ルートT
胎動 2



「まさか、人間界に降りてくることになるとは」
 多少の自嘲を含み、ホーネットはアイスの町を歩いていた。
 目立たない格好のつもりなのだが、それなりの視線を浴びている。
 それはひとえにホーネットの美貌がなせる業だが。
 ホーネットはそれが、自分の珍妙さのせいだと思い込んでいた。
 アイスの町。
 自由都市の一つで、キースギルドのある栄えた都市である。
 いろいろな厄介ごとがあるものの、特色としては平坦。
 良くも悪くも、特徴のない街である。

 ただひとつを覗いては。

 実のところ、そのただひとつが難点で、ホーネットが足を運ぶ理由もそれだ。
 ホーネットは町を歩き、一軒の平屋の前に立つ。
 そして、少しだけたじろいだ。
「……まさか、ここが?」
 ホーネットはもう一度、その平屋を眺める。
 それが虚構ではないかと確認する意味で。
 けれども確かに、それは現実で、その平屋はかのリーザス王が住む家だった。
 ホーネットは頭を抱える。
「一時は世界を治めた者が、このような平屋で暮らすなど。大物なのだか、小物なのだか」
 しかし、気を取り直して玄関をノックする。
 ドン。
 バキン。
「……あ」
 力の加減を間違えてしまった。
 まさか、人間の住宅がこれほどの軟弱さであるとは。
 これでは、魔族の侵攻も防げないではないか。
 もし、突如魔人が破壊の魔術を放ってきたらどうやって防ぐつもりだろう。
 ホーネットの脳裏に疑問がよぎる。
 すると、そこに。
「あの……もしかして、ホーネットさんですか?」
 ホーネットは背後に気配を感じ、その姿を見る。
 それは知った姿だった。
 多くの女性を得て女性に優しいだけのランス王が唯一傍におく女性。
 そう、彼の奴隷であるシィル=プラインだ。
 ホーネットは、ランスが彼女のことだけを特別に扱うので良く覚えていた。
 一時はランスの恋人だと思ったほどだ。
 しかし、事態はもう少しややこしいものらしい。
「あの、ホーネットさん?」
「あ、ええ」
「魔族の長たる人間が、このような場所に何か用でしょうか?」
「ええ。ランス王に会いに来ました」
 シィルは顔をゆがませる。
 当然だ。
 彼女は戦いを、そしてランスが争いに巻き込まれることを好まない。
 しかし、ホーネットはあえて言った。
「お取次ぎお願いします」

 ●〜〜〜●

「で、ホーネットちゃんはこのハイパーウルトラミラクルすごい俺様に、もう一度世界を救えと言うのか?」
「はい。そのとおりです」
 和式の居間に正座をして、ホーネットは頷く。
 ランスは大股開いた格好で、鼻くそをほじくりながら頷いた。
 ホーネットは続ける。
「このたび、各国で謎のエンジェルナイトが多数目撃されました。それにともない、何か強大なものが動いているようです」
「ほう。それは大事だな」
「そうです、大事なのです」
「ふむ。で、香姫ちゃんはなんと言っているんだ?」
「ええ。創造神は女神……いえ、ランス様にはワーグといったほうがいいですね。彼女がちゃんと眠らせているようです」
「ガッハッハ。当然だ。あいつは俺様との約束をちゃんと守るからな。あいつも可愛いやつだ」
「……」
 ホーネットの胸中に複雑な思いが宿る。
 ワーグは……様々な意味で嫌いだ。
 彼女には、いやな思い出が沢山ある。
「粗茶ですが」
 シィルが運んできたお茶を、ホーネットは一気に飲み干した。
「それで!」
 ホーネットは、声を荒げる。
「このたびはランス王に何らかの形で、我々の先頭に立って欲しくここに参上しました。すでに各国は一枚岩となりエンジェルナイトの侵攻に様々な手をうっております。ランス王、お願いです。今一度、我等に力をお貸しください」
「うむ。しかし、エンジェルナイトは派手な動きをしないのだろう」
「ええ。それはそうですが……」
「なら、心配するな。これからも何も起こらん」
「いえ、ですが香姫は」
「うるさい! 俺が起こらんと言ったら何も起こらんのだ!」
「……はあ」
 ランスは時にこのような短絡的なかんしゃくを起こす。
 思慮の深い性格ではないのだ、とホーネットは思った。
 だが、それも次の言葉でその考えは打ち壊された。
「大体。ホーネットちゃんはあの化け物に勝てるつもりか?」
「……は?」
 ランスは耳掻きで耳をかきながら。
「さすがの俺様と言えども、エンジェルナイトは相手にするのがしんどかったぞ。まあ、俺様の華麗な剣技があればヤツラの百匹や二百匹、楽に葬れるが、それでもヤツラは……ホーネットちゃんの相手にできるほどの敵なのか?」
「それは……」
「魔人どもの無敵結界も、あいつらの前じゃあ役に立たなかったんだろ。俺様は覚えているぞ。ガルティアやメガラスのバカどもがボロクソにやられていくのを。俺様はどう考えても、ホーネットちゃんや魔人どもが、あいつらの相手になるとは思えん」
「しかし、現在は人間がいます。人間の力はランス王も知ってのとおり、そこが知れません。そう、人間こそが大陸で最も強い……」
「だから、ホーネットちゃんは魔王になれなかったのだ」
「え……」
 ホーネットは、自分の胸の中で一番痛いところをつかれ、愕然とする。
 だが、ランスは気にすることもなく言葉を続けた。
「人間なんてものはすぐに死ぬ。数はいるが、魔族だって負けちゃいない。人間と魔族が戦ったとして、人間はあっさり負けるだろ。それに加え、魔人だ。魔人は強い。俺様と、まあものすご〜く位置は下だが健太郎以外の人間は、戦うことすらできないだろう。これがどういうことかわかるか?」
「……」
「答えられないか? それとも、答えたくないのかな、ホーネットちゃんは。こういうことだ。この大陸で最も強い存在は魔人。どうやっても、その不文律は変わらない。リアのやつあたりは図にのって人間も負けていないとか言っているかもしれんが、ホーネットちゃんたちが少し本気になってみろ。たちまち魔族の世界が復活するぞ」
「ですが、先のケイブリスでの争いでも」
「ああ、それは俺様が無敵だからだ。団結もできない。まとまりがない。自分勝手に動く魔人どもはたくさん付け込む弱みがあったからな。わりとあっさり勝てた。でも、魔王が復活して魔人に統率力が戻れば。厄介な世界になってしまうかも知れんな」
「……なら、魔王を復活させろと」
「ホーネットちゃんは本当にバカだ。美樹ちゃんを魔王にしてどうする。その前に、やることがあるだろ?」
「やること?」
「その、らだ……るだ……そうそう、レダだ。レダと呼ばれているやつをぶっ潰せばそれでこの騒動はお終いだ。面倒な戦いなんてしなくて済む」
「……それが、王の意見だと」
「そうだな。それが一番だな」
 ホーネットは拳を握り締め、再び力説した。
「やはり、我々をまとめるのはランス王しかいません。今一度、お力を!」
「いやだ。俺はあんなくじらにかかわるのは二度とごめんなんだ」
「ルドラサウムが怖いと?」
「違う。ただ、あのくじらは胸糞悪いんだ。もう二度と、あいつにだけは会いたくない!」
「……」
 ランス王は臆病風に吹かれたのだろうか?
 ホーネットはそんなことを思った。
 くじらをここまで恐れるランス。
 そう、ランスにとって唯一無比の恐怖がルドラサウムなのだ。
 だから、ランスはそれから逃げている。
 ホーネットはそう考えた。
 しかし。
「あれは、やばい。どうにかならないならそれが一番だ」
「それは、どういう意味でしょう」
「言ったとおりだ。俺様がホーネットちゃんなら、四の五の言わずにレダを探してして殺す。ワーグがやばいなら、ワーグを脅してでもルドラサウムを眠らせる。それでもルドラサウムが起きると言うなら……俺様がルドラサウムを殺す」
「……」
 ホーネットは感嘆の息がでた。
 結局、ランスはどこまで行ってもランスだった。
 面倒くさがりで自分勝手、だけど、どのような事態でも何とかしてみせる。
 それが、鬼畜王と呼ばれた男の姿だった。
 ホーネットは感動して思わず声を荒げた。
「ランすおう、わたひはそんけひしました。そこまでふかい、しりょ、しりょ……あれ?」
 ランスが立ち上がる。
 それは今までのような聡明な表情ではなく。
 スケベとエロと鬼畜を混ぜ合わせたような表情だった。
「クハハ。ついに酔いがまわってきたな! ホーネットちゃん!」
「へ?」
「ホーネットちゃんとやるために、シィルにわざわざお茶と見せかけたアルコールの強い酒を出させて、ホーネットちゃんを酔いつぶしたのだ! そして、酔いが回るまでわざとホーネットちゃんの喜ぶような話をしていたのだが、ここまで上手くいくとはな!」
「は、それわどういふことで?」
 ランスの目が光る。
「ホーネットちゃんは、処女かな〜? シィル! 今から俺様愛蔵のエロエログッツをもってこい!」
「は、はい! ホーネットさん! ごめんなさい!」
 ホーネットはランスに押し倒される。
 すでに衣服ははだけ、両方とも半裸の状態であった。
「ま、まっへ。すきなひととさいしょだってきめれるんらから」
「ガッハッハ。覚悟しろよホーネットちゃん。眠っても何度でもやるぞぉ!」
「あてなも混ぜて欲しいのれす!」
「へ? へ? へ?」

「ひやはぁあぁああああああはあああああ!」

 ホーネットの叫びが、アイスの町に響き渡った。

 ●〜〜〜●

 漆黒の闇が在る。
 その闇に光が灯る。
 光は人の形を描く。
 人は光の形を描く。
 光が描く。
 人が描く。
 一つ一つのキャンバスに、十重二十重と色を重ねる。
 汚れたキャンバスは色を混ぜ。
 新たな息吹が流れ出る。

「卵の殻を破らねば雛鳥は生まれずに死んでいく」
 野太い男の声が響いた。
「我らは雛だ、卵は世界だ」
 気品ある女性の声が響いた。
「世界の殻を破らねば我らは生まれずに死んでいく」
 優しげな女性の声が響いた。
「世界の殻を破壊せよ」
 老獪な男の声が響いた。
「世界を革命するために」 
 若い男の声が響いた。

 魔王宮に光が灯った。

 ●〜〜〜●

「……で?」
 リアがテーブルに肘をつきながら訊く。
「これ、少女革命ゴッコ? 一体何の意味があるの?」
「気分じゃないか。こうすればせっかくの各国首脳会議も盛り上がる」
 と言ったのはピッテン。
 気分はすっかり仕切り屋だ。
 リアは嫌そうな顔で呟いた。
「なによ。小国の王子風情が偉そうに」
「ははは、子猫ちゃんはかわいいな」
「誰が子猫ちゃんよ! あんた、本気で戦争しかけるわよ!」
「やめとけよ。せっかくうまくいってるんだから」
 パットンがあきれた表情で二人のケンカを止めた。

 ここは魔王城の最上階。
 風の吹き、太陽が黒く敷き詰められた雲の合間からわずかな赤い光を放つ。
 瘴気が溢れ、人の身では気が触れそうになるような空間。
 しかし、ここに集まっている人間でそれに耐えられなくなるような者はいなかった。
 そう、あれから三ヶ月以上が過ぎて。
 本日、二度目の首脳会議がホーネット主催で開催されることになった。

「大体さ〜」
 リアが呟く。
「あたし達が一致団結して戦う敵はなに? そもそもそれから決まっていないんじゃない。エンジェルナイトだのなんだの言って結局はあの魔王の娘の詭弁じゃないの? あたし、嫌よ。あんな女に騙されるの」
「男は女に騙されてこそ価値が上がるというものだ」
「あたし、男じゃないわ」
 ピッテンの言葉にだれた調子で言い返すリア。
「そうよ。結局、あたし達を騙してるだけじゃない? ホーネットは」
「それはないと思います」
 香姫がおずおずと言う。
「この三ヶ月間、日増しに破壊神の夢を見る機会が増えています。破壊神は相変わらず女神の力によって眠っていますが、いつ何時、目覚めるかわかりません。それも……」
「レダ、というのだな」
 ガンジーの言葉に頷く香姫。
「ええ。レダと呼ばれているエンジェルナイトは何度も破壊神の前に立ち、あの女神の少女に殺意を向けています。あの少女が殺されるのも時間の問題かも」
「それもいい気味よ。あいつ、ダーリンのハーレムにいるとき、チョー生意気だったから、殺されちゃった方がいいわよ」
「ならん!」
「……なによ」
 ガンジーの言葉にリアが少し怖気づく。
「あの女神が破壊神を封印していることによって、この世界の均衡が保たれているのだ。もしあのワーグと呼ばれている少女が殺されたとしたら、この世界はたちまち、滅びへの道を歩むであろう。そんなことさえてしまったら、我々はあのランス王に対して、永久に顔向けできないであろう。その自体はなんとしても防がなければならない」
「それはわかってるわよ。それよりさ……」
 リアはガンジーを指差す。
「その髪型、なに? イメチェン?」
「そのとおりだ。ワシも世風の人気に負けぬように『いめーじちぇんじ』とやらを図ったつもりだ」
「いや、似合ってないから」
 リアは、ガンジーの鉄腕アトムみたいな髪型を指差して呟いた。
 ガンジーは海賊風の服装から、王家の服装にイメージチェンジしていた。
 髪もアトムかマジンガーみたいに二つの角が生えている。
 そこで、ガンジーは思い出したかのようにピッテンに言った。
「そういえば、ピッテン殿。そなたの弟にあったぞ」
「ほう。いかがでしたか? 俺の分身は」
「なかなかかわいい弟だった。聡明だ。少し軟弱だが。頼りなさはあるが、思案する力はあるらしい。これからといったところだな」
「手厳しい。まあ、あいつにしちゃあ上等だな」
「俺も会ったぞ」
 パットンが続けて言った。
「あれはそう……ヘルマンの騒乱のひとつにお前の弟が関わっててさ。噛み付かれたぜ。なかなか、骨のあるやつじゃねえか。まあ、向こう見ずだけどな。それぐらいでちょうどいいさ」
「へえ、あいつもたくましくなったもんだ」
 ピッテンは感心したように息を吐く。
 リアは興味しんしんと訊く。
「ガンジーもパットンも、こいつの弟に会ったんだ。ねえ、どんなやつなの?」
「美形だ。女にもてそうだ」
「大人しそうな少年だったな」
「へえ、いくつ?」
「今年で、十六だったかな?」
 ピッテンが答える。
 そして、おかしそうに訊いた。
「ほう、リーザスのリア女王陛下は俺の弟に会いたいのかな?」
「バカ。そんなんじゃないわ。ただ、あんたの二号がいたらいろいろ大変なのよ。あんたほどの口先だけで調子のいい優男が二人もいたらたまらないわ」
「手厳しい。でも安心しろ。俺の弟は俺に似てない。むしろ、騙されやすいぐらいだ」
「あっそ、安心したわ」
 リアの言ったことは半分嘘で半分本当。
 ピッテンのようなやり手が王座に立ったら自由都市との交流がやり辛くなる。
 ピッテンが国王になったらかならず、自由都市を掌握しようとするからだ。
 ピッテン=チャオと呼ばれる男は、底意地の悪い卑劣な男である。
 側面では、リアと同じ部分を持っている。
 それが理由の一つ。
 もうひとつは、純粋にポロンという少年に興味があるのだ。
 そんな言葉、恥ずかしくて口に出せるわけがないが。
「香姫はどうですか? 弟に会いたいならあいつを出張らせますが」
「そんな、一国の王となられる人間を顎で呼ぶなんて失礼ですわ」
「いいんですよ。どうせ暇なやつだから。そうですね。今度、あいつをジャパンに向かわせて香姫と話す機会をつくってやりたいのですが。美人と話すのが男のステータスです。あなたと話せれば、男として金紙にも等しい箔がつくでしょう。いかがです?」
「ええ、考えておきますわ」
「白々しい」
 リアがうんざりしたように呟く。
「きっとパランチョのピッテン王子は口から先に生まれたに違いないわ」
「ああ。君のダーリンのようにあれから先に生まれたとは考えられないな」
「ダーリンの悪口を言わないでよ」
 ピッテンは肩をすくめる。
「失礼。彼ほどの人間をけなせるほど俺は偉い立場じゃなかった」
「いまさらの言葉じゃない。この減らず口」
「それは、誉め言葉として受け取っておこう。さて」
 ピッテンはホーネットを見つめて言った。
「そろそろ、本題だ」

 ●〜〜〜●

「ホーネット、股間を押さえてどうしたのよ」
「訊かないでください」
 と、ホーネットは注釈する。
 そして、一同を視線で舐め、言った。
「今、ランス元国王と会ってきました」
「ダーリンと!」
 リアが立ち上がる。
 そして、敵意をむき出しにしてホーネットに食ってかかった。
「まさか、あんたダーリンを食べちゃったんじゃないでしょうね! もしそうなら、今すぐ魔人との大戦を再開してもいいのよ!」
 その言葉に、ホーネットは反論する。
「私だって、必死に抵抗したんです! でも、国王は放してくれなくて……」
「なによ! なんだかんだいってもあんた、ダーリンに抱かれに行ってたんでしょ! それも、今回だけじゃないわね! 寂しくなるたびに、この魔城を抜け出して夜な夜な、ダーリンに慰めてもらいに行ってたのよね! もう、何て女! もう信用できない! あたしは降りる!」
「待ってください! ランス王に会いに行ったのは今回が初めてで彼との肉体関係も初めてです!」
「なにをまあ、白々しいことを! ホーネット、覚えておきなさい! 次あったときはカオスでギタギタにしてやるから! ダーリンが許さなくてもあたしがやるわ!」
「バカ言わないでください! それしきのことで!」
「それしきのこと? よくもまあ、泥棒猫! あの奴隷よりたちが悪いわ!」

 ギャーギャーニャーニャー。

 パットンもガンジーも、香姫もうんざりしている。
 仕方がないから、ピッテンが止めにはいった。
「やめておけ。二人とも。ここは公式の場だろう」
「うるさい! 小国の王子! あんたも八つ裂きにしてやるわよ!」
「黙ってください! 私だって好きで抱かれたわけじゃないんですよ!」
 ピッテンは頭を抱える。
 そして、告げた。
「リア女王、いいことじゃないか?」
「いいこと? ダーリンがこの腐れ魔人と抱かれたのがいいこと? 本気で言ってるの?」
「ああ。本気だ。精力家で在り続けることは一国の王としての最低の条件だ。子供は多いほうがいい」
「それはそうだけど……だからって、いやなのよ! ダーリンがこんな女と一緒にいるのは!」
「こんな女……人間ごときが……」
「本気で抱いたわけではあるまい。ランス王にはリアという本命がいるのだから」
「そうよ! でも、ダーリンを責めてるわけじゃないわ! ダーリンに体を許したこの女が許せないのよ!」
「だと。ホーネット殿はどうなのだ?」
「え?」
 急に言葉を振られ、ホーネットは戸惑う。
「……私は。ランス王のことを思って」
「ほら、抱かれに行ってたんじゃない! 化けの皮がはがれたわね!」
「ああ、化けの皮がはがれたな」
「ピッテン殿下!」
 ホーネットが責めるように言う。
 しかし、ピッテンは軽い調子で続ける。
「これは女の争いになりそうだ。魔人と人間。なんとも楽しい余興であろう。で、勝負はなにで決める?」
「それは……戦争よ」
「……やむをえませんね」
 リアとホーネット、二人がにらみ合う。
 しかし、ピッテンは明らかに、大げさに落胆してみせる。
「ああ、なんとも愚かしいことだろう。男は強い女を求めないというのに?」
「……どういうことよ」
 リアが、ピッテンにはじめて耳を貸す。
 ピッテンは少しだけ、色気のある顔に影を落として見せた。
「男は弱い女にほれるということだ。リア女王、もし君がここで我慢できる女なら、ランス王はそのいじらしさをこういうだろう。『いとおしい』と」
「……そんなことないわよ」
「そうかな? やってみる価値はあるだろうが」
 そして、ホーネットに視線を移す。
「君はどうなのだ?」
 しかし、ホーネットは険を鋭くし。
「ここまで侮辱されたら、私としても引き下がるわけにはいきません」
「そうか。好きにすればいい」
「……殿下?」
「しかし、君の父は悲しむだろう。人間との共存を願ってやった行為、しかし君は人を殺す。自分の為に。もう一度、落ち着いて考える価値はあると思うのだが。如何に?」
 ホーネットは。
「……そうですね。こんな小娘に怒っても仕方がないことでした」
 リアも、怒りの表情を隠さずに。
「あたしもよ。ダーリンのことにいちいち怒っていたら見苦しいもん。今回は許してあげる」
「お互いに、いい方向に」
「できる限りね」
「限界は近そうですが」
 ピッテンは肩をすくめる。
 その横でパットンが。
「お前、口上手いな」
 感心した様子でそう呟いたのでピッテンは笑顔を見せた。
「俺は、プレイボーイなんだ」

 ●〜〜〜●

「それでは、話を本題に戻しましょう。私は今、このエンジェルナイト大量発生に対する打開策を得る為に、そしてできるなら彼に再び我々の頂点として、先導者として立ってもらえるかという問いに対する正否を聞く為に、ランス王の元に訪ねに参りました」
「それで、ダーリンなんて言ってた?」
 ランスのこととなると、リアは歳相応の少女に戻る。
 その剣幕のこもった言葉を軽く流しながら、ホーネットは言葉を続ける。
「まずは二つ目の問いに対する答えから。彼は平凡な生活を望み我々の王となる気がないとはっきり答えました」
「もう、ダーリンったら。あんな奴隷との暮らしのどこがいいのよ?」
「そりゃあ、あんたよりもシィルのほうがよっぽどましだと思うぞ」
「なんか言った? ヘルマンの皇子?」
「いや。空耳が聞こえたんだろう。ここは変な瘴気が多いからな」
「話を続けてよろしいでしょうか」
 ホーネットはそう言いながら、咳払いをした。
「しかし、彼はもしエンジェルナイトが攻めてきたらそのときは、何とかすると。そう言ってくれました。それもひとえに我々を信用してのことだと考えています」
「どうだか。あいつがそんなたまかね」
「ヘルマンの皇子、黙りなさい」
「おっと、失礼」
 二人のののしりあいを流しながら、ホーネットは言葉を続ける。
「それで、現状の打開策ですが。いえ、その前に各国のエンジェルナイトに対する動向を報告してもらった方が良いでしょう。まず、ピッテン王子から」
「ああ。自由都市にはそれほどの被害はない。目撃件数は確認しただけで十三。いずれも単数の犯行だ。やっていることもおざなりなもんさ。軽く都市の責任者を小突いて、その反応を探る。いわゆる偵察隊だろうな。腕は三流だが」
「ありがとうございます。次は、香姫」
「ええ。ジャパンでも三件、確認例があります。しかし、ことが戦乱ですから、正式な数までは」
「使えないわね。田舎の半魔人」
「……」
 香姫はその言葉にうつむいた。
 パットンは顔を怒らせてリアに言う。
「言いすぎだぞ。リア女王」
「あら、ごめんなさい。パットン皇子」
「続けます。リア女王、どうでしょう?」
「うん。まあそこそこ。十件ぐらいかな。でも、見つけたとたんみんなリックに撃退させちゃってるし。やつら、統率の取れた戦いに弱いらしいわ。それでも、一体のめすのに、赤の軍を百人以上失うのは痛いけどね」
「大陸最強のリック殿なら、エンジェルナイトでもひけをとらぬだろう」
「ええ、まあね。うちの武将でエンジェルナイトとまともに戦えるのはリックだけ。他はみんな烏合の衆よ。役に立たないったらありゃあしない」
「ほう、リーザスも今なら楽に陥落できそうだ」
「やってみる? パットン=ヘルマン。リーザス侵攻の二の舞にさせてあげるわよ」
「遠慮しておくぜ。今は、敵の出方を見たい」
「ずいぶんと弱気なのね」
「まあな。それはあとで話す」
 ホーネットはその会話を耳にとどめ、次はガンジーに聞いた。
「ゼスは、十五件の目撃がある。いずれも単数。しかし、我が国は恐らく他のどの国家よりも上手く撃退していると自負している」
「あら、なんで?」
「壁があるからだ」
「なるほど」
 リアはゼスの戦略を知っていた。
 ゼスは悪い意味で奇抜な戦法を取る国だ。
 リーザスやヘルマンとは完全に戦略がちがう。
 それは、ゼスが魔法国家ということと深く関連している。
 ゼスは魔法国家ゆえに、魔法を最大の攻撃としている部分がある。
 そして、魔法使いの力を最大限に発揮させる方法。
 それは、魔法使いに最後まで魔法の詠唱をさせるということである。
 つまりは、奴隷や特殊なゴーレムを防波堤として存在さる。
 そして、それらが攻撃を防いでいるうちに強大な魔法を敵陣に放つというものだ。
「この戦法は、エンジェルナイトに効果がある。破壊光線クラスの呪文詠唱の時間を、大量の兵士で稼ぎ、最大級の力で一気に殲滅するというやり方だ。すでに、十匹以上を葬っている」
「すごいわね」
「でも……人道的じゃあねえな」
「そうだ。それは承知している。しかし、現状のわが国ではこれ以上の効率的なやり方を望めない。これに頼るしかないふがいなさを察して欲しい」
「ああ」
「まあ、こればっかりわね」
 やけに物分りがいいのは、この場の全員があの天使の能力を高く評価しているからだ。
「それで、ホーネット、あんたはどうなの?」
「私どもは……たしかに、十二度の抗戦がありました。しかし、皆さんとは違います。魔人領に攻め込む天使はかならず、十人単位の小規模です。それは魔人の力を恐れてのことだと思われますが、何とか撃退出来ているという状況です」
「やはり、魔人か。俺達の主力は」
「ええ。そう自惚れております。我々は力を持っています。ですから、もしもの時は遠慮なく我々の力を使ってください」
「やけに自信満々なのね」
「そうでしょうか」
「そうよ。まあ、あんたたちの力は最後まで借りないわ」
 それは、他の国の人間達も同じ考えだった。
 驚異を持つ魔人と人間は、いまだ共闘などできない確執を持っている。
 魔人に対する恐れもある。
 それは、人に対するそれと同種でありながら、異種であった。
 なぜなら、魔人はその単体が恐るべき恐怖なのだ。
 いったん力を振りかざされたら、人間の手に負えるものではない。
 そして、その力はどのようにふるわれるのか。
 最悪の事態はいくつも思い当たる。
 だから、各国の王達が魔人に頼るという事態は最後の瞬間まで訪れないだろう。
 そして、最後の瞬間とは世界が崩壊する寸前ということである。
 ホーネットの言葉は、彼女の意思に反して社交辞令以上には扱われなかった。
 ホーネットは最後、パットンに視線を移す。
「それでは、最後にヘルマンの状況を教えてください」
「ああ」
 パットンは静かに口を開く。
 ホーネットはパットンの胸を察し、あえて彼を最後にした。
 そして、それは正しい選択であった。
「うちは、三十」
「三十?」
 リアが驚きの声をあげる。
 パットンはリアの言葉を肯定するように頷く。
「ああ。三十だ。大半は偵察だけだが。そのうちの三体が手痛いいたずらをしやがった」
 パットンは唇を噛む。
「アークグラードの話は、知ってるよな」
 各国の王たちは頷いた。
「あの事件は、東部方面軍の新将軍として任官されたルーディン=グランバーグと前将軍、いや現将軍であるレリューコフ=バーコフとのゲリラ紛争だった。レリューコフ派の五千人と、ルーディン派の二千、この二つがアークグラードの北東で二度の激突をして、結果としてレリューコフが勝ったわけだが。そこに、エンジェルナイトが一枚噛んでいた」
「なんと」
 ガンジーが驚きの声をあげる。
「これは恐らく。大陸でも初めてと言えるエンジェルナイトとの戦いだろうな。ルーディンを操っていたのは、ラケシス、クロト、アトロポスという三人の天使だ」
「運命の女神、ですね」
 ホーネットの何気ない言葉に、パットンが注目する。
「なんだ、そりゃ」
「健太郎様や美樹様の国での伝承に、同じ名前の女神が存在します。おそらく、何らかの形で異世界の情報がこちらに流出したのかもしれません。しかし、それはそこまでいくと神の領域での話です。そのエンジェルナイトは明らかに、高位の神に仕えるものでしょう」
「なるほど」
 パットンは納得したように頷く。
「まあ、それでその件は無事解決したわけだ。その時会ったのがお前の弟だよ。ピッテン」
「ほう」
 リアは思わず立ち上がった。
「それじゃあなに? あんたの弟があのエンジェルナイトを倒しちゃったわけ?」
「そうなるな。ポロンも捨てたもんじゃないだろ」
「あー、やっぱりあんたの二世だわ。ど汚い、腹黒いことして勝ったんでしょ」
「さあな。でも、勝ちは勝ちだ」
「むかつく」
 パットンが話を戻す。
「詳しく内部調査をさせたが、どうやらやつら、ルーディンの動向に対してはそれほど興味がなかったらしい。つまり、あいつらにとってあの紛争を起こしたことは暇つぶしであり、あることに対するカモフラージュだったって訳だ。でも、その肝心のあることがわからねえ。ホーネット、心当たりは?」
「いえ。特には」
 しかし、ピッテンはホーネットの眉が少し動いたのを見逃さなかった。
 ピッテンは会話を終わらせる。
「以上だ。ホーネット、何か?」
「いえ、何も。ただ、各国は天使たちの動向に注意しておいたほうがいいでしょう。異端分子とされる貴族、高官、武将には最大限の注意をしてください」
 そして、話を元に戻した。
「さて、ここで先のランス王の話に戻ります。ランス王はこの動向に対し、何の動きもないから安心しろ。そう言いきりました」
「あいつらしいな」
「うむ、ランス王の言葉なら安心できる」
「ダーリンの言うなら、大丈夫よ」
「……そうかな?」
 ピッテンが水を指すようにいった。
「俺はランス王と面識がない。武勲は聞いている。だから、皆が王に心浸透する理由はわかるが、けれども全てを鵜呑みにして良い訳ではない」
「あんた、ダーリンの言うことを信じない気?」
「そうじゃない。ただ、ある種の疑いを持て、ということだ。パットンが一番わかってることだろう?」
「そうだな。俺の国を荒らされた以上、何事もないなんて楽観してられねえ」
「他の三国も気をつけることだ。目的は別にあるのかもしれないが、目的のために手段を選ばない連中であることに変わりはない。最大限の注意力を持って事態に当たらないと寝首をかかれるのは自分達だぞ」
「言われなくてもわかってるわよ」
 ピッテンは気に触るような言い方を度々するが、それは全て的を得ていた。
 反感と共に、ピッテンに対する信頼感が全員に生まれようとしていた。
「ピッテン殿下の言うとおりです。各国には厳重な警戒態勢を引きましょう。各国が分担で互いの国のフォローをするという形で」
「それはやめておけ。厄介ごとの種になる」
「ですが」
「微妙な関係にある国々では、余計な行動が巨大な波紋となる。それは、ホーネット殿以外の人間は全てわかっている」
 ホーネットは辺りを見回す。
 全員は、ピッテンの言葉に同調するような顔つきをしていた。
 ホーネットは頷く。
「わかりました。それでは、各国は自分の国土に対する警戒を強めてください」
 ホーネットはそこで次の話題に移った。
「香姫、現在のレダの動向を」
「はい」
 香姫は一歩前に出た。
「現在、レダは沈黙を保っています。そして、相変わらず眠り続けるルドラサウムと、ワーグと呼ばれる魔人を見下ろす格好でいます」
「それは聞いたわよ」
「ええ、しかし他にも」
 香姫はその表情を沈痛なものと変えて話を続けた。
「レダは、こうも言いました。ラグナロクは近い、と」
 瞬間。
 ホーネットの顔が蒼白になった。
 他のものたちはその言葉の意味を表すものが何か、わからない。
 リアが代表して聞く。
「ホーネット? ねえ、ラグナロクっていうのが何か、もしかして知っているの?」
 ホーネットはリアの言葉に。
 静かに頷いた。
「ええ。知っています。ラグナロク、それはラケシスと並ぶ北欧神話、美樹様たちが住まう世界の神話ですが、その言葉の一つです。その意味は……終末」
「終末だと!」
 ピッテンが珍しく驚愕を表した。
「終末とは、物騒な。まるで最終戦争でも仕掛けると言わんばかりだな」
「ラグナロクは最終戦争も意味します。神と人間が互いに戦い、全てが滅ぶのです」
「やばい話だぜ。レダとかいう野郎は、それを起こそうとしてるんだな」
「その可能性は大きいでしょう」
 ホーネットは同意するように頷いた。
 香姫は、ショックに耐えられずに膝から倒れる。
 それをパットンが起こした。
 ホーネットは告げた。
「ここで、ランス王の最後の言葉をお伝えします」
 全員が頷く。
「まず、レダを探し出しそれを葬れ、と」
「レダね。リーザス国内を根絶やしにしても見つけ出すわ」
「俺も、同じだ。ヘルマンの北の果てまでしらみつぶしにしてやるぜ」
「滅ぼされたくないからな。自由都市にも手をまわそう」
「ゼスは任せておけ」
「ジャパンでも、多くの人間に呼びかけて見せます」
 ホーネットが頷く。
「そして、次に。これはワーグの仕業という線が浮かんでいます」
「あのガキの仕業?」
「ええ。ワーグはきまぐれですから。何らかの形でルドラサウムに『いたずら』をしている可能性があります。そのときは……どのような手段をつかってでも、あのワーグをルドラサウムと共に眠りにつかせます。今度は、永遠に」
「それもやむをえないだろう」
 ガンジーは同意した。
「さて、最後に。これは最悪の事態ですが。ルドラサウムとの戦いも覚悟しなければなりません」
 全員が黙った。
 時が止まったかのようだった。
 それは、なぜか。
 全員が、ルドラサウムと一度、対面しているからである。
 あの神の恐ろしさを知っている人間の代表が、今ここにいる者達である。
 真っ先に悲鳴のような声をあげたのはリアだった。
「冗談じゃないわ! 神に勝てるわけないじゃない! あいつのこと、あんたもしかして忘れたの?」
「覚えてます」
「あれは、全人類が束になっても叶う相手ではないぞ」
「そうでしょう」
「冗談じゃねえ。あれだけはゴメンだぜ。あれを相手にするなら、トーマ十人と戦ったほうがマシだぜ」
「心中察します。しかしこれは最後の手段であり、このような手段にならないための我々です。この事態にまで進展することはないことを今、私が保証します」
「あんたに保障されても困るわよ」
 ホーネットは、静かに、落ち着いた口調で告げた。
「結局、そのようなことにならないためにも、今はレダを屠ることが真っ先の課題であり、最も重要なことです。世界の崩壊を食い止めるためにも、今我々は、尽力しなければなりません。お分かりですね」
 全員が頷いた。
「では、これより本会議に移ろうと思います。休憩時間は三時間設けました。本会議までにみなさまは、力を養ってくださいませ」
 ホーネットは礼をする。
 リアやガンジー、パットンや香姫が去る中。
 なぜかピッテンだけが、ホーネットに呼び止められた。
「なにかな?」
「お話があります」
「女性の誘いを断るのは男の恥だな。お付き合いしよう」
 二人は、歩き出した。

 ●〜〜〜●

「で、美しい碧色の貴婦人は、我に一体何の話があるのだ?」
 長い魔王宮の廊下を歩きながら、ピッテンはそのような軽口を叩く。
 もちろん、ホーネットが敵意あってピッテンを連れているわけではないのは知っている。
 彼女はある面で、ピッテンにランスと同様の敬意を持っていた。
 そして、ピッテンもそのことを肌で感じていた。
 ホーネットに話があるとすればそれは恐らく。
 一つしか理由はないだろう。
「さて、この辺で良いでしょう」
「立ち話か? ずいぶんと略式だなあ。これがデートのお誘いだったらまさに天にも昇る心地なのだが。個人的に碧色は好きだ。琥珀の瞳も。凛々しい顔も。全てが、好みだ。だが……」
 そこで肩をすくめる。
「残念ながら、話はそれではないのだろう」
「はい」
 ホーネットは頷いた。
「こんなところで立ち話とは、いいのか?」
「大丈夫です。ここは客人が入ってこれないですから。それに、魔族の出入りも少ないですし、念のために人除けの結界も張っておきました」
「ずいぶんと周到だ。暗殺されてもおかしくない状況だな」
「ここであなたを殺したいと言ったら?」
「その心配は杞憂だ。ホーネット殿にかかれば俺など一瞬で灰燼にされる。そうすれば証拠も残らないしな。良いトマトをつくる肥料にもなる。一石三鳥だ」
「そうですね。その問いは杞憂でしょう」
 ホーネットは少しだけ鈴のように笑い。
 そして、すぐに表情を強めた。
「この間の話の続きです」
 ピッテンは納得したように笑った。
「時期が来たということか?」
「そういうことです。正直、突拍子のない話ですし、信じてもらえるとは思わないですが、それでもピッテン殿下の耳には入れておくべきだと判断しました。聞いてもらえますか」
「当然だ。俺は女性の願いを断らない」
「ふふ。なら、話を始めましょう」

 しばらく、静謐な静寂が魔王宮の廊下に流れた。

「なるほど」
 ピッテンは納得したように頷いた。
「それが、ホーネット殿の腹に溜めていたことなのか」
 ホーネットは自責するような表情を見せた。
「すいません。今まで伝えることができなくて。しかし、さすがに私も、このような突拍子のない事態にはかなりの混乱をしています。なので……結果的に知らせるを遅らせてしまいました」
「いや、いいんだ。当然だ。俺だってこんな話は信じられんさ。ホーネット殿の口から聞かなければな」
「信じていただけるんでしょうか?」
「ああ、信じるさ。信じるものは救われると言うが、俺の信じる神はあなただよ」
「まあ」
「と、冗談はこれぐらいにして。少し真面目に語ろうか」
 ピッテンはそこまで言うと、壁にもたれかかった。
「まず、他国の連中にこれを知らせないのは正解だ。あいつらに知らせたらポロンがどのような目にあうかわからない。リアのやつなんて気性が荒いからむりやり捕まえて過激な手段に出るかも知れんな。そうなれば俺も黙っていない。一国の王となる人間を害されたら小国と言えども体面の為に戦うより他ないさ。そしたら、この水際の同盟もおじゃんとなる」
「ええ。やはり、ピッテン王子は弟のこととなると変わるんですね」
「当然だよ。あいつは俺の宝物だ」
 普段なら軽口とも思える言葉だが、ピッテンの目は笑っていなかった。
「状況はわかったが、これはホーネット殿の胸に留めてくれ。これは俺が何とかする。次に、ホーネット殿は極力この状態を刺激するべきではない。見守っていてくれないか? 今までもそうしていたように」
「けれども、もし……」
「それはないさ。あいつは女には優しいんだ。俺に似て、な」
「ですが」
「まあ、心配もわかるが。それでも、あいつはなんとかするさ。そういう奴だ」
「わかりました」
 ホーネットはそこで、言葉を切った。
 これ以上、深く追求するつもりはなかった。
 なので、話題を変えた。
「ピッテン王子はポロン王子のことを大変に可愛がっているみたいですね」
「ああ」
 ピッテンは静かに語り始める。
「あいつは、俺が八の時の生まれた子だった。かなり歳が離れていて、俺には可愛い弟だったよ。従順だし、何よりも聡明だ。俺はあいつが好きだった。女に対するものとは違う種類の好意だが、女に対するものより強い好意だった。百人の美女よりあいつの笑顔が大事だった。もちろん、今も」
 ホーネットは、ある種の戦慄を感じる。
 なにか、ピッテンに普段とは違う種類の空気を感じたのだ。
 そう、まるで魔性か何かに魅入られた愚かな大王のような、そんな雰囲気。
 ホーネットは、それが魔族領のものとは別種の瘴気に感じられた。
「あいつが五歳。俺が十三の頃かな。あいつが逢引していたんだ。笑えるだろう。五歳で逢引だ。王宮を抜け出し、民草と会っていた。名前は……なんと言ったか。思い出せない。まあいい。二度と会うことはないだろうしな。まあ、そのガキはポロンをたぶらかし、下らん知恵と脆弱な精神を与えた。吐き気がしたよ。あいつが俺の目の前で下らん女のガキに入れ知恵されて、愚かな存在に成り下がるのを。だから」
「だから?」
「つぶした」
 ホーネットの背中に寒気が走る。
「俺はそのガキのあとをつけてそいつの素性を洗い流した。そのガキはそこそこの商家の娘だった。そう、確か貿易商かな? その関係でパランチョにも出入りしていたのだろう。初めはあっさりと暗殺してやろうかと思ったが、それもつまらんと思った。もっと劇的で凄惨な苦しめ方があるだろうと思った。案の定、最良のチャンスやってきたよ。数年後、自由都市で大きな紛争が起きた。そう」
「自由都市紛争ですね」
「ああ。ジフテリアからラジールのあたりに広がる巨大な戦乱に、そのガキの家族が巻き込まれたんだ。それが好機とおもってな、紛争に見せかけてそいつの親を殺した。今頃は、どこかでのたれ死んでいることだろう」
 ホーネットは訊く。
「なぜ、そのようなことを?」
 ピッテンは肩をすくめてから言った。
「俺は、人の怒りの体系が三種に分別されると思っている。一つは静められる怒り。これは国、民、それに由来する何か大事なもの喪失。それは埋め合わせがきく。だから、意外と我慢できるものだ。次は価値のない怒り。愚かな人間の罵倒、愚者の失態、つまらぬギャンブルの敗北、こんなものは怒るだけでそのものの価値を損ねる。よって、これは怒る必要が初めからない。そして、最後に静められない怒り。世の中にはどうしても許せないことがある。それはある部分で自制したとしてもどこかで怒りの炎がくすぶり続け、それを鎮火するにはもはや、原因を除去するしかない。結局あの逢引での怒りを静めるには怒りのである小憎らしい小娘に地獄の苦しみを味あわせるしかなかった。だから、やっただけだ。ポロンを毒されたくないからな」
 ホーネットは思わず顔をしかめ。
 ピッテンに噛み付くような口調で言った。
「いくら弟の為とはいえ、それは人道に反する行為では?」
「はは。そうだな。しかしホーネット殿の口から人道という言葉が出るとは。魔人も人の一種。捨てておけるものでもないということか」
「そうではありません。そういうことではありません。あなたは……」
「ふっ」
 しかしピッテンはそう笑うと、ホーネットに残虐な微笑を見せた。
「なにか、勘違いしていないか。ホーネット殿」
「勘違いとは……」
「俺とて人間ということだ。カッとすれば人を殴る。それに、俺はポロンを愛しているからな」
「そんな……」

「俺は、ポロンの為ならなんだってするさ」

 それは悪寒だったのだろうか。
 ある種の、残虐な笑み。
 そう、その歪な心の杯には毒にも酸にも等しい黒々としたものが注がれていた。
 それは、恐怖だったのだろうか。
 人の心というものを垣間見た瞬間訪れる、おびえだったのだろうか。

 ホーネットは今まで、三つの恐怖に邂逅した。

 一つは魔人と呼ばれる最強の強さを持つ者の純粋な破壊に対する恐怖。
 一つは人間と呼ばれる者の底の知れない強さに対する恐怖。
 一つは人間と呼ばれる者の底の知れない愛憎に対する恐怖だった。

 ●〜〜〜●

「そろそろ時間です」
 そう言ったのはシルキィ。
 バルコニーで風を浴びているホーネットの背中に話しかけた。
「みんな集まっているわよ。ホーネット、早く会場に移動しないと」
「ええ」
 ホーネットは少しだけ蒼白な顔をシルキィに向ける。
 そして、ゆっくりと足を踏み出した。
 そのままシルキィの横に並び一緒に歩き出す。
 しばしの沈黙。
 シルキィは、ホーネットのただならない様子を察し、声をかけた。
「ねえ、ホーネット」
「……なに?」
「何かあったの? 顔色が悪いわよ」
「いえ。大丈夫」
「なんなら、会議は私に任せて、ホーネットは休んでいれば」
「そうもいきません。この議会は絶妙なバランスの中で進んでいるのですから。他愛のない原因で一気に瓦解する恐れがある会合です」
「けれども、人間達はあたし達のことをけっこう理解してくれるし。それに、確かにランス王はいないけど、変わりにピッテン王子という方がいる。彼がいれば」
「そうですね。ピッテン王子は頼りになります」
 ホーネットはそう言い、再び言葉を切る。
 そして、しばらくしてからシルキィに訊いた。
「ねえ、シルキィ」
「なに?」
「ピッテン殿下のことをどう思う?」
「どうって。別に。ただ、歳のわりにはものすごい優秀な方ね。聡明だし、何よりも人をひきつける強烈な魅力を持っているわ。あの方が小国に留まっているのがわからないぐらいよ」
「今まで、王位継承をしていなかったから。ピッテン殿下はペペロン=チャオ国王の後ろにいたから何かをする機会がなかった。何もしないことがあの方の怖さよ」
「怖さって。なんか、やけに大仰な言い方をするのね。たかが小国の王子じゃない」
「ええ。そうね」
 そこでいったん言葉を切る。
 そして、自分に言い聞かせるように。
「彼は、たかが小国の王子よ」
 そう呟いた。

 しかし、ホーネットはわかっていた。
 彼が何もしないことが、自由都市をはじめ、大陸の平安を保つ原因だということに。
 暴れだした獣は止めらなれない。
 ならば、獣は静かに眠っていた方がいいのだ。
 王と呼ばれる人間は必ず、カリスマと呼ばれる強烈な魅力を持つ。
 例えば、アイドルだったり。
 例えば、天才だったり。
 例えば、鬼畜だったり。
 いずれにしろ、それは歪みをともない、王となる人間は必ずどこか歪んでいる。
 それをカリスマと表現するなら。
 それもまた一つの答えなのだろう。
 ホーネットはわからなかった。
 ピッテンがなぜあの個性的な王族の中で強い光を保ってられるのかわからなかった。
 けれども。
 今ならはっきりとわかる。
 ピッテン=チャオの持つカリスマの源泉は、弟に対する無比な愛情なのだ。

 ホーネットは胸の底に溢れる恐怖を抑えるのに必死だった。