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DALK

〜〜 第一章 〜〜

〜 第三話 〜

「伝説の残照(タマシイノショウゾウ)」

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 大陸中央を横に貫く、広大なアルブルズ山脈の合間を北から南へと縦断し、南方密林
地帯の入り口に一行がさしかかった時のことである。突然、前方から一本の矢が飛んで
きた。
 先頭のセイルが、手にした杖でそれをいとも簡単にはたき落とす。大した早さでもな
いし、そもそも射手の気配と殺気が見え見えだった。これまで戦ってきた相手と比べよ
うもないほど稚拙で単純な攻撃。こんなものに射止められるような者など、この一団に
はいない。(無論、パッティの少女たちは別として)

「……どうやら、彼らのテリトリに侵入したようですね」

 そんなセイルのつぶやきに、続く少女たちも苦笑いしながら一応警戒態勢を取る。
 その時、一人が前に進み出た。

「ニャッ」

 ピョンと跳ねるようにセイルの前に出たファローラは、前方の森に向かっていきなり
不可解な叫びを発した。

「○×△□○ーッ!」

 呆気にとられる少女もいるが、幾人かは表情を緩めた。
 その一人、ミコが解説する。

「大丈夫。ファローラさんのお知り合いです」

 獣人族の言語に少しは造詣のあるエリスンやシルヴィアならともかく。
 この少女の能力を知っている一同ですら、改めて彼女の凄さを思い知らされる。

 ミコの言葉を裏付けるように、前方の森の中にある幾つかの気配から殺気が失せた。
それどころか慌てて右往左往しているのが素人目にもはっきりわかるくらいのざわめき
が起きている。しばらくそれが続いた後、一匹の、いや、ファローラを「人」と呼ぶな
ら、一人の獣人が森から進み出てきた。

 それは少年、というよりは青年のようだった。
 明らかにファローラと同族とわかる容姿。

 最初は警戒の風を解いてはいなかったが、先頭にいるファローラを認めると、走り出
したくてウズウズしているのが明らかなのに、それでも落ち着いた風を装って彼女に向
かって一直線に歩いてきた。
 が、せっかく相手がこうして気を遣ってるのに、当のファローラがアハハと大笑いし
ながら彼に向かって一気に走り出し、あっという間に抱きついたりしたりするもんだか
ら台無しである。

 親愛の情を示すように頬を擦り付けるファローラ。困った顔をしてはいるが、やはり
彼も同族。諦めた顔を浮かべたと思ったらたちまち同じようにじゃれあいはじめた。

 どういうリアクションをすればいいのかと、困ってしまうセイルたち。

 でもだからといって、彼らに気付かれないように近づいてくる気配に気付かないほど
鈍感ではない。無論、殺気は帯びていない。それどころか、その気配の持ち主こそセイ
ルが面会を求めている存在だとわかっていた。

「ようこそ獣人の森へ、人の子よ」

 獣人族の首領たるライオン族の長、ファローラの祖父である彼は、流暢な公用語でそ
うセイルに語りかける。セイルもまた、神官の帽子を脱いで彼に頭を下げた。

「はじめまして、私はセイルと申します」

 こうしてまた一つ、予言が成就した。

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 百年ほど前まで、南方は「人」の世界ではなかった。

 大雑把に言って、この大陸は横倒しの菱形を成している。
 そして各々の頂点付近を中心とする四つの地域に分けられる。

 肥沃な大地に商工業の盛んな、アーハイムなどの諸国家が乱立する西方世界。
 山脈や荒野の合間を貿易回廊が貫く、ライザッハを中心とする北方自由都市群。
 豊かな大河と温暖な気候に恵まれ、独特の文化社会を形成する東方中原。
 そして大半をジャングルに覆われた、「人外」の原始社会のタペストリ、南方。

 古代には幾つもの先史文明が存在したともいわれ、現存する亜人種たちはその末裔だ
とする説もある。近年に至りようやく専門家による探索の手が入り、その説を裏付ける
証拠も発見されつつあるが、事実は謎に包まれたままである。

 それは、未だにこの地が、完全なる人の世界との融合を果たしていないことにある。

 今から百年前。この地を訪れた一人の冒険者が、とある獣人族との交流を持ったこと
から、世界史に亜人種たちの項が書き加えられた。彼がどういう人物だったのか、また
彼の目的が何だったのかは不明だが、少なくとも近世において、最初に獣人社会に受け
入れられた「人」が彼だったことは間違いない。
 それ以後、獣人側からの接触が頻繁に起こるようになる。当初戸惑いを持ってそれに
応対していた人間社会であったが、経験の積み重ねが次第に交渉のルールを形作り、や
がて種族対国家レベルの交流を持つ集団まで現れた。

 従来、彼らは一意に「怪物」として扱われてきた。
 例えば今、セイルたちが戦っているのと同類であると。

 それゆえに今日現在においても、彼らとの接触を拒む人々は少なくない。それは嫌悪
というよりは恐怖ゆえにである。人だけではなく獣人たちの側も同様だ。彼らにとって
「人」とは、剣や魔法を振りかざして自分たちをこの南方の地に押しこめた張本人なの
だから。
 交流当初において生まれた悲劇は数知れない。だがそれでも、獣人たちは自らを律し
て人との交流を求めた。そして人もまたそれに応えるようになる。彼らの誠意が信用で
きると悟ったからだが、別の理由もあった。

 人間社会の運営原理の根本、経済的欲求からである。

 これまで大陸における交易流通は陸路に頼らざるを得なかった。特に東西間の交易は
大陸中央を占める巨大山脈や砂漠地帯のために、安全な通路として切り開かれた唯一の
交易路、ライザッハ回廊を利用するしかなかった。

 流通学の常識だが、陸路よりも水路(海路)の方が流通量、早さおよびコストの面で
圧倒的に有利である。当然この世界でも、陸路に代わる水路の開拓を求める動きは古く
から存在したが、それには最大の障害があった。
 一年の大半を流氷に覆われる北海とは異なり、豊かな海洋資源と航路に適した海流に
恵まれた南大洋。そして大陸南部密林地帯を網の目のように走る河川群。しかもここは
大陸の東西にそれぞれ下ってゆく大河の源流も存在する。本来なら理想的な水路となる
べきこの一帯全てが、「人外」の勢力下にあったのだ。

 太古の先史文明時代は定かではないが、歴史に残された数百年の間、幾度も「人」は
この地に交易水路を拓かんと試みてきた。しかしその都度「人外」の者たちによる妨害
に遭い、試みは全て失敗に終わる。結局「人」は北の陸路、ライザッハ回廊のみを東西
の交易路として利用せざるを得なかったのである。

 ところが百年前、ひょんなことで彼らとの交流が成立した。当然の如く、彼らと協力
して交易水路を築こうとする商人や国家が現れる。一時期とは比べて東西の溝も深くは
なく、文化商業面の交流が盛んになっていた時期でもあり、この事業に参加する人材は
膨大な数にのぼった。果たして十年を経ずして、一応の交易路が成立するに至る。

 だが未だに、この地方は交易の中心地とはなっていない。

 理由は幾つもある。水路の成立に伴うように跋扈しはじめた海賊たちの存在。技術の
発達によっても未だ完全には克服できない怪物や天候の災害。各所に貿易港を建設して
も、そこに至る大陸内交通路が未整備であること。そして未だお互いの交流を完全には
容認しない双方の勢力による、サボタージュと妨害行為である。一説には、北方の交易
独占を図るライザッハの大商人たちが裏で糸を引いているとも言われる。

 一時期、なだれ現象のように深まっていった彼らとの交流も、一世紀を経た今となっ
ては再び疎遠になっている。既に人間社会には相当数の獣人たちが定着し、種族的にも
交配可能であることから、例えばファローラのような存在が社会的に忌避されることは
もうあり得ない。だが未だに獣人だけの社会を構成する南方に対しては、必要以上の接
触を持とうともしなくなっていた。人間社会の一員として「垢抜けた」者たちならとも
かく、未だに原始人同様の彼らに対しては「人外」という呼称が使われているのだ。

 獣人の側も同様である。再び自らの社会に閉じこもって、純血を護ろうとする種族が
大半となっていた。族長同士の盟約により、既に交わされた人間たちとの約定が守られ
ることは保証されていたが、良く言って冷戦状態というのが現実である。

 今でも南方水路はかろうじて運営されており、将来の豊かな可能性が約束されている
という認識は失われていない。だがその予想図が現実のものとなるには、まだ百年単位
の時間が必要となるだろう。少なくとも、大陸内においてその勢力図を一変させるよう
な大事変でも起こらない限り、明日明後日に実現するようなものではあり得なかった。

 人も、そして獣人も。
 ほとんどの人が、それを疑いもしなかった。
 それほど、表向きこの世界は穏やかで平和だった。

 そう、この時は。

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「ここが、そうですか?」
「ああ。ここが我らの聖地じゃ。人間が訪れるのは百年ぶりじゃて」

 セイルの問いに長が答えた。続く少女たちからも小さな歓声が挙がる。それほどこの
地の神聖さ、荘厳さは自明なものだった。

 今彼らの眼前に存在するのは、2〜3キロ四方の径を持つ中規模の湖である。その北
側には先日彼らが踏破してきたばかりの山脈がまるで天を覆うかのようにそびえ立ち、
背後の南方には、地の果てまで続くがごとき広大な密林が見渡せる。その中をまっすぐ
二つに分断する流れがあるが、その源こそがこの湖だった。
 湖を縁取る光景の壮大さもさる事ながら、湖自体もその小ぶりさに似合わぬ威厳を漂
わせている。湖としては異常とも言えるほどの透明度を持つ水を湛えているが、決して
冷徹なイメージを感じさせてはいない。標高数千メートルの山肌から降りてくる冷気と
交わる北岸付近にはうっすらと霧が立ち込め、その白靄が醸し出す様々な文様は、まる
で湖の表情でもあるかのように刻一刻とその形を変えていく。

 この湖自体が一個の生命体ではなかろうか?
 本当にそう思えるほどの存在感がこの湖にはあった。

「『テホン』、我らの言葉で『神々の泉』という意味じゃ。ここの他にもあと六つの泉
があるが、その全てが、我らの森を守ってくださっておった」
「……恐らくアルブルズ山脈に降り注ぐ膨大な雨水がこの地で涌き出てるのね。昔から
この密林だけじゃなく、東西双方に連なる両大河の源流がどうなってるか謎だったんだ
けど、まさかこんな所でその現物にお目にかかれるとは思わなかったわ」

 考古学者ではあるが、いやだからこそかもしれない、シルヴィアは多大な興味を引か
れたようだ。そして彼女の言葉に、残りの少女たちもこの地の神秘性を改めて認識して
いた。

「あの……質問してもよろしいですか?」

 そう長に尋ねたのはミコだ。いぶかしげな表情を浮かべた長だったが、彼女の視線の
先を辿ると、小さく笑って、未だ発せられない問いの中身に答えた。

「ふむ……そう、あれこそが真の聖地。祭壇の間じゃよ」

 二人が見つめているもの、それは湖の中央にぽつんと存在する小島だった。直径わず
か数メートル程度の円形の小島。しかしこの幻想的な光景にあって、更なる神秘性をこ
の地に与えている実体でもあった。

「ではセイル殿、そしてファローラ。かの地に向かいますぞ」
「はい。お願いします」
「ンン……ンニャ」

 長と二人、計三人のみを乗せた小船がその小島に向かうのを、湖畔でじっと見つめる
少女たち。

「……聖地、ね。なんとなく違うような気もするんだけど」

 エリスンの呟きにリムリアが反応した。

「どういうこと?」
「ん……シグやシルヴィアならわかるんじゃない?」
「ええ。あの小島から何か力を感じるわ。やっぱりあれって……」
「ココリコかネーナ、どちらかわかる?」

 シルヴィアがパッティの少女たちを振り返ると、ココリコが手を上げていた。

「うん、あたしの方」
「じゃあ……」
「間違い無いよ。……これ」

 ココリコが服の裾をちらりと持ち上げる。太股に刻まれた例の紋章がにぶい光を発し
ていた。頭を下げてずいっとそれを覗きこんだリンスが言う。

「ふ〜ん。ってことは、あの小島の地下にまた迷宮でもあるの?」
「多分、違うと思います」

 答えたのはミコだった。

「あの小島から物凄い力を感じます。もしかすると、島自体が魔神かもしれません」
「まっさかぁ」
「ううん、ミコさんの言う通りだよ」

 そう言ったのがココリコだったことが、少女たちの緊張を高めた。

「何かの力で封印されてるけど、あの気配は間違い無いよ。あれが第四の」
「恐らくは、『地』の」

 そう言ってまっすぐ小島を見据えるミコ。
 残りの少女たちには、彼女もまたこの地に劣らぬ神秘的な存在に見えた。

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「困ったことになった、のかしらね?」
「あの時私たちが同行して……ても、どうにもならなかったでしょうし」
「どちらにしろやることは同じよ。『これ』を持ってもう一度山を越えなきゃ」
「問題は誰が行くかよ」

 う〜ん、と少女たちは腕組みをして悩む。

 彼女たちの視線の先にあるのは、小さな赤い宝石。
 そして、セイルとファローラの二人が眠り続ける二つのベッド。

 二人は揃って穏やかな表情を浮かべ、気持ちよさそうに小さな寝息を立てている。
 どんな楽しい夢を見ているの? まるでそう聞きたくなるくらいに。

 だが、このままではそれを確かめることができない。

「しかし、まさか魂を抜かれるなんてね」
「もうちょっとしっかり説明してくれてたら」
「……だから説明してもらってもどうにもならなかったってば。結局こうなる運命だっ
たのよ。さっさと腹くくりましょ?」
「そうね。とにかく『これ』を持ってアドレイアに行かなくちゃ。そうしなきゃ二人が
目覚めないだけでなく、最悪……」
「獣人の森は壊滅し、人間社会も未曾有の大惨事に見舞われる、というわけね」

 少女たちは、二人の傍らに置かれた濁った赤い光を見つめる。

 長はこれを、『絆』と呼んだ。
 百年もの間、獣人たちが待ち望んだものであると。

 滅亡の危機に瀕した、獣人社会を導く救いの星であると。

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 四百年ほど前のことである。
 獣人たちがそれに気づいたのは。

 テホンを中心に存在する、七つの神の泉。
 その水位が、極めてゆっくりではあるが、徐々に低下し始めていた。

 更に百年もすると、幾つかの泉はほとんど干上がったも同然の状態になった。それに
伴い、泉を源泉とする河川群もまた流れを失い、下流域の密林は密林であることを維持
できなくなっていた。

 すなわちそれは、獣人たちの生活基盤の喪失を意味する。

 彼らも彼らなりの対策を講じはしたが、水位低下の原因がわからない以上、効果的な
処置を取ることは出来ない。そうして時だけが過ぎ、ますます生活を脅かされる獣人た
ちの数だけが増えていった。
 いつしか、未だに密林の恵みを甘受できる種族とそうでない種族との間に諍いが生じ
るようになる。自らの種の存続に関わる事態であるため、それは情け容赦の無い、凄惨
な争いとなった。やがて獣人社会全てが、その嵐に巻き込まれていく。

 自らの存亡の危機に対し、一致団結して事にあたるのではなく、お互いを相食むこと
で短絡的な解決を求める。それは彼らもまた、「人」という愚かな存在の一員であると
いう証明だったのか。

 やがて、七つの泉のうち三つまでが完全に干上がるに至る。聖地のテホンを含む比較
的大きな残り四つの湖は、何とか下流域を満たす程度の水位を保ってはいた。だがそれ
もいつまで続くか? 獣人たちが自らの未来に絶望しか見出せなくなっていたその時。

 『彼』が密林を訪れた。今から百年前のことである。

 『彼』は、どこでそれを知ったかは不明だが、聖地テホンに眠るという神器を求めて
獣人たちに協力を求めた。しかしこの手の申し出は、相手の命をあがなわせる事で拒否
するというのが、これまで当然のように獣人たちが行ってきた対応だった。
 だが一部の、真に賢明な者たちが、この時の『彼』の申し出に協力すべきだと声を上
げた。この人間の応対は真摯であり、その誠実さは疑いようが無かったし、もしかした
ら聖地テホンに始まる獣人社会の危機を救う、何らかの手がかりが得られるかもしれな
いと悟ったからである。

 『彼』は人間としてはじめて、テホンの中央の小島、祭壇の間に足を踏み入れる。
 そこには、謎の文様の描かれた、黒い石版があった。

 無論、パッティの封印の四、ココリコの持つものと同じ文様である。

 そして『彼』は、それが当然であるかのように、付き添いの獣人たちの制止を振り切
って、その石版をゆっくりと持ち上げる。そこには獣人たちの誰一人として知らなかっ
た、細長い窪みがあった。

 まるで、杖か剣のようなものを納めていたと思われる窪みである。
 『彼』はそこに何も無いのを確認してため息をついた。そして説明を始める。

 自分は、強大な力を持つ武器を探している。
 そう、例えば『魔神さえも倒すことのできる武器』である。
 各地の伝承や神話などを辿って、この地にその一つがあると聞いてやってきた。
 だが今ここにそれは無い。もしかしたら湖が干上がったのも、その為ではないか?

 獣人たちは狂喜した。それこそ自分たちを救う手掛かりだと。

 そして『彼』は森を離れる。獣人たちから聞く事のできた幾つかの聖地の謎と共に、
獣人たちに自分が得るであろう神器の消息を知らせることを約束して。
 同時に、多数の獣人たちも『彼』に従って森を出た。『彼』に協力するという者もい
れば、森に居場所を失って行く当ての無い者もいた。そして結果的にこの行動が、獣人
からの人間社会への接触という、歴史の転換点となったのである。以後の経緯に関して
は、公に記されたものに詳しかろう。

 だが今一つ、人間社会には知られていない後日談があった。

 数年後、『彼』は再び森を訪れる。
 しかしそれは獣人たちが待ち望んだ、救世主の帰還ではなかった。

 『彼』は死病に犯され、明日をも知れぬ身の上だった。
 それでも最後の力を振り絞ってこの地に至ったのは、獣人たちとの約束を守るため。

 彼は獣人たちが見守るベッドの中から、息も絶え絶えにこう語った。

 自分は、失われた『それ』に出会った。
 だが『それ』は、自分と共にこの地に帰ることを拒んだ。
 何故なら、人と獣人たちの間には未だ真の『絆』が結ばれていないからだ、と。
 そして『それ』は自分に言った。
 真の『絆』が我の元にもたらされれば、我は今一度その力を振るうだろう、と。

 『彼』は『それ』が眠る土地の名を獣人たちに残し、この世を去った。
 そしてその亡骸は、獣人たちによってテホンを見下ろす高台に葬られた。

 その後、獣人たちが救いの『絆』を手に入れるまで、百年近い時が必要だった。

 そう。テホンの祭壇にある紋章の石版に、セイルとファローラが手をかざした時。
 まばゆい光と共に、二人の魂が赤い結晶となって結実したその時まで。

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「私は絶対に行く必要があるわ」

 最初にそう叫んだのはシルヴィア。

「アドレイアには調査で行ったことあるし、知り合いもいるから何かと便利だしね」
「うん、じゃあ後は私と……」
「駄目、シグは残って!」
「え? 何で!」

 何でこんなこともわからないのかと、シルヴィアはため息をつく。

「ここには『魔神がいる』のよ! 今はどうやら封印が生きてるみたいだけど、もしも
復活しちゃったらどうするの? 最悪の場合、力ずくで抑え込まなくちゃならない可能
性もあるわ。セイルが眠っちゃった今、それを託せるのはあなただけよ、でしょ?」

 シグルーンは言葉を失った。反論できない、全くその通りだからだ。
 そしてシルヴィアは、同様に皆が状況を理解したのを確認して続けた。

「無論、アドレイアでも何が起こるかわからないから、それなりの戦力で向かわなくち
ゃ駄目。でも多分大人数は必要無い。4〜5人程度で十分なはず。人が多すぎても動き
にくくなるしね。当然、パッティの五人もここに残って。理由はシグと同じよ」

 そして討議の結果、パーティとしてのバランス、デリケートな状況に対応できる人材
ということで、以下の五人が選ばれた。

 リーダー兼案内役としてシルヴィア。
 機動力としてティロル。
 戦術指揮の担い手としてジーマ。
 格闘兼ムードメーカーとしてリンス。
 そして魔法使い手としてミコ。

 そもそも主力二人が眠っている状態で、これ以上の戦力を割くことはできない。残留
組がどちらかというと打撃系に偏る嫌いがあったが、これまでの例からも対魔神戦では
下手な小細工よりも物理的な破壊力が有効であった為、皆も一応納得できた。

「時間が無いわ。もう今日中にでも出ないと」
「アドレイアか……どんなに急いでも、一週間はかかるね」
「ライザッハを出てからもう二週間たってる。往復の時間考えると、向こうで一月以上
かけられないわ」
「それより、いつまで魔神が大人しくしてるかよ。そもそも何でまだ『あいつ』動き出
してないわけ?」

 その疑問はもっともだった。すいと手を上げたのはエリスン。

「これは仮説だけどね」

 皆が彼女を注目した。

「みんな気付いてたかな? あのテホン、もうかなり干上がって浅くなってたって事」
「うん。岸の砂浜見れば一目瞭然だよね」
「でも、中央の小島は水面から少ししか突き出てなかった。どういうことかわかる?」
「……? あっ!」
「あの小島は水位低下が起きるずっと以前から祭壇として使われてた。つまり、ずっと
あの状態で存在してたわけ。これが意味するのはただ一つ。あの島は『浮島』よ」
「早い話、魔神が湖の中でプカプカ浮かんでるってこと!?」
「だからよ、奴が動き出せないのは。奴は『地』の魔神でしょ? 大地との接触を奪わ
れている限り、奴は自らの本来の力を出せない。水の檻に囚われた哀れな魔神ってトコ
ね。テホンそれ自体が天然の封印なのよ」

 なるほど、と皆が納得する。だが即座に声が上がる。

「じゃ、水がこのまま干上がったら!」
「……そう。湖の深さがどれくらいかよくわからないけど、もうそんなに時間が無いは
ず。長が言ってたけど、半年くらい前からこの辺りで地震が頻発してるそうよ。そして
この半年間でテホンの水位がいきなり5メートルも下がったって。これまでこんなこと
無かったのにって」
「半年前、ね……」
「多分間違い無いと思う。目覚めた魔神が一刻も早く地の力を得ようとしてるんだわ。
恐らく地震によって地盤がゆるみ、地下に湖の水が漏れ出してるんじゃないかしら?」

 一同の表情の深刻さが増した。
 シルヴィアが遠征組のメンバーの顔を見回して言った。

「あたしたちの責任は重大ね。どれだけ早く『それ』を回収して戻ってこれるかが勝負
よ?」
「でも、『あの』アドレイアでしょ? 間に合うかな?」
「……やるしかないわ。選択の余地なんて無いわよ」
「わかってるけどさ」

 そしてシルヴィアはシグルーンに向き直る。

「じゃ、後のことはお願い」
「わかってる。何としてでも、シルヴィアたちが戻るまで保たしてみせるわ」
「あんまり無理しないでね。最悪、セイルたちを連れて逃げ出しちゃっても構わないと
思うよ」
「……凄いこと言うね」
「あたしたちはあたしたちの出来ることをするだけよ。魔神に関してはあたしたちにも
責任があるけど、聖地云々に関しては獣人たちにだって責任とってもらわなきゃ。あた
したちだけが全部を引き受ける必然性なんてどこにもないわよ」
「そう思わなきゃ、やってられないか……」
「そうよ。時にはエゴイズムの権化も良し、ってね」

 そんな二人の会話の傍らで、ライザがミコに歩み寄っていた。

「……ミコさん」
「はい?」
「よろしく、お願いします」
「はい。……でもなんで私に?」
「あなたは、私たちに一番近い力を持っているようですから」
「そんな、別に……」
「いいえ、どうか自分を信じて下さい。あなたにはモノの本質を見抜く力があります。
これから先、いろいろな問題に直面することになっても、あなたには何が真実かわかる
はずです。その力が皆さんを救ってくれるでしょう」
「……」
「気負わなくても大丈夫。いつも通りのあなたでいればいいだけ」
「いつも通りの?」
「そう。それがあなたの本当の力ですから」

 ミコにとって、その言葉は心に残るものではなかった。
 彼女がこれまで見聞きし、感じてきたものと何一つ変わらない事象。
 希薄なコミュニケーションと、厚みの無い感情表現。

(でも、そう出来ることこそがあなたの力なのですよ)

 ライザがそう言っている事をミコは理解していない。
 そしてその「理解しない」という事こそ、ミコの本質。

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 アルブルズ山脈北麓、山並みを挟んで丁度テホンの反対に位置する町、アドレイア。
 広大な湿原と豊かな自然に満たされた高原の一角にある、小さな山村。

 だがこの風光明媚な地が獲得したのは「名勝」という高名ではない。
 呪詛の町、神の怒りによって沈んだ「滅びの町」という悪名である。

 かつてこの地は、南のテホンと同じく幾つかの小さな湖が点在する、本当の意味での
景勝地だったという。そしてそんな名勝である以上に、かつてこの地はライザッハと並
ぶ東西陸上交通の要衝だった。
 その繁栄は今日のライザッハをも凌駕したと言われ、一説に、世界の富の三割を独占
していたとも言う。五大老と呼ばれる巨大財閥の長たちを頂点として組織された都市民
営組織は、卓越した諜報力によって東西両陣営を手玉に取り、金にあかせて集めた優秀
な傭兵を主力とする軍事力は、「同数でアドレイアに勝る軍無し」と呼ばれ、世界最強
の名を恣(ほしいまま)にしていたのである。

 だがその繁栄は、五百年ほど前のある日、突然終わりを告げた。
 その様(さま)を伝える伝承は多岐に渡る。

 地の底から、突き上げるような鳴動と共に襲い掛かった大地震。
 アルブルズの巨大な山肌がまるでそのまま剥がれ落ちてきたかのような雪崩。
 雲一つ無い天空から一直線に舞い降りて地をなぎ払った雷(いかずち)。
 そして町も人も、全てを飲み込み地の底に沈めた湖の氾濫。

 何故それが起きたのか?
 それは起こらねばならぬものだったのか?

 誰も知らない。誰にも分からなかった。
 ただ一つ、誰もが感じたこと。
 アドレイアは、神の怒りによって滅んだのだということ。

 そしてこの地は人間の罪の象徴として、禁断の地、呪詛の町となる。

 まるでそれを証明するかのように、この地では未だに死人が絶えない。というのは、
湿原の殆どが底無し沼で、誤って足を踏み入れればまず助かる見込みが無いからだ。
 近代以降、この地を調査しようとして事故死した者の数は三桁に達する。またそれに
数倍する数の愚か者が、伝説の富に惑わされてこの地に沈んだ。挙句、今やこの地は世
を儚(はかな)む者たちの自殺の名所ともなった。

 呪いは、神の齎すものか?
 或いは、人の醸すものか?

 もしもこの地が悪名を払拭できるなら、その答えも導かれように。

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「お久しぶりです、教授」
「おお。どうしたこんな所に、え〜っと……サルビア君?」
「シルヴィアです、シルヴィア=クリステル。教授のゼミでお世話になった」
「おうそうだったそうだった、シル「ビ」ア君。もう一年くらいになるかな?」
「四年前です! 第一、教授が大学を出られたのが三年前じゃないですか!?」
「う〜む、そんな細かいこと気にせんでも良い。相変わらずだのお、シヴァ君」
「シルヴィアです!! ……って言っても、仕方ないんでしたね」
「何のことだ? まあよい、丁度一休みしようと思っとった。一緒にお茶でもどうだ?
後ろのお嬢さんたちも?」
「……そうですね。ではお手伝いします」
「うむ。こっちだシーナ君」

 ミコたちは、これほど情けない顔をするシルヴィアを初めて見た。
 誰にでも苦手な相手というのはいるものだが、この人物相手では誰でもそうだろう。

 チャールズ=サンダーズ教授。その筋では有名な考古学者。
 良く言っても中年太り。ちょび髭を生やした丸い顔は俗物っぽく見える。
 しかし中身は外見に似ず極めてユニーク。まあ才人に変人が多いのは確かだが。

「でも学者としては超一流なのよ」
「何じゃ?」
「いえ別に。……それより、今日こちらに伺ったのは」
「まあ慌てるな。先に彼も紹介しておこう。お〜い、いるかね?」
「もちろん」

 リビングに入ってきた人物の姿を見て、少女たちはお茶を啜る手を止めた。
 あまりにこの場に似つかわしくない風体だったからだ。

「初めましてお嬢様方。私、流浪の吟遊詩人、ジャン=オーレリアと申します。どうぞ
親しげに、ジャンとお呼び下さいませ」

 どう見てもそれ以外には見えない、間違い無く吟遊詩人の格好。
 そこそこ端正な顔立ちだが雰囲気は優男、上背はあってもさほどの肉付きは無い。
 そして彼は居並ぶ少女たちを見渡し、リュートを奏でながら頭を下げた。

「こんな町で他に泊まる所も無いでな。宿代代わりにワシの手伝いをしてもらっとる。
まあしばらく一緒に暮すことになるだろうが、悪い奴ではない。仲良くな」
「一緒に暮らすって……」
「そのつもりで来たのだろう? ここで何をするつもりか知らんが、その人数では簡単
なことではあるまいに。昼間は自由にして良いが、朝と夜は家事を頼むぞ。それが君ら
の宿代だな」

 シルヴィア以下、全員呆気にとられる。
 だが、彼女の人選が正しいことも理解し、皆一様に微笑んだ。

「ありがとうございます。しばらくお世話になります」
「礼など言わんでも良い。ワシはワシの研究を続けるだけだしな」
「……本当に、お変わりないようで安心しました、教授」
「いい年こいた大人がそう簡単に変われるものか! 君の無遠慮さも相変わらずだぞ、
なあ『シルヴィア=クリステル』君?」

 シルヴィアは思わず居住まいを正した。
 その時、恐る恐るジーマが手を上げる。

「あの〜、教授?」
「ん、なんだ?」
「悪い奴ではないとおっしゃられますが、男の人と一緒に暮らすんですか? この家、
部屋をみんな別々に出来るほど広くないみたいですけど」

 と言って、ずっとニコニコ顔を続けるジャンを指差した。

「狭い家で悪かったな! それに男の人って、ワシも男だぞ?」
「いえ、別に教授は……(枯れてるみたいだし)」
「なんだあ?」
「なんでもありませんっ! でもやっぱり、年頃の女の子が若い男性と一つ屋根の下っ
てのは、世間一般から見ても問題ありますよ」
「いえいえ、全然大丈夫です」

 と、割り込んできたのは当のジャン本人。

「何が大丈夫よ?」
「だって」
「だって?」
「私、女の人には興味ありませんから」

 女性陣全員の顔がハニワになった。

「ほ、ほほほほほほほ、ホモ!?」

 ティロルの叫びに、やっぱり笑ったまま答えるジャン。

「おカマではありませんよ」

 どう反応せいってのよ(笑)。
 そしてジャンと教授を交互に見やり、ジーマがつぶやいた。

「もしかして……お二人……」
「残念だが、若いお嬢様方の煩悩を具象化する関係ではないな」
「で、でもぉ」
「この男、美少年専門だそうだ。ワシのような美中年には萌えんのだと」

 なんだよ美中年って、なんだよ萌えって(苦)。
 この時、シルヴィアを除く四人は、期せずして同じ感慨を抱いた。

 『おいおい、とんでもないトコ来ちゃったよ』

 まあシルヴィアとて、一人は覚悟してても二人になるとは思ってなかったけどね。

 かくして、伝説の地での多種多様(笑)な苦難の日々が幕を開けた。
 少女たちはこの後遭遇する希代な体験を、自らの人生の糧とすることになる。

 しかし真に彼女たちの命運を左右したのは、この小さな出会いそのものだった。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

「へえ凄〜い、よくこれだけ調べられたね」
「だから言ってるでしょ? 人格は破綻してても学者としては超一流だって」

 ジーマの感嘆の叫びに、まるで自分のことのように胸を張るシルヴィア。
 彼女たちの眼前、テーブルの上に広げられたのは、アドレイアの湿地帯を縫うように
走る安全地帯の場所を記した地図。

「一応誉め言葉と受け取っておくが、これでもまだ全体の二割にも満たんよ。そもそも
そのエリアですら未だ不完全だからな」
「嘘でしょう? だってこれ……2キロ四方は優にあるよ?」
「残念ながらねジーマ、アドレイアの湿地帯は東西に10キロ以上続いてるの。そして
南北の一番広い所が約3キロ。それが『アドレイアだった』のよ」
「史上最大の繁栄を謳歌した都市、という伝説は伊達では無いということさ」

 サンダーズ教授の解説は、感嘆ではなく嘆息を呼んだ。

「ふへえ……そんな広い所から『それ』の沈んでる場所探せっての? 勘弁してよ」
「でも多分、このエリアを重点的に探せば何とかなると思うわ」
「その根拠は?」
「百年前に『彼』がここを訪れたとして、当時から人が出入りできたのはアドレイアの
旧中心部と言われるこの辺りだけだからよ。それにこの地区は未だ未解明の遺跡も多く
てね。ま、あるとすればここしかないと思う」
「……無かったら?」
「どうせ今の手数と残された時間内じゃこの範囲でも広すぎる。いちかばちか、賭けに
出るしかないわ」
「あたしたちに選択の余地は無い、か……」
「そ。誰が仕組んだか知らないけど、よっぽど性格悪い奴なんでしょうよ」

 そんな会話の脇で、ミコが教授に話し掛けた。

「あの、お尋ねしてもよろしいでしょうか?」
「なんだね? 別にそんなに畏まらんでもいいぞ」
「あ、はい。この地図、先生がお一人で書き上げたのですか?」
「ん? ああ、まあそうだな。ジャン君が手伝い始めたのは二ヶ月くらい前だし、ええ
っと……そういえば君も手伝ってくれたことあったんだっけ、シーファ君?」
「シルヴィアです! はい、四年前に一週間ほど。それをしてたからこそ、今こうして
お世話になりに来たんですよ」
「うむ。確か他にも、ゼミだったか研究室だったかの学生たちが手伝いに来てたことも
あったようだが、結局ほとんどワシ一人だったな」
「凄いですね」
「なにが?」
「危険も顧みず、これだけの事を成し遂げようとする勇気が凄いと思います」
「別に勇気など要らんさ。危険だと言うが、目の前に危険があると最初から分かってい
れば、その危険を回避すべく知恵を絞り慎重に行動するのが人間というものだ」
「そうかもしれませんが、私でしたらこうまで事を続けられるとは思いません。とても
無理だと思います。だから凄いと思うんです」
「なるほど、自分には無理なことを成し遂げたから凄いと、そう思うわけだな?」
「はい」
「違うな。確かにこれは困難なことだが、無理なことではない。せいぜい無茶な、無謀
なことだというのが正しいな」
「え?」
「いいか? ワシのしている事それ自体は全然難しいことではない。ただ、それを形に
するためには膨大な時間と忍耐が要るだけのことだ。そう、例えば人生を棒に振るくら
いのな。こういうことを無理とは言わん、無茶と言うのだ」
「無理と、無茶?」
「そう。無理なことをするのはただの馬鹿だ。話を戻すが、目の前に底無し沼があると
わかっていて、何も考えずに運を頼んで足を突っ込むなど無理に決まっとる。自分に出
来ることと出来ないことを判別するのが、人間の知恵というものだ」
「はい、わかります」
「だが一見不可能に見えることを目標や目的にすることは出来る。その為の手段として
無理をしなければいいだけだからな。それが無茶というものさ。……ワシら学者の存在
意義とは、自らの持つ知識を総動員して無茶を行うことにある。なぜか分かるか?」
「?……いいえ」
「その無茶がごくまれに成功してきたからこそ、人がより豊かな、幸せな生活を送る事
が出来るようになったのだよ。ワシらがたまたま手にしておる知識に対して、世間様が
生活の糧と、そして時に小さな尊敬を与えて下さるのは、自分たちが日々の生活に追わ
れて挑戦することが出来ない『無茶』を、もしかしたら自分たちより上手くこなしてく
れるかもしれないと期待しておるからなのだ」
「確かにそうかもしれません。でも教授もおっしゃられるように、それはやっぱりごく
まれにしか成功し得ない、凄いことなのではないのでしょうか?」
「そう思い込む輩が多いから、学者は偉いなどと胸を張りたがる奴ばかりなのだ。他の
誰かの成功を自分の手柄と思い込んでな。せいぜい他人の仕事を引き継ぐのが関の山の
くせにの。よいか? 学者とはな、チップに知恵を張る賭博師のようなものだ。それで
たまたま名誉という一攫千金を得た者を凄いなどとは呼ばん。それは単に『運が良い』
だけだ。お分かりか、お嬢さん?」
「分かりました。でも……」
「でも?」
「やっぱり私、先生は凄い人だと思います。そう思わせて下さい」
「……君の名は?」
「ミコです。春日弥呼(かすが=みこ)と申します、サンダース先生」
「ミコ君、か。覚えておこう」

 ぺこりと頭を下げるミコ。
 二人のやり取りを興味深げに聞いていたシルヴィアが、へえと驚いて呟いた。

「教授が初対面の『生徒』の名前を覚えておくなんて言ったの、初めてだわ」
「そうなの? それにしても」
「なに?」
「あれがホントの、超一流の学者なのね。勉強になった」
「そうよジーマ。だってあたしが尊敬する数少ない恩師の一人だもの。当然よ」

 くすっと、二人は声を立てずに笑う。
 そして同じ動作でミコを見やった。

「ミコって、どこまで凄くなるんだろうね?」
「……さあ」

 ジーマの疑問に応じるシルヴィアの瞳には、小さな嫉妬が浮かんでいた。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

「今でもこんな所が残ってるんですね」
「ああ。逆に言えば、こんな所だから今でも残されておるんだな」

 広大な湿地帯の北辺に位置する、今日のアドレイア市街。
 その小さな町並みから湿地内部、南へ僅か百メートルほどの所に廃墟がある。
 湿地の様子を見ようと、サンダース教授に連れられてきたのがこの場所だった。

 湿地沿岸から近く、まだ安全地帯が多いこともあって、この廃墟は昔からアドレイア
の伝説を伝える名所(?)として、多くの旅行者(さすがに観光客とは言わないが)の
足跡を記してきた場である。

「資料によれば、ここは『北老』の館の一つだったらしいぞ」
「北老?」
「アドレイア五大老の話くらいは知っておるだろう? かつてアドレイアを牛耳ってお
った『老中』こと四大財閥の当主と、その代表『大老』の五人組。この四家はアドレイ
アの東西南北を拠点としておったから、北の財閥の当主を『北老』と呼んだわけだな」
「じゃあここって、史上最高の大富豪のお屋敷なんですか?」
「の一つ、だったらしいぞ」
「だったら、お宝の一つや二つや三つや四つくらい……」
「数百以上あったらしいがな、そのほとんどは五百年前に沼に沈んだそうだ。たとえ残
っていたとしても、とっくにどこぞの誰かに持ち去られておるわ」
「でも、この辺りの沼を探せば見つかるかもしれないんでしょう、それって?」
「同じことを考えていた連中の白骨は見つかるかもしれんな。だから言っとるだろう、
そういう『無理』をするなと。我々にできるのは、このゴミの山の中に、もしかしたら
残っているかもしれない芥子粒ほどの手掛かりを捜し当てて、どうにか当時の状況を推
察するくらいのことなのだ」
「そんな『無茶』な」
「それが学者というものだ」

 ジーマと教授の会話が耳に入らないわけではなかったが、ミコは周囲に広がる寂しい
状景の方に心を奪われていた。

(なんでこんなに切ないのだろう?)

 ミコは、自分が人であると知っている。
 人だからできること、人にしかできないことを知っている。

 そして同時に、人には決してできないことも知っている。

 今、自分の目の前に広がるのがまさにそれ。
 何一つ、自らの事績を留めておくことのできない人の無力さ。

 「時」という超越者。
 万物を生み出しながら、何一つ残さず破壊し尽くす、自分勝手な創造主。

「『奢れる者も久しからず』、とは言うけど」

 いつの間にか後ろに控えていたシルヴィアの呟き。

「こうまでされなきゃならないような、一体どんな罪を犯したんでしょうね、この人た
ちって?」

 その言葉に、意外そうな表情で振り返るミコがいた。

「罪、ですか?」
「……ええ。そう言う伝説だけど」
「きっとこの世には、神が裁くに値する罪なんて存在しないと思います」
「え?」
「だからこの人たちが受けたのは罰なんかじゃないと思うんです」

 シルヴィアは呆気にとられる。

「どうしてそう思うの?」
「わかりません。でもこの人たちの想いが、そう言っている気がして」

 そう言ってミコは膝を着き、足元に転がる何かの破片に手を伸ばした。
 シルヴィアには、まるで本当にミコがそれと会話しているように見える。
 言葉が継げない。するとそれを補うかのごとく、歌うような声が響いてきた。

 『乙女の見るはまほろばの夢
  乙女の聞くはまぼろしの声』

 シルヴィアはその声の主を睨み付ける。

「……なんであなたまでここにいるのよ?」
「いえいえ、だって私は教授の助手ですから」

 ちゃっかり一同に紛れ込んでいるジャン。一端の吟遊詩人らしく美しい声と旋律では
あるが、彼女たちは別に観光目的でここにいるわけではない。軽い感じのガイドなどが
いては意気込みも削がれように。

「だったら教授のそばにいなさいよ。あたしたちの邪魔しないで!」

 苛立ちを隠さず、シルヴィアはその場を離れた。
 ミコとジャンだけが残される。そして彼は、うずくまる少女に声をかけた。

「どんな声が聞こえますか?」
「いえ、何も」
「でも感じるんでしょう? うらやましい限りです」
「うらやましい?」
「あなたは動物たちと会話ができるそうですね。素晴らしいじゃないですか。もし私に
その力があれば、この世の誰より素晴らしい詩を吟じることができましょうに」
「誰にでもあると思います」
「力が、ですか?」
「動物さんや小鳥さん、虫さんや草原に咲くお花さんたち。みんな一生懸命話しかけて
下さってます。その声を『そのまま』聞けば良いだけなのですから。どうして皆さん、
自分がその力を持っていることに気が付かれないんでしょう?」

 ジャンは目をつぶって首を横に振る。

「あなたの言うことは正しいですよ、ミコさん。でもそれは傲慢というものです」
「私は、そんな……」
「誰もがあなたのように『在れる』とは限らないのですからね」
「?」
「まあ、今のあなたにはお分かりになりますまい。生まれながらの詩人である今のあな
たには。そしてそれが分かった時、あなたは詩人でなくなるのですから」
「……不思議です」
「何が?」
「なんとなく、今のジャンさんの言葉を以前にも聞いたような気がしたのです。そう、
ここに来る前、ライザさんたちにも……いえ、全然違う言葉なのですが」

 ジャンはポロンとリュートを鳴らし、突然唄い出した。

 『言葉言の葉木の葉の言葉(ことば ことのは このはの ことば)
  事は此の端の琴のう真事(ことは このはの ことのう まこと)』

 首をかしげるミコに、ジャンはこう言った。

「ただの早口言葉ですよ。吟遊詩人足るもの、こういう技がないとね」
「はあ」

 ジャンはリュートをBGMに奏でながら、廃墟の奥へと進んで行く。ミコはなぜか、
自分でも意識しないままそれについて歩いた。

 壊れた扉の跡らしき場所を過ぎる。
 すると、屋根は喪われているものの、四方に未だ壁の残った小部屋が現れた。

「間取りからして居間だったのか応接間だったのか。ほら、暖炉の跡があるでしょう?
かつてこの部屋では、どんな会話が交わされてたんでしょうね?」

 ジャンの指差した四角い石窯に指を触れる。
 表面の苔がずるっと剥がれ、うっすらと黒いものが指先にこびり付いた。
 それは明らかに焚き火の炭かす。人が確かにここで生活していたという痕跡。

「ねえ、この壁を御覧なさい。何か掛かっていたようなあとがありますね? きっと館
の主人は、ここに馬鹿高い絵画や自分が狩った獣の剥製、そして旅の商人から手に入れ
た高価な武器なんかを飾っていたんですよ」

 ミコにも、まるでそれが本当にそこにあるように見えた気がした。

「お詳しいですね」
「いえいえ、全部教授の受け売りですよ……ほら、あった」

 壁の真下、少し盛り上がった土くれを蹴飛ばすと、そこから二、三の棒のようなもの
が現れた。ジャンがその一つを手に取る。

「ほら、多分これは斧ですね。刃の部分は全部錆び落ちちゃったみたいですけど。木で
できた柄の部分が残って、実際の刃の方が先に無くなっちゃうんですから。いやはや、
遺跡というのは面白いものです」

 ミコも同じように、その一つに手を伸ばした。
 ずるずるっと土の中から引き出されたそれは、70センチほどの木の鞘。

「ほう、西のものではありませんね。その作りは東方の『刀』と言う奴ですよ」
「東方の?」
「ええ。ここに来る前は東にいましたからね、たまに見たことがあります。当時確かに
東方との付き合いがあったという証拠になりますよ。教授が喜びそうだ」

 ミコは、彼女にしては軽挙と言えたかもしれないが、ふと鞘から刀を抜き出した。

「ああっ、駄目です!」
「え……あっ!?」

 一瞬ざらっとした手応えを感じると、現れたのは鋼色の刃ではなかった。
 真っ赤に錆びついた、ボロボロの鉄の塊。
 そしてそれはたちまちのうちに、ただの鉄屑となってこぼれ落ちた。

 柄と鞘を呆然と握り締めたまま、ミコはジャンを見上げた。

「……斧も刃が錆び落ちてたでしょう? 何百年も手入れをしない剣は、例え鞘の中に
あったとしても錆びついて使い物にならなくなるんです」
「そうでしたか……」
「専門家に任せればそれなりの処置ができたんでしょうが……まあこれだけ目立つ所に
ありながら誰も持ち出さなかった程度のものですから、そんなに気にすることはありま
せんよ。まあ一応、教授にでも見てもらいましょうかね」

 だが何故かミコは動かない。ジャンがどうしたのかと疑問に思った時。

「可哀相なことをしてしまいました」
「可哀相?」
「あなたも、もう一度誰かに使ってもらいたかったでしょうに……ごめんなさい」

 ジャンはやっと、ミコが刀に対して謝っているのに気付く。
 そしてクスクスと笑い出した。

「くくく……やっぱり、面白い人ですね、あなたは」
「そうでしょうか?」
「物をいとおしむ気持ちはわかります。でも、それがもう一度使われるということは、
誰かの命が奪われるということですよ。そういうものに対して可哀相と言うのもね」
「でも、これはそう誰かに作られただけで、この子自身が誰かを殺したいと思ってるわ
けではないでしょう?」

 それに対し、ジャンは急に表情を消して応えた。

「そう思っているかもしれませんよ?」
「そんな……」
「あなたは『それ』の思いを聞けましたか? 今『それ』はあなたに語りかけています
か?」
「……いいえ」
「力があるからといって傲慢になってはいけません。そうでしょう?」

 ミコは頷けなかった。

(傲慢になっているつもりはありません。でも……)

 ミコは改めて力を込め、その柄を握りしめる。
 でも『それ』はミコに、何も応えはしなかった。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 翌日から、彼女たちの湿原探索が始まる。

 範囲が広いこともあり、二手に分かれての行動となった。
 第一班は、シルヴィア・ティロル・リンスの三人。
 当然、第二班はジーマとミコ、そして。

「ごめんね。どうもあたしあいつと相性悪くて」

 そうシルヴィアはミコに頭を下げたが、ミコに否は無かった。

 二班にはジャンも同行していた。最初は拒んだのだが、教授の強い推薦があったため
に断れなかったのだ。教授としてみれば、どれほど腕に覚えがあると言っていても所詮
は女だけの集団にしか見えない。男手が必要だと気を回したのであろうし、それに。

「こいつ、優男だが結構できるぞ。伊達に一人で世界中旅してきたわけじゃないみたい
だからな」

 シグルーンの例もある。吟遊詩人でそれなりの戦闘経験を持つ者は確かに多い。だが
彼女たちからみれば「結局は普通の人」でしかない。教授の顔を立てて同行を認めはし
たが、いざと言うときどれほどの役に立つか?
 シルヴィアは最初、自分の班で面倒見ようかと思ったのだが、どうしても性に合わな
いのを自覚してしまっていた。考えてみれば、優男という彼女の一番嫌いなタイプなの
だ(セイルを気に入っている事の方が変なのである)。無責任を自覚しつつもジーマと
ミコに厄介を押しつけてしまった。この二人なら平気だろうと思ったこともあるが。

 だが、心配は杞憂だった。
 確かにジャンは、結構使えたのである。

 湿地帯を熟知しているということ。
 そこに棲むものたちを認識しているということ。
 そして、誰もが一度は犯すであろう失敗の経験者であるということ。

 時間的余裕のない彼女たちにとって、ジャンの経験は極めて有用だった。
 コミュニケーションを生業とする彼の示唆が的確だったこともあるが、三日もすると
もう彼女たちにジャンから学ぶべきものはなくなっていた。それは一月分もの習熟時間
短縮に相当したのだ。

 これにより、湿地探索それ自体は順調に進んだ。
 だが目的達成の見通しはまるで立たなかった。

 理由は明白である。そもそも彼女たちには『何を探せば良いのか分からない』のだ。

 獣人たちの言う、『彼』の出会った『それ』。
 それは物なのか、者なのか?
 地上にあるのか、地下にあるのか?
 そして具体的に、セイルとファローラの魂の込められた『絆』をどう使うのか?

 何も分かっていないのである。

 結局、全てが行き当たりばったりなのだ。
 それらしいものを探し、それらしいことをしてみる。
 それで何かが起こるのを期待する。

 無理ではないだろう。かろうじて無茶と言える愚行だ。
 過去実際に『彼』が成し得たことだ。いつかは倣えるはずだ。

 しかし。

「結局この一年の間、あたしたちのやることは全て同じってわけよ」

 時間との勝負。
 シルヴィアの強がりには、悲しいかな、焦りが透けて見える。
 でも誰もそれを責められない。皆同じ思いだからだ。

 疲労と失望に満ちた日々。
 何も無いまま、二週間が過ぎた。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

「ああ、ミコ君!」

 いつもと同じ、何一つ成果のない一日の終わり。
 家に戻った彼女をサンダース教授が呼びとめた。

「何でしょうか、先生?」
「この前、君が見つけてくれた刀の調査が終わったのでな。どうだ、見るかね?」
「……は、はい」

 何で私に、という素直な疑問が顔に出たのだろう。教授は笑った。

「結構面白い品でな、こういう物を発見者の了解無しに発表するのは仁義に欠けるのだ
よ。それに、君自身に聞いてみたいこともあるでな」
「はあ……」

 二人はそのまま奥のリビングに向かう。
 ソファに深く腰を下ろし、教授は早速、テーブルの上に置かれた箱の蓋を開けた。

 そこには、10センチほどの細長い鉄の棒があった。

「刀の中子(なかご)だ」
「なかご?」
「柄の中に差し込まれてた部分のことだ。ここには大抵、刀の銘や作者などが刻まれて
おるから、刀の素性を知る手掛かりになるのだよ」
「……見させて頂いても、よろしいでしょうか?」
「勿論」

 ミコは未だに赤黒い錆びの残るその鉄片を手に取った。
 意外と重さがある。でもなぜか手になじんだ。

「不思議なことに、その中子には何一つ文字の刻まれた痕跡がない。ただ一つ、その中
央の小さな穴以外にな」

 それはミコにも分かっていた。思わずその穴を覗き込んでしまう。そしてその先に教
授の姿を見とめ、確かにこれが貫通していることを確認した。

「知り合いの刀鍛冶に聞いてみたのだがな、普通こういうことはありえないそうだ。も
しあるとすれば、例えば戦争で刀が必要な時、粗製濫造で大量生産されたものの一つで
あるか、あるいは」

 そこでわざわざ一息入れる教授の表情に、思わず引き込まれるミコ。
 得たりと、彼は続けた。

「祭祀用の物であるかのどちらかだそうだ。まれにそういうのがあるとな」

 ミコは、どう応えて良いのかわからなかった。
 すると教授はこう問いかけてきた。

「君は、東方の出身かね?」
「え……いいえ、私はこちらで生まれました。祖母の代までは東にいたと聞いておりま
すが、父や母はこちらで生まれ、こちらで出会ったと」
「でも、名前からして東風の育ちのようだね」
「はい……祖母がそういう風に躾て下さいました。こちらにも東風の生活を営む集落が
いくつかありますし、両親も私も、そんな環境の中で育ちましたので」

 やはりな、と教授は笑った。

「東の大国、クーロンの先にあるという小さな島国の伝説を聞いたことがあるかね」

 ミコは思わず、ビクっと体を震わせた。

「この世界の東の果てにある、現人神(あらひとがみ)の棲むという島国の伝説。そこ
では人は獣と、いや草木や地に座す岩とも言葉を交し合えるという。幾百万もの精霊に
満ちた、神秘の国だな」

 ミコはうつむき、顔を上げられない。

「国を治むるは、天より降りし神の血を引く神子(みこ)の一族。あまてらす(天照)
陽光を身に纏い、地に棲む神々に光をもたらす君(きみ)」

 そして教授は、ミコをじっと見つめた。

「君はもしかしたら、その国の出ではないのかね?」

 しばらくの沈黙の後、ミコは搾り出すように声を発した。

「私には、わかりません。……確かに祖母は、一度だけその話を私の幼い頃にしてくれ
ました。でも私には、それがとても恐ろしい体験だったのです」
「どんな話だね?」
「地に満ちた幾万もの神々は、やがて光と闇の眷属に分かれて争うようになったといい
ます。神子は自らが光と闇を創り出す存在であることを嘆き、自らの命を絶ちました。
そしてこの国には、『光も闇も居なくなった』と」

 教授は、まるで答えを知っているかのように問い掛けた。

「変な話だね。光が消えれば闇だけになるはずなのに」
「いいえ……闇は、光があればこそ闇として存在できるのです。闇は自らを縁どる光を
失った時、自らを形作ることもできなくなったのです。それは一切の消滅、『無』を意
味するのだと、祖母は私に語ってくれました」

 ふむ、と頷き、教授は再度ミコに問うた。

「では、なぜそれが恐ろしい体験だったのかね?」

 ミコは一度視線を逸らし、けれど思い切ったように教授の目を見据えて言った。

「自分もまた、消えてしまいそうな気がしたからです」
「……つまりそれは、君自身が『現人神たちの一人』であるということかね?」
「それはわかりません。でも……祖母がこの話をしてくれたのは、私が一度だけ、祖母
との約束を破った日の夜のことでした。後にも先にも、その時だけです。私もその後、
一度も祖母にその事を聞きませんでしたが、多分聞いても何も答えて下さらなかったと
思います」

 教授は、まるで愛娘を見るような優しい表情で解した。

「つまりその後君は、祖母君との約束を決して破らなくなった、ということだな」

 ミコは思わず頬を赤らめ、うつむいた。

「君は良い環境で育てられたようだ。良き肉親との良き関係……世の中には、なかなか
それを満たすことのできない家庭が多いものだがね」
「そんなことはありません。私の両親は、神官修行の為に小さい頃から家にはほとんど
帰りませんでした。ただ祖母だけが家で私の面倒を見てくれたのです。この言葉を口に
するのは心苦しいですが、とても良い家庭とは……」
「家族の絆とは、共に在る時間の多少で決まるものではない。お互いを慈しみ合う想い
の多寡こそが大事なのだ。君だって自覚しているのだろう?」
「……」
「君以外の四人、彼女たちなど……。いや、余計な詮索は下種のすることだな。聞かな
かったことにしてくれ。それよりも」
「はい?」
「この中子、君が持っていてくれんか?」
「は?」
「君の出自がどうであれ、この刀が君の『血』に近しい存在であることは間違いないの
だ。これは学者としての下種な勘ぐりだが、君と共に在ることで何か新しい発見が導き
出せるかもしれんのだよ。どうだ、私の実験材料になってくれんか?」

 なんと直接的で、正直な申し出であることか。

「わかりました。私でお役に立てるのでしたら」

 そしてなんと率直な応対であることか。

 間違えてはいけないが、彼女は無知でも無邪気でもない。
 彼女はその無垢な精神をもって、無意識の内に無害か否かを判断できるのだ。

 これを無敵と呼ばずしてなんと呼ぶか。
 だが未だ、その真の意味に気付く者はいない。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 更に一週間が経った。しかし何一つ進展はない。

 それは、そんな失望に満ちた、満月の夜だった。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 リュートの奏でる軽快なリズム。
 今時の流行り歌を基調にした、ダンサブルなメロディ。

 ジャンの演奏に合わせて、月明かりの下で楽しそうに踊るリンスとティロル。

 それをジーマは楽しそうに、シルヴィアは苦笑しながら見つめる。
 そしてミコも、一見何も感じていないかのような、でも真に優しい微笑で。

 一同は、例の北老館跡に来ていた。

 疲労が溜まっていたこともある。
 当てのない探索に、わずかな苛立ちを感じてもいた。
 そして自分たちの帰りを待つ仲間たちへの申し訳無さ。

『少しは歳相応に遊んだらどうだ?』

 教授の助言を容れたのは、半ばやけくそになってのことかもしれない。
 それでも澄み渡る高原の空気の下、美しい月の光を身に受けるのは爽快だった。

 思わず踊り出したくなるくらい。

 となればジャンの出番。
 こういう場面で気が利く人間でなくば、吟遊詩人など生業(なりわい)にはできぬ。

 あまり無茶をするタイプでないとはいえ、リンスもティロルも陽気の性。
 この暗い探索行で溜め込んでいた鬱憤を、今一気に晴らしまくっている最中だ。

 この様子を見れただけでも、教授の言を容れたのは正解だった。
 と、シルヴィアでさえ思った。ジーマとミコも、また。

 楽しげなメロディが終わりを告げる。
 はあはあと息を切らしながら、リンスとティロルが駆け寄ってきた。

「ねえ、踊ろうよ! ジーマもミコも!」
「そうね、たまにはいいか。ミコ?」
「私は……あまり激しい踊りは」

 苦笑しているが固持している感じではない。それを察したリンスが、半ば強引にミコ
の手を取った。

「さあ、いこ!」
「あ、リンスさん……」

 歳だからというわけでもなかろうが、シルヴィアには声をかけるものがいなかった。
 もっとも当の本人を含め、それを意外に思うものはいない。

 ジャンが次の曲を奏ではじめた。前曲とは違い、今度はテンポのゆったりとしたバラ
ード。それも東方調の旋律を織り込んで。さすがと言うべきだろう、メンバーにミコが
入ったのを見越しての選曲だった。

 少女たちも一瞬戸惑いはしたが、決して特異な曲調ではない。
 十分今風と言える、美しく楽しいメロディ。
 一同はその柔らかな波に漂うよう、思い思いに体を揺らし始めた。

 しばらくして、全員の視線が一点に集中する。
 ミコ以外の全員の視線が、である。

 それは、神秘的という言葉以外では表現できない踊りだった。

 東風のゆったりとした上着を纏う少女の動き。
 彼女の周囲だけは、時間がゆっくり流れているかのようだ。
 純粋で自然な表現。揺らぐ髪の一本一本まで、月明かりを弾く十の指先まで。

 曲が終わっても、誰も何も語ろうとしない。
 拍手が挙がるわけでもない。

 皆、ただただ圧倒されていた。

 赤面しながらシルヴィアの所に戻ってくるミコ。
 既に次の曲が始まっていた。残りの三人は、それでも楽しげに踊り続けている。

「……ねえミコ。あなた、幾つになったのかしら?」

 その突然の問いは、でも不自然ではなかった。

「……先日、十七になりました」
「あたしたちが初めて出会ったのが二年半前。その時あなたはまだ十四だったのよね」
「……はい」
「変な言い方に聞こえるかもしれないけど……ミコ、あなた、大人になった」
「……」
「今の踊りね。とても綺麗だった、とても素敵だったわ。でもそれ以上に感じたのは、
凄く艶(なまめ)かしかったってこと」
「……」
「今のあなたにとって、セイルってどんな存在なのかしら? 最愛の人? ご主人様?
それとも、今のあなたの全て?」
「多分、どれでもありません」
「そうかしら?」
「セイルさんは……確かに、誰よりも愛しいと思える御方です。でもそういうこと以上
に、あの御方は今の私の『一部』です」
「一部?」
「私は、私だけでは存在できません。セイルさんだけではないのです。シルヴィアさん
やジーマさん、リンスさんティロルさん、リムリアさんもシグルーンさんもクウさんも
ルーさんも、ライザさんやココリコさんたちだって、いいえ、サンダース先生やジャン
さんだって、今の私の一部なんです」
「じゃあ、『あなた自身』はどこにいるの?」
「ですから、その全てが『私』です。『今』の私です」
「だとすると、もしも今あなたの周りにいる人全てがいなくなってしまったら、あなた
はいったいどうなるの? 消えて無くなるの?」
「いいえ、それも『私』です。『その時』の私です」
「……人って、そんな簡単に自分を大きくしたり小さくしたりできるのかしら?」
「違います、小さくなったりしません。だって私の中にはずっと、その人の場所があり
続けてくれますから」
「でも、空っぽになっちゃうわよ」
「想いは決して失われませんから」
「忘れちゃうかも」
「それは忘れるのではなく、溶け込んで見えなくなるだけです」

 はあ、とため息のシルヴィア。

「あなたはもう、『一人ぼっち』になることは無いのね」
「はい。きっと」

 そう微笑む少女は、とても十七には見えない。

 十四の頃。この少女はか弱い、というよりもひ弱な子供でしかなかった。
 それから三年。少女は誰にも気付かれないまま、誰よりも大人になっていた。

(『童の刻は語る事も童の如く。大人に成りては童の事を忘れたり』、か……)

 シルヴィアは、今度こそ本当にミコに対して嫉妬心を抱いた。
 そして取った行動は、ちょっと悪い意味での大人の態度。

「ねえミコ、付き合わない?」
「え……ええっ?」

 そう言って取り出したのは、ラム酒のボトルと小さなコップ二つ。

「わ、私、お酒は……!」
「大丈夫。あたしなんて15の時から親とやってたんだから。何事も体験よ、ほら!」

 押し問答の挙句、結局ミコは盃を受け取ってしまった。
 心配そうにそれを見つめ、匂いを嗅いでは顔をしかめるミコ。

「本当に大丈夫だってば。そりゃ酔いはするけど、量さえ間違えなければ、ね?」
「ええ、それはわかってます……でも」

 仮にもシグルーンと並ぶ薬餌の専門家である。ミコとて酒の効能は知っている、が。

「結局いつかはたしなむ事になるのよ。こうでもしなきゃ踏ん切りつかないでしょ」
「……」
「味は保証するわ。ほら」

 そう言ってシルヴィアは自ら盃をあおった。カップ半分ほどを空け、ふうっと息を吐
く。うっすらと紅づく頬と、心底おいしそうな顔。そこに嘘は無かった。

 改めてカップを見つめるミコ。そして意を決し、ついにそれを唇に運ぶ。
 一瞬の躊躇。でも一口分を含み、そして舌から喉へとその液体を滑らせた。

 ぎゅっとつぶっていた瞳が、まるで騙されたような色をたたえて開かれる。

「どう?」
「……おいしいです。本当に」

 よかった、というシルヴィアの顔に安堵したのか。ミコは、今度はそれを楽しむよう
に、唇を酒で湿らせた。たちまち、その抜けるように白い頬が赤く染まる。でも彼女が
心から飲酒を楽しんでいるのは傍目にも明らかだった。

「もう一杯、よろしいですか?」
「もちろん」

 シルヴィアは内心ニタリとする。
 ミコがどんな乱れ方をするのか、とても楽しみだったからだ。

 そして10分後。
 シルヴィアは期待以上の成果に後悔を感じていた。

 信じられないことに(お約束かもしれないが)、ミコは酒乱だったのである(爆)。

「うふふふ、ふふふふ」
「ね、ねえミコ? もうこれで終わりよ、わかるわね」
「ふふふふ、ふふふふふふふふ。だ〜め」
「ちょ、ちょっとぉ」
「いいんです、だめですよ、じぶんだけたのしいおもいして。ふふふふ」
「あ、こ、こら!」
「い〜い、いろですよね〜。ごくっ……はあ〜っ、おいしいですねぇ〜」
「ごめん、あたしが悪かった! だからもう!」
「なにいってるんですか、これからですよ! でしょっ、うふっ(はーとまーく)」
「ちょ、ちょっと、なにその目は? ミコぉ!?」
「ねえシルヴィアさ〜ん、わたしねえ〜、シルヴィアさんみたいになりたいな〜」
「なに、なんなの?」
「シルヴィアさんみたいだったら、もっとセイルさんよろこんでくれるのにな〜」
「なにがよぉ」
「こ〜んなおっきいむねでぇ〜、こ〜んなすべすべしたはだでぇ〜。おとこのひとって
やっぱりこういうのがすきですよねぇ〜」
「や、やめなさい! こら、変なトコ触るなーっ」
「うふ、うふふふふ。こうでぇ、こうしてぇ……」
「や、やんっ! ……きゃんっ! せ、セイルのむっつりスケベーっ! 十四、五の女
の子に何教えこんできたのよーっ!」
「シルヴィアさんだったら、もっときもちいいんでしょ〜? わたしもぉ、そうしてほ
しいなあ〜。うふふ」
「あ、ああっ、だめ、だめだって、ああんっ!」

 正直、最後まで書き続けてみたい気もする(笑)。
 しかし、この時また、運命の歯車が回り出した。

 ぽとり。
 シルヴィアの懐から、小さなものが地に落ちる。

「うふふ……うん? なんですかあ、これ〜?」
「んくう……え? 何って……あ、あら!」

 にぶい紅色に輝く小さな石。獣人たちが『絆』と呼ぶもの。
 昼の探索で持ち歩いていたのを、そのまま懐に入れっぱなしにしていたのだ。

「あ〜、セイルさんだ〜。ファローラさんもいる〜」
「ひ、ふ、ふう……。こらミコ、返しなさい」

 注意が自分からそれて、やっと一息つくシルヴィア。そして今のミコにこんな大事な
ものを持たせておくのは危険だと、それを取り返そうとした。

「こらぁ、いつまでもかくれてないで、さっさとでてきなさ〜い!」
「ミコ、いい加減にしなさい。ミコ……?」

 そしてようやく、違和感に気付く。

「セイルさ〜ん、じかんですよ〜」

 ぺたっと膝を地に付いて、ミコはそれを高く掲げる。
 月明かりに照らし、その中を覗きこんでいるようだ。

 まるで、誰かに話しかけるように。

「じゃあ、おめざめのきす、いっきま〜す!」

 そう言ってミコは、その小さな紅い石を、同じく紅に染まった唇に触れさせた。
 瞬間。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 レーザー発信という物理現象がある。

 光電効果の連鎖発生を促し、その特定方向の光線を選別増幅することで、極めて同期
性の高い、同位相光線を生み出すものである。この時の増幅装置としてしばしば高純度
の結晶が用いられるが、それは定まった結晶構造が特定方向の光のみ通す簾(すだれ)
として作用するからである。

 この時、ミコの手から発した紅い光が同じ現象であったかどうかは不明だ。だが。

 酩酊によって制御を失った、強大なミコの魔力。
 満月光という、極めて魔力との親和性が高い光源。
 そしてセイル・ファローラという「人意」を持つ結晶である『絆』。

 この三者が協調して生み出した光線が、『絆』の到来を求める『それ』に反応し得た
のは、偶然ではなかった筈である。少なくとも、今日の事態を仕組んだ(と思われる)
『彼』が、その示唆を残していたのは事実なのだ。

 尤も、それに気付いたのは実際に謎が解けた後だが。

 相も変わらぬ行き当たりばったり、結果論的な進展ではある。
 だがそうででもなければ、彼女たちは奇蹟を成し得なかった。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

「結局、ここなわけね」
「そういうこと」

 ジーマとシルヴィアが、地図の一点を見つめる。
 それは、教授の描いた旧アドレイア中心部の、更に真中央。

 未だ安全地帯が発見されておらず、どうなっているか不明の、白紙のエリア。

 確かに、いかにも、という場所であったため最初から目星を付けてはいた。
 だがそこに到達する手段が無い以上、手の出しようが無かったのだ。
 そして彼女たちは、周囲に手掛かりを求めた。一縷の望みを求めて。

 しかし。

「本当に、間違い無いのよね」
「三箇所で発せられた光線がこの一点で交差してた。疑う余地は無いわ」

 そう言ってシルヴィアはミコを見やった。
 恥ずかしそうに、でも真摯にそれを見返すミコ。
 彼女もまた、自らの成した行為の意味を理解していた。

「わかった。……だとすれば」
「そう。ここに行く手段が、必ずあるということ」
「……上か、下か? どっちだと思う?」
「多分、下」
「根拠は?」

 そこに割り込んできたのはサンダース教授。

「あの説を信じておるのかね、シルヴィア君?」
「はい。蓋然性は高いと思われます」
「そうだな。ワシ自身、幾つかその傍証を見つけておるよ。見るかね?」
「ありがとうございます。是非」

 二人は奥の間に姿を消す。
 残された一同は、突如訪れた静寂に戸惑った。

「……でもまあ、怪我の功名というか。ミコ、お手柄だったね」

 照れを隠すようにジーマが笑う。

「少なくとも、どこにあるかは判ったんだから」
「どうするの? いっそ上から突っ切って行っちゃったら?」
「駄目だよ、そういう『無理』は。また教授の説教が始まるって」
「あ、そっか。ははは」

 リンスにも久しぶりの軽口が出る。そう、これでなくてはね。
 でもミコの表情は硬い。それを察してティロルが尋ねた。

「どしたの? まだ何か心配事?」
「……いえ、そういうことは」
「それとも、ちょっと恥ずかしかったかな、やっぱり?」

 苦笑するミコ。確かにそういう所もあるらしい。
 だがそれだけではないとすぐわかる。

「最近……」
「ん?」
「自分が、自分で無くなるような時があるんです」
「酔う、ってこと?」
「……今、改めて気付きました。ティロルさんの言う通りです。そう、昨日のがまさに
そうでした。私、『自分に酔う』ようになったんですね」
「そうだな……あたしもそんな時があったよ」
「そうなんですか?」
「サーカスにいた頃ね、初めて綱渡りができるようになった時がそうだったな。あたし
って凄いじゃない、もうこれで一人前なんだって」
「……わかります」
「でもね、練習じゃ完璧に出来るようになってたことが、初めて人前でやらされた時は
全然出来なかったの。すっごい怒られてね……悔しくて悲しくて、で……」
「?」
「恥ずかしかった。なんのプレッシャーも無い、失敗したって何も責任取る必要なんて
無い、誰かがどこかで助けてくれる場所でいい気になってただけなんだって」

 ミコは自覚する。そう、自分も同じなのだと。

 昨晩シルヴィアに言ったことに嘘は無い。でも、愛しい仲間たちの存在を自分の一部
とすることは、仲間たちに自分を委ねることでもある。それは能力や感情のみならず、
自己の果たすべき責任も分かち合ってもらうに等しい。

「私は、卑怯な人間なのかもしれません」
「誰だってそうだよ。何言ってんの?」
「誰でも、ですか?」
「もちろん。自分で責任取らなきゃならないことって、たくさんあるよね。でもそれは
『責任取れる範囲で取ればいい』ってことじゃん? あたしは『綱渡りを成功させる』
責任があったけど、『綱渡りをさせる』責任は団長にあったんだもん。よ〜く考えてみ
ると、きっと団長の方がずっと大変だったんだよね。でもあたしら、そういう部分では
団長に甘えっぱなしで、それをずるいとは思わなかった。それが普通なんだよ」
「はあ……」
「だからあたしは逆に、『酔ってる自分』を使って責任を果たすことにしたんだ。そう
割り切ったら自分でも驚くくらい楽しくなった。それであたしも団長も責任を果たせる
ようになったんだよ。これでいいじゃん?」

 自分が人に依存していると自覚すること。
 人も自分に依存していると自覚すること。

 似て非なる両者のバランスを取るのに必要なのは。

「ずるくて、良いんでしょうか?」
「あたしら神様じゃないもん。なにもかも上手になんて出来ないよ」

 妥協なのだろうか? そうじゃ無い気がする。

「それが『大人になる』ことなんでしょうか?」
「ミコは十分大人だよ。そうでしょ?」

 そうだ。今更何を言っているのだ?
 自覚が足りないぞ、春日弥呼。

「ねえみんな、今後の相談なんだけど」

 シルヴィアが幾つかのメモを持って戻ってきた。
 難しい顔をしているが、段取りは立ちそうだ。

 ミコは、やれることをやろうと、改めて心に誓った。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 かつてアドレイア市街の中心部には、巨大な塔があったという。
 市の有力者が集い、市政の運営を議論する場でもあったという。

 無論、事実上議事は四老中の制御下にあった。そして大老の。
 その大老の常座があったと言われているのが、この塔だった。

 五大老の施政は、まず賢明と言えるものであったらしい。
 そもそも、でなくばアドレイアの繁栄はありえなかった。

 ただ世の常ながら、独裁に対する大小の不満は存在した。
 そして実際に実力行使に訴えた市民の数も少なくはない。

 しかし、五大老はその全てを鎮めるのに成功した。
 それ故か、公然の秘密とも言うべき噂が流布する。

 四老中の私邸と、大老の座す中央塔。
 これらを結ぶ地下通路が存在すると。

 未だにその事実は証明されていない。
 だが時間の問題だとも言われている。

 その有力な証拠となる場所を、既にサンダース教授は発見している。
 シルヴィアたちは、これまで同様に二手に分かれて調査に着手した。

 そして驚くほど呆気なく、地下への入り口を見出す。
 都市中央部、空白地帯の両端。東西に二箇所あった。

 あの満月の夜からわずか五日。
 ついに地下の探索が始まった。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

「で、シルヴィア? 東はどうだったの?」
「結構いけそう。元々脱出用の通路だからね、変なからくりはないし」
「西もなんとかなりそうだよ。ね、ミコ?」
「はい。でも……」

 一同は、お互いを見渡してその先の言葉を読み取った。

 全員が、数百年誰も踏み入ったことのない地下道を行き来したために埃まみれの状態
である。だがそれ以上に、全員が明らかに人為的な服装のほつれと、そして幾つかの返
り血で身を彩っていた。

「結局、力づくになるわけね」
「人の立ち入らない地下だし、逆に言えばここじゃ安全地帯だしね。モンスターの巣に
なってるのも、考えてみれば当然か」
「でも久しぶりの戦闘だったから、結構焦ったよ」
「ホント。でも魔神たちの迷宮のに比べたら大したことなかったし、助かったね」

 その後交代でシャワーを浴び、人心地ついたところで皆リビングに集まった。

「……さて。今日の所で進んだのは、お互いこの辺りまでね」

 東から進入したシルヴィア班と西からのジーマ班は、既に大雑把な地下通路図を作成
し終えている。それをサンダース教授の地上図に重ねてみた。

「今日のペースなら、どっちもあと半日で中央部に到達できるね」
「こっちに来てもう一月になるわ。そろそろけり付けないと」
「あとは本当に『それ』があるかどうかなんだけど」
「『彼』の言葉を信じましょ。そしてセイルとファローラの」

 うん、と全員が頷く。
 その時、またしても場違いなメロディが流れてきた。

「いやはや、今日はお疲れ様でした。お嬢様方?」
「……だからっ、その調子は止めてって言ってるでしょ!」

 シルヴィアのヒステリー。よほど性に合わないらしい。

「こっちは遊びじゃないんだってば! ジーマたちに迷惑かけなかったでしょうね?」
「それはお嬢様方にお聞きくださいな」
「全く……」

 その場を取り繕うように、ジーマが答えた。

「シルヴィア、そんな言い方は悪いよ? 結構助けられたんだから、あたしたち。ねえ
ミコ?」
「はい、本当です。今日はありがとうございました、ジャンさん」
「あれくらい、お安いご用ですよ。だって私の本職ですから」
「……でも自分が戦ったわけじゃないんでしょ? 偉そうにしないの」

 それでも毒づきを止めないシルヴィア。皆が苦笑する。

 ジャンの職業は吟遊詩人である。先にも述べたが、それなりの戦力ではある。
 ただこの職業の持つ特殊能力は、時にパーティの戦力を倍増させる。

 『復歌』。歌とメロディの持つ慰労・高揚作用をもって、仲間の行動力を倍増させる
技術。効果的に使われるなら、絶対の戦術的優位を確保することも可能な補助能力だ。
シルヴィアの嫌味は、所詮ひがみの裏返しでしかない(そもそも彼女自身がDALKで
ある以上、元々吟遊詩人だったのだ。その有効性を知らないはずがないのだが)。

「すいません、気になさらないで下さい」

 珍しくミコが前に出る。するとシルヴィアもジャンに対して口を噤んだ。なにせ先日
の一件のために、今は彼女に対して強く出れないのだ。

「……全く、だんだん可愛げが無くなっていくよね、ミコって」
「くすっ、すいません」

 楽しそうに微笑むミコ。そう、ここでこういう風に笑えるようになったのだ。
 シルヴィアが居心地の悪さを感じるのも頷ける。そして改めてジャンを見るミコ。

「それではジャンさん、明日もよろしくお願い致します」
「勿論。私の微力を尽くしまして」

 ジーマが天井を見上げて呟く。

「そっか。上手くいけば明日で終わりなんだね」
「あーっ、忘れてた! ジャン、今夜は寝かせないよ!」
「ええっ? 何言ってんのよリンス!?」
「だって今流行ってる曲を教えてくれる約束だもん! もう今夜しかないよ〜」

 おやおやと苦笑いのジャン。
 そしてやはりシルヴィアが、彼を無視するように口を挟む。

「構わないけど、明日に響かないようにしてよ? 何が起こるかわからないんだから」
「大丈夫だいじょうぶ! なんとかなるって!」
「ホントにそうなら、誰も今こんな苦労してないってば……はあ」

 皆が一斉に笑い合う。いい意味で緊張もほぐれているようだ。

 きっと明日はうまくいく。
 ミコは、夜遅くまで奏でられていた楽しげなメロディを子守唄に眠った。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

「よし、これで終わり! ミコっ、お願い!」
「はいっ!」

 複雑に組まれた指先が、ジーマの矢によって動きを止められた怪物に向かって突き出
される。直後、鋭い雷が怪物の体躯を焼き払った。耳に残る断末魔の咆哮と共に、怪物
は黒い消し炭となって動きを止めた。

「ふう……ちょっと手間取ったね。でもやっとだよ」
「ええ。……この先なんですね」

 怪物の後方には、身の丈をわずかに超える大きさの鉄製の扉があった。
 位置からして、この先が例の中央塔の真下に当たる

「もうシルヴィアたち、到着してるかもしれない。急ごう」
「はい。……ジャンさん?」
「はいはい、お待ち下さいお嬢様方」

 まだ煙を上げる黒い塊を興味深そうに覗き込んでいたジャンが、未練有り気にミコの
後ろに歩み寄る。

「……さて。一体何年開いたことなかったのかしらね、この扉?」

 ジーマがその取っ手に手をかける。勿論開かない。
 次に、ムッと力を込めた。だが今の彼女の力をもっても、扉はびくともしなかった。

「いっそ、壊すしかないかもね」
「そうですね……あまり余計な時間をかけたくありませんし」

 となると、ミコの魔法の出番。
 周囲のマナを探り、力を集中しようとした、その時だった。

「……いけない!」
「えっ?」
「ジーマさん、ジャンさん! 伏せてっ!」

 その叫びと同時だった。凄まじい地響きが彼らに襲い掛かった。

「きゃーっ!」
「おおっ!?」
「ひっ!」

 地下通路の壁面に、幾つもの亀裂が走った。あちこちで石壁が剥がれ落ちる。
 急いで脱出しようと思うものの、激しい振動で身動きできない。
 このまま地下通路と共にアドレイアの藻屑と消えるのか?

「落ちついて! まだ大丈夫!」

 ミコの叫びが二人の耳に届いた時、振動もまた嘘のように静まっていた。
 あれ? そうジーマが思うのも不思議はないくらい。
 だが地下通路のありさまは酷いものとなっている。なるべく早く脱出する必要がある
ことに変わりはなかった。

「……一体、何が起こったのよ?」
「さっきの感覚……多分」
「何?」

 その時、再び大きな轟音が襲ってくる。
 さっきの続きなの? そう思った瞬間。

 破壊音と共に、扉が向こう側から吹き飛ばされてきた。
 立て続けの異変に、ジーマはパニックに陥りかけた。

「……あっ! ごめんジーマ!」

 その声はシルヴィアだった。後ろにリンスとティロルもいる。

「え……何、何なの? さっきのあれ、シルヴィアたちなの?」
「そうと言うか違うと言うか……そんなことより、脱出よ! 急いで!」
「説明してよぉ!?」

 勝手に、今ジーマたちがやってきた通路を戻って行こうとするシルヴィアたち。
 渋々それに続くジーマに、ミコが答えた。

「封印が解けたんです」
「あれ? わかったのミコ?」
「はい。さっきの地震の前に、セイルさんとファローラさんの魂がここから離れて行く
のを感じました。多分、『絆』が『それ』に出会ったことで、役目を終えたんだろうと
思ったんです」
「その通りよ。これがそう」

 走りながら叫ぶシルヴィアの手に、1メートルほどの木の杖が握られていた。

「ええっ? それがそうなの?」

 そうジーマが叫ぶのも無理はない。どうみても、どこにでもあるようなただの杖にし
か見えないからだ。でも。

「向こうの通路の出口に地上への階段があってね。その上に白いお墓があったの。で、
『絆』をかざした途端に凄い地震が起こって、墓石が割れたと思ったらこれが」
「じゃ、さっきのあれってそれ?」
「でしょうね。おかげてあたしたちの来た道が埋まっちゃったのよ。もうこっちに来る
しかなかったし、この様子じゃこっちだってもう保ちそうにないし」
「……ったくう、どうしていつもこうなのよーっ! 神様の××ーっ!」
「お願いだから今そんなこと言わないでーっ、もしも今加護が無くなったら」

 教訓。悪いことを予想するとその通りになる。
 再び、一同を鋭い振動が襲った。

「やばいっ! みんな、急いで!?」

 全員、壁に身を打ちつけながらも必死で前に進もうとする。
 体中に痛みや傷が走るが、そんなことを気になどしていられなかった。

「この先! あと曲がり角二つっ!」

 ジーマが先を行くシルヴィアたちに叫んだ、その時だった。
 今まさにシルヴィアが走り抜けた上の天井が、音を立てて崩れ落ちた。

「駄目ーっ、ミコ急いでぇ!」

 ジーマはそう叫ぶのがやっとだった。何とか自分はその中をくぐり抜けることに成功
したのだが。

「しまった!」

 後ろを走っていたミコと、殿(しんがり)をつとめていたジャンが取り残された。

「シルヴィア! ミコが!?」
「わかってる。でも急いで!」
「何言ってんのよ、助けなきゃ!」
「今は無理! とにかくまず地上に出るの!」
「馬鹿! あんたどういうつもり……」

 ジーマは口を噤んだ。シルヴィアの唇と手が硬く震えていたのだ。
 その様子から、ジーマは彼女が自ら責めを負う覚悟であることを悟る。
 それに今自分たちが何をすべきなのかを考えた時、彼女の指示は正しいと判った。

「大丈夫、ミコだもん。あの子ならきっと大丈夫」
「そう、よね」

 ジーマもまた、自らをシルヴィアと同じ位置に置いた。
 もしかしたら自分たちは、一生後悔するかもしれない。
 でもきっと。

「急ぎましょ。ここだってそんなに保たないわ」
「うん」

 二人は振り返らず、先へと進む。
 リンスとティロルも、一瞬後ろ髪を引かれたが、前の二人に倣った。

 そして。

「……皆さん、先に進んだようです。よかった」
「相変わらずお優しい人ですね。見捨てられたというのに」

 先を閉ざされた地下道の中で、ミコとジャンが言葉を交わす。
 今は無事だが、この後どうすれば良いというのか?

「魔法で……吹き飛ばすわけにもいきませんね」
「下手したら上の沼が一気に滑り落ちてきますよ」
「いっそ元の場所に、中央に戻りましょうか?」
「誰も助けに来てくれる当てもないのに? それに今から戻れると思いますか?」

 ミコはぎゅっと唇を結ぶ。
 何か手段は無いか? 懸命に考え続けた。

 自分の持ち物を確かめる。何か使えるものは?
 ふと、手の先に硬いものが当たる。あれ、と取り出してみる。

「……あ」

 あの中子だった。教授に頼まれて持ち続けていたものだった。
 こんな状況であるにも関わらず、ミコはそれに見入ってしまう。

 もしかしたら、何百年か後に、自分もこんな形で発見されるのかな?

「諦めてはいけませんよ。そうでしょう?」

 思わず振り返った。ジャンが優しい瞳で見つめている。
 もしかしてこの人は今、自分の想いを読み取ったのだろうか?

「チャンスは一度だけです。魔法をお願いします」
「え?」
「魔法でトンネルを掘るのです。そしてそれが潰れる前に走り抜けましょう」
「そんな、そんなこと出来るはずか!」
「『無理』、ではありませんよ」

 ジャンは微笑んでいた。そして真剣だった。

 ミコの心から一切の騒雑物が消え失せる。
 ただ、自らが行おうとする事のイメージだけが浮かんだ。

 手の中に、中子を握り締めた。
 そして、彼女がこれまで唱えた中で最大の魔法を、前に向かって撃ち放った。

 瞬間。
 彼女は、自らがとてつもないスピードで移動しているのを理解した。

(ジャン、さん?)

 ジャンがミコの体を抱きかかえたまま、『魔法と同じ速度で走っていた』のだ。
 そしてミコは、魔法で穿った空洞が『まるで何かに支えられている』のを見た。

 この時、自分の手にジャンの手が重ねられていたことに、ミコは気付いていない。

 まるで永遠とも思える時間が過ぎたように感じたのもつかの間。
 ミコの足が、再び自分の重さを感じた。

「さすがですね。素晴らしい魔法でしたよ」

 後ろを振り返る。
 音を立てて、崩れた天井から漏れ落ちてくる土砂。

「もうここは駄目です。急ぎましょう」

 ジャンに促され、ミコは何も考えることの出来ないまま、出口へ向かった。

 数分後。

 地上に這い出てきたミコを、号泣しながら抱きしめるシルヴィアとジーマがいた。
 その温もりを感じながら、自分がどれほど幸せな存在であるかを、ミコは知った。

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「それじゃ教授、本当にお世話になりました」
「ああ、楽しかったぞ。またいつでも来てくれ」
「はいっ、是非お世話になりま〜す!」

 翌日、少女たちは既に旅立ちを迎えていた。
 事態に一刻の余裕も無いことを知っていたからだ。

 昨日の一件の直後から、付近には小さな地震が頻発するようになっていた。震源を探
ると、どうやらそれはアルブルズ山脈のちょうど反対側、即ち。

「恐らく向こうでも封印解除の余波が影響してるんでしょうね」
「セイルとファローラ、多分目覚めてるとは思うけど」
「でも逆に、それが魔神を刺激してるかもよ」

 魔神の活動が頂点に達しつつあるのは明らかだった。そのため、彼女たちは時間短縮
のための最後の賭けに出る。

「アルブルズを、越えるしかないね」
「うまくいけば三日で向こうに着けるわ」
「それでも遅過ぎるかもしれないけど。この際やってみましょ」

 昨日の午後は、山越えの準備で過ぎてしまった。特に、シルヴィアがサンダース教授
への『アドレイア探索成果報告書の作成』で動けなかった為、結果的に一晩損すること
になったのである。

「何でこんな時にそんなことしてんのよ、シルヴィア!?」
「仕方ないでしょ? 義理を欠くわけにはいかないの!」
「どうせ山越えするのなら、夜は動けないんです。いいじゃないですか?」
「そんなこと言ってもねえ!」

 何はともあれ、翌早朝。
 少女たちは、アドレイアとの別れを惜しんでいた。

「先生。これ、お返しします」
「ん? ああ、構わんよ。君が持っていたまえ、ミコ君」
「そんな! 私などが持っているより、先生の研究に……」
「だからワシより君の方が適任だと言っておろうが! 何かあったら知らせてくれれば
良い!」
「わかりました。ありがとうございます」

 そんなこんなのやり取りが慌しく過ぎ、呆気ない別れの時が過ぎる。
 後姿が見えなくなるまで少女たちを見送っていたサンダース。
 そんな彼に、やはり旅支度を整えたジャンが話し掛けた。

「では教授、私もこれで」
「ふむ。……これで君の『仕事』は終わりかね?」
「何の事でしょう? 私は一介の吟遊詩人ですが」

 とぼけた顔のジャン。サンダースはその横顔を凝視したまま続けた。

「何のために、あの娘に『あれ』を渡したのかね?」
「『あれ』は彼女が見つけたものですよ? おっしゃる意味がわかりませんが」
「ワシを甘く見るなよ。『あの部屋にあんなものは無かった』ことは、このワシが誰よ
りも良く知っておるのだからな」

 ふふ、という薄笑いがサンダースの耳に入る。

「一体なにを考えておるのだ、『貴様ら』は?」
「もうじきわかりますよ、嫌でもね」

 苦虫を噛み潰したような顔のサンダース。
 それを無視して、彼は少女たちとは反対の方向へと歩き出した。

「最後に一つ、聞いても良いかね?」
「何でしょう?」
「君は、誰かね?」

 彼は振り返り、出会った時から全く変わらない笑顔で言った。

「ジャン=オーレリア。『DALK』ですよ」
「……DALKは、女性にしかなれんのじゃなかったのかね?」

 ハハハ。
 高笑いが辺りに響く。

 そして彼は、サンダースの前から姿を消した。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 アドレイアと獣人たちの聖地テホンは、地図上の直線距離なら百キロ程度しかない。
 今のシルヴィアたちなら(ミコですら)、一日で楽に踏破できる距離だ。

 無論、そこが山脈でなければの話。

 山越えが言うほど楽でないことは、山を知るものなら自明である。
 我々の世界においてすらそうなのだ。ましてこの世界においてや。

 加えて。そもそもアルブルズに既知の山越えルートなど存在しない。
 当然である。これまでその必要が全くなかったのだから。

 獣人たちとの交流が果たされた今日でも、行き来できるのは山脈の合間にただ一箇所
だけ存在する低地部分(冒頭でセイルたちが通ったのもここである)と、両端の大河を
利用したルートだけしかない。テホンからアドレイアに来るのに一週間もかかったのは
そのためである。

 シルヴィアたちの選択は、控えめに言っても自暴自棄である。
 しかし彼女たちは、口には出さないものの、既に『地』の魔神の力を感じていた。
 その恐怖を克服するには、眼前の焦燥に打ち勝つしかなかったのだ。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

「ちょっと待ってよ〜」
「お願いだから頑張って!」
「シルヴィアさん、あまり無理しても……」
「でも急ぐの!」

 一同は、自分たちの選択の無謀さをようやく悟っていた。
 アドレイアを出て半日で、彼女たちをしてその体力の過半を消耗していたのだ。

 一つ目の尾根を越えた時、全員が凄まじい絶望に襲われる。
 眼前には、地の果てまで続くかと思われる山並みが幾重にも連なっていたからだ。

 これを後何度繰り返せば良いというのか?

 膝から力が抜け、ガクッと崩れ落ちるジーマやリンス。
 だがシルヴィアは強気を演じた。自ら言い出したことである以上、ここで弱気は見せ
られない。

「行きましょう。みんなが待ってるわ」
「そうですね。少しでも早く」

 それを後押しするミコ。この中で一番体力の無い彼女が、息を切らせる様子も見せず
力強く前を見つめていた。

「……ミコにそんなこと言われたんじゃ、無茶しないわけにはいかないね」

 ティロルが、弾む息で座り込む二人に告げた。

「わかってる。あと一分」
「水、あるよね?」

 必死に息を整えようとする皆を見ながら、ミコも必死に耐えつづけた。
 膝が震える、肩が重い。心の臓に痛みが走る。胃袋が引きつっていた。
 彼女もまた、懸命に強がり続けた。今は自分がそうせねばならないと。

「……よしっ、じゃ、行こう!」
「いいわね。今日中に、後二つ行くわよ!」
「ちくしょーっ、やってやるぅーっ!」
「女の子がそんな言葉使わないの、出発っ!」

 初日だったこともある。それでも彼女たちは、言うだけのことはして見せた。
 やがて、山の早い夕暮れが訪れる。彼女たちは水場の近い尾根をその日の寝場所と定
め、火を焚きはじめた。

 軽い食事をとると、早速眠り込んでしまう娘もいた。
 さすがの彼女たちにも、この日の強行は堪えていた。

「火の番と周りの警戒に、交代で起きてなくちゃ駄目だね」
「……本当に、三日くらいでどうにかなるのかな?」
「ちょっと待って」

 シルヴィアが荷物袋から観測機を取り出し、頭上に輝く月と星の位置を探る。
 ふうっとため息。芳しくない様子なのは明らかだった。

「これでやっと、行程の1/4ってトコね」
「マジぃ? なんでよ?」
「そりゃ山道ですからねえ。まっすぐは進めないし、傾斜の分余計長くなるし」
「……そして体力消耗し? はあ……」

 疲れはまだいい。我慢もしよう。
 でも、こんなことで。

「……間に合うのかしら?」
「だんだん、地震の感覚が短くなってるわ」
「強くもなってるようです」

 気丈にも起き続けているミコ。今となってはその顔に疲労の色も隠せない。

「あなたも、もう寝なさい」
「いえ、気が張って眠る気になれなくて。それに火の番だって」
「無理しなくていいってば。そういう時のための人数なんだから」

 無理に顔をほころばせる。二人がアドレイアで自分を見捨てかけたことを未だに申し
訳無く思っているのがわかるからだ。そしてそれをわざわざ口にするほど無神経なミコ
でもない。

 そして二人に感謝しながら、体を休めようとした時だった。
 辺りの空気が一変した。三人が素早く視線を走らせ、それぞれ三方をうかがう。
 同時に、寝ていたはずのリンスとティロルも目覚めた。どれほど疲れて果てていよう
と、「この気配」に気付かないでいられる少女たちではない。

 ぐるるる。
 低い唸り越え。そして少女たちは、闇夜に光る二つの青白い光を見つけた。

 一組ではない。それはたちまちのうちに、彼女たちを包囲していた。
 大小様々な咆哮と息遣い。そして30は下りそうも無い獣の気配。

「やっちゃったかな……そう言えば聞いたことがあるわ。この山には『神』が棲んでる
って」
「かみ?」
「『大神(おおかみ)』って奴よ。いくら獣人たちとの交流がなかったからって、この
広大なアルブルズ、貴重や高山植物や資源とかの宝庫なのは知られてたからね。昔から
結構な数の山人が入り込もうとしてたらしいわ。でもその悉(ことごと)くが、大神の
名を持つ彼らに排除されたって。獣人たちとも違う、山の神。そう……」
「狼(おおかみ)、か……」

 それに応えるように、数匹がそろそろと少女たちの前に進み出る。
 ハアハアと開かれた口元から零れ落ちる涎の雫。

 そして突然、その中の三匹が三方から跳躍して襲いかかってきた。

「ハアッ!」

 無論、この程度を問題にする彼女たちではない。
 一瞬にして斥候たちは地に叩きつけられた。

 ビクっとひるむ狼たち。絶好の獲物だと思っていた人間たちが、見た目とは違い、相
当の手錬(てだれ)だと気付いたようだ。ザザザと草ずれの音が走る。彼らが何か特別
の陣形を取ったのは明らかだった。

 倒し切れるのか?
 数が多すぎる。こちら手数では、とても無傷で済みそうにない。
 今下手に怪我をするわけにはいかないのだ。そんな場合では無いというのに。

 ズザザザッ。包囲の輪が縮まる。
 既に逃げ道はない。相当に戦い慣れしている集団のようだ。
 チッというシルヴィアの舌打ち。やるしかない、それはわかっているのだが。

 その躊躇すら見て取ったのだろう。
 狼たちが一斉に襲いかかろうとした、その時だった。

 再び、地の底から唸るような振動が襲ってきた。
 狼と少女たちは共に戸惑う。
 そしてすぐ後、それは突然凄まじい横揺れに変わった。

「やばいっ!」
「何が!?」

 全員立っていられず膝を突く。それでも敵への警戒を失わないのはさすがだが、この
時は狼たちも獲物に構う余裕はないようだった。それを確認した上で、シルヴィアの叫
びにジーマが尋ねた。

「これの震源、間違い無くテホンよ!」
「なんでわかるの!?」
「初期振動から本揺れまでの時間数えたの。震源距離がピッタリだわ」
「あちゃ〜」

 その時、そんなジーマの嘆きを打ち消すほどの叫び声が挙がる。それも。

「イヤーッ! まだ駄目ーっ!」
「ミコっ、どうしたのミコ!?」
「目覚める! 魔神が、魔神の封印が、解けかけて……いいえ、もう……」
「わかるの? どうなの?」
「え、あっ……まだ、まだ大丈夫……これ、セイルさん……? でもそんなことしたら
……」
「なんなの? 何が起きてるの!?」
「セイルさんたち……ライザさんとかも……凄い魔力使って、何とか抑えてるみたいで
すけど……これじゃ半日も保ちません! 急がないとセイルさん、しん……!」
「駄目! わかったからその先は言わないで!」

 シルヴィアは絶望を感じていた。半日でテホンに辿り着くなど不可能だった。でも、
何もしないでいるわけにはいかない。これまでだってどうにかなったのだ。今度だって
諦めなければ「何か起こるかもしれない」。

 シルヴィアは鬼の形相を浮かべ、前に右往左往する狼たちを見つめた。

「あたしが切り開く。あなたたちは何も考えず、全力で走りつづけて!」
「シルヴィア!?」
「いい? テホンに付くまで止まっちゃ駄目よ? 誰か一人でも辿り着ければいいの。
これ、お願いね」

 そう言ってシルヴィアは例の杖をジーマに渡す。
 ジーマは真剣な表情で頷いた。残りの少女たちも。

「じゃあ、いってみましょうかーっ!」

 そうシルヴィアが剣を振りかざした時だった。
 ミコの二度目の叫びがその手を押しとどめた。

「待ってください!」

 え? そしてシルヴィアも気付く。
 狼たちの動きが変化していた。先刻まで満ちていた殺気が完全に消えている。
 彼らは二手に分かれ、彼女たちの前方を空けていった。

 まさか? あたしたちに道を空けてくれるの?
 さすがにそこまで都合良くは行かないようだ。
 前方から、何かとてつもない気配が近づいてくるのがわかった。

「何……この気……」
「そうだ、これも聞いてたんだ……山の神々を統べる長が居るって。齢(よわい)千年
を数えるとも言われる、身の丈二メートルを越えるっていう……」

 そして彼女たちは、信じられないものを目にした。
 シルヴィアの言う通りの、凄まじく巨大な狼。
 なるほど、正にこれは「神」。「大神」としか言いようのない存在。

 深く光る双眸には明らかに知性と尊厳が感じられる。
 彼女たちは、自分がどれほど取るに足らない存在かを思い知らされた。

 ところが、次の彼の振る舞いに更なる驚愕を感じることになる。

「……え?」

 神が、人間など歯牙にもかけないと思われるような大神が。
 一人の少女の前に頭(こうべ)を垂れた。
 まるで、主君の前で跪(ひざまず)く臣下のように。

 ミコは。

 無防備に晒されたその頭に手を当てる。
 グルルル。その低い唸り声は、喜びの声にも聞こえた。

「そう、あなたたちにもわかるのですね。『あれ』が目覚めてはいけないものだと」

 彼が頷いたように、少女たちには見えた。

「……ありがとう、是非。お願いできますか?」

 彼は再び立ち上がり、後ろを振り向いた。
 すると闇の中から、四対の青白い光が浮かび上がる。
 それらは、彼には及ばないものの、普通より二周りは巨大な狼たちだった。

 そしてミコは、シルヴィアたちを振り向いた。

「この子達が、私たちをテホンまで運んでくれるそうです」

 信じられなかった。こんなことがあり得るのだろうか?
 呆然として言葉も出ない。だが。

「信じよう。きっと大丈夫だよ」

 ティロルが真っ先に、後ろにやってきた巨大狼の一匹に歩み寄る。

「初めまして。あたしティロル。よろしくね」

 彼女は臆することなく、その喉元に手を伸ばした。
 そして彼も、それに自ら頬をこすり付けて嬉しそうに応えた。

「あはっ。ね? みんなも!」

 昔、サーカスで寂しい生活を送っていたティロルの唯一の友人は、老いたライオンだ
ったという。彼女も、ミコほどではないものの、動物の心がわかる少女だった。これが
呼び水となり、残りの少女たちも、恐る恐る狼たちに近づいて行った。

 数分後。
 荷を体にしっかりと括り付け、即製の轡を握り、全員が準備を整えた。

「それじゃ、お願いします」

 長に身を委ねたミコが、その耳元にそっと呟く。
 そして彼女たちは、一陣の風になった。

「ひえーっ!」

 ジーマなどは乗馬を嗜(たしな)んだことがあるが、それとは比較にならない振動が
彼女たちを襲う。必死に轡にしがみ付き、振り落とされないようにするのが精一杯だっ
た。

 月明かりに照らされた辺りの景色が、凄い勢いで後方へと流れて行く。
 風の匂いの中に、草木の香りや水の香り、そして土の香りが織り込まれて行く。

 少女たちは皆いつしか、自分たちが何でこんなことをしているのかを忘れた。
 ただこの軽快感と爽快感と、そして人の身には決して判らぬ世界の魅力に溺れた。

 疲労も忘れた。
 恐怖も忘れた。

 そして、時が経つのも忘れた。

 だからそれが終わったのを理解するのに、数刻を要した。
 そしてそれは、忘れるわけにはいかない「使命」を果たすべき状況の到来だった。

 眼下に見渡す限りの密林。
 既に夜が明けかけていた。

 彼女たちは森を見下ろせる高台にいた。
 前方に湖が見える。それがテホンであることはすぐに判った。

 それは、恐ろしい有様だった。

 湖の中央に発生している、巨大な渦。
 中央に居る「何か」と、湖岸にいる「仲間たち」がせめぎ合っている。

 水を弾き出そうとする「何か」。
 水を押し付けようとする「仲間たち」。

 こんなこと、ずっと続くはずがない。
 少女たちは、自分たちをここまで導いてくれた、新たな仲間に頭を下げた。

「ありがとう」

 狼たちは、誇らしげに遠吠えた。
 そして自らの住処へと帰って行く。

 最後に、長が残る。ミコから離れ難いようだった。

「本当にありがとう。あなたのおかげです」

 グルルという唸り声が、悲しみの声にも聞こえる。

「駄目ですよ。あなたにはあなたの場所が、責任があるのでしょう?」

 瞳に潤むものを見たのは、少女の錯覚か。

「いつかどこかで、またきっと。そうでしょう?」

 クウ、という呟き。

「だって、『こうやって再び会えた』のですから。大丈夫」

 その言葉にようやく、彼はミコから離れた。
 そして今度は一度も振り返ることなく、あっという間に山の尾根の先に消えた。

「じゃ」

 別れを見届けて、シルヴィアがミコを促した。
 勿論という顔で、眼下の戦いを見つめた。

「行け−ッ!」

 五人は一斉に高台から走り下って行く。
 テホンまで数分の距離だ。これで間に合うか、と思った時。

「ああっ、セイルーっ!」

 リンスが叫んだ。遠目にも、彼が膝を突くのが見えた。
 力が尽きたのだ。当然ながら、魔神に対する抵抗が弱まる。

「いけないっ! シルヴィア!?」
「わかってる!」

 シルヴィアが例の杖を取り出した。だがどうすればいいのか?

「お願い! 応えて! 今こそあなたの出番なのよ!」

 何も起きない。起きる様子も無かった。

「あなたはその為の存在なんでしょ!? どうしてなにもしないのよ!」

 シルヴィアが必死に杖を振る。しかし何も起きない。

 『何も起きるはずがない』

 ミコは、自らがそう悟ったことに驚いた。
 何故? その時だった。突然彼女の耳に届く声があった。

    〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

Status Check...Crises Level B+.
Request to run Initial Program Type_B.
Now searching...get a Solid.
Checking Program Sum...OK.
Checking Data Storage...OK.
Checking Devices...Insufficiency.
Master Processing Unit...OK.
Sub Processing Unit...OK.
Master Generator...NG.
Sub Generator...OK.
Case=1011 then Option Parameter:="PARASITE".
Return.
Pretest is over.

=== Initial Program Type_B (C)Sunflower ===

Hello, Master.
login : level 0
>

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 ミコは、懐から中子を取り出した。
 声は、それから聞こえていた。

 あなたは、誰なの?

 しばらく、同様に意味不明の言葉が続く。
 すると次第に、だんだん意味のわかる言葉の並びになっていった。
 そして最後には、明瞭な言葉となってミコに問い掛けてきた。

 『汝、我が主なりや?』

 いいえ?

 『汝、力を欲するや?』

 力? どんな?

 『魔を制し、神を制す力なり』

 そんな大きな力、私は……。

 『汝、力を欲するや?』

 その時、眼前の光景が再び目に入る。
 愛しい人が、大事な仲間たちが、そしてこの世界が今、失われようとしている。
 その時、唐突にミコは悟った。
 あなたなの? 『それ』って、『あなただった』の?

 『然り。汝、力を欲するや?』

 欲しい。だって今本当に必要なのはあなたの力だもの。

 『汝、我が主なりや?』

 わかりません。でも……。

 『汝、我が主なりや?』

 私はきっと、あなたの友達にはなれます。

 『汝、我が主なりや?』

 だから友達としてお願いします。私のお友達を助けてください。

 『……汝、認められたり』

 え?

 『我を汝で満たさん。されば我目覚めん』

 満たす?

 『我を満たせ』

 そしてミコは、じっと中子を見つめる。
 ふと、中央にある穴に目が止まった。

 もしかして。

 ミコは躊躇無く、左手の小指の先を噛み切った。
 鋭い痛みと共に、真っ赤な鮮血が雫となって落ちる。
 それを一滴、二滴と、中子の穴に滴(したた)らせた。

 そして。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 セイルたちは、魔神が突如として現れた光の刃に切り裂かれるのを見た。
 復活寸前だったそれは、断末魔の叫びをあげて宙に浮かぶ光球に封じられた。

 やがて、ココリコによる封印の呪文が唱え終わる。
 魔神は今度こそ本当に、テホンの中央に顔を出すだけの、ただの小島になった。

 『彼』が百年前に獣人たちに言い残した通り。
 『それ』がもたらされた事で、獣人たちの聖地は安息を取り戻した。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 一週間後。
 ようやく目覚めたセイルたちを交え、皆が一堂に会した。

「もう、大丈夫なんですか?」
「はい、すっかり。ご心配おかけしました」
「そんな。私たちだって三日以上眠ったままでしたし、お互い様です」
「ふふ、そうですね」

 セイルとミコの会話。一見、微笑ましくもあるが、実際は相当難しい状況だった。

 これまでにない、魔神との直接的な戦いを演じたセイルたち。
 狼たちに助けられたとはいえ、凄まじい山越えを経てきたシルヴィアたち。

 ココリコによる封印の儀式が無事終わったのを見届けるやいなや、全員が昏睡に近い
意識不明状態に陥ったのである。シルヴィアたちはまだマシな方である。結局は肉体の
酷使による疲労が過ぎただけだったからだ。だが、半日もの間ずっと魔神と魔法戦を繰
り広げたセイル・エリスン・シグルーンなどの魔術師組、そしてこれまでにない過酷な
プレッシャーを受けることになったパッティの五人は、冗談抜きで生死の境をさ迷って
いたのである。

 特に、知恵袋のシルヴィアとエリスン、そして医療担当のシグルーンとミコがダウン
してしまったことが事態を悪化させた。獣人たちの協力の元、わずか三日でアドレイア
組の意識が回復したことが救いだった。特にミコが、もしもの時にためにとシグルーン
から渡されていた処方箋を調合できたことで、寸での所で残りの全員が命を取りとめた
のである。

「……でも、まさか本当にあれを使う羽目になるとはね」
「そんな。おかげで助かったのですから。ありがとうございます、シグルーンさん」
「お礼は母さんに言ってね。あれって母さんが処方してくれたものだから」

 シグルーンはそれ以上口にはしなかったが、内心不安を隠せずにいた。
 「当代最高の薬師」と呼ばれる母が、「最後の手段」だと言って渡した処方なのだ。
 当然これは、何らかの副作用を持つのだろう。それが何かは聞いていない。

 元気になった一同を見渡す。驚くほど元気になったセイルを、そして自分を。
 背筋に寒気が走る。何か悪いことが起きなければ良いが……。

「……さて。で、これからどうなるの?」
「まずこれを獣人たちに渡すことになるわ。あたしたちがこうだったから遠慮してたみ
たいだけど、彼ら、一日でも早くこれを聖地に納めたいみたいね」

 そう言ってシルヴィアが皆の前に差し出したのは、例の杖。

「でもこれって、結局一体なんだったの?」
「魔神を切り裂いたのって、ミコの奴なんでしょ?」
「……はい。『彼』はそう言ってました」
「言って『ました』?」
「はい……今なぜか『彼』は眠っちゃってるみたいで、何も答えてくれません」
「変なの。まあそれよりもこっちね。ホントに、何なのよこれ?」
「何か意味があるのは間違いないのよ。でなきゃアドレイアであんな形で手に入るはず
ないもの」
「何か文字とか印とか無いの?」
「全く。言っちゃなんだけど、どこにでもありそうな、ただの杖よ」
「羊飼いとかが持ってそうな杖だよね、これって」

 皆が手に取り、あれこれと杖を見回し続ける。
 その時、パッティの五人が遅れてやってきた。

「ごめんなさい遅れて。今やっとココリコが起き上がれるようになったの」
「無理させないでねライザ。今回は彼女が一番大変だったんだから」
「ええ、ありがとう……。え?」

 その時。少女たちが手にする杖を見たライザの表情が凍り付いた。

「ん? どしたのライザ? ……ああこれ? これが例の、アドレイアで封印されてた
杖だよ」
「……見せて、もらえますか?」
「う、うん……どうぞ?」

 ライザは、異常なほどに震える手で、その杖を受け取った。じっくりと、杖の先から
握りに至るまで、まるで木目の一つ一つまでを確認するように凝視する。そしてライザ
は、突然握りの部分をぎゅっと握り締め、回し出した。

「ちょ、ちょっとライザ!?」

 キュ、キュという音が数回。
 そしてズルッと、握りと柄が分かたれる。

 柄の中から、何かがポトリと床に落ちた。
 ライザがそれを拾い上げる。細長い金属製の筒。

 そしてその中には、丁寧に巻き込まれた羊皮紙があった。

 そこに記された文字を見た瞬間、ライザは思わず口に手を当てた。
 たちまち潤みだす瞳。そして最後までそれを読み終えた途端。

「う、うううーっ!」

 羊皮紙を抱きしめ、ライザは泣きながら崩れ落ちた。
 周りの少女たちは、何が起こったかまるで理解できなかった。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 翌日。セイルとファローラ、そして獣人たち各部族の代表がテホンに集う。
 二人の手で、既に力を失った魔神のむくろの上に、新たな石碑が築かれる。
 その下には、『彼』の予言を成就した『絆』の象徴である杖が納められた。

 湖岸から、その様子を見届ける少女たち。

「これで、獣人たちは救われたのかしら?」
「水脈は元に戻ったみたいよ。干上がってた三つの湖にも水が戻り始めたみたい」
「じゃあ、これで万事うまくいくってこと?」
「……行くわけ、無いじゃない」
「なんで?」
「これから彼らは知ることになるわ。異変が起きてもう三百年以上。人はね、一度変化
してしまった環境に身を晒して世代を経れば、もう別の存在になってしまうのよ。今更
湖が戻り、川に流れが戻ったって、三百年前の姿に自分たちが戻れるわけじゃないって
ことを、彼らはこれから嫌でも思い知らされるのよ」
「だったら、彼らは一体何を求めてたことになるの?」
「出口よ、心のね」
「どういうこと?」
「ファローラを御覧なさいな。獣人なんて言ったって、彼らはもうあたしたちと何一つ
変わらない『人間』なのよ。彼らの世界は、もうこの密林だけじゃないってこと、実は
彼ら自身が一番良く知ってるのよ。でも今までそれを認めることが出来なかった、怖く
てね。だけど今彼らの目の前には『絆』が示された。もう逃げも隠れも出来ない。彼ら
はこれから、『人間』として生きていくことになるわ」
「……変な話」
「そうよね。人の歴史を知ってるあたしたちにはそう思えるわ。だから彼らもこれから
自分たちでその歴史を刻むのよ。いろんな失敗をして、いろんな変化を経てね」

 儀式が終わり、セイルと合流した少女たちは、ついに最後の目的地へ向かう。
 東の大国、クーロンの地へ。

 その行程には水路を使う。テホンから山一つ越えた先にある湖が、クーロンへと続く
大河の源泉なのだ。そこから船を出してもらうことになっていた。

 ファローラの祖父、獣人の長に道案内されながら、一同は山の中腹に差し掛かる。
 そこで彼は歩みを止めた。寄っていきたい所があるという。
 少し脇道に入った先に、テホンを見下ろせる高台があった。

 そこには、今でも手入れの欠かされない、こじんまりとした墓があった。

「それが、『彼』の墓ですじゃ」

 一同は息を呑む。誰も足を踏み出さない。
 代わりに、仲間たちの一人を見やった。

 その一人、ライザが前に進み出た。

 墓石の前に立つ。そしてひざまずく。
 指を墓碑銘にあて、滑らせる。
 そしてそこに刻まれた故人名を読み上げた。

「『リース=ウォルサム』……わたしの、おとうとです」

 ライザは、昨日と同じように泣き崩れた。
 誰も、一言も、彼女に声をかける勇気は無かった。


                   2001.2.28

                    The First Chapter, 3rd Story :
                    "Self Portrait"
                    written by Sayah=Otokami