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どれだけの時間が流れていったのだろう。 時。 そういうモノの概念すら今の私には違う形になっている。 瞬く間に季節は移り変わり、人は移り逝く。 あの人は何処にいるのだろう。 私の大事な人。 大切な人を探す為に、ただそれだけの為に生きている人。 何処までも優しくて、温かくて、強くて……愛しい人。 |
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この世の中には人間を凌ぐ存在があった。 彼らは永遠の時間の流れを生き、老いる事もなかった。 その怠惰な時間の流れに身を任せる彼らは、退屈しのぎにヒトの命を弄んでいた。 彼らは「デアボリカ」 彼らによって新しい命を与えられた生命体は、凶(マガキ)と呼ばれる存在になる。 酔狂な行いで造られた凶は、ただただヒトを襲い殺してまわる存在。 正しい儀式で生まれてきた凶は、高等な知能を持ち獣相を現す、創造主の完全なるしもべ……主と同じく、ヒトには限りなく冷酷な存在のモノ。 デアボリカと凶。それはヒトからは畏怖されるだけの存在。 アリアは、獣相を持つ凶だった。 その姿は幼い少女のようでもあったし、成熟しかけた女の匂いも感じられた。 彼女のマスターは、伝説の最強のロードデアボリカ。アズライト。 数名のロードデアボリカは世界の頂点に君臨し、その凶は主人に次ぐ力と地位を持っていた。 しかし、アズライトは少し違っていた。 その凶たるアリアも少し違っていた。 自分の意志の元、こうしてこの洋館に独りでいるのだ。 |
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朝。 アリアは、洋館の二階の大窓を開けて下の集落を見下ろした。 そこには細々と生きる民が暮らしている。 アリアの時間で少し前まで、そこには愛する自分の家族の姿が見えた。 けれど、今はもう誰も知る人はいない。 アリアは黙ったまま、そっと窓を閉めた。 洋館の中庭にアリアは大きな花壇をこしらえていた。 ただただ長い時間は、ろくな考えを与えない。 だからアリアは、こうして館を整える作業に徹した。 いつか必ずアズライトが戻ってくる。 その日の為に、アリアは少しでも心地よい空間を作ろうと必死だった。 「あ?」 アリアの長い耳が、ぴくん、と震えた。 「?」 聞き慣れない足音に、アリアの全身の神経は研ぎ澄まされていく。。 「だめだよ、もう怖いから」 「何言ってるんだよ、お前は勇気が無いなあ」 アリアの口元がゆるむ。 集落の子供が度胸試しでやってきたのだろう。 この洋館は、アリアがまだヒトだった頃には魔物が住んでいた。 あれからずいぶんと経った今でも、その噂は残っているらしい。 アリアは姿を人に見せる事をしなかった。 自分がヒトから畏怖される存在に成り果ててしまった今、懐かしい集落に帰る事は出来ない。 ここからひっそりと見守り続ける事。 それはせめてもの意地のようなものだった。 けれど怖いもの見たさに、館に進入を試みる輩が時々いるのだ。 その度に、アリアは姿を隠したり、故意に脅かしたりして人を遠ざけてきた。 「見て、すごーい」 「こんなすごいお花畑、初めて見たー」 子供達は中庭にやってきたらしい。 アリアは苦笑した。 はるか昔、自分も同じように好奇心の強い子供だったから。 驚かせてはいけない。しかし、これ以上長居されるのも困る。 花畑を見入る子供達に見えないくらいの速さで、アリアは花畑を走る。 がささささささっ 花畑に一陣の突風が吹いたように、花が飛び散った。 風も吹いてはいないのに。 子供達は一瞬凍りつくと、悲鳴を上げて逃げ出した。 声が聞こえなくなり子供の気配が無くなると、アリアは花畑にしゃがみこんだ。 「……ごめんね」 乱れた花畑にちぎれとんだ花を手にして、アリアは小さく呟いた。 |
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月さえも見えない夜。 アリアは床にひいた敷物の上に寝転がっていた。 夜はつらい時間だった。 目を閉じると、懐かしい頃の記憶が甦ってくるのだ。 長い黒髪をなびかせてたまらなく優しい目をしたマスターを想いだす。 楽しかった日々。 流れ者の旅人のようなその男、アズライトはヒトから忌み嫌われるデアボリカだった。 デアボリカ。 恐ろしい魔物を生み出し、まるで玩具のようにヒトを弄ぶ悪魔。 この集落には今まで魔物も来なかった。なのに突然デアボリカ自身が来るなんて。 人々の嫌悪と好奇の視線は、アズライトと彼を泊らせているアリアの家族にも降り注いだ。 「迷惑かけてごめんね。僕がデアボリカだから・・・」 おどおどとした物腰、気の弱そうな優男。 女と見まごうような綺麗な顔と、細い指。 絹糸のような長い黒髪。 『本当にデアボリカなの?』 でも、確かに彼はヒトとは違う匂いがしていた。 ある日、アリアの依頼でアズライトは、集落のそばに出るという洋館の魔物に挑んでいった。 こっそり後をつけたアリアは、そこで初めて見る狂暴な凶と、それを容易に切り刻むように倒していくアズライトを見て、呆然とした。 『アズライトは違う。強い。ヒトとは違う……強い。強い男』 しかし。 最後の広間にいた「少女」に、アズライトはボロボロに切り刻まれてしまった。 アリアは、懸命にアズライトを引っ張って逃げた。 「レティシア……僕だよ。アズライトだよ……わからないの?」 大怪我でうなされている間中、アズライトはうめいていた。 「レティシアって、誰?」 「うー。うまく言えないけれど……僕が探している人なんだ」 何とか体力を回復したアズライトは、そう教えてくれた。 そんなアズライトの顔は、少しはにかみ、それでいて幸福に満ちていた。 「僕は、彼女の魂を探しているんだ。僕が守ってあげるって約束したから……」 アリアはその時、初めて胸がせつなくなるのを知った。 アズライトが床から起き上がれるようになってしばらくした日。 「私が攻撃するから、それを受けてみて」 戦士になりたくて鍛えてきたアリア。 その攻撃を、病み上がりのアズライトは巧みに受け流していく。 『この男は強い。 父さんよりも、兄ちゃんよりも。仲間の誰よりも…… 私の憧れてる戦士だったじいちゃんよりも…… きっと……』 アリアは純粋に憧れた。アズライトに。 「ごめん。アリア……。僕にはレティシアがいるんだ」 アリアには初めての恋だった。 叶うはずがないのはわかっていた。でも、どうしても伝えたかった。 精一杯オトナの女のようにアズライトを愛してみた。 だけど、その想いは拒絶されてしまった。 今はこの世にいない少女の魂に、アリアはなすすべも無く敗北した。 惨めに打ちひしがれた自分に、アズライトはただこう繰り返す。 「僕にはレティシアがいるんだ」 アリアは我に返ると飛び起きた。 それが夢だと気付くと、ぎゅうっと唇をかんだ。 どうしても思い出してしまう。 楽しかった事だけが残ればいいのに。どうしても切なかった事まで思い出してしまう。 アリアは起き上がると、中庭に躍り出た。 そして、その真ん中で黙って涙をこぼした。 |
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「桜姫」 大きな屋敷の中、そこの主、火炎王(かえんおう)は我が子同然に可愛がっている凶、 桜姫(おうき)に声をかけた。 桜姫は黙り込んだままだった。 その腕に、ぼろぼろになった双子の妹、月姫(げっき)の亡骸を抱きながら。 二人が仲睦まじく過ごした部屋の明かりもつけずに、桜姫が座り込んでどの位経ったのだろうか。 火炎王が眉をひそめたその時、 「ととさま……私は……」 かすれるような声でかすかに桜姫の声が聞こえた。 「私は……許せない……、私を捨てておきながら、新しい凶を産み出した奴を!」 桜姫は火炎王の凶ではなかった。 闇のロードデアボリカ、アズライトの凶であった。 太古に火炎王とアズライトの戦いに巻き込まれ、絶命しかかっていたヒトの子供…… それが桜姫と月姫の姉妹だった。 彼女らを哀れんだのか、すぐさま火炎王は月姫を凶にした。 そうする事以外に、彼女たちの生きる道は断たれてしまっていたのだ。 「どうする? アズライト。俺達のせいでこいつらは死んじまうぜ?」 火炎王の挑発。そして彼のとった行動。 アズライトはそれに従うかのように、死に逝く桜姫の首筋に牙を突き立て凶に変えたのだ。 しかし。 アズライトはデアボリカを、凶を嫌悪していた。 デアボリカたる自分を事の他、嫌っていた。 その自分がとうとう生み出してしまった凶。桜姫。 「…ご命令を、マスター」 新しく凶としての命を受けた桜姫の口からその言葉が漏れると、アズライトは絶句した。 そして、彼女をその場に置き去りにして逃げ出したのだ。 『自分がデアボリカである事からそこまでして逃れたかったのか…?』 火炎王は、捨てられた桜姫を月姫とともに、娘のように可愛がってきたのだった。 捨てられた桜姫は、アズライトに対する激しい憎悪を燃やしていた。 『何故、生んでおいて私を捨てたの? いっそ殺してくれた方がましだったと言うのに』 主人と桜姫の再会は、すべて命懸けの戦いだった。 しかしアズライトは攻撃すらしてこない。 泣き出しそうな眼をして、 「ごめん。ごめんよ」 そう繰り返すだけだった。 「主として命ずる。……攻撃を止めろ。火炎王の元に帰れ!」 主としての彼の初めての命令。 それが殺し合いの場でのその言葉だった。 「ううう……くうっ……」 自分の意思に反して、アズライトへの攻撃を緩め、素直に退き始める桜姫。 凶の身体は、自分を捨てた許し難い主の命令を素直に受け入れてしまう。 桜姫はあの時ほど悔しかった事はなかった。屈辱的な事だった。 「命じてまで、そこまでして主は私の事を?――」 しかし、桜姫はそれでも、わずかでもこころの何処かで信じたい事があったのだ。 自分が唯一のアズライトの凶であると。 なら、疎まれても諦めがつくような気もあったのだ。 しかし…… 桜姫はぎゅっと月姫の亡骸を抱きしめた。 「許せない…あの凶…」 桜姫は今でも覚えている。 忘れる事なんて出来ない。 アズライトの新しい凶。 アズライトを守るべく、恐ろしい速さで飛び込んできては、可愛い妹の身体を微塵に引き裂いたあの凶。 当然のようにアズライトに傅いていた、新しい彼の凶。 アリアを。 「許せない……許せないっ! アズライト!!」 いつも穏やかな笑みを浮かべていた桜姫。 それが今では凍り付いたような表情でただうつむき、時には鬼のような形相で呪いの言葉を吐き続けている。 火炎王はどうする事も出来なかった。 (元は、俺のせいかもしれねえしな……) しばらく黙り込んで桜姫を見つめていた火炎王は、ゆっくりと腰を上げた。 火炎王の眼に、暗い炎が燃え上がっていた。 それは、すべてを燃やし尽くしてもなお余りある「炎のロードデアボリカ」の、恐ろしい怒りを示しているようだった。 |
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『アリア、ありがとう』 『君は頑張ってるんだね。僕は何だか自分が恥ずかしいや』 『アリア』 『アリア』 『アリア……ごめん。僕にはレティシアがいるんだ。君はレティシアじゃ、ない。』 アリアはまた夢を見ていた。 せめて夢の中では幸せな普通の少女でいたい。 でも、夢の中でもアズライトは、最後の言葉を言うのだ。 申し分けなさそうな、捨てられた子犬を連れて帰れない子供のような顔をして。 頭を抱えてアリアはため息をついた。 「???」 次の瞬間、アリアはものすごい勢いで飛び起きると大急ぎで屋敷の外に出た。 ニオイがする。 微かだけれど、確かに感じるのだ。 同時に全身の血が逆流するような感覚がアリアを支配する。 荒野の果てから、生臭く下品なニオイがする。 長い耳に全身を集中する。 「………」 聞こえる。 それも、確実にこちらに向かってきている。 アリアは屋敷の中に駆け戻ると、新たに作っておいたトンファーと呼ばれる武具を手にする。 接近戦ではこれを手にしたアリアは負け知らずだ。 「早くしないと」 もうニオイも音もすぐ近くにまで感じている。 人の血のニオイ。 人の肉の腐敗するニオイ。 はあ。はあ。という荒々しい吐息。 アリアの頭の中で、その原因の想像は出来ていた。 凶。 高等なデアボリカのみが生み出す、まがまがしい生物。 ヒトのニオイに誘われてか、のそのそと、しかし確実に集落に近づきつつあった。 「ぐるるるるるる…」 半分が蜘蛛のようで、そしてもう半分が中年男の名残を残した大きくひしゃげた異形の体を持つ凶は、だらだらと生臭い体液を流しながら大地を踏みしめる。 熱気で陽炎が揺らめくその先に、空腹を満たす存在のヒトが群れている。 凶のバックリと開いた口からは、だらだらと唾液のようなものがこぼれた。 「……?」 凶は、突然動きを緩めた。 そこに何かが立っている。 陽炎の中、小さなヒトのようなものが、こちらを見て立っている。 その方角からは、甘い花のような香りがしたり、身体の奥底の本能を揺すぶられるような娘の芳香もした。 びちゃびちゃ…… 生臭い体液が飛び散る。 本能のままに蠢くおぞましい異形の生物は、迷う事無くその方に向かっていった。 アリアは、まっすぐに自分に向かってくる凶を認識した。 そして、大きく旋回するように集落とは逆の方に駆け出した。 「ぐるるるるる……」 昔の自分ならば、間違いなく吐き戻していそうなくらいの悪臭……腐った肉の臭いが漂う。 凶。 姿は違えど、自分と同じ「凶」なのだ。 きっと変容前はごく普通のヒトだったに違いない。 「……すぐに解放してあげるから」 集落が遠く霞むくらい離れると、アリアはトンファーを構えた。 迷いも何も無い。 自分が出来る事は集落を、故郷を守る事。 それだけに今の自分はあるのだ。 そう言い聞かせるようにこころを研ぎ澄ましていくアリアに、凶が襲い掛かってきた。 左から虫の肢のような、鋭利に尖ったモノが迫る。 がきっ。 アリアはその巨大な肢を右手のトンファー1本で食い止めた。 そして空いた左手のトンファーでそれをを砕く。 「ぎゅがああああああ〜〜〜〜!!!」 この世のものとは思えない悲鳴が聞こえる。 あふれ出た体液にまみれたアリアの顔を見て、凶は初めて恐怖におののく。 野生の生き物は、その特有の仲間で理解できる階級のようなものがあるらしい。 この下等な凶も、今、ようやくそれが判ったのだ。 獲物と思ったこのイキモノの正体が。 ヒトの持つ光を失い、表情も無くした冷酷な瞳。 ヒトのようで獣の相を示す、想像できない力を持った美しいイキモノ。 凶。 それもロードデアボリカの凶。 自分と同族の、しかし、自分とは天地ほどに遠い、知性と力を兼ね備えた完璧な凶。 この世界では下克上というものはありえない。 最低の下等な凶が、どうしてアリアに勝てるだろうか。 逃げるしかない。逃げるしか道は残っていない。 最低の本能でそれを悟った時、 ぐしゃっ 凶の全身は、鈍い音を立てて引き裂かれた。 あちこちに飛び散った肉片が大地の上に落ちる。 まだ生気を帯びたそれはぴくぴくと痙攣していた。 アリアの瞳にすこしづつ光が戻る。 右手で顔にへばりついた体液を拭い取ると、大きくため息をついた。 「同族殺し」 主であるアズライトはそう呼ばれていた。 仲間、同胞であるデアボリカと凶に刃を向けて殺傷していく。 そして、アリアも…… 自分の故郷を守る為にアリアは得た力を使いたかったのだ。 そして、愛するアズライトに殉ずるかのように。 その頃、反対側の山地から一人の男が集落にやってきた。 その地には不似合いな服装の上からマントを羽織った、白い髪に浅黒い肌の逞しい身体の男が。 彼は風にのって流れてきた臭いを嗅ぐと、舌打ちした。 「まあいい。あれは所詮囮だからな。」 そして自分を眺めている若い女に気付くと、じっと娘の瞳を見据え、男らしく整った顔に笑みを湛えてみせた。 若い女は恥じらうように頬を染めた。 「お手並み拝見と行くか」 小さくそう呟くと、彼は慣れた手つきで若い女の肩を抱きその耳元に囁きかけた。 その瞬間、女の表情はまるで蕩けていくような悦楽の色を浮かべた。 集落の外れ。 女は男に誘われるままにそこに来ていた。 そして、自ら何かに魅了されるように身に纏うものを脱ぎ捨てて、ためらう事も無く見知らぬ男の言うままになっていた。 男の目が獣のような光を帯びていく。赤く、赤く燃え上がるように。 「来い」 男に命じられると、女はその胸に縋りついた。 そして―― 「ぎゃあああああ〜〜〜〜!!!!」 断末魔の悲鳴が轟いた。 にやにやと笑みを浮かべる男の右肩から無数の腕が伸び、蠢き、女の腹を貫いていた。 鮮血に染まった腕を引き抜くと、男は低い声でこう命じる。 「殺れ。お前の思うがままに殺ってしまえ!」 女の瞳から光が消え失せる。 どさり。 生気を失い、モノのように倒れ込む。 が、しばらくすると地に落ちた女の体がびくびくと蠢き始める。 男はにやにやと笑いながら、その様子を見つめている。 女の腹はばっくりと割け、そこからは無数の歯のようなものが生え始める。 脇からはずるずると触手のようなものが生え、どくどくと脈を打つ。 すらりと伸びた足も、膝から下が無数に枝分かれしてさわさわと蠢く。 全身がみしみしと音を立てて、ねじれ、裂け、歪んでいく。 地獄絵図。 男はその光景を薄ら笑いを浮かべて眺めている。 「ぎゃあああああああああああ〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!」 腹に現われた巨大な口が、叫び声をあげる。 そこに生まれたのは、元の姿をわずかに残したまま異形に歪みきった凶。 「ふふふ……。行け。お前の腹を満たしてこい」 ずるずると集落に向かい始めた凶に背を向けると、火炎王は煙草をくわえ、火をつけた。 |
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アリアが異変に気付いたのは、凶の残骸を埋め終わったころだった。 たまらない胸騒ぎがする。 それは、風向きが変わった瞬間、確信へと変わりつつあった。 集落の方から、肉の腐ったようなニオイがする。 ……そして、鉄の錆びたようなニオイ。 血、ヒトの血のニオイ。 アリアは駆け出した。 同時に恐ろしいくらいの恐怖が、押え込んでいた胸の中にふつふつと湧き出た。 今倒したばかりの凶。 あまり間を置かずに今集落に起こっている異変。 肌で感じる、同族――凶の気配。 しかし、それを上回る存在感が、確実にアリアの中で具現化していた。 「……デアボリカ????」 脳裏に懐かしいマスターの顔が浮かんだ。 誰よりも愛しい男。闇のロードデアボリカ、アズライト。 まだアリアが戦士を夢見る少女の頃に、彼はこんな話をしてくれた事があった。 『ロードデアボリカっていうのが、僕の仲間だったんだけどね。まずファトラ。ふふふっ、怒るかもしれないけれどお母さんみたいなんだ。僕がこんなだから、きっと心配してるだ ろうな……。ゴルドーはね、僕の事嫌いみたいなんだ。きっとゴルドーは僕みたいないじけてるのは、好きじゃないんだろうね……。そして彭祖(ホウソ)、一番の物知りでね。 優しくてのんびりしてて……』 そして、寂しい表情でこうつぶやいた。 『……火炎王、僕の事をどうしてほおって置いてくれないんだろう……。僕はもう昔の僕じゃない。ただ、レティシアを探して幸せになりたいのに……』 凶を作る事が出来るのは、デアボリカの中でも少数の支配階級者、24デアボリカとロードデアボリカだけだ。 そのデアボリカもヒトの間では伝承が残っているだけだ。それ程に現われる事すら希なのだ。 この短い時間にどうして凶が2体も現われたのだろう? アリアはたまらない恐怖を感じていた。 「助けて……アズライト。私に力を……」 アリアは祈りながら、なんとか集落に辿り着いた。 凶は早速ヒトを一人、バラバラに切り裂いた。 村人は脅え、逃げ惑い、平穏な生活は一転して地獄絵巻へと変化していった。 そんな中、火炎王は建物の影から様子を伺っている。 「どうする? 早くしねえとみんな殺られちまうぜ?」 凶は逃げ惑う人に向かい、ものすごい勢いで触手を伸ばした。 ぐちゃっ 簡単に、一人の男の腹が破れる。 先端が鋭利になっている触手は、その肉の触感を楽しむかのように幾度もそれを刺し貫いた。 血飛沫が飛び散る。 「ぎゃあああああああ」 それを目の当たりにした人々は、ただただ逃げ惑うだけだった。 火炎王は楽しげにその光景を見つめていた。 ヒトを狩る事は、彼らには道楽だった。 短い命を生きる虫けらのような存在。 以前はこうしてよく狩りをしたものだった。 村を幾つも潰しては、新たに捕らえてきたヒトを家畜の如く繁殖させて野に放ち、再び村や文明を創造する頃に叩き潰す。 デアボリカにとって、ヒトの人生などほんの短い時間。 「そのくせ、とんでもなく腐った奴等が出来るんだよなあ、人間って奴はよお」 お互いに痛め付け合う。 騙し、奪い、殺しあう。 火炎王はそういう光景を最も嫌った。 よく『二人』で狩りをしてはそういう輩を滅してきた。 それは正義ではない。ただの道楽。 「アズライトよお。お前は本当にカッコよかったぜ……あれだけ残酷に、冷酷に殺れるのはお前くらいだったがなぁ……。記憶なんか落としやがって、おまけにヒトのガキに魂抜かれやがって」 そう呟いた火炎王の視界に人影が入ってきた。 それはヒトにはありえない跳躍力で飛び、大きく振り上げたトンファーの一撃で凶の頭を潰していた。 「………!」 あまりの出来事に火炎王も沈黙する。 「つ、強ええ。……なんて、なんて凶なんだ?」 その面影はあどけない童女のよう。 その瞳は光を失った人形のよう。 冷たく無感情なその表情は、凶の主の過去の姿を彷彿させる。 「アズライト……!」 火炎王はその名を呟いた。 そして、ゆっくりとその凶の元に足を進め始めた。 |
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アリアは改めて集落の様子を見た。 町外れだったのが不幸中の幸いだった。 しかし、それでも数人のヒトが殺された。 「ふう…」 アリアは息を付いた。 その瞬間。 アリアはものすごい威圧感を感じ、震え上がった。 身体中の血が恐怖に凍りつくような感覚。 初めてアリアを襲う、恐怖の感情。 「よお、お前か? アズライトの凶は?」 そこにいたのは屈強な身体付きの一人の男だった。 しかし、銀の髪に見え隠れしている耳朶は尖り、その赤く燃えるような目の瞳孔は縦に大きい。 間違いない。 デアボリカ。 アズライトを知るモノ。そして凶を創造できるモノ。 「ロード……デアボリカ?」 「おお? 口がきけるのか。まあいい、俺は火炎王。随分と前に俺様の娘が、おいたして申し訳なかったなあ。クックック……」 アリアは震え上がる。 火炎王。 アズライトに最も近い存在であり、彼に固執している存在。 「ん? どうした? 怖いのか?」 火炎王はにやりと口元を緩めた。が、すぐに厳しい顔になる。 町の人達のざわめきが聞こえてくる。 「凶なら判るだろうが、俺に逆らう事は出来ないぜ。お前の主と俺は、仲間だからなあ」 「………」 踵を返すと、火炎王は声が聞こえ始めた方向と反対に向かった。 「お前に話がある。館にいくぞ。元々あれは俺様の娘のもんだがな」 アリアはヘビに睨まれたカエルのように、火炎王に従った。 |
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「おい、見ろ。凶が殺られてるぞ?」 「どうしたんだ?」 「静かになったと思ったら、凶が……」 村人の中でも、屈強な男達が様子を見に来たらしい。 彼らは血の池と肉片の海を見て、唖然としていた。 「この集落は昔から凶に襲われないって言うが、ちょっと外れるととんでもなく臭せえ んだよ。なんだろうと思ったら、凶の残骸だ。」 「凶を狩る何かがいるのかよ?」 「昔、ここに来たって言われてる、同族殺しのデアボリカと関係あるのかもしれないぜ」 「……それとも館の化け物か?」 彼らは、はるか高台に見える鬱蒼とした洋館を見上げた。 「館の化け物が、何か企んでやがるのかもしれないぜ」 「凶が居るとか言ってなかったか?」 「俺は、あそこには守り神が居るとかも聞いたが」 「なんだ、そりゃ?」 「昔、同族殺しのデアボリカに恋をした女の子が、この村に居たらしい。……実は俺の先祖なんだけどよ。館に巣食う魔物を倒しに行って、そこで死んじまって」 「俺も知ってるぜ。アリア、伝説のあのアリアか?」 「じゃあ、アリアがあの館の化け物なのか? 凶にされちまったとか?」 「そうかもな。ばあさんから聞かされた昔話だけど、妙に実感こもってってさ」 「俺、ガキの頃あそこに入った事があるんだ。そこは一面に花が咲いてて、化け物が居るようなところじゃなかった」 その男は、こう呟いた。 「俺は信じたい。あの館には化け物なんか居ない。凶を殺してくれる存在。ここを守る伝説の戦士アリアが居るって事を」 「伝説の戦士か」 「どっちにしろ、化け物って事さ。この様子を見ればよお」 |
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アリアは、どうしようもない恐怖に包まれていた。 誰も存在していないかのように、静かな空気をたたえている洋館の中は、今日はいつも と違う雰囲気に満ちていた。 「あいつらの好みだな。確かに」 火炎王は呟く。 その洋館の元々の主。桜姫と月姫の事を思い出しているのか、火炎王の横顔には、ふっと温かく寂しい色が浮かぶ。 重厚で高級感に満ちた調度品、クラシカルな家具、確かに今、ここにいるアリアにはそぐわないものだ。 アリアは思い出す。ここに昔いた悪魔の事を。 館の怪物。それは無垢な幼い少女だった。 いや、正しくは桜姫と月姫が死体から作り上げた人形だった。 それはからくりで、自己の姿を相手の最愛のものにすりかえて見せていた。 訪問者がその姿に気を許した瞬間、少女は相手を切り裂いて殺した。 何人もの村人が魔物を退治に出掛けたが、誰一人帰ることはなかった。 そこにやってきたアズライトに、アリアは魔物討伐を依頼した。 幼なじみの仇を取るために。 しかし、アズライトはそこで何を見たのだろう。 「レティシア!」 そう叫び、魔物に自らすがり付き……。 容赦なく襲い掛かる刃にずたずたにされた。 アリアが救い出さなければ、間違いなく彼は肉片と化していただろう。 レティシア。 それはアズライトが愛する唯一の存在。彼の生きる意味。目的。 二度目の魔物との戦い。 やはりアズライトはレティシアの幻影に逆らえなかった。 彼を襲う鋭い刃。 「……っ」 アリアは下を向いた。 火炎王はソファーに深く掛け、その様子を眺めていた。 「アズライトの凶。お前、何と言う名だ?」 低く力のこもった声に、アリアはびくりと震えた。 「……アリア」 「アリアか」 火炎王はまた黙り込んだ。 アリアはどうする事も出来なかった。 火炎王は何をするわけでもなく、ただ座っているだけだ。 しかし、彼の全身から滲み出る殺気と威圧感に、アリアは身動きすら出来ないのだ。 本能でわかる。火炎王の力と強大さ。 アリアなど彼の手にかかればひとたまりもない。 ヒトの頃のアリアならば、玉砕覚悟で無鉄砲にぶつかっていただろう。 でも、今のアリアには出来なかった。 火炎王はアズライトに近い存在。ロードデアボリカはこの世界では神同様。 それに、自分は死ねない。 死にたくない。 アズライトに再び逢うその日まで。生きて、生きて、待ち続けなくてはいけない。 自分が死ねば、あの優しいマスターはどれだけ嘆き悲しむだろうか。 その時、アリアの胸の奥がチリッと痛んだ。 『もし、私が死んだら、アズライトは私をレティシアと同じくらい愛してくれるの……?』 「おい」 アリアはビクッと震えた。 「酒はねえのか?」 「お待ちください、火炎王様」 アリアは奥に引っ込むと、ワインの瓶を一つ持ってきた。 いつアズライトが帰ってきても、もてなしが出来るように、アリアは最低限の最高級の物資をこっそりと集めていたのだ。 グラスに注がれる葡萄色の液体の音を聞きながら、火炎王は深く息を吸い込んだ。 「上物だな」 「お口に合えばよろしいのですが」 火炎王はグラスの液体を揺らすと、香りを楽しみながら一口含んだ。 「うめえ。お前のセンスもなかなかのもんだな」 「ありがとうございます」 「……マスターの為。か?」 アリアは凍り付いた。 感情を押し殺していても、燃えるような瞳には全てがお見通しなのか、含み笑いを浮かべる火炎王は一気にワインを飲み干した。 「お前に尋ねる」 火炎王の声が少し低くなる。 「……ここに居た人形…… お前が殺ったのか?」 「はい」 アリアは「死」を覚悟した。 火炎王の言葉には、確かに殺意が込められていた。 下等な凶には寿命があるが、アリアにはない。 しかし永遠の命を持つわけではない。 アリアとて身体を引き裂かれては生きてはいられないのだ。 「それは、何の為に」 「主の命により…」 |
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アリアは思い出していた。 二度目の魔物との戦い。 魔物に魅せられて、再びその刃に切り裂かれんばかりのアズライト。 後を付けたアリアはためらわずに飛び出した。 「……っ!」 全身を何かが突き抜けていく。いくつも、いくつも。 痛みを感じる暇も無く、身体中が痺れているような感覚。 アリアの世界は一瞬に真紅に染まり、そして白く光ると、少しずつ暗くなった。 「アリア!アリア!」 アズライトの声。身体を抱きかかえて揺さ振ってる。 『……何かを話してる。……私も何か言ってる。……でも、よくわからない……』 視野が少しづつ暗く、あたりは徐々に静かになる。 『アズライト……私の為に……泣いてるの? 私……これでレティシアさんと……同じかな……』 遠くでアズライトが泣き叫んでいるような気がする。 『……いい気持ち……身体中がしびれて……、息、出来ないのに……すごくいい気持ち……』 アリアは今まで感じた事のないような開放感と、幸福感を味わっていた。 「アリアあああぁぁぁっっっっっっっっっっ!!!!!!!!」 身体を抜け出したアリアの魂は、見た。 刃に全身をずたずたに切り裂かれて、真紅に染まった自分の姿を。 絶叫するアズライト。 物体に変わってしまった自分の肉体を抱きしめるのを。 その眼が金色に輝き、その口には鋭い牙が現われ、アリアの首筋に突き立てるのを。 それは、儀式。 『あ……あ……、アズライト?』 アリアの魂は一気に世界を観た。 この世界の時間の流れを逆流するかのように溯り、そして知る。 人の世を。 デアボリカと凶の世界を。 この世の秩序を。 『私……、私……、ワ……、タ……、シ……』 洪水のように流れ込んでくる。 何だか理解できないもの。でも理解できるもの。 アリアはその流れに翻弄され、押し流されていく。 価値観の逆転。概念の崩壊。解放される力。 容赦なくそれはアリアを変えていく。 『ア……ア……、アズライトっ……様……ぁ』 絶対的な力関係。主従の鎖。 アリアが望むものではない形の、アズライトとの永遠の絆。 『いや……イヤ……。嫌……』 アリアの魂は抵抗した。それがアリアの最後のプライドだった。 『私……私は……、私はっ……!!!』 アリアの魂は、この世の闇という闇を集めた暗黒の色に染まり、一瞬にして引き戻された。 目覚めたアリアは、新しい世界を見た。 さっきの惨劇から瞬くほどしか時は経っていなかった。 でも、アリアの世界は変わっていた。 変えられたのだ。 愛しい男、アズライトの手で。 幼かった身体は成熟し、獣相を帯びた。 そして、全身に何か新しい力が宿るのを感じた。 「アリア……」 アズライトが眼の前にいた。 アリアは心の奥で安心した。アズライトに怪我はなかった。アズライトを救えたのだと。 しかし、口をついて出た言葉は、裏腹だった。 「ご命令を、主」 |
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火炎王は空のグラスをコトン、と置いた。 アリアはそこに、再び葡萄色の液体を注ぐ。 「言っておく。俺はアズライトとは違う。安心しな」 アリアはちらりと火炎王の眼を覗いた。 火炎王は、にやりと笑ってみせた。 「お前は凶。マスターの命令ならば従うに決まってるからな」 喉を鳴らしてワインを一気に飲み干すと、今度は少し乱暴に置いた。 「ところで、お前の殺った凶……月姫の事を覚えてるか?」 アリアは息を呑んだ。 「……はい」 一瞬、空気が止まる。 火炎王はワインの瓶を左腕で掴むと、口を開けて葡萄色の液体を自ら注ぎ込んだ。 口角からおびただしくワインが流れ、こぼれる。 ごくり、ごくり、と音を立てて飲み干すと、火炎王はそれを振りかざした。 アリアは眼をつぶる。 激しい音とともにワインの瓶は粉々になり、光を放って床に落ちた。 「……申し訳ありません、火炎王様」 アリアは感情のこもらない声でそう答えた。 月姫。 奔放で物怖じしない小娘。アズライトを憎悪し、殺そうとしていた凶。 火炎王の溺愛する「娘」 ヒトとしての命の終りを、火炎王の凶になる事で繋ぎ止められていた娘。 それをアリアは一撃で葬った。 すべてはアズライトの命を守る為に。 それが主を守る凶としての務め。 凶として新しい生を受けたアリアが、二度目に行った殺戮。 殺されるだろう。 アリアは漠然と思い、同時に確信していた。 娘同然の自分の凶を虫けらのように殺した凶、それもアズライトの凶が眼の前にいるのだ。 火炎王は、人形のように感情を押し込んでいるアリアに命じた。 「来い」 アリアは覚悟した。 これで気の遠くなるような長い時間を独りで過ごす事もなく、輪廻の渦の中で、何も知る事もなく廻り続ける事が出来るのだと。 アズライトにかけられた魔法を解いて、自由になる事が出来るのだと言い聞かせた。 『もうマスターには逢えない。でもこれでレティシアと同じになる。対等になれる』と。 ……本当に? アリアは火炎王の目前にまで歩み出ていた。 「素直じゃねえか。いい娘だ」 火炎王は含みのある笑いを浮かべると、アリアの肩に手を掛けた。 アリアの瞳は、生気を失った人形のようだった。 『……アズライト』 自分では死ぬ事も選べないアリアが、この忌まわしい呪いから開放されるかもしれない。 何度も何度もそう心の奥で叫んだ。 でも、なんで、どうしてこんなに胸が苦しい? マスターを待つと決めていたから? でも、アズライトが私に振り向いてくれないのは判ってる。わかっている。 アリアは次々にあふれ出てくる感情に押し流されてしまいそうだった。 眼の前にまで死が迫ってきているというのに。 「……あっ?」 混乱していたアリアは、我に返った。 火炎王の左手が、知らぬ間にアリアの乳房を鷲づかみにしたからだ。 「いい身体じゃねえか。ガキみたいな顔のわりには……」 「……や、やめてくださいっ。火炎王様っ」 アリアの瞳は光を取り戻し、昔そのままの感情を示した。 「どうだ? アズライトはお前を夜な夜な可愛がってくれたのか? レティシアの代りに」 火炎王はアリアの身体を値踏みするようにまさぐった。 『代り……? レティシアの、かわり……?』 今までに感じた事のない感触に身震いしながら、アリアはその言葉だけを頭の中で幾度も繰り返す。 遥か昔。 熱く激しく自分を抱き寄せたアズライト。 アリアはその時、初めて愛する男の腕の中に抱かれる心地よさを知った。 しかし、彼は夢の中のレティシアと現のアリアを取り違えていた。それだけだったのだ。 『ごめん、アリア。君は…レティシアじゃない。』 アズライトの声。 もう一度その胸にすがり付いた時に、アズライトが言った言葉。 『君はレティシアじゃ、ない』 「いやっ、いや、いやああああああぁぁぁぁぁぁ〜〜〜〜〜〜っ!!!!!」 屋敷中にアリアの絶叫が響き渡った。 火炎王は、奔放だった月姫の如く泣きじゃくるアリアに驚いた。 「いや、いや、いや……いやぁ……」 ぼろぼろと涙が溢れて頬を伝い、アリアは子供のようにしゃくりあげた。 それを見て、火炎王は思わず笑い出した。 アリアの肩を揺すると、頭を軽く、ポンポンと叩いた。 「心配するな。俺様にも選ぶ権利っていうものはあるんだぜ。お前みたいなガキは眼中にねえよ」 しかし、アリアは壊れた人形のように泣きじゃくり、「いや」と繰り返すばかりだった。 この凶が本当に月姫を殺したのだろうか? 火炎王はそんな気持ちさえ起こりそうになった。 村の広場で一撃の下に凶を倒したアリア、人形のように無表情で自分に酒をもてなしたアリア、そして今。子供のように泣きじゃくるアリア。 どれも別の固体のようにさえ感じられた。しかし、どれも真実。 火炎王は少し困ったような表情になるとアリアの顔を覗き込み、左のごつごつとした親指でそっと涙を拭った。 「悪かったな。お嬢ちゃん。」 その声には殺気も、いやらしさも微塵も感じられなかった。 アリアはようやく正気に戻る。 「火炎王……様?」 「話を聞こうか。お前の昔話を。」 「……。」 「うちにいる娘がな、お前の事を気にしている」 「……」 アリアはそれが自分と同じアズライトの凶、桜姫だと知るまでに時間がかかった。 「そ、それは私が月姫を……」 「それもあるだろう。しかしな、問題はもっと深い深いところにあるんだ。お前も凶になった時にそれに気付いてたんじゃねえのか?」 「……」 アリアは眼の前にある火炎王の瞳が、たまらなく温かい光に満たされている事をようやく確認できた。 火炎王は目を細め、大きな左手で、アリアの頭をくしゃくしゃと撫でた。 「か、火炎王様……?」 「言ったろう? 俺はアズライトじゃねえ。仲間を殺す事は、しねえ。」 |
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アリアは、一晩中火炎王と向かい合っていた。 「で、お前はいつ帰るともないアズライトを、ここで待っているのか?」 「………」 黙り込んでうつむいているアリアを、火炎王は複雑な思いで見つめていた。 「この村を凶から守るために、主から離れたと言うのか?」 こくん、とアリアは頷いた。 火炎王は苦笑すると、5本目のワインを飲み干した。 「アリア」 「は、はい……」 名を呼ばれ、アリアは慌てて答える。 「俺の屋敷にこねえか?」 「え?」 きょとんとして火炎王を見つめたが、アリアはすぐに首を横に振った。 「ありがとうございます。火炎王様。しかし、私はここにいると決めたのです」 「アズライトのためか?」 すかさず切り出されてアリアは言葉を失う。 火炎王が次のワインの瓶に手を伸ばすと、すかさずアリアがそれを取り、コルクの栓を抜いた。 「ありがとうよ。お前、いい凶じゃねえか。桜姫もいい凶だ。なのに、なのによお」 火炎王はグラスを煽ると、ため息をついた。 その次の言葉は永遠にかき消されたままだった。 火炎王が、ぼそりとまた尋ねた。 「おう、アリア。お前は人間ではなくなった。……なのに、何故ここに留まる?」 アリアは唇を噛んだ。 「お前の存在は、村の連中にも知れ渡っただろう。…あの騒ぎじゃあな」 「……はい……」 「村の連中から、お前が疎まれる可能性だってあるんだ。お前は人間ではないからな」 「……」 「それでもお前はここに居るのか?」 「はい」 「もう一度聞く。それはアズライトの為か?」 アリアは、ぎゅっと両手を握り締めて火炎王の顔を見た。 そこにある燃えるような瞳は、すべてを透かし出すかのように鋭く光っている。 「主のためではありません。私自身のためです」 アリアは言葉を吐き出すと、はあ、とため息をついた。 「お前自身のためか……。凶となって得た力を、仲間の為に使うと言うのか」 「はい」 火炎王は笑った。 「お前も桜姫も、生み出してくれた主よりもしっかりした信念って奴を持っているようだな。皮肉なもんだ」 火炎王は懐から煙草を取り出すと、テーブルの上のキャンドルの炎で火をつけた。 甘い香りのする紫煙が広がり、アリアの鼻をくすぐった。 「……アズライトはあんな奴じゃなかった」 火炎王はアリアから眼をそらすと呟く。 「俺の知ってる奴は、すべてを知って、それを抗う事もなく従う素振りも見せずに、自分のやり方でいなしてきた……。そんな奴だ。今の奴はアズライトじゃねえ」 火炎王の視線は、はるか遠くを見据えているようだった。 アリアは空のグラスにワインを注ぎ込んだ。 透明な球状に光るグラスが見る見る深い赤に染められていく。 「アリア」 「はい」 「俺は、お前を憎むだろう。お前は紛れもなく俺の娘、月姫を殺したのだからな。しかし、それはアズライトの凶たるお前の正しい選択だと、俺は思う。それが凶の姿だ。主にかしづいてこそ命の価値がある。凶のな。」 アリアは恐怖を感じなかった。 もし、今いきなり火炎王の爪で切り裂かれても、抵抗する気持ちがないだろうと自分でも冷静に思えた。 「俺はアズライトを憎んでいる。そしてこれからも俺は奴を憎む。奴を憎む事はお前を憎む事よりも意味があるからな。」 「はい」 「アリア、もし俺がアズライトを殺そうとした時、お前はどうする?」 「火炎王様を、殺します」 アリアは無意識のうちにそう答え、慌てて口を押さえた。 「クックック……。そうだ、それでいい。アリア、お前はいい子だ」 深く紫煙を吸い込み、吐き出すと火炎王は煙草を冷たい石の床へ投げ、白く光る革靴で踏み消した。 「アリア、覚えておけ。お前がアズライトに惹かれた事も、アズライトがお前に振り向かない事も、そしてお前がアズライトの為に人の命を終えて、凶となった事も、すべては逃れる事の出来ない運命なのさ」 「……運命?」 「そうだ。お前は凶になる運命だった。俺もデアボリカとして生きる運命だ。お前の愚かな主、アズライトもそうだ。奴がデアボリカとしての生きざまから逃れようと足掻けば足掻くほど、奴の身体は運命の泥沼にますます引き込まれていくって訳だ。 その結果、桜姫と月姫が凶になり、お前も……。 可哀相なお姫様、レティシアもそうだ。奴に愛されるがゆえに運命に裏切られ続けるのさ」 火炎王はグラスを手に取ると、葡萄色の液体を一気に飲み干す。 「お前は知らないだろう。だから話しておく。運命というのはな、どうしようも出来ないものなんだ。その道から逃げても、ちゃんと別の道から元に繋がるようになってるんだ。 この世界の生きとし生けるもの。ヒトも、獣も、凶も、デアボリカも。みんな運命の輪の中でぐるぐると歩き回ってるだけだ。そこから逃れる術はない」 長い長い夜が明けていく。 アリアは中庭に咲く花を見つめていた。 「運命? 私が凶になった事も、アズライトを想う事も、定めだったと言うの?」 火炎王が暁に紛れるように去った後も、アリアは彼の最後の言葉を反芻していた。 「俺はアズライト、奴をこころから尊敬していた。だから、今は殺したいほど憎んでいる。 わかるか? アリア。アズライトが変わってしまっても、俺達の眼の前から消え失せても、俺は永遠に奴を憎む。心に刻みつける。……決して忘れないようにな。それが運命だ」 |
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悲鳴が響いた。 何体もの凶凶しい化け物、凶がやって来たのだ。 それは以前の凶の襲撃からしばらく経った日の事だった。 それは元はヒトであったり、獣であったり、それすらもわからないほど異形の存在と化しているものもいた。 ただ同じなのは、それら全てが激しい殺意を抱いて現われたという事だけだった。 「ひいいっ」 非力なヒトは、あっという間に肉片と化した。 凶はそれを楽しむかのように更に興奮し、暴れ始める。 血と肉の宴だ。 ヒトに出来る事は、この悪夢から一刻も早く逃れる事しかなかった。 「この化け物おおおっ!」 果敢にも手にした狩猟用の斧で、凶に挑みかかる男。 しかし。 瞬く間に彼はその腹を、鋭利に尖った爪で切り裂かれて絶命した。 「もう、もう終りだっ。」 「俺達は死ぬんだ! くそお……。凶め。デアボリカめぇっ!」 逃げ惑い集落の片隅に追いやられた人々は、絶望に打ちひしがれ、呪いの言葉を吐くしかなかった。 「ぐぎゃああああああつつっっっっ!!」 突然恐ろしい呻き声をあげて、一体の凶がもがき、暴れた。 体液が、肉片が飛び散り、異臭を放った。 そこには少女がいた。 あどけない顔のその少女は、造りもののように美しく、異様な雰囲気を漂わせる存在だった。 人形のように表情を失った瞳で、ためらう事もなく地獄の中に、ひらりと舞い下りたのだ。 凶は、その存在に気付くとうめき、吠え、いっせいに襲いかかった。 少女は何の躊躇もなく、ひらりと身をひるがえすと大きく右腕を振り上げる。 それを目にも留まらない速さで振り下ろすと、一体の凶の首が、ごとり、と落ちた。 そして少女はまるで舞を踊る乙女のように、凶の間をすり抜け、跳躍し、駆け回った。 その度に凶の腕が、足が、身体が砕け、肉と体液が飛び散る。 形容の出来ない鳴咽と咆哮が村中に響き、ヒトは眼の前の惨劇に眼を覆い耳を塞ぎ、身を堅くした。 「……ありがとう、お姉ちゃん」 一人の子供のその声で、人々はようやく目を開く事が出来た。 累々と地面を覆い隠すように、異臭を放つ物体と化した凶があった。 そして、全身に凶の血と体液をどろどろに浴びた少女が。 大人達はそれを見て、本能的な恐怖と嫌悪感に凍り付いた。 「……ば、化け物……!」 「凶だ! 館の化け物だ!」 その光景は、更に村人を落胆させ、希望を踏みにじり、絶望の色を濃くさせた。 ただ、死の意味もわからないようなあどけない子供が、大きな声でこう言った。 「ありがとう、お姉ちゃん! 怪物をやっつけたんだね!」 少女が顔を上げると、その子は大人に連れ去られた後だった。 代りに恐怖と嫌悪に歪んだ醜い顔、限界の恐怖に身を震わせるヒトの姿を見せ付けられた。 彼らの視線は化け物に向けられたものと相違なかった。 少女は、うつむくと黙って村人に背を向けると、ヒトとは思えない恐ろしい速さで駆け出していった。 「あれは……何だったのだ?」 「死神だ!」 「いや、凶だ、館の化け物だ!」 「でも、凶を倒していったぜ? 何なんだ?」 「どっちにしても人間じゃない、凶を素手で殺すなんて! あれは悪魔だ、化け物だ!」 人々は叫び続ける。 「お姉ちゃん、怪物をやっつけてくれたよ。さっきね、ボク見たよ。お姉ちゃん、すごく優しい目をしてたよ。」 子供が大きな声で大人達の話を制した。 「お姉ちゃん、村を守ってくれたんだよ!」 しばらくの静寂の後、誰かがこう呟いた。 「きっとアリアだ。デアボリカに惚れて、ともに館の魔物を倒したきり帰らなくなった、 伝説の少女、アリアだ」 |
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館に着いた火炎王は、桜姫の様子を確かめる。 変わらず真っ暗な部屋にこもりきりなのを確かめると、ゆっくりと大広間に向かった。 「ご主人様のお帰りだ。早く酒を持ってこねえか」 どっかりとソファーに身を沈めると、メイド代わりの下級デアボリカの女達が傅く。 ほどなく酒のオードブルが並び、女達は火炎王の服を緩めると煙草の火を点ける。 「アリア、俺からのプレゼントはどうだ?」 そう独り言を言うと、火炎王は紫煙を吐き出した。 すぐさま煙草を揉み消すと、一気にグラスの酒を飲み干した。 「運命の輪。誰もがそこから抜け出せねえんだ。アリア。だから俺達はその輪の中で光り続けるしかねえんだ。……自分に恥ずかしくねえようにな」 空いたグラスを下げさせると、火炎王は一人の女を抱き寄せる。 「おうおう、今日はこれからてめえらとお楽しみだ」 「火炎王様、どうされたのですか?」 「今日はご機嫌のご様子……」 「へへへっ、まあな。さあ、てめえら俺を楽しませてくれ」 アリアはいつものように窓辺から村を見下ろしていた。 あの凍ったような村人の冷たい視線。わかってはいてもアリアにはつらい事実だった。 「私は、ヒトじゃないんだものね」 でも、それでもやるしかない。 アズライトはそうして来た。だから。 「運命だとしても、流されているとしても、私が決めたんだから」 アリアの耳に子供の歓声が響いて来た。 ふと目をやると、自分の館から村へと続く細い小道を、数人の子供達がはしゃぎながら駆け下りていく途中だった。 アリアは小首をかしげると、階下へ降り、広い回廊を抜けて玄関に辿り着いた。 入り口の扉をゆっくりと開くと、ころころと数個の林檎が石畳の上を転がっていく。 「これは……?」 そこには籠と、真っ赤になった林檎と、小さな野の花で作った首飾りが残されていた。 「……」 アリアは急いでそれを集めると、胸に強く抱きしめ村の方を見た。 林檎と花の甘い香りが、アリアの鼻をくすぐった。 「……ありがとう」 |
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「この世にはヒトを支配するデアボリカ、そしてそのしもべの凶が存在します。彼らの多くはヒトを殺したり、村を滅ぼしたりしますが、中には例外もあります。 一つは、闇のロードデアボリカのアズライト。彼は若い男の姿をしていると伝えられています。そして、ヒトの為に凶やデアボリカを退治してまわっているという話です。 もう一つはある山間の村を守る伝説の凶です。その凶は一人で暮らしていて、誰の凶なのかわからないのですが、その村に進入する凶や、時にはデアボリカすらも倒して、村人から信頼されているという話です」 海辺の町。 校庭の隅の木陰で休憩していたアズライトは、校舎から聞こえてくる授業の様子に目を細めた。 「アリア、君も頑張ってるんだね。僕も頑張らなきゃ」 そして風になびく長い黒髪をかきあげると、荷物と斬馬刀を抱えてあてのない旅の続きを始めた。 END |