| 前へ | 次へ |
アライグマのラステル君は悲しかった。
背中の糸がほつれ、パンヤがはみ出しそうだったからだ。
何度も壁に叩きつけられたとき、壁の釘にひっかかれたのだ。やめてよご主人様。
ラステル君は、心で泣いた。
その時、ご主人様がやさしく、ラステル君を抱き上げてくれた。ご主人様。
ラステル君の心に、暖かいものが灯った。
そのままご主人様は、ラステル君をドアに投げつけた。
ご主人様〜〜。
ラステル君は、心で泣いた。
「……なにをしてるんですか」
ドアを開けたとたん、飛んできたぬいぐるみをひょいとよけ、マドカは沙由香に尋ねた。
沙由香の部屋は、荒れていた。
本や雑誌は言うに及ばず、CDやぬいぐるみ、果てはベッドさえもひっくり返っていた。
変身前ですら、バイオボディの力は常人を上回るのだった。
「マドカ……」沙由香が、マドカを見つめた。
その容貌を、透明な液体がつたう。
「マドカぁ」
沙由香はしゃくり上げながら、マドカを抱きしめた。
マドカが、どうしたのかと尋ねた。
聞き取りにくい声で、沙由香は応えた。
「恭ちゃんが、浮気したの」
そのまま沙由香は、いかに恭平が(自分と違って!)ななかにやさしく、情熱的にふるまったかを、異様に詳しく、えんえんと語り出した。
マドカは首を傾げた。
状況からみて、沙由香は一瞬しか現場を目撃していない筈だった。
ななかも、信憑性に乏しい話をしていた。
沙由香の遺伝子は、話を作るタイプなのだろうか?「私にはキスしないくせに……」
だいたい、恭平は、沙由香と付き合っていたのだろうか?
浮気は成立するのだろうか?
「……マドカ、聞いてる?」
「聞いています」
果てしなく続く、沙由香の妄想を聞きながら、マドカのCPUは警告音を発していた。
事態が進行すれば、恭平と沙由香の仲は破局を迎える。
それではD2エネルギーが貯まらない。つまり、地球の危機であると。マドカは、事態を解析した。
恭平が実際に浮気をしていようがいまいが、問題ではない。
恭平が浮気したと、沙由香が信じている。
ならば、それは浮気なのだ。
恭平がなんと言おうと、それが真実なのだ。マドカのCPUが、使命感に燃えた。
地球を守るため、全人類の存続のため。
沙由香の気持ちをなだめねばならない。
恭平の浮気が治ったと、沙由香に信じさせねばならない。
恭平の精力は、すべて沙由香だけのものなのだと。そう、最後の一滴まで。
マドカは一瞬で全ての状況を考慮し、最適と思われる解をはじき出した。
沙由香に語りかける。
「大丈夫です」
「え?」
沙由香は顔をあげた。涙の痕がくっきりと残っている。
「あれは、一時の気の迷いです」
「…………」「殿方には、よくあることです。本気じゃありません」
「…………」「ななかさんは、その犠牲になっただけです」
恭平が聞いていたら、ちょっと待てとつっこむところだが、恭平はここにいなかった。
マドカはしゃあしゃあと続けた。
「沙由香さんは、内気ないじめて属性の性格といい、未亡人顔負けの熟れた肉体といい、
すこしたれ目の眼鏡っ娘というオプションもついて、
牡の欲望をこれ以上ないほどそそる素晴らしい女性です」
沙由香は少し顔をしかめた。
「マドカ……その言い方、嬉しくない」
「ですが」 マドカは語気を強めた。
「そんな申し分ない女性でも、殿方は、いつか飽きてしまうのです」
がーん!!!
沙由香の頭の中で、グランドピアノがマキシマムで鳴った。
「あ……飽きる……」
「そうです」 講義するように、マドカは沙由香に説明した。「男性は、同じ女性の肉体に対して、いつまでも同じ量の精子を出そうとしないのです。
交尾の回数が進むにつれ、まるで惜しいとでもいうかのように、含まれる精子の量は
減らされていくのです。「しかし情けない事に、別の女性の肉体に対しては、よろこんで以前と同じ量を出す
のです。「俗に、釣った魚に餌はいらないなどといいますが、あれは男性の生理が心に影響を
及ぼしているものと推測されます」「……釣った魚……」
「ですから、恭平さんが沙由香さんの新たな魅力に目覚めれば、
新鮮な気持ちで沙由香さんを見てくれる筈です。
恭平さんの迷いも覚め、浮気も治るでしょう」
「…………」「それが、ななかさんの安全のためでもあります」
沙由香は頷いた。
「そう……そうだね。
恭ちゃんは、迷ってただけだよね
ななかちゃんも、被害者なんだよね
私が……私がもっと、しっかりしてれば、よかったんだよね」
マドカによって導き出された結論は、沙由香の妄想にピタリと一致していた。
事態解決の指針を得て、沙由香に笑顔が戻った。
暇な団地妻をだまくらかすことに成功したセールスマンのように、マドカは極めてまじめな顔で書類を取り出した。
「それでは……これなどいかかですか?」
| 前へ | 次へ |