この世界を愛する全ての人へ、
 この物語を伝えよう。

 「永遠の勇者たち(Eternal Heros)」の、
 「永遠の物語(Eternal History)」を。

 「永遠の心(Eternal Heart)」を継ぐ者たちの伝説を。


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DALK

〜〜 第二章 〜〜

〜 第一話 〜

「焔(フンヌ)」

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(ゴオオオオ……)

 静寂。室内の沈黙を縁取る嵐鳴。
 仄明。部屋の中央を陣取る燭台。
 吐息。密室の空気を汲取る律動。

(ゴオオオオ……)

 丹田に響く振動は、この小さな空間を包み込む、大自然の荒ぶる神々の息吹か。
 あるいは、決して聞こえるはずの無い、今にも消えそうに揺らめく炎の吐息か。
 それとも、この場に集う三つの魂に燈る、やるせなき憤怒の嘶(いなな)きか。

(ゴオオオオ……)

 深夜。遅い春の到来を告げる、生ぬるい嵐の渦巻く世界。
 後にこの地が何と呼ばれることになるのか、未だ知る者の無い山間の寒村。

 屋根を五十すら数えるに至らぬ集落の、更に外れにひっそりと佇む小宿。
 その一室。部屋の半分を占める円卓の上で、狭い室内さえも照らしきらぬ灯火。

 そして。

 円卓を囲む椅子が五つ。
 座する者三人。男一人、女二人。
 未だ温められぬ背もたれが二つ。

(ゴオオオオ……)

 無言。

 三人の誰も口を開かぬ。いや、瞼すら開こうとしない。
 だが安らかな眠りを貪れる静謐(せいひつ)とは無縁。
 異常なほどの緊張。

 何かを待っているのか。
 何かに耐えているのか。

 誰も語らぬ。
 誰も応えぬ。

 真の静寂。それは「音の棲まう世界」。
 それこそが真の孤独、真の恐怖。
 一体誰が其に堪えられよう。

 三人は語らぬ。

 場を満たす鳴動だけが、「時」という階段を昇り続ける。
 「死」という転落をもって以外、決して止む事の無い歩み。

 三人は耐えている。

 「時」を浪費する焦燥に。
 「死」を放逸する失望に。

 未だ答え至らず。
 ただ待ち続くのみ。

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 だが。

 明けぬ夜が無いように。
 止まぬ嵐が無いように。

 三人の一人が、ついに瞳を開く。

 恐るべきは他の者たち。
 音一つせぬこの行為に、即座に反応してみせた。

 三人の視線が、薄闇ににぶく揺らめく他の四つの光を探り合う。
 正確には、内二人が見得た光は三つだけ。

 憤懣(ふんまん)に満ちた独眼。
 最初に目を見開いたのは「彼」。場に座すただ一人の男。
 本来有るべき右目の上を覆う眼帯。

 残り二人が、彼の深く沈むように輝く緋(あか)き光を探り合う。

 一人は何の感情も感じさせぬ、冷たき黒き瞳で。
 もう一人は戸惑いと不安を感じさせる、泉の如く澄んだ青き瞳で。

 そんな視線を払うかのように、男は続いて口を開いた。

「遅い」

 淀んでいた空気が動き始めた。
 その一言で、室内の温度が明らかに変化した。

「まだか、あいつら」

 誰も答えない。答えが自明過ぎて答えようが無いのだ。
 男もそれはわかっている。でも実際に口に出さねば気が済まない。

 シヴァ=グレイス。彼はそういう人間だった。

 ボサボサの頭。まるで襤褸(ぼろ)をまとっているかのようなだらしなさ。
 だが彼を特徴付ける外見はそこにはない。
 眼帯の下に大きく走る古い傷跡。額にも頬にも、そして耳にも。
 顔だけではない。胸の上に組んだ、剥き出しの両腕にも見て取れる無数の傷跡。
 一体どれほどの死線をくぐり抜ければこうなるのか? それを想像するだけで、彼と
いう存在の特異さが認識できよう。

 ムスっと怒りを露にして歪む表情は、そんな装飾に彩られて鬼の形相にも見える。
 だが不思議と、背筋を凍らせる恐怖を感じさせるような凄惨さは無い。
 への字に結ばれた口元には、子供っぽい微笑ましさがにじんでいる。よくよく見れば
決して異相ではない。むしろ男らしい、きちんとしてさえいれば好漢とも呼べる容貌を
持っているだろうことが伺える。

 しかし今は、緋色に滲んだ瞳が真にこの男を鬼に仕立て上げている。
 何かの種火で、全世界をも焼きつくさんとする火焔へと変貌しかねない鬼に。

 男はもう一度、今度は意図的に声を荒げて叫んだ。

「一体いつまで待たせる気だ!?」

 残り二人のうちの一人、青い瞳を持つ「少女」がびくっと体を震わせる。
 瞳に浮かぶ戸惑いが更に色を増す。それはまるで薄暗い室内までも染め直してしまう
かのような存在感を示した。

 この男、シヴァですら思わず口を噤みたくなるほどの。

(……チッ)

 内心で舌を打つ。まったく、この小娘は。
 いい加減に自覚したらどうなんだ、自分の力って奴を。

 外見は十人並みとしか言いようの無いほどの平凡な娘。
 つぶらな瞳を隠すような丸い眼鏡と、年の割には目立つ頬のそばかす。
 だがこの娘の存在感は外見には無い。そう、シヴァと全く逆。
 恐らく彼女は自覚してはいまい。自らの発するオーラの熱量を。

 人ごみに紛れてしまえば彼女の姿を見分けることは難しい、だが。
 その中に彼女がいるかいないかを見分けることはたやすい。

 それほど鮮明に、場の雰囲気を制する「気」を持つ存在。

 それは彼女の能力に相応しい。
 恐らくは、「彼ら」の中でもっとも神に近い存在。
 それがゆえに、「彼ら」の一員として列せられる存在。

(……ってえのに、こいつは自分の力を自覚できてねえ)

 シヴァには忌々しい。
 全く。ただでさえこいつは、俺の……。

 彼の精神の骨格に痛ましく刻まれた記憶。
 決して忘れることの無い、忘れてはいけない記憶。
 けれども思い出すたびに、心に新たなひび割れを生じさせる記憶。

 ミルフィーユ=フローレス。通称ミル。

 彼女はシヴァにとって、そんな記憶そのものだった。
 無論ミルは知る由も無い。シヴァ自身、誰にも語ったことの無い記憶だった。

 ミルの青い瞳を見返すシヴァ。だがそれを続けられない。
 なぜなら、つい、と吸い込まれてしまうから。
 青く深い思い出の泉に。
 彼が長くは無い生涯の中で唯一、心の底からの安らぎを感じていた刻に。

 そして、それを無残に打ち砕いた「奴ら」に対する復讐の業火の痛みに。

 今はまだその時ではない。
 自分をそう理由付ける。そして目を閉じる。
 そうすれば、この瞳を見ずに済む。今は、まだ。

 そうして一見落ち着きを取り戻したシヴァを見て、ほっとため息をつくミル。
 彼女にはシヴァの心が読めない。そう、まだ彼女は「少女」。
 だがもう一人は。

 シヴァは、音もさせずに含み笑いを漏らした存在の気配を察する。
 再び目を見開く。そしてミルではない、もう一人の「女性」を睨みつける。

 視線の先に座す、絶世と評するに相応しい美女。

 だがそこに性欲の対象としての艶は無い。
 彼女がまとうのは、この時代ですら特異と呼ばれる、遠き東の彼方の国の装束。
 増して特異なのは、その装束が戦士のものであること。

 殺戮用として精錬された一個の戦闘兵器。

 なまじ容貌が美しいが故に相応しすぎる、その形容。
 背に負われた、細く緩やかに湾曲した妖刀が抜かれた時、その美しさは完成する。

 死をすら芸術と感じさせるほどの剣舞。
 幾度と無くそれを見せ付けられてきたシヴァたち。
 そんな化け物が、忌々しげに笑ってやがる。
 もちろんあからさまな表情に見せてはいない。だが隠してもいやしねえ。

 この「怪物」め。

 日向葵(ひゅうがあおい)。
 彼女はそう名乗っている。

「……何が言いたい、葵?」
「いえ、別に。ただ」
「なんだ」
「お優しいですね、死神さん」

 シヴァの目が、すっと細く据わったのをミルは見た。

 あ〜あ、また始まっちゃった。なんでこの人たちってこうなんだろ?
 でもこの方が二人らしいかも。

 自分が原因だとも知らず心の中で苦笑いするミル。
 でも見慣れた風景に安堵もしていた。
 そう、「彼ら」にとっても先刻までの静寂は異常だったのだ。

 何時如何なる時でも、周りの全てを焼き尽くすかの如き焔を撒き散らす。
 それが「彼ら」。焔の化身。
 「人」を焼き、「奴ら」を焼き、そして「彼ら」自身をも焼く。
 そんな焔に静寂という状態は似合わない。だから。

 敵意むき出しで葵に突っかかるシヴァ。

「……ふん、怪物に言われる筋合いはねえな」

 怪物、と言う表現に葵も反応する。

「死神を死神と言って何が悪いんです? 北の街道で幾千もの無辜(むこ)の民の命を
奪った盗賊団の首領が?」
「……訂正しろ。俺が殺ったのは悪人だけだ」
「あなたの辞書には、商人を悪人と書いてあるんですか?」
「この時代に商隊を組める連中に善人なぞいるもんか。それにもう一つ。俺は盗賊じゃ
ねえ。誇り高き暗殺者だ。依頼以外で人を殺したことは一度もねえ!」
「……人は、ね」
「それはテメエも同じだ、怪物」
「怪物に怪物呼ばわりされたくありません」

 じゃ、あたしたちってお化け屋敷みたいなものかしら。
 二人の口論を眺めていたミルはそう思う。この娘も相当ずれている(苦)。
 そしてシヴァが、つい禁句を口にした。

「うるせえ、ヒマワリ娘」

 その瞬間。ヒュンという小さな擦過音をミルは耳にした。
 音のした方を見る。
 はらりと、真っ二つに切り裂かれた蛾がシヴァの眼前に落ちていった。
 シヴァの表情は変わっていない。目を閉じた様子も無い。だが。

 カチャリ。
 葵が刀を背の鞘に収める音で、何が起こったかをようやく察する。

 ミルは思う。やっぱり二人とも「怪物」かもしれない、と。
 今度は葵が、低くくぐもる口調でシヴァを恫喝した。

「以前にも言ったはずですよ。『それ』を言ったら殺す、と」
「ハン。それにしちゃ甘いな。それとも俺様を殺す腕もないか?」
「あなた程甘くはありませんよ。未だに昔のおん……」

 今度は葵の耳元を閃光が通り抜けた。
 タン、という音とともに、ナイフが葵の後ろの壁に突き立たる。
 手を振り切ったままのシヴァを、やはりまばたき一つせず睨みつける葵。

「本気で、殺されたいらしいな」
「あなたこそ、わたしを殺せる腕があるとでも思っているんですか?」
「……試してみるか?」
「いいでしょう」

 疾風のシヴァ。十秒で百人を殺戮し得た恐怖の死神。
 魔剣士葵。神刀群雲に見初められた当代最強の剣客。

 裏社会に通じている者であれば、この二人の対決を見れるとなれば全財産を投じても
惜しくないと思わせるほどのカード。観客がミル一人では勿体無かろうに。
 最初、いつもの喧嘩かと甘く見ていた彼女も、この時の二人の異常さを感じ取ってい
た。もしかしてこの二人、本気かも、と。

 どうしよう、どうやって止めたらいいんだろう?

 にらみ合う二人の間に硬く張られた緊張の琴線。
 ミルにはそれがはっきりと見える。
 今にも鈍い音を立てて千切れそうだ。

 二人の手が、お互いの業物に近付いていく。
 ミルが思わず座から腰をあげかけた、その時。

 突然、二人の表情が緩んだ。
 それまで満ちていた殺気が、嘘のように消え去っていた。

 え?

 わけのわからないミルを無視して、二人は同じように椅子に深く身を沈める。
 そしてやはり同じように目を伏せる。最初に口を開いたのは葵。

「やっと、ですね」

 苦笑いを浮かべる。それはシヴァも同じ。

「もう一人の怪物のお出ましだ」

 彼の言葉に重なるように、ミルは「あの気配」を感じた。
 ああ、なるほどね、と。そして思う。
 どうしてこの二人、魔法使いでもないのにこれがわかるんだろう、と。

 つくづく、怪物なんだなあ。

 そう思うミルの背筋に、彼女ほどの能力者ですら寒気と感じる魔力の波動が走る。
 閉じられた扉の向こう。見えるはずが無いんだけど、はっきりと感じられる。

 そう、「この人」も怪物なんだ。

 なのにミルは気づかない。
 そんな自分も怪物である、と。

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 カチャリという扉の小さな音。
 入ってきたのは、一人の長身の男。

 黒く闇にまぎれるような、しかしよくよく見ると極めて精巧な装飾が施されているの
がわかる、明らかに高価なマント。一見しただけで魔法使いとわかる格好。

 そして彼の容貌は。

 確かに葵も美しい。女性として、他の女性の羨望を集めるに足る容姿を持っている。
 だがこの男は、男でありながら女性を嫉妬させるに足る美しさを備えている。

 細く流れる眉。
 透き通るように白い肌、
 彫刻のようにスラりと伸びた鼻筋。
 広めの額を際立たせるように中央で分けられた長い黒髪。
 薄く形の良い唇と、控えめに尖ることでバランスを保つ顎。
 宝玉の如き輝きを放つ碧(みどり)の双眸と、かろうじて瞳を覆う小さな丸眼鏡。

 ある種の完璧な美貌。
 それがこの男。エル=マッハ。

「遅かったですね、エル」
「一体いつまで待たせたら気が済むんだ、テメエらは」

 葵とシヴァが彼に文句を浴びせる。
 直前まで殺し合いを始めかねなかった二人とは思えない。

「おやおや、ずいぶん仲の良いことで」

 明らかに人を嘲笑した憎たらしい笑顔で返す。しかもそれがサマになっている。
 彼がこういう人間だと嫌になるほどわかっていても、やはり言葉を失う二人。

 畜生、コイツ聞いてやがったな。シヴァが内心毒づく。

 そんな心の動きも見透かしているかのような、美しい口元にへばりつく笑み。
 敵意など毛ほどにも感じぬ超然さをもって、逆に嫌味を返すことが出来る男。
 それがエル。神すら一目置くと言わしめた黒魔術師。
 わずか八歳で、師事していた魔術師ギルド総帥すら凌駕した真の天才。

 だがこの「男」は。

「フン、テメエと違って俺はノーマルだからな。時には女に優しくもしてやるさ」
『どこが』

 シヴァの言葉に、葵とミルがハモった。
 顔をしかめるシヴァに追い討ちをかけるエル。

「そうでしょう? そもそもこんな醜い男が女性に優しくできるはずがありません」

 ところが今度は葵が、まるでシヴァをかばうようにエルに応じた。

「……エル、あなたに言える言葉じゃないでしょう?」
「おや、そうですか? 少なくともこの醜男よりはマシだと思いますが」
「貴方は優しいんじゃなくて礼儀正しいだけです」
「ふふ、これは手厳しい」
「相手を人間扱いしない貴方よりは、たとえ下種(ゲス)でもシヴァの方が相手をしや
すいですから」
「下種とはなんだ下種とは!」
「誉めてるんですよ。少なくともエルよりマシだと」
「ははは。いけませんよ葵。美しい女性がそんな言葉を使っては」

 舌打ちするような表情でエルを見やり、小さくつぶやく葵。

「貴方が美しいと思うのは、女じゃなくて男でしょう?」
「いえいえ、美しいものは男でも女でも好きですよ。ただ、女性は美しくて当たり前。
それに対し、美しい男というのは男であるからこそ至高の価値を持つんです。まだまだ
貴方たちには真の美というものがわかっていませんね」

 まただ。そろってため息をつく三人。
 そんな彼らを無視して、エルが両手を広げて宣した。

「そう、例えばこんな」

 エルは扉の前から身をかわす。
 そして、続いて入ってくる「青年」を招き入れた。

 何の邪気も無く微笑む青年。
 彼が室内に入ってようやく、一枚の絵が完成した。

 後の世に、後の世界に連なる伝説と魂を持つ者たち。
 後に「永遠の勇者たち」と呼ばれる事となる者たち。

 青年の名は、アーサー=ロレンス。
 彼こそが、この怪物たちを束ねる存在だった。

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 シヴァがその二人連れに出会ったのは、当時根城としていた北の山中。
 その時、彼は「独り」だった。

 彼は全てを失っていた。
 手下という名の仲間も。
 悪名という名の名声も。

 そして、家族という名の拠り所も。

 彼は絶望していた。
 自らの無力さに。
 境遇の残酷さに。

 だから彼は、自らの最後の誇りすら捨て去ろうとしていた。

 「人」を殺してやる。
 何の関係も無い「人」を。

 ただ生きのびる為だけに。
 ただまぎらわす為だけに。

 その最初の獲物が来た。
 理由など要らぬ。ただ殺してやる。
 そう思って、彼は細長い懐剣を取り出した。

 これまで幾千もの命を奪ってきた愛用の品。
 幾度こいつに助けられただろう?
 幾度こいつが誇り高く思えたことだろう?

 でも、「奴ら」には、何の役にも立たなかった。
 だからもういい。こいつを血に染める。
 本当の血に染める。

 悪人という名を冠する妖怪どもの汚物でもない。
 標的という名を冠する下郎どもの体液でもない。

 本当の人間の血に染めてやる。

 こいつらが最初だ。
 のこのこと、こんな所にやってくるこいつらが馬鹿なだけだ。

 雲が立ち込め、薄闇があたりを覆う山中。
 シヴァは、街道の死角となる木陰に身を潜める。
 呼吸を止める。自らが発する一切の気配を断つ。
 この死神の隠身を察知できる「人」など、この世には存在しない。

 足音が近づく。
 気配が近づく。

 間合いまであと一歩。
 シヴァは鼓動一つ乱してはいない。なのに。

 二人の歩みが止まった。
 そして彼らが発する気の色が変化した。

(こいつら!?)

 シヴァは一瞬、「奴ら」かと思った。
 こんなことが出来る「人」がいるはずが無いのだから。
 だが間違い無い。こいつらは人間だ。
 この俺様がはじめて出会う、俺と同類の人間だ!

 片方は戦士、いや、聞こえていた甲冑と剣の擦り音から、恐らくは騎士。
 そしてもう片方は魔法使い。だがこの波動は尋常ではない。なんだこれは!?

(ヤバい!)

 凄まじく早い呪文の詠唱を察知するかしないかのうちに、シヴァはその場から飛び出
した。居場所を看破されるのは仕方ない、だが。

 『ゴオオオッ』

 まさにコンマ数秒の差だった。それまでシヴァが隠れていた大木が、灼熱の炎に包ま
れたのだ。いくら彼でもこれに巻き込まれては即死だったろう。

(構わねえ)

 好都合だ。この閃光と爆音では俺様の移動も察知できまい。
 この地は俺の庭だ。どう動けば良いかくらい体に叩き込んである。

 そしてシヴァは、件の魔術師を視界の隅に認めた。
 黒いマントに身を包んだ男。未だ胸の前で印を組んだまま炎を見つめている。

(バカめ)

 やはりこいつ、俺様が見えていねえ。よし、じゃあ。
 そう思った瞬間、シヴァの認識を覆すように魔術師は彼の方を見た。
 笑っていた。まるで人のものとは思えない程の冷たい笑い。
 シヴァはその時、人生で二度目の体験をした。
 死の恐怖を感じたのである。同時に。

 『カキン!』

 シヴァ自身、どうしてそれが出来たのかわからなかった。
 なんと彼の後ろに、もう一人の騎士が先回りしていたのである。
 彼は無防備に背を晒すシヴァに容赦無く切りつけていた。
 それに対しシヴァは、懐剣を後ろ手に回して剣を受けると共に、その衝撃を流すよう
にして剣を支点とする体旋回を行ってみせた。この男の反射神経も尋常ではない。

 『チン』

 そのシヴァをして必至の行為だった。視界が360度回転する一瞬の間に、彼は相手
の剣を払い、その反動で間合いを取ったのである。二人の位置を慎重に確認しつつ、彼
は音も無く地に足を降ろした。

 未だ燃え盛る大木を中心に、三人の男が対峙する。
 シヴァは、改めてこの二人を注意深く観察した。

 魔術師は、異様に美しい男だった。

 既に先刻とは異なる印を結んでいる。いつでも次の魔法が撃てる状態だ。
 だが相変わらず口元に憎たらしげな笑みを浮かべている。
 本能的な反感をシヴァは抱く。だがそれで評価を誤るほどこの男は甘くない。
 これまで見知ったことの無いほど強力な、「奴ら」に匹敵するほどの巨大な魔力。

 怪物だ、こいつは。何でこんな奴が、今、ここに?
 そしてシヴァは彼に全神経を総動員して注意を払いつつ、もう一人の男を伺う。

 青年もまた、美しい男だった。

 だがそれは戦士としての、そして少年と身間違うほどの無垢な美しさだった。
 思わず緊張が削がれかける。あまりにもこの場に不釣合いな気がしたからだ。
 でもシヴァはすぐに察し得た。なるほど、こいつもか。

 青年がまとう重甲冑。決して小柄ではない彼すら埋もれて見えるほどの大きさ。
 防御力は素晴らしかろうが、これでは重過ぎて身動きすらままならないはずだ。
 なのにこいつは、「さっきの俺様の動きに対応できた」のである。
 そして中段に構えられた巨大な剣。そこに刻まれた幾つもの戦歴。
 ついさっき、恐るべきスピードで自分を凪いだのはこの剣だ。
 無理に受けようとせず体ごと流したのは正しかった。この重量が生む破壊力は……。

 「人」で、こんな奴らがいたのか。

 シヴァは再度、死を覚悟した。
 逃げられる可能性もある。スピードだけならそれでも自分が上だからだ。
 だがこのまま戦闘を続けたら100%負ける。
 自分に匹敵する怪物二人を同時に相手に出来ると思うほど、彼は傲慢ではなかった。
 でも。

(……おもしれえ)

 望むべきことかもしれない。なぜなら願っても無い死に場所だからだ。
 こいつら相手なら、自分の最後の誇りを失わずに済む。
 だってこいつらは。

 懐剣を順手に構え、腰を低く沈める。
 そんなシヴァの行動に、二人が同時に「ほう」という驚きを浮かべた。

「……いくぜ」

 シヴァが人生最後の跳躍をかけようとした瞬間。

「お待ちください!」

 騎士の青年が、剣から手を離した。そしてシヴァを制しながら剣を鞘に収める。

 本来ならこの機に攻撃をするべきだった。こんな甘チャン相手に何故と、後日シヴァ
は繰り返し思ったものである。だが青年の行動はあまりに自然だった。良く言えば威風
堂々とした、悪く言えば形式ばった騎士道精神風の雰囲気に飲まれていたとも言える。
ともかくも、この時シヴァが死に場所の一つを失したことは確かだった。

 やれやれという風で、変わらぬ笑みを浮かべる魔術師が青年に歩み寄ってきた。
 そのまま、シヴァの方に歩み寄る青年の後ろにつく。

(フン)

 確かに、前にいる青年の殺気は完全に失せていた。だが後ろの奴は、大きなマントと
前を歩く青年の影に、さりげなく右手を隠している。

 シヴァにはわかっていた。この野郎、「印」を解いてねえ。
 もし俺が危険な行動を起こしたら即座に「撃つ」つもりだ。

 いいだろう。
 話くらいは聞いてやる。

 青年がシヴァの三歩手前に立った。そして後ろの魔術師を振り返り、彼の手を抑えて
首を横に振った。
 魔術師は、まるで臣下が主君に礼をするように深々と頭を下げる。
 同時に彼の指の印もほどかれた。すると突然、二人を包んでいた繭のようなものが姿
を現し、そして一瞬のうちに弾けたのである。

(こいつ!?)

 この野郎、結界まで張っていやがった。しかも俺様が気づかないほど高度な。
 一体、何者だこいつら。

 それを知ってか知らずか。
 青年は改めてシヴァの目を見つめ、そして頭を下げた。

「はじめまして、シヴァ=グレイス様。わたくし、アーサー=ロレンスと申します」

 これがシヴァと、アーサーたちとの最初の出会いたっだ。

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「……なるほど、テメエがあの『闇の魔術師』、『THE DARKNESS』か」

 シヴァが最初に興味を引かれたのは、この魔法使いだった。というのもその二つ名に
聞き覚えがあったからだ。それどころか裏世界で知らぬ者のないほどの有名人だった。

 三歳にして魔術師ギルドに連名。
 五歳にしてあらゆる魔法言語を習得。
 八歳にして全ての魔法使いの頂点に立った天才。

 だが、この男の伝説に光は存在しない。

 アルパ戦役の帰趨を決したと言われる「暗黒の一日」。
 小国エトナの大侵攻戦と滅亡を彩った「黒死の軍団」。
 キンガナス皇位継承の背後で暗躍した「漆黒の軍師」。
 そして彼の伝説の極めつけと言われる「霊黒峰消失」、等々。

 過去十数年に起きた重大事件の裏で、何らかの関与をしていたと噂される男。
 人でありながら人を弄び、人でありながら人を裏切る。
 もしかしたら彼は、もう人ですらないのかもしれない。

 闇の支配者。闇の化身。人の暗黒面の蒸留物。
 それがエル。エル=ザ=ダークネス。

(ふむ……)

 噂が間違っていないのは、良くわかった。
 だが、何でそんな奴が今、ここに?
 と、横の青年を見やる。この「美しい」青年騎士を。

(ふふん)

 そう言えば。シヴァは彼のもう一つの噂を思い出した。
 噂ってのは意外と、本当に真実だったりするもんだな。

「……で、この醜男に何の用だ? ええ、ホモ野郎?」
「用があるのは私ではなくこのお方です、死神さん」

 チッ。どうやらこいつも、俺の噂を知ってるらしい。

「そして」

 エルが、心持ち声を高くしていった。

「このお方はそんな方ではありません。この方は私の主君です」
「だからそれはやめてくれと言ってるじゃないか、エル」

 苦笑いしながら、アーサーと名乗る青年はそう言った。
 だがエルも引き下がらない。

「いいえ、貴方は私がこの世で唯一仕えるべき主君でございます、マイロード。貴方は
私の全て。でなくば私の生きている意味がございません」
「……わかったよ、エル。そこまでにしてくれ」
「御意、マイロード」

 なんだこの茶番は。
 その時シヴァはそう思った。というより、そう思わない者などいまい。

「とにかく、我が主君の依頼を聞いていただきます」
「まあ、聞くだけはな」
「なんなら是が非に受け入れて下さって『もらっても』、よろしいのですが」
「……できると思うか、この俺様に?」
「やってみせましょうか?」

 やはりこいつ、絶対に好きになれねえタイプだ。
 シヴァは、一生こいつに気を許すまいと心に思う。
 まあ普通そうだわな。というより、絶対それが正しい。

「……エル」

 後ろから、ずっと苦笑いのままの青年が彼を抑えるように前に進み出た。
 エルは素直に、改めて一歩退く。そして青年は再度、シヴァの瞳を見つめた。

 紅い、瞳だった。

 シヴァもまた、緋色の瞳を持つ男である。
 だがシヴァのそれは血の色。
 殺人者の、いや、殺人鬼の持つ非情な魂の色。

 しかし青年の持つ紅色は、宝玉の色。
 永き時間と奇跡の環境が創り上げた、意志という元素の結晶。

(これ、は……?)

 探る。ふと、その意志がなんなのかを知りたくなる。
 潜る。彼の持つ紅の世界の結晶格子の組成をたどる。

 その時、何かが弾けた。

「ウワァッ!?」

 シヴァは、自分が叫んだと思った。
 恥ずかしげも無く、まるで女のように悲鳴をあげてしまったと思った。

 ふっと、我に返る。
 青年は相変わらず無邪気に笑っている。
 後ろのエルも、そっぽを向いたまま何の反応も示していない。

 声を、出したと思ったんだが。

 確かにシヴァは、現実には声をあげていない。
 だが彼の精神が、自己の内宇宙を打ち砕くほどの悲鳴をあげたのだ。

 彼は確かにその時、黄金に輝く光を見た。
 彼は知っている。あの光は……。
 改めて青年を見やる。やはりもとのままの紅の瞳。
 錯覚だろうか? しかし。

 青年は、シヴァが落ち着くのを見計らって、ようやくこの訪問の目的を告げた。
 シヴァは、自分の運命の歯車がシフトする音を聞いた気がした。

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「『奴ら』を倒す、だって? バカが……」

 青年は何の迷いも無く言ってのけた。
 そしてこともあろうに、この俺様に協力を依頼してきたのだ。

 腹を抱えて笑う俺様に対し、三日後に自分たちはここを旅立つと奴は言い、ふもとの
街道町へと戻って行った。つまりそれまでに、答えを聞かせてくれということらしい。

 笑うしかねえ。
 ははは。バカかあいつら。

 人に、「奴ら」を倒せるはずなんかねえじゃねえか。

 そりゃあな、俺様だってそれなりのモンさ。
 状況によっちゃ、ちいとは相手できるかもしれん。
 だが、「奴ら」は俺らとは別モンだ。
 俺らとは存在の次元が違うんだ。あれは、あれは……。

 ドクン。

 やめろ、やめろ。思い出させるな。
 見たくない。見せるな。聞かせるな。あの声を、あの冷たさを。
 いやだ、いやだ、いやだ。
 目をつぶるな。何も見るな。

 やめるんだ、「俺」。

 一人の男がいる。
 俺が旗揚げしたときから、ずっとそばにいた奴だ。

(……本当に足を洗うつもりですか、リーダー?)
(うっせえぞ、アル。もう決めたことだ)
(アンタなしで、この砦がやってけると思ってるんですか!)
(テメエがいるだろが。ふふ、俺みてえな無鉄砲がいなくなりゃ奴らも楽になるさ)
(違う、わかってるんだろリーダー! 俺たちはみんな、アンタが好きでここまで)
(だったらやめちまえ! こんな明日も知れねえ稼業、無理に続けてどうなる!)
(……あの女の、せいですか?)
(アル!)
(あんな女にたぶらかされて、あんな女に骨抜きにされて……。昔のアンタはそんなん
じゃなかった。非情で、残酷で、強暴で……。でも、すっげえ輝いてた。俺たちみんな
の太陽だったんだ、アンタは)
(だったら新しい太陽を探せ。俺は、……俺はもう、オメエらを照らし続けるのに……
疲れたんだ……)
(リーダー……どうしてそんな……なんでアンタがそんな言葉を……)

 女がいる。特別美しくなんかねえ、でもすっげえ強い女だった。
 青く、深く澄んだ輝きを放つ瞳を持つ女だった。

(あなたはどうして、人を殺すの?)
(別に殺したくて殺してるんじゃねえ。仕事だ)
(嘘。本当は、人殺しをするための理由を誰かにもらってるだけじゃない)
(……黙れ)
(人を殺したいんでしょ? 自分が強いと見せつけたいんでしょ?)
(黙らないとテメエも殺すぞ)
(たまたま人を殺せる力があったから、それを自分の誇りにしたいんでしょ?)
(いい加減にしろ!)
(だから自分が一番でいられる世界に閉じこもってるだけ。いつでも誰か他人に、自分
が凄いんだと、一番なんだと思われていたいだけ。それがどんな一番でも)
(……殺す)
(かわいそうなひと。本当は、自分自身で自分を決める勇気も無いくせに、自分を決め
てくれる誰かをずっと待ってる、弱い人。かわいそうな、ひと)

 またあの男の顔が浮かぶ。

(わかったよシヴァ。だけど、この仕事はアンタじゃなくちゃだめなんだ)
(いい加減にしろアル。もう俺は)
(置き土産だと思ってくれよ、シヴァ。ホントに、これで最後だ)
(……)
(アンタだって、アイツらが可愛いだろ? アイツらがこの後まっとうな生き方を見付
けるのにだって、金が要るんだ。せめてリーダーなら、それくらい)
(……そう、かもな。俺一人だけ、じゃ卑怯か)
(だろ? ホントに、これっきりなんだから)

 女の顔。

(やっぱり、行くの?)
(これが本当に最後だ。約束する)
(……わたしが、待っててあげるとでも思ってるの?)
(待っていて、欲しい。お前だけじゃなく、この子のためにも)
(……ふふ、死神の言葉じゃないわね)
(わかってる。けど、けじめだけは付けておきたいんだ)
(全く、本当に優しすぎるんだから、この死神さんは)
(弱いんじゃ、ないのか?)
(弱さを認める人を、優しいっていうのよ。死神さん)
(俺は、弱いままでいいのかな?)
(弱いままでいなければ、いつか必ず、それ以上強くなれなくなるのよ。あなたは強く
なりたいんでしょ? 誰よりも強い男に?)
(……ああ。お前を守れる、誰よりも強い男に)
(だったら弱さから逃げちゃ駄目、絶対に。どんな苦しいときも、どんなに悲しいとき
にもね。それを忘れない限り、あなたは私を守ってくれるわ)

 やめろ、この続きを見るな。

(どういうことだ、アル!?)
(……アンタが、アンタが悪いんだ! 俺たちを捨てるなんて、そんなことを)
(だからって、よりにもよってなんで「奴ら」なんかを!)
(だって仕方ねえじゃねえか! アンタみたいな「死神」を相手にするにゃ、ホンモノ
の「奴ら」にでも頼んなきゃどうしようもねえじゃねえか!?)
(……クッ)
(やめろ、もう手遅れだ! いくんじゃねえシヴァ!?)
(うるせえ!)
(行かないでくれ! もうこれ以上、俺たちを見捨てないでくれーっ!)

 いやだ、なんでやめてくれないんだ!

(……ねえシヴァ……)
(リアンナ……大丈夫だ、こんな傷、すぐ……)
(この子の、名前……決めたの。きいて、くれる?)
(もうじゃべるな……黙ってろ……)
(ミリィ……よ。ね、いい、名前でしょ……)
(ああ、ああ……リアンナ)
(よかった。気に、いって……く、れて……)
(リアンナ……)
(ふふ、女の子だ、なんて……決まって、な、いのにね)
(リア……ん、な?)
(ふふ……ふ……)
(……りあんな)
(……)
(おい……やめろよ。やめてくれ……)
(……)
(目をあけろよ。……俺を、叱ってくれよ。いつもみたいに……)
(……)
(あ、あああ……うわあああぁぁぁァァァーッ!)

 そうだ、そして俺は。
 「奴ら」に向かって行ったんだ、けど。

(……やっぱり、アンタは死神なんだな。あれで死なないなんて)
(アル、か……)
(ふふ、俺もアンタも、みんな失っちまった)
(みんな、って……うっ)
(ははは、生き残ったのは俺たちだけさ。……俺がバカだった。「奴ら」が一体何者な
のか、どれほど恐ろしい連中なのか全然知らずに……ハハハ)
(……どうするつもりだ、この後)
(どうするって……そうだな、アンタにぶち殺されるんじゃねえか?)
(なんで?)
(なんで、って……恨んじゃいねえのか? 「奴ら」を呼び込んだ張本人だぞ、俺は)
(そうだな、恨んでもおかしかねえな……)
(シヴァ……あんた、まさか狂っちまったのか?)
(アル)
(あ?)
(ひとつ、頼みがあるんだが)
(なんだ?)
(……失せろ)
(え?)
(今すぐ、俺の前から失せろ。もう二度と、俺にその顔を見せるな)
(シヴァ……)
(黙れ、今すぐ消えろ!)
(アンタ、俺を殺しちゃくれねえのか? こんなになっちまった俺を、殺してくれねえ
のか!?)
(失せろ。それが俺の復讐だ)
(……わかった。それがあんたの最後の頼みなら)

 こうして俺は、友と、女と、子を失った。
 俺がすがるべき全てのものが、「奴ら」によって奪われた。

 復讐? そんなこと考えたこともねえ。
 だって「奴ら」は。あいつらは、俺たちとは別の世界の存在だ。
 この俺が、こんなちっぽけな俺一人が命を懸けたとてどうにもならない存在だ。

 その時、俺は啓示を受けた。
 『俺一人』?

 じゃあ一人じゃなかったらどうなんだ?
 俺に匹敵する死神が、他にいたらどうなんだ?

 いたじゃねえか。本当に。
 しかも奴らの目的は。

 実際、どうにも胡散臭え奴らだ。
 ホントに信用していいのかよくわからねえ。

 でも。

 青年の瞳の奥に見出した、明々と燈る黄金の焔を思い出す。
 確かにあれは実在した。俺は知っている、あれは。

 あれは『龍』の魂だ。

 「奴ら」に対抗するには、それくらいじゃなきゃ務まらん。
 「龍」に「死神」、そして「闇の化身」か。
 どうにも駒が足りねえ気がするが、足りなきゃ探せばいい。

 何しろ、三人までは実在したんだ。
 あと一人や二人はいるだろう。

 「奴ら」に対抗できる駒に相応しい「人」は、な。

 でも、それでいいのか?
 なあリアンナ。復讐なんて実は、逃げなんじゃないか?
 お前を失った悲しみを紛らわすための、逃げなんじゃないか?

 自分の弱さから、逃げてるだけなんじゃないか?

 その時、リアンナの声が聞こえた。
 空耳だ。でも確かに聞こえた。

『大丈夫よ。それが弱さだと知っている限り、あなたは大丈夫』

 ……ふふ、そうか?
 ずいぶんと都合のいい解釈だな、リアンナ。

 まあいいか。
 こんなとこで一生ダラダラ過ごすのもバカらしい。
 あの連中に付き合ってみるのもいいだろう。

 どうせ、一度は死んだも同然の命だ。
 自分以外の為に捨ててみるのも面白い。

 ……そして俺は、アーサーたちと行動を共にすることとなる。

 実際、とんでもねえ奴らだった。言動も行動も、そして「力」も。
 あん時アーサーぶっ殺しときゃ、こんな面倒せずにすんだのにな。
 まあ今になって思うと、ホントにそれが出来たかどうか疑問だが。

 ま、人の巡り合わせなんてそんなもんさ。

 損なモンさ? なんだその変換ミスは。
 いや、実はその通りかもしれんな。
 これも運命って奴さ。ははは。

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「行きなさい、ミルフィーユ=フローレス。貴方自身の為に、貴方だけしか為し得ない
貴方自身の未来を掴むために」

 シスターはあたしにそう言った。
 この地を去って行く、自分たちを見捨てて去って行くあたしに、そう言ってくれた。

 そうか。もうあれは三年も前なんだ。
 みんな、どうしてるかな。
 大きくなったのかな? アン、イリス、ウッディ、エール、オラン……。

 みんな、元気?
 あたしは元気だよ。
 楽しく、ってわけにはいかないけど、でも幸せだと思う。

 自分の居場所を手に入れることが出来るって、多分一番幸せなことだから。
 人を愛し続けていられることが出来るって、多分一番自然なことだから。

 ふふ、変だね。
 死ぬかもしれないのに。

 もしかしたら、これは遺言なのかな。
 誰かに、あたしが生きた証を残しておきたいのかな。

 ねえみんな。あたし、みんなが大好きだよ。
 いつまでもいつまでも、みんな大好きだよ。
 人っていいよね。だからあたし、人の世界を守りたいの。

 だから、ね。
 みんな、元気でね。

 ……自分の書いた文を読み直す。
 なんだろこれ? あたしって、こんなに感傷的だったかな?
 ただの手紙じゃない。いつも出してる、いつもと同じ便りじゃない。
 でもなんか変。やっぱり、そうなのかな?

 「答え」がもうすぐ出るから?

 エルとあたしの「解析」を診て、アーサーはどんな「答え」を出すのかな?
 ……わかってるんだけどね。アーサーがどんな人か。
 だから答えもわかってる。実は決断の責任を押し付けてるだけなんだよね。
 でもあたしは、あの人の言葉が欲しい。

 あの人に応えたい。
 あの人の答えに。

 そろそろかな。部屋に行こう。
 きっと、もうシヴァや葵さんも待ってるはす。
 うわあ、凄い嵐。夜の嵐って、なんか不思議だね。
 もう花も散っちゃうんだな。きっと明日の朝は、緑一色になってるんだろうな。

 そうね、季節の移り変わりで、風景なんてがらっと変わるんだもん。
 だから、今のこの悲しすぎる世界が、明日突然幸せな世界に変わったって全然不思議
じゃないよね。

 だからあたしたちは、明日からこの嵐になるんだ。

 きっとアーサーが火を点けてくれる。
 あたしたちの心に燃え盛りつづけることになる、焔を。
 その焔は、きっと嵐になる。

 世界を変える、嵐になる。

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 西と南の境にあるさびれた交易都市。
 その町外れにある小さな教会。

 そこをただ一人で仕切る女性、シスター=ローズ。

 もう十年以上も昔になる。その赤ん坊が教会の入り口に置き去りにされていたのは。
 シスターは悲しげに、その小さな命を拾い上げる。
 珍しいことではない。この世界、この時代。どれほど多くの悲劇が「人」に降りかか
っていたことか。

 親を失った子供、子供を失った親。
 生活の糧を奪われ、人生の目的を奪われる。
 そして人は人を相食む。それは決して「奴ら」だけの責任ではない。

 「人」というものは、それほどまでに救い難く悲しい存在なのだ。

 今ここに、その象徴が捨てられている。
 どんな親なのか? 母親は涙を流したのだろうか?
 それとも、もうそんなことのできる者などこの世にいないのだろうか?

 シスターにはわかっている。自分のしていることは、大海に角砂糖を投じるようなも
のなのだということを。いくら自分一人が頑張ってみても、決して海の塩辛さが減じる
ことはないのだということを。

 でも、たとえそうであっても。
 つくづく、「人」というのは不思議な存在である。

 その子は、同じようにこの教会で育てられている子供たちの輪に加わった。
 シスターはその青い瞳を持つ女の子に名前を与える。

 人の心を和らげる甘いお菓子の如き笑顔を持つ少女に育つように。
 人の心を和ませる甘く香る花の如き心根を持つ少女に育つように。

 少女は、シスターの願い通りに成長する。

 利発な少女だった。きちんと人の心を汲むことの出来る、そして人の心を和ませる術
を心得た少女だった。見目形の平凡さが逆に心根の美しさを引き立てる、本当の意味で
美しい少女だった。
 物心つくころには、シスターの片腕として幼い子供たちの世話を仕切るようになって
いた。幼さに似合わず、自然な統率力と不思議な影響力を持つ少女だった。十を数えた
頃にはもう、この教会の名物娘として近隣に知らぬ者のない少女となっていた。

 ミルフィーユ=フローレス。その運命が動いたのは、彼女が十二歳の時。
 「奴ら」の存在と、その恐怖を骨身に沁みて知ることになる最初の事件。

 それは突然だった。
 そしてあっという間だった。

 気付いた時には、町の半分が廃墟になっていた。
 数分前に笑顔で朝の挨拶をしたはずの村人が、ただの肉塊になっていた。
 それまで笑顔と光に満ち溢れていたはずの世界が、灰色の燃え滓になっていた。

 教会の裏手にある、自分たちが寝起きしていた小屋の位置すらもうわからない。
 そしてどこを探しても、そこにいたはずの子供たち数人の顔が見つからない。

 ミルには信じられなかった。
 この悲劇が、ではない。
 この悲劇を、仕方ないと受け容れてしまう「人」の存在が、だ。

 こんなことが許されるはずがない。
 こんなことがまかり通っていいはずがない。
 なのになぜ? どうして皆、何もしようとしないの?

 わからなくもない、わからなくもないよ。
 でもだからって、本当に何もしなかったら、生きている意味がないじゃない?
 その時ミルは気づいた。そうか、シスターもそうなんだ。
 だからシスターは、あたしたちをこうやって育ててくれてるんだ。
 だったら、あたしに出来ることって、何?

 ミルは悩む。そしてとりあえず、出来ることからはじめた。
 何をするにしても、まず知識がなくてはどうにもならない。
 人という種が持つ唯一最強の武器。今はそれを磨こう。
 勉強を始める。文字の読み書きから、人の世界の歴史まで。

 そして魔法の存在を知る。それは「奴ら」と同じ、奇蹟の力の法則。

 もしかしたらこれで、人を救うことが出来るかもしれない。
 彼女は必死に勉強した。昼は教会の手伝いのため、夜に寝る間を惜しんで。
 地方の町である。どれほどの資料があったわけでもない、師がいたわけでもない。

 でもそれは、後に奇蹟と呼ばれた。

 ミルは次第に、超絶的な魔法効果を示すようになる。
 彼女はただ一つの魔法しか習得しなかった。結界、防護魔法である。
 しかしそれは、時空すら遮断し得るほど強固で完璧なものだった。
 「奴ら」どころか、この世界の創造主ですら突破は適うまいと言われたほどの。

 彼女は魔法の申し子だった。
 後に、あのエル=マッハが語った言葉。

『もし魔法で自分を凌駕できる者がいるとしたら、それはミル以外には存在しない』

 しかし、それほどの彼女でも「独り」では如何程のことも出来ぬ。
 彼女が十五の時である。再度「奴ら」の猛威がこの地を襲った。

 彼女は、許容し得る限りの人々を自らの領域内に納め、結界を張った。だがその時、
逃げ遅れてやってきた数十人の姿が見えた。彼女は彼らをも招き入れようと、いったん
結界を解こうとする。だが。

 既に「奴ら」の余波が結界の周囲を渦巻いていた。

 今ここで結界を解けば、自分たち全員、巻き込まれて死ぬ。
 だからといって、逃げ遅れた人たちを見殺しにするのか?

 ミルは迷う。その耳に、甲高い悲鳴が聞こえてくる。
 結界の中にいる女性の息子が、逃げ遅れて外にいたのだ。

 息子を助けて!
 その言葉は、ミルの精神を麻痺させた。そして。

 「奴ら」が去ったあと、ミルは息子を失った母親に罵倒の言葉を浴びる。
 それに対し、助かった者たちがミルを弁護すべく、逆に母親を非難する。

 ミルは耳を塞ぐ。どちらも聞きたくない。だってどちらも「人」のエゴだから。
 「人」の、一番醜くて、一番自然な姿だから。
 これが「人」だから。

 シスターの慰めもミルの耳に届かない。
 彼女は自室に閉じこもる。数日間、ずっと。
 ろくに食事も喉を通らない。このまま死んでしまえたら楽なのに。

 泣き疲れて眠る。
 どれほど眠ったか、自分でもよくわからない。

 そして、いつしか目が覚めた。
 朝日と鳥の鳴き声と、そしてざわめく子供たちの声。

(……ああそうだ。あの子達の、面倒見なきゃ)

 そう思う自分が不思議だった。
 さっきまであたし、自分に、「人」に、絶望してたんじゃないの?
 なのになんで、こんな当たり前の生活に心動かされるんだろう?

 ミルは悟る。
 ああそうか。人にとって一番大事なのは「これ」なんだ、と。

(きゅううう)

 お腹の虫が鳴く。空腹感がミルを襲う。
 あはははは。声を出して笑う。

 もういいや。やれることだけやろう。
 やれないことをやるなんて、そんなの無理なんだから。

 笑顔で部屋から出てきたミルを、シスターや子供たちはいつもの笑顔で迎えた。
 恥ずかしいくらい行儀悪く、食事を口に詰め込むミル。
 そしてあっという間にテーブル上の料理が消え去った。

 食後、温かいお茶をすするミルに、シスターが言った。
 ミル、お客様がお待ちですよ、と。

 黒衣の魔術師と、ひょうきんだけどどこか陰のある盗賊。
 そして、とても素敵な青年騎士様。

 ミルが彼らと共に旅立ったのは、それからわずか三日後のことだった。

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 人界の東端。この当時ですら伝説の地と呼ばれた島国。
 そこは「太陽王」と呼ばれる一族の支配する地。
 世界に日の出をもたらすと言われる神々の住まう地。

 彼女の出自は、代々王家に従うことを義務付けられた一族。
 「日に向かう」という性を持つ家。

 幼名を「弥生」。葵の花の咲く季節に生まれた少女。
 後に一族最高の称号、まさしく「葵」の名を受け継ぐことになる少女。
 数百年続いた一族の歴史において、神刀群雲に認められた二人目の人物。
 建国最大の英雄、一族の祖に続く二人目の人物。

 太陽に向かって咲き誇る「向日葵(ひまわり)」の号を得る事。
 それこそが、この国における臣として最高の称号。

 彼女はそれほどの功を為した。それだけの能力を持っていた。

 しかし、彼女はその号を捨てる。
 なぜなら、彼女は全てを失わねばならなかったから。

 「奴ら」の災禍の下、政(まつり)を捨て、民を捨てて逃げ去った王。
 自分たちの献身を見捨てて逃げ去った王。
 父や母、そして優しかった兄姉を見殺しにした王。
 そんな王に従い続けねばならぬ運命を拒否するには、そうするしかなかった。

 「日に向かう(向日)」だけなんて嫌だ。
 「ひなた(日向)」の道を、私は行く。

 群雲もまた、そんな彼女から離れようとはしなかった。
 この神刀も、もうこんな国の守護者であり続けるつもりはないようだった。

 彼女は群雲と共にこの国を離れる。本来であれば、建国の至宝を持ち去った者として
追っ手がかかるはずだった。だがこの国に彼女を凌ぐ者は存在しない。返り討ちになる
のが関の山だったのである、
 王もまた追っ手を禁じていた。それが臣の命を気遣ってなのか、彼女に負い目のある
自分を恥じてなのか、それとも余計なちょっかいを出して自分にとばっちりがくるのが
怖かったからなのかは不明である。
 彼女が去ってすぐ後、王は向日の一族が自らすすんで王の為に玉砕したことを発し、
盛大な国葬を執り行った。遺族の名簿には「向日葵弥生」の名も連ねられ、神刀群雲も
この災禍の中で消失したとされたのである。

 彼女は王に対して何の感慨も抱かなかった。
 だがそれでも、葵の名だけは称し続けた。
 それだけが彼女と、この思い出の地を繋ぎ続ける証だったから。
 自分をここまで育んでくれた、愛しき家族との絆だったから。

 彼女の名は、日向葵(ひゅうがあおい)。
 復讐の「怨念(おンぬ)」に燃える「鬼(おぬ)」。

 自分をこんな憤怒の焔に仕立て上げた、「人」と「奴ら」を憎み続ける復讐鬼。

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「しかし今度は『鬼』かよ? よくもまあそれだけ情報仕入れてこれるもんだな」
「マイロードのご指示です。文句を言うんじゃありません」
「でも、女の人なんでしょ?」
「女だからって、使える奴は使えるさ。オメエと同じだ」
「噂が本当でしたらね」
「あてになるの、その噂って?」
「噂ってのは、意外に本当だったりするもんだがな。美女の鬼か……まあ半分だけでも
本当であって欲しいもんだ」
「この死神さんの場合は、本当に半分だけでしたけど」
「半分でコレなんですか?」
「コレとはなんだコレたぁ? それにエル! 半分だと、テメエ!」
「私たちに恐れをなして尻尾を振った男が、何を今更言いますか?」
「あちゃ〜」
「いいだろう、アん時の続きを始めようぜ」
「全く、バカの一つ覚えとはよく言ったものですね」
「もうっ、二人とも!?」

 その時、薄暗い迷宮の先を行くアーサーが彼らを後ろ手で制した。

「……どうやら、彼女のようです」

 シヴァたちは一斉に口を噤む。
 皆もわかっていた。前方に戦いの気配がする。
 とても凄惨で過激で、なのに、信じられないくらい静かな戦闘。

 全員が、その様子を視界に納める。
 それは彼らですら言葉を失うものだった。

 「鬼」は、多くの怪物に囲まれていた。その数は明らかに十を超えている。

 狭い迷宮内である。機動力を生かしての遊撃戦も出来ず、まして剣を振るうのに十分
なスペースすらない。幾ら超人的な能力を持つ者でも、これでは普通戦闘になるまい。

 アーサーたちもそう思った。
 思わず加勢に行こうかと身を乗り出した、その時。

 アーサーとシヴァが硬直した。
 え、とミルが思った直後、前方で二つの血飛沫が上がった。
 「鬼」の両側にいた怪物二匹が、同時に真っ二つに割れたのである。
 嘘! だってあの人、何もしなかったよ!?
 目を見開くミルの耳に、小さな呟きが聞こえてくる。

「……スゲエ」

 更に驚く。シヴァがこんな事言うなんて。
 何? 何が起こったの?

「エル、知ってるか?」
「『円月斬』ですね。見るのは初めてですが」
「オレもだ。だがまさか、あれほどのスピードとは」
「あの剣、なにか不思議な力を発しているようですが?」
「ああ。あの妖気、オレの『ケイオス』以上だぜ」

 シヴァはちらりと愛刀を見やる。「奴ら」との戦いでも欠けることのなかった伝説の
魔法剣。だが、それを凌駕するとは一体何だ?

「まさか……いやしかし、あれは五年前に消失したはずでは?」
「エル、知っているんですか?」
「あの剣の形、東方の女剣士、そしてあの技……まさかあれは!?」
「何だ、早く言え!」

 その時、またしても全員が言葉を失った。
 突然、「鬼」と怪物たちの周りに「雲」が発生したのである。
 雲はゆっくりと渦を巻き始める。それは次第に凄まじい暴風となり、残りの怪物全て
を巻き込んだ。

「!?」

 あっという間だった。怪物全てが、周囲の岩壁に叩きつけられた。数匹がそれで絶命
に至る。そして生き残った奴らが跳ね返って床に崩れ落ちるまでの数瞬で。

 「鬼」の演舞。

 蝶の羽の揺らめきが如き、神に仕えし巫女が憑依の如き舞。
 触れし者全てを死に誘う、きらめく白刃の光の饗宴。

 息一つ乱さぬ「鬼」。
 息一つ発せぬ怪物。

 血と骸の野に『独り』立ちつくす女神。全員が、それに見惚れた。
 死がこれほど美しいものとは、彼らですら知り得ようがなかったのだ。
 絶句したまま息まで止めてしまった一同の耳に聞こえてくる一篇の詩。

  『彼の焼刃(やいば)群雲(むらくも)を呼び
   群雨(むらさめ)と形(なり)て焔を覆わん
   彼の舞酔(まよひ)草別(くさわけ)を為し
   草薙(くさなぎ)と形(なり)て地を払わん』

 エルが謳うようにつぶやいていた。
 思わず尋ねてしまうミル。

「なに、それ?」

 代わりに答えたのはシヴァだった。

「よりにもよって、『葵』の君だったというわけか」
「ええ、そしてあの刀は神刀『群雲』……生きていたんですね、あの恐怖の魔剣士が。
どうしますか、マイロード?」
「どうって、願ってもないじゃないか。あれほどの人が仲間になってくれたら」
「多分、無理です」
「なぜ?」
「確かに彼女は……でも、彼女はもう『人』じゃないんです」
「俺も反対だ。アイツは太陽国を破滅寸前にまで追い込んだ怪物だぞ。あの話、与太話
だと思ってたが、あれを見て納得した。マジに噂ってのは本当なんだな」
「太陽国、五年前……? もしかして、あの? でもあれは『奴ら』の襲撃による天災
なんじゃなかったの?」
「最初は、な。だが奴は、自分たちを見捨てて逃げた王に復讐すべく、万の兵が護る砦
に単身で仕掛けたんだ」
「普通ならそんなことできるはずありません。でも彼女の場合、群雲の力を引き出せる
んですよ。あれはまさに神刀。雲を呼び雨を呼び、嵐を呼ぶと言われる、彼の国最大の
秘宝、彼の国の守護神の一つです。でも王は、自らがその守護に足る存在である証明を
怠った。だから群雲は国を見限り、彼女の側に付いたんです」
「奴が、憑かれたのかもしれんがな」
「確かにね。伝聞だと、王は砦ごと彼女と群雲を爆殺したとなってたんですが。でも、
こうやって生き延びた彼女が、なぜ王自身を手にかけなかったのかは謎です。それこそ
彼女に直に聞いてでもみないと」

 そう言ってシヴァを見やるエル。シヴァほどの男が、とんでもないと首を振る。
 それはエルも同じだった、だが。

「……聞いてみましょう」

 一同は言葉を失った。
 アーサーが剣を構える。

「アーサー!?」
「バカかお前、とにかく今は……」
「もう、手遅れです」

 沈痛なエルの声に、シヴァたちも気づいた。
 「鬼」が、彼らの前方にやってきていたのである。

 噂通り、本当に美しい「鬼」だった。
 その美しい唇が、美しい笑みと共に美しい声を発した。

「随分と物知りですね、あなたたちは」

 なのにその言葉は、彼らの心すら凍て付かせる冷気を伴っていた。
 「鬼」の微笑みが更に凄まじさを増す。

「……察するに、『北の死神』と『闇の魔術師』だと、お伺いしますが」
「テメエこそ物知りじゃねえか、ヒマワリ娘」

 その瞬間シヴァの左の耳が、横に中ほどまでぱっくりと裂けた。
 ミルが飛び散った血飛沫にヒッと小さく悲鳴を挙げる。そして改めて恐怖を感じた。
 だって今回、彼女は本当に指一本動かしていなかったのだから。

「一つ、忠告しておきます。その名で呼ぶことは『彼』が許しませんよ」
「……化け物同士だな、テメエら」

 それでも強気を崩さないシヴァの倣岸さは賞賛に値しよう。
 内心、どれほどの動揺を感じていたとしても。

 畜生。この刀、ホントに意思を持ってやがる。
 しかもこいつ、殺気が読めねえ。幾ら俺様でも相手にできんぞ。

「お噂は、よく耳にしていましたよ。でもまさかあなたたちのような人たちが、一緒に
行動しているとは思いませんでしたが」
「別に、好きで一緒にいるわけじゃねえ」
「当然です。マイロードのお許しがあれば今すぐにでもこんな醜男など」
「あなたたち、よくこんな時に……」

 ミルが小さくつぶやくと、「鬼」は彼女に視線を合わせた。
 怖い、とミルは一瞬思ったが、でもさっきほどじゃない。なんでだろ?
 そして気付く。ああそうか、この人も似てるんだ。
 シヴァに、エルに。そしてあたしたちに。

「他のお二人も、なかなかの力をお持ちのようですね」
「……まあ、な」
「嬉しく思います。まさか『人』相手に、こんな楽しい思いが出来るとは」

 その言葉が終わるか終わらないかの瞬間。
 ミルは本能的に結界を張っていた。自分一人分で精一杯だったが。

 『 』

 もはや、文字では表現不可能なカタストロフィ。
 爆煙と轟音と振動が収まった後、あたりの光景は一変していた。

 その間わずか十秒ほどでしかなかったが、狭く圧迫感のあった通路が、やけに広々と
した玄室に変化していたのである。彼女たちが移動したのではない。周囲の壁がおよそ
三エリア分ほども吹き飛ばされていたのだ。よく迷宮本体が崩れなかったものだとミル
はその幸運に感謝する。

 あ、そうだ! みんなは!?

 辺りを見まわす。そして思わずほっとする。
 全員無事だった。だがやはり怪我をしているようだ。
 ……いや違う、あの怪我は打撲とかじゃない。あれは戦傷だ。
 まさか、まさかアーサーたち、あの中で戦ってたの!?

 それを裏付ける「鬼」の言葉。
 彼女は相変わらず超然とした風で自分たちに対峙している。

「素晴らしい、噂以上です。これなら本気を出しても問題ありませんね」

 左腕の浅い傷から流れ出る血を抑えながら、シヴァは心の中で毒づく。
 畜生、まだ本気じゃねえってのかよ。
 それがハッタリだとは思わない。間違いなく、今の攻撃は手加減していた。
 それでこの有様なんだからな。おい、どうすんだよアーサー?

 「鬼」から注意を逸らすことなく、視界の端にアーサーの姿を確認する。彼の後ろに
は黒衣の魔術師が控えていた。まるでアーサーを盾にしているかのようにも見えるが、
彼をフォローし、護っているのは明らかだった。

 あの糞野郎、俺にも結界張れってんだ。
 ミルにゃあ……まだ無理か。まあ自分の身を護れるだけでも上出来だがな。

 そのミルに対し、「鬼」が再度視線を向ける。

「特にあなたですよ。まさか群雲の衝撃波の中心にいても無事な結界を張れるなんて。
もしかしたら『奴ら』以上かもしれませんね」

 クックック。
 なまじ美しいが故に、その含み笑いは凄惨だった。

 この人、本当にあたしを殺すつもりだったんだ。

 ミルは自分が勘違いしていたことに気付く。
 確かにこの人は自分たちに似ている。でもこの人は。
 この人は、あたしたちが越えなかった一線を越えてしまっている。
 もうこの人は、向こう側の存在なんだ。

 ミルは今度こそ、本当に心の底から震え上がった。
 それを見ていたエルが、主君に対してこうつぶやいていた。

(マイロード、これから皆を転移させます)
(どうして?)
(あれは駄目です。仲間どころか、将来の禍根になります。ですから)
(殺す、つもりかい?)
(この迷宮ごと飛ばします。正直、殺せるかどうかわかりませんが、この世界から弾き
飛ばすだけなら可能だと思いますので)
(駄目だよ、エル)
(マイロード!)
(彼女は僕らの同類だ。僕にはわかる。彼女の力が必要なんだ)

 そしてアーサーが、剣を降ろして前に進み出る。
 鬱陶しげにそれを見やる「鬼」。

「そう、どうにもわからないのは貴方です」

 「鬼」の瞳に写るこの青年には一毫の怯えもない。瞳には一点の曇りもない。
 確かに力はそれなりのものだ。だがこれというものも見出せない。
 なのに、彼がこの怪物たちを束ねているのは明白である。

 歩み寄る青年に、「鬼」は攻撃を仕掛けなかった。
 わずかではあるが興味を引かれたらしい。
 それを得て、アーサーは「鬼」に言った。

「剣士様、話を聞いて頂きたい」
「話、ですか?」
「そうです。私たちは『奴ら』に立ち向かえる『人』を探しています」
「何故?」
「『奴ら』をこの世界から放逐するために。この世を『人』の世界にするために」
「……本当に、そんなことができるとでも?」
「はい」

 アーサーは即答した。「鬼」もさすがに驚きの表情を見せる。

「……ふふふ。面白い人ですね、貴方は」
「そうですか?」
「そして貴方たち。貴方たちはこの人の言葉を信じてここにいるわけですね。ははは、
面白い、なんて面白い人たちなんでしょう。ははははは」

 「鬼」の笑いが、無遠慮な哄笑へと高まって行く。
 シヴァが声を上げた。

「何が可笑しい!」
「何がって、これが笑わずにいられると思うのですか? 貴方たちは『人』を信じてい
るというわけだ。ああ可笑しい」
「信じちゃ悪いか!?」
「それは貴方たちの勝手ですけどね。私はこんな愚か者たちと戦ってたわけだ。アーッ
ハッハッハ!」

 耐え切れず、シヴァが叫んだ。

「黙れこの怪物! 親兄姉を見殺しにされたくれえで『人』に絶望するなんて甘えんだ
よ!」
「うるさい! 貴方たちに何がわかる!?」
「わからねえと思うのか!?」

 シヴァの言葉は、確かに「鬼」の心に届いた。
 嘘のように「鬼」の顔から表情が失せる。

「……なるほど、確かに貴方たちは『闇』を覗いたらしい。群雲も、貴方たちとは戦い
たくないと言っていますよ。貴方たちは私と同類だと」
「だったら少しは考えろ!」
「でも駄目ですよ。私は『人』を信じません」
「『葵』!」

 その時「鬼」の見せた表情、それは「修羅」。

「軽々しくその『銘(な)』を呼ぶな! その忌まわしい、それなのに決して捨てる事
の出来ぬ銘を、貴様らのような不心得者に使わせたりはせぬ!」

 突然「鬼」の周りにリング状に発生した雲が、横凪ぎに爆発した。

 シヴァとエルが巻き込まれる。この二人をして不覚と言わしめた攻撃だった。
 未だ結界を解かぬミルにダメージはない。だが「鬼」の眼前にいたアーサーは!?

 なんと彼は、顔の前に剣を立て、至近のこの攻撃に耐えたのである。
 その時「鬼」は、彼のまとう重甲冑の胸のところにある「緑の宝玉」に気付く。
 それが光を発していた。どうやらこれは何らかの魔法物らしい。

 所詮は、鎧の力に護られての剛毅さか。
 「鬼」はこの青年を見損なった。

「……他の者はいいでしょう。でもあなただけは許さない」

 「鬼」はゆっくりと、神刀を上段に構え上げた。その時、壁にたたきつけられて一瞬
意識を失っていたエルが、頭を振りながらもそれを認める。そして即座に神速の魔法を
撃ち放った。
 彼の最も得意とする魔法、火焔弾。威力は然程ではないが、意思誘導による追尾能力
をもつがゆえ、命中率は抜群である。とにかく今は、マイロードから注意を逸らさない
と、と思って放ったものだった。だが。

 火焔弾は、アーサーの横を通り過ぎることすら叶わずに四散した。
 やはり駄目か。相手は「群雲」である。水の化身相手に火焔がいかほどのものか。

 もちろんこのエルがそれを解らぬはずがない。今は少しでも「鬼」の気をひければ、
という消極策だった。マイロードならば、そのわずかな隙で安全圏に離れることくらい
できるのだから。
 だが「鬼」はその隙すら見せぬ。それどころか、アーサーから視線一つ揺るがすこと
なくこう言ってのけた。

「私が殺したいのはこの男だけです。このまま逃げるのなら追いませんよ、今は」
「アーサー!?」
「マイロード!」

 ミルとエルが揃って声を上げた。「鬼」がふん、と笑う。
 続けてエルが更に声を張り上げる。この男らしからぬ緊張があった。

「マイロード、ご許可を!」
「……駄目だよ」

 剣を斜めに構えたままのアーサーは、エルを一瞥もせず、つぶやいた。
 エルが再度、悲鳴をあげた。

「マイロード!」

 それに対するアーサーの叫びとエルの反応を、ミルは一生忘れなかった。

『エル=マッハ! 指示に従え!!』

 エルの全身から力が抜けた。ミルには決して信じられない姿だった。
 あのエルが、「闇の化身」とまで言われたエルが怯えている。
 瞳孔が完全に開ききっている。唇が震え、舌がわなないている。
 これがエル? まるで親に叱られて怯えている子供のような姿をエルが見せるの?

 ゆっくりと、視線をアーサーに移す。

 いつもと変わらない姿。何も変わったところはない、それなのに。
 何かをまとっている。これまで見たこともない何か。
 金色ににぶく浮かび上がる輪郭。気でも魔法でもない。

 「何」なの、あれは?

 「鬼」の表情も変化していた。多分、自分も彼女と同じ表情をしているのだろう。
 これは恐怖でも不安でもない。単なる純粋な疑問。
 その疑問をいや増すように、アーサーはよく通る声でつぶやいた。

「シヴァ、皆を頼みます」
「……わかった」

 ミルは仰天した。彼女の真後ろにいつの間にかシヴァが立っていたのである。
 全身に細かい傷を負っている。大きな怪我をしている様子はないが、かなりの苦痛が
彼を苛んでいるはずだ。だが彼は、小さく苦笑いを浮かべてミルに言った。

「もういい。結界を解け」
「……え?」
「大丈夫だ。あとはアーサーに任せろ」

 だって、と言おうとするミルに対して、シヴァはこれまで見せたこともないような優
しい瞳を向けた。そして首を横に振る。
 ミルは思わず、結界を解いてしまう。何も起こらなかった。「鬼」も何もしようとは
しない。シヴァは彼女の肩を抱き、未だに震えたままのエルに近づいていった。

 シヴァが、放心しているエルを左手でひょいと肩に担ぎ上げる。
 そのままアーサーと「鬼」に背を向けて歩き出す。迷宮の出口に向かって。

「じゃあな。しっかりやれよ、『リーダー』」
「はい」

 アーサーのいつもの笑い声だった。
 ミルにはずっと疑問だった。

 ミルがこの時感じた一番の疑問。
 それはなぜ自分が、シヴァに従ってアーサーを置き去りにしたのかということ。

 なぜ自分が、アーサーの身を心配していないのかということ。

 疑問だった。
 でも、答えを必要としない疑問だった。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

「アチッ、もうちょっと優しくしろ!」
「ご、ごめんなさい」

 迷宮の出口近くの木陰に座り込む男女三人。
 ようやく、シヴァの傷の手当てが終わった。

 ミルは未だに疑問だった。なんで自分は、こんなに落ち着いてるんだろ?
 シヴァもそうだ。なんで彼は、こんなに飄々としてるんだろう?

 シヴァの横顔をじっと見つめる。ふとその視線が交錯する。シヴァはちょっと照れた
顔をして、もう一人の、未だにうずくまったまま何一つ言葉を発しない男を見やった。

「いいかげん、落ち着いたか?」
「……ええ。すいませんね、手間をかけさせまして」

 それを合図に、彼はいつものエルに戻っていた。
 ミルは再度驚く。この男たちには、一体どれほどの奥があるのだろう、と

「……マイロードは、まだ?」
「ああ」

 その時、三人は地に降ろした腰に響く、ズンという振動を感じた。
 実はこれが初めてではない。さっきから幾度かそれを感じている。
 何の振動なのかは、言わずもがな、だった。

「……よく、マイロードの指示に従いましたね」
「俺が、か?」
「ええ。あなたなら自分でどうにかするかと思いましたが」
「やり様がないわけじゃなかったが、『リーダー』の指示だからな。それに……」
「それに?」
「アーサーの方が、うまくやれるさ」

 くすり、とエルが微笑んだ。

「貴方も、やはり『怪物』なんですね」
「……何を今更」
「誉めているんですよ、本当に。私が貴方を誉めるのは、これで最後でしょうけど」
「……最初俺は、オメエがアーサーに従ってるのはただの下心だと思ってた」
「私も最初は、貴方はただ復讐のためだけに、私たちを利用してるんだと思ってました
よ?」
「『マイロード』、か……『闇の魔術師』ともあろう者が」
「『死神』にしては人間臭すぎですよ、貴方も」

 二人の男は、共に声を出して笑っていた。
 ミルには、それがとても自然に見えた。
 これまで絶対にありえないと思っていた光景だったのにも関わらず。

「まあしかし……何者なんだろうな、アイツ」
「鬼を退治するのは、神が遣わした英雄と相場が決まってますけど」
「……『奴ら』の手に乗せられてるとしたら、どうする?」
「どうもしませんよ。私はマイロードの僕(しもべ)です。あなたは?」
「リーダーの指示は絶対さ。それがパーティのルールだ」

 え? ミルは、この時の二人の会話が理解できなかった。
 もっともそれを真に理解するのは、ずっとずっと、信じられないくらい遠い未来。

「『私は人を信じません』、か……」
「葵の君の気持ち、わからなくもありませんけどね」
「テメエはそうだろうさ。そうやってテメエは人を弄んできた」
「あなただって裏切られたんでしょ、『人』に?」
「……全くテメエらは、どこまで情報掴んでやがるんだ、ああ?」
「詳細で正確な情報収集は、勝利の前提条件です」
「へえへえ。闇の軍師様には敵いまセンよ」

 ミルはこの時の二人を見て、ちくりと痛みを感じた。もしかしてこの人たち、「人」
を救いたいとは思っていないの? アーサーに協力してるのは、「人」を救うためでは
なかったの?

 その表情が全てを物語っていたのだろう。
 エルとシヴァは、ミルに対して共に優しく語った。

「いいんですよ、ミルフィーユ=フローレス。貴方はそのままで」
「お前だって人の弱さを知ってる。それでいいんだ。弱さから逃げない自分でいられる
限り、お前の信じる道は正しい道だ」

 そう、おまえがアーサーを愛していられる限り。

 シヴァはその言葉を飲み込む。
 なのにまたエルにそれを看破されてしまう。つくづくこの男、人間臭すぎる。

「……全く。醜男でなければ堕としたくなるくらいウブですね、あなたは」
「ふ、ふざけんなホモ野郎!」

 いつもの喧嘩を始める二人。
 その時、ミルが気付いた。

「ちょっと?」

 ミルの下に向けた視線を見て、二人も口を噤んだ。
 地の底から響いてくる振動が、止んでいる。

 三人はそのまま、百を数えることが出来るほどの間、沈黙していた。

「……終わった、の?」

 その瞬間。
 これまでになく大きな、そして鋭い振動が三人を襲った。
 それで本当に終わりだった。

「終わった、な」

 シヴァはそう言って目を閉じる。そのまま木の幹に背を預けた。
 エルはすいと禅を組んだ。薄く開けられた瞳で、じっと迷宮の出口を見つめている。

 ミルもまた、ただ待った。待ち続けた。

 長い時間だった。
 本当に、長い時間だった。

 一人の青年が、女性を背負って迷宮の出口に姿を現すまで。

 二日後。意識を取り戻した女性は、このパーティへの参加を承諾する。
 彼女は改めて、自らを「日向葵」と名乗った。
 皆はそれ以後、彼女を葵と呼ぶこととなる。

 彼女の持つ神刀は、その力を失っていた。
 葵が言うには、力が失われたのではなく、ただ眠っているだけだそうだ。

「『疲れたから眠る』と言ってましたよ」

 葵は笑ってそう言った。そしてこうも。
 しばらく自分の出番はやってきそうにないから、とも。

 ただ、群雲の力が失われたからといって、彼女の恐ろしさが減じたわけではない。
 彼女は群雲に見入られたわけではなく、「認められるに足る存在」だったのである。
 彼女が迷宮で見せた「死の演舞」。それは正しく、彼女個人の能力である。
 この力は以後、パーティの切り札の一つとして貢献することになる。

 そう。彼女もまた、「永遠の勇者たち」の一人だったのだから。

 さて、この項に記すべき最後のエピソード。
 それはシヴァの笑い声で始まる。

「ワハハハハ。じゃ、じゃあオメエは、『向日葵』の名が嫌だっただけか!」
「だって普通そうでしょ? 一体誰が『ヒマワリ』なんて言われて喜びますか!」

 確かに(爆)。

 以後、執拗に「ヒマワリ娘」と馬鹿にするシヴァに葵がぶち切れ、本気で殺意を抱く
ようになったことは、今更言うまでもない。

 ちゃんちゃん。

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 少年は聡明な子供だった。
 自分が他より抜きん出て聡明であることを理解し得るほどに聡明な子供だった。

 彼の子供の頃の言葉。

「僕は生まれる前、自分が母親のお腹の中にいるということを自覚していましたよ」

 周りの大人は笑った。そもそも生まれてもいない子供が、母親だのお腹の中だの解る
はずが無いじゃないか。そう言って誰も取り合わなかった。

 だが少年には、本当にそれが解っていた。
 そしてもっと恐るべき事に。

「ずっと後、これを人に言ったら笑われるんだろうな」

 と、この世に生まれいずる前から自覚し得ていた。
 それほどまでにこの少年は聡明だった。そして長じるにつれ、それを実証する。

 三歳にして、既に親兄弟の手には負えなくなっていた。
 周囲にいるどんな人間よりも、知識は豊富で思考は理知的だった。
 しかし同時に、悪魔的と言えるほどの奸智をも備えてしまっていた。

 何故あの平凡で平穏な環境で、このような子供が育ったのか?

 誰にも理解できなかった。ただこの少年当人を除いて。
 少年は知っていた。ただ単に、自分が特別なだけだ、と。

 少年にとって「人」とは退屈な存在だったが、ただ一人だけ、彼の興味を引くに足る
人物がいた。彼の祖父である。既に年老いて思考も定かではなく、家族にとっては厄介
者でしかなかったが、ただ一人だけ、この少年を真に子供として扱った人物だった。

 老人はいつも同じ話を少年に聞かせていた。

「それはまだ、この世に神も魔も居らんかった頃の話じゃ」

 家族は、またかという顔で無視する。だがこの厄介者二人が他に迷惑を及ぼさないで
いられる貴重な時間を邪魔しようともしなかった。

「世界には、人しか居らんかった。人が神の代わりに人を支配し、人が魔の代わりに人
を殺して廻っておった、そんな時代じゃった」

 少年はなぜか、この時の夢見るような老人の顔が好きだった。彼にもその話がただの
御伽噺でしかないことは良く分かっていたのだが、ただその顔が見たいがゆえに、自ら
進んで老人の傍に居たものだった。

「神になろうとした人は思うた。自分は永遠の命を得ようと。
 魔になろうとした人は思うた。自分は最強の力を得ようと」

「彼らは戦い続けた。果てしなき戦いじゃった。やがて、一人の王が現れた。永遠の命
を得る術と、最強の力の源を手にした王じゃった。王は自らを最初で最後の王とすべく
一つの鎧を造らせた。それを纏うた者は正しく永遠の命を得、最強の力を振るうことが
できるはずじゃった。もちろんそんな物を他人に着させるはずが無い。王は魔法の粋を
尽くして、自分一人しかそれを纏えぬように呪いをかけておいたのじゃ」

「王は自らが本当の神になる儀式を盛大に執り行のうた。そして正に鎧を纏わんとした
その時、王の命が尽きてしもうた。……纏うべき主を失のうた鎧は暴走し、そして」

「この世に、本当の神と魔が現れた」

「人が培いし全ての術と、人が集めし全ての力は失われた。神と魔に全てを奪われた人
は、ただの虫けらに過ぎんかった。神は天を支配し、魔は地を席捲した。人はもう安住
の地すら与えてはもらえんようになった」

「人の手に元の力を取り戻すべく鎧を纏おうとした者は後を断たんかった。中には自分
が王になってやろうと邪な思いを抱くものも居ったが、誰一人として鎧の呪いから逃れ
られんかった。彼らは皆、生きたまま鎧に食われてしまったそうじゃ。そして千人目の
愚か者が鎧に食われた後、鎧は自ら意思を持って動き出した。新たな生贄を求めてさ迷
っておるのじゃとも、醜い人の欲に嫌気がさして地の底に眠っておるのじゃともいう」

「じゃがな、和子(わこ)よ。爺は昔、一度だけその鎧を見たことがあるのじゃ」

「まだ爺が近衛兵だった頃じゃ。一人の若者が爺を訪ねて来た。自分と一緒に旅をして
欲しいとな。若者は言うたよ、神と魔から人の世界を取り戻したいとな。爺は恐れて、
とんでもないと断った。したら若者はこう言いおった。それでも私はいつの日か、貴方
の血に助けてもらうことになるでしょう、と」

「その若者は、胸に緑色に輝く玉の付いた、大きな鎧を纏っておったわ」

「和子よ。もしぬしがもう一度その若者に出会うことがあったら、爺がよろしく言って
おったと伝えてくれんか。爺の代わりに、和子をそなたの元に遣わしたから、と」

 少年はただ笑っていた。何を勝手にと思いつつ、何故か悪い気はしなかった。子供の
ように無邪気に微笑みながら少年の頭をなでる老人の手の温もりは、この醒めた少年に
とって唯一の「人」の証明だった。

 間もなく、老人は往生を遂げる。
 同時に少年は自ら、残った哀れな人々を捨てた。

 既に並みの魔術師を凌駕する魔力を駆使していた神童の噂はギルドにも届いていた。
そして総帥自ら彼を元を訪ね、彼を弟子にと所望したのである。実は彼には美少年嗜好
の気があり、その点からも総帥は少年に対して熱心だった。少年がそれを理解していた
かどうかは定かでないが、良かれ悪しかれ、この時の少年の選択が彼の人格形成に多大
な影響を与えたことは確かである。

 生まれ故郷を去る時、両親の悲しそうな表情の裏にある安堵を見逃さない自分を自嘲
すらしていた。両親はうまく厄介払いできたと思いこんでいたのだが、この少年にそう
思いこまされていたのだと自覚することが出来なかったのである。

 自分以外の全ての人間は、愚かで哀れな存在である。
 少年はこの齢(よわい)にして、それを知ったのである。

 もし彼が知らないことがあったとすれば、それはただ一つ。
 自分自身もまた、愚かで哀れな存在であるということだけ。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 彼が八歳の時。魔術師の最高称号、「聖」の授与式前夜におけるギルド総帥死亡事件
への関与を噂され、称号授与資格剥奪のみならずギルド除名にまで至ったこの時から、
彼の闇の伝説は始まった。

(この時、総帥は寝室のベッドの上で衰弱死していた。だが異常だったのは、部屋中に
撒き散らされた彼の精液である。その量は常識をはるかに超え、窪んだ眼窩の中に未だ
恍惚の表情を浮かべたままの彼の股間からは、尚も硬度を失わない男性自身が天に向か
っていきり立ったままだったという。その傍らには、三年近くの間彼の「小姓」として
毎夜を共にしていた例の少年が、まるで何事もなかったかのような無垢な笑顔で寝息を
立てていたと、翌朝状況を発見したギルド幹部は後の秘密裁判で語った)

 その後、彼が二十歳になるまでの十二年間。世界史はこの少年によって動かされたと
言っても過言ではない。

 この大動乱期に勃興した国家は五、組織に至っては二十を数える。
 しかし同じ時期に滅亡した国家と組織は、共にその倍以上を数えた。
 その七割までもが、この少年一人の手によって導かれたといい、残りの三割もまた、
これらの事件の余波によるものだったという。

 「闇の魔術師」「漆黒の軍師」「闇の化身」……『THE DARKNESS』。

 人は、彼に裏切られるとわかっていても彼を頼らざるを得なかった。
 それほどまでに彼の魔力と智謀は世に冠絶し、魅力的な芳香を発していた。

 正に愚かである、「人」とは。

 彼が「人」の世に関わり続けたのは、もしかしたらそれを証明するためだったのか?
 それほどまでに彼の仕掛は辛辣であり、仕業は過激であり、仕事は痛烈だった。

 彼を知る人は言う。そんな時、彼は幸せそうだったと。
 悪魔のような笑みを見せていたと。
 恐らくは彼自身、自分をそう見ていたのかもしれない。
 自分は「人」の世に「焔」を投げ込むために生まれてきた存在だと。

 だがそんな彼の伝説は、彼が二十歳を迎えた頃にぱたりと止む。
 それは彼の伝説の極めつけとされる事件。
 宗教組織「泰法道」総本山、霊黒峰消失事件を境にであった。

 大動乱期後半から世を騒がし始めた「泰法道」とは、「道王=道標」と名乗る教祖に
よって組織された宗教組織である。道王の言をまとめた経典に従って自らを律すること
により、やがて来るべき「泰法王」の支配する理想郷に自らを置くことができるという
教えで、飛躍的に勢力を伸ばしつつあった。

 戦乱末期で徴税に苦心していた諸国は、自らの上前を跳ねる(かに見える)こうした
宗教団体の対応に苦慮していた。彼らと協力して財源と兵源を手に入れる事に成功した
新興国家もあったが、多くの王家制を取る国家にとっては、大体において害以外の何者
でもなかったのである。

 彼は、当時仕えていた小国の気弱な王にこの組織への対応を命ぜられた。国庫を壟断
する幾人もの重臣たちに突き上げられて仕方無く、王は手にする唯一のカードを切った
のである。それがジョーカーだとわかっていても、王にはそうするしかなかった。

 彼は霊黒峰のふもとにある、泰法道の神殿を訪れた。信者から集めた資金の膨大さが
伺える、哀れなほどにけばけばしく飾り立てられた建物の正門をくぐり、彼は道王への
面会を求めた。

「道王は、霊黒峰の山頂で瞑想中です」

 代わりにお話を伺いますと、三人の長老を名乗る、その割に若々しい男たちが彼に応
じた。そして彼らは、こともあろうに彼」対して説法を行い出したのである。あわよく
ばこの魔人を取りこみ、組織の勢力拡大に役立てようという真意が見え見えだった。

「道王は申されました。信念こそが全てを席巻し、全ての源となるのだと」
「ただひたすら教義を信じなさい。さすればあらゆる望みが叶えられ、栄光ある未来が
手に入りましょう」
「然り。心に何一つ曇りなく信じれば、人は山を動かすことすら可能なのです」

 ほう。ならば今この場で、後ろの山を動かして見せなさい。

「勿論可能です。が、もし本当にそんなことをしたら一大事」
「動かした山の下敷きになって、自分自身が命を落すことになりましょう」
「然り。道王は偉大なり。人は足るを知ることで真を信じます」

 別に構いませんよ。その程度で死ぬほど軟(やわ)ではありません。

「虚言はお止めなさい」
「疑いは未来を失いましょう」
「然り。ただ道王を信じなさい」

 いいでしょう。虚言かどうか、その目でしかと確かめるが良い。

 この時、神殿にいた関係者及び信者、総勢二千人。
 彼らの誰一人として、自分の身に何が起こったか知らぬまま。

 天変地異と呼ぶに相応しい惨劇。

 霊黒峰が、この神殿を押し潰した。
 標高千メートルを数えるこの山が、一瞬にして岩塊の荒野に変じていた。

 生ける者誰一人存在しなくなった荒野を、醒めた目で見渡す彼。
 だがその表情がふっと歪んだ。

 視線の先に、小さな庵がある。
 この破壊の中でも無事だったというのか?

 彼にはそれが何なのか察しが付いていた。
 だから彼は臆すことなく庵に歩みより、その戸に手をかけた。

 中にいたのは、みすぼらしい一人の老人だった。
 だが、先刻の道化たちとは明らかに「格」が違う。

 彼ですら思わず、ほうと唸った。人界のほとんど全ての実力者と面識がある彼にも、
これほど見事な気と威厳を漂わせる「人」は初めてだった。

「お手数を掛けた、『人の子』よ」

 老人は静かにそう言った。彼はそれで全てを察し得た。
 詰まる所、泰法道とはあの愚かどもの暴走が生んだ幻想だと。

 だがそう幻じさせるに足る「力」を、この人物は確かに持っているようだ。

 まあ別に、そんなことはどうでもいい。
 あの可哀相な王のお頼みだ。諸悪の根源を始末して、さっさと帰ることにしよう。
 そんな悪魔の笑みを浮かべながら、彼は老人に確認した。貴方は誰ですか、と。

「我は道標。『人の子』に道を指し示す者なり」

 ふふ。残念ですが、もうそれも終わりです。これだけ世を騒がしたのだからもう十分
でしょう。

「然り、汝こそ我が求めし『人の子』なり」

 ふん、貴方も結局はその程度か。私がそんな手に乗るとでも?

「我は道標。ただ『人の子』の行く道の傍らに立つのみ」

 いいでしょう。最後に聞いてあげます。貴方は一体、何の標(しるし)だと?

「汝は僕(しもべ)なり。鎧を纏いし龍の軍師なり。龍に見留められし血の末裔なり」

 その瞬間、祖父の昔話が、あの温かい手の思い出と共に彼の心を満たした。
 ずっと忘れていた感覚。こんな感情が自分にあることすら忘れていた。

 彼は「動揺」していた。
 そして構わず言葉を続ける老人に、更なる動揺を感じた。

「『人の子』エル=マッハ。言霊(ことだま)、確かに汝に伝えり。
 我の使命、これにて果てん。龍よ、汝との約定、今果たされん」

 老人の肉体が、突然白い煙を上げた。
 たちまちのうちに肉がこそげ、骨格が露(あらわ)になる。
 更にその骨格もボロボロと崩れ、気付いた時にはただの白い灰の山となっていた。

 循環魔法による肉体の維持と精神の拘束、か。

 しばらくして我を取り戻した彼は、この現象を冷静にこう判断した。
 いや、実は未だ冷静ではなかった。事態の枝葉に思索を振り向けることで、先の老人
の言葉から逃げていたのである。

 翌日。城に戻って経緯を報告した彼は、うろたえる王に見向きもせずこの国を辞す。
そして彼は人界から姿を消した。信じがたい証言だが、まるで彼は何かから逃げている
ようだったとも言う。

 彼は人里遠く離れた辺境に城を築き、多くの書物や美術品と共に『独り』閉じ篭って
いった。城を囲む密林は彼が自ら張った迷宮結界を構成し、もはや誰一人として、この
『闇の魔術師』に顔を合わせることは出来なくなっていた。

 そして五年が過ぎる。

 大動乱の頃が嘘のような、平和で何もない時だった。
 彼の伝説もまた、歴史の行間に埋もれていくかに見えた。

 だが再度、その伝説は世を騒がし始める。
 緑の宝玉の付いた重甲冑を纏う青年騎士の傍らに、彼の姿があったというのだ。
 彼は常に青年を「マイロード」と呼び、自らの全知全能を尽くして青年の為に生涯を
費やした。その表情は、やはり悪魔の如き冷たい笑顔だったという。

 二人の出会いがどんなものだったのか。
 そしてその青年騎士が一体何者だったのか。

 誰もそれを知らない。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

「まず、改めて御礼を言わせて頂きます。皆さん、ありがとう」

 アーサーは、円卓に均等に座す他の四人に向かって頭を下げる。
 それに対する四人の反応は実に特徴的だった。

 そんなこと知ったこっちゃねえと、ムスっと顔をしかめる男性。
 御礼を言われるなんてとんでもない、と困ったように首を振る少女。
 無表情のまま、為して当然の仕事を終えて一息ついているかのような女性。
 そして、彼らの反応を批評家の如き視線でクスクスと眺めやる青年。

 アーサーはそんな彼らを気にするでもなく、卓上の四つの輝きを見つめた。

 青、白、赤、そして黒。
 どれも、そこらに転がっていそうな石ころに見える。だが。

「三年間かかりましたが、この『石(DATA)』を全て集めることが出来たのも、皆さんの
協力があったからこそです。改めて御礼を言わせてください。ありがとう」

 くどくどと御礼を言うアーサーにシヴァがいらつく。

「礼なんぞいらん。そもそもこんなこと苦労のうちにも入らん。それよりも!」

 葵もまた内心シヴァと同様だったのだろう。彼女らしからぬ上ずった口調で続けた。

「『結果(ALGORITHM)』は、出たのですか?」

 アーサーは笑った。だが答えたのはエル。

「『解読(HUCKING)』は大変でしたよ。ミルが見つけてくれた『手掛(KEYWORD)』がなけ
れば、この私にすら解析は不可能だったでしょうね」
「そんな。あたしはただ『順番(QUEUE)』を入れ替えただけで」
「それに気付いただけでも、貴方は天才の名に価しますよ」

 ぽっと赤くなってうつむくミル。再度シヴァが耐え切れず叫んだ。

「つまり、出来たんだな!?」

 エルは自慢げに宣した。

「『構築(DECODING)』は完璧です。既に『封印(ARCHIVE)』してあります」

 シヴァと葵は、卓上の石に手を伸ばした。
 シヴァは青の石を、葵は赤の石を取る。そしてそれを燭台の焔にかざした。

 何も変わったところはない。そう思った瞬間。

 二人の頭の中に、突然不思議な模様が映し出された。
 見えたのではない。意識化、魂の相に共鳴する「何か」が響いたのである。

 思わずのけぞる二人。それを見てくすりと笑うエル。
 二人は石を元の位置に戻す。葵がつぶやいた。

「納得、しました」
「あれが、そうなんだな?」

 エルは静かに答えた。

「そう、これこそ失われた力。『奴ら』を制することのできる『技(DEVICE)』であり、
それを『実現(HANDLING)』するための『紋章(PROGRAM)』です」

 四人は再度、卓上の石ころに注目した。
 考えてみれば馬鹿馬鹿しい話だ。
 こんな石ころで、世界を変えることができるとは。

「でも、これだけでは不充分です」

 アーサーがエルに続けて言った。
 そう、ここまでは皆も十分理解していた。
 本当の問題は、「これを使ってどうするか」なのだから。

「『その日』は一年後の、正に今日この日。それがエルの見立てだそうです」
「星の巡りや月の位置を考えるとその日しかありませんね。これほど『機』に恵まれた
日は、これを逃せばあと百年はやってきませんよ」

 三人は渋い顔をする。

「一年、ですか。早過ぎますね」
「俺は……当てがないわけじゃないが、ミルや葵は難しそうだな」
「……でも、やるしかないんでしょ?」

 アーサーはその真剣なミルの表情に頷く。

「あと一年間。はっきり言ってあとは『あなたたち次第』なのです。私たちはもう明日
にでも旅立たねばなりません。それから先は、皆『独り』で、『その日』の為に動いて
もらわなければならないのです」

 シヴァが、もう口癖となった一言を発する。

「できると、思うか?」

 アーサーは紅き瞳で答えた。

「勿論。だって貴方たちですから」

 完璧な信頼。
 一部の隙もない、人が人に対して預けることの出来る究極の感情。
 アーサーをこの怪物たちの『リーダー』と成さしめた、唯一無二の特徴。

 シヴァを始めとして一同は、変わらぬこの青年に命を委ねる決心をした。

「シヴァ=グレイス。『北の死神』の銘とこの『ケイオス(CHAOS)』に誓う。リーダー
『アーサー=ロレンス』の命を違える事は、決して無い」

「あたしは、あたしことミルフィーユ=フローレスは……迷惑かもしれないけど、でも
大好きなアーサーの為に、大好きなみんなの為に、そして大好きな「人」のために自分
の出来る限りの事をする。約束なんて出来ないけど、でも出来るって信じてる。だって
アーサーが信じてくれたから」

「向日弥生。『向日葵』として生きる運命を断ち切らせて頂く。その為に、この世界を
変えてみせよう。我が友群雲と共に、その機会を与えてくれたアーサー殿の期待に応え
るべく、我が奥義の全てを尽くして事を成そう」

「『我が主よ(MYLORD)』、私は貴方の僕です。貴方の意思こそ我が全て、貴方の命こそ
我が生きる証。何も御案じなさらないで下さい。私の謀を上回ることはこの世の創造主
とて不可能なのですから」

 四人の笑顔がアーサーに向けられる。
 そしてアーサーもまた、誰一人否むことの無い笑顔で応えた。

「ありがとう」

 そしてアーサーは椅子から立ちあがった。
 残りの四人も続いた。全員で、中央の燭台を見つめる。

「今から私たちは、この『焔』になります」

 ミルの予感通りの言葉。ミルにはなによりそれが嬉しかった。

「もしかしたらこの焔は、世界を焼き尽くすことになるかもしれません。でも私は信じ
ています。『人』の強さを、幸せを求める『人』の意志を」

 彼らは全員「人」に絶望している。
 でも未だに「人」を信じてもいる。

「……では皆さん、またいつか、必ずどこかで会いましょう」

 全員が思わず苦笑した。
 生きて帰れるとでも思っているのか?
 でも不思議と、全員そんな気がしていた。

 本当に、皆生きのびて、どこかで会えるような気がしていた。

「大丈夫。私たちの思いは、私たちの『心』は、永遠ですから」

 アーサーが差し出した手に、四人は自らの手を重ねた。

「それじゃ皆さん。『奴ら』を、『神と魔』を、倒しに行きましょうか」

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 翌日。一月以上に渡ってこの地に滞在していた五人組の姿が消えていた。

 後にショートラムと呼ばれることになる、大陸中央の街道町。
 この地に、彼らの伝説は何一つ残されてはいない。

 そしてこの一年後。世界の「相」が変化した。

 果たしてそれが、本当に彼らの望み通りだったかどうかはわからない。
 でもそれによって救われた「人」は、確かに少なからず存在した。

 それゆえに彼らは伝説となる。
 「永遠の勇者たち」と呼ばれる伝説となる。

 それはもう、千年も前の話。
 セイルたちの運命を決定付けていた、遠き昔の物語。


                    2000.5.13

                    The Second Chapter, 1st Story :
                    "Fire" , from "The stories of ETERNAL HEART"
                    written by Sayah=Otokami