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「あん、ああっ、あああーーーっ」 薄暗い室内に響き渡るシグルーンの声。ぶるぶると体を振るわせながら彼女は、胎内 に打ち付けられる愛しい人の熱い迸りを感じていた。 ハア、ハアと、耳元で優しく繰り返されるセイルの吐息。 シグルーンは彼の髪を両手で梳きながら、快感に溶けてしまいそうな意識の中で、彼 の熱い肉体と重みを全身で受け止めようとしがみ付いた。 (幸せ……) 一体何を幸せと呼ぶか、実は誰にもわかりはすまい。 でもその時、シグルーンは自分が幸せだと信じていた。 だからこそ。 この時が来ると、薄々察していたからこそ、シグルーンはセイルと共にショートラム に「帰って」きたのだ。 「……シグ?」 「……なに、セイル?」 シグルーンには、セイルが何を言いたいかわかっていた。 「手伝って、くれますか?」 幸せだった。 彼女にはそれが、自分自身と愛する人を地獄の業火に晒すことだとわかっていた。 それでもシグルーンは、セイルが自分にそれを言ってくれて幸せだった。 「はい。あなたが望むなら」 始まりは既に終っていた。 これからは終りが始まる。 |
| 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 〜〜 第二章 〜〜 〜 第二話 〜 「贖(テイシン)」 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 |
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その頃、ショートラムの町にとある噂話が広まりつつあった。 「ねえ、聞いた?」 「うん。でも、ホントのトコどうなの?」 「あたしの聞いた話じゃ……」 「えーっ? あたしはこうだって聞いたよ?」 「なになに、何の話?」 「あ、久しぶり。あのね、実は……」 噂はあっという間に町中を席巻した。 「えーっ、幽霊!?」 「なーんだ、その手の話か」 「それが馬鹿にできないの。もう見たって人、私の知り合いだけで三人もいるのよ」 「酒場のおじさんの話だと、十人を超えたって」 「やだ……ホントなの?」 「ホントだってば。ね、リリスも見たんでしょ?」 「うん……」 「きゃーっ、教えて教えて、どんなだったの?」 「ん……あのね……」 取るに足らない話だが、誰一人として聞き流すことのできない話だった。 「一週間前の夜にね、たまたま神殿跡の前通ったの」 「夜中に何してたのよ一体?」 「彼氏とおデート? きゃはは」 「んもう、茶化さないでよ。でね、そしたら廃墟の奥から……」 「廃墟って……あそっか、あの地震で崩れたんだっけね」 「そう。あんなトコ誰もいないはずなんだけど、突然」 「……(ゴクッ)」 「叫び声が聞こえてきたのよーっ!」 『キャーーーッ!!!』 「やめてよーっ」 「冗談でしょっ?」 「冗談に聞こえるかもしれないけど、ホントなのよ! あたしだって思い出したくない わ。まるでケモノか何かが殺されるような……ヤダヤダ、思い出すだけで寒気がする」 「ちょっとぉ、マジで?」 「でね、それで終わりじゃないのよ。あたし足が震えて、しばらくそこから動けなかっ たの。そしたらね、遠くからカツン、カツン……って、足音が聞こえてくるのよ」 「あわわわ……」 「月明かりを背にしてたから良くわからなかった。でもあれだけははっきり見えたわ。 その人ね……手に、血のしたたる生首抱えてたの!!」 『『キャーーーーーーッ!!!』』 「……あたしホントにワケわかんなくなっちゃって、もうその後の記憶が無いの。次の 日、自分ちのベッドで目覚めた時は、ああよかった、夢だったんだなって思ったのに」 「ホントにユメ、だったんだよね?」 「次の日学校行ったらレナが休みだってんで、帰りにお見舞いに行ったのよ。そしたら 彼女、前の夜に全く同じ幽霊見たって言うのよ! あたしショックで、そのまま気を失 っちゃったの……」 なぜならそれは、噂の出所となる場所が場所だったからである。 「この前の地震で、トラム山の神殿って潰れちゃったんだよね」 「神官の人は、中に誰もいなかったから犠牲者はなかったって言ってたけど」 「それね……実は嘘なんだって。少し前まであの神殿、盗賊団やら殺人犯やらの溜まり 場になっちゃってて、それで立ち入り禁止だったらしいよ? だからホントはあの地震 の時、そんな連中がみんな死んじゃったんだって」 「うそーっ、それじゃリリスたちが見たのって!?」 「うん。ああいう連中って業が深いから、こんな死に方すると化けて出るんだってさ」 「じゃあ……ホントにホントなわけ!?」 「多分ね……」 「そんなのヤーっ! 今夜彼と会う約束してるのにぃ!」 「何よそれ? 自分が夜遊びしてんじゃない?」 「あ、ヤベ」 「こらっ、白状しろ! 相手は誰だぁ?」 「言えないわよ〜。特にセシルには……あっ、ンむ」 「特にあたしには、って……まさか!」 「じゃ、じゃあね。また明日ーっ」 「逃げるなーっ、あんたジルと何やってんのよーっ!」 「……なんだかなあ、アレ」 「いいわね能天気は。こっちは本気でブルーだってのに」 先年来続いていた異常にこの地の神殿が関与していたことは、公にされてはいないも のの、ショートラムの住人にとっては自明のことだった。だがそれは不確かな情報源と 好奇心旺盛な庶民の口伝によって、二割の真相と八割の妄想に彩られた「ホントの話」 として流布されていたのである。 だがそれも過去の話となった。結末は突飛だったが、異常の終息と日常の再来の中、 人々は過去を過去として忘れ去る賢明な姿を見せ始めていた。その矢先だった。 異常事態にある時の方が、人は口を噤む。 だが日常は、人の心の唇を滑らかにする。 そしてショートラムの町は、奇妙な興奮に包まれていった。 でもそれは所詮、平和な日常が保証された世界の、小さな刺激でしかない。 でもそれは所詮。 平和な日常が保証されていると意味も無く信じられる世界での、小さな刺激だった。 |
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「あれ、ジーマもいたの?」 「おっひさ〜、リム。仕事は?」 「え? うん、母さんがいてくれるから最近あんまりやることなくて……って、こっち が先だった。お邪魔するね、エリ……あ、あれ? エリスンどこ?」 「ふふっ。あそこあそこ」 そう言うジーマの指差す先は、奥に並んだ書庫の合間の薄暗闇。 二人の会話などまるで耳に入らないかのように、分厚い本に見入るエリスン。 そう、ここは彼女が勉強部屋として使っている離れの一室だった。 「エリスンごめんね急に。ちょっと話があって」 「う〜ん、ちょっと待ってて……う〜ん……」 一向に顔を上げもせず、リムリアたちには意味不明の文字列をなぞり続ける彼女に、 くすっと苦笑いの二人。変わらないね、と声には出さずに頷きあって、少し声を小さく しながら会話を続ける。 「ジーマこそ、どしたの昼間っから?」 「こっちも相変わらずなの。いい加減わっかんないかなあ、親父?」 「ってことは、また見合いの話?」 「……そりゃあね、本気でぼくのことを考えてくれてる所もあるってわかるよホント。 でもさあ、だったらなんで相手が全部金持ちや貴族とかの息子なわけ? 結局ぼくの縁 談にかこつけて自分も得したいだけなんだよね」 「……くすっ」 「笑い話じゃないんだってば」 「違うのよ。気付いてないのかな? またジーマの『ぼく』が復活してたから」 「……あ」 それに合わせるように、パタンという本を閉じる音が響く。 「精神分析学的に言えば、自分を女性という枠に閉じ込めようとする環境に対する反抗 意思の現れってトコね。みんなで旅してた時には『女性である自分』を拒否する必要が なかった、というより『女性である自分』を喜んで受け入れていたから、自然と一般的 な女性的一人称を用いていたんじゃないの?」 読書に没頭しているようで、この耳聡さ。 相も変わらぬ難物ぶりのエリスンである。 「ちょっとエリスン? 勝手に決め付けちゃ駄目よ。ねえジーマ……え?」 「……」 「ジーマ? ……ほら、ジーマ怒っちゃったじゃない?」 「ううん、違うよ。自分でも納得できちゃったから。……そうだね。確かにぼく、みん なと一緒に旅してた時に初めて、自分が女の子でよかったって思えた気がする」 「ジーマ……」 「大変だったけど、辛かったけど……もう二度とあんなこと繰り返したくないとは思う けど……でもきっと幸せだったんだろうな、あの頃のぼくは」 「今は、違うの?」 「昔のような、どうしようもない苦しさってのは無いよ。でも逆に、もうあれ以上幸せ な時は二度とこないんじゃないかっていう寂しさを時々感じるんだ」 エリスンのボソっとした呟き。 「お祭りが、終わったのよ」 「……お祭りだったら、次の年になればまたやってくるじゃない。でもあれは、きっと 一生で一度あるかないかの貴重な『瞬間』だったんだって思う」 瞬間。まさにその通り。 今現在が一瞬で過ぎ去るように、過ぎ去った過去も全て一瞬で括られてしまうのだ。 「あんなことが一生に二度や三度もあるようじゃ、この世界なんて終わりよ」 ぶっきらぼうなエリスンの言葉。でもその中に、ジーマの言葉に同調するかのような 切なさが伺える。そしてエリスンは、まるでその思いを振り払うように、意図的に声の トーンをあげてリムリアに問い直した。 「で? 話ってなに、リムリア?」 「あ、そうだった。……って、エリスンなら察しがついてんじゃないの?」 「セイルに話は聞いたの? あれってあっちの管轄でしょ?」 「う〜ん、それがねぇ〜。なんか話しづらくて。先にこっちに相談したかったから」 なんの話よ、と割り込むジーマ。 「あれ、聞いてないの? 例の幽霊話?」 「あ、なるほど。その話ね。……セイルの管轄ってのはどういうこと?」 「聞いた話じゃ、出どこが全部神殿の近くだしね。当然セイルの方にも町の人から話が 行ってるはずだし」 「なら早いじゃない。さっさと聞きにいけば?」 「だからそれがねぇ……。どう言ったらいいのかなぁ? ねえエリス……」 と彼女の方を見ると、エリスンはそれまでいた場所から更に奥へと移動し、戸棚に並 ぶ膨大な量の本の背表紙を指でたどっている所だった。 「エリス〜ん! お願いだから話聞いてよ?」 「わかってるわ。なに心配してんだか想像はできるけど、直接本人に『確かめてみる』 以外仕方ないじゃない?」 「それが簡単にできるんだったら、わざわざ相談になんかこないわよ!」 「ったく。リムといいシグといい、なんでそう変な所で不器用かなあ?」 話についていけないジーマが、首をかしげながらリムリアに尋ねる。 「確かめるって? それになんでシグの話になるの?」 う〜んと苦い顔をしてエリスンに助けを求めるリムリアだったが、背を向けたままの エリスンの姿から、自分で話しなさいよと言われているのに気づいて、諦めてジーマに 説明を始めた。 「つまりね。はっきり言っちゃうと、今回の一連の騒動、セイルがまた何かやってんじ ゃないかってこと。しかもそれにシグも荷担してるんじゃないかな、ってね」 「ええーっ?」 「シグの様子はどうなのよ? リムんとこの宿にいるんでしょ?」 やっぱりわかってんのね、としかめっ面でエリスンを睨むリムリア。 「昼間はおかしなとこないわよ、でも夜になるとね。普通の人には絶対わかんないでし ょうけど、皆が寝静まるのを見計らって、物音一つさせずにどっか行ってるみたいよ。 で朝、皆が目を覚ます前に戻ってきてるわ。さすがと言うか、相当寝不足のはずなんだ けど、全然そんなそぶり見せてないから、父さんも母さんも全然気付いてないのよ」 「でも、リムに気付かれてることくらいわかってんじゃないの?」 「それとなくそっちの方に話を持ってこうとすると、すぐはぐらかすの」 「決まりね。白状してるようなモンじゃない」 「でもさ……最近のシグ、ちょっと近寄りがたい雰囲気だから問い詰められないのよ。 ねえ、どうしたらいいと思う?」 う〜んとようやく状況を理解し、腕組みしながら考え込むジーマ。 だがそれとは対照的に、エリスンは素っ気無く言い放った。 「だからセイルに確かめるしかないじゃん。シグよかは話できるでしょ?」 「できるの!? あたしはっきり言って、クーロン出てからほとんどまともにセイルと 話できなかったのよ!?」 「それはリム個人の問題よ。セイル個人の問題に責任転嫁してるだけじゃない」 「……やっぱきっびしいなあ、エリスンって」 「そこまではっきり言わなきゃ何もしないじゃない、あんたたち?」 「だったらエリスンはどうなのよ? 自分でどうにかしようとは思わないの?」 戸棚から引き出した分厚い本のページをめくりながら、エリスンは一度だけそう問い 詰めるリムリアの方を振り向いた。そしてしばらくの間、まるで初歩の足し算さえもわ からない学生を蔑むような目でリムリアを見つめた後、再び本に視線を戻して呟いた。 「それは、今のあたしの役目じゃないわよ」 リムリアはこれ以上エリスンとの会話が続かないことを察し、苛立ちを隠さないまま 立ち上がった。そんな彼女に、恐る恐る話し掛けてくるジーマ。 「ぼく、付き合おうか?」 「……お願いするわ、ジーマ」 引きつった笑みを浮かべてお礼を言うリムリア。 二人は連れ添って離れを出る。暇乞いをしたのはジーマだけだった。 静寂を取り戻した室内。 腕に抱えていた本の背表紙を閉じたエリスンは、それを棚に戻すと、チラっと机の上 に投げ出されている封筒に目をやった。 「手遅れになる前に頼むわよ、シルヴィア……」 封筒から半分外に出ている便箋の冒頭のタイトルは、こう読めた。 『五魔神の特性と制御に関する考察(第三校)』 |
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かつての静かな活気を取り戻したショートラムの中央通りを並んで歩く二人。 「ねえ? ジーマはあの後、セイルとなんか話、した?」 「あの後って、クーロン脱出後のこと?」 「うん」 う〜ん、と息を漏らしてうつむき、無言で首を横に振るジーマ。 「あの時の落ち込みようは酷かったからね」 「よっぽど、ライザを助けられなかったのが堪えたんだろうな」 「……みんなが別れてったのも、あれがあったからなんだろうね」 「あれだけじゃないとは思いたいけど。正直、あたしだってあの時のセイルと一緒に帰 るのは嫌だったわよ」 「……ぼくが『ぼく』に戻っちゃったの、実はセイルのせいかもね?」 ジーマの苦笑いにつられるように、リムリアもふふっと笑いはした。 でも今ジーマが言ってしまったことこそ、セイルに付いてきた少女たち全員が思い知 らされてしまった事実なのだ。 結局セイルは自分たちの誰も「特別の人」として選んでくれなかったのだという事実 である。 もちろんセイルは、自分たちが彼の隣にいることを拒みはすまい。 彼にはそれを受け入れてくれる「優しさ」がある。それは十分承知している。 でもそれは自分たち全員に対して同等に与えられる優しさなのだ。 セイルが自分たちを「女」として抱いてくれたこと、それ自体に嘘はない。 恐らく彼は、自分に従ってくれた女性たち全員を心から愛している。でも彼はその中 に、「自分がこの人から愛されたい」と思う女性を見出せはしなかった。 相手の思いを乞うという「恋」の延長に、思いを与える「愛」があると言う。 だが与え続けるだけの「愛」にも、それを埋め合わせる「恋」が必要ではないのか? 結局セイルは、自分たちを「恋(乞い)」てはくれない。恐らくは永遠に。 それでは辛い。人は愛し愛される以上に、恋し恋されたいものだから。 だから幾人かの少女たちは、自らセイルの元を離れたのではないか? 「セイルって、ライザに『恋』してたのかな?」 「もしかしたら初恋だったのかもよ」 「ふふっ、覚えてる? グナガンの目覚める前、二十枚目の石版を地下一階のパネルに 埋め込んだ時のこと。あの時のセイル、ものすごく嬉しそうだった。あたしね、あの時 セイルがぼそっと呟いた言葉、今でも覚えてるんだ」 「なんて言ってたの?」 「『やっとあなたに会える』って。セイル、だからあんなに頑張ったんだよね」 「……ねえ、リム?」 「なに、ジーマ?」 「『あたし』たちって、馬鹿なのかな?」 その瞬間、リムリアは愕然とした。 唐突に、一年前の会話が脳裏に浮かび上がったからだ。 (ううん、単にわたしが馬鹿なだけよ。ただの意地っ張りなだけ。 サフィルさんも 言ってたけど、自分の言葉に背けない、不器用な生真面目人間なのよ) そっか。シグ、あなた、そうだったんだ。でも……。 「それじゃ辛すぎるだけじゃない、シグ……」 「え?」 「え? あ、違うの。そういう意味じゃなくて。って、あれ? 何言ってんのかしら」 「……クスッ、いいよ別に」 二人はそのまま、無言で歩き続けた。 お互いに、心の内で自分たちの愚かさを噛みしめながら。 そしていつの間にか、廃墟となった神殿入り口にたどり着いていた。 すぐに人の姿が見つかる。 それが誰かわかって、二人は思わず安堵した。 「おーい、ハンナーっ!」 大声をあげて手を振るジーマに気付いた彼女が、とことこと小走りで近づいてくる。 「久しぶり、ジーマ、リムリア」 「おひさ、ハンナ。……ねえ、セイルいる?」 「セイル? 今日は詰め所のほうで仕事してるかな」 「あ、そうなんだ。あとシグは? こっちの手伝いしてるんでしょ?」 「シグルーンは山の奥へと回ってる。裏手の方の状況を見にね」 「そうなんだ。……どうする、リム?」 ジーマが無言で、先にどっちにするのと訊いているのがわかる。 「もちろん、セイルからね」 「ん、わかった。あ、ごめんねハンナ、お仕事中に。ぼくたちちょっと、セイルに話が あったから」 「いや。ちょうど私も戻るところだから。一緒に行く?」 「そだね。じゃ行こうか」 「うん」 ハンナが先に立って案内してくれる。ジーマとリムリアはそれに従って歩き出した。 ふと、何の気なしに後ろを振り返るリムリア。 幼い頃から見慣れていた、霊峰と呼ばれる壮麗な山の姿はもうどこにも存在しない。 総ては変わる。永遠などありはしない。 大自然でさえそうなのだ。増してや人の想いは。 リムリアは、思い出となった「過去」の先にいる自分に気付いた。 |
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「大変みたいね、神殿の再建」 「はい。でも皆さんが手伝ってくれてますから」 「ぼくたちにできることがあったら何でも言ってね」 「ありがとうございます、ジーマさん」 かろうじて倒壊を免れた外宮の一つ。 セイルとパッティの四人は、ここを補修して現在の生活の場としている。 「再建もそうだけど、今度正式に大神官の任命を受けるんでしょ?」 「ええ、おかげさまでと言いますか」 「やっぱりマーティス様の下で?」 「はい。私のような若輩者には異例のことですが、恋愛神直々の要請ということで認可 が降りました」 「凄いよね。でも能力から言ったら当然だよ」 「人界天界両方への貢献でもね」 「それは結果論です。……でも幼い頃からの夢でしたから、叶えることができて本当に 嬉しいですね」 ちょっと照れた顔をして、セイルはカップのお茶をすする。 リムリアとジーマは、彼が本当に心から喜んでいるのだと知って安堵した。 天界32神。 絶対神フラドを頂点とし、恋愛・知恵・力など15の属性を象徴する神々によって統 治される、現世支配ヒエラルキーの頂点に位置する神族世界。そして彼らの地上におけ る代理人として、各属性に付きただ一人だけ存在することの許される「真の大神官」。 人の身でありながら神の力を世に示し、人々の信仰を一身に受ける存在。 すなわちセイルは、人間社会における最高権威の一人となるのだ。 (ちなみにDALKの位置付けであるが、序列としてはフラドと30人の神々の下に位 置する。一般的に絶対神フラドが他の属性とは異なる「単性神」であるとされることか ら、そのバランスをとるために加えられた神であるとの見方が多い。また一説に、彼女 はフラドの妻であるともされ、各属性の女性神の頂点に位置する存在だとも言われる。 だが現在、人界にDALK神殿は存在せず、代行者としてのDALK大神官も存在しな い。数十年に一度、この世に真の慈愛を示したとされる少女が直にDALK神からその 力を与えられ、伝説の軍神「DALK」として世界の危機を救うという伝説が流布して いるが、実際にその姿を見ることのできた者はほとんどいない) 「おめでと、セイル」 「ありがとうございます」 「でも、ちょっと寂しいかな。なんだかセイルが遠くの人になっちゃうみたいで」 ジーマの正直すぎる感想を咎めるリムリア。 「ジーマ! 駄目よ、そんなこと言っちゃ」 「わかってるけど……でも、嘘はつけないよ」 「ん……」 リムリアの沈黙が、彼女もジーマと本心が同じであることを暴露する。 当然それは、セイルの察するところとなった。 「ごめんなさいリムリア。ごめんなさい、ジーマ」 二人はギョッとした。なぜなら、こんな風に自分たちを呼び捨てにするセイルは初め てだったからだ。 「結局私は、あなたたちの献身と犠牲を踏み台にして、自分一人だけ、自分の夢をかな えたようなものなのですよね」 「セイル!?」 「ぼくたち、そんなこと言ってるわけじゃない!」 「ええ、もちろんわかっていますよ。あなたたちがそんな風に思うわけないってこと、 この私が一番よく知っているんですから」 リムリアとジーマ、二人の胸が高鳴る。この時セイルが浮かべた微笑みは、『自分を 抱いてくれた時のそれ』と同じだったからだ。 「ごめんなさい。でも私は、あなたたちを『本当に』幸せには出来『なかった』」 まるでさっきの二人の会話を、想いを直に聞いていたかのような答え方。 そう。セイルも答えを出していたのだ。それが彼女達を悲しませるものだとわかって いても、彼はその答えを選んでしまった。だからごめんなさいと言ったのだ。 そして、だからこそセイルは、二人の名を呼び捨てにした。 彼が彼女たちに示せる、紛れもない真の愛情の徴として。 「だから」 突然、セイルが居住まいを正した。 同時にその表情が、温かみのない、まるで能面のような硬いものに変貌した。 「これ以上、あなたたちの力を借りるわけにはいきません」 愕然とするリムリアとジーマ。 これは『拒絶』だ。いや、むしろ『別離』と言うべきか。 |
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『このひとは、本気であたしたちを捨てようとしている』 |
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「なんで!?」 重なる二人の叫び。だがその後が続かない。 なんであたしたちを頼ってくれないの? なんであたしたちを愛してくれないの? なんであたしたちを信じてくれないの? それならなんで! 二人の感情が混沌の渦に巻き込まれていくその時、まるでこの時を待っていたかのよ うに、一人の女性がセイルの背後に現れた。 「リム、ジーマ。これ以上、セイルを構わないであげて」 そうよ! それならなんで? なんであたしたちを捨てて、シグルーン『だけ』そばに居させてるのよ!? 「セイルは今、なすべきことのために全力を尽くさなければならないの」 ガタン! ジーマが椅子を蹴り倒して立ち上がり、シグルーンを睨みつけた。 ぶるぶると震える握りこぶし。 「シグ……あんた……」 クスっ。 「っ!?」 突然、ジーマの怒気が消散した。 不思議なシグルーンの微笑みだった。 まるでチャーム(魅了)の魔法でもかけられたかのよう。 「落ち着いて、ジーマ」 あれ? あれれ? ぼく、一体『誰』と話してるんだろう? 戸惑うジーマの袖を引くリムリア。うん、と素直に椅子に座り直すと、今度はリムリ アの苦虫を噛み潰したような表情に気付いた。 そうか! これがさっきリムの言ってた『近寄りがたい雰囲気』って奴だ。 ニコニコと、何が楽しいのかわからないけど微笑み続けるシグを改めて見直す。 そして、ハッと気付いた。 (何……何なのよ、この『艶』は……?) まるで絹のカーテンのように滑らかに揺れる長い緑の髪。 目尻からにじみ出てくる、本当に淡い桃色をした視線の光。 薄紅色の薄い唇はしっとりと濡れ、全てを優しく舐め尽くすよう。 首筋やうなじから覗ける白い肌は、清流を満たす雪解け水の如き透明さ。 胸を高々と誇示する乳房の膨らみと、適度に締まった腰元との美しい対比。 そして女性の美しさそのものであるかのような優しい曲線を描く、腰からの脚線美。 ゆったりとした白いローブで慎ましく包んでいても、溢れんばかりの艶は隠しようが なかった。 (これって……ホントにシグなの? これが今のシグルーンなの?) 確かに、元々美しいと言って差し支えない娘ではあった。 だが今の美しさは異常だ。危ういほどの美しさだ。 まるで、破滅の前の美しさだ。 ジーマは、その言葉を思い浮かべた自分に驚いた。 でもどうしても、その言葉以外の形容が思い浮かばなかった。 戸惑いつつも、何一つ行動を起こせないジーマとリムリア。 場が落ち着いたのをみて、シグルーンがゆっくりと頭を下げた。 「リム、ごめんね黙ってて。気付いてるのはわかってたけど、でも今は事を変に荒立た せたくなかったの」 「言いたい事はわかるけど。でも結局、これだけの騒ぎになっちゃってるじゃない?」 「騒ぎっていっても、まだ単なる噂話よ。それにセイルから上の人たちに話は行ってる し、じき収まるわよ」 えっとセイルの方を見る二人。 そこには、さっきまでとはまるで違う人物がいた。 若さに似合わぬ威厳にあふれ、まさしく人々の偶像となるに相応しい青年。 愛の大神官、セイル=ウォルサム=フェルナンデスがそこにいた。 「でも……ううん、それじゃそっちはいいわ。だったら!」 「さっきのセイルの言葉を忘れたの? セイルは自分で事を成す、と言ってるわ。もし あなたたちが本気でセイルのことを思ってくれてるなら、彼の選択を尊重して」 「ちょっと待ってよ! じゃあシグはどうなの!?」 相変わらず無表情のまま、ぴくりとも表情を変えないセイル。 同様に、微笑みの仮面を付けたまま、淡々と答えるシグルーン。 「私は、セイルに雇われてここにいます」 「雇う? なによそれって? あたしたちはそんな関係じゃ……っ!?」 リムリアは気付いた。そうか、その手があったんだ。 たとえセイルの「特別な人」にはなれなくても、彼のそばに居続けたいのなら。 そして直後、もう一つの事実にも気付く。 「シグ?」 「なあに、リム?」 「あなた、それでいいの?」 「ええ」 ふう、とため息のリムリア。そして次にセイルに向かって尋ねた。 「セイル、お願いがあります」 「なんですか? リムリア=キャラウェイ?」 「私も雇ってくれませんか? バルキリーとしてお役に立てると思いますが?」 ジーマが再び立ち上がって叫んだ。 「リム!?」 しかしリムリアの瞳は真剣だった。それでもセイルは無表情のまま、彼女の瞳を正面 からしっかり見据え、答えた。 「お断りします」 「何故ですか?」 「貴方では、力不足です」 リムリアの頭の後ろから背筋を伝い、四肢に冷たい震えが走る。 悔しさ、だと思った。 彼女がその生涯で体験した、最も強い感情だった。 リムリアはゆっくりと、セイルの傍らに立つシグルーンを見た。 やはり笑っていた。 優越の微笑みではなかった。 憐憫の微笑みでもなかった。 それは素直に、愛する人への思いを表現する微笑みに他ならなかった。 リムリアには、セイルの断りの理由が恐らく嘘ではないと分かっていた。 それでも彼女は、振り絞るように次の言葉を発した。 「わかりました。でも、一つだけお願いを聞いて下さい」 「なんでしょう?」 「手伝うとは言いません。でも、一度だけで結構です。貴方たちが何をしているのか、 それを見せて頂けませんか?」 「……生命の保証は出来ませんが」 「結構です。あたしにもプライドがありますから。自分の身を守るくらいのことはして みせます」 セイルは視線を動かし、傍らのシグルーンの顔を見上げた。 彼女はゆっくりと頷く。それを見てセイルは再びリムリアに向き直った。 「いいでしょう。今夜、シグルーンと一緒にこちらへ来て下さい」 ようやく和らぐセイルの表情。 それに釣られるように、ジーマも胸に手を当てて叫んだ。 「あ、あの、セイル! ぼくは……ううん、私も同行させてもらえませんか?」 くすっと笑って、彼は頭を縦に振った。 そのまま、外宮を辞すリムリアとジーマ。 二人を見送りにきていたシグルーンに、リムリアがぼそりと尋ねる。 「シグ、本当にこれでいいの?」 「答えはでちゃったもの。あの人は決して、私のものにはならないから」 「だからって!」 「でも、私はあの人のものになれるの。そしてあの人はそれを認めてくれたわ」 その心の底から嬉しそうな微笑みに、ついにリムリアの感情が爆発する。 「バカッ!」 パアン。一瞬、周囲の空気が弾け飛ぶ。 リムリアは、それこそ渾身の力を込めて、シグルーンの頬をはたいた。 なのに彼女は、微動だにせず、笑ってそれを受け止めた。 本当なら、十人を一瞬で叩き潰せるほどの凄まじい衝撃だったにも関わらず。 駄目だ。あたしじゃ敵わない。この娘はもう、一歩を踏み出してしまった。 まだ迷ってるあたしじゃ、絶対に勝てない。 「シグ、晩御飯八時までだからね! 遅れないでよ!」 「うん」 リムリアは必死で涙をこらえながら、その場を立ち去った。 繰り返されるジーマの問いかけも聞こえない。 いつ自分の部屋に戻ったのかもわからなかった。 後ろ手に閉じた扉に背を預け、ようやく自分ひとりになったことを知る。 急に、右手が痛み始めた。手のひらを目の前にかざす。 赤く腫れ上がった右手が、そこにあった。 リムリアにはわかっていた。 さっきセイルに拒絶された時の感情が、悔しさではなく嫉妬であることに。 泣いた。声をあげずに、声を枕で必死に殺して。 それが、彼女の最後の意地だった。 |
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リムリアとジーマには、眼前で繰り広げられる地獄絵図が夢物語に思えた。 そもそも、ここがかつて制覇した地下迷宮であることすら信じられなかった。 迷宮は地下一階を残して全て埋もれてしまったと聞かされていたが、確かにそれは事 実だった。エレベータは全く使い物にならず、地下一階に行くのにも、エレベータがあ った縦穴を降りる他なかった。 (セイルたちがショートラムに帰ってきて初めて判明した事実、それは彼らがクーロン で第四の魔神を倒したその時、既にグナガンは『地下二階』まで到達していたという事 だ。仲間たちの封印を悟ったグナガンが最後に見せた底力は凄まじく、正真正銘、本当 に危機一髪だったのである。結果、地下二階以下の全ての層は、ライザのもたらした力 の奔流と共に、グナガンごと全て崩れ去っていたのだ) では、今彼らがいる場所はどこか? 紛れも無く、ここもかつてトラム山地下の迷宮だった場所である。 先の章で述べたが、元々この地下迷宮は四次元の連結を成している。かつて存在した エレベータは、各層を行き来する通行手段というよりも、各層を繋げるチェーンのよう なものであったと考える方が正しい。 例えれば、自転車のロックなどに使われるナンバー錠のようなものである。この錠は 設定された番号に穿たれた穴が通じて開くようになっている。この一直線に通じた窪み がエレベータに相当すると考えればよい。一つ違うのは、各桁の設定番号が開くたびに 変わってしまうという所だ。すると各フロアの最深部にあったレバーとは何か? それ は、次の階が存在するアドレスへのポインタなのである。実体としてのアドレス(番地 =場所)はエレベータの使用毎に変化するが、百階に存在するレバーは「必ず百一階の アドレスを示すようになっている」のである。背後にあるアルゴリズムがどうであれ、 ポインタの並びを確保しておけば前後の連絡は確実にできたというわけだ。 そして今、このポインタデータベースは失われている。 ならばどうやって、かつて地下迷宮であった場所に移動できるのか? 答えは、パッティの五名が再臨した壁のパネルにある。 最『後』の時、ライザはセイルたちにこう言った。 (私の紋章は、トラム山地下一階とつながっています。そこに流し込むのです) つながっている場所とは、かつてライザが再臨した中央のパネルに他ならない。 そしてここから魔神の力が地下のグナガンに流し込まれたのだ。 即ち、ここもまた地下へのポインタなのである。 正確に言うと、「地下にいたグナガン」へのポインタである。 セイルはショートラムに戻り、真っ先にかつてライザのいたこの場所を訪れた。 そして再び、奇蹟の名札をつけた必然に出会う。 この場所から、地下迷宮「跡」に移動できたのである。 これは何を意味するか? ライザの持つポインタが「生きている」ということだ。 それは、ライザの生存の可能性を示唆する。 セイルが次に何をしようとするか、言うまでも無かった。 しかし問題がある。迷宮跡に移動は出来たが、そこにライザはいなかった。どうやら 迷宮崩壊の際にポインタチェーンの混濁が生じたらしく、かつてのフロア連結は完全に ロストしていた。999階分の広大な時空間が、全く規則性の無い、バラバラのパズル ピースになっているというわけである。 もう一つ。崩壊直前この迷宮は魔神たちが呼び込んだ妖獣で満たされていた。結果、 壁も床も天井も、膨大な数の妖獣が固まって出来た、破壊不能なクリスタル状の物質で 埋め尽くされていたのである。この空間を探索し、ライザへの道を繋げるにはどうする か? 妖獣を再生し、かつそれを倒して、前に進むしかないのだ。 言葉で言えば簡単だ。 高々、万単位の妖獣を再生して倒せばいいのだ。 それにこいつらは、せいぜい魔神の右腕程度の力しかない。 そしてほぼ一千階分の破壊的に混乱した時空間の中から、人一人探し出すだけ。 単に、「100%無理」とは言わないだけの「無茶」をするだけだ。 リムリアとジーマが見たもの。 それが、この絶望的な無茶だった。 |
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「あたしが力不足なわけ、よくわかったわ」 「ごめんねリム。ホント言えばあなたの助けも欲しいのよ。でも」 「うん。あたしじゃ『前に進めない』ものね。どうしようもないわ」 妖獣の体液と自らの流した血にまみれながら、シグルーンはにこっと笑った。 妖獣を再生させるには、対象に微量の魔力を注入してやる必要があった。クリスタル 状になることで物理衝撃に対するほぼ完璧な耐性を得た妖獣だが、別に死んでいるわけ ではない。自己の内部に魔力のコマ(独楽)を回転させ続け、そこに自らのエナジーを 蓄えたまま冬眠状態になっているのだ。そこで軸に微妙な魔力を当ててやると、回転が ぶれて半永久回転が解ける。即ち生命エナジーが開放されて妖獣が目覚めるのだ。 これは元々、グナガン再臨の時に邪魔者を排除するためのトラップとして仕掛けられ たものらしかった。今となっては無用の長物だし、危険な妖獣を閉じ込めてくれてると 思えばむしろありがたい所だったのだが。 「いつもこうやって、一人ずつで?」 「うん。今の地下迷宮、迷路っていうよりパズルだからね。人手が無い以上、なるべく 手分けして道を見つけるしかないのよ」 「……セイルも一人なんだ」 「これまで通りパーティ組めばって思うかもしれないけど、見ての通り、少しでも危険 を減らす為に最小限の数だけ相手をしようと思うと、とてもパーティが展開できるスペ ースが確保できないのよ」 「それに一対一の方がやりやすいのかな?」 「相手も動きが制限されるしね。……でも結局最後は消耗戦になっちゃうわ」 それは今のシグルーンの姿を見れば一目瞭然だ。彼女だからこそ人目に付かない程度 の外傷で済んでいるが、彼女をもってしてもこれほどの有様になる状況だとすれば。 「それにワープ地点がどこにあるのかわからないし、行き先がどこかもわからないの。 今の所大丈夫だけど、確実に帰れる道があるかどうかもわからないわ。慎重に、でも最 後は力ずくでどうにかするしかないの」 「……ねえ?」 「ん?」 「エリスンとかには話したの? 魔法使いとしてなら……」 「勿論、話だけはしたわ。でも彼女、断ったの。私も止めるつもりだったし」 「なんで?」 「彼女の力じゃ妖獣は再生できても確実に倒せる保証が無いわ。シルヴィアやルーがい たとしても耐久力が足りない。……ミコだったら任せられたかもしれないけどね」 「じゃああたしとエリスンが組めば? 二人だけならなんとかなりそうよ?」 「それが出来ればね。ここのワープゾーン、時々一人だけしか飛べない大きさがあるの は覚えてるでしょ? 飛ぶたびに行き先が変わっちゃう状況で複数人のパーティは組め ないわ。結局、一人でどうにかする力がある人以外、絶対無理なの」 はあ、と心底残念そうに息を吐くリムリア。 「わかったわ。……ありがとね今日は。あたしたち案内するんじゃ無理できなかったで しょ? 探索も進まなかったみたいだし」 「うん、でも今となってはあなたたちの了解を得ておいた方がいいって、セイルも言っ てたから」 「ホントだよ。力になれないのは残念だけど、教えておいてくれればぼくたちだって横 からのフォローは出来るんだから」 同行していたジーマの言葉に、頭を下げるシグルーン。 「ありがとう、そしてごめんなさい。でもあまり大っぴらに手助けしないであげてね。 今そうされちゃうと、セイルまた重荷に思っちゃうから」 「そうは言っても、いくらなんでも二人だけじゃ……」 「ハンナたちが色々助けてくれてるのよ。それに探索だって二人だけじゃないわ」 「え?」 三人は地下一階のパネルの前へと戻ってくる。 「お帰りなさい、平気でしたか?」 「はい」 そこにはセイルがいた。やはりシグルーンと同様に、多くの死闘を繰り広げた後なの が一目瞭然の姿だった。そして彼の前にリムリアが歩み出る。 「セイル、ごめんなさい。確かにあたしではお手伝いできそうにありません」 「いいえリムリア。貴方のそのお気持ちだけで十分です」 「でも、でしゃばるつもりはないけど、もし何か、他に手伝えることがあったら。どん なことでもいいわ、何でも言って。お願い」 セイルはそれに言葉で答えず、ただニコリと笑うだけだった。 その時、シグルーンが後ろを振り向いて言った。 「セイル、『彼』も戻ったようです」 「『彼』?」 リムリアとジーマが不思議な顔をした。 さっき言っていた、「二人だけじゃない」ってこと? でも誰? あたしたち以外にそんなことできるような人、この世にいるの? 「そうでした、紹介してませんでしたね。ああ、でも……」 ポロン。突然鳴り響くリュートの音。 え? リムリアは一瞬シグを見たが、彼女は何も持っていない。 「……うそ! 何で? 何であなたが!?」 そう呆然と目を見開いたまま呟いたのはジーマ。 「ジーマさんはご存知なんですよね。ええ、『彼』です」 あまりに場違いな、リュートを奏でながら一同に近づく青年が頭を下げた。 「お久しぶりですね、ジーマさん」 「何でよ、何であなたがここにいるの!? 『ジャン』!」 ジャン? もしかしてそれって、ジーマたちがアドレイアで会ったっていう? でも確か彼って、ただの吟遊詩人だったんじゃ? 「初対面ですよね、リムリア? 彼はジャン=オーレリア。今回私たちの手伝いをして もらっています」 「初めまして、お嬢さん。どうぞ気軽にジャンとお呼び下さい」 「あ、はい。こちらこそ初めまして……って、でもどうして? あなたって確か?」 リムリアとジーマの戸惑いに答えたのはシグルーンだった。 「大丈夫よ。力は保証するわ。だって私でも勝てなかった実力者だもの」 「え?」 「彼は世界を旅する吟遊詩人。そしてただ一人の、男性の『DALK』よ」 二人はそれ以上、何も尋ねることができなかった。 |
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私が「それ」を初めて見たのは、10歳の時だった。 とある剣術道場の師範の娘に生まれた私は、幼い頃に母親を亡くし、厳格な父親の元 で跡取りとして育てられたためだろう。男勝りで女としての慎みの欠けた、粗暴な性格 に育っていた。門下生たちが家のことをしてくれたせいもあって家事の能も無く、ただ 悲しいかな本当に父親から受け継いでしまった剣の才能ゆえに、自ら進んで一流の剣士 を目指す修行に明け暮れていた。 周りの者は皆、それを良しとしていた。 自分自身もそう信じていた。自分はこれでいいのだと。 だが、ただ一人、それを認めようとしない少年がいた。 その洟垂れ坊主は、純粋に強さに憧れる少年だった。剣に対する情熱だけなら確かに 私を凌駕していたかもしれない。けれどがむしゃらに突っ走るだけの、師の教えになか なか耳を貸そうとしない不合理な修行では、剣の腕がそう簡単に上達するはずも無かっ た。 同い年の彼と私は、しばしば剣を交わした。でも彼は、一度も私に勝てなかった。仲 間の少年たちに馬鹿にされ、その都度頭に血をのぼらせながら私に向かってきた。でも やはり、彼は私に一度も勝てなかった。全く進歩の無い、単調で力任せの攻撃を繰り返 すだけの彼の剣は、情けないほど強さを感じさせない、相手をするのが馬鹿馬鹿しくな るくらいの脆弱なものだった。 そんなある日のこと。 ついに百連敗を喫した彼は、試合の後に突然竹刀を投げ捨て、素手で私につかみかか ってきた。無論、素手での組み手も教えの中にあったから、苦笑いしながら私は相手に なろうと自分も竹刀を手放した。今になって思えば、絶対負けない相手だからと慢心が あったのだろう、自分が何でも出来る気になりながら、いつも通りの突進を迎えた。 すっと、彼の動きを見切って紙一重で避けたはずだった。 でも私は、どんな間違いがあったのか、思いっきり道場の壁に吹き飛ばされていた。 意識が遠のく。 そして私は、どうしてその時だったのかわからないまま、不思議な夢を見た。 その夢の中で私は、初めて「真の恐怖」を知った。 目が覚めると、横に彼が正座していた。ごめん、と彼は言った。剣で勝てないから手 を出すなんてなんて卑怯だろう、と言って何度も何度も頭を下げた。その目に光るもの を見た気もした。 なのに私は、何も答えられずに目を閉じた。 今見ていた夢のせいもあった。 けれど本当は、自分が恥ずかしくて何も言えなかったのだ。 自分は、自分が一番強いと思っていた。一番強くなれると思っていた。 でもあの夢を見て、自分で思い描いていた強さが無意味なことを思い知った。 逆に、自分の枕もとで正直に言葉を紡ぐ彼の方が「怖く」なったのだ。 翌日、やっと心の整理がついた私は、彼の姿が見えなくなっているのに気付く。 父親が言う。彼は両親と共に遠くの町へ旅立ったと。 昨日のあれは、彼の最後の試合だったのだと。それに勝てなくて彼はあんなことをし てしまったのだと。 その日以来、私の剣の腕は全く上達しなくなった。 子供から大人への成長期にあったことも理由だろうが、型や理論はともかく、男性た ちから一方的に引き離される基礎体力の差は、実際の剣の破壊力やスピードを、私には まるで太刀打ちできないものへと変貌させていった。 やがて私は剣への情熱と自信を失っていく。 最初失望の表情を浮かべていた父も、所詮は、という言葉で片付けてくれた。 むしろそれは、私にとってありがたい仕打ちだった。 染み付いてしまった男口調こそ直りはしなかったが、私はようやく、自分が女である という自覚を持てるようになっていたからだ。 あっという間に、私の歳は二十を超える。 父の持ち込む婿養子話を断り続ける毎日。私としてはこの道場を守ってくれる人なら 自分が外へ出てその人に家に入ってもらえばいいと思っていたが、流石にそれを納得し てくれるような親は、この父でなくてもそうはいまい。 本当を言えば、別のもっと切実な理由もあった。 あの「夢」と、それに伴う危機感が私を苛んでいたのだ。 自分は理由も無く、「あれ」がやがて私をあの世界に引きずり込むと悟っていた。 だから私は、父に悪いと思いつつ、自分が家を継ぐ立場になることを拒んだのだ。 そしてついに、神々の思惑が我が身に及ぶ時がやってきた。 それは父が痺れを切らせた時を見計らったようでもあった。 父が私に試合を命じたのは、神が私を召還した次の日。 父は言った。もしこの家を出たいなら、この試合に勝ってみせよと。 それが叶わねば、この相手と結婚し、家を守れと。 私の心は既に決まっていた。即座にそれを了承する。 父と相手には悪いが、私はもうこの世界にはいられない。 勝とうが負けようが、私の身の運命は定まってしまったのだ。 まもなく試合の日がやってきた。 まさに封印となる日でもあった。 そして私は、運命の皮肉を知る。 試合の相手は、あの少年だった。 前日、顔合わせをした青年は、嬉しそうに笑みをこぼして私に言った。 また君と試合が出来ると。 君がどれだけ強くなったのか楽しみだと。 その瞬間、私は、彼に恋をした。 幼い頃の楽しかった思い出もあろう。 でもそれ以上に、彼は真に強い人間になっていた。 憧れた。尊敬した。嬉しかった。……この人と共にいたかった。 自分の中に強烈なジレンマが生じる。 ここに留まりたい。世界を救いたい。 どうすればいいのか、まるでわからない。 定まらぬ心のまま、試合が始まる。 数合の打ち合いの後、彼が突然剣を下ろした。 一体何を考えているんだ? 彼はそう問い掛ける。 私は答えられない。 僕が戦いたかったのはそんな君じゃない。 わかってるそんなこと。 第一、今の私は君と戦えるほど強くない。 僕は君に勝ちたかったのに。幻滅したよ。 ちょっとまて。 何でそこまで言われなくてはならないのだ? 今の君に勝っても仕方ない。君との結婚もお断りだ。 よく言う。あの洟垂れ坊主が。 いいだろう、そこまで言うなら本気になってやる。 ……。 私は、勝っていた。 彼はまた、私に勝てなかった。 父は呆然としていた。 私も呆然としていた。 なんでだろう? 何で「今」勝ててしまったんだろう? そんな私に、彼は素敵な微笑みで握手を求めた。 嬉しいよ。君はやっぱり凄い人だった。 僕もまだまだだね。でも修行のしがいがあるな。 うん、その時になったらまた試合してくれ。頼むよ。 私は、生まれて初めて心の底から涙を流した。 その日の夕刻。 修行に行こうとする彼を呼び止め、私はこの道場と父を託した。 あなたには十分その力があると、私は身勝手を承知で頼んだ。 君が一緒なら。彼は言う。 ごめんなさい。私は言った。 理由は話せない。でも私は、もうここにはいられないから。 長い沈黙の後、彼は頷いた。 いいよ。でもきっと、いつかきっと、ここに戻ってきて。 僕は待っているから。 ……私は罪を犯した。 彼の一生を犠牲にする嘘をついた。 だから私も、自らの存在をこの世のために費やす。 報われることなど何一つ無くていい。 そうでなければ私は、 自分が愛した人さえ誇れなくなる。 「ハンナ、僕は君を待っている。約束だよ」 これほどの愛に、一体何を捧げよう? |
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ほどなく、ショートラムの町は平穏を取り戻した。 正式に大神官となったセイルの言葉もさることながら、ジーマが自ら父親に騒動の収 拾を依頼したことが決定打となった。愛娘からの滅多に無い「パパへのお願い」に小躍 りして奔走した親馬鹿ぶりが話題になったが、彼とて町の有力者として町政運営に関わ る人間である。宿場町として、門前町としてのショートラムがこれ以上混乱していては 自らを含めた町全体の利益にならないのだ。 「で、『パパ』から何かお返しねだられなかったの?」 「やめてよリム……ああ、ホント馬鹿なことしちゃった、ぼく」 リムリアの部屋に逃げてきたジーマは、頭を抱えてうつむいた。 クスクスと笑うリムリア。 「てことはやっぱり?」 「ううん、全然。見合い話は相変わらずだけど、強制はしてこないよ。そのことも特に 何も言わないし」 「ならいいじゃない。これまで通りで」 「それが違うんだ。親父ったら今度は見合い相手に『ウチの娘は私をパパと呼んで慕っ てくれてるんですよ』なんて言ってるらしいんだ。おかげで、親孝行の可愛らしいお嬢 さんなんですねなんてふうに言われちゃうんだよ、このぼくが!?」 アハハハ。リムリアが大声で笑う。 笑い事じゃないんだってば、というジーマの声も耳に入らない。 「全く……セイルのためだからって、失敗したなあ」 「……ジーマ?」 「わかってるよ。……それにホント言えば、そんなに嫌でもないし。ただそういう顔を ぼくがすると、親父がはしゃぎまわるのが見てられないだけ」 「ふ〜ん。でも随分マシになったんじゃない、ジーマの方もさ?」 「認めたくはないけどね」 二人は一緒に町へ出る。 それは、二人が幼い頃から見慣れていたそのままの町の姿だった。 「やっと、落ち着いたね」 「活気も戻ってきたよ。神殿が無くなったのは痛いけど、逆に今度は新大神官の評判が いいからね」 「全く……セイルも無理ばっかりなんだから。昼間ぐらいゆっくりしてればいいのに」 「それこそ無理だよ。だって昼間の方が『本職』だよ?」 「だからって、今のままじゃホントに命に関わりかねないのに」 「でも、ぼくたちにはこれ以上何も出来ないし」 「そうね。こんなもの届けるくらいしかできないんだよね、あたしたち」 リムリアは胸に抱えた籠の中を覗き込む。 アリーヌと一緒に焼いたたくさんのお菓子。 そう、今の自分は、こんなちっぽけなことしか出来ない。 共に目を伏せ、無言になって神殿跡へと歩を進める二人。 するとその耳に、楽しげな音楽と子供たちの笑い声が聞こえてきた。 すぐ先の角の向こうからだ。 (どっち?) 二人は同じくそう思い、そして同じく憂鬱な気分になった。 リムリアは彼女の顔を思い浮かべ、ジーマは彼の顔を思い浮かべたから。 「ああ、ジャンの方か」 ジーマの残念そうなつぶやきに思わずほっとため息を漏らすリムリア。 覗き込むように顔を上げた彼女が見たのは、近所の子供たちと戯れる吟遊詩人の姿。 同じ吟遊詩人でも随分違う。 リムリアはそう思わずにいられない。 シグルーンのそれは、美しい演奏と歌を売るものだった。 観客はそれに聞き入り、安らぎと慰労を得て帰っていく。 逆にジャンのそれは、楽しく語らう場を共有するものだ。 顧客は彼と共に遊び、心地よい高揚を得て帰っていった。 なじみの子供たちが帰っていき、共に神殿跡へと向かう足取りの中、リムリアはふと それを尋ねてみた。 「どちらでもいいんですよ。彼女は技術に優れ、私は会話が得意なだけです。それぞれ の売りで商売をするだけですから。飲み屋だって居酒屋もあれば女の子との会話を楽し む酒場もあるし、宿屋だって旅宿もあれば情事用の宿も……っと、失礼いたしました」 「ううん、そっか、そうだね。でもあたし、吟遊詩人って演奏や歌が第一だと思ってた から」 「彼女と一緒に長くいたらそう思うでしょうね。実際、彼女の演奏と歌は絶品ですよ。 世界中捜しても、彼女に匹敵する使い手は五人といないでしょう」 「そんなに凄いの、シグって!?」 「私ほどの会話上手も、世界に三人といませんがね」 「はいはい、話半分に聞いときます。つまりシグはBest10に入れるかどうかって ことでしょ?」 「お、いいですねそういう反応。まあ技術面で何一つ問題ないのは確かです。あくまで それだけですけど」 「なんか引っかかるよ、その言い方」 「『巧い』と『良い』は別物だということです。譜面を完璧に再現しても、それは基本 でしかありません。不思議なもので、人は微妙なずれや意図的な外しにこそ人間的な魅 力を感じるものなのです。要は、いかに魅力的な『人間らしさ』を表現できるかなんで すね」 「あんまりきっちりやりすぎると、機械みたいでつまらないってこと?」 「その通り。特に今の彼女はそうでしょうね」 この人、って。 「思うに、昔の彼女の方が魅力的だったんじゃないかな?」 「そうですか? 今のシグ、女のあたしから見ても凄く綺麗ですけど」 「ふふふ。肖像画ってあるでしょう?」 「はいっ?」 「人の顔は、必ず左右に微妙なずれがあるんですよ。でも上手な肖像画家はそれを修正 して実際の顔より幾らか綺麗に見えるように出来ます。美しくするコツとは左右のバラ ンスをとることなんですね。人の美意識は完璧さに比例するんです」 「あの、それってさっきまでの話に矛盾しません?」 「完璧と無駄の違いです。人間らしさの本質とは『無駄』だということですよ。完璧は それだけで美しく、美しいものはやっぱり美しいものですから」 リムリアは返答に窮したが、それでも思ったことを口にした。 「今のシグには、無駄が無いということですか?」 「人間としてのね」 それは即ち、余裕が無いということか。 「……東の国で偉い人がシグに言ってました。完璧だった父親を真似るなって。あれも そういうことなのかな?」 「彼女は才能に恵まれてはいますが、その才能を磨ききってしまったんですよ。自分の 全てを常に全放出してます。あれは疲れるでしょうね。まあDALKという職業の属性 が『献身』ですから仕方ないことですが」 「じゃあDALKを辞めればいいってこと?」 「というより、八分の力を全力と出来ればいいんです。例えばあなたたちのお仲間だっ たミコさん、彼女などは未だ五分の力も出していませんでしたね」 「嘘! だってあの子の魔力は……」 「彼女の才能は人間のそれを極めてます。もし彼女がDALKの職について十分な経験 を積んでいたら、少なく見積もっても私とシグルーンさんを足した以上の力を発揮でき ていたでしょうに。正直惜しいものです」 リムリアは青年の横顔を凝視する。 そして一息ついてから尋ねた。 「ジャンさん? あなた、一体誰なの?」 「DALKですよ。私とて、人の力を極めた境地にいる者ですから」 それはわかる。でも何か違う。 なんだろう? 気付かなきゃいけない気がする。 「時がくればわかりますよ」 それで間に合うの? リムリアは言葉に出来ない。 だが、その時気付けたとしても、既に手遅れだった。 運命の輪は、既に軸の限界を超える速度で回転していたのだ。 |
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セイルたちが地下の探索を再開して、半年が過ぎた頃だった。 いつものように妖獣との死闘を終えたシグルーンが、ふと目を上げる。 そこに、それまでとはなんとなく違う光を発した転移ポイントがあった。 体力も魔力も尽きかけ、普通ならこの日は撤退するところだったが、まるでその光に 魅入られたかのようにシグルーンは足を前に進める。 転移魔方陣の上に立つ。 もう日常となった、どこか地の底へと落ちていくような浮遊感。 なんとなく、いつもより長い間落ち続けていくような気がした。 足が地を踏みしめる感触が戻る。 ゆっくりと目をあける。 そこに、扉があった。 扉には紋章が刻まれていた。 パッティの封印、その弐。 ハンナの持つものと同じ形に見える。 ただしその、黒と白の位置が反転しているところだけが違った。 シグルーンの肩から力が抜ける。 目を伏せ、胸の中の息をゆっくりと吐き出す。 そしてお腹の中に気を溜め直し、もう一度目の前の紋章を見直した。 「とうとう、見つけたのね」 シグルーンは、次に起こる悲劇の意味を知っていた。 でも今の彼女は、それがもたらす結果を無視できる意思の強さを備えていた。 今から私は、地獄の釜の蓋を開ける。 きっと私は、最愛の人を地獄に堕とす。 でもいい。私も一緒に行けるから。 目を閉じ、紋章に手をかざす。 口の中で小さく、この時のために与えられていた呪文を唱える。 辺りに光が満ちていくのを、閉じたまぶたの先に感じた。 いつもの落下の感覚がくるかと思ったが、今度はこなかった。 なのに、改めて目を開けると、そこは地下一階のパネルの前だった。 ハンナの閉じ込められていたパネルの前だった。 「道が、通じた……」 これで私たちは、いつでもあの扉の前に行ける。 「次の満月は……三日後。体を休めるには十分ね」 そのまま何も考えず、ただ呆とパネルの前に立ち尽くすシグルーン。 どれほど時間が経ったのか。やがて背後に人の気配を感じる。 「……見つけたんですね、シグ?」 最愛の人の声に振り向く。 そこにあったのは、半年以上前にクーロンで見たのと同じ笑顔。 ライザと共にいた時見せていたのと同じ、この人の心からの笑顔。 なのに、今は不思議と、嫉妬という名の高ぶりがない。 ただ純粋に嬉しかった。 はい、と無言で頷くシグルーン。 「ありがとう。じゃ、今日は帰りましょう」 きびすを返すセイルの後に従うシグルーン。 更に二歩遅れて、いつのまにかジャンも付いてきていた。 そこに、いつもの笑顔はなかった。 口元にだけへばりつく、あざ笑うような歪み。 それは、この人懐こい吟遊詩人から一切の人間性を拭い去っていた。 セイルとシグルーンはそれに気づかない。 なぜなら、いつのまにかこの二人も、まったく同じ笑みの形を浮かべていたから。 この時の三人なら、魔のみならず神さえ笑って殺してのけただろう。 半年間以上滞っていた終末への流れが、再びそのはけ口を見つけた瞬間だった。 |
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リムリアはその日、その時間にシグルーンが自室にいることに驚いた。 「え? なんでシグ!?」 「なんでは無いでしょ、リム? 今日は単にお休みなだけよ」 深夜過ぎのこと。寝付けなくて外の空気でも吸おうかと宿の裏庭に出たリムリアは、 シグルーンの部屋にあかりが灯っている事に驚いた。慌てて彼女の部屋を訪れ、いつも ならセイルたちとトラム山地下の探索に出ているはずの彼女が、ゆったりとベッドに腰 掛けてリュートの調律をしているのを認めて思わず問いかけたのだ。 「お休み?」 「あ、そうだ。ねえリム? あさっての夜、用事ある?」 「あさって? ん〜と、何も無かったと思うけど」 「じゃあ一緒にくる? もしかしたら力を借りることになるかもしれないし」 「一緒って、地下のこと? でも、だってあたしじゃ!?」 「大丈夫。道が通じたから、今なら誰でも入れるわ」 リムリアは一瞬、シグルーンが何を言っているのか理解できずに口篭もった。 そして頭の中で彼女の言葉を反芻し、ようやく、彼女が恐るべき事実を述べたことを 理解した。 「じゃ! もしかしてライザが見つかったの!?」 「ううん、まだ。昨日見つかったのは『一つ目の扉』よ」 「扉? 一つ目?」 「そう。パッティの封印の性格上、要であるライザへの道を繋ぐには他の四人の封印へ の道筋をつけておかなくちゃならないの。今回見つかったのはハンナの奴ね」 リムリアの心にズキっと痛みが走る。 なんだろう? なんとなくそれ、以前にも同じことがあった気がする。 「まるでグナガンの時と同じじゃない、それって?」 「当然よ。五魔神に対抗するものとしてのパッティだもん。たどる方法は同じだわ」 「でも……あれ? じゃあまだその扉、開いてないの?」 「月の位置が悪いの。満月じゃないと力が満ちないんだって」 「ハンナがそう言ったの?」 「うん。そういうことだから、リム。あさって、一緒にくる?」 「でもどうして? 何で今更? もしかして、また何かあるっての?」 リムリアの戸惑いに、シグルーンは邪気の無い笑顔で答えた。 「わからないわ」 「わからない、って!?」 「私たちにも扉の先に何があるかまるでわからないの。扉そのものが世界そのものの壁 になってるみたいで、実際に開けて通ってみなくちゃ、一体どこに行くんだかもわから ないのよ」 はあーっ、と口を開けたままポカンとした表情のリムリア。 「だから、申し訳ないんだけど、万一の事態のためにサポートがいてくれたほうが嬉し いの。こんな時だけ図々しいのはわかってるけど、頼めるとしたらリムたちくらいしか いないから」 「シグはいいの? あたしたちが行っても?」 「もちろん」 「……セイルはどう言ってるの? それともこれ、セイルからの『依頼』?」 「ううん。これは私の個人的なお願い」 「でも、それじゃセイルが嫌がるんじゃない?」 「それは大丈夫よ。『この程度のこと』なら彼は拒まないから」 おかしい。何か変だ。 今のシグルーンの言葉には、よくわからないけどおかしな所がある。 「ちょっと、考えさせてくれる?」 「もちろんよ。ねえ、ジーマやエリスンたちにも話しておいてくれないかな?」 「うん、あたしもそのつもりだった。正直言うと、あたし一人じゃ決心できなくて」 「助かるわ。明日の夜も私はこの部屋にいるから、それまでに返事聞かせて」 「わかった。じゃ」 「うん。おやすみなさい、リム」 部屋から出る瞬間、リムリアはシグルーンの表情をうかがう。 その笑みからは、何一つ不可解なものを読み取ることが出来なかった。 翌日。リムリアはジーマとアリーヌをエリスンのいる離れに呼んだ。 そこで三人に、シグルーンから聞いた話の全てを打ち明ける。 四人とも、その依頼を拒む理由を何一つ持っていなかった。 「わかったわ、ありがとうリム」 「ううん。あたしたちが自分で決めたことだから」 「そうよね。うん、きっとセイルも喜ぶわ」 リムリアは、心の奥底に揺らぐ疑問を言葉に出来ない。 駄目だ、半年は長すぎた。 今のあたしたちは、セイルからあまりに遠い。 もう、彼が何を考えているのかまるでわからなくなっちゃった。 リムリアと明晩の打ち合わせを終えて自分の部屋に帰る。 窓際に立ち、もうほとんど丸く満ちた月の光を見上げた瞬間、ふと悟った。 そうか。だからシグはあたしたちに協力を頼んだんだ。 もうあたしたちが、シグたちの中には入っていけないとわかってるから。 疑問の一つが氷解する。残酷な解答を伴って。 なのに今のリムリアには、胸をかきむしるような感情が湧いてこない。 そうよ、その通りよシグ。 もう今のあたしは、セイルをかつてのようには愛せない。 だけど。 リムリアの心の中で、一つの解答と引き換えに別の疑問が積み重ねられた。 『どうしてあたしたちは、今もセイルに協力したいと思うんだろう?』 明日、その答えがわかるのかな? リムリアは月を見上げながらそう感じていた。 |
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かつてハンナが封じられていたパネルの前に立つのは、他ならぬハンナ自身。 その後ろに控えるのはセイル。両翼がシグルーンとジャン。 二歩下がって、リムリア以下4人。 ハンナが両手をパネルにかざした瞬間、まるで紙芝居の一枚をすばやく抜き取ったよ うにあたりの光景が入れ替わった。 パネルは扉へ、地下一階は狭い玄室へと。 リムリアたちは、扉に刻まれたものがシグルーンの言葉通りであるのを確認する。 直後、ハンナの刻印と呼応するようにそれが光り輝いた。 扉自体も淡い光を発したが、ほどなくそれは静かに収まっていった。 「……開き、ました」 振り向いたハンナの顔には、明らかな疲労の色。 リムリアたちは驚く。ただこれだけのことに、一体彼女はどれほどの力を消費したの だろうと。 「ありがとう」 セイルは小さく頭を下げた。 同時に、意識を失って崩れ落ちようとするハンナの体を抱きとめた。 「それでは、後をお願いします」 セイルからハンナの介抱を頼まれるリムリア。 彼女たちの役目は、セイルたちが扉の先にある事態に対処する間、ハンナの身を守る ことだった。 無言で頷くリムリアの瞳とセイルの瞳が、一瞬交錯した。 その時リムリアは、かつて見慣れていた、あの愛しい人の純粋な瞳を色をそこに認め たような気がした。 あっ、と声を発する間もなく、セイルは二人を引き連れて躊躇無く扉を開けた。 リムリアはこの時、自分が最後の機会を逃したことを意味も無く悟った。今のセイル の瞳こそが真の別れの言葉だったのだと、後日、彼女は最悪の結末を前に思い返すこと となる。 |
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三人は、妙に広い玄室にいた。 五十メートル四方はありそうな、特に変わったところの無い場所だった。 ただ、奥の壁に寄りかかるように座る、一人の男の存在を除いて。 敵意も殺意も無い。生きているのか死んでいるのかもわからない。 彼は身じろぎ一つせず、うつむいたまま座り込んでいた。 セイルは臆することなく、彼に問い掛けた。 「お休みのところ、失礼します」 反応は無い。 「私、愛の神マーティスの下で大神官を務めるセイル=ウォルサム=フェルナンデスと 申します。お尋ねしたいことがあって参上いたしました」 やはり、反応は無い。 「人を探しています。何かご存知ではありませんでしょうか?」 反応が無い。そこでセイルが改めて一歩を踏み出そうとした、その時だった。 「……隠れてねえで、出てこいよ」 男はそう言った。低く響き渡る、冷たく太い声だった。 「は?」 「てめえじゃねえ、若造。そっちの女だ」 うつむいた頭を上げた男の顔を見て、三人は声を失う。 緋色に染まる独眼が、まるで全てを焼き尽くすかのような意志の炎を発している。 その圧倒的な気迫に、誰一人言葉を発することが出来ない。 「いつまで隠れてるんだ? 相変わらず女の影に逃げ込むだけか?」 言葉を向けられているのが自分だとシグルーンはわかっていても、意味不明の問いに 何も答えられない。 「はっ。それが今や太祖呼ばわりされる伝説の英雄か。偉くなったなあ、アル!!」 男がピン、と指先を弾いた瞬間だった。 シグルーンは自分が吹き飛ばされたことをセイルの叫びで知った。 「シグ!?」 後ろの壁にぶつかる! そう思っても指一つ動かせなかった。そして自分が受けるで あろう致命傷かもしれない衝撃を覚悟したが、いつまでたってもそれは訪れなかった。 代わりに、自分が青い光に包まれ、壁にぶつかる寸前でふわふわと空中に浮いているの に気づく。 「え。ど……」 疑問の言葉を口にしようとした瞬間、唇からは全く違う言葉が発せられた。 言葉だけではない。彼女の口から放たれたのは、明らかに男性の声色だった。 『ひさしぶりだね、シヴァ』 「ふん、やっと出てきやがったか」 『ああ。千年ぶりだよ、こうして言葉を紡ぐのは』 「全くご苦労なこった。結局てめえは、いつまでたっても『奴ら』の走狗ってわけだ」 『悪いとは思ってるよ。ただ、こうでもしなければ、君にもう一度会えなかった』 「俺はてめえなんぞともう二度と会いたくなかったがな」 『酷いな。引き込んだのはそっちだろう?』 「ふん」 セイルとジャンは、あまりの成り行きに声も出せない。 シグルーンもまた、意識だけが体から弾き飛ばされて傍観者になっていた。 (なんで、どうして?) そんな意識体としてのシグルーンに、別の人物の意識が接触してきた。 (『済まないな、我が裔(すえ)よ。しばらくこの体、借りるぞ』) (え、誰? 誰ですか?) (『我はアルハイム。汝らの祖として奉られん哀れな亡霊なり』) (ある、はいむ? ……アーハイムの太祖、アルハイム陛下!?) (『然り。ただ『涙』にのみ意識を留め、時をうつろう者なり』) 自らの肉体を離れたシグルーンは、首にかけたあの青い涙の形をしたペンダントが光 を発しているのを見た。 (これ、もしかして!) (『一千年に渡る我の遺言を護りし汝らに、改めて礼を言う』) (いえ、私は別に何も……え?) (『そして今こそ、我の最後の使命、果たされん』) (最後の使命? それって、ああっ……) シグルーンの弾き出された意識もまた、青い石の発する光の中に飲み込まれていく。 自我が失われていくその僅かの時間、彼女は不思議な夢の中にいた。 |
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肥沃な平原が広がる大陸西部、そのほぼ中央。 アルブルズ山脈から西へと流れ出る大河の中流に、その町はあった。 物流の要衝として知られ、一説には西方文化の源となる古代文明発祥の地であるとも 言われるが、この乱世の中では幾つもの勢力が干渉しあう一中立都市に過ぎなかった。 「……ふん。このご時世に、こんなに人が集まる場所があるとはな」 城塞の東門をくぐって町の中へと入ってきたその男は、眼前に広がる、まるで嘘のよ うにあっけらかんとした喧騒を眺めて、驚くより先に小さな苛立ちを感じた。 後ろを振り返る。外から見たときも大きいとは思っていたが、この町を覆う城郭は、 まるでいかなる存在も力づくでは侵入できないと思えるほどの高さと堅牢さを誇ってい る。それはこの町の豊かさを示すと共に、吐き気をもよおすほどの卑屈さを見せ付けて もいた。 「『奴ら』に対して、こんなモノが何の役に立つんだ、ああ?」 男は、まるで目の前に誰かいるかのように問い掛ける。 その視線の先には、町の中央部にひときわ白く目立つ、大きな建物があった。 あれか。男はその一言を声にすることなく、視線の先に向かって歩き出した。 町を十字に走る大通り。 その一つ、東門から中央へと走る東大路を行く男。 多くの店が並び、様々な人が行き交っていた。 多くの物が並び、様々な声が飛び交っていた。 かりそめの平和。うたかたの夢。 確かに、一つの理想がここにある。それは認めざるを得ない。 でもそれは。 でもこれは。 全てが終わってからのことだろう? そうじゃないのか? 男は目的の館の前に立っていた。 町の中央に位置する公民館。それは同時に、この町の長の常座でもあった。 正面玄関をくぐる。 広いロビー。左右に点在する長椅子や観賞植物。 正面奥には幾つもの窓口があり、引っ切り無しに訪れる人々への応対を続けている。 一通り中を見渡して、右手奥にある階段を見つけた。 男は迷わず、一直線にそこへと向かう。 すると階段を目の前にした途端、屈強な男が二人、目の前に立ちふさがった。 身なりはそれなりにきちんとしていたが、その目つきはどう見ても堅気ではない。 「この先は立ち入り禁止ですよ?」 凄みを利かせた小声と笑み。 それは控えめに見ても、静止というよりは恫喝だった。続いてもう一人が言う。 「面会のお約束でもございますか?」 同様の口調に、しかし何一つ怯えるそぶりも見せず、男は腰に手を当てて首を振る。 「いいや。ただ代表に用があるだけだ」 二人は目を合わせてクックと笑う。 「申し訳ありませんが、ご予約の無い方と代表はお会いにはなりません」 「大変ご多忙ですので。また後日、ご予約の後に改めて」 そう言って二人はボキボキと指を鳴らした。だが。 「うるせえ、このクズ」 は? 二人は一瞬、この貧相な男が何を言ったのか理解できなかった。 「あの、今何と?」 「どけよクズ野郎。そんなトコに突っ立ってたら邪魔だ。退け!」 たちまち赤面する大男二人。しかしそれでも口調だけは崩さなかった。 「お分かりになりませんか? 代表は、貴方のような失礼な輩とお会いになりません」 「どうしてもとあれば、力ずくででもお帰り頂くことになりますが、よろしいので?」 フン、と鼻を鳴らして男は言った。 「ゴチャゴチャ似合わねえこと言ってんじゃねえよクズ! どうせハナっからやるつも りなんだろうが! やれるモンならやってみろってんだ、このマヌケ!」 「この野郎!」 最初から無理のあった紳士の仮面をようやく外した二人。 まず右の男が、馬鹿でかい握りこぶしを貧相な男の顔に叩き込む、はずだった。 ドオン! 次の瞬間、殴りかかったはずの男が頭を下にして玄関側の壁に叩きつけられている姿 を、もう一人の男は見せ付けられた。 一体、何が起こったのか? まるで信じられない。 突然、目の前で薄笑いを浮かべている男が自分の何倍もある大男に思えた。 「う、うわああーっ!」 男は恐怖に駆られ、その男に掴みかかる。 よし、やはり見た目通り軽い。 投げ飛ばしてしまえ! そう考えたときにはもう、彼は意識を失っていた。 自分の体が、今度は右側の、階段横の壁に叩きつけらたことにも気づかないままに。 『きゃあああーっ!!』 そしてやっと、ロビーにいた人々の悲鳴が上がった。 我先にと逃げ惑う人たちとは逆に、騒ぎの中心にいた男を包囲するように集まってく る男たちがいる。男は思わず「ほう」と声を上げた。今度のは最初の馬鹿共とは違う、 明らかに堅気の男たちだったからだ。 「……ど、どうかお止めください」 「代表に、何の御用ですか?」 震える声で、でも各々手にささやかな武器を持ちながら、彼らは男に問いかけた。 うん、こいつらは本気で、俺が代表に会うのを心配しているらしい。 フフと笑って、男は言った。 「やめとけ、怪我するだけだぞ。俺の目的は代表だ。お前らじゃない」 「ですから、どんな御用ですか!」 「もしや、あなた代表を……」 ザワッと場が改めて緊張する。 彼らが本気で自分に対し敵意を高めたのを感じた。 ブルっと背筋が震える。武者震い、久々に感じる高揚感だった。 思わず相手をしてやりたくなったが、男は逆に、自分の方で自制を働かせた。 「切った張ったの用じゃねえ。ただ俺は、ここの代表の古い馴染みなだけだ」 「古い、馴染み……?」 「野暮用があって顔を見にきただけだ。通せよ」 落ち着いた口調に力を抜く者もいたが、でも残りの多くは、完全にのびてしまってい る最初に倒された二人の姿に怯えたままだった。 「いや、しかし」 「だったらなんでこんなことを」 「嘘をつくな! お前、刺客だろう! どこから来たんだ!?」 くだらない邪推で、再び場が騒然となった。 男の頭に血が上る。なら本当に相手をしてやろうかと、そう思った時だった。 「やめるんだ、全員!」 「代表!」 階段の上に、一人の紳士が立っていた。 「その人の言う通りだ。彼は、私の友人だよ」 「でも!」 「だってノヴァさんたちが……」 「いいんだ! 彼に手を出してはならん! 私の連絡ミスだったのだ」 「そんな……」 「代表……」 全ての者がしぶしぶと武器を下げたのを確認して、紳士は男に向かって言った。 「久しぶりだね、シヴァ。……来ると思っていたよ」 「そうか? いきなりすまねえな、アル……ハイム」 シヴァと呼ばれた男は、そのまま階段を上っていく。 そして階段を上りきる直前、眼下の男たちを振り返ってみた。 彼らは全員、本気で代表を心配する表情を浮かべていた。 「いい、部下たちじゃないか」 アルハイムはその言葉に、苦笑いしながらも小さく「ああ」と答えた。 |
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「煙草……いや、酒にするか?」 「いらん。余計なマネするな」 二人きりの応接間。どっかとソファーに腰を下ろしたシヴァと、先刻とは逆にまるで 落ち着きの無いそぶりで右往左往するアルハイムが対照的だった。 「いいから、まず座れ」 「あ、ああ」 アルハイムの手の中で、二つのグラスと酒瓶がガチャガチャと音を立てている。 アルハイムはシヴァに、いいか、と尋ねて自ら杯をあおった。 高価そうなリキュールを一気に飲み干すアルハイム。 テーブルに杯を置く音が少しだけ大きく響いた。 「少しは、落ち着いたか?」 「あ、ああ……。まあ、な……」 「全く、随分堅気の生活に慣れちまったようだな。昔のお前からは信じられねえぞ」 何度も握ったり開いたりを繰り返す自分の手を見つめるだけのアルハイム。 「最強の暗殺集団『ネロス』の知恵袋、『疾風のシヴァ』の右腕と呼ばれたお前にして は、随分まともなことのやってるみたいだな。確かにお前は、俺と違って下の面倒を見 るのは得意だったが、変われば変わるもんか。たいしたもんだ」 と、アルハイムは両のこぶしを自分のひざに叩きつけて顔を上げた。 「やめてくれ、シヴァ!」 「おいおい、別に嫌味じゃねえ。ホントにすげえと思ってんだ。今になって思うと俺も 凄い奴を従えてたんだなってな。実際鼻が高えぜ」 ギリリ、と歯軋りを響かせるアルハイム。 そんなシヴァの「本心の」言葉すら素直に受け止められずにいた。 「……それで、シヴァ」 「ん?」 「用は、何だ?」 「あん?」 「用件は何だって聞いてるんだ! 今日ここにきた理由は何なんだ!?」 信じられないという顔を浮かべて、シヴァが逆に尋ねる。 「お前の方が知ってるんじゃないのか?」 「そうか、やっぱりそうなのか……」 「まさかお前の方から『来ると思っていたよ』だもんな。いや流石、長いこと離れてい たとはいえ、俺のことは十分承知してたってわけだ」 「そりゃわかるさ。だって俺は……」 「だったら話は早ええな。じゃ、早速」 「ああ。……でもいいか? せめて一日、待ってくれないか?」 「一日? どうして?」 「せめて家族との別れは済ませておきたいんだが。それさえも駄目なのか?」 「別れ? 何でそんなに急ぐんだ? 早くても一年は先の話だぞ?」 はぁ? ふっとアルハイムの顔から緊張感が抜ける。 「ちょっと待て。なんだその一年先って。まさかお前、そこまで俺に苦痛を味あわせる つもりなのか?」 「苦痛ってよりも苦労してもらうつもりなんだが。……おい、何の話だ?」 「何って! お前、俺を殺しにきたんだろう!?」 今度はシヴァの顔から無邪気な笑いが消えた。 「おいおい、何で俺がお前を殺さなきゃならないんだ?」 「だってお前、あの時『俺の目の前から消えろ』って! 消えなきゃ殺すって!? だ から俺、次にお前と会う時は、殺されるときなんだって思ってて……」 んーっ、と思わず考え込むシヴァ。言っちゃなんだが間抜けである。 アルハイムの目の前に居座る男は、どうやら本当にその事を忘れているらしい。 信じられなかった。というよりも、信じたくなかった。 自分が今の自分に至った最大の原因を作った男が、まさかそれを忘れているなんて。 「……あのぉ、もしもし、シヴァさん?」 「あーっ、そうか! そうだったか、思い出した! 俺、お前とはもう会わないって言 ってたんだっけ!」 「おいっ、なんだそりゃ!? じゃあお前、何で今更俺のトコに来たりなんかしたんだ !? 俺、お前が現れたって聞いて、てっきり……」 バタンとソファに倒れこむアルハイム。右手でこめかみを抑える仕種。 くくく、というシヴァの笑いが、あーはっはっはという高笑いに変わる。 つられるように、アルハイムも笑い出した。 そのまま二人は、しばらく笑い続けた。 笑い疲れた頃、アルハイムは改めて二つのグラスに酒を注ぐ。 そして一方をシヴァに手渡した。 無言で、チンとグラスを合わせる二人。 同じように、一気に飲み干した。 そして二人とも、全く音をさせずにグラスをテーブルに置いた。 「それで? 改めて用件を伺おう。何の用だ、シヴァ?」 「お前の命をもらいにきた、アル」 |
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シヴァの担当は、風の魔神『シルフ』。 エルから受け取った「石」の使い方は心得ていたが、一人でどうにかできると思うほ ど彼はうぬぼれていない。彼自身、かつて『それ』と戦い、一太刀もあびせられぬまま 全てを失う敗北を喫しているのだから。 だから仲間が必要だ。自分が信用できる、そして自分のために死んでくれる仲間が。 一から探すのも手だろう。だが時間が無い。 わかっている。最初からわかっていた。 俺に残された選択肢は一つしかない。 俺が認めることのできる人間が、一人だけいる。 別れてからの足跡をたどる。 追跡は容易だった。彼は今や、一国の支配者に等しい地位にいた。 これは僥倖か。 それとも狡猾な罠か。 なんとかなるさ。 でも、もし断られたら? これほどの地位に上った人間が、今更俺なんぞの頼みを聞くのか? まあ、言うこと聞かなきゃ聞かせるだけだな。 そう、殺してでもな。 どうせ、一緒に死んでもらうことになるんだ。 早いか遅いかの問題さ。 なあ、アル。アルハイム=アーハイム? |
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「おやすみなちゃい、シヴァのおぢちゃん!」 「ああ。おやすみアンナ」 少女は「おぢちゃん」から贈られた大きな人形を抱えて寝室へ向かう。 居間に残されたのは、その母親とシヴァ本人。 「いつもありがとうございます、シヴァ様」 「……あんたも相変わらずだな、ノーマ。様付けなんてやめてくれや」 「いいえ。昔、夫のお世話になった方ですし、今だって娘がこんなに」 「どっちかっつ〜と俺の方が世話になってるがな。ところでアルはどうした? まだ家 に帰ってきてないのか?」 「ええ、最近仕事が大変らしくて。なんでも期日が迫ってるとか」 「何か訊いてないのか?」 「私は家を守るのが仕事です。夫の領域を侵すわけには参りません」 「ふん。今時、えらく古風な奥さんだ」 苦笑いした顔にも気品がある。 シヴァはつくづく、こんな麗人を捕まえたアルの幸運を羨んだ。 「さて」 「はい?」 「もうアンナも寝たろ? 用件に入れよ」 「……」 「夫婦揃って韜晦好きなのも嫌味だぞ。ダンナに訊けねえから俺に聞きたいんだろ?」 その言葉に、ノーマはシヴァの緋色の瞳を正面から見据えた。 「では遠慮なく。いつなんですか?」 いい女だ。アルがこの女を守ろうとする気持ちが良くわかる。 「明日だ」 「もう一つ。夫の命は?」 「100%、駄目だな」 「つまり、どうあっても貴方の道連れにしたいとおっしゃるのですね」 「ああ。そのために俺はここに来たんだ」 ふう、と顔色一つ変えずノーマはため息をつき、ソファから立ち上がった。 そしてシヴァに背を向け、向かいのサイドボードの縁を指でなぞりながら言った。 「この一年間、夫は毎日怯え、苦しんでいました。それほどの苦しみを味あわせておき ながら、その上まだ命まで奪おうと言うのですか?」 「アル自身が承知したことだ。文句はアルに言うんだな」 「それを黙って見過ごすと思うのですか?」 振り返ったノーマの手には、いつのまにか拳銃が握られていた。無論それにシヴァが 気づかなかったわけがない。しかしあえてそのままにさせておいたのだ。 「やめとけ。そんなモン俺には無意味だぞ」 「たとえ無理でも、私は夫と娘の未来を守ってみせます」 「ふん、未来か。じゃあ訊くがな、お前の夫が守ろうとしてる『お前とアンナの未来』 がどうなってもいいってのか? 俺は別にこの世界のためになんて自己犠牲発揮したい わけじゃねえが、少なくともアルは、そう思って自分を納得させてんだぞ?」 「あの人がいない未来など、私たちにとってはそれこそ無意味です」 「ハハ、こりゃまたえらくエゴイストな奥さんだ。仮にも第一婦人(FirstLady)なんて 呼ばれるヤツの言う科白じゃねえな」 クックックと笑うシヴァの憎たらしい顔にも臆することなく、ノーマは毅然と言い放 った。 「ええ、ですから私も、貴方のエゴに夫を巻き込ませるわけにはいかないのです」 そしてノーマの次の行動に、シヴァは本気で肝を冷やした。 ノーマが、銃口を自分のこめかみに当てたのである。 そして一瞬の躊躇もなく、彼女は引き金を引いた。 『パンッ』 乾いた音と共に、女性は床に倒「さ」れる。 その時のシヴァの行動は、真に神業と言えた。彼は彼女の行動が意味するものを悟る より早く、ソファに深く腰を降ろした体勢から一瞬で彼女までの距離を詰め、文字通り 間一髪で銃弾が彼女の脳漿を吹き飛ばすのを防いだのである。 「ば、バカ野郎! お前一体何を……」 信じられないというノーマの顔が自嘲の笑みに、そして泣き顔に変わっていく。 「ふふ、貴方は本当に『疾風』なんですね。噂通りだったなんて……」 チッと言う舌打ちと、拳銃に残弾が無いのを確認してシヴァは身を起こした。 相変わらず女の涙には弱い彼である。 「勿論、私では貴方を殺せないのはわかってました。でも、私がいなくなれば夫は貴方 に従う理由が無くなるんです。そうすれば少なくとも夫は今死なずに済むと……」 「そんなモン、たかが数年のコトだ。『奴ら』が本気でかかってきたら、アルだけじゃ なくこんな街なんて一瞬で消えて無くなるんだぞ?」 「それでも! それでも夫は明日死ななくて済むんです! 後何年か、いいえ数日でも 構わない、その時間で夫と娘がどこか安全な場所へでも逃げられるのなら……」 シヴァはボードに並んだ高価そうなスピリッツの封を勝手に切り、グイとあおった。 「わかんねえ女だな。そんな場所、今のこの世界にはどこにもありゃしねえんだ」 「だからって!」 「ノーマ? 俺を信じろとは言わねえ。だが俺が、いや『俺たち』がもう何年もかけて 準備してきた唯一の望みなんだ、こいつは。これが成功すりゃ少なくともお前らの子供 が天寿をまっとうできるくらいの、本当に普通の世界になる」 「でも、でもそれで夫が死んでしまっては!? 残された私たちは一体……」 天を仰いだシヴァが、小さな声で呟いた。 「畜生。アルの奴、本気で殺したくなってきた。俺なんぞ守りたい奴を守れる可能性す らなかったってのによ」 え? と声に出さず訊き直すノーマ。 「わかったよ、ノーマ。アルが死なずに済むようにしてやるさ」 「えっ? シヴァ、さま……?」 「と言っても、100%の死ぬ確率を99%にしてやるだけだがな。1%を掴めるかど うかはアル次第だ。ハッキリ言って、俺でもこれ以上の譲歩はできねえ」 絶望と悲しみに歪んだノーマの顔に、わずなか安堵が蘇る。 「話はこれで終わりだ。じゃあなノーマ」 慌てて身を起こし、しかし何をしていいかわからない彼女に、シヴァはもう一度振り 返った。 「そうそう、一つ忘れてた。……アンナに謝っといてくれ。今度の誕生日、一緒に祝っ てやれなくてすまない、ってな」 ハッと大きく開けた口に手を当てたノーマの瞳から、大粒の涙が零れ落ちた。 シヴァはそれを餞別と受け取り、部屋を出た。そして後ろ手で扉を閉める。 「……ありがとう、シヴァ」 そこに、アルハイムがいた。 「礼を言うのは生き延びてからにしろ。本当を言うと、お前が生き延びられる可能性は せいぜい0.1%だぞ」 「でも可能性はあるんだろ? それに……」 「それに?」 「俺だけが生き延びた後じゃ、お前に礼が言えない」 フン、と鼻で笑うシヴァ。そのままアルに背を向け、そして右手を高く上げた。 「じゃあな相棒。……縁があったら、また会おう」 |
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翌日、「この町」は過去最大の天災に見舞われる。 しかし「なぜか」事前にそれを知っていた町の代表、アルハイム=アーハイムの献身 的な尽力により人的被害は最小限に留められた。 そしてこの「世界的な」同時災害の後、地上世界の主は人間となった。 それまでが嘘のような、平和で安穏とした世界が訪れる。 人々は生き延びるための社会から、自らの欲望のための社会へと移り住む。 「この町」もまた、町を救った英雄であり名政治家としても名高かったアルハイムを 中心として、新たに形成されつつあった国際社会という荒海に船出することになる。 晩年、王制に転じた「アーハイム」という新興国家の行く末を見定めた初代国王は、 かつて「この町」の中心であった場所に石碑を建てた。そこに刻まれた意味不明の紋章 について尋ねられ、王はこう答えたと言う。 「やっと、奴の最後の言葉の意味がわかったんじゃよ」 2代目国王に即位した一人娘のアンナに見取られ、彼は往生を遂げた。 そして彼の遺言は、アンナによって王家代々厳守すべき詔とされたのである。 |
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(これが……真実……?) シグルーンの見た、いや「体験」したこれらの記憶が、真に歴史と呼べるものかどう かは定かでない。所詮歴史とは、当事者の追体験を文字に記したものに過ぎず、真実は おろか事実さえ100%再現することは不可能だ。歴史は常に主観であり、決して客観 ではありえない。我々が今日知り得る歴史とは、数多くの主観の中から施政者によって 選択されたものでしかないのだから。 しかし、この時シグルーンが知った過去が「事実」の一つであることは確かである。 そして状況は彼女の想いを他所(よそ)に進行していく。 「で? 今更オレの前に姿を見せた理由は何なんだ?」 深い傷跡の走る両腕を組んで、顔を少し傾けながらシヴァは眼前の亡霊に問う。 するとアルハイムと呼ばれたその青白い光は、フッと苦笑いをこぼして答えた。 『わかってるんだろ? 私と君の仲じゃないか』 「ふん。あん時のお返しか。じゃあ言ってやる。テメエは俺の邪魔をしに来たんだ! 『奴ら』の手先となってな! この屑野郎!!」 亡霊の苦笑いが、スッと邪気をはらむ微笑みに変わった。 『流石だねシヴァ。感謝して欲しいな。これで君はやっとこの未来永劫続くはずだった 「永遠の孤独」という拷問から解放されるんだよ?』 「ハン! それはテメエのことだろうが! そんな姿にされてまで『奴ら』の言いなり たあ見下げ果てたぜ。テメエなんぞ相棒でも何でもねえ! よ〜し分かった、お望み通 り相手してやらあ。だが消えるのはテメエの方だ! わかってんだろうなアル? この 俺様、『疾風のシヴァ』に喧嘩売って生きて帰った奴ぁいねえってコト!?」 『ふふ。変わらないね君は、本当に。お相手願えるのは光栄だけど、実際に相手をする のは私じゃなく彼らだよ。ねえセイル君?』 突然名前を呼ばれ、セイルも流石にたじろいだ。 「は!? い、いえ。あのアーハイム、太祖、陛下……?」 『そんな呼び方は無意味だよセイル君? 呼び捨てでいいさ。……それより彼、かつて シヴァ=グレイスと呼ばれた「存在」を倒すことが君の義務、いいや、目的だろ?』 「それは一体、どういうことでしょう?」 『彼を倒さない限り次のゲートは開かないからさ。だって今や彼こそが風の魔神。世に 「シルフ」と呼ばれる超存在そのものだからね』 まるで当たり前のようにあっさりと亡霊が発した言葉に、場は凍りついた。 それを打ち砕いたのは、当のシヴァ本人の言葉。 「ヘッ。分かってる上で喧嘩売ろうってのか、テメエは」 驚きのあまり声も出ないセイルたちに、亡霊は静かに語りかけた。 『わかってるよ。君たちは既に魔神を倒しているからね。でも、残念ながらあれは魔神 じゃない。いや正確には、「魔神の本体」ではないんだ。あれは単に、封印された魔神 の力の「かけら」を手に入れて好き放題暴れていた、ただの愚かな生き物に過ぎない』 それを補足するように、シヴァが口をはさんだ。 「ハッ。ちいとは考えろや。たかが『あの程度』の力で、この世界そのものが崩壊する かもしんねえような脅威になるわきゃねえだろうが。そもそもテメエらごときの力であ っさり倒されるような『神』なんぞ、神を騙る資格もねえ」 ごとき呼ばわりされたセイルの拳が、ギュッと握り締められる。 しかしそれを咎めるように亡霊が続けた。 『シヴァの言葉は正しいよ。謙虚になりたまえセイル君。納得できないかい? じゃあ 改めて君たちに「真の魔神の脅威」を見せてあげよう』 その瞬間、空宙に突然現れたパネルに映像が浮かび上がった。セイルにはそれが、か つてここトラム山地下一千階でグナガンを倒した後に見た意味不明の映像と同じものに 見えたが、それを意識で追うより先に、セイルたちは映像世界の内部に取り込まれた。 |
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それは確かに、世界が崩壊する姿だった。 千キロ以上に連なる巨大山脈が、超台風によって半分に薙ぎ倒された。 たった一つの巨大津波が、大陸を真っ二つに分断した。 百以上の島々からなる大群島が、たった一度の地震によって消滅した。 太陽とも見間違う灼熱の火炎が、内海を一瞬で干上がらせた。 そしてこれらの「天変地異」を生み出している存在は、どこにもいなかった。 いいや違う。この天変地異そのものが「破壊」という意志を持つ存在だった。 単なる純粋な「力」。 それこそが真の魔神の姿だった。 |
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セイルの膝が力を失い、ガクンと手をついて倒れ込んだ。 『わかったかい? あれが魔神なんだ』 ブルブルと体中を震わせるセイルが、搾り出すように呟いた。 「私たちに、私たちに一体どうしろというんだ? あんな、あんなモノ……」 『安心したまえ。そのための私なのだから』 その瞬間、シグルーンの胸に輝く宝石が一際青く輝いた。 チッという舌打ちをするシヴァ。そして彼の周囲に一度は渦巻いた風が、すうっと勢 いを失って拡散していった。 『無駄なのはわかってるだろう、シヴァ? そのための「石」なのだからね』 「ケッ。テメエにそれが使えるとはな。それも『奴ら』のおかげってワケか?」 『どうかな? これの意味がわかったのは、私の死ぬ直前のことだったよ。王位につい てからずっと調べさせてたんだけどなかなか分からなくてね。最後の最後に、世界を旅 してきたっていう、とある人物の助言で、やっとね』 その時、亡霊の視線がわずかに動いたのを見定めたのはシヴァだけだった。 「そんでテメエは、『その意味』がわかってて『奴ら』の手に乗ったってワケか」 『ああ』 「何故だ? 最後にそれだけ聞いてやる」 『言わなきゃ駄目かい?』 「ああ」 『……全く。分かってて聞くとは、本当に君は変わらないんだね』 「それがオレだ。オレはオレでしかない。オレは『疾風のシヴァ』だからな」 亡霊は目を閉じ、そして改めてゆっくりと開いた。 『君が私を最後に、相棒と呼んでくれたことに礼を言いたくてね。 そしてノーマとアンナからの伝言も一緒に伝えよう。 「ありがとう、シヴァ」』 その時シヴァの脳裏に浮かんだ光景はなんだったか。 「わかった。ご苦労だったな、アル。……もういいだろう、お前の役目は終わった」 『ああ。そろそろ、限界だ』 「後はオレとコイツらの問題だ。そうだな?」 『勿論だ。後がどうなろうと私の関知する所ではない』 「よし。じゃあお前は帰れ」 『帰る? どこに?』 「決まってるだろ。ノーマとアンナの所に、さ」 亡霊が再び苦笑いをもらす。そしてセイルに向かって言った。 『というわけだ。後は君次第だよ、セイル=ウォルサム=フェルナンデス君。君が君の 望みを叶えたいと思うなら彼を倒したまえ。それ以外に方法は無い』 「わかりました。ありがとうございます、アルハイム陛下」 ゆっくりと、亡霊の姿が薄くなっていく。 シグルーンは徐々に、肉体の感覚が自分の意識下に戻ってくるのを感じた。 (ありがとう我が裔よ。私の役目はこれで本当に終わった) (あ、アルハイム陛下! わかりません、「裔」とは、一体……) (この石、そちらは「王の涙」と呼んでいたな。これには我の血に反応する命令を仕込 んである。そちらが望む限り、これはシルフの力を制しよう……) (陛下! お答え下さい! 裔とは? 私は一体!?) (済まぬな……これよりそちには、地獄を見てもらう……許せ……) (陛下、へいかーっ!!) 足の裏に、自らの体重の感覚が戻る。 幾度か目をしばたかせ、改めて自我が自己を取り戻したことを確認し、その視線を自 分の胸元へ降ろした。 未だ、鈍く青い光を発する小さな宝石。 しかしそこにはもはや何者の意識も宿ってはいなかった。 そして整理のつかない思考の混乱を現実に引き戻したのは、男の低い声。 「……さて若造。何だったかな、テメエの用事は?」 「人を探しています。私の、『姉』です。ご存知ありませんか?」 「フン。どこにいるかは知ってるが、テメエにゃたどり着けねえな」 「何故ですか?」 「『アイツ』の所に行くにゃ、このオレ様を倒さなきゃならねえからだ」 シヴァは両手を組んだまま、仁王立ちの体勢でセイルをギロッと見据えて言った。 それに対しセイルは、手にする杖を横に構え、怯むことなく彼の独眼を見返す。 「申し訳ありません。ならば、貴方を倒させて頂きます」 「ほう? テメエがこのオレ様を、か?」 「はい」 シヴァはクックックと笑う。そして次第にそれは高らかな哄笑に代わる。 その余裕っぷりに、さすがのセイルも気分を害した。 「強がっても無駄です。貴方の力が彼女の宝玉によって抑えられているのはわかってい ますから」 「フン。それがどうした?」 「魔神の力を持たない人間が私たちに対抗できるとでも?」 「うるせえなゴチャゴチャ。そう思うんならやってみろってんだ!」 既にご承知の通り、実は短気なセイルである。 彼は事前の打ち合わせ通り、誰にもわからないほどのサインをシグルーンに送った。 と同時に、構えた杖の先をシヴァに向ける。 (シュン!) いきなり放たれる、白い魔法弾。 しかし治癒面ではともかく、攻撃面での彼の魔法にそれほどの威力はない。 シヴァにもそれは一目瞭然であり、彼は体躯をほんのわずか捻っただけでそれをかわ してみせた。 が。 シヴァと魔法が交錯する瞬間、彼の死角になる、潰れた右目の側からシグルーンが剣 を振りおろした。クーロンにおける火の魔神との戦闘で、彼女はこの攻撃法のコツを掴 んでいたこともあり、最低限の打ち合わせでこの攻撃が可能であったのだ。 それは、火の魔神を屠った時以上の、最高のタイミングだった。 だが、自分の一撃がシヴァを切り裂くかと思ったその寸毫の時間が、まるでスローモ ーションの映像を見るかのようにゆっくりと推移するのを彼女は感じた。彼女の瞳に映 ったのは、両手を組んだままのシヴァが、上に組んだ左手の人差し指を、ピンと小さく 弾いた様子だけだった。 それだけだったのに。 彼女の意識は、そこで途切れた。 |
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(ドオオーーン!!) 迷宮を揺るがすほどの震動に、外にいたリムリアたちも室内に飛び込んでくる。 そこで彼女たちは、信じられないものを見た。 岩の壁面をグジュグジュに破壊するほどの勢いで叩き付けられたシグルーン。 全身から血を流し、まるでボロ雑巾のようにグチャッとその体が床に落ちた。 「イ、イヤーッ!」 リムリアはその悲鳴を自分が挙げたと思った。実はアリーヌだったのだが、どう見て も致命傷としか思えないシグルーンの姿を見ての感情は、そこにいた少女たち全員同じ だったに違いない。 なのに、その場にいる三人の男たちは、誰一人意外そうな顔を見せない。 いやそれどころか、この悲惨な状況に眉一つ歪めようともしない。 (なんなの? 何が起こったの? この人たち、一体何なの!?) 何一つ言葉に出来ない彼女たちの前で、セイルは無表情のまま崩れ落ちたシグルーン の元に歩み寄る。そして杖の先で、まるで小突くようにその肉体を指し示した。 シグルーンの体を包む淡い光が生じる。 緋色に染まったDALKのマントが、あっという間に本来の純白に戻る。 (蘇生魔法!? 嘘よ! セイルのは回復魔法で、蘇生までは……あっ!) ようやく思い至るリムリア。そう、セイルは既に「真の」大神官である。神の奇蹟を 現世にもたらす事の出来る神の代理人であるのだ。蘇生魔法が可能だとしても何の不思 議もなかった。 それを証明するように、シグルーンの肉体に生命の息吹が戻ったのがわかる。 彼女の瞳が再び開かれた。最初戸惑いの様子を見せたものの、周囲を見回し、自分の 脇にセイルが立っているのを見て、納得したように頭を下げた。 「申し訳ありませんセイル。余計なお力を使わせてしまって」 「いいえ、私の判断ミスでした。貴方では無理でしたね」 「……本当に、申し訳ありません」 「流石は『永遠の勇者たち』。神々に喧嘩を売ったのは伊達ではなかったということで しょう」 シヴァが破願する。 「ほう、その『呼び名』を知っているとはな。全く、『奴ら』も余計な入れ知恵をする モンだ」 やはり無表情のまま、セイルは視線をシヴァからもう一人の男へ向けた。 「では、お願いしますジャン。ジャン=オーレリア?」 「……仕方ありませんね。契約ですから」 「はい」 にっこりと顔だけで笑うセイルの気圧に押されるように、ジャンはシヴァの前へと進 み出た。 「で? テメエが真打ちか?」 いつも通り、ニコニコ笑いながらジャンは背負ったリュートを胸に抱え直す。 ポロン、と小さく弦を弾いた。 だが、何も起きない。 あれ? と一同が奇妙な静寂に耐え切れず、息を吐き出そうとした瞬間。 (ゴッ) 鈍い音がした。そして叫び。 「耳を塞げ!!」 それに反応できたのは、女性ではシグルーンとリムリアだけだった。 そのリムリアも、後ろのハンナを庇うのに精一杯で、自らは「それ」に身を晒すこと になってしまったが。 それは超音速の凄まじい衝撃波。 耳を抑えられなかった全員の鼓膜が破れた。 更にジーマとエリスンは気を失う。耐久力のあるリムリアやアリーヌは、倒れこそし なかったものの、戦闘不能状態に陥っていた。 ジャンの攻撃、それは対象を確実に捉えることの出来る空気断層の檻だった。 人間では捕捉不能なシヴァの移動力を無効化するため、予め部屋全体に認識不能な薄 い空気断層を形成しておく。そして対象を中心にその断層が収縮するようプログラムし ておくのだ。これにより、対象がどのような動きをしようと、必ず高密度に圧縮された 空気断層が対象を攻撃する。その破壊力は事前に展開しておいた断層半径の2乗に比例 するため、この玄室のように十分な広さを持つ場所なら、確実に致命傷を与えることの 出来る攻撃となる。 それに対するシヴァの反応が、これまた尋常ではなかった。 この檻から逃げられないと悟った彼は、自らの超人的な体震動をもちいてカウンター ソニック(対音響)を生み出し、断層を相殺しようとしたのだ。だが魔法で生み出され た球形の空気断層とは異なり、どうしてもムラのある振動波しか生み出しえないため、 自らが檻から脱出するための緩衝域は作れても、それ以外の方向には凄まじい衝撃波が 発生することが避けられない。二人の行動からそれを瞬時に察しえたセイルの警告も、 ほとんど無駄な行為でしかなかった。 何も聞き取れない激痛の中、リムリアは独眼の男と対峙する三人の姿を見つめる。 声こそ聞き取れなかったが、唇の動きと身振り手振りから、おおよその会話の内容は 読み取れた。 「ったく、とんでもねえ攻撃しやがるな、テメエ」 「こちらこそ。まさかアレが通用しないなんて信じられませんよ」 「一度見たことがあるからな。……まて? ってえことは、まさかテメエ!?」 「……」 「そういうことか。まあどっちの関係かは知らねえが、なら聞いてやる。なんでだ? なんでそれなのにテメエは『奴ら』に組する?」 「答えは一つしかないでしょう?」 「フン。テメエもアイツと同じ大馬鹿野郎ってわけだ」 その言葉には微笑みを返すだけで、ジャンはセイルを振り返った。 「ご覧の通り、流石の私でも一人じゃ無理です」 「そのようですね。仕方ありません」 「おや、まさか本気で私一人だけをぶつけるつもりだったのですか?」 「やってもらえるならそうして欲しかっただけです。なにせあと『三人』いらっしゃい ますから」 「酷い人だ。ここで私が倒れたら後はどうするつもりだったんです?」 「その時はきっと『あの方』がどうにかして下さいますよ」 「……セイルさん? 貴方、相当のワルですね?」 「貴方ほどじゃありません」 お互い笑いながらも、言葉の端々に刺がある。 それを微笑ましく見つめるシグルーンも、どこか人間離れした観があった。 「さ。それでは始めましょう、シグ?」 「はい。セイル」 シヴァと相対するジャンの背後、三角形を作るように二人が陣取った。 それを見て深々とため息をつくシヴァ。 「やれやれ、どうやら本気を出さざるを得ないらしいな。いいか? こっちにゃ一千年 のブランクがあるんだ! ちいとは手加減しろよ!」 セイルが笑って言い返す。 「『永遠の勇者たち』ともあろう者が何言ってんです? 行きますよ!」 「来やがれ!!」 |
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リムリアには、そこでどんな戦いが行われたのか、何一つわからなかった。 見えてはいた。見ることは出来た。 でも、それが本当にそこで行われていることとは信じられなかったのだ。 だからその終わり方もよくわからなかった。 ただ、シヴァと呼ばれた男が大の字になって床に倒れこんでいること以外は。 どんな形であれ、戦いが終わったということだけしかわからなかった。 |
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(リムリア?) 肩に置かれた手から、ハンナが自分にそう言ったことを察し、慌てて振り返る。 そこには、悲しそうな微笑みを浮かべたハンナがいた。 (ありがとう……さようなら) え? 自分がそれを口に出来たかどうかも分からない。 ただ彼女は、ハンナが四人の方へ歩いていくのを見送るだけだった。 ハンナが、床に倒れるシヴァの横にひざまずく。 セイル、シグ、ジャンの三人は、それを確認して二人から離れていった。 三人は、二人を中心に10メートルほど離れ、均等に三方に位置する。 リムリアたちの前にやってきたのはシグルーン。そして彼女たちに背を向けたまま、 視線の先の光景をじっと見つめていた。 何? 何が起こるの? シヴァの傍らにいるハンナが、静かに服を脱いだ。 そして同じように、シヴァの身に纏わりついた衣服の残骸も拭い取った。 思わず立ち上がりかけるリムリア。 シグルーンはそれを後ろ手で制する。 シヴァの横たわる床に、いつのまにか青く光る紋章が浮かび上がっていた。 それは、ハンナの持つ紋章の「反転模様」だった。 (もう、止められない) リムリアには、シグルーンがそう言ったように聞こえた。 |
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ハンナが、光り輝く手でシヴァの股間を包みこむ。 巨大な男性を優しくいとおしむように撫でさすり、舌を出してそれを口に含む。 シヴァの瞳が見開かれる。 しかしそこに理性の光はなく、ただ赤い血走りだけが床の青い光に写っていた。 隆々といきり立つ男性自身。 ハンナは躊躇することなくその上に跨り、自らの胎内にそれを収めていった。 結んだままの唇からもれる、一筋の悲鳴。 巨大なそれが女性の中に飲み込まれて行く様は、半ば悲惨ささえ感じさせる。 しかしハンナは目尻から涙を零しながらも、それを全て自分の中に収めた。 そして自ら、腰を降り始める。男の胸に手を付き、幾度も幾度も腰を上下する。 やがて男自身の胸が動き出す。ゆっくりと、やがてハンナの動きに合わせるように激 しく。鼻控を行き来していた荒い息が、やがてシヴァの口をこじ開ける。 強く噛み締められた歯。だが、そこにはまるで獣のように太く盛り上がった牙が。 そしていつのまにか鋭く尖った爪を持つ両手が、ハンナの胸を掴んだ。 喉をしゃくりあげ、悲鳴を挙げるハンナ。 だが、いつしかその表情に、苦痛の色は消えていた。 男女は、まさしく獣同士のそれであるかのように、激しく交尾を繰り返す。 突如、ハンナの体の動きが止まり、硬直する。 ブルブルと震える女体。見ている方が達してしまうほどの凄まじい絶頂。 だが男は止まらない。その腰が動き続ける。 さっきまでシヴァと呼ばれた存在とはとても信じられない、異形の姿。 もはや、とても人間とは呼べない怪物に成り果てたそれは、飽くことなくハンナの体 をむさぼり続ける。幾度となく快楽を極める女性を嘲笑うかのように、その怪物は果て る事無く、ハンナを凌辱し続けた。 その口も、胸も。 前も後ろも。 ありとあらゆる責めをハンナは受け続ける。 そこには既に人間としての尊厳はなく、ただ、 「初めからそうされるためだけに作られた存在」 であるかのようにも思われた。 だが、そんな凌辱にも終わりがくる。 怪物の動きに切羽詰った慌しさと、リズム感を失った脈動が加わる。 そして改めて正面からハンナを激しく貫く。それが最後の瞬間に向けての動きなのは 明白だった。 そして。 怪物の口が、叫び声と共に大きく開かれた。。 同時に、ハンナもまた最後の頂点を極めていた。 その瞬間、床の紋章が一際青く輝いた。 その光は、まるで怪物の体躯を溶かすかのように淡く輝いていた。 いいや。 その光は「本当に」怪物の体を溶かしていった。 次第に輪郭を失う怪物。 そして次に、ハンナの体が突然凄まじい痙攣を始めた。 絶叫。凄まじい悲鳴。 およそ人間には発せられないはずの、人間が聞いてはいけないはずの咆哮。 #それを聞かずに済んだリムリアたちは、むしろ幸運だった。 淡く溶けた怪物の肉体が、ずるずるとハンナの胎内に吸い込まれていく。 ハンナの悲鳴は続く。 既に怪物の半分は消失し、それを証明するかのようにハンナの下腹部が盛り上がる。 まるで妊婦のように。 その丸く膨れ上がった腹が破裂するのが先か、怪物が消えるのが先か。 そう思えるほどの凄まじい情景。 そして、ハンナの肉体は、かつてシヴァと呼ばれた存在を自らの胎内に収めきった。 さっきまでの凄まじい絶叫が嘘のような静寂。 いつのまにか床の紋章も消えていた。 そこにあるのは、パンパンに膨れたお腹を抱え、まるで自身が赤子でもあるかのよう に丸くなって眠る女性の姿だけだった。 リムリアは、いつの間にか制止を解いていたシグルーンの横をよろよろと通り過ぎ、 寝息も立てずに目を閉じたままうずくまるハンナの元へ歩み寄った。その頬に触れ、も う二度と目覚めることのないであろう友の面影を心に刻み込んだ。 ゆっくりと立ち上がり、リムリアはセイルを見据えた。 「これで、満足ですか?」 セイルは、はいと答えた。 笑っていた。嘘も陰もない、本当の、心からの笑いだった。 「あなたは、ライザを手に入れるために、他人を犠牲にする人だったんですか?」 セイルはもう一度、はいと答えた。 そしてこう付け加えた。 私は、ライザを、愛していますから。 表情を変えず、リムリアはシグルーンの方に向き直る。 そしてセイルと同じように心からの笑みを浮かべる彼女に、こう尋ねた。 「シグも、これでいいのね?」 シグルーンは改めてにこりと笑い、コクンと頷いた。 つかつかと、彼女に歩み寄るリムリア。 ずっと笑顔を崩さないシグルーンにつられるように、リムリアもふっと笑った。 そして。 「っ!!」 拳を握り、全身全霊を込めて、リムリアはシグルーンを殴り飛ばした。 この前とは違い、さすがのシグルーンも大きく吹き飛んだ。 そのまま立ち上がろうとはしない彼女に一瞥もくれる事無く、リムリアは呆然と成り 行きを見ていた仲間たちの方へ歩き出す。そしてただ一言、「帰るよ」とだけ言って玄 室を後にした。意識を回復していたジーマやエリスンと共に、アリーヌもまた悲しそう な表情を残してリムリアの後を追っていった。 再び静寂が支配する玄室の中で、シグルーンがむくっと体を起こす。 赤く腫れた頬を気にする事無く、改めてハンナの元に近づく。 そこには既に、セイルとジャンもいた。 三人は目で合図を終えると、揃って印を組み、同一の呪文を唱えだす。 ハンナの体が、再び淡く輝き出す。 そして、虚空に吸い込まれるように消えた。 転移魔法。行き先は、残された地下迷宮一階の、かつて彼女がパッティの封印として その身を委ねていたパネル内の亜空間。 「……これで、一人目」 セイルがぼそっとつぶやく。 「あと三人ですか。やれやれ大変だ」 茶化すようなジャン。 「でも、終わりも近いですね」 そう言ってセイルに微笑みかけるシグルーンと、同じ微笑みで返すセイル。 二人を眺めるジャンの笑顔に、かすかな邪気が走った。 |
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地上は、夜明けを迎えていた。 後から追いかけてくるアリーヌたちを無視し、リムリアは早足で家路を辿る。 その時、朝日を背にして自分たちの方へ向かってくる人物の影を見つけた。 リムリアはそこでようやく、自らを支配する真っ黒な感情から解き放たれた。 自分の姿を見つけて、嬉しそうに走ってきたその人物とは、ミコだった。 「アリーヌさーん!」 変わらぬ衣装を身にまとい、美しい黒髪を朝日に弾かせて走り寄る彼女を、リムリア は幻でも見るかのように呆然と見続けていた。 「はあ、はあ……お久しぶりです、アリーヌさん」 心底嬉しそうな顔で、息を弾ませながら話し掛けてくるミコに、口篭もるように尋ね 返した。 「ど、どうして……? ミコ……」 「あ、はい! 実は私も皆さんと一緒にショートラムに来たかったんですけど、少し調 べものがありましたし、それにばあやに一度顔を見せておきたかったものですから。で も予想以上にかかってしまって。……あ、そうだ。皆さんお元気ですか?」 無邪気なミコの笑顔。その瞳が、リムリアの後ろからやってくるアリーヌたちを見つ けて、更に大きく輝く。皆に手を振りながらミコは続けて言った。 「ああ、皆さんお変わりないようですね。……あ、そうだ。シグルーンさんもこちらに いらっしゃるんですよね。ちょっとお知らせしたい事があるんですが。あの……今はご 一緒じゃないんですか? あ、リムリア、さん……」 瞳を曇らせながら、ぎゅっと手を握って小さく震えるリムリアに気付き、ミコは口を 噤んだ。そしてリムリアも、シグルーンという名前がミコの口から出た瞬間、必死に無 視して押さえつけていた感情が一気に溢れ出るのを留めることが出来なくなっていた。 「ミコ、ミコ……」 「リムリアさん、どうしたんですか? 何かあったんですか!?」 「ミコ……わあああーーーっ!」 リムリアは、自分より年下の少女の胸にすがり、子供のように泣き崩れた。 遅れてやってきた三人も、ミコとの再会を素直に喜べないまま、慰めようのないリム リアの悲しみに同調するように、悲しい表情を拭い去れずにいた。 ミコは気付く。 自分は、どうやら間に合わなかったらしい、と。 (すいません、シルヴィアさん……) |
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「……本当に、本当にこれでよかったんでしょうか?」 「勿論。あなたの望みを叶えるためなんですもの。それにハンナたちが求めた結末でも あるんですよ?」 「でも! これじゃ私はなんのために彼女たちをパッティの封印から解いたのかわから なくなってしまう!」 「事態は動いているんですよセイル? それがわからないあなたではないでしょう?」 「でも、でも一部の人間を犠牲にして、それで得られる平和なんて……」 「嘘おっしゃい。あなたが求めているのは平和じゃなくてライザでしょう?」 「それは、そうですが……」 「ふふ。あなたのそういうところが魅力なのはわかってますけど、いい? 時には自分 の欲望に正直になってもいいんですよ? 特にあなたはね」 「そんな……」 「神も人も、全ての人がそれを許してくれるわ。だってあなたは、愛の大神官、セイル =ウォルサム=フェルナンデスなんですから」 「私は別に、そんなことのために大神官になったわけじゃ!」 「大丈夫よセイル。誰もあなたを責めたりしない。誰もあなたを非難できはしないわ。 大丈夫よ、セイル……」 「あ、ああ……シグ、ルーン……」 「ふふ……もうこのお薬、経口じゃ効かなくなっちゃったわね。でもお注射の方がすぐ 効くし、それに効果も何倍ですものね……」 「シグ……ああ、いい気持ちだ……」 「そうよセイル。あなたは自分の欲望に正直でいいの。ほらここも……ふふ、スゴイ。 どんどん凄くなってくる、ああ、セイル……愛してる……」 「シグ……ああ、私の可愛いシグ? あなたは、どこまでも私についてきてくれるんで すよね? あなたは私の忠実な僕、私の可愛い奴隷……」 「はい、ご主人様……私、シグルーン=フレグランスは、例えこの身が地獄に落ちよう とも、ご主人様の所有物でごさいます。DALKとしての力も、そして……」 「ふふ……はははは! シグ! ははっ、もうこんなにして! この淫乱め!」 「はい……はいご主人様……シグルーンは、ご主人様のためならなんでも……」 「ははは、この哀れな生き物め! お前などライザに比べたら……ははは」 「ああ、ご主人様……お情けを……ああ、セイル……ああ、凄い、イイッ、ああん!」 「ははは、ははは、アーハッハッハ!!」 セイルの寝室の隣の部屋。 残り三人になったパッティとジャン。 「ふふ。どんどん凄くなるねえ、あの二人」 「ジャン! そんな言い方!」 「あなたたちだってそれを望むんでしょうに。何を今更」 「そりゃ、そうだけど……」 「あたしたち、絶対天国なんかに行けないね」 「わかりきったことを。あなたたちの来世はただ一つ」 「何だってのよ!?」 ジャンは、これ以上ないというほどの邪悪な笑みで宣した。 「『無』さ。君たちは全ての終末をもたらすんだ。ふははは……」 三人は、何も言い返せなかった。 |
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2002.7.9 The Second Chapter, 2nd Story : |