ルートQ
郷愁の砂塵 酷薄な仮面(中編)



 郷愁などというのは故郷を思いやる情愛の起こす錯覚だ。
 郷愁に浸る因果無きなら、そこはただの土地である。
 けれども。
 もしそこに、体内に侵食し心を砕くほどの猛毒がはびこるなら。
 そして、あたしがその毒の芳香に魅せられ、致命的な中毒を起こしているなら。
 あたしがそこに焦がれる想いも。
 あたしがそこを恐れる想いも。
 同じく郷愁と呼べよう。

 郷愁に吹く砂塵は、喉がむせ返るほどの辛いもので。
 肺に溜まれば炎症を起こし死に至る。
 それはあたしを拒絶する憎悪の砂風だ。
 それはどこにも同様に在るもので、恐らくあたしの『家族』も在るのだろう。
 彼女達がにこやかな笑みの下に隠している郷愁への想い。
 そこにはやはり砂塵が吹き、彼女達を屠ろうと目論んでいる。
 そんな砂塵を払うには、因を滅ぼすしかない。
 けれども、因に辿り着くまでに砂塵は身を滅ぼすだろう。
 砂塵はそれほどまでに辛い。

 砂塵を防ぐ方法はある。
 あたしはその方法を知っている。
 けれども、知識と体現は常に別途で、可、不可がある。
 あたしはその方法を体現することができない地上最強の落ちこぼれだった。
 エリートの癖して俗っぽく、中途半端に自信家だ。
 だから、あたしは砂塵を防ぐ酷薄な仮面をつけることができない。
 一度被ろうとしてもすぐに寂しくなって、仮面を脱ぎ捨ててしまう。
 結局あたしはいわゆる俗物で、冷徹でも酷薄でもいられない二流の人間なのだ。

 だから。

 初め、彼女の酷薄な瞳に戦慄して。
 次に、彼女の冷徹な眼に感動した。

 あたしの前に今立っているその少女は。
 身を纏う、心を砕く死の病に相対する為に、酷薄な仮面を被った。
 そうしなければ、死んでしまうから。

 心が、死んでしまうから。

 ●〜〜〜●

 大理石のテーブル。
 乾いた石の上には大量の馳走が並んでいる。
 だが、ウィンディは決してそれに手をつけることなく、黙りこくるだけだ。
 それは、シルフィー達も同様。
 彼女達も異様な緊張感に心を握られながら、あえて触れようとしない。
 ただ、互いを黙って監察するだけだ。

 ―――其処に、唯壱つの異端。

 ライズ=ザ=ガープスは食す。
 肉を喰らい、野菜を喰らい、酒を飲む。
 ゴキュ、ゴキュ、と喉が鳴り、更に肉をくちゃくちゃ噛み砕く音。
 下品で下劣で享楽的。
 ライズは一通り口に運ぶと食をやめ、娘達を見回す。
 そして一言。
「食わんのか?」
 その言葉を享け。
 シルフィーはしぶしぶと口に物を運ぶ。
 父の命令は絶対支配。
 ノムも、サラも、同じように口に運ぶ。
 ただ独り、ウィンディだけが支配された沈黙の毒気にやられて手をおろそかにする。
 それを見過ごすライズではなかった。
「……お前は食わんのか?」
  ウィンディはむりやり顔を微笑ますと、自らの父に向かって言った。
「食欲がありませんので」
 ライズは、威光を見せる。
「私の言葉が聞けないのか?」
 ウィンディはその威光に身を照らされて。
 仕方無しに逆らうこともできず、食を口に運んだ。
 結局。
 四年もご無沙汰にしておいて父の手から脱却できたと思っても。
 そこは釈迦の手の上だった。
 異様な空気の中、口に何かを運ぶ。
 何かの肉。
 何かの野菜。
 何かの酒。
 それは確かに思考の絶品であろうだろうが。
 ウィンディの舌には腐りきった下手物としか感じられなかった。
 ライズは再び口を開く。
「久しぶりだな。姉妹がそろうのは」
 サラは眉間にしわを寄せて答える。
「姉妹? 違います。この人は父様に勘当された身。すでに、我らとは縁もゆかりもない人間ですわ」
「言うな。ウィンディだって家名を失ったといえどもお前達と血のつながりを持つ姉妹だ。邪険にするな」
「そうでしょうか?」
 そう、言葉を発したのはノム。
 大地のように静かなその少女は、口を軽く拭くと冷たい眼で言い放った。
「確かに、その体内に脈々と流れる血筋はこの方から絶えることないでしょう。けれども、姉妹とは縁を指す名。この方とはその縁がありません。わたくしは、この方を姉妹だと思うことができません」
「ひどいことを言うな。ノム。おちこぼれとはいえ家族は家族だ。同じ位階に立てないとしても、いや位階に立てないからこそ助け合って生きなくては」
 元凶が、その口から壮言な言葉を吐く。
 傲慢な姿勢がやけに目障りだ。
「けれども、父様」
 こんどは、シルフィーが口を開く。
「いくら、家族といえども手の及ぶ範疇があります。それは同じ家に住み、同じ空気を吸うぐらいは赦してあげてもいいでしょう。けれども。彼女の存在は私達姉妹を、いえ、ガープス家全体を落とすことになります。存在自体が名を汚すことになるのなら、彼女は大人しくガープスと関わらずに生きていくべきなのです。それぐらい……わかっているでしょうね。ウィンディ」
「……はい」
 ウィンディは大人しく頷く。
 勘当されたとはいえガープスの娘である。
 魔法をろくに使えないおちこぼれの存在が、どれほど面汚しかは身をもって知っている。
 魔法至上社会であるゼスの実態がそこにあった。
 だが、ライズは笑う。
 酷薄、いやむしろ冷酷な笑みを浮かべたまま、ウィンディに視線を移した。
「たしかに、そのとおりだ。魔法を使えない彼女は我々にとっても汚点だ。資産権を持たない二等市民。貴族で在れない落伍者。けれども。もしそれが、とある王国の高位な家系と親密な間柄になればいささか事情も変わってくるというものだ。能力的に多少の無理があったとしても『なぜか一級市民として扱わなければならなくなる』。まあ実際。あんな試験に受かるも落とすも、裏を見れば簡単なことなのだよ。だから。たまにはこういう方法も使ってきたし、今回も通用するというわけだ。世の中を動かすのは何か? 金だ。権力だ。魔力などというのは金と権力を得るための道具に過ぎない。まあ、そこらの愚者どもにこの話はわからないだろうが、お前なら十分に理解してくれると思って話している。前置きが長くなってしまってすまない。いささかデリケートな問題なのでな。率直な表現ができないのだ。……つまり、言うなれば……」
 そこでライズは、ウィンディを鋭い視線で射抜いた。
「あのパランチョ王国の青臭い小僧に抱かれろ。そして、たぶらかせ。誘惑しろ。子をつくれ。そうすれば、お前はテープに戻ってこられるし、ゼスの一級市民権も得られるだろう」
 ワインを飲み。
「どうする?」
 と、聞いた。

 ●〜〜〜●

 ウィンディがレストランを出ると、すでに深夜だった。
 ここにいた時間は一時間ぐらいだったが、それは何昼夜にも感じられた。
 なにか、途方もなく暗澹とした胸中に苦しみながら、足を前に出す。
 すると。
「……待ちなさい」
 背後を見る。
 そこには、シルフィーがいた。
「……姉さま」
 自分と同じ青い髪。
 自分と同じ釣り目をした女性は、口を開く。
「あなたに、一つ隠し事をしていたわ」
「……隠し事?」
 その瞬間。
 まるで、シルフィーの顔が魔性に取り付かれたように醜くゆがんだ。
 ウィンディは、それが笑みだと気付くまでにしばらくかかってしまった。
「実は、あなたに魔封じの呪いをかけたのはね……」
 呪詛が放たれる。

「あたしなの」

 ウィンディはその呪詛に、少しだけ顔をゆがませると。
 けれども、ニッコリと言葉を返した。
「知ってたわよ」
 思わぬ呪い返しに、今度はシルフィーが絶句する番だった。
 ウィンディは、死んだような足取りで再び背中を見せると。
 夜の街に消えていった。

 ●〜〜〜●

 結局、わからないことだらけなのだ。
 十年越しの近親だってもしかしたら自分の命をねらう暗殺者かもしれない。
 ……例は突飛だが。
 でも、十年勤めた家臣が暗殺者だった前例はある。
 小国といってもそれぐらいのゴタゴタは頻繁に起きるのだ。
 表向きはルンルン花園なパランチョだけど、やはり裏では暗躍する影がある。

 と、話がずれた。

 例えば、一緒に一年、苦楽を共にした仲間。
 命を助け、助けられ、そして強い絆で結ばれたとして。
 それが全面的な信頼に昇華されることはまず無い。
 結局、それぐらいだ。

(僕が甘かったってことだよな……)
 ポロンは、誰もいない暗い宿屋のリビングの椅子から立ちあがる。
 そして、軽く頭をかきむしりながら歩き出した。
 途中、木の柱を見つけて。
 おもいっきり殴りつけた。
「……畜生」
 普段大人しくしているほど胸に溜まる怒りは蓄積される。
 時にそれは大人気ない行動にはしらせるが、仕方がない。
 なぜなら、大人ではないのだから。
 たかだが十六の小僧が何かを必死になっても世界はこれほども変わらないのだ。
 いや。
 世界を変えたいのではなく自分の居心地いい世界をつくりたいだけなのだろう。
 愚かしい稚考だ。
 それを自覚しているだけにムカムカする。
 誰か、適当なやつを捕まえて殴り倒したくなる。
(結局、僕はウィンディにもキャロットにもアリサにも……フィアにも信頼されていなかったってことじゃないかよ)
 ああ、信頼されていなかった。
 そんな、他愛のないものだと思っていたのか? 友情が。
 そんな、他愛のないものだと思っていたのか? 愛情が。
 そんな、他愛のないものだと思っていたのか? 信頼が。
 餓鬼の戯言も大概にしておけ、無知で無教養なナルシストの小僧が。
 呪詛は勝手に侵食していき、今まで自分を覆っていた世界を破壊していく。
 そして、破壊された世界は自らの都合のいいように修復され。

 そこには、毒が残る。

 酷薄な仮面。
 薄情な視線。
 それが、宿る。
 そして。
 大人になる。
(……うんざりだ)
 ポロンは、リビングの扉を開けるとそのまま階段を上がる。
 そして、二階の廊下を歩く。
 一番奥が、ポロンの一人部屋だ。
 その一人部屋のノブを……ひねった。
 そこには、思いがけない人物がいた。
「……ウィンディ」
「やっほー、ポロンくん」
 マリンブルーのような空色の髪を揺らしながら華奢な少女は笑顔を見せた。
 その表情はいつものように輝いていて、ポロンは純粋にかわいいと思えた。
 ただ、今日は烏色のローブを纏っていなかった。
 服も纏っていなかった。
 一糸纏わぬ全裸。
 その華奢な細身は触れれば折れるかもしれないというほど細かった。
 猫みたいなつり目は、愛嬌のある顔立ち。
 どこか気高く、どこか弱々しい。
 薄桃の唇は、今は笑っている。
 けれども、ポロンの鈍感さでもそれが少しだけ震えているのがわかった。
 タオルで前を隠しているものの、少しだけ膨らんだ胸は男性としての欲望を刺激する。
 そんな美貌が、今、ポロンの部屋で。
 ポロンの目の前に。
 可愛くベットに座っていたのだから。
 一瞬。
 何も考えられなくなった。
「……ウィンディ」
 必死につむぎ出した声は震えていた。
 反面、ウィンディは明るく振舞っている。
「いや〜、もう遅いわよ。待ちくたびれちゃった。ねえ、何してたの? もしかして、誰かの部屋にいたとか? キャー、ポロンくんのエッチ〜」
「……」
 ポロンは、一歩足を踏み出し。
 青い髪の彼女から目をそらしたまま、聞いた。
「……何してんだ? ウィンディ」
「え? 何してるって? えーと、まずお風呂に入って……それから、シャワーを浴びました。で、今こうしてるわけ。解かった?」
 あくまで、道化を演じようとするウィンディ。
 けれども、ポロンはあくまで落ち着いて言い放った。
「……ウィンディ。ここは僕の部屋だ」
 けれども。
「解かってるわよ」
 と、呟く唇。
 そして、笑顔。
 ポロンはそのまま足を前に、彼女の前まで歩み寄った。
 細身が視界にはいる。
 薄暗い闇はまるで、そこが虚実の中ではないかという幻想を魅せる。
 そうなるともう終わりで。
 ポロンは、そうならないように必死に拳を握る。
 ウィンディはしかし、それを優しく包むように母性的な笑みを浮かべた。
「ねえ。あたし達が出会ってからもう、どれぐらい経つかな?」
「……一年。いや、一年半……そのぐらいだと思う……」
 ウィンディはその言葉に少し自嘲じみた表情をする。
 ポロンには、それがやけに寂しげに見えた。
「……ウィンディ?」
「長いね」
「え?」
 ウィンディは顔をあげて、ポロンを見つめる。
 ポロンも、その透き通るような瞳から目を離す事ができなくて。
 二人は見つめあいながら話す。
「長いね。もう、そんなに経つんだ。ポロンくんと魔の森で出会ってから……ううん。あたしがこのテープを出奔して。そしてレッドでキャロットと出会って。そのあと、エレーン達と出会って。ライラとも出会って。そして、フィアと出会って。今はまったく違う場所や環境で育った九人がこうして一緒に旅をしている。これって、奇妙なことだよね」
「……ああ」
「でも、それは当然なことなんだと思う。あたしは運命論者じゃないんだ。運命って言葉は信じてないし、全ては因果と法則で成り立ってるんだと思う。それは、あたしが魔法社会での高等教育を受けたからで……興味ないか。あたしが言いたいのはね。簡単なこと」
 そこで、ウィンディは立ち上がった。
 体を覆っていたタオルを投げて、真珠のような肌をあらわにする。
 そして、そのまま細い裸体でポロンに近づいていった。
「だから、さ。いままでこういう風にならなかったっていう因果も、ある意味おかしなことだと思わない? 男と女っていうのはこういう風にできているものなのに。ポロンくんとは長い間一緒に旅をしているのに誰ともこういうことにならなかったんだよね。だから、多分これも今までが変だっただけで、これが普通のことなんだよ」
 細い腕が、夜光に照らされながら弧を描く。
 そのまま、二つの腕がポロンの首にかかった。
「だから……さ。いいよ。好きにして」
 唇が―――せまる。
 その小さくて桜のような朱色はポロンの口と触れた。
 ポロンの中で、何かがはじけそうになる。
 それは、愛しい感情だったり。
 それは、何かをむちゃくちゃにしたという感情だったり。
 簡単に言ってしまえば、男性の強い情念とも言えるが。
 けれども、それは一度せきをきってしまえばなだれのように襲いかかってくる。
 ポロンは強い衝動に駆られながらも。
 それでも、ギリギリのところで気を留めた。
 再び、聞く。
「……ウィンディ、何をやってるんだ?」
 口を開く。
「何をしているのか、解かってるのか?」
 ポロンの切実な問いかけにすら。
 ウィンディはニコリと頷いた。
「うん。もう覚悟もできてる。それに……ポロンくんなら良いし。だから……」
 ウィンディは膨らみかけの胸をポロンに押し付ける。
 そして、その華奢に見えるわりに意外と厚い胸によたれかかる。
 いよいよ、耐え切れなくなる。
 目の前に、水色の髪の美少女。
 自分に抱かれることを切望している。
 据え膳食わぬはなんとやら。
 ここで怖気づくのは男として最低だ。
 ならば、ウィンディを好きにしてやるのが最良の選択だ。
 そう。
 このいとおしい彼女を手の内で好きにしてやろう。
 そう思い、ポロンはウィンディに手をかけた。
「……ウィンディ」
 ウィンディはポロンを見上げ。
 微笑んだ。
 その笑顔に。
 急にポロンの脳裏に、ある少女の面影が宿った。
「!」
 ポロンは、我に返ったようにウィンディを胸から離す。
 ウィンディは驚いたように目を見開いた。
 ポロンの胸に急に、警報が鳴る。
 これであっているのか。
 自分は重要な選択肢で致命的な間違いを犯しているのではないのか。
 解からない。
 どうすればいいのか、ぜんぜん解からなかった。
 ノイズの混じった思考のカオスに迷い込む。
「……ポロンくん?」
 ウィンデイの声がかかった。
 彼女は、濡れた頬でポロン見ていた。
 その時、警報が確信に変わった。
 そして、今までの選択が間違いだと確信した。
 ポロンはウィンディを見据えた。
 女性としてではなく。
 一人の友人として。
「……ウィンディ。何をしてるんだ?」
 ポロンの瞳、そこには、今までの疑惑や迷いは見えなかった。
 変わりに在るのは、まっすぐな信念。
 ウィンディはその瞳を、心を刺されるような感覚を得ながら見つめ返す。
「ポロンくん?」
「……なんで、こんなことをしているんだ?」
「……それは」
「答えろっ!」
 一喝する。
 それは、普段温厚なポロンが見せる本気の怒りだった。
 そこには、ウィンディの好きなポロンのまっすぐな強さがあって。
 調子の良い嘘や、つまらない虚実の挟む余地はなかった。
「……実は」

 ウィンディは話した。
 父にポロンと寝ろといわれたこと。
 そして、子をもうけろといわれたこと。
 それができればゼスの一級市民になれるということ。
 再び、ガープスの娘に戻れるということ。

 二人はベットに腰をかける。
 ウィンディは体にベットシーツを纏った格好である。
 そして、寂しげな瞳のまま口を開く。
「……情けない話だよね。ゼスでエリートだって言われていたあたしが落ちぶれて。泥水を喰らいながら生きて。そして、やっと一人前になれたと思ってここに戻ってくれば、つまらない父の誘惑に踊らされて……大事なものを失ってまであたし、何を得たかったのかな? 本当に、あたし、情けないよ……」
 ポロンは、黙って彼女の告白を聞く。
 自分にはそれしかできないのだから。
 だから、黙って彼女の言葉に耳を傾け。
 そして、口を開いた。
「当然だよ。強く生きなきゃいけないとは思うけど、強すぎる必要はないんだ。ウィンディはもっと弱さを見せて良いと思うし、そういう弱さを持ってるからウィンディなんだよ。僕が何を言っても詭弁になるだろうけど、僕だってそういうことになりそうなことは沢山ある。時には、こんなうそ臭い世界を壊して自分ひとりになりたくなる。でもそれはみんな、あることなんだよ。そういう悩みは抱えているんだ」
「でも……あたし、赦されないよ。こんなこと……」
 ウィンディは目尻から雫を垂らす。
 それは贖罪の涙だった。
 だから。
 ポロンは言った。
「僕は、赦すよ。君の事を……」
 ウィンディはその言葉に俯くと。
「ありがと」
 そう言い、立ち上がる。
 そして、振り向き。
「ごめんなさい。ポロンくん。迷惑かけて」
 そう、微笑んだ。
 そこには、いつものウィンディがいた。
 強気で傲慢、臆病なんだけど立ち向かう強さを持つ。
 そんな彼女である。
 ウィンディは笑顔で言う。
「それじゃあ。明日は全てを忘れて普通におはようって言ってくれる?」
「……うん」
「ありがと」
 彼女は振り返る。
 そして、扉を開けて。
 自室に戻っていった。
 ポロンは少しだけ夢想のようなまどろみにとらわれたあと。
 ふと我に返り。
 そこに生まれたのはやはり、怒りだった。
「……やっぱり、僕には気を許してくれていなかったっていうわけじゃないかよ」
 結局、解かってしまった。
 彼女はポロンのことを強い絆で結ばれた友人だと思ってくれているが。
 全面的に心を許せる親友ではないことを。
 ポロンは苛立つように呟いた。
「結局、僕にできることなんて何もないってことじゃないかよ!」
 ベットを叩く音が聞こえた。

 ●〜〜〜●

 ウィンディはシーツ姿のまま、自室に戻る。
 あられもない姿だが、夜は更けて誰も起きていないのでこれはこれで幸いだと思える。
 相部屋のキャロットはすでに眠っているだろう。
 彼女は眠りが深い。
 この姿を見られるのは少しイヤだ。
 だから、彼女が起きないうちに着替えて眠ることにしよう。
 そして、明日は全てのことを忘れて、いつものような快活な笑みを浮かべよう。
 ……
「……浮かべられるわけ、ないじゃない」
 やはり、辛い。
 まぶたには雫がにじむ。
 泥と同じにごった涙だ。
 ウィンディは少しだけうなだれたあと。
 キャロットを起こさないように扉を開いた。
 しかし。

「おかえり」

 そこでは、ニコヤカな笑みを浮かべたキャロットが待っていた。
 ウィンディはこの姿だ。
 いくら鈍感といえども、この姿は明らかに疑惑を抱くだろう。
 それは、当然の疑念だ。
 たとえ、十年越しの友情も、これで崩れることがある。
 それほどの致命的失態だ。
 けれども。
 キャロットはそんな姿を見てもなお。
「早く、着替えたら」
 と、笑顔を向ける。
 それはいつもの、優しい笑顔だ。
 全面的にウィンディという人間を信頼している、絆から生まれた笑顔だ。
 そして、一点の曇りもない。
 キャロットはそんな笑顔でウィンディを迎え入れる。
 けれども。
 ウィンディにはその笑顔が辛すぎた。
 だから。
 遠く離れたところで、呟く。
「……キャロット。あたし……」
 キャロットはウィンディのそんな怯えた笑顔に。
 笑顔のまま、膝をポンポン、と叩いた。
 その瞬間。
 ウィンディの中で、溜まっていた何かがはじけた。
 ウィンディはキャロットに駆け寄り。
 その膝に顔を埋めて。
 思いっきり泣いた。
 キャロットは、ウィンディの頭を抱きかかえて。
「よしよし」
 そう言いながら、撫ぜた。

 信頼とは簡単に生まれるものではない。
 けれども、探していれば確かな絆はあるものだ。
 それは決して多くはないが。
 だからこそ、気高く得がたいものなのである。

 ●〜〜〜●

 昔話を再開しよう。

 ヘルマン侵攻の痛手に震えたサウスの町はお世辞にも元気とはいえなかった。
 傷痕。
 いわゆるつまりは傷だらけの意訳。
 そんな感じでボロ雑巾みたいなサウスの街をあたしは歩いていた。
 物乞いに途中で何度も捕まって。
 強盗に教われないように表通りを歩く。
 まだその頃はリーザスもサウスまで援助できる状態ではなかった。
 当然、サウスは荒みゴーストタウンになっていた。
「こりゃあ、復興するまでもーしばらくかかるわね〜」
 と、他人事を他人事のように言うあたし。
 結局、聞いた話によるとこの戦争、パットンという男の一人芝居らしい。
 故に、ヘルマンとの間に和解による援助はない。
 いや、すでに両国に和解という選択肢事態がない。
 パットン=ヘルマンは逃亡し、現在リーザスによる最重要指名手配。
 この侵攻は間違いなくリーザスに痛手を負わせていた。
 そして巻き添えになったサウスは、貧窮していた。
 いろいろ見てきたことはあるが、いちいち語るのは疲れるので却下。
 唯一つ、言える事は。
 誰しも、瞳が死んでいた。
 そんな情景に、なるほど戦争とはこういうものなのか、と無垢な理解をする。
 けれどもぶっちゃけ、んなことはどうでもいい。
 目の前で飢え死にをしそうな餓鬼がいても、あたしの知ったことではない。
 あたしだって、今日生きるのに精一杯の人間だ。
 誰かを救うために自分を犠牲にすることなんてできない。
 結局は弱肉強食で盛者必衰。
 溺れるものがわらをつかんでも、それは無残に流されるだけなのだ。
 と、簡潔に言えばそんな現実があったわけだけど。

 けれども。
 唐突に目に入ってしまった。
 彼女の桃色の髪が。

 先ほど言ったとおり、あたしは戦争を見物にきただけである。
 いわゆる物見遊山のお遍路だ。
 生きるのに必死な十二の小娘が他人を救うことなどできない。
 だが。
 あたしは、それでも魅入られてしまった。
 その桃色の髪に。
 その時。
 彼女が振り向いた。
 その表情を、どう表現すればいいのだろう。
 無感情?
 無表情?
 いえ、それは違う。
 感情は凍結されていてそれでいて、冷酷。
 なにか大事なものが壊れていてそれを致命的に間違ったもので補完している感じ。
 その瞳は透き通ったように美しくてそれで飲み込まれそうな印象。

 酷薄な瞳。
 冷徹な眼。

 戦慄した。
 エリートの癖して俗っぽく冷徹にも酷薄にもなりきれないあたし。
 けれども、目の前の彼女はあたしの兼ね備えられなかった二つのそれを持っていた。
 だから、多分。
 あたしはその時、彼女に魅了されたんだと思う。

「ねえ、何してんの?」

 あたしは、気付けば彼女に声をかけていた。

 ●〜〜〜●

「で、あなた名前は?」
 気が付けば。
 あたしは廃墟の前で立ち尽くす彼女を連れて歩いていた。
 法外な値段だけど、一応開いている食事処。
 持ち合わせはかなりあったので、あたしは迷わずそこで食事することに決めた。
 あたしはそこで、スープとパンのランチメニューを頼む。
 そして彼女にも聞く。
「何にする?」
 ……
 ノーコメント。
 おいおい、なんかしゃべれって。
 けれども、彼女は俯いたまま静かに黙って座るだけである。
 あたしはしょうがなく、彼女にあたしと同じものを注文した。
 料理が運ばれてくる間、あたしは彼女をしげしげと見る。
 服装は、奴隷服。
 いわゆる、奴隷が着ているやつ。
 ローブみたいな薄手の絹で、冬場は凍死間違い無しに寒そうだ。
 そして、やつれた表情。
 ここしばらく、ろくな食生活をしていなかった人間の顔である。
 そう、飢饉の村に行くとこんな感じの女の子に出会える。
 まあ、彼女はそのわりに血色は良いが。
 あたしの見たところ、彼女はおそらく、ヘルマンに投獄されていたのだろう。
 そして、何らかの理由で牢獄生活を送っていたのに違いない。
 まあ、彼女の身の上話なんて興味ないが。
 そこで、ランチメニューが来る。
 相場の数倍だから、大事に食べなくてはいけない。
 このあたりはまあ、あらかじめ覚悟していたことだし、別に驚かない。
 むしろ、金銭で片が付くだけマシである。
 あたしは固くてまずいパンをかじりながら彼女に言った。
「食べなさいよ」
 ……
 ノーリアクション。
 うわ、すっげーやりずらい。
 あたしは思いっきり彼女を怒鳴りつけた。
「ほら! さっさと食べなさいよ! 高い金払ってんだから!」
 すると彼女は、ようやく生き返ったように顔をあげた。
 そして、あたしの鋭い視線を浴びながらパンをひとかけらかじる。
 そのとき。
 彼女はまるで、その食を拒絶するかのように咳き込んだ。
 あたしは慌てて。
「ねえ、大丈夫?」
 そう、声をかける。
 彼女はしかし、別になんともないようにパンをちぎり飲み込んだ。
 なるほど、とあたしは思う。
 長期間、飢餓状態にあると食べ物を受け付けない身体になる。
 彼女のはそれだろう。
 あたしはため息をついた。
「ほら、パンはやめてスープにしなさいよ」
 そう、自分のスープを差し出した。

 結局、その日は名前を教えてさえくれなかった。
 いや、それどころかコミュニケーションさえ取れなかった。
 自分の物好きさ加減がイヤになった。

 ●〜〜〜●

「……そう」
 エレーンは、ポロンの言葉に頷く。
 その日の朝、リビングにいたのはエレーンとライラだけであった。
 ポロンは当初、昨晩のことを閉口しようと思っていた。
 けれども、エレーンの目聡さに見抜かれ、話さざろうえない状況に陥った。
 それで、こうして説明していたわけである。
 エレーンは頬をおさえ、寂しげな瞳で呟く。
「……ウィンディも、いろいろ抱えていたのね。相談にのれればいいのだろうけど。無理でしょうね。あの子はあたしには話してくれないから」
 遠くを見るように思案耽るエレーンにポロンは聞いた。
「エレーンは……悔しくないのかい?」
「悔しい?」
「だって……」
 ポロンは視線を少しおとし、歯噛みしながら言う。
「僕は結局、何もできないんだ。みんなのことを考えて、それで必死になってあがいたところで何一つ変わらない。この無力さが……ものすごく腹立つ」
 椅子に座ったまま、呟くポロンに。
 エレーンは背中からぎゅっと抱きついた。
「って、ちょっと! エレーン!」
「いや〜、本当に可愛いわね。ポロンくんって。もう可愛くって可愛くってチューしたくなっちゃうぐらいだわ。キスしてあげようか。ポロンくん」
 エレーンは更に腕に力を込め、ポロンを強く抱きしめる。
 そして、その耳元にふう、と息を吹きかけた。
 ポロンはそんなのに耐性がないので、しどろもどろになって慌てる。
「エレーン!」
「いいんじゃない」
「え?」
 エレーンは、手の力を緩める。
 そして、姉が不出来な弟に言い聞かせるような優しい歌声で言った。
「いいのよ。それで。好きな人の為に一生懸命になるのは自然なことよ。でもね。そういうのは大抵損するものなの。それで当然なのよ」
「でも……損をするのは辛い」
「なら、やめる?」
 エレーンの言葉に。
 やはりポロンは首を振るしかなかった。
「できないよ。どんなに理性的に振舞っても、いざというときは感情的になるんだ。間違いだろうがなんだろうが、ものすごく頭のくることに徹底的に立ち向かわなきゃ気がすまない。子供なんだ。僕は」
「そうね。しかも、かなり嫌な部類。理知的で小賢しい。それでいて芯は単純。けどね。何かを好きならそれでも立ち向かっていかなきゃ。男の子だもん」
「……」
「迷ったり、寂しくなったりしたらおねーさんが慰めてあげるから。だから、いい男になるために全力で頑張りなさい」
「……エレーン」
 ポロンは少しだけ微笑んで。
「ありがとう」
 そう言った。
 エレーンはポロンを包み込むベールのような笑顔を返してみせた。
 すると。
 グチャ。
 ライラが、片手でりんごをつぶす。
「……まあ、実際にあたしの方はそんなに冷静でいられないんだけどね」
「うわあ」
 エレーンが怯えたようにライラを見やる。
 ライラはエレーンとポロンに視線を向け、告げた。
「じゃあ、行くか」
 二人は迷わず、頷いた。

 ●〜〜〜●

 ポロン達が向かう先。
それは当然のことながら、ガープス邸だった。
 応接室でライズはふんぞり返り、ポロン達を出迎えた。
「ようこそ。本日はどのような御用で?」
 ライラが机を叩きつける。
 そして、怒りにみちた形相でライズに向かって言った。
「あんた、ウィンディに何を言った?」
「何、と申しますと?」
「夕べ、ウィンディが奇行にはしった。あの子は理知的で理性的でよほどのことがない限り、選択を間違えるような子じゃない。それがこの町に着てから動揺して、調子を崩していて、そして昨夜はついにああだ。アンタが絡んでることは自明の理だから、話しな」
「……傭兵風情が」
 ライズが忌々しげに呟く。
 そして、言葉を続けた。
「ウィンディ? ああ、なるほど。ウィンディが見つかったのですか。それは良かった。それで、彼女はどこにいるのですかな?」
「あんたは、それを知っている。その上でとぼけている。すでに、ウィンディから全てを聞いているんだ。いまさら隠すようなことじゃないさ」
「……なるほど。そうですな。お互いに三文芝居は終わりにするべきだ。ああ、そうとも。そうだとも」
 ライズはとたん、空間が一変するかのように表情を変える。
 其処に在るのは酷薄な仮面。
 ライズ=ザ=ガープスは冷徹な笑みを浮かべ、本来の地に戻って話す。
「そう。確かにウィンディ=ガープスは我が娘だ。妻、ムンライとの間に生まれた二人目の娘で、サラ、ノム、そして長男のエアと次男のアークとは母が異なる。シルフィーとは姉妹だが。そして、私は彼女をかっていたのだ。あれは天才だ。惑う事無き。私はあれほどの才を見たことがなかった。だから、あれに魅入られた。けれどもあれは私を裏切った。自らの才能を枯渇させ二流の愚民に成り下がった。私はあれを見ているのが辛かった。だから、勘当した。ここまでは、知っていますな」
 ポロンは頷く。
 ガープスは話を再開した。
「あれから四年。彼女がピッテン王子のご兄弟であり次期パランチョ国王候補であられるポロン王子に同行していると聞いたとき、さすがに私も耳と目を疑いました。私は愚かにも彼女に再び期待をかけた。もし彼女が私の望んだウィンディならば、彼女はきっと私の期待にこたえてくれると」
 そこで、残念そうに息を吐く。
「けれども、あいつはとんだ期待外れた。欠陥品もいいところだ。男の懐柔もできないような粗悪品は私の手元において置きたくない。だから、ポロン王子。あの娘は貴方の好きに。如何様にもしてかまいません。どうせ、捨て置いたもので。煮るなり焼くなり抱くなり殺すなり、如何様にも」
 限界だった。
 正直、我慢の限界だった。
 ポロンの胸には烈火のような怒りが燃え滾り。
 今すぐにでも目の前の傲慢な男を仮面ごと殴り飛ばしたくなった。
 けれども、それはライラが代弁してくれるようだ。
「気に入らないね」
「ほう」
「あんたは根本的なところで最大の間違いを犯している。彼女は誰のものでもない。あたしのものでも。パランチョ国の王子のものでも。ましてやあんたのものでも。そして……」
 ライラはそこでいっそう声を強くする。
「彼女は粗悪品じゃない。むしろ、アンタがゴミヤロウだ」
 ライズの顔が変わる。
 その表情は悪鬼羅刹、まさに強欲が取り付いた魔性であった。
 怒りを満面にライズは、静かに告げる。
「三流の傭兵気取り、精液まみれの売女がヌケヌケと言ってくれるな。馬の糞と一緒に眠り糞の臭いと死体の腐臭がする薄汚い冒険者。消耗品と同意の貴様のようなまたぐらの臭う醜女にそんなことを言われるとは心外だ。生きてこの町から帰れると思うな。傭兵」
「それがアンタの本音か。よくわかった」
 ライラが振り返り、ポロン達に聞く。
「……どうする?」
 ポロンは一歩前に出る。
 そして、ライズを睨みつけた。
 ライズはその視線を小馬鹿にしたように肩をすくめた。
 ポロンは言う。
「……僕は……あなたのような最低の男を見たことがない」
 ライズは視線を落とし、肩を震わせる。
 男は笑っていた。
 愉快そうに笑っていたのだ。
「くくく。おかしいな。本当に。幼稚だ。餓鬼だ。三流だ。一国の王になろうという人間がつまらぬ愛憎劇に踊らされ大局を見失う。本来、弱小なるパランチョ王国にとってゼスでも発言力を持つライズ家との縁は切っても切れない縁。それを自ら切ろうとは。私としてもこれからの親善関係に疑問を持ってきたところです。これが潮時ですな。小僧。今日かぎりライズ家とパランチョ王国の縁は終わりだ」
「……」
 ポロンは少し視線を落として。
「こちらとしても、望むところです」
 そう、答えた。
 ライズは頷き。
「なら、そろそろお引取り願おうか。ポロン王子、このような結果に終わって残念です」
「……」
 ポロンはまぶたを落とし、背を向けようとする。
 けれども。
「ちょっと待った!」
 急に、そんな叫び声。
 ポロン達が驚いたように後ろを振り向くと。
 そこには、扉の前で腕組みをした格好のウィンディがいた。
 後ろにはキャロットやアリサ達の姿。
 ポロン一行全員集合である。
 ポロンは思わず、ウィンディに聞いた。
「ウィンディ! どうして、こんなところに?」
 ウィンディはその言葉に肩をすくめる。
「あのねえ。今朝、ポロンくんがエレーン達と出かけた。昨夜はあんなこと。なら、これがこうでああで、こういうことになってるって、まあ解かっちゃうわけよ。天才のあたしには」
「まあ、ほとんどはあたしの推測だけどね」
 ニッコリとキャロットが笑う。
 ウィンディは柔らかな視線を鋭くして、一歩足を踏み出す。
 そして、父の前に退治した。
 畏怖。
 憎悪。
 彼を表現するにはそのような言葉だけでは足りないだろう。
 そう、彼はウィンディにとって恐怖と憧憬の対象だった。
 厳かで、優秀な父。
 決して逆らうことができない絶対の壁。
 けれども。
 ウィンディだって過去の弱々しい少女ではない。
 強い信念と強靭な意志、そして大事な仲間を得た女性の雛なのだ。
 だから。
 彼女は一人の人間として父に対峙したのだ。
 ウィンディは言う。
「父様。おはようございます」
 けれども、父はつまらない表情でウィンディを見もしない。
 はき捨てるように言う。
「ウィンディ。お前はまだ、私の前に現れるか。出来損ないが。お前などに用はない。去れ」
「そうはいきません」
 ウィンディはニッコリと笑う。
 それは、それでも父を父と認め、最後まで立ち向かう覚悟の笑みだった。
 ウィンディはハッキリと言った。
「今日は、貴方に謝ってもらいに着ました」
 ライズの顔が変わる。
 明らかにいらついた様子で、眉をしかめた。
 そこで、初めて顔をあげ娘の顔を凝視する。
 そこには、純然たる強い威圧が存在した。
「謝る? 何を謝るのだ。私は教育者としてお前を教育し、お前はそこから脱落した。それだけだろう。私は何をお前に謝罪するのだ? 何を謝罪する必要がある」
「……それは」
 ウィンディはその表情に飲まれる。
 苦手だ。
 彼の険のある表情はウィンディの胸を締め付けるような圧迫感がある。
 だから。
 結局負けそうになる。
 どんなに強く振舞っても、自分は弱い少女なのだから。
 だが。
 その時、軽く背を押す手があった。
 ウィンディが振り返る。
 そこには、いつもの笑顔を見せるキャロットがいた。
  そして、アリサ、シャルム、エレーンやライラ、アリエッタにポロンくん、フィア。
 そうだ。
 自分にはこんなに沢山の強い味方がいる。
 だから。
 もう、これ以上負けることはない。
 負けそうになったら、支えてくれる手があるのだから。
 ウィンディは再び視線を戻し。
 父と対峙した。
「……はっきり言います。あなたは教育者としては立派だった。魔術師としても優秀です。けれども」
 語尾が強くなる。
「人としては最低です」
 ライズが息を吐く。
「ほう」
 そして、姿勢をただして再び厳かに語り始めた。
「私が人として最低だと。貴様も俗に毒されたか。高貴であるうちは救いがあると思っていのだが、とんだ見込み違いのようだ。ウィンディ。お前は最低の餓鬼だ。優秀でありながら俗に溺れ、魔力も失った」
 そこで、キャロットが口を挟む。
「ウィンディが魔力を失った理由は!」
「知ってるよ。シルフィーがやったのだろう」
「!」
 キャロットの顔色が変わる。
 だが、反面のウィンディは平然としていた。
 彼女は、父が姉のしでかしたことをすでに把握していると確信していた。
 そういう男なのだ。
 全てを手中に収め、策士のように物を動かす。
 それが、ライズ=ザ=ガープス。
 現在、テープの実質的な支配権を持つ男。
 優秀にして有望。
 天才にして鬼才。
 そして。
 人道に外れた外道。
 ライズはあきれたように言った。
「何を。もし優秀と言えるならば、呪い封じや呪い解除もできなくてどうする。その程度の才能なら枯渇した方がましだ。お前が魔力を封じられた時、私は失望したよ。これが期待をかけた魔法使いだったのか。そう思うとやるせなくなった。だから……」
「あたしを勘当した」
「ああ」
 ライズは頷く。
「ウィンディ。私は常に正しいことを正しいようにしている。その結果、何かが零れ落ちることもあるだろうがそれは当然の摂理だ。そして、その現象と結果、いわゆる因果による自然的な状況の起こした結果に、なぜ私が謝る必要があるのだろう。ウィンディ。無能だ。貴様は。まさか、私に助けてもらいたかったなどと、戯けたことを言うのだろうか?」
「助けてもらいたかったんです。あたしは」
「……俗だな。本当に俗だ。見るのもうんざりだ。消えろ」
「いえ。言わせて貰います。この世界に子供を助けない親がいるでしょうか? 子供が聞きに陥った時に救わない親がいるでしょうか。もしそうなら……それは、親じゃなくて他人だわ」
「……それも俗だ。いいか、ウィンディ。我々はエリートだ。三流ゴシップやパルプ誌のような使い捨てのごみだめとはちがうんだ。お前の勘違いはそれだ。俗の生活に馴染んだが故に俗を当然だと思った。いいか。私は後継者を育てているんだ。そうでないものは必要がない」
 ライズの有無を言わせない言葉。
 ウィンディはそんな彼の言葉に。
 寂しげな瞳を見せた。
「……私は、貴方に育てられてたんですね」
 ライズは、頷く。
「お前の不幸は、この家に生まれたことだ。だから、どこにでも行くがよい。私はな。最後までお前を娘だと思えなかったよ」
「……」
 視線を落とすウィンディ。
 しかし、そこに更なる乱入者が現れた。
「お父様。少し、お待ちになって」
 ライズの視線の先。
 そこにいたのはシルフィー。
 ポロン達とは別の入り口から入ってきた。
 後ろには、ノムとサラの姿もある。
 シルフィーはウィンディに向き直り、言った。
「結局、あなたはあたし達姉妹がうらやましいのね。それだけなのよ。ウィンディ。あなたの心底にはあたし達に対する壮絶極まりない嫉妬と羨望があるのね。なぜなら、あなたはどうあがいてもあたしに届かないのだから」
「……姉さん」
 ウィンディは顔をあげ、姉の強気な視線と自分のそれを交えた。
「それは、違うわ。あたしはただ、父に謝って欲しかっただけ。この傲慢な魔法使い至上の世界を、腐り逝くまで堪能しようとしているそんな父が許せなかった。姉さんは姉さん。あたしはあたし。だから……あたしは……」
「本当にそうかしら?」
 ウィンディの表情がこわばる。
 そう。
 ウィンディは根本の感情で、自分の言葉を否定していたのだ。
 結局、そこには嫉妬があった。
 強い嫉妬が。
 魔力が使えないだけで差別され、おとしいられたゼスの体制。
 そして、誰も救ってくれなかった現実。
 姉たちの優雅な暮らし。
 自分の苦悩。
 そんなものが混じり合わさり、結局向かう先は怒りだった。
 だから。
 ウィンディはシルフィーとにらみ合うことができなかった。
 シルフィーは、そんなウィンディの態度に落胆する。
 そして、言った。
「いいわ。機会を上げましょう」
「機会?」
 聞き返すウィンディ。
 ライズもいささか、興味深げに顔をゆがめる。
 シルフィーは続けていった。
「ウィザードリィ・デュエルは知ってるわよね」
 ウィンディは頷く。
 すぐそばのキャロットがウィンディに、説明を求めてきた。
「ウィザードリィ・デュエル。通称、WD。魔法使いの模擬戦闘みたいなものなんだけど、魔力を中和する特殊なリングをつけて戦うの。場所は魔力の方式を変化させる特殊な結界の中なんだけど。そこで放たれた魔力はどんな形にしろ自然法則をゆがめられ純粋なエネルギー体になる。だから、身体的なダメージは無い、あってもしびれる程度なんだけど、エネルギー体はダメージとしてメーターに蓄積される。そして、そのメーターが先にゼロになった方が負け。つまりは魔法試合よ」
「昔は、名のとおり決闘のために行われたんだけどね。それは互いが死ぬまで終わりにならなかった。時代が変わって平和になって、魔法使いを戦争より技術面で生かす時代になってから、殺人よりも活人の方面で技術体系が進歩して、このような安全かつ合理的な魔法使いの優劣を決める儀式が開かれるようになった。便利な時代よね」
 と、続けたのはシルフィー。
 そして、ライズに向き直り聞く。
「と、いうことで、彼女に今一度チャンスを与えてみたらどうでしょう。彼女とワタクシの一対一のウィザードリィー・デュエル。負けたほうが勝った方の言い分を聞く。なんでも、一つ。もちろん、公衆の面前でキチンと、有無を言わさぬ決着をつけるのです。どうでしょうか、お父様」
「うむ」
 ライズがあごに手を乗せ、頷く。
「そうだな。身の程を解からせるためにも、ここで徹底的に叩き潰すべきだ。シルフィー、いいな。ウィンディ、貴様はどうなのだ?」
 そこで、ウィンディは返答に困る。
 なぜなら、今のウィンディではシルフィーに勝つことが限りなく至難だからだ。
 シルフィーはただのお嬢様ではない。
 いざ、戦いとなれば果敢にも攻め、相手を叩き倒す猛者である。
 雷の呪文を幅広く学び、ついには破壊光線まで辿り着いた天才である。
 対してウィンディ。
 魔力サポートがあれば黒色破壊光線を放てるものの、力ではシルフィーに大きく劣る。
 クリスタルリングは前の戦いで壊れた。
  今や、全力でもスノーレーザーが最大の技である。
 正直、勝てる見込みは無いだろう。
 純粋な魔力の桁が違いすぎる。
 そう、勝てない。
 理性の部分ではそう判断する。
 だが。
「どうするの?」
 シルフィーの挑発。
 それにのったわけではない。
 だが。
 女には意地でも貫かなければならない信念があるのだ。
 ウィンディはハッキリと言った。
「やります」
 シルフィーが笑う。
 ライズも、よい余興ができたとばかりに頬をゆがめた。
 キャロットが不安げな表情でウィンディを見る。
 しかし、ウィンディはまっすぐな瞳でただ、前を見るだけであった。
 そう。
 キャロットがはじめて彼女と会ったときのように。
 彼女は変わっていないのだ。
 まっすぐで単純、俗で直情的、さらには臆病。
 そして、自分の決めたことを信じて貫く強さを持っている。
 そんな彼女だからこそ、キャロットは好きになった。
 ライズは一つ頷くと、口を開く。
「それでは、試合は三日後。東のコロセウムで行うことにしよう」
 ライズは二人に、交互に視線を移す。
「それでいいか?」
 二人は、頷いた。



 そして、三日後、試合が開かれることになった。