 「せ、先輩っ」 家の都合もあったとは言え、一人残すことで俺の分まで苦労を背負わせてしまったという罪悪感も多少あったのでそう言ってみる。 「ふっ。真っ先に出て行った奴がいっぱしの人並みの口を利くのか。笑止を越えて不愉快極まりないな」 「追い出したのはお前だろうが。第一、クリスを縛ってた金だってもうないだろ」 「それはその……」 「クリスの両親には十分な手当てはしてある。それに第一……」 実はとっくに司直の手が回って押収されていたりするのだが、潜伏生活を続けるクリスはもちろん、細かいニュースまでは疎いユウキも知らなかった。 「クリスのおさんどん能力はファルネーゼ随一。手放すつもりはない」 「……なんだって?」 「は?」 「へ?」 俺ばかりでなく、成り行きを見守っていたエリーゼやナツミもその言葉に硬直する。 「…あの、まさか会長」 「ん? なんだ」 「それだけの為に、私を…?」 プルプルと震えながら半分泣き出しそうな顔でクリスが、嘘だと言ってよリカルドとばかりに袖を引いて尋ねるが、リカルドはすまし顔のままその手を払う。 「何を言う。仮にも冒険者を志したものが食を疎かにするような発言は頂けぬな。倉廩満ちて礼節を知り、衣食足りて栄辱を知ると言うではないか」 「いや、なんか違うしそれ」 「拝啓、お父さんお母さん、お元気ですか。家事ができることで国家反逆者になってしまった親不孝者のクリスを御許しください」 「ク、クリス……」 遠い空を見つめて何やら懺悔し出すかつての後輩の姿を俺は見てられない。 「ふむ、そう感涙せずとも良い」 「おまえ、わざとだろ」 「何のことだかわからぬな、薙は―――むっ!」 「これは…だ、大スクープなのさっ」 度重なるショックから開放されたらしいナツミが、リカルドに向かってフラッシュを焚く。 パシャッ! パシャッ! 「や、止めろ! 地下生活が長かったから眩しいっ」 「クーデター未遂の首謀者は新大陸に住む自称食通の地底人だったのさ」 「どうしてそんな解釈になる!」 「うるせぇっ! 眠れねえって言ってるだろうが糞がっ… ぐわっ!」 パシャッ! パシャッ! 「更にはマウンテンマン! 地底人のペット登場なのさ!」 奥から現れた半裸姿のドッツにも迷わずカメラを向けるナツミ。 「あは、あはは、あはははは……」 その様子と膝から崩れ落ちたクリスを交互に見やってから、暫く放っておこうと決めるとエリーゼの姿を探す。 「ん? どうしたエリーゼ」 「……」 すぐ近くでしゃがみ込んでいるエリーゼに声をかけると、彼女は陶酔した目でそこに繋がれた子犬を見つめていた。 「犬? こんなところにどうして?」 「あ、その赤犬はメンチと名付けて、太らせてから食べるのだと会長が……」 諦め癖がついているのか思いの外早く立ち直ったクリスが解説する。 「何を言うんですのっっっ!」 「わっ」 その言葉にピクリと耳を動かしたエリーゼが立ち上がって叫ぶ。 しっかりと腕の中にその子犬を抱きかかえていた。 「そんなことは決してさせませんわ。この子は私がっ」 「待てっ どこへ行く」 そのまま抱きかかえた犬を守るようにしながら、駆け出していく。 「はあ? お、おいエリーゼっ!」 その行動に一瞬、面食らって反応が遅れたが慌てて追いかける。 「私がこの子を立派なマイフェアドックにしてみせますわ」 「わけのわからないことをっ。待てってば、おい」 「逃がすか。ドッツ! 栄誉ある私の血肉となる赤犬を追え!」 「……ボス、本気いや正気か?」 「会長、そろそろ諦めませんか」 どっと疲れた顔でリカルドを嗜めるドッツとクリス。 「何を言う。諦めたらそこでゲームセットだぞ」 「とっくに詰んでいるのさ」 憔悴しきった二人に代わって、フィルム交換をしながらナツミが答える。 「おーっほっほっほっ。薙原ユウキ。私を捕まえて御覧なさい」 「いや、だから待てって! これ以上迷子になってどうするつもりだお前は!」 山林という場所からして有り得ない速さで駆けるエリーゼを必死に追う。彼女とはぐれたらきっと見つけるのには最低でも一月はかかりそうそうだ。 「見くびらないことですわ。シーザーの娘であるこの私が迷子などと…ありえなくてよ」 「……おまえ今日一日の俺に謝れ」 散々追いかけっこを繰り広げてからやっと足を止めたエリーゼにもっと文句を言いたかったが、息を整えるのに精一杯だった。 「おほほほほ! そんなに汗だくになってまで追いかけてきて……そんなにこの私とこのワンダルフドックとの仲に嫉妬しているんですのね」 「はあ?」 「でもご安心なさいな。私の隣にはその……あ、あなたしかいませんわ」 「いや、頬を赤らめてそんな意味不明なことを言われても……それより戻るぞ。ナツミが心配だ」 今更にしてナツミをあの場所に一人置いてきたことに気づき、引き換えさせようと腕を掴もうと伸ばすが、強くその手を叩かれる。 「いってぇっ」 「なっ…、なんて血の巡りが悪いんですの! 私がこれほどまでにしているというのにっ」 「おまえが怒るのか!? それに怒るところなのか!?」 「きぃぃぃぃぃぃぃぃ――――っ、いいですわ。もうあなたには頼りません! このままどこまでもダッシュでしてよ!」 「だから何故走る!? って、エリーゼ前! 前っ」 「……は? んぎゃっ」 全く美しくない悲鳴をあげて、エリーゼは樹木に顔面から突っ込んだ。 「はぁ…もう勘弁してくれ。ほら」 その場で顔を抑えてしゃがみ込んだエリーゼを助け起こそうと手を伸ばすが、 「………」 僅かに顔を上げて恨めしそうに睨み付けるだけで動こうとしなかった。 「…もういいですわ」 「今度はなんなんだよ」 「もういいと言っているのですわっ」 また怒鳴るのか。怒鳴ることしかできないのかおまえは。ええい、もう頭にきた。 「いい加減にし―――!?」 言いかけたが、エリーゼの顔を見て言葉が詰まる。怒っているようには見えない。 「私のことなど放っておいてナツミさんのところにでもどこにででも行けば良いのですわっ」 「おい、エリーゼ?」 いつものヒステリーではない。決定的に、何かが違った。空気が、雰囲気が、そして何より彼女は涙こそ流していないが、俺には一瞬エリーゼが泣いているように感じられた。 「なまじ優しくされるからこそ、こんな気持ちになってしまったのですわ! いつもいつも中途半端に…、ふとした態度に悩まされるのも、ちょっとした気遣いに糠喜びするのも独りよがりの勘違いに過ぎなかったのですわ!」 俺は呆然とただ、彼女の叫びを聞くだけだった。 こんなエリーゼは、知らない。 初めて会った時から彼女は傲岸不遜で高飛車で我侭で、出自をひけらかすばかりの無茶苦茶な奴だった。 「薙原は…、あなたは私のことなど旅の仲間としか思っていないんでしょう!? 私は違いましたわ。ええ、違いましたとも! 魔法使いとしてリナさんではなく私を選んで下さった時、蒼香さんやフィルさんが同行しないと知った時、私がどんな気持ちになったのはあなたはご存じないでしょうっ!?」 学園で過ごしてきた間も俺の前ではいつも傲慢で自慢ばかりするくせに、妙に肩肘張って、精一杯背伸びをしてばかりだった。 「卒業してからはずっと一緒だったのに…、周りからは冷やかされながらも囃されていたのに…、私一人だけドキドキするだけでっ、もうウンザリです。ウンザリですわっ! こんなにムキになって、必死になっても空回りばかりで……いつも私だけがバカを見ることになるのですわ!」 その一方でいつも自分の見栄に見合うだけの努力も影でしていた。決して人前では弱音を吐かず、翳った表情を極力見せないようにしてきていた。そんな彼女が… 「な、なあ……」 「一緒にいられるからこそ、他の誰にも邪魔されずに傍にいられる時間が長いからこそ……辛かった。なんとも思われていないと知るのが怖くて! この関係すら失うのが怖くて! 素直になれない自分が恨めしい反面、それだからこうしていられるのではと考えてしまう自分が情けなくてっ」 こんな風に思っていたなんて。 「今日だって…、あなたがそんなんだから……私に勇気がないから…マジックアイテムに頼るしか……なかった、なかったんですわ……」 「……」 ナギーは鈍いのさ、そうナツミが言っていた言葉を思い出す。 思い当たることがあった。先輩やフィルが妙に引き下がったのも、これが理由だとしたら。リカルド失脚後のファルネーゼの為に戻った先輩はともかく、あのフィルが姿を消すようにしていなくなったのは、彼女は気づいていたのか。出立前にリナが同行するエリーゼを大切にしろと言ったのも、単に女の子を守れとか言う意味ではなくもしかして……みんな。 「お馬鹿さんなのは私でしたわ。ろくに知りもしないで、思い込みばかり激しくしてしまって…昔からそうでしたわ。気を許すと騙されたわけではなく、勘違いしてしまうから、間違えてしまうのですわ。最初から……達観してさえみればなんてことはないのですわ。少し寂しいだけでなんともないのですわ……」 「エリーゼ」 彼女はずっと、こんな毎日を過ごしてきたのだのだろう。俺は大事な目標があったし、冒険を冒険として楽しむことができた。彼女と諍いあいながらも、協力してこの日常を続けることをただ受け入れていた。そこに不安も疑問もなかった。前を見ていたからなのか。彼女はきっと横を向き続けていたのだろう。俺がいる横を。 そんなことにも俺はまったく気づかなかった。少しも考えもしなかった。それは何故だろうと自問する。 「こんなことならやっぱりお兄さまと共にすべきだったのですわ…」 繰言を言う。これは、エリーゼじゃない。エリーゼではあってはいけなかった。 「エリーゼ!」 「なんですの」 強く肩を揺すって顔を上げさせる。その生気が乏しい表情に一瞬怯むが構わず続けた。 「悪かったな、全然気づかなくって」 彼女をこうしたのは俺だ。そして彼女を戻すのは俺だ。自然のことだった。 「それはもう、いいのですわ。もう」 「もうだめなのか」 そしてそれは義務ではない。責任でもない。そうあって欲しいと思ったから。 「え」 「もう手遅れなのか、それは」 だから伝える。さっき自問したこと。その答え。 俺はどうして当たり前だと思っていたのか。気づきもしなかったのか。 「薙原…?」 「それは終わってしまったのか、お前の中で。諦められてしまったのか、俺は」 きっと俺はずっと…… 「い、いいんですのよ。そんなに気を使って貰わなくても、余計に惨めに…」 目に動揺が走っている。まだ、終わっていない。 そう思ったらとても嬉しくなっていた。 「俺は、 だぞ」 「……え?」 「えじゃない。ほら、そろそろ機嫌直して行くぞ」 「今、なんとおっしゃいましたの」 「さあな」 「言いなさい! 薙原ユウキっ」 「うっさいうっさいうっさい。さっさと行くぞ」 ぶつかった際に足を挫いたのか、単に疲れがピークに達したのか散々喚き散らした挙句、彼女を背負って戻る。 「な…ちょ、ちょっとお待ちなさい」 「いいからしっかり捕まってろ」 「こんなことで…私はごまかされたりしませんですわよ」 「…だったらなんだ」 「おーっほっほっほっ。今日のところは特別に許して差し上げても良くてよ、薙原ユウキ!」 彼女は俺の背中で笑っていた。いつもの調子とまではいかなかったけれども。振り返ったら殺しますわよと言った彼女の声はいささか湿っぽくなっていた。 「まあ、いいか」 俺にして見ればただ、自覚しただけだった。気づかなかったことに気づいただけだ。 そして、失くすことなどありえないと思っていたから。 「なんか照れくさくなってきたぞ。降ろしていいか」 「ふざけたことを言ってますと、雷を落としますわよ!」 「別にふざけたつもりはないが」 不安が晴れたらしい彼女は饒舌だった。何度か片手が俺の胸の前から離れる。ハンカチを持っていたら貸してやれるのにな。そんなことを思える余裕ができていた。 「キズモノにした責任、取ってもらいますわ!」 「キズモノって……」 足を捻っただけだろうが。悪くてもせいぜい捻挫だ。 「それにさっきの言葉、改めて聞かせていただきますわ」 「しつこいな、おまえも……」 喋りながら頬が綻ぶのが自覚できる。 ああ、ずっと楽しい。さっきよりもずっと。 こんなことなら、 「もっと早く気づいていれば良かったなあ」 「うるさいですわっ。あれは……その、本音を引き出すための策略ですわっ」 「ああ、そうだな。とりあえず、これからよろしくな、エリーゼ」 「ええ、仕方がありませんわね。しぶしぶですが付き合って差し上げますわ」 これからも。 ずっと。 一方リカルド達は、 「この糞女っ …ぐへぇっ!」 「HAHAHAHAHAHA! 悪は一人も逃がさない! セントジョン・フォー・ジャスティス!」 「パパー、一気にやっちゃうのさー!」 「なんの、まだだ、まだ終わらんよ。テラーっぽい箱よ、私に力を!」 その潜伏生活にピリオドが打たれようとしていた。 | |
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