第一章
第二章
微笑みと言う名の花の下で
あの戦いから数ヶ月。鴉丸羅候、破滅を招く者に打ち勝った魔神勇二は、
己の呪われし運命の呪縛を断ち、家族や友、そして最愛の恋人、鏡守萌木とともに、
平穏な日々を過ごしていた。
しかし、勇二は気付いていなかった。〈破滅の刻印〉が振りまいた災いの残り火は、
完全に消え果ててはいなかったことを。
そしてそのうちの一つが、怨嗟の黒煙を上げはじめていることに……
第一章 魔人襲来
一、
二月下旬、春近い穏やかな昼下がりの鏡守神社、境内。
社務所の縁側で鏡守蘇芳は、日本茶をすすりながら日向ぼっこをしていた。
萌木は、勇二と一緒に街へ出かけており、境内には蘇芳一人しかいない。
「フフ…萌木様もやっと、人としての幸せを得ることができたのだな…」
出かける時の、萌木のうれしそうな様子を思い出して、蘇芳は目を細め、呟いた。
その瞳に、子供を見守る父親のような、優しい光を宿しながら。
蘇芳の記憶にある萌木は、いつも無表情な少女だった。
今の萌木も、感情を表に出すことはほとんど無いが、それでも言葉や雰囲気で、
どう思っているかくらいは察することが出来る。
しかし、かつての萌木は(無論、優しくはあったが)現在以上に寡黙で、胸中を
人に明かさない女性であった。
おそらく萌木は自ら、自身の感情を殺しているのであろうと、蘇芳は考えていた。
永遠に等しい時を生きる。そんなこと、普通の人間に耐えられる訳が無い。まともな
神経の持ち主であれば、すぐに発狂してしまっていることだろう。
だから萌木は感情を殺すことで、自我を保とうとしたのであろう。それは、悲しい選択。
しかし――
「それも、もうじき終わる…」
勇二の存在。それが、萌木の凍った心を溶かしはじめている。
だから近い将来、萌木が自然に笑える時が来る。
二人の、幸せそうな様子を思いながら、蘇芳はそう確信していた。
「っと、もうこんな時間か」
ふと、壁掛け時計に目をやれば、じきに三時になるところだ。そろそろ二人が
帰って来る頃だろう。
蘇芳は、二人の為に、茶菓子の用意をしようと考えた。メニューはもちろん、よもぎ餅だ。
腰を持ち上げ、厨房へ向かおうとしたその時――――
ヅドォォォォォォンッ!!
「!?」
突然、境内に爆音が響き渡った。
蘇芳は縁側から飛び降り、音がした方向――本殿正面へと走り出す。
二、
社務所の横手を回って、本殿前の広場へと一気に駆け付けると、
蘇芳はその場の変化を目の当たりにし、言葉を失った。
社の前面がグシャグシャに破壊され、見るも無残な姿を晒していたのだ。
さらに、砕け散った戸板や柱の木片が、 境内のあちこちに 飛び散り、
まるで、爆弾でも放り込まれたかのような、惨状が広がっていた。
「一体何事だ…?」
呟きながら、蘇芳はゆっくりと、油断なく本殿へと進む。
「よっ……と」
隙間から社の内部を覗き見ようと、蘇芳は砕けた入り口へ顔を近付けた。
その刹那、背筋に悪寒が走った。
蘇芳は反射的に右へと跳ぶ。
一瞬遅れて、蘇芳がいた場所へ、背後から縦に銀光が走った。
二、三メートル先に着地した蘇芳は、振り返り、襲撃者の姿を確認する。
三メートルはあろうかという長身に、頭からすっぽりと被った、象牙色のぼろ布。
そこからのぞく手足は異様に長く、節くれ立っており、その色は墨を塗り付けた
ような漆黒。
ソレは、人と呼ぶにはあまりに異常な存在。
「お前は!?」
襲撃者――<異形〉は散漫な動作で、ゆっくりと蘇芳の方へ振り向いた。
頭部を覆う布の間から、ほおずきのように紅い双眸が、炎のようにゆらぐ。
〈異形〉は、刃渡り百数十センチはあろうかという、 肉厚の刃を
だらりとぶら下げていた。凝った飾りなど一切ない、無骨な戦場刀――野太刀だ。
おそらく先程、蘇芳を襲った一撃もこれであろう。
「アイツ ハ ドコダ………」
〈異形〉が、くぐもった声を上げた。
「…………?」
その問いの意味するところがわからず、押し黙る蘇芳。
「アノオンナハドコダァァァッ!!!」
〈異形〉が怒号を上げ、野太刀を振り上げた。
「っ!?」
凄まじい速さで、鉄塊に等しい刃が蘇芳の頭部へ叩き込まれる!
しかし――
ガギィィィィィィィィィィンッ!!
骨肉を断つ鈍い音も、血液が飛散した水音もせず、 境内に響いたのは
激しい金属音が一つだけ。
見れば、蘇芳は〈異形〉の一撃を、抜き身の小太刀で見事に受け止めていた。
彼がいつも腰に差している、護身用のものだ。
アノオンナ――蘇芳が知る者の中で、〈異形〉のこの言葉に該当する人物は
一人しかいない。
(狙いは、萌木様か)
おそらく、それに間違いないだろう。
(ならば、ここで滅する!)
蘇芳は素早く後方へ跳び、手にした小太刀を正眼に構える。基本にして 最強、
攻防一体の構えである。
同時に、蘇芳の表情が変わった。先程の優しげなものではなく、 岩のように硬く、
感情を殺した、戦士のそれに。
「b女守部(かみめのもりべ)が一人、鏡守蘇芳、参る!」
名乗ると同時に蘇芳は、地を這うような低い体勢で、〈異形〉に向かって走り出した。
三、
「グルアァァァァァァァァ!」
狂気を孕んだ叫びを上げながら、〈異形〉は走り来る蘇芳めがけ、野太刀を横一線に
なぎ払う。
蘇芳は飛び上がってその一撃をかわし、がら空きの相手の頭部へ、小太刀を
叩き込もうとした、その時――
ヴンッ!
鋭い風切り音が耳に届き、反射的に蘇芳は、側頭部の脇に剣を立てる。
ギムッ!
「ぐぅ!?」
小太刀を手にした両手が、衝撃で痺れた。〈異形〉の切り返した、逆袈裟の一撃に。
(信じられん!)
着地した蘇芳は、心中で舌を巻いた。野太刀は威力こそ絶大ではあるが、
その長さと重さゆえ、 一撃一撃に大きな隙を生む。
だが〈異形〉は、まるで小枝でも振り回すかのように、あっさりとその定説を
覆してしまった。
(否。物の怪に常識を求めたこと自体が、誤算だったのだ)
「ワタセ! アノオンナヲ、アノオンナヲワタセェェッ!!」
休む間も与えず、〈異形〉が襲いかかって来る。
それはまさしく、息も付かせぬ 猛攻であった。強烈な斬撃、刺突の嵐を、
蘇芳はかわし、防ぎ、受け流し、何とかやり過ごす。
閑静な境内が、けたたましく鳴り響く金属音に支配されてゆく。
四、
(まずいな …)
剣を合わせること数十合。〈異形〉の剣は以前と変わらず重く、鋭いままだ。
それに対して蘇芳の動きは、自分でもわかる程、キレが無くなっていた。
このままでは、数分もしないうちに境内に血の花が咲くことになるだろう。
(次で決めなければ…もう後は無い…)
蘇芳は乾坤一擲の覚悟で、〈異形〉の次の一撃に全神経を集中した。
「ガァァァァッ!」
叫びとともに、〈異形〉が大上段から野太刀を振り下ろして来た。
蘇芳は小太刀を頭部より少し上に構え、受け止めた。
ここまでは、今までと同じ。しかしここからの行動が先程とは一線を画していた。
蘇芳は防戦一方には戻らず、 〈異形〉が次手を繰り出す前に、 素早く相手の懐へ
潜り込み、同時に小太刀を口に咥えて、野太刀を持つ、伸びきったままの相手の
片腕を両手で掴んだ。
自身の腰と両手足に力を込め、蘇芳は〈異形〉を石畳へと投げつけた。 それは、
お手本のような 見事な一本背負い。
裏柳生――剣術と組み手(格闘術)をミックスさせた武術。蘇芳はその使い手で
あった。
「ガッ!」
背中から叩きつけられた〈異形〉が短い悲鳴を上げた。
蘇芳との距離はだいたい四、五メートルくらいだろう。
戦場での技法や、裏柳生の戦法であれば、このまま相手に馬乗りとなり、持っている
小太刀で喉笛を切るか、心臓を突くのが常套手段なのだが、蘇芳はそれをしなかった。
(そんなちゃちな手が効くような生易しい相手ではない)
蘇芳は咥えていた小太刀を鞘へ戻すと、左手を腰に当て、右手は人差し指と中指
のみを伸ばした、『天沼矛印』(あまのぬぼこいん)と呼ばれる印を結び、眉間の前に
構えた。
ゆっくりと、〈異形〉が立ち上がり、蘇芳の方へ顔を向ける。
「グオォォォォォォォォォッ!」
標的を捕捉し、野太刀を構えて一気に詰め寄る〈異形〉。
数秒とかからず、蘇芳は野太刀の射程に入っていた。 だが、蘇芳に慌てた様子は無い。
ヴンッ!
野太刀が振り下ろされた。同時に、蘇芳は左足を踏み出し、
「イエェェェェェッ!!」
裂帛の気合とともに、印を袈裟懸けに振り下ろした。
ドォォォォォォォォォンッ!
次の瞬間、耳をつんざくような轟音がこだまし、〈異形〉は地面とほぼ平行に吹っ飛び、
境内を囲む鎮守の森へ突っ込んだ。
バキバキと豪快な音を立て、何本か木が倒れる地響きがした後、境内は元の静けさを
取り戻した。
「はぁ、はぁ…」
蘇芳は額にびっしりと汗の玉を浮かべ、肩で息をした。
「全力を込めた『雄詰』(おころび)…流石にこの歳ではきついか…」
『雄詰』――神道の行法の一つであり、気合をもって悪魔や禍津神(まがつかみ)を
調伏する術である。
常人がもちいても、まじない程度にしかならないが、力を持つ者が行えば、この通り、
不可視の衝撃波を生み出す。宮司である蘇芳ならではの切り札だ。
「さて、奴は…」
蘇芳は息をととのえると、〈異形〉の生死を確かめる為、吹っ飛ばした先――鎮守の
森へと足を向けた。
五、
用心の為、蘇芳は小太刀を抜き、構えながらゆっくりと森へ近付いて行く。
前方から気配は感じない。静かなままだ。
(もっとも、『雄詰』を喰らって平気でいられる者など、阿眞女くらいな者だが)
ガサッ!
その時、森の奥からわずかに、葉がすれる音が聞こえた。
「ぬっ!」
蘇芳は自分の正面に剣を立て、防御の体勢を取る。
しかし、その行動間違いだった。
「――――――!!」
「!?」
ズドォォォォォンッ!!!!
森の奥からこだました絶叫と同時に、凄まじい衝撃が蘇芳を襲った。
大型乗用車に体当たりでも喰らったかのように、その体が後方へ吹っ飛ぶ。
境内を転がり、鳥居にぶつかってようやく動きを止める蘇芳。
前面に構えていた小太刀のおかげだろう、あれほど強烈な衝撃であったというのに、
その身には、意識も命もしっかりと残っていた。かわりに小太刀はバラバラに砕けて
しまったのだが。
「だが、先程の一撃はやはり………ぐっ!」
蘇芳は、無理やり体を起こし、森の方を睨む。
ガサリッ
その視線の先より、〈異形〉が姿を現した。驚くべきことに、全くの無傷のままで。
いや、今の蘇芳にはそんなことも微細な問題に過ぎなかった。〈異形〉の右手の、
『天沼矛印』に比べれば――
第一章 魔人襲来 (了)
後書き
ども、六文銭です。初投稿で長々と書いてしまいました。
しかもオリジナル設定の嵐!ああ、すいません…
おまけに勇二も萌木も出て来ず、ひたすら蘇芳と
化け物だけだし。ああ、こんなはずでは…
二章以降もがんばって書きますんで、
待っていて下さい(そんな方が一名でもいますように!)
ではまた。
※ちなみに、蘇芳が使っていた『雄詰』や『天沼矛印』ですが、
実在します。 (まあ、技としての設定は多少いじっていますが)