| 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 〜〜 第二章 〜〜 〜 第三話 〜 「鎖(レンサ)」 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 |
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「嫌よ! 絶対にイヤっ!!」 頑としてミコの申し入れを拒むリムリア。 ミコにもその理由は良くわかる。だが、彼女の側にも譲れない理由があった。 「お願いしますリムリアさん。明日の『封印の儀』には、どうしても貴方の参加が必要 なのです。今のセイルさんたちに協力したくないお気持ちは十分わかりますが、それと これとは話が別なのです」 「何が別だってのよ!? 結局、セイルがライザを助け出すために誰彼構わず犠牲にし てるだけじゃない! あたしは……少なくともあたしは、そんなセイルになんか会いた くもないわ。もうイヤよ! あんたたちなんか、みんな嫌い、大っ嫌い!!」 「リムリアさん……」 「あんたもあんたよミコ! 今セイルたちが何してるかわかってんでしょ? それなの になんでよ? なんで自分からセイルに協力なんかしてんのよ? あんたもそうなの? あんたもシグみたいに、セイルに可愛がってもらっ……んっ!?」 パンっ。 頬に走る鋭い痛み以上に、リムリアは眼前のミコの表情に心を痛めた。 言い過ぎた。本当はわかってる、この娘がそんな子じゃないことくらい。 この子にもこうしなければならない理由があるんだってこと、わかってる。 でも、でも。 納得は出来ても、許容は出来ない。 今はもう、セイルに関わる全てのことから逃げ出したい。 お願い、それくらい許してよ。 もう十分辛い思いしてきたじゃない。もう勘弁して。 そんな気持ちが、ミコの尊厳を傷つける言葉を放ってしまった。 そしてミコは、自分がそんな辛い気持ちの中で失言してしまったことを十分理解して くれた上で、躊躇無く自分の頬を叩いたのだ。 ゴメン。でも、今はそれを口に出せない。 ミコはそれさえ察してくれたのだろう、悲しげで痛ましい表情で言葉を続けた。 「とりあえず話だけでも聞いて下さい。次の魔神、いえ『永遠の勇者たち』ですけど、 昨日発見された扉の紋様はシーラさんのと対応しました。つまり水の魔神『アカシャ』 なのは間違いありません。それに対抗できるのは、リムリアさんがライザッハで手に入 れて下さった白の宝玉、即ち『奇蹟の徴』だけなのです」 「それはもうセイルに渡してあるじゃない! セイルだって使えるでしょ? 事実、ク ーロンではそれで火の魔神に勝てたんだし!」 「いいえ、駄目なんです。今、奇蹟の徴は何の力も出してくれません」 「……なによ、それ?」 「エリスンさんから話は聞いてらっしゃると思いますが、今シルヴィアさんはアーハイ ムの大学で、魔神に関する研究をなさっておられます。そこで古書や伝説を解析したと ころ、魔神制御の鍵である四つの宝玉が使用可能になるには、『初期化』という作用が 必要になるそうなんです」 「ショキ、カ? なにそれ?」 「私にもよくわからないのですが、簡単に言えば『使用者の名前を書き換える』ことだ そうです。つまり宝玉を使えるのは、それを使えた人間だけなんです。その人が亡くな ってしまったら、宝玉は自ら次の使用者を探し、認めた人だけに力を解放するんです」 「え? だってクーロンじゃ……?」 「あれは、『リムリアさんがセイルさんに使用を許可してあげた』からなんです。本心 から、嘘偽りの無い想いをもってセイルさんに奇蹟の徴を預けたからこそ、奇蹟の徴も セイルさんを助けてくれたんです。『リムリアさんがそうしたかったように』」 「そんな……」 「実は私も、この中子を使えるようになった時にそんな声を聞いた気がします。そして シグルーンさんの持つ青い宝玉、『王の涙』というそうなんですが、これは……」 「うん、それはわかってる。っていうか想像はつく。言わなくていいわよ」 「はい。というわけです。リムリアさんのご協力が必要な理由、ご理解頂けましたでし ょうか?」 ふう、と大きなため息。 ちょっと寂しげに、でも何とか笑顔を作ってリムリアは答えた。 「うん、わかった。よ〜くわかった」 「それなら?」 「でもイヤ。やっぱりイヤ!」 「リムリアさん……」 「イヤ! 話を聞いてもっとイヤになった。だって、だってもしあたしが許可しなけれ ばセイルたちは絶対勝てないんでしょ? 勝つ可能性すらなくなるんでしょ? いいじ ゃない、望むところよ。そうすればもう誰も犠牲にならなくて済むし、それにセイルだ ってこれ以上『罪』を犯さずに済むわ。でしょ?」 「そのお気持ちは、痛いほどわかります。というより、私もそうして欲しいです」 「でしょ、やっぱりミコだってそうなんでしょ? だったら!?」 「でも手遅れなんです。最初の魔神への道が通じた時点で、既に手遅れだったんです」 「……え?」 「つまり、もう『いつ魔神が現世に復活してもおかしくない状態』になっちゃったんで す。今はただ『永遠の勇者たち』が自ら外へ出ようとしないだけなんです。でも彼らは 外へ出ようと思えばいつでも出られます。何故ならわざわざ外側から閉められていた扉 の鍵を開けてしまいましたから。紛れもない『本当の魔神の力』を備えた存在として、 彼らはもう、いつでもこの世界に戻ってこれるんです」 「……」 「『永遠の勇者たち』は本当に賢明でした。自らが魔神となることでその脅威を封じた のですから。でも彼らも人間です。それほどの賢者でさえ、一千年の孤独がどれほどの ものかは想像できなかったはずです。ただ出たくても出られないうちはまだ救いがあり ました。でも、今彼らは出ようと思えば出てこれます。そして彼らは、指先一つで一つ の国を消し去ることの出来る存在なのです。お分かりになりますか? むしろ人意の無 い天災である方がマシだったんです。人の意志を持つものがそんな力を持ってしまった ら、そしてそんな存在が人の社会に加わってしまったら?」 喜怒哀楽。人が人であるために必要な、そして不可分な感情。 リムリアにもわかる。今のリムリアなら痛いほどわかる。 もし今の自分にそんな力があったら、間違いなく……。 リムリアはその時、自分が脳裏に浮かべた情景に身震いした。 泣きたくなるほどの快感と、笑いたくなるほどの自己嫌悪。 そう、まさか自分が「セイルを殺す場面」を想像するなんて。 「つまり、もう一切関係なしに、魔神の力を持つ『永遠の勇者たち』全員を封じなきゃ ならなくなっちゃったんだ」 「はい」 「つまり私のセイルに対する感情なんか、世界の危機に比べたらちっぽけで取るに足ら ないものだから無視してくれってわけだ」 「リムリア、さん……」 「まああたしとしちゃ、世界がどうなろうと知ったこっちゃないんだけどさ」 「リムリアさん!」 「冗談よ。ふられて自暴自棄になってるだけだから、心配しないで」 リムリアの苦笑いに安堵の表情を返したものの、ミコにはそれが半分以上リムリアの 本心であることもわかっていた。 (セイル、さん……) 苦しい。自分が何も出来ないことが。 こんな状況を呼び込んでしまったセイル。 こんな状況に追い込んでしまったセイル。 でも私は今も、彼を愛している。 そう、この人、リムリアさんと同じように。 だから、もう『最悪の結果』が回避できないとしても。 その後に待つ『最悪の結末』だけは回避しなければならない。 「リムリアさん、お願いです。これはセイルさんたちのお願いではありません。私の、 私個人の、『春日弥呼』という存在全てをかけてのお願いです。どうか!」 見事な正座を崩さず、床に頭を付けて。 リムリアにも、これがミコの最後の問いかけとわかった。 だから。 「わかった。……今回だけね」 バッとあげられたその瞳に浮かぶ涙。 そして改めてミコは頭を下げる。 「ありがとうございます、本当にありがとうございます」 仕方ないか。この子にだけ嫌な思いさせるのも、ね。 「今回だけよ。今回だけあんたと一緒に『地獄を見てあげる』わ」 「はい……ありがとうございます、ありがとうございます……」 そう言いながら、既に後悔しているリムリアだった。 なぜなら。 (言葉じゃなく、本当に地獄なんだもんな……) その予想通り、彼女は翌日、真の地獄を見た。 |
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はあ、はあ、はあ。 まるで、誰かが自分の耳元で荒い息を吐きかけているかのよう。 しかし、朦朧とした意識のまま、必死に足を前へ動かし続ける自分の周りには、誰一 人他の人間などいない。 はあ、はあ、はあ。 うるさいな。なぜそんなに、聞いていて不愉快になる息を吐き続けるんだ? 誰なんだ、一体? 邪魔しないでくれ。一刻でも早く家へ帰らないと……。 はあ、はあ、はあ。 だからやめてくれ。意気がそがれるじゃないか? 僕の邪魔をしないでくれ。あの子が、妹が待ってるんだ。 この薬草を届けないと、あの子が死んでしまうんだ! はあ、は、あふっ、ゲホッ、ゲッ…… んくっ……はあ、はあ。 ……なんだ。これ、全部僕の声だったんだ。 馬鹿みたいだな。誰もいないのにいらついてたりして。 まあいいや、先を急ごう。早く立ち上がらなきゃ。 立つ? あれ、僕、いつの間に倒れてたんだろう? こんなことしてる暇なんか無いのに。 あの子が待ってるんだ。僕の帰りを信じて、苦しい思いをして。 だから立たなきゃ。立って走らなきゃ。 駄目だよ、動けよ僕の体。 さあ手よ、僕の体を支えてくれ。 足よ、僕の体を進めてくれ。 なんでだよ? なんでなんだ? なんで思い通りに動かないんだ? なんで一番動いて欲しいと思う時に動いてくれないんだ? 嫌だ、このまま間に合わないなんで嫌だ! 嫌だ、このままここで終わってしまうなんて嫌だ! 誰か、誰か……。 この薬を、家へ届けて。妹を助けて。 誰か……。 僕を、助けて……。 「あの、大丈夫ですか?」 うわっ!? まるで自分の体が自分のものじゃないかのように、異常な跳ね方をした。 いつの間に? どこから? 何でこんなところに、人が? 「……別に命に異常はないようですね。疲れて倒れただけみたい」 え? 誰なの? 女の人? 嘘? なんでこの森に女の人がいられるの? 「あの……喋れますか? よろしかったら、道をお聞きしたいんですが?」 なんか目の前がぼうっとしてよく見えない。 若い女の人みたい。どんな人? なにしてるんだろう、こんな所で? 「この近くにライザッハっていう村があるって聞いてきたんですが、ご存知ありません か……って、答えられますか? あ、そうだ」 女の人が水筒を僕の唇に当てる。 冷たい、気持ちい感触。思わず、その筒をひったくって喉を潤す。 ああ……ふう、助かった。体の中のもやもやが消えていく。 「あらま……あの、ホントに大丈夫ですか?」 そう言って顔を覗き込んでくる、命の恩人の姿を改めて見直した。 (う〜ん) まあ、そんな御伽噺みたいな、出来すぎの出会いを期待してたわけじゃないけど。 もうすこし魅力的な女性だったら、もっと嬉しかったんだよな。 ちょっと背が低すぎるかな。 丸眼鏡って、今時なあ。確かに知的な感じはするけど。 そばかすの残る頬が、ちょっと子供っぽいよな。 いくらなんでもおさげは無いだろ? それにその地味な服装も。 言っちゃ悪いけど、僕の妹に比べたら月と何とやら、だよ。 そんな僕の中の正直な気持ちが顔に出てたんだろう。 女の人も、慣れたことのように少しむっとしながら、僕の鼻を軽くつまんできた。 「コラ。人に助けてもらってなによその顔? せめてお礼くらい言ってよね」 「あ、はい。ありがとう水」 「よし」 うんと頷き、にこりとその女の人が笑う。 その瞬間、なぜだか僕の心臓がドキッてはねた。 なんで? 全然美人じゃないんだけど? でもなんだろう? ……可愛くないわけじゃないのかな? なんか凄く気持ちのいい笑いだ。何も飾らない、本当に素直な笑顔。 知らなかった。女の人って、こんな笑い方が出来るんだ。 「……落ちついた?」 黙ったままの僕に話し掛けてくる彼女。 確かに体の方は落ち着いたんだけど、今度は心の方がなんだか(苦)。 「じゃ、改めて。私、ライザッハという村を探して旅してきた、ミルフィーユ=フロー レスと言います。ミルって呼んで下さい。この森の先にあるって前の宿場で聞いてきた んですが、どこかご存知ありませんか?」 「ミルさん、ですか?」 「はい。ライザッハ、知りませんか?」 「あ、ええ。それは僕の住んでる村ですから。もうこの先、すぐですよ」 と道の先を示した。その手に薬草を掴んでいたのを忘れたまま。 「あれ、その草……? もしかして、どなたかご病気なんですか?」 「え、あっ!! 忘れてた! マリーが!?」 「あ、ちょっと!?」 すっかり忘れてた。妹のマリーにこの薬を飲ませなきゃ! 苦しんでるんだ、あんなに苦しんでたんだ。一刻も早く届けてやらなきゃ。 「すいません、先急ぎますので。お水ありがとう!」 妙に体が軽かった。自分でも驚くくらい速く走れていた。 きっと今の僕には、誰もついてこれないだろうってくらいに。 なのに。 (あれ?) 真横にさっきの女の人、ミルさんとかいう人がぴったりとくっ付いて走ってる。 「え、ええーっ!?」 驚いた。僕、村で一番足が速いのに!? しかもここ、森の中のけもの道しかない足 場の悪いトコだよ? 初めての人がこんなに早く走れるはずないのに? 思わずスピードを緩めてしまう。ところが彼女はそんな僕を叱り付けた。 「コラっ! 急ぐんでしょう、キミ!?」 「は、はいっ!」 「その人、病気なんでしょ? 助けてあげたいんでしょ? なら急ぎなさい!」 「はいっ!!」 なんか凄かった。凄い女の人だった。 見た目はつまんないけど、なんとなく「持ってるパワー」が桁違いだった。 まるで、自分が風になったみたいだった。 必死だったのに、心配で心配でしょうがなかったのに、最後は楽しくなってた。 (バタン!) 体ごとぶつかるように、僕は家の扉をあけた。 「マリー!」 妹がベッドに寝てる筈だった。 熱を出し、苦しそうに唸ってると思ってた。 ところがまず目に入ったのが、ベッドの横で扉に背を向けてけらけらと笑ってる女の 子の姿。確かマリーの友達でサラとか言ったかな? 続いて、ヤバっとか言う声と共に、慌ててベッドに潜り込むマリーの影。 「あ、あれ……?」 その瞬間が嘘だったかのように室内の空気が神妙なものになる。 そしてサラが、明らかな作り笑顔と共にこちらを振り向いた。 「……えっと、ああお兄さん。お邪魔してます。マリーのお見舞いにきてました」 「あ、はい。どうもわざわざ……あれ?」 「それじゃ、失礼しま〜す。マリーをよろしく」 そう言いながらペコペコと頭を下げ、そそくさと去っていくサラ。 不可解なものを感じながら、改めてマリーのもとへ歩み寄った。 「兄さん……ありがとう、わざわざ薬……とってきてくれて……」 「もちろんだよ。マリーのためなんだから……さ」 確かにマリーの顔は紅潮し、まだ熱っぽい感じだった。 ただその口調には余裕と言うか、演技っぽいわざとらしさがあった。 そして。 「大丈夫、妹さん?」 後ろから突然割り込んでくる女性の声。 勿論、さっきの人、ミルさんとかいう人だった。 「あ、どうも……」 「どれどれ? ちょっと見せて」 そう言いながらまるで当然のように僕の前へ出る。そして驚きを隠せないマリーの額 に手を当て、続いて目と喉を覗き込んだ。 「そんなに酷くは無いみたいだけど、軽くみちゃ駄目よ。あ、さっきの薬草貸して」 「あ、はあ……」 「マリーさん? お兄さんに感謝するのね。今はそんなに苦しくないでしょうけど、も し下手に動いたりしてたら、ホントに命に関わるところだったわよ?」 その言葉に、僕以上に驚いて目を丸くするマリー。 ミルさんはそんな僕たちを笑って見やりながら、台所へと向かった。 無言でその背中を見続ける僕らの前で、ミルさんはどこになにがあるのか完璧に分か ってるように、まるで無駄の無い動きで湯を沸かし、薬草を切り刻み始めた。 トントンという音が奇妙に響く。 そして僕の耳に、ボソっという声が聞こえてきた。 「兄さん?」 なんとなく、冷たいものをマリーの声に感じたのは気のせいだったかな? 「なんだい?」 「誰なんですか、あの人?」 「ミルさん。え〜っと、ミルフィーユ=フローレスさんだったかな?」 マリーの声に一段と刺が走った。 「そんなこと聞いてません」 「いや? 普通誰って聞かれたら、名前答えるだろ?」 「あの人は兄さんの何なのかと聞いてるんで、す、ゴホッ!」 マリーは声を荒げたつもりだったが、急に息ごもった。 慌ててマリーに振り返ると、さっきまでとは違って明らかに様子がおかしかった。 「大丈夫か、マリー!?」 「いいから答えて……あの人は兄さんのなんなんですか……?」 「何って、さっき初めて会った人だよ。薬草とって帰る途中、倒れてた僕を介抱してく れただけで……」 「ホントに……?」 「ああ。それより、マリーお前……?」 顔が、さっきの紅潮から、明らかな病人の赤面に変わっている。 息も荒く、熱い。体全体にじっとりと汗がにじんでいた。 「大丈夫なのか? 無理するな……」 「変なの……さっきまでこんなじゃなかったのに……やだ……」 そこに、お盆に薬湯を載せたミルさんがやってきた。 「だから言ったでしょ? 熱を甘く見ちゃだめよって」 「ミルさん……」 「さ、これを飲んで。そして今日はゆっくり眠りなさい」 ミルさんに背中を支えられながら、薬湯を手にとるマリー。 そして、なぜだかミルさんをジロっと睨み付けた後、観念したようにそれを啜った。 にがっ。 小さく顔をしかめ、再びミルさんを睨み返したが、ミルさんも笑いつつ、硬いものを 崩していない。まるで、駄目よちゃんと飲まなきゃ、と言っているかのようだった。 マリーは数回ミルさんと薬湯を見つめ直した後、今度は薬湯を一度に飲み干した。 そしてはあーとため息をついた後、もう寝ると言い残し、こちらに背を向けて毛布に 潜り込んだ。 「もう大丈夫よ。お兄さんのおかげね」 「あ、ありがとうございます、ミルさん」 「お礼言われるようなことしてないわ。お兄さんが必死になって薬草取ってきたから妹 さんも助かった、ただそれだけよ」 「はあ、でも……」 そんな僕の言葉に耳を貸さず、ミルさんはさて、と腰に手を当てた。 「ところでさ、この村に宿屋ってある?」 「は、はいっ?」 「しばらく泊まれるような所。どうかな?」 「あ、いいえ……なにせ小さな村ですから」 「そうよねえ。来てみてあちゃーと思っちゃった。想像以上に小さい村なんだもん」 「あ、じゃあ今日はどうするんですか? もう夜ですよ?」 「大丈夫大丈夫、野宿は慣れてるから。雨風しのげる岩陰でもあれば十分よ」 「そんな、女の人が野宿なんて! しかもこの村、ってより森はそんな安全な場所じゃ ありませんよ!?」 「平気よ、あたしはね」 自身たっぷりに答えるミルさんだったが、僕にはそれを信じることが出来なかった。 「あの、今晩くらいここに泊まってって下さい。せめてものお礼に」 「いいの? そんなお礼されるようなことしたつもりないんだけど」 「僕の気持ちですから。あ、ただベッドは小さいですけど」 「ベッドなんて要らないわ。そこのソファで十分よ」 「そんな! 女の人にそんなことさせられません。僕がソファに寝ます!」 「いいのいいの。あたしにとっちゃソファだって久しぶりのご馳走なんだから。じゃあ 今日は遠慮なく泊めさせてもらうね。ありがと」 そう言って彼女は躊躇する事無くソファのうえのクッションを片し、背荷物の中から 魔法のようにシーツを取り出したかと思うと、それに包まってあっという間に寝息を立 て始めたのだ。 自分の左右で、二人の女性が寝ている。 共に自分に背を向けたまま。 なんなんだろ、これ? でも。 不思議な感覚だった。何か自分が、これまでいた世界とはまるで別の世界に足を踏み 入れたかのような感じ。時間も手触りも、言葉も息遣いも全て変わってしまう世界に。 それが感覚ではなく、現実だったことを悟るまですぐの事だった。 ミルフィーユ=フローレスと出会ったその日から、僕、キリーことキリアム=バレー の世界は、世界の命運そのものに関わる、人知の及ばない世界に入れ替わったのだ。 |
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「サラ! どうなってんのよ一体!?」 「そんなこと言ったってマリー、あたしたちだって……」 「あの女がウチに居座りだしてもう一月よ!? あんな余所者、いつまでもこの村に置 いといたら何しでかすかわからないって、あなたたちもわかってるでしょう?」 「だからやってるってば。ちゃんとあの女がこの村に居られなくなるように、あたした ち全員で有ること無いこと言いふらしてんじゃないの! 男たちもみんなそれ信じて、 あの女に裏で相当酷いことしてきたみたいよ。でも全然堪えた様子見せないんだもん。 それに……」 「それに、なに!?」 「あの女、凄いんだよ。マリーだって助けてもらったんだからわかってると思うけど、 薬草とか治療とかの知識や腕は医者だってかなわないし、それ以外にも狩りの罠や農作 物の育て方だってマスター以上だよ。料理だって上手だし、それになんったって、あの 姿からは想像できないくらい『強い』んだ。……この前男たちに裏で手を回してもらっ て、森の中で『あの』ガラー盗賊団に襲わせたんだけど、あとで見に行ったら連中全員 目を回してのびてたってくらいで」 「……(ギリリ)」<歯軋り 「今じゃあの女に助けてもらった連中が逆にあの女の側に付き始めてるよ。実際、あた したちの方がヤバくなってきてるし……」 「全く、何なのよあの女! あんなチビでブスで傍若無人でそばかすで眼鏡で、スタイ ルの悪いガキみたいな女にいいようにされてどうすんのよ!?」 「マリー、言葉が悪いよ。そんな所お兄さんに見られたら……」 「兄さん? 兄さんが何だってのよ!? 関係ないでしょ兄さんなんて! ……もう、 兄さんも兄さんよ! 大したコトしてもらったわけじゃないのに、あんな女いつまでも 家に泊めて! なんであんな女の肩持つんだか、まるでわっかんない!!」 「マ、マリー? あのさ、あたしとりあえず一度戻るから……」 「あの女のどこがいいってのよ? 私のほうがずっといい女じゃない!? あんな女ら しさのかけらも無い、嫌味ったらしいじゃじゃ馬の後ばっかり追っかけて! わたしに は兄さんしかいないんだから! 兄さんの方から、ずっと私の面倒をみてくれるって言 ってくれたはずなのに、それがなんで他の女ばっかり見てるのよ!?」 「じゃああたしたち、とりあえず言われたこと続けてるから……まったね〜」 「兄さんは私のものなのよ? 私だけを見てればいいの! だって私が一番なのよ? 私よりいい女なんてどこにもいないじゃない? 私と一緒にいる以上に楽しいことなん て何も無いはずなのに!? 兄さんったら……」 「……サラ、マリーの様子どうだった?」 「相当きてるね。なによりお兄さんがあの女と一緒にいるのが我慢できないみたい」 「マリーもねえ、なんであんな男がいいのかなあ? あんなどっか抜けた頭悪そうな男 ほっといたって、幾らでも選り取り見どりのはずなんだけど」 「それ以前の問題でしょ? なんでよりによって実の兄なのよ?」 「まあ、確かに優しいお兄さんなのはわかるけどさ。小さい頃からマリーの面倒見てた のも事実だし」 「単にブラコンなだけでしょ? 兄妹のいない奴にその感情は分からないわよ」 「普通いるほうが分からないと思うんだけどなあ? だって兄貴だよ?」 「アンタの兄貴はマリーんトコ以上の馬鹿でしょうが」 「テメエー!」 「……まあマリーの方はともかく。実際あの女にいいようにされてていいのかしら?」 「しょうがないでしょ? あの女、見た目以上にいい女なのは確かだし」 「ホント、それだけが救いだね。あれで見た目が良かったらかなう女いないよ?」 「なんであんなのが、こんな所にきたのかしら?」 「聞いた話じゃ、北の森の奥に用事があるとか」 「北の森? 嘘ーっ、幾らあの女が凄いからって、あの森の奥は……」 「でも、あの女ならって気もするよ? どっかの国の工作員だって話もあるし」 「どっちにしろ、もうあたしたちが手を出せる相手じゃないよ。……マリーには悪いと 思うけどね」 「そうよね〜。あたしマジで彼の心象悪くするトコだったんだから」 「マリーも早くそれに気付かないと、そのうちお兄さんに嫌われちゃうね」 「無理でしょ? それが出来る娘じゃないわよ」 「『恋は盲目』か。ああ、あたしもそんな相手欲しい」 「一つ言っとく。兄貴だけはやめとけ(笑)」 |
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荷造り、と言ってもミルの持ち物は数えるほどしかなかったが、背負い鞄にあれこれ 確かめつつ荷物を詰め込む姿を見つめながら、キリーはミルに話しかけた。 「寂しくなりますね。たった三ヶ月とはいえ、なんとなくミルさんも家族みたいな気が してましたから」 「そう? あたしには『たった』に思えなかったけど」 やっぱりわかってないんだな、という顔でキリーを見返したミル。こんな男相手じゃ マリーの気苦労、というよりお節介が止まないのも当然だと、胸の中でふうっとため息 を漏らす。 「ま、この後も長老さんのトコに居るんだし。顔くらいは合わせられるでしょ?」 「それはそうですが……正直言いますと、女性との同居生活って楽しいんだなって初め て知ったものですから」 「あれ、マリーとずっと一緒だったでしょ? マリーだって家事や料理はこなせるじゃ ない?」 「いいえ、妹と他人はさすがに違いますよ。それにミルさんってマリーと仲良くやって たじゃないですか。ああいうのって、なんかいいなって思って」 仲良くねえ。この男、ホントに疎いんだな。 でも、そういえばアーサーもそんなトコあったな。男の人ってそうなのかしら? #もちろんこの時、シヴァやエルのことは頭に無い(笑)。 「ま、ホントありがとね。ここまで泊めてもらって助かったわ。また今夜から兄妹水入 らずになるんだし、ちょっとはマリーのこと気にかけてあげることね」 「言われるまでも無く。僕の一番大事な妹ですからね」 一番大事な、か。その後に続くのが「妹」じゃなかったらマリーも幸せなのに。 ちょっと同情しちゃうな。女にとっては、どれほど大事にされても、それが「女」と してじゃなきゃ全然意味が無いのよね。 ま、そうでなきゃとっくにお仕置き食らわせてるところなんだけど(苦)。 せっかく元の鞘に返してあげるんだから、後は自分でどうにかしなさいよ? ミルはちらりと扉を見やる。 その先には、ハラハラしながら自分たちの様子を伺ってる人物の気配があった。 「ま、そう思っててくれればあたしも少しは楽になるしね」 わざと聞こえるように声を高める。キリーはえっと首を傾げたが、特に説明はしなか った。すると彼は、今度は真面目な顔をして、小声で話しかけてきた。 「ところでミルさん? 最近、北の森へ入ってばかりだそうで」 あちゃ。そっちの話にされちゃったか。 「君には関係ないよ、って言っても聞いてくれるかな?」 「あの奥に何があるか、もうご存知でしょう? ミルさんが並みの女の人じゃないのは よくわかってますが、危険です。危険すぎます!」 「しょうがないなあ。言い訳聞いてくれそうにないし、君には話とくか。あたしがここ に来たのはね、あそこに用事があるからなの。あたしは『奴ら』をどうにかするために ここに来たのよ」 「……冗談はやめてください。アレがなんだかわかってるんですか?」 「うん」 「アレは人の力でどうにかなる存在じゃないでしょう? 死にたいんですか?」 「死にたくはないけど、死ぬに等しいコトでしょうね」 「お願いですから止めてください。僕はミルさんに恩がある、だからあなたがみすみす 死にに行くのを見過ごすわけにはいきません」 するとミルは、懐から真珠のようにクリーム色に鈍く輝く玉を取り出した。 「大丈夫、死ぬことはないわ。今のままじゃ、どうにかすることもできないけど」 「……なんですか、それ?」 「お守りよ。『奴ら』に殺されないようにするための、ね」 「そんなものが何の役に立つってんです!? 僕、長老の所へ行って、ミルさんに無理 させないように言ってきます」 「無駄よ。もう長老とは話してあるもん。長老さんも協力してくれることになったわ。 だからキリー、あなたはもう私なんかに構わず、マリーを大切にしてなさい」 そう言ってミルは、今度はキリーにもわかるように後ろの扉を見やった。 その視線をたどって後ろを振り返ったキリーは、ああ、とかろうじて声を出さずに頷 き、ようやくその意味を悟った。しかし。 「ミルさん? 僕、実は先日ミルさんの後をつけて北の森の奥までいったんですよ?」 あれ、ホントに? あたしに気付かれないで後をつけられるなんて。 キリーってどん臭いって言われてるけど、実はこの人結構やり手なんじゃないの? 「トンガリ岩のあちこちで、魔物たちに攻撃しかけてましたよね」 「……いいじゃない、個人の自由よ」 「ミルさんがあんなに凄い魔法使いだったなんてびっくりしました。けどミルさん、あ なた防御魔法しか使えないじゃないですか? それでよく戦いなんて出来ますね?」 「へえ、わかるんだ。もしかしてキリーって、素人じゃないんじゃないの?」 「こんな村じゃ、誰だって少しは使えるようになります。それがこの村の男の義務です から」 「そう? だったらその力でマリーを守ってあげなさい。わざわざマリーに気を使って どんくさい兄貴を演じてたってしょうがないでしょ?」 「……あの子は弱いですから。確かに美人だし人望もある。でも、それが見栄や意地に なってるのに気付けない、いつまでも自分を張ってないと恐くて人とも話せない弱い子 です。だから僕は、あの子にとって頼りない兄貴でいてあげないと」 な〜んだ。マリーったら全然問題無いじゃない。 あたしが気を使わなくたって、ねえ。 「それより、今はミルさんの方が問題です。確かにミルさんが凄い使い手なのは良くわ かります。防御魔法しか使えないのに、それを攻撃手段に変化させられる戦闘巧者なく らいですから。よほど凄い人たちと、凄い数の修羅場をくぐってきたんでしょうね?」 そりゃあね。だってあたし「たち」は。 「でも、山の上の方の魔物たちには、あれじゃ通用しません。いや確かに死にはしない でしょうけど、ミルさんの『目的』は果たせませんよ」 なるほど。あたしがキリーと出会ったのは、偶然じゃなかったってわけだ。 「じゃキリー? あなたはどうしたらいいと思うの?」 「繰り返しになりますが、やめて下さい。いえ、本当ならばやめて欲しい」 「でもあたしはやめない。いいえ、『あたしたちは』やめられないの。これは『誓い』 だから。この悲し過ぎる世界を救うための、あたしたちの全てをかけた誓いだから」 「あなたほどの人がそこまで言う以上、やめてはくれませんよね」 「もちろん」 「だったら残る方法は一つしかない。僕を、いいえ、『僕ら』を使って下さい」 「……いいの? 死ぬわよ?」 「あなたの魔法があれば、やり方次第では死なずに済むでしょう。少なくともトンガリ 山にいる魔物だけを相手にしているうちは」 「そうね。あと半年はそれでもたせられるわ。でも最後は……」 「その時はその時です。あなたはこの村に多くの恵みをもたらしてくれた。それだけで 我々が命を預ける理由には十分ですから」 「……ありがと。ありがたく受け取るわ、キリアム=バレー」 「はい、ミルフィーユ=フローレス。ライザッハ四闘士の名をもって、本日より我らは 貴方の指揮下に入ります」 ミルは右手を差し出す。キリーがその手をしっかりと握った。 「ところで、キリー?」 「はい?」 「マリーはどうするの?」 キリーはちょっと困った顔をしたが、チラと後ろを見やって言った。 「守ってみせますよ、もちろん。僕の一番大事なものですから」 「できる?」 「ええ。というより、あなたに協力することがその一番の方法だと信じてます」 ねえアーサー? 聞いてくれた? ここにも、あなたのしてることを「間違ってない」って言ってくれる人がいるわ。 嬉しいね。素敵だね。 あたしたち、凄いことしてるんだね。 頑張んなきゃ。ね、アーサー? |
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「……にい、さん?」 マリーは、傍らにいるはずのキリーの体を求めた。 しかしその手に、いやベッドの感触に、愛する人の存在は感じられなかった。 どこいったのかしら? こんな時間に? 外は大雨。いや、嵐と言ってよい。 まるで今の自分たちを非難しているかのようだ。 構わないわ。何て言われたって。 私はついに、愛する人との想いを遂げることが出来た。 世界の全てが私たちを責めたてたとしても、私たちは幸せなの。 そうでしょ? 兄さん。 全裸のまま、窓越しに夜の嵐を眺めてみる。 叩きつける雨。そして雷鳴。 ふっと笑い、頬を窓にもたれかけさせる。 再度の雷。その光が、室内を鈍く照らした。 その時、テーブルの上に置かれていた手紙の存在に気付いたのは、もしかしたら神々 がこの兄妹に与えた最後の罰だったのか。 妙な胸騒ぎと共に、マリーはテーブルの上の燭台に燈を灯す。 そして手紙に記された兄の文字の意味を理解すると共に、体ごと崩れ落ちた。 数分後。 嵐の中、北の森の中を一人、半狂乱で走り続けるマリーの姿があった。 本来、女性が入り込むことの出来る場所ではなかった。しかしこの時はなぜか、魔物 どころか動物や鳥など、全ての生き物の気配がこの森から消え去っていた。 暗闇の向こう、幾度も繰り返される雷鳴に浮かび上がるトンガリ山の姿。 後少しというところで、一際大きい雷が、山の頂上に落ちるのが見えた。 瞬間。 山の頂上で、凄まじい光の玉が発生した。 それはどんどん大きくなり、山全体を包み込んでいく。 いや! 待って! まだ駄目! 兄さん、キリー兄さん!? マリーは必死に走る。 森が途切れた。 光球が麓まで広がってきていた。 そして目の前に、愛する人の姿を見つける。 「兄さんーっ!!」 あらん限りの声で叫ぶ。 そのシルエットが、後ろを振り返った気がした。 それは、光球が人影を飲み込むのと同時だった。 凄まじい大きさに膨れ上がった光の塊は、まるで風船が弾けるようにパンと消えた。 暴風。 無くなった光の圧力に吸い込まれるかのように、竜巻が発生した。 マリーの意識は途切れていた。 自分がそれに巻き込まれたことも知らず。 そしてどれほどの時間が経ったのか。 マリーはまぶたをくすぐる陽の光に意識を取り戻す。 辺りを見回した。 それは初めて見る光景だったが、彼女の心を動かしはしなかった。 かつてトンガリ山と言われたものは、跡形も無く消え去っていた。 マリーがいるのは、山のあった場所に穿たれている、信じられないほど大きな、皿形 の窪地の真ん中だった。 あらゆる感情の失せた表情で、窪地を静かに見回すマリー。 何も無い。誰もいない。 ふと、手元に何かが当たった。 視線を指先に落とす。 白い、真珠のような玉。 ふと、その玉に水滴が当たった。 弾ける飛沫が、朝日に映えて七色に輝いた。 あれ、まだ雨、降ってるのかな? 見上げた空には、雲ひとつ無い。 マリーは最後まで気付かなかった。 知らず、自分が涙していたことに。 |
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うそつきシーラ。それがあたしの呼び名だった。 「や〜いうそつき! 今日はどんな嘘つくんだー?」 「ほっとけほっとけシーラなんて。行こうぜ」 「キャハハハ。う〜そつき、う〜そつき、う〜そつ〜きシーラ、死んじまえーっ!」 うそじゃないもん。 このままじゃ、世界が滅びるんだよ? 「いい加減にしてシーラ! あなた、そんなにお母さん苦しめて楽しい?」 「なんでこんな子になってしまったんだ? おまえの育て方が悪かったせいだぞ?」 「あなたこそ私に任せっぱなしで、何もこの子の事見てくれなかったじゃないですか」 「それがおまえの仕事だろうが? 私は商売の方で忙しいんだ!」 どうしてなの? どうして父さんと母さんが喧嘩するの? あたしのせいなの? でもなんで? あたし、何にも間違ったこと言ってないのに? 「ほら見て、またあの子よ奥さん」 「また誰かと喧嘩してきたのかしら? 酷い服装ねえ」 「全く、かわいげの無い顔して……あ、こっち見たわ」 「目を合わせちゃ駄目よ。また突っかかってこられるわよ?」 誰もあたしの言うことを信じてくれない。 誰もあたしのことを真剣に見てくれない。 悔しい。なんでよ? なんでなの? あたしにはわかるんだ。あれが「本当」のことだって。 このまま放っておいたら、間違いなく世界が滅びちゃうんだよ? 「や〜い、うそつきシーラ!」 「ああ、何でこんな子が私の娘なの?」 「全く、よく外に出せるものだわ」 同じ言葉。同じ反応。 どれだけ相手を傷つける言葉なのか、知っている筈なのに誰もが使う。 人は、人間は。 だからこそこんな罰を受けるべく定められた存在なのかもしれない。 そう思ってしまったのが14の時。 それ以降私は、何一つしゃべらない子になっちゃった。 あの夢は、夜だけでなく昼間も頭の中を支配するようになってた。 でももうそれを口に出すことができない。 苦しい。息を吐かず、吸い続けているだけのような苦しさ。 それでも、吐き続けるだけの苦しさよりはマシ。 そう思って、誰からどんな仕打ちを受けようと、あたしは何も口に出さなかった。 でも、その苦しみから救ってくれた人がいた。 2年後だった。堪りかねた両親が、たまたまその街を訪れた大神官の一人に、あたし の様子を見てくれるよう頭を下げて頼んでくれた。ただそれは、あたしのことを気遣っ てというより、単に自分たちがこれ以上苦労したくないからに違いなかった。 その人が何の大神官だったかは、もう覚えていない。顔も声も忘れちゃった。 でもその人はあたしを一目見て、とても驚いた顔をしたことだけは覚えてる。 そしてその後、あたしの前で跪き、深々と頭を垂れたことも。 その人は言った。あたしは神に選ばれた人間だって。神の力を実現する大神官が神の 代理人なら、あたしは神の世界を救うためにこの世に現れた救世主だって。 何言ってるのか、よくわからなかった。この世界の危機とか、あたしの見てる夢の話 の中身がどうとか、本当はどうでもよかった。ただあたしは、 『自分が間違ってない』 ことを証明してくれる人がいたことが凄く嬉しかったんだ。 だからあたしは、そのままその大神官さんに付いていくことを決めた。大神官さんは もうその時が近いと言ってたから。あたしはすぐに覚悟を決めた。この世界に未練なん て無かったし、あたしをこれだけ馬鹿にして酷い仕打ちをしてきた連中を、このあたし が「救ってやるんだ」ってことが凄い快感だったから。 両親の慌てふためく顔、おかしかったな。 馬鹿みたいに騒いじゃって。でも大神官さんが一言言ったら黙っちゃってさ。 街を出て行くとき、あたしは後ろを振り返らなかった。 母さんが徹夜で仕立ててくれた巫女衣装をまとって、堂々と胸を張って街を出て行く のは、本当に気持ちよかった。 なのに、さ。 セイルがあたしたちを目覚めさせた後。世界中を巡ってる時にね。 誰にも何にも言わなかったけど、たまたまあたしの故郷の街を通ったんだ。 あたしの家、結構大きな店だったんだよ。 でも跡形もなくなってた。 百年前のことだから仕方ないかもしれない。 でもその店の話をしたら、街のお婆さんがこんな話をしてくれたんだ。 昔、確かにここには凄く大きな店があったんだけど。 ある日突然、跡取りの一人娘が消えちゃったんだって。 それから母親は半狂乱、いや本当に狂っちゃって。 父親もそれから無謀な商売繰り返して破産。 そのまま、病気で二人とも死んじゃったんだって。 誰もそれを見取ってくれた人、いなかったって。 やだね。 なんで涙が出るんだろ? あたしが望んだことじゃない。 あたし、ざまあみろって思ってパッティになったんだよ。 父さんも母さんも、あたしに酷いことばっかり言ってたじゃない? あたしを自分たちの娘だなんて認めてくれなかったじゃない? なのに、何でそんな死に方するのよ? あたしが悪いみたいじゃない? 父さんも母さんも、あたしがいなくなったからって変わる必要なかったんだよ? だってあたしは、「みんなが幸せになれるように」と思って街を出たんだから。 なのになんて幸せになってくれなかったの? 酷いじゃない? ずるいよ、卑怯だよ! これからそうなるように。 「あたしだけが」酷い目にあえばよかったんだ。 そうすればみんな幸せになれたのに。 馬鹿。父さんと母さんの、バカ。 |
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シーラが開いた扉を抜け、リムリアを先頭に一同は玄室内に入っていく。 そして全員が目を見張った。 先の、シヴァの時の玄室はまるで違う、どこかのお姫様の寝室のような、きらびやか な装飾と明かりと芳香に満ちた広い部屋の光景が広がっていた。部屋の奥にある天蓋付 きのベッド、その前に置かれた白いレースを引いた丸テーブルの周りには、豪奢な椅子 が三つ置かれている。 その一つ、入り口に背を向けるように置かれていた椅子が、くるりと回転した。 息を呑む音が、幾つも聞こえた。 そこにいたのは、まさしく絶世の美女。 今のシグルーンの妖しい美しさも目を見張るものだったが、この女性の美しさはそれ を上回っている。世に言う「傾国の美女」とでも言おうか。これほどの女性の前で正常 心を保てる男性はそういまい。知らず、意識と視線が吸い込まれてしまう。底無しの穴 に落ちていく感覚とでも言おうか。リムリアでさえそう思ったくらいである。果たして セイルたちはどうか? そして引力は更に強まる。 優雅に立ち上がった女性は、にこりと微笑んでお辞儀をした。 そしてこの世のものとは思えない、背筋を震わすほどの甘い声で発した。 「お待ちしておりましたわ。セイル=ウォルサム=フェルナンデス様、そしてリムリア =キャラウェイ様。さあ、こちらへ」 リムリアとセイルは、ふらふらとテーブルへ歩み寄った。 残り全員、呆気にとられて言葉も出ない。 二人がおずおずと椅子に腰を下ろす。 女性はしなやかな物腰で、ほのかに甘く香る紅茶をいれ、二人に差し出した。 「大丈夫ですわ。何も変なものは入っておりませんことよ」 そう言って女性は自らカップに、しっとりと濡れた唇を触れさせた。 それに続くセイル。リムリアもまた、そんな二人を見て慌ててカップを手に取った。 美味しい、本当に美味しい。 紅茶に関しては相当のリムリアさえ脱帽する美味しさ。 そんな快感に、一時自分が何をしているのか忘れてしまうほどだった。 「それでは改めまして。私、ミルフィーユ=フローレスと申します」 セイルたちが落ち着いたのを確認して、彼女、ミルは自己紹介をした。 「お二人の目的は存じております。私をお封じにいらしたのでしょう?」 そう言ってクスっと笑うミル。 「シヴァの事も承知しております。私と致しましても、あなた方のお邪魔をするつもり は毛頭ございませんが、その前に少々お話をしてみたいと思いまして」 「話、ですか?」 「ええ。ご承知の通り、私どもはこの世界に身を置いてもう一千年になります。あなた 方のような『生身の』方々とお話できるなど本当に久しぶりなものですから。どうか最 後の機会、与えては下さいませんでしょうか?」 ぎこちない笑みではいと頷くセイル。 それにちょっとムカっとしたリムリアが、割り込むようにミルに問いかけた。 「ミルフィーユさん、ちょっとお聞きしたいんですが! 千年もこの部屋に閉じ込めら れたままにしては、随分いろんな事を知ってるみたいですね。それにこの部屋の中も! どうして外に出られないはずのあなたたちが、こんなことできるんですか?」 「はい、確かに私たちはここから出られませんわ。でも、逆は可能なんですよ。外から 中へと物を持ち込むことは可能なんです。この家具はそうやって手に入れましたの」 「変じゃない、それ? そもそも外の人に自分の存在を知らせることができないのに、 どうやって送ってもらえるってのよ?」 ミルの柔らかい微笑みが、すっと能面のような張り付いた笑顔に変わった。 「私の『力』が、特別でしたから」 その瞬間、室内が暗闇に覆われた。 ところがリムリアの目には、自分とミルの姿だけがはっきりと見えていたのだ。 「えっ? なにこれ!? セイル? みんな、どこ!?」 ミルの口元がニイっとするどく歪む。 「大丈夫ですよ、単に空間を歪めただけですから。皆さん消えたりしてません。単に、 『今のあなたが皆さんから見えなくなっただけです』」 クックックと笑うミルが、人差し指を立ててくるっと一回転させる。 二人の横の暗闇に、ぼおっと灯りがともる。その中に浮かび上がるのは、さっきの丸 テーブルを囲んで歓談するミルとセイル、そしてリムリア自身の姿だった。 「ほら、彼らには何が起こったのかまるでわかっておりませんわ。あそこにいるのも間 違いなく私とあなたですから」 「何よこれ……一体何したの!?」 「だから申し上げているでしょう? 私は時空を歪めることができるのです。あそこに いるのは『あの時空に存在する私とあなた』、ただそれだけですわ」 「何言ってるの? ワケわかんない!」 「難しいことを言っても、魔法使いでない貴方にはご理解できませんわね。でもそんな ことどうでもいいの。私はただ、あなたとお話したかっただけですから」 「……あたしと?」 「ええ。あなた、とってもよくってよ。その嫉妬と矛盾に満ちた心の内、とても愛しく 感じられるわ」 「ケンカ売るつもり?」 「いいえ。ただあなたのその満たされない想いを救ってあげたいだけ」 「そんなこと言って、あたしに『奇蹟の徴』を使わせないつもりでしょ? その手には 乗らないからね!」 ほほと笑い続けるミル。その人差し指が再びくるっと回された。 灯りが消え、幻も消えた。同時にミルの姿も。 リムリアは、何も無い暗闇にただ自分の姿だけが浮かんでいるのを見た。 足がすくむ。突然湧き上がる凄まじい孤独感、そして恐怖。 そしてどこからともなく響いてくるミルの声。 「大丈夫よ、なにもしたりしないわ。ただ、単に知ってほしかっただけ」 「知る? 何をよ!?」 「私のことを、よ」 と、さっきとは逆の側に灯りがともる。 その灯りはどんどん大きくなって、そしてリムリア自身を飲み込んでいった。 思わず両手で顔を覆い、ぎゅっとうずくまるリムリア。 そして恐る恐る指の合間から辺りをうかがう。 そこにあったのは、さっきとはまるで違う光景。そう、最初に訪れたシヴァのいた玄 室と同じ、殺風景で何も無い岩肌の向き出た広い空洞の景色。そこでリムリアは、ミル の語り口と共に変化する情景を、ミルの視点となって見ることになった。 「一千年前、水の魔神アカシャを封じた私は、その結果ここに自分自身をも封じること になりました。ここは神々すら手を出すことができない時空の辺境地。当然外で何が起 きているか知ることもできませんし、ここの存在を外の人に知ってもらうこともできま せんでした」 「苦悩と恐怖の百年でした。幾度死のうと思ったか知れません。でも私はもう死ぬこと もできませんでした。この結界を解こうといろんなことを試したけど、全部無駄でした わ。どれほど自分のしたことを後悔したでしょう? 苦しくて寂しくて、それなのに私 は狂うことすら出来なかったんです。あなたたちのお仲間、パッティの皆さんなんて眠 っていただけですものね。羨ましい限りですわ」 「そしてどうやっても脱出できないと知って絶望した瞬間、別のことを考えたの。私に はこの時空の壁を破ることは出来ないけれど、壁を歪めて震動させることで、外の時空 の様子を探ることは出来るかもしれないって。やってみたら簡単でしたわ。外で、人の 世界で何か起きているのか、魔神が封じられた世界で何が起きているか、全部わかっち ゃったんですもの。……笑っちゃったわ。人は魔神の恐怖が無くなったというのに、今 度は自分自身の欲望によって恐怖と絶望を作り出すんですもの。私たち一体何をしたん だろうって、悲しくて笑っちゃいましたわ」 「そのうち私は、外の世界へ干渉することもできるようになったの。時空を歪めて外の 世界に私の分身、いいえ、人形を作り、様々な人たちと接することが出来るようになっ たわ。するとね、面白いのよ。人間って、本当に美しいものに弱いのね。この姿で相手 の望むことをしてあげると、どんな名君だって、どんな賢者だって、何もかも捨てて私 の擒(とりこ)になってしまうんですもの」 「凄い快感だったわ。人を操るのがこんなに楽しい事だなんて全然知らなかったもの。 自分が神様になったみたいで。自分にそんな力があったことにやっと気づけたの。そし てどれだけ昔の自分が損をしていたかも。それを取り戻すように、それこそ寝食を忘れ て外への干渉に熱中したわ。……そんな生活が500年くらい続いたかしら? 最後に は飽きちゃったの。全員、皆が皆同じ反応しかしないんだもの。そして私は傍観者にな ることにしたの。それだけでも十分面白かったですからね」 「なのにね、うふふ。1年前のことでしたわ。外の世界に唯一残されていた、この結界 への交信ポイントを見つけた娘がいたの。その子、私に必死になって頼むのよ。お願い 出てきて、力を貸してって。好きな男の人を助けるために、私の力を貸してって。その 子、他にも本当に好きな人がいるのに、もう一人の好きな人を助けたいからって私を呼 ぶの。私ね、つい力を貸しちゃった。時空の狭間に落ち込んでた『石』、あなたたちは 『奇蹟の徴』って呼んでるわね、そこに転送しちゃったの」 リムリアは両のこぶしを握り締め、ギリッと歯を噛み締めた。 「面白いわよね、女心って。ね、あなたもそう思うでしょう?」 「ふざけないで!!」 右手を横に大きく払う。 目の前に映し出された、あの時の自分の姿を振り払うように。 「ふざけてなどいないわ。今だってそうでしょう? あなたはもうセイルさんに協力し たくないって言ってるのに、こうやって彼の求めに応じてやってきた。何故?」 「セイルのためなんかじゃない! あたしはミコのために……」 「嘘おっしゃい。そうやって自分の心を誤魔化してるだけでしょう? 私にはわかるも の。あなたの心の中で渦巻くセイルさんへの想いと、そして」 「言うな! 言わないで!!」 「……シグルーンさんへの、嫉妬。いいえ、羨みかな」 「やめて!!」 「ふふふ。羨ましいんでしょう? あなたも彼に可愛がって欲しいんでしょう? 彼に 抱いて欲しい、貫いて欲しい。触れて貰いたい、キスして貰いたい。……キスしてあげ たい、抱きしめたい。……ああ素敵。あなたの欲望がどんどん私の中に入り込んでくる わ。そう、そんなにして欲しいの? そんなにイカせて欲しいの? 昼も夜も、どんな 所でも。死ぬまでイカせ続けて欲しいのね。ああ、なんて素敵な想いなのかしら」 必死に耳を抑えるリムリア。でもミルの声は、直接頭の中に飛び込んでくる。 「大丈夫よ、私はあなたの味方。あなたのその想いを叶えてあげられるの」 「ひっ!?」 リムリアは、自分がいつのまにか何一つ身にまとっていないことに気付く。 「ほら。セイルさんも」 思わず目を上げる。そこには同じように全裸の、そして、股間からは信じられないく らい巨大にいきり立った男性自身を誇らしげに見せつけながら、泣きたくなる程優しい 笑顔で自分に笑いかけてくるセイルの姿があった。 自分の女性自身が、ジュクっと潤むのがわかる。 かつて見たのとはまるで違うセイルのそれ。禍々しさしさ感じられるそれなのに、ど うしても視線がそれから外せない。それどころが、知らず自分の足がそちらへ引き付け られて動き出していた。 「大丈夫よ。それはあなたを幸せにしてくれるものだもの。シグルーンさんが感じてい るのと同じ快感を、あなたも得られるのよ」 シグルーンの名が出た瞬間、リムリアの中で何かが切れる。 悔しいという気持ちと、あたしも、という切羽詰った想い。 思わず、セイル自身にすがりつき、むしゃぶりついてしまう。 どこかで聞こえる、あざけるような笑い。 先端から流れ出る透明の液体を舌ですくった瞬間、リムリアの全身に信じられない程 の快感が走った。それだけでイってしまいそうなほどの震え。 体に火がついたようだった。もう何も考えられない。 自分の胎内から全身に向かって放出される凄まじい渇望感。 いつのまにか二人は、ベッドの上で重なり合っている。 自分が一番いとおしいと思う笑顔を浮かべたセイルが、自分の中に入り込んできた。 それだけで達する。自分がこれまで体験してきたSEXとはまるで別物。 肉体だけでない。心も精神も、リムリアという存在全てがセイルという「男性」に犯 され、支配されていく至高の快感。 (これが、これがシグルーンの体験している世界……!?) 怖い。凄い。嬉しい。嫌だ。もっと。駄目。落ちる。死ぬ。生まれる……。 脳味噌が掻き回される。 心臓が鷲掴みにされる。 言葉の比喩ではない。本当にそうなのだ。 リムリアという個人が崩壊していく。 精神が快感によって殺される。 「あ、はあっ。んんーっ、あーっ、うぐっ、いひっ、きゃあ、ああっ」 イき続ける肉体。全身を絶え間なく犯す快感という名の苦痛。 目が見開いている。瞳孔も開ききったまま。 口はだらしなく開きっぱなし。よだれも垂れ放題。 でも体が止まらない。 もっともっとと求め続ける。 体だけでなく、心も。 リムリアはそれほどの世界の中で、尚セイルという男性を求めようとする自分自身に 恐怖した。 (嫌だ、ホントに嫌! このままいったら、あたし、本当に駄目になる!?) どこかに残ったリムリアの意識が、何かを探るようにその指先を動かす。 そしてこつんと、何かがそこに触れた。 突然、リムリアを犯す全ての重さと熱が消えた。 未だ夢心地の彼女は、指先が掴んだものをゆっくりと目の前に運ぶ。 白い、クリーム色の小さな真珠。 知らず、それをぎゅっと握り締めた。 きゃああああーーーっ。 どこかで女性の悲鳴が聞こえた気がした。 |
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「……さん、リムリアさん、リムリア!」 体を揺さぶられる感覚と、セイルの声にようやく意識を取り戻すリムリア。 えっとその手を払い、慌てて辺りを見回す。 玄室はいつのまにか、シヴァの時と同じ、何も無い殺風景な洞窟になっていた。 そして部屋の奥にいるのは、全身から白い蒸気をあげてうずくまる小柄な女性の姿。 それは、さっきまで見ていた絶世の美女とはまるで違う。 小柄で、子供っぽいそばかすの消えない顔。 まん丸メガネに三つ編み。 外見だけならどこにでもいる普通の少女。 「ミルフィーユ=フローレスさん、ですね?」 セイルが悲しそうな声で尋ねた。 「……なによあんたたち、その残念そうな顔は!」 怒りに歪んだ顔で、ミルはセイルたちを睨みつけた。 「そうよ、これがあたしの本当の姿よ! 残念だったわね、綺麗じゃなくて! 全く男 って馬鹿ばっかり! 容姿でしか女を判断できない馬鹿ばっかり!!」 それに対して切れたのはリムリアだった。 「何言ってんのよこの性格ブス! 仮面つけて男を手玉にとって喜んでるような悪趣味 女に言われたくないわ!」 するとミルの顔が更なる怒りに歪んだ。 「黙れ! あんたらみたいな可愛い女に、男なら誰でも好きになってくれるような美し い女たちに、あたしの気持ちがわかるもんか!!」 リムリアは一瞬、口ごもった。勿論自分を特に可愛いなどと自覚してたわけじゃない が、可愛く「ない」と思っていなかったことも事実だったからだ。思わず後ろを振り返 る。相変わらず笑ったままのシグルーンはともかく、同じように悲しげな表情を浮かべ るミコの顔に、自分と同じ想いを見て取った。 そうやって言葉を失った女性陣の代わりに、ジャンが皮肉っぽく発した。 「ええ、わかりませんね。あなたがどういう気持ちでそんなことをしていたかなんて、 私たちには何の意味もありませんから」 ギリ、と歯を噛み締めるミルを無視して、ジャンはセイルに言った。 「それじゃ、始めましょうセイルさん」 「……そう、ですね」 セイルは後ろのシグルーンとミコを見やった。 躊躇無く前へ踏み出すシグルーンと、遠慮がちに出てくるミコ。 そのミコが横を通り過ぎようとした時、リムリアは声をかけた。 「これでいいわよね。あたしの役目は」 「はい。どうもありがとうございました、リムリアさん」 「うん。じゃ、あたし先に帰る。あとはあんたたちでどうにかして」 「わかりました。また後で伺います」 「生きてたら、でしょ? そんな簡単に言って平気?」 「リムリアさんにこれだけ辛い思いをさせて、私たちが失敗するわけにはいきません」 「……そう」 そしてリムリアは、後ろを振り返りもせず部屋を出て行った。 地下一階から地上に出る。 後ろを振り返る。半分につぶれたトラム山の無残な姿をもう一度見直す。 そして駆け出した。 一刻でも早く、こんな所から逃げ出したいと思うかのように。 |
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封印の儀を終えると、ミコは急いでリムリアの所へ向かった。 部屋の扉を叩く。中からくぐもったリムリアの返事が返ってきた。 了解を得て部屋に入ると、そこには心配した通りのリムリアの姿があった。 ミコは、内側から部屋の鍵をしっかりと閉めた。 そして、ベッドに横たわるリムリアに寄り添った。 「……ミコ、たすけてよミコ……」 涙を流しながら、それでも胸と股間をまさぐる指を止められないリムリア。 ミコには察しがついていた。 さっきミルに味あわされた「女としての至高の快感」。 それを一度でも知ってしまえば、その女性は地獄に墜ちてしまう。 このままでは、リムリアは夜な夜な男を求めて彷徨うセックスマシンと化すだろう。 「リムリアさん……お薬、使いますか?」 ミコがショートラムに来るのが半年遅れた理由。それは、かつてテホンでの魔神戦の 後に使った「あの薬」の作用に疑問を感じ、その副作用について調べるためだった。そ してミコは、それがもたらす恐怖の結果を知る。だがショートラムにきた時、全ては手 遅れになっていた。セイルとシグルーンを見て感じた絶望は、リムリア以上だったとい えよう。 それでも彼女は、自分が最後のくさびとなろうとその身を懸けた。 でもそれは自分だけで済ませておきたかった。リムリアまでこんなにするつもりじゃ なかったのに。 なのに、自分の失敗につい弱音が出たミコを叱るようにリムリアはそれを拒んだ。 「ヤダ……辛いけど、ホント辛いけど、シグみたいにはなりたくない……」 「でもリムリアさん、このままじゃ……せめて、セイルさんに頼んで……」 「もっとイヤ! あっ、ああーっ……」 ブルブルとリムリアの体が震えた。絶頂に達したのだろう。 ミコはしまったと思う。セイルの名前を出したために、リムリアの体が反応してしま ったのだ。 そうしてより一層の涙を流しながら、リムリアの手の動きは激しさを増すばかり。 快感地獄。このままでは、本当にリムリアは発狂するだろう。 そしてミコは覚悟を決めた。 苦しむリムリアの頬を抑え、優しくその唇に口付けた。 一瞬、えっと驚くリムリア。でもすぐに、今度は舌を絡ませ、求めてきた。 それに応えるミコ。抱きついてくるリムリアの腕に力がこもる。 ベッドに倒れこむ二人。 はあはあと、獣のように荒い息を吐くリムリアが、血走った目でミコの衣装を剥ぐ。 首筋に噛み付く。胸を強くつかむ。乳首をなめ回す。 そして自分の股間をミコのそこに擦り付けてくる。 ミコもまた、涙を流していた。 でも、これに溺れなくてはならない。 リムリアの欲望を解消するには、自分が反応してあげなくては駄目だ。 共に欲望を昇華することで、少しでもリムリアの重荷を解いてあげなくては。 ミコも自分からリムリアを求めた。 体力の続く限り求めた。意識のある限り求めた。 その夜、二人の少女の嬌声が止むことは一度も無かった。 |
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翌朝。朝日が二人を照らし始める中、最後の声があがると共に、二人は重なり合って 動きを止めた。 仰向けのミコ。 うつぶせのリムリア。 二人の呼吸が、次第に元に戻る。 そしてぼそっと、リムリアが呟いた。 「ありがと、ミコ」 そう言ってリムリアは、ミコの手に自分の指を絡めた。 最後のキス。 そしてがばっと起き上がり、ベッドを出るリムリア。 「ひとっ風呂浴びてくるね」 「……リムリア、さん?」 「大丈夫よ、もう」 バスタオルを身に付けただけの姿で部屋を出て行くリムリア。 まだ強がってるのがわかる。多分、未だ胎内で欲望がくすぶっているのだろう。 でも、少なくとも当面の山は越えたらしい。 ミコはやっと安堵した。 そして改めて、二人が一晩を過ごしたベッドを見やる。 酷い有様。思わずこぼれ出る笑い。 疲れた。気持ちよかったけど、疲れた。 (でも、これがセイルさんだったら) ミコでさえそう思う。所詮これはごまかし。 男と女の関係は、それがどんなかたちであれ、男と女の間でしか築けない。 自分はそれに耐えられるか? 少し前までは、耐えてみせる、と思っていた。 でも今は、耐えられるかな、と不安になる。 辛い。怖い。 だから今は眠ろう。少しでも休んでおこう。 まだ「自分の番」は回ってきていない。 その時に自分が後悔しない行動が取れるよう、少しでも休もう。 数刻後、部屋に戻ったリムリアは、すうと寝息を立てるミコの姿に微笑んだ。 そしてその寝顔に優しくキスした後、音を立てないように着替えて部屋を出た。 さ、今日も一日が始まるわ。 父さんと母さん、起こさなきゃ。 ね、ミコ。 |
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「弥生! 弥生はおるか?」 「……はい、なんですか父上?」 「これから参内する。お前も一緒に来い」 「ということは、決まったんですか?」 「ああ。次の『神子』は、『春宮(はるのみや)の巫女』だ」 「愛姫(いつき)さまですか! そんな、まさか……」 「決まってしまった以上、しかたあるまい。大変なのはこれからだ。特にお前はな」 「……はい、わかりました。少々お待ちください。支度して参ります」 喜びと戸惑いが混在した表情を浮かべ、弥生は奥の自室へと下がっていく。 その後姿をじっと見つめる父、那岐の後ろから、妻の那美が声をかけた。 「ついに決まってしまったのですね。それにしてもまさか愛姫様とは……」 「確かに巫女としてのお力は一番だからな。他の宮の老人たちも、今の状況では派閥争 いなどしてられないと腹をくくったのだろう」 「それにしても、この二百年間、春宮から神子が出たことはありませんでしたのに」 「ああ、辛いな。いくら巫女としての力は最強でも、政治力は無いに等しい。せめて強 力な後ろ盾でもあれば……」 「それを弥生に御期待するつもりですか?」 「仕方なかろう。ついに現れた『葵』の銘を継ぐものだからな。いざとなれば、力づく ででも愛姫様を守ってもらわねばならぬ」 「……この家は、大丈夫でしょうか? 私、何か嫌な予感がしてなりませぬ」 「この国のためなら、家の一つや二つどうなろうと仕方あるまい。そもそも我が家はそ のための家なのだからな」 「……はい」 そこに戻ってくる弥生。 女性の身に似合わぬ戦闘用の装束。そして背にかけられた長剣。 「お待たせしました、父上」 「うむ。それでは参ろうか、『葵殿』」 「は。宰相様」 そこは既に政治の舞台。 建国史上最強の剣士と、筆頭四重臣の一人は、新帝誕生の儀に参上すべく参内の途に ついた。 |
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近年稀に見る、盛大な即位の儀が終わる。 自分の職務が尽きたのを確認し、弥生は父の許可を得て後宮へと下がった。 本来、一家臣が勝手に入れる場ではなかったが、既に『葵』の名を得ている彼女の地 位は名目上宰相を超え、皇族に匹敵するものとなっていた。無論それだけではなく、以 前から彼女は後宮の出入りに関してお咎め無しだったため、警備の者も彼女の行動を拒 むことは無かった。 とうに日は沈み、夜の帳が降りようとしている時刻。 弥生は、いつもの花園に、一人たたずむ少女の姿を見つけて安堵した。 近づいていくと、少女の足元で一匹の子犬が戯れているのがわかる。 しかし少女はそれに構うこともせず、呆と立ち尽くしているだけだった。 恐る恐る、後ろから声をかける弥生。 「……愛姫、さま?」 「あ、弥生ちゃん……」 振り返る少女の目元に、きらりと光る涙。 弥生はやっぱりと思う。そう、この少女はそういう子なのだ。 心優しい、草木や鳥や虫たちと戯れるのが似合う、無垢な少女。 決して、国家だの政治だのを背負うような子ではないというのに。 でも。 「愛姫様、ご挨拶が送れました。神子御即位、おめでとうございます」 「弥生ちゃん!?」 「お止めください神子様。私は『葵』、向日葵でございます」 「弥生ちゃんまで……やめてよ、私そんなのイヤっ!」 「どうか御自覚下さいませ、神子様。貴方様はもうただの巫女ではないのですよ」 「なんで、なんでよ? なんで私が……うう……」 うずくまり、泣き崩れる少女。 その傍らにじっと立ち尽くすだけの弥生。 先刻からそばにいる子犬が悲しげな鳴き声をあげ、抱え込まれた少女の顔を覗き込も うと繰り返すが果たせない。 しばらくそのまま時間が過ぎる。 日は完全に沈み、暮れない(紅)の化粧も闇の泥にかき消されていく。 どれほどの時が過ぎたのだろう? いつしか声を出すのをやめ、ひくひくとしゃくり 続ける愛姫を、弥生は膝をかがめ、優しく両腕で抱きしめた。 「ご安心下さい、愛姫様。必ず弥生が守ってみせます」 「やよい、ちゃん……」 「苦しいお気持ちも、逃げ出したいお気持ちもよくわかります。でも愛姫様、今は愛姫 様のお力が必要な時でもあるのです。愛姫様だって、この国の皆が幸せに暮らしていけ るように、とお思いでしょう?」 「……うん」 「私もそうなのです。私のような家に生まれた者も、愛姫様方皇族の方々も、どうあっ てもその任からは逃れられません。……大丈夫、他のことはお任せください。愛姫様は 愛姫様らしくおありになればよろしいのです。皆が愛姫様に求めているのは、ただそれ だけなのですから」 「私、らしく……?」 「はい。皆を慈しむお気持ち、それを常にお持ちであれば十分なのです」 顔を上げた愛姫。その瞳にやがて力が戻る。 まだ涙が止まったわけではないが、それでも彼女はにこっと笑った。 可愛らしいお方だ。昔から、そして今も。 そしてなんて不幸なお方だろう。 歴代巫女の中でも最強の御業をお示しになられてしまって。 それがこんな風に利用されてしまって。 だから、私だけでも。 私が『葵』となったのは、きっとこの時のためだったのだから。 愛姫の目尻に溜まる涙を指先で優しくぬぐう。 そして柔らかく、長くまっすぐに伸びた黒髪を掬いながら、弥生は言った。 「愛姫さま、大丈夫。『葵』が一生お供いたします。何があろうと、何が起ころうと、 『葵』は姫様の味方です」 「弥生ちゃん……ありがと」 「ですから姫? どうか人前では『葵』とお呼び下さい。それもけじめですわ」 「うん。でも二人の時は弥生ちゃんって呼んでいいでしょ?」 「ええ、勿論。私の大事な愛姫様。私にとっても、愛姫様はいつまでも愛姫様です。た とえ神子としてこの国を司る存在となられても、愛姫様であることに変わりありません から」 うん、と本当に嬉しそうに笑う愛姫。 そしてすっくと立ち上がった。逆に弥生は膝を付いたままの姿勢。 そしてそのまま、愛姫の元に頭を垂れた。 「第四十九代太陽国神子、春宮愛姫陛下。御即位、御目出たう御座ゐまする」 「第二代『向日葵』、向日弥生。今後とも国政補佐、宜しく頼みます」 「御意」 二人は目を合わせる。真剣な、これ以上ない真面目な瞳で。 するとその時。 「バウ!」 足元で元気よく叫ぶ子犬。嬉しそうに尾を振り、瞳を輝かせていた。 どちらからともなく、くすっと笑ってしまう。 「ふふ、この子も愛姫様をお守りしますと言ってますわ」 「うん。でも大丈夫よ『武(タケル)』。あなたが心配しなくても、弥生ちゃんが守っ てくれるから」 すると、まるでその言葉がわかるかのように子犬がクウ、と寂しげな声をあげた。 「愛姫様? タケルも愛姫様のことが大好きなのですから、そんなことをおっしゃって は可哀想ですわ」 「わかってるけど、でもまだタケルちっちゃいし」 それに対して子犬は再び大きく「バウ」と叫び、愛姫の周りをグルグル回り始めた。 「あ、こら、やめなさいタケル! こら……きゃっ、あはは……」 二人はそのまま、ずっと笑い続けていた。 後に二人は、この時のことを幾度も思い出すことになる。 自分たちが一番幸せだった時の思い出として。 自分たちが、何も知らなかった頃の思い出として。 |
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「いい加減にせぬか、葵!?」 「なんと申される、北の相殿? 私は、我等が取るべき最善の策を申し上げているだけ ではないか!」 「はっ、最善だと? この都を失うかも知れぬ暴挙が最善だというか? 戯言もいい加 減にせい!」 「それだけで済むのです! 失うのは高々土や木で出来た建物に過ぎませぬ。きちんと した準備と手配さえ怠らねば、この国の民を犠牲にせずに済むのです!」 「馬鹿を申せ。先祖代々守ってきた大事な遺産を、いや皇家の社稷(しゃしょく:皇族 の墓。転じて国家の象徴・国家最重要の宮)までも犠牲にして、国が立ち行くはずなど あるまいに」 「これは異な事を、南の相殿? 『国家とは物に非ず、人なり』とは神祖大御神御本尊 (しんそ/おおみかみ/ごほんぞん)自ら仰せになられた言葉。大相(たいしょう)と もあろうお方がそれをご存知ないはずはありませぬな?」 「それは神祖の御世(みよ)の言葉に過ぎぬ。神祖は何も無き所に社(やしろ)を建て た御方。それを継ぐ我等は、社を守るが大任ぞ?」 「ならば問う! 汝等、今のままで御国(みくに)の社を守れるのか!?」 座から一切の音が消え去った。 衣擦れの音も、呼吸の音さえも。 それほどまでに、葵の放った言葉は痛烈だった。 更に繰り返す葵。 「汝等、『奴ら』の災禍に対抗し得る力なり御業なりをお持ちか!?」 玉座に構える今上(きんじょう:現在の)陛下は、目を閉じたまま何も発さぬ。 その下、左右に二人づつ控える四人の大相(大宰相)たち。 東西南北の四つの名を冠した彼等に、葵の言葉に反駁(はんぱく)することなど出来 はしなかった。当然である。間近に迫った国家最大の危機に際し、現実に対処し得る力 を持つのは、この国にたった二人しかいなかったのだから。 そしてその一人が、他ならぬこの「向日葵」なのだから。 「……それ位にせい、葵」 「は」 四大相の中でただ一人冷静を保っていた東の相、即ち葵の実の父親が発した言葉に、 葵も大人しく引き下がる。すると残りの三人からチッという舌打ちが聞こえたが、葵が 彼等をギロりと睨み付けると、知らぬ振りをして椅子に背を預けてしまった。 その始終を見ていた東の相が、今度は声を出さずに小さく苦笑いして葵と視線を合わ せる。思わず赤面する葵。しまった、やりすぎたかという後悔。また父上のお立場を悪 くしてしまったという思いに自分を恥じた。 四人の大相を出す家は、四つの皇家に仕える家でもあった。 「春夏秋冬」の四つの宮に対し、「東南西北」の号を冠する宰相家。 葵たちの仕える春の宮は、本来神祖直系の筆頭家であるのだが、不思議な事にこの家 からは神子がほとんど出ない。歴代の神子の九割以上が残り三家の持ち回りといった具 合である。故に四大相の力関係も、残り三家に比べ東の相が一段落ちるというのが現実 である。本来ならばとうに降格ないし抹消させられていて然るべき家だった。 だが不思議な事に、国家の一大事に際しては必ず春の宮から神子が出た。 理由は明白である。この宮こそが「最強の神子」の血筋だからだ。 そして東の相と共に、度々国難を排してきた確固たる史実があった。 故に春の宮と東の相は、形式上の尊敬と実質的な無視の元に存続し得た。 今回の事態もまた、そんな国史の繰り返しであったと言えよう。 ただし、今回はこれまでと違う点が一つ存在した。 それは神祖の盟友であり、建国最大の英雄である東の相「向日家」の太祖、「葵」の 号を受け継いだ人物が現れたことである。これまでどのような国難に際しても、そして どれほどの能力者に対してもその力を開放しなかった神器「群雲」。伝説の英雄である 「向日葵」の愛刀として数々の奇蹟を演じたという国宝は、弥生の出現まで、もはや誰 もその伝説が真実であることを信じない、単なる儀式用の宝刀としか思われていなかっ たのである。 しかし春の宮の後継を定める愛姫七歳の時の「降臨の儀」において、「群雲」の新た なる主人が愛姫の付き役として宮仕えしていた弥生であると託宣を受けたことで、この 神器の恐るべき力がついに再現されることとなった。正しく「神器」と呼ぶに相応しい 超絶的な力と、幼少時から天才的な剣の冴えを見せていた弥生の超人的な成長により、 先皇及び四宰相の抗い難い一致をもって、弥生は建国最大の英雄と同等の地位である、 「向日葵」の号を得る事になったのだった。 そして同じく、史上最強とも言える巫女としての御業を示し得た愛姫が、二百年ぶり に春の宮からの神子となった。 この時点で既に、単なる嫉妬心からではない、本当の畏れと危惧を感じる者が少なか らず存在した。これは、これまでの国難の比ではない、正真正銘太陽国の危機なのでは ないかと。この危機に際して国司神(くにつかみ:文字通り、国を司る神)が、最強の 二人を現出せしめたのではないかと。 そしてこれは、この国を滅ぼすかも知れぬ厄災ではないのか、と。 愛姫と弥生。二人はこの時、神に等しき畏敬の存在であった。 その二人が頂点に立ちえたのは、相対する「奴ら」もまた、この二人以上に畏るべき 真の神々そのものであったからに過ぎなかった。 一同が息を継ぎ、落ち着きを取り戻したのを確認してから、葵の父、東の相が改めて 御前会議の音頭をとった。 「一同、ともかくも御謙虚におなり頂きたい。例え陛下の御力(みちから)に葵の、い や『群雲』の神通力が加わろうと、せいぜいが『奴ら』を退散せしめることがかなうか どうかに過ぎませぬ。しかしこれがかなえば、過去の例から見ても最低十年、うまくす れば三十年の太平を得る事が出来ましょう。国を建て直すには十分な時間が手に入るの です。……ご承知願いたい。我等に残された道は、この一つしかござらぬ」 他の三相は、しかめっ面のまま口を開こうとしない。 無論、彼等とてそんなことはわかっているのだ。そもそも「そのために」わざわざ何 の政治力も無い世間知らずの小娘を皇位に担ぎ上げたのだから。 だが、理性では納得できても感情が抑え切れない。いざその時になってみると、国家 の重鎮として長きに渡り権勢を振るってきたという自尊心が邪魔をするのだ。特にこう して、これまで歯牙にもかけなかった弱小家の者たちが、我が物顔で国政を「壟断」す る様を見せ付けられれば尚更である。 そうして押し黙ったままの宰相たちに、再度葵が切れかけた。 「御一同、返答は!?」 「葵!」 父の制止を振り切り、尚も葵は言葉を継いだ。 「貴殿らが何を失うというのだ! 実際に『奴ら』と相対するのは我と陛下ぞ! ただ 我と陛下のみ犠牲にすれば済む事ではないか? 貴殿らもそれを望むのであろう!?」 さすがに言葉が過ぎた。ここぞとばかりに宰相らが反論する。 「葵、貴様! 陛下を犠牲にとは何事か!?」 「貴様こそ陛下を、ひいては国家を蔑(ないがし)ろにしておるではないか?」 「確かに貴様如きどうなろうと構わぬが、陛下は国の御柱(みはしら)ぞ!」 場が騒然となる。その時。 「やめて、ください」 小さな、しかし圧倒的な存在感を持つ少女の声が場を凍らせた。 玉座の少女は、悲しげな瞳で一同を見渡す。それだけで全員が自らを恥じ入った。 流石、春の宮の神子。 全員がそう思わざるを得ない。確かに見た目はどういうことの無い少女に過ぎぬ。 しかし神祖の最も濃い血を受け継ぐ、この国の真の支配者であることは間違いない。 彼等全員、本皇統の臣である以上、それを自覚せずにはいられなかったのだ。 「葵の言うこと、もっともです。私はこの国と民を守るために皇位に就きました。私と 葵で、彼の者達の脅威からこの国を護ります」 「陛下! それでは御身が!?」 「大丈夫。葵が守ってくれましょう。そうでしょう、葵?」 「無論。我と『群雲』、その力の全てを尽くして」 「それに、もし我等が命を失うことになろうと、この国の民と貴方たちさえ無事であれ ばこの国は滅びたりしません。そのためにこそ、貴方たちの力を注いでください。私は 大丈夫です。葵さえいてくれれば、何も恐くありません」 「陛下……」 未だ苦々しさを払拭できないまでも、ようやく全員の賛同が降りた。 最大の難関を通過できた喜びに、葵は玉座の愛姫を見つめる。 自分を信頼し、微笑んでくれる少女の姿。 葵は、心底彼女を誇らしく思う。 |
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「全く忌々しい、葵の小娘め」 「東の奴目もな。見たかあの筆頭気取り?」 「二百年ぶりの桧舞台だからな。舞い上がりもしようぞ」 「どうなさるご一同? このままで良いのか?」 「そう申されても、『奴ら』の襲来ある限り、葵の力は必要だからのう」 「その様なこと申しておると、事が済んだ後も奴等にのさばられますぞ?」 「そうじゃな。所詮『その時まで』の道具に過ぎぬ。事が済んだら処分するのが道理」 「どうせなら、『奴ら』と相打ちになってくれればのう」 「……そうですな、正にその通り」 「おや? 何か妙案でもおありかな?」 「いやいや。確かに葵の力も結構ですが、我等にはもう御一人、素晴らしき力を持つ御 方がおられるではないですか」 「おお、そうであった。よくよく考えてみれば、陛下さえおられれば葵など必要無いで はないか」 「だが葵と陛下は実の姉妹以上の仲。そううまく行きましょうか?」 「意固地者の葵は厄介ですが、陛下はまだまだ弱輩の御身。我等年長者が『正しき』道 を諭してさし上げるのは、臣として当然のことであろう?」 「然り。陛下はあの通り、素直で心優しき御方。我等が『誠意を尽くして』説得申し上 げれば、御するのも容易(たやす)かろう」 「これこれ、『御する』のではない。陛下自ら、正しき皇の道を歩んで頂くだけぞ」 「そうでしたな。これは失言、ははは」 「では、具体的にどうなさる?」 「そうですな、例えば……」 |
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深夜、都のあちこちであがる火の手と騒動を見つめながら、葵は叫んだ。 「どういうことだ!? 何故『今夜』なのだ!?」 「わかりませぬ! とにかくお急ぎを!」 『その日』に備え本宮に詰めていた葵は、伝令の的を得ない言葉に苛立ちつつも、窓 の外に繰り広げられる地獄図に意気を込めた。 「私はいい! それより陛下の方はどうなっておるんだ!? 準備は!?」 「わかりませぬ! とにかく、一刻も早く表門前へと、東の相殿が仰せです!」 「父上、いや宰相殿がか? ……承知した。お前は早く、宮の者たちの誘導を!」 「はっ! それでは失礼!」 しかし何故だ? 陛下の御託宣によれば『奴ら』の襲来は三日後の筈だが? 例え『奴ら』であろうと、陛下の御力に干渉する事は出来ぬはず。 それになんだ、この宮の奇妙な静けさは? 今この宮には太陽国の全精鋭が集結し、最後の準備を行っているはずだ。 例えこの突然の襲来にあっても、最低限の対処くらいは出来ておかしくないのに? 不思議な程、葵は呆気なく表門に到着した。 そこには父、那岐の姿と、その周囲を奔走する見慣れた将たちの姿があった。 「父上! あ……」 思わず敬称を忘れて言い直そうとする葵を父は、この常に冷静沈着な人物に似合わな い、上ずった声でさえぎった。 「おお、弥生……」 那岐は将たちに手早く指示を終えると、弥生と共に人気のない所に移動する。 そして声をひそめ、信じられない事実を弥生に告げた。 「弥生。……陛下が、この都を落ちられた」 「……は? 今、何と?」 「既に陛下は、この都には居られぬ。我ら『東軍』以外全ての軍勢も、どうやら陛下に 従ってこの都を離れたようだ」 弥生ほどの者をしても、それが意味することを即座に理解することが出来なかった。 なおも続ける那岐。 「今となっては、もはやこの都を守る術はない。我らは命を賭して民衆の避難を支援す る。お前は……酷な事を承知で言う。『独り』で『奴ら』の攻撃を、わずかな時間だけ でいい、民に及ばぬよう逸らしてくれ」 今尚、弥生は父の言うことを理解できない。 「私は睦月や如月と共に民の誘導を行う。家の事は那美に任せてある。だからお前は」 二人の兄と共に死地へ赴くという父。 そしてもうこの状況では、母の、いや残された家族の命も危なかろう。 「我らのことは考えるな! 今はお前の出来ることをしろ!」 出来ること? なんだろうそれは? こんな私に出来ることなどあるのだろうか? 「『向日葵』! お前はこの国に残された最後の希望なのだ! 頼む! この国のため に死力を尽くしてくれ!!」 向日葵。ひまわり。太陽国最強の戦士。 知らず、右手が『群雲』を握り締める。 湧き上がる力。恐怖が、戸惑いが消えてゆく。 己が精神が、肉体が、無機的な一個の「戦闘兵器」へと変貌していくのがわかる。 「そして、そして頼む。生き延びよ! どんなことをしてでも生き延びよ! 決して、 決して『葵』の銘を絶やしてはならぬ。それこそが我らが家の意義、宿命ぞ」 足が、視線が『奴ら』に向かう。 そこには既に弥生という人物はいない。 「そして、必ず護るのだ! ……を、……を護れ。頼むぞ、弥生……」 故に、その父の最期の言葉を聞き取ることは出来なかった。 その時、『葵』という兵器の持ち得た唯一の感情。 それは『快感』。 神との闘いに望む、闘神たちの本能。 |
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朝日が昇ると共に、それまで降り続けていた雨が止んだ。 弥生は、疲れ切ってもうまともに動かない首を無理やり動かした。 額に、頬に張り付く乱れた髪がうっとうしい。 そこは、一面の焼け野原。 護るべきもののはずだった、木や土で出来た建物も、宮も社稷も。 民の生活も、いいや、その民自身も。 もはやそこには、何もない。 足元が、ずるっとすべった。 よろける体を支えることも出来ない。 倒れこむ。手をつく。その手に感じる、変に柔らかい嫌な感触。 足元を見る。そこにあるのは黒焦げの死体と、今自分が踏み外すことでえぐれた皮膚 の下から覗く、ピンクに焼けた肉の色。 ギリギリと、首を回して手元を見る。 自分が手をついているのは、同じく焼け焦げた、明らかに子供の物と思われる死体。 そして自分の指が、その顔の目玉をえぐり取っていた。 腕が硬く震えて動かない。それでもなんとか指を引き剥がす。 指先についた、白いぬるりとした汚れの匂いを、つい嗅いでしまう弥生。 嘔吐。 激しい咳き込み。 そして弥生は、自らのいる場所を改めて認識する。 自分がいるのは、数万の焼け焦げた遺体が積み重なる「死の野原」。 あの災禍だ。碌な準備も誘導もない民衆が、まともに避難出来たはずがない。 五十万を数えたこの都の民の、どれほどが犠牲になったというのか? そして弥生は確信する。 向日の家の者で、生き延びたのは自分だけだと。 無論、この状況では誰でもそう思っただろう。 特にこの場合、その後に逆接の接続詞が付かない、正真正銘の事実だった。 「……はは。あはは、ははは」 弥生は笑った。 「はは、はははは。あーっはっは、あーっはっはっは……」 笑うしかなかった。 笑いながら泣いていた。ボロボロ涙をこぼし続けた。 |
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「全滅!? 全滅だと!?」 「冗談を申すな! 『死龍の渓谷』ぞ? 龍ですら無事に通り抜けられぬあの難所に、 三万の精鋭と百を超える罠を配置したのではなかったのか?」 取り乱す「三」宰相に、息を乱した伝令が報告を続けた。 「御意! しかし葵様はその全てをまともに受けたにも拘らず、その全てをいとも簡単 に突破してのけられました! 閣下様方、我ら雑兵には『向日葵』様を押し留めること かないませぬ! どうか次のご指示をお願いいたします!!」 腰を抜かし、どかっと椅子に腰を落とす北の相。 南の相は机に伏し、こめかみを指で抑える。 そして彼等に劣らぬ動揺を感じながらも、西の相は伝令を退出させた、 「……いかが致す、御一同?」 「いかがも何も、我らに何が出来ると!?」 「だから言ったのだ! あんな『化け物たち』に手を出すべきではないと!」 「それを貴殿が言うか? 貴殿が一番乗り気だったではないか!?」 「それは貴殿の方だろうが! 見苦しいぞ!」 「見苦しいだと? 良くぞ言ったものだ、そもそも貴殿は昔から……」 そこにはもう、場を取り繕う者もいない。 いつまでも繰り返される愚劇。 それを止めることなど誰にも出来ないかと思われた時。 (ドオーーーン) 砦の正門が破壊された。百の兵が護っていた筈の、この国最大最強といわれた砦の門 も、葵にとっては積み木同然だった。 宰相たちの動きが止まる。全員の顔から、すっと血の気が引いていく。 同じように、机に伏す三人の口から、同じ言葉が漏れた。 「後は、陛下にお願いするしか……」 「いや、しかしもう陛下は……」 「それでも、陛下が葵を返り討ちにして下さるのを期待するよりあるまい」 「左様。もはや我ら、あんな『化け物たち』にとっては虫けらに過ぎぬ」 「はは、虫けらか。でもそう思うより仕方なかろう。さもなくば」 「踏み潰されるのを待つだけだ。せめて無視してもらえればな」 事ここに至り、ようやく己が真の姿を自覚できた愚か者たち。 結局国とは、上に立つ者次第で興りも滅びもするという事例を示したに過ぎぬ。 同刻、表門。 崩れ落ち、大きく開けた門の跡を、神刀「群雲」を手にした葵が通り抜けた。 遠巻きにする兵士達。もはや彼らの誰一人として、この化け物に挑もうとする者はい ない。葵はそんな彼らに一瞥もくれることなく、砦の奥へと進み行く。以前、一度だけ 査察でここに来たことがあったため、中の構造はわかっていた。 砦中央の塔。 下の階にある、指揮官達の部屋には誰もいない。 将も相も、恐らく裏手の兵舎にでも隠れたに違いない。 馬鹿な奴等。この期に及んでまだ、己が身の安泰のみ図ってどうする? 別に構わぬ。そんな虫けらたちを相手にしても仕方ない。 葵は塔の最上階に足を進める。 誰も、彼女を止めるものはいない。 そして彼女は、躊躇することなくその部屋の扉を開けた。 「……あはっ、やよいちゃんだ」 奇妙に軽い、しかし紛れもない愛姫の声が弥生の耳に届く。 室内で繰り広げられるあまりの光景に、彼女ですら一瞬自分の目的を忘れた。 「あっ、ああん。あっ、やよいちゃん、ねえ、やよいちゃんも、どう、あはっ」 未だ子供っぽさの残る愛姫の肉体とはあまりに不釣合いの、愛欲に溺れて恍惚の表情 を浮かべる愛姫の顔。そして彼女の周囲に群がる若い少年・青年達。いずれの顔にも見 覚えがある。確か、春の宮以外の皇子たち。単に皇の血を引くというだけの、愚かで馬 鹿な世間知らずの餓鬼共。 「あっ、いいっ、あっ、そこ。……そう、あん、ああん、ああ」 男達全員の瞳に、理性の光は無い。 全員がその体力の限りを尽くして愛姫の相手をしている。既に幾人かはそれも尽き、 窪んだ眼窩の下に黒いくまを浮かべて息絶え絶えに横たわっている。 思わず目を背ける弥生。 その目に、室内中に転がっている空の酒瓶が入る。 その一つを取り上げ、匂いを嗅ぐ。 案の定。以前知らされたことのある、超強力な媚薬の匂い。 「……愛姫様、もうお止めください」 「ええ〜っ、なんでぇ? すごくきもちいいのに……ああ、ああん」 必死の自制で諫言する弥生の言葉も、今の愛姫には届かない。 「愛姫様、御可哀想に。あ奴等に貶められたということはわかっています。ですから、 もうお止め下さい。そして弥生と共にお戻り下さい。これからまだ、愛姫様のお力が必 要なのです」 それでも愛姫は、男を求める動きを止めぬまま拒んだ。 「……やだ。わたし、このままここに、いる」 「愛姫様!」 「だってきもちいいんだもん。ねえ、なんでやよいちゃん、こんないいことおしえてく れなかったの? ずるいよやよいちゃん、じぶんばっかり」 「愛姫様、そんな! わたくしはまだ……っ!」 「ええっ、やよいちゃんまだなの? じゃあきて! いっしょにしようよ。わたし、や よいちゃんといっしょにしたい!」 「愛姫様! 今はそんなことをしてる時ではありません! 都が、民が、大勢死んでし まったのですよ!?」 だが、それに対する愛姫の返答が、弥生の最後の自制を脆くも崩した。 「それが、どうしたの?」 「は?」 「それがどうしたの、やよいちゃん?」 「それがって……愛姫様……一体何を……」 「だってこの『国』はわたしのものでしょ? わたしがこのくにでいちばんだいじなん だよ? だったらわたしをたすけるためになんにんしんだってかまわないじゃない?」 嘘だ、嘘だ! 愛姫様がこんなことを言うなんて! そうだ、きっとこれもあ奴等に吹き込まれたことで……。 「そうじゃないよ。わたし、やよいちゃんをうらんでる。だってやよいちゃん、なにも おしえてくれなかったじゃない? くにがどういうものか、みこがどういうものかって こと。わたしのしなきゃいけないただひとつ。こうしていっぱいおとこのひとにだかれ て、みこのちをのこすことだったのにね」 「違います! ……いえ、確かにそれもありますが、決してそれが一番じゃ……」 すると、愛姫の腰の動きが止まった。 胎内から男のモノをズッと引き抜く。 そして鬱陶しげに相手の男を突き飛ばし、すっくと立ち上がった。 弥生はその時、愛姫の体躯から湧き上がる強大なオーラを見た。 彼女の双眸が妖しく光っている。それを見た瞬間、弥生の足がすくんだ。 「もういいよ、弥生ちゃん」 「い、愛姫、さま……?」 「最後に、もう一回だけ聞いてあげる。ねえ弥生ちゃん? 私と一緒に、ここで楽しく 暮らさない? 弥生ちゃんの家も、もう弥生ちゃんだけになっちゃったんでしょ? だ ったら私と一緒にここで楽しんで、一緒に子供産もうよ? そうすれば弥生ちゃんの血 だって残るし、しかも私と同じ『皇』の血が継げるんだよ? 凄いでしょ? ねえ弥生 ちゃん、そうしようよ?」 愛姫の眼光は圧倒的だった。その申し出にも、確かに大きな魅力があった。 でも弥生はそれを受け入れられない。 民のために死んだ家族達。 皇に見捨てられて死んだ民衆。 その無念と苦しみを誰よりも知る弥生には、決して承諾できないことだった。 「そう。残念だね」 「違います愛姫様! どうか元の愛姫様にお戻りください!」 「煩(うるさ)い」 そう言って、愛姫が腕を横に振った。 瞬間、手にする群雲が反応するのがわかった。 (ドオン) 塔の外。中で何が起きているのか全くわからない兵士達は、突然爆発した塔の先頭に 目を向けた。爆煙でよく見えない。そして次第にそれが晴れていくと、彼らは信じられ ないものをそこに見つけた。 空中に浮かび、塔に向かって群雲を構える葵の姿。 そして同じく、まるで空中に見えない道でもあるかのように、優雅に宙を歩いて葵に 近付いていく全裸の神子陛下。 葵が群雲を振るう。突風が神子に迫った。 しかしその風は神子の前方で二つに割れる。 逆に、神子の瞳が光を発した。 すると突然葵の周囲で幾つもの爆発が起こる。 葵の、いや群雲の攻撃は、神子に全く届かない。 葵は、いや群雲の力では、神子の攻撃を避けられない。 圧倒的な戦闘だった。兵士達は我が目を疑った。 その異常な光景ではなく、あの「向日葵」が為す術もない「神子」の力に、である。 兵士達にとって葵の力は無限にも等しい恐るべきものだった。 しかしそれを圧倒する神子とは一体なんなのだ? ……無理も無かろう。「2の無限乗」も「3の無限乗」も、有限の存在には共に無限 に違いないのだ。しかし「2の無限乗」にとって「3の無限乗」が無限大であることを 理解するのは難しすぎよう。 弥生にもわかっていた筈だった。しかしそれでも信じられなかった。 自分が愛姫に全く敵わない事。群雲が愛姫に全く敵わない事。 そして愛姫が、自分にその力を向けてくることが、である。 「やめて、やめて愛姫様……」 「黙れ下郎! 馴れ馴れしく吾が名を呼ぶでない!」 「姫様、陛下……!」 「この愚か者め。家臣の分際で余の譲歩を拒むとは、それだけで死に値しようぞ」 「お止めください! なぜ、どうして!?」 「まだ分からぬか? この国において、余以外の存在は無意味であるということが。考 えてもみよ! 何故そちの祖が建国最大の功臣であったかを! それはな、余に敵わぬ からじゃ! より強いものが上に立つのが道理、それこそ正しき統治の姿であろう?」 「確かに、確かに! しかしだからこそ、上に立つものは下のものを慈しまねばなりま せぬ。力あるものが無きものを愛し、護ってこそ立つのが国ではありませぬか!」 「黙れ! まだ口答えするか愚か者!!」 そして兵士達が見たもの。 それは神子を中心に膨れ上がった爆発が、巨大な砦の半分を道連れにする阿鼻叫喚の 光景だった。 |
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暗い部屋で三人、ガタガタと震えて寄り添いうずくまる宰相達。 その耳に届いていた幾つもの爆発音と震動が、いつの間にか止んでいた。 ふと顔を上げる。 すると目の前に突然、光の粒が集まり始めた。 それは集約し、人の形を作る。 それは正しく「神の子」。 全裸のまま降臨した愛姫の姿だが、いかがわしい思いを抱くことなど微塵も出来ぬ。 三人とも、硬く引き締められた彼女の表情に畏れを抱き、それこそ頭をすり潰すほど の勢いで額を床の岩肌に押し付けた。 「戻るぞ、貴公ら」 は? 意味を理解できない三人。 「都に戻ると言った。準備せい」 「は……あ、あの、都はもう……」 すると愛姫は当然のように吐き捨てる。 「再建せい、余が戻るまでにな。……無論できるであろう? 貴公ら、都から必要なも のは全て持ち出しておるのだろうし?」 「は、ははい! ししかし、じ、時間が……」 「兵達がおるではないか。もう『奴ら』も『葵』もこの国には手を出さぬ。全てつぎ込 んで構わぬぞ」 「は、はあ……」 戸惑う宰相らに、愛姫はこれ以上ないというくらいの邪悪な笑みで告げた。 「当然、出来ような? 出来ねばどうなるか、幾ら無能な貴公らでもわかろう?」 そう言ってクックックと笑う愛姫。 いつの間にか現れた宮仕えの巫女達が、彼女の体に王の装束を纏わせている。 「は、ははーっ。この身に代えましても、必ず!」 三人が三人とも、全く同じ反応を示す。 絶対的な恐怖による支配。 よかろう。これで今後、少しはやりやすくなる。 そして愛姫は、さっきの爛(ただ)れた養殖場ではなく、本来の自室に戻った。 近くに誰もいないことを確認し、更に結界を張った後、部屋の鍵を閉めた。 室内を見回す。 そして、窓際にきちんと構える、もう随分大きくなった一匹の犬を見つけてようやく 表情を崩した。さっきまでの、恐怖で臣下を支配する狂皇ではなく、ついこの間まで普 通に見せていた、愛らしく儚(はかな)げな少女の顔に戻っていた。 「タケル……」 そして愛姫はタケルに抱きつく。その瞳に浮かぶ涙。 「ごめん、ごめん弥生ちゃん……ああしなきゃ、弥生ちゃんを助けられなかった……」 クウ、というタケルの鳴き声。わかってる、とその瞳が語っていた。 「タケルもごめん。あなたたちに、あんなことさせて……。わたしにはもう神子の資格 が無いのに、あなたたち『八百万(やおよろず)の神々』の力を使わせてしまった。そ うしなければ、群雲に納得してもらうことが出来なかった……ごめん、ホントにごめん ……」 タケルは何も言わない。ただ、これからどうするのという意識だけが聞こえる。 「うん、わかってる。神祖様があなたたちと結んだ契約も、これで終わり。もうわたし たちはこの国の支配者じゃなくなちゃった。だからあなたたちも好きにして。わたしが 言うのもなんだけど、もうこの国はあなたたちに護ってもらえるような国じゃない。だ から皆自由に、自分たちのためにこの土地を護って。国じゃなく、土地をね。大丈夫。 もうじき『奴ら』がこの世界を襲うことはなくなるから。……そのために弥生ちゃんに 生き延びてもらったんだから」 再び、クウというタケルの呟き。そうじゃなくて君は、という問いかけ。 「わたしは……償うだけ。残された短い時間の中で、わたしたちが犠牲にしてしまった 人たちが少しでも幸せに暮らしていけるよう、『国のカタチ』だけでも残しておかなく ちゃならないから。だってわたしは『人』だから。あなたたちが神々の論理に従って存 在するように、わたしも人として生きていかなくちゃならないから……」 だから、お別れよ。 愛姫は、そうタケルに告げた。 「でもね、タケル。これは私の最後のお願い。太陽国神子であった私じゃなく、小さい 時からずっと一緒に過ごしてきた、友達としての愛姫のお願い。……弥生ちゃんを護っ てあげて。せめてこの国から無事に出れるまで。私は平気だから、もう十分だから」 そして立ち上がり、部屋の奥の隠し倉庫を開く。 中から二つのものを取り出し、タケルに身に付けさせた。 「これももういらない。この国にはいらないもの。だからねタケル? あなたが持って いってね。お願い」 愛姫はそれ以上、何も言わない。タケルもまたそれを察した。 だからタケルは、いったん後ろを振り向き歩き始めた後、二度と後ろを振り返らなか った。 あっという間に、その姿が見えなくなる。 わかってるけど、寂しい。 わたしはこれで、二人しかいなかった友達を二人とも失った。 私はもう、独りだ。 なんて辛い。なんて苦しい。 でも耐えよう。これは罰。 わたしが、その無知故に犯した罪に対する罰。 それから逃げることは出来ないのだから。 ごめんね、弥生ちゃん。 わたしは死ぬまで、その言葉を繰り返すのだろう。 だってわたしは、死ねばそれで終わり。 なのに弥生ちゃんには、死ぬことすら出来ぬ苦しみを与えてしまったのだから。 だからせめて、この命尽きるまで、この苦しみに耐えよう。 この世界で一番大好きな、弥生ちゃんへの想いを胸にしまって。 ごめんね、弥生ちゃん。 |
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砦から山二つ先の渓谷を流れる川の水面。 全身傷だらけになった弥生が、うつろな瞳のまま仰向けに流されてゆく。 (い、いつき、さま……) (ふん、思い知ったかこの下種めが。ま、幼き頃からの友誼に免じて、命だけは助けて しんぜよう) (ひめ……) (不服か? ならばいつでも挑んできて構わぬぞ。ただし次は加減せぬ、当然な) (いつ……き……) (何処へでも行くがよい。群雲ももう要らぬわ。ぬしのような役立たずに居座られても 迷惑なだけだからな、はははは……) 泣いた。悔しいからではない。 恐いからだ。あれほど言われても、怒りを心に灯すことすら出来ない。 恐怖。絶対にあり得ないはずの「絶対の格差」が成立してしまう恐怖。 あれならば、まだ魔神と戦った方がマシだった。 人の心を持つものが「神」の力を振るうなど、あってはならないことなのだ。 どうするのだ、これから? 道が見つからない。 国も無くなった。友も失った。 そして、家族も。 (生き延びよ) その時、弥生の意識に残る父の最期の言葉が蘇った。 (そして、そして頼む。生き延びよ! どんなことをしてでも生き延びよ! 決して、 決して『葵』の銘を絶やしてはならぬ。それこそが我らが家の意義、宿命ぞ) そうなんですか、父上? 弥生は、これほどの苦しみの中で生きていかなければならないのですか? ここまでされても、「葵」として生き続けなければならないのですか? (そうだ。それが宿命なのだ) 宿命。抗うことの出来ない定め。 なんてこと。人として生まれてしまったがためにこんな目に。 憎い。人が憎い。人の作ったものが憎い。 父が、母が、家が。 民が、国が。 臣が、神子が。 愛姫が。 そして、自分が。 人が憎い。 なのに、それを捨てられない自分が憎い。 今尚、父と母と家と民と国と臣と神子と、 愛姫と自分自身を愛する、「人」という自分が憎い。 ならば生き延びよう。生き延びてやる。 その憎しみを忘れないために、その愛しさを忘れないために、 「人」として生き延びてやる。 そして弥生は、岸に上がった。 思ったほど傷は深くない。群雲のおかげもあったのだろう。 何処に行こうか? まず、この国を出るのが先か。 そして足を踏み出そうとしたその時。 「……タケル、お前も一緒に行く?」 いつの間にか目の前にいた成犬、いや、正しくは「狼」。 バウ、と彼は頷いて見せた。 「お前も、もうこんな国にいてもしかたないでしょ? なら一緒に行きましょう」 その時、弥生は少しだけ幸せな気分になれた。なぜなら、タケルの後ろでとても嬉し そうに微笑む、いつもの愛姫さまの姿が見えたような気がしたから。 そしてその幻が、バイバイ、と笑って手を振っているように見えたから。 ホント、憎たらしい。 こんな自分勝手な人間なんて、ホントに嫌になる。 そう思いながら、弥生は笑っていた。 これから毎晩私は、うなされ、つらい夢を見続けるのだろう。 でもこんな夢ならばいい。たまにはこんな夢でも見てみたい。 ね、愛姫様。 愛姫様も、きっとそうでしょう? わかってるんですよ、弥生には。 |
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「この人でなし!」 そう言われても、ココリコは母親に何も言い返そうとはしなかった。 だって自分でもそう思っていたから。 あの「優しかった」兄が、嘘のように呆気なく死んでしまったにも関わらず、自分の 目からは涙一つ出てきやしない。自分の頭にあるのは、兄が患った病気の原因や病状の 進行具合、そして治療の方法が適当だったかどうかという医者の卵としての思考と、後 日間違いなく発生するであろう、病院の後継ぎ問題に関する現実的な対処をどうするか という、自分でも醒め過ぎてるなあと思える考察だけだった。 大声をあげ、まるで見せ付けるかのように悲しみを誇示する母。 憔悴しきった表情で、自分の最大の財産を失ったことに落胆する父。 そんな両親たちを無視して、ココリコは兄が横たわるベッドに歩み寄った。 精気の失せた、白く透明感のあるその頬に指を触れさせる。 変な、感触だった。 人は、単に「死ぬ」というだけで人ではなくなる。 ここにあるのは、ただの肉の塊。 もうこの唇が自分の体を這い回ることも、自分を賞賛する言葉を発することも無い。 ココリコにはもう、兄という存在は無意味なものとなった。 そして初めて、クスっと笑う。 「もう」? 嘘ばっかり。 最初から、兄なんて無意味な存在だったじゃない? 無意味な存在が消滅して更に無意味になるなんて、それこそ無意味よ。 ココリコは笑ったまま、部屋を後にした。 さ、仕事が残ってる。急がなきゃ。 余計な時間使っちゃったな。取り返すの大変ね。 「この人でなし!」 さっきの母の言葉が、もう一度頭の中で繰り返される。 それがどうしたの? その人でなしを産み出したのはあなた御自身なのに。 ココリコは思う。 いつか私も母になるのだろうか? そして私もまた、自分の娘に人でなしなどと言ったりするのだろうか、と。 |
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私と兄は一つ違い。 幼い頃から家の跡取りと期待されていた兄はおよそ理想的な息子であり、兄だった。 両親は兄を溺愛する。 非の打ち所のない性格。整った容姿。 どこにいってもそつのない行動が出来る機転の早さ。 そして彼らが自慢したくなるのも仕方ないほどの優秀な成績。 そんな中、私が忌避されたわけではない。 私も家庭内においては理想的な妹だったし、家族も相応の愛情を注いでくれた。 非の打ち所のない、理想的な家庭。 外から見れば、我が家はそう見えたことだろう。 でもそれは嘘。単なる虚栄。 町最大の病院の長として、地元の名士としての地位を築くのに必死な父。 見栄とプライドに固執し、全てにおいて一流であることを要求する母。 そしてまともに感情の起伏を表さず、両親たちを醒めた目で見る私。 むしろ、兄だけがまともだった。 本当は気が弱くて機転も利かず、特に頭がいいというわけでなかった兄だけが、まっ とうな思考と愚直にさえ見える責任感に苛まれていた、普通の人間だった。そんな兄が 「理想的な跡取り」を演じられたのは、私がいたからに過ぎなかった。 兄は常に、私に依存していた。 落ち着いた性格は、私が常に後ろで支えていたから。 機転の早さは、私が事前に全て根回ししていたから。 優秀な成績についても、私が全て教えてあげたから。 兄の評価の全てが、実は私に依存するものであることを他ならぬ兄自身が一番よく知 っていた。だから兄は本当に私に優しかった。常に兄は私を立て、私を褒めちぎった。 両親が、周囲の人間達がどれほどそれを「謙虚」と誤解しようと、兄はそれをやめよう とはしなかった。私はしばしば思ったものだ。なんでそんなに損なことをするんだろう と? 知らん顔して自分の手柄にしてればいいのにと。私のおかげなんて言うたびに、 逆に私の方が恩知らずの傲慢娘って思われてたのに。 そんなふうに思う私にさえ、兄は常に優しかった。 それは兄の自己防衛のための狡猾な演技などではない。 彼は本当に純粋で優しすぎる、それゆえに愚かな人だった。 だから。 私が十五の時、兄が私を求めても拒絶しなかった。それが両親からじゃ決して得られ ない家族の安らぎを求めてであることはちゃんとわかっていた。それまでの依存の延長 であるにすぎないこともわかっていた。だから私は兄を受け入れた。兄はますます私に のめり込む。全ての判断を私に求め、全ての愛情を私に注いだ。 十八の時、私は兄に続くように見習い医師として父の病院に入る。 過酷な実社会のストレスに苛まれていた兄の依存は、更に強くなった。 そして半年後。破局が訪れる。 深夜、夜勤で一緒だった兄と私の情事を見つけてしまった母。 母は、ただ私だけを責めた。 兄をたぶらかし、悪の道に引き込んだのは全て私ということになった。 変わらぬ兄の強硬な弁護が、私の立場をより悪くしたことも変わらなかった。 私と引き離される兄。たちまち彼は精神と肉体の失調をもよおす。 そして病に伏し、あっという間にこの世を去っていった。 |
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「ココリコ様……この病院、どうなるんでしょうか?」 父の威光で医師扱いされている私に、私より年上の看護婦がへりくだった聞き方をし てくる。最初はうんざりしたが、もう慣れていた。 「別に。どうも変わらないんじゃない? 兄以外にも優秀な医師は多いし、病院の運営 に問題がでるようなことはないわよ」 「そうじゃなくって……。跡取りのお兄様が亡くなられた以上、ココリコ様が跡を継ぐ ことになられるのでは?」 「まさか。幾ら私が病院長の娘だからって、それだけで『何の能も無い』小娘に病院を まかせるようなことはないわよ。……あなただってそう思うんでしょう?」 うっ、と言葉に詰まる看護婦。 ふふ。正直ね。 「それに私、母に嫌われてるから。あなたももうじき、私のお目付けしなくても済むよ うになるはずよ。よかったわね?」 どういう表情をしていいかわからないまま、ペコっと頭を下げて逃げていく看護婦。 あれ、またやっちゃった。別に嫌味で言ってるわけじゃないんだけど。 本当によかったと思ってるんだけどなあ。 だって私みたいな嫌な女のそばにいたい人なんて、兄以外いるはず無いのに。 そんなことより仕事仕事。 もう時間無いんだし。 私には、他の人に構ってる余裕なんて無いの。 それは小さい時からずっとわかってたこと。 私は、神々に選ばれた封印の鍵。 いつか必ず、この世界を捨てなくてはいけない身。 だから、人が私を求めることは仕方なくても、私は決して人を求めてはいけない。 そうやって常に自分を律してきた。 自分以外の全ての人を、無機的な単なる「環境」としてだけ見てきた。 父も、母も、そして兄も。 そしてもうその時が迫ってきてるのがわかる。 だから私は、自分が存在したことに対する後始末をしておかなければならない。 兄が死んでしまったのは予定外だったけど、それで何が特に変わるわけでもない。 (ほんとうに?) ふと、そんな声が頭の中で聞こえた。 書類を整理する自分の手が止まる。 ペンを置く。手のひらを見つめる。 指先を見る。再び頭の中に響く声。 (ああ、ココリコ……なんて素敵なココリコ……) 兄の声に導かれるように、自分の指先を舌の先でそっと撫でる。 体の奥で、何かが疼いた。 知らず、指先が自分の股間をいじっていた。 感じていた。信じられなかった。 これまで一度も感じたことなど無かったのに。 兄がどれほど私を求めても、私は何も感じなかった。 ただそれじゃ兄が可哀想なので、感じている振りをしてただけだった。 その私が感じている。信じられないほど感じている。 指が止まらない。頭の中で繰り返し声が響く。 (ココリコ、愛してるココリコ……) イった。全身を貫く、凄まじい快感。 頭の中から全てが消えた。封印のことも、兄のことも。 そのままずっと、机にうつ伏せになって荒い息を吐くだけ。 突然、うっと息が詰まる。 それで堰が切れたかのように、ボロボロと涙がこぼれだした。 「うっ、ううっ。あ、ああ、うわあああーっ……」 声をあげて泣いた。 生まれて初めて、心の底から泣いた。 何故泣いたのか、ココリコにはわからない。 でも泣いた。泣き続けた。 彼女はそのまま、泣く事をやめようとはしなかった。 |
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「……は、ははは、あーはっはっは!」 ココリコが開いた扉をくぐる四人がまず最初に出会ったのは、その咆哮に近い笑い声 だった。四人の先頭に位置するのは、地の魔神「カバル」の制御因子を備えた中子を手 にするミコ。その姿を認めた三人目の「永遠の勇者たち」は、おかしくてたまらないと いったふうに笑い続けた。 それは、異様な光景だった。 長いぼさぼさの髪。体中黒く汚れ、衣服もボロボロのまま。 なのにその口から発せられる声は、間違いなく女性のもの。 よくよく見れば異相ではない。その整った顔立ちと、気が付いてみれば女性的な特徴 をとてもよく示している体の線から、こんな風でなければ相当の美女であることが伺え る。なのに彼女は、自分がそうであることを恥じもしなければ隠しもしない。 残りの三人が違和感に戸惑う中、冷静なままのミコが相手に声をかけた。 「突然のご訪問、失礼致します『永遠の勇者』様。私……」 そこまでだった。 突然笑い声が消える。同時に、彼女の姿も消えた。 セイルもシグルーンも、そしてジャンさえも彼女の姿を見失った。 (キイーーン) 火花とともに、ミコの前で甲高い金属音が走る。 その時やっと、さっきまで笑っていた女性がミコに切りつけていたことを知る三人。 そしていつの間にかミコが例の中子から光り輝く剣を伸ばし、彼女の攻撃を凌いでい た事も。 合わせた剣を振り払うミコ。 宙に浮いていた相手の女性が、そのまままるで体重など無いかのようにふわっと後ろ へ着地する。そして剣の構えを解かないまま、再び笑い始めた。 「は、ははは。あーはっはっは。間違いない、間違いないぞ!!」 「何が、ですか?」 同じように光剣を構えながら、ミコは問い返した。 「まさか『ミコ』が来ようとはな! それも『群雲』を連れてか。これは傑作だ、あー っははは……」 なんでこの女性、ミコの名前を知っているのだろう? 彼女も先の勇者同様、外のことを承知しているのだろうか? ところが続いたミコの言葉に、セイルたちの方が驚いた。 「私は貴方の求める『ミコ』ではありません。私は春日弥呼。単なる巡り合わせでここ にいるだけの普通の人間です」 「戯言を言うな! 『春ノ日ヲ弥ク呼ビシモノ(ハルのヒをアマネくヨびしもの)』の 名を受け継ぎ、群雲さえ従えし者が常人なものか!? 第一!」 その瞬間、再び彼女の姿が消えた。 幾ら目を凝らそうと、セイルたち三人にはその動きが掴めない。 なのに。 (キ・キ・キーン) 半呼吸の合間をもって三連打された金属音。 左、右、そして上段と打ち込まれた彼女の剣を、ミコは悉く打ち返したのだ。 「見よ! 我が奥義を『群雲に拠らず』弾こう者など『ミコ』以外に存在し得ぬわ!」 「違います! 私はただ、ここの『空気』に貴方の『癖』を聞いただけです!」 「それこそが『ミコ』に他ならぬではないか! 問答無用、死ね!」 今度こそはセイルたちにも彼女の動きが見える。 だがそれはとんでもないものだった。 何と数十人に分裂した彼女が、あらゆる方向から一斉にミコに襲いかかった。 高速移動による残像現象なのはわかる。でも彼等の誰一人としてどこに「実体」がい るのかを判別することはできなかった。これではさすがにミコも危ない。そう思った時 点で既に手遅れだった。 数十の残像が、同時に幾太刀もの攻撃をミコに打ち付ける。 ミコの体が、数百の破片となって飛び散った。 「ミコーッ!!」 シグルーンの叫び。 最悪だ。我々は最大の戦力を失ってしまった。そう思った時。 飛び散ったはずの肉体が、透明な水滴となって一箇所に集まっていく。 そして渦を巻くように水柱を作り上げる。 その回転が弱まっていくと、突然パンっと弾けた。 そこにいたのは、傷一つ無いミコの姿。 「チッ。貴様、よりによって『ミコ』を護ろうというのか? ああ『群雲』よ?」 代わりに答えたのは、当然ミコだった。 「この子は貴方と戦いたくないと言ってます。剣を引いてくれ、話を聞いてくれと」 「話? 一体何の話があるというのだ!? 共に国を追われた身、復讐あたりが似合い こそすれ、馴れ合いなど以ての外であろう!」 「違うんです、『それ』は……」 何? 『それ』って何だろう? 突然、膨大な量の圧縮された「情報」がミコの頭の中に叩き込まれる。 (あっ……) 自我が吹き飛ばされた。当然である。他人が数年をかけて体験した全ての事実を一瞬 で投げ付けられたのだから。どんなに聡い人間であろうと、相応の時間をかけねばその 顛末を咀嚼できまいに。 「……お願い、戦うのをやめて……」 朦朧とした意識の中、ただそれだけを口にするミコ。 だがその女性は、歪んだ笑い顔のままそれを拒んだ。 「断る!」 「……なぜ、どうして?」 「貴様などには決してわかるまい、この身の苦しみなどな! 一千年の孤独がどういう ものか、貴様らなどにわかってたまるか!!」 もちろんだ。何も言えず口を閉ざす一同に、彼女は続けた。 それは凄まじい恨みの言葉。呪文にさえ聞こえる、怨念の結晶。 「最初の百年が過ぎた。 私をここから出してくれる人がいたら、私はその人を王にしようと思った。 でも、誰も私を助けてはくれなかった。 二百年が過ぎた。 私をここから出してくれる人がいたら、ありとあらゆる願いを叶えようと思った。 でも、誰も私を助けてはくれなかった。 四百年が過ぎた。 私をここから出してくれる人がいても、三つの願いしか聞いてやらないと思った。 でも、誰も私を助けてはくれなかった。 そして、千年が過ぎた。 私は思った。 もし私を助けるような奴がいたら、私はそ奴を絶対に殺してやる、と」 彼女は、涙を流していた。 一体誰が、この言葉に反駁しえよう? 「そしてついに扉が開いた。私は狂いそうになった。でも誰かがやってくるのがわかっ ていたから、自分から外に出るのは我慢した。この数ヶ月の苦しみは、過去一千年分に 匹敵しようぞ。そしてついに外から開かれた扉の先、そこにいたのが……」 涙に濡れる悲しみの瞳が、歓喜の光に満たされた。 「お前だ! 私をこんな地獄に堕とした張本人が、自分から現れてくれた! こんな嬉 しいことはない。お前なら、お前であればこのまま命を失ってもいい。お前が私の死神 であるならば、喜んでこの命を捧げよう。その代わり、お前にも絶対に同じ所に堕ちて もらう。我が全身全霊を懸けて、お前を殺してみせよう!!」 目を閉じて、一千年の怨念に身を晒していたミコが、ゆっくりと瞳を開いた。 そして眼前の女性に、優しく語りかけた。 「わかりました『弥生ちゃん』。私が貴方を救います」 その瞬間、弥生の顔から一切の感情が消え失せた。 そしてほっとしたような、ようやく重荷から解き放たれたような笑みを浮かべた。 「そう、弥生として殺してくれるんだ。葵じゃなく、弥生として」 「勿論です。群雲が私の手にある以上、貴方は向日弥生なのですから」 「礼を言う、ありがとう。……これで心置きなく、お前を殺せる」 「どうぞ。私のすることは一つですから。……セイルさん!」 「は、はいっ!」 「援護、お願いします。宜しいですね?」 「……勿論です。いつでもどうぞ」 その言葉を聞いて、ミコもにこりと笑った。 「四人ですけど、構いませんね?」 「ああ、何人こようと同じだ。どうせお前には八百万の味方が付いてるんだしな」 「……行きます」 ミコの手にする光剣が、じわっと光を増した。 |
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仰向けに横たわる弥生。 その傍らに膝をつくミコ。 「本当に、本当に長い間、ご苦労様でした。もうこれで終わりです。どうかごゆっくり お休み下さい」 「……神子……いや、ミコと申されましたか……?」 「はい。弥生様?」 「最後に一つ……願いを聞いてはくれませぬか?」 「どうぞ。何でも」 「私を、抱きしめて下さい……最後に……ほんの一時だけでも」 にこっとミコは笑い、弥生の上体を自分の膝の上に乗せる。 そして優しく弥生の額をぬぐい、そこに優しくキスしたあと、自分の胸に弥生の頭を 抱きしめた。 「……愛姫、さま……」 「なあに? 弥生ちゃん?」 「弥生は、やっと愛姫様のもとへ行けるんですね」 「……そうだよ。またみんなであそぼ。タケルも待ってるよ」 「はい、でも遅くならないように。母君に怒られますよ?」 「大丈夫。だって弥生ちゃんがあやまってくれるから」 「まったくもう、いつきさまったら……ふふふ……」 ミコは、ゆるゆると伸ばされた弥生の手を取り、優しく指と指を絡めた。 「いつき、さま……ありが、とう……ごさい……」 そして、場から一切の音が消え去った。 優しく床に弥生の体を横たえ、ミコは立ち上がる。 そして振り返り、ココリコに言った。 「……お願い、します」 「うん」 「ありがとうございます。……さようなら」 「さようならミコ、セイル。……そして、みんな」 そしてミコは、逃げ出したい気持ちを必死で抑え、二人の最期を見取ったのだ。 |
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「終わった? ミコ?」 「はい。全員、ご無事です」 「そう」 素っ気無く頷くリムリア。 ミコにも分かってる。全員無事なんかじゃない。もうココリコは戻ってこない。 そして。 「あ、そうそう。手紙と荷物が届いてるよ。ミコ宛て」 「私に?」 「うん。え〜っと、サンダース教授って言ったっけ? ミコたちがアドレイアでお世話 になった人って? その人から」 「まあ」 一通の封筒と、小さな包み。 気を利かせたようにいそいそと部屋を出て行くリムリアに感謝しながら、ミコは封筒 の中から便箋を取り出した。 案の定、いつも通りのお説教が続く。知を追求するもの、常に謙虚な気持ちを忘れて はならないとか、弟子は師に感謝の気持ちを忘れてはならないとか。どちらかというと 私に対してよりシルヴィアさん向けのお話ね、と苦笑いしていると、急に文面の調子が 変わった。 『……ところで先日の事だ。変わった客が私の所を訪れた。 妙に寝苦しい夜だった。深夜、しつこく扉を叩く音に仕方なく鍵を開けると、そこに いたのは、なんと『彼』だったよ。シルヴィア君からその話を聞いていたから、彼のよ うな存在が実在することを疑いはしなかったが、それでも流石に驚いたな。 ただ、シルヴィア君の話とは少し印象が違ってての。なんというか……いや、こうい う風に言ってよいのか分からぬが、やけに老衰した印象だった。足取りも重かったし、 確かに威厳は合ったのだが、瞳がやけに優しすぎてな。よく目にする、上手に年老いた 老人の目に見えた気がしたのだ。 彼は何をするでもなく、ただ二つの飾りだけを置いて帰っていった。その後、二度と 現れなかったよ。この二つを私なりに調べた結果、君に渡した方がよかろうと思ってこ の手紙と共に送ることにした。これがなんなのか、まあ私とて考古学者の端くれだから 私なりの結論を出してもいるが、どうであれこれは君に渡すべきだと確信する。これは 間違いなく、『彼』から君への贈り物であろうからな。 ただし一つだけ言っておこう。これが何なのかは君が答えを出すべきものであるが、 それに拘泥する必要は何一つ無いという事だ。我ら考古学者は過去の遺産を発見し発掘 し、それを保存すべく奔走するが、それは歴史学的な価値をそこに認めるからだし、後 世に正しき判断材料を残すべきだという学術の徒としての義務感からに過ぎぬ。たとえ 『それ』が太古の昔に王の頭を飾り、王の権威の象徴として威光を放ったものだとして も、それが現代において同じ価値を示すものではありえないということだ。これは単に ノスタルジックな感傷に過ぎないのだよ? モノはモノでしかない。同様に、今の君は 今の君でしかないのだからな。賢明な君の事だ。私の杞憂など取るに足らなかろうが、 まあ年長者のお節介と思って聞くだけ聞いておいてくれたまえ。 それでは失礼する。たまには私のところにも顔を見せたまえ。 人を先生と呼んでおいて無視するなど、生徒の風上にも置けぬぞ? それではな。体に気をつけて頑張りたまえ。 ***年*月*日 アドレイアにて チャールズ=サンダース』 ミコは読み終えた便箋を丁寧に畳み直し、封筒に戻した。 それを額に当て、どうもありがとうございます、と胸の中で礼を言った。 そして、視線を包みの方に移す。 中に何が入っているのかは、もう察しがついていた。 だから包みを解いた中に入っている二つのものが、小さな銀の円盤と、恐らくは翡翠 (ひすい)で出来ているのであろう、小さな勾玉(まがたま)であったことにも特に驚 きはしなかった。 腰掛けていたベッドから立ち上がり、衣装棚の奥にしまっておいた荷物を引き出す。 旅袋の一番底、ここに来る前、婆やから渡されていた衣装を取り出した。 代々伝わる、成人の証の衣装だと言っていた。 死ぬ前に一度でいいから、お嬢がこれを着た姿を見たいとも言っていた。 ミコは恐る恐る、その衣装に着替えなおす。 今の自分の体型にぴったりの寸法と仕立て。 不思議な感覚に導かれ、ミコは教授から送られた二つの品を手に取る。 「玉」を額に飾った。 「鏡」を胸の前にぶら下げた。 そしてもう一度中子、いや『天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)』を手に取った。 自らを、部屋に用意されていた姿鏡に映し出す。 そこにいたのは、さっき群雲に押し付けられた映像の中の一つにあった少女の姿。 弥生が微笑みながら愛姫と呼びかけた姿。 葵が跪きながら神子陛下と言上仕った姿。 ミコは、湧き上がる感情を抑えきれず、剣を投げ捨てた。 額飾りも外し、首飾りも捨てた。 たまらず、衣装さえも脱ぎ捨てた。 「違う、こんなの違う!!」 弥生の言葉が蘇る。 『我が全身全霊を懸けて、お前を殺して見せよう』と叫んだ呪いの言葉。 あれは果たされてしまった。 弥生は自らの命を捨てて、『春日弥呼』という少女の人格を殺したのだ。 今のミコの中には、群雲から渡された愛姫と弥生の記憶と感情が混在している。 群雲と繋がった事により、その全てを「自己の体験」として体得してしまった。 今の自分の中に、かつての「ミコ」と呼ばれた少女は見つけられない。 いるのはわかってる。でも「ミコ」だけだった自分にはもう戻れない。 なんと凄まじき呪いであろう。 これが魔神に関わりし者の辿る末路か。 シグルーンが、リムリアが。 そして自分が。 助けて、セイルさん。 こんなの、もう沢山です! そんな叫びも、もう誰にも届かない。 残るはあと二人。悲劇の終幕は目前に迫っている。 |
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2002.8.6 The Second Chapter, 3rd Story : |