「物語」。

 それは、人のつむぐ一つの言葉からはじまる。

 文字で、
 声で、
 絵で、
 演技で、
 そして人が理解し得る全てのもので。

 時にそれは悲しく、
 時にそれは美しく。

 滑稽で、刺激的で、風刺的で、観念的で。
 論理的だったり非論理的だったり。

 どんなものでも、
 どんなことでも。

 「物語」がまるで別のものに変えてしまう。

 それは『夢の魔法』。

 だから人は、それぞれの思いを込めて「物語」をつむぐ。

 楽しみながら、
 苦しみながら。

 そして時に、自らの命をかけて。

 これもまた、そんな「物語」の一つ。
 どこにでもある、そしてどこにも存在しない現実を創造する、

 「物語」。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
DALK

〜〜 第一章 〜〜

〜 第二話 〜

「奇蹟の徴(マホウノシグナル)」

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

「……リル?」

 リムリアは、そう呼ばれたのが自分だとは気付かなかった。

「リルだろ? そうだよね、ねえリル!」

 リルって誰だろう? そう思ってリムリアはあたりを見まわしてみる。

 周りにいる人たちも同じことをしている。そして彼らの視線が自分自身に向けられて
いることに気付いて、えっと驚いた。自分自身を指し、思わす叫ぶ。

「あ、あたし? なに、なにそれ?」

 皆の視線が、自分と、もう一人の人物を交互に見ているのに気付く。そこにはどこに
でもいるような、けどちょっとだけ野暮ったくて、身なりもそれほどきちんとしていな
い男性がいた。彼は両手を自分の方に向けて伸ばし、よろよろとしっかりしない足取り
で近づいてきている。

「リル……ホントにいたんだ、僕のリル……」
「ちょ、ちょっと、僕のってなによ! それにあたしはリム……」
「ああリル、やっと会えた……」

 リムリアの言葉を遮って、男はこともあろうに彼女に抱きついてきた。

「あ、あ、あ、いやーっ!」

 反射的に彼を突き飛ばしてしまう。手加減するヒマもなかった。
 当然のごとく、彼はものすごい勢いで通りの向こう側へと飛ばされてしまう。
 無論、当然とは言ってもリムリアの主観に限ってのことで、当然周囲の人々は、一見
か弱き女性のどこにこんな力があるのかとざわめきはじめた。

 やばいっ。
 こんなんじゃシグ責めらんないよ。

 どうしようとパニックにおちいりそうになるリムリアの視界に、自分が今突き飛ばし
た男性が完全にのびちゃってる姿が入ってきた。とととっと駆けより、よっこいしょと
その男性を担ぎ上げる。こんなことをいとも簡単にするだけでも十分変なのだが、今の
彼女は大真面目に必死だった。そして周囲の人々にぺこりと頭を下げる。

「はいっ、これは夢です。幻です。どうも失礼いたしましたーっ!」

 そう言うが早いか、彼女はダッと脱兎のごとく走り去った。
 本当にあっという間だった。周囲には、何が起こったかわからない人々のあんぐりと
した顔、顔、顔だけが残されていた。

 後にこの通りには、「白昼ゾンビ」と「妖怪怪力娘」が出没してドツキ漫才を行うと
いう伝説が生まれたらしいが、それが事実かどうかは定かでない。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

「ホントに、どうもすいません」
「う〜ん、まあいいんだけどね……」

 良くないわよ。これでもうあの通りに行けなくなっちゃった。せっかくいいお茶の葉
っぱ置いてあるお店見つけたのに。

 ヒクヒクと口元と目元を震わせながら、リムリアは目を覚ました男性からお詫びの言
葉を受けていた。男性は、もう一度申し訳なさそうに頭を下げる。

 ここはリムリアたちが借りている宿の一室である。手頃でそれなりの設備のある宿屋
ということで、リムリアが自ら選んだ宿だった。今ここには他に四人の仲間が逗留し、
残りのみんなも別の、そんなに遠くはない宿に分かれて入っている。

 自由都市ライザッハ。北の街道の要衝に位置する貿易都市。
 この地こそが、彼女たちの次なる目的の場所だった。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 ライザッハは元々、この世界を統括する神々の中でも愛の神マーティスや力の神ファ
ントムと共に上位神として崇められる神々の一つ、知恵の神ホリュース(ホルス)の大
神殿に連なる門前町として成立した町である。確かに今でも参拝客の数は少なくなく、
それを生業とする商業街もそこそこの活気を維持しているが、なによりこの地が西方と
東方を結ぶ中継地点であり、双方の勢力の緩衝地帯として作用していることから、現在
は貿易流通の中心地としての繁栄を誇っている。

 西方、東方共に、この地を自分たちの勢力下に置こうとしたことは一度や二度ではな
い。この都市が抱える資本の巨大さ、そして戦略的にあまりにも重要な地理的条件は、
過去の歴史の中に幾つもの大戦争を刻み込むに至った。
 だが次第に東西の両勢力は、流された血の膨大さに気付くと共に、この地を統治する
巨大商人たちの意気の高さを身に沁みて知った。果たして手に入れたとしても自分たち
の手におえるかどうか。それくらいなら彼らの自治を黙認して、共存共栄の道を行く方
がずっと得なのではないかと、近代に至りようやく悟ったのである。

 どちらかに暗君が立った時代では戦火が絶えなかった。特に小国が乱立し、数十年の
単位で覇権が推移する西方でそれが顕著だった。閉鎖的ではあるものの、伝統的に中央
集権型の巨大帝国を構成している東方はさほどこの地に執着を示さず、西が手を出して
くれば独尊的な宗主国としてそれを妨げる、という基本姿勢が受け継がれている。

 実際、三十年ほど前までは小競り合いが頻発していた。だがユネル王が支配するアー
ハイムが西方世界の覇権を取ると共に、この地はまったき平和と安寧を享受することに
なる。覇王ユネルは西方世界内部での拡張には熱心だったが、この地及び東方に対して
は完全なる和平と共存を求め、それを確約した。いかに彼の政略、戦略的思考が賢明で
あったかを示す証拠として、現在この都市は史上空前の繁栄を誇り、東西いずれにも莫
大な恩恵をもたらす源泉となっているのだ。

 だがセイルたちがこの地を訪れたのは、ここが貿易都市ライザッハだからではない。
 ここが、門前都市ライザッハだったからである。

 彼らの目的地は他でもない、この地にあるホリュースの大神殿そのものだった。
 魔神はまさに、この神殿自体が封じていたのである。
 ホリュースの神像が建つ神事の場。その床に描かれた巨大な紋章。
 それはまさしくパッティの封印の参、シーラの持つものと同じであった。

 彼女が床の紋章に手をかざした瞬間、それは起こった。
 紋章が光を発する。その光が紋章をにじませるように丸く広がっていく。
 光が広がりきって巨大な円盤となると、次はゆっくりと明るさが弱まっていった。
 光は弱まるだけでなく、やがて漆黒の闇をかもし出した。

 気付くと、そこには地下へと通ずる穴が開いていた。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

「自己紹介がまだだったわね。あたしはリムリア。リムリア=キャラウェイ。仲間と一
緒に、ここの大神殿に用事があって旅をしてきたの」
「あ、僕はシュタインといいます。シュタイン=ファルム。仲間たちはファルって呼び
ますけど」
「そうね、確かにその方が呼びやすそう。じゃああたしもファルってあなたのこと呼ば
せてもらうわ。ねえファルさん?」
「はい?」
「早速だけど、なんであの時あたしに抱き付いてきたの? 初対面よね、あたしたち」
「え……はい。確かに、あなたとは初対面ですけど……」
「それにリルって呼んでたみたいだけど、それが理由? 誰か知り合いにでも似てたの
かしら、あたし?」
「知り合い、っていうか……」
「ちょっと、はっきりしてよ! 仮にも公衆の面前でいきなり乙女に抱き付いておいて
言い訳もしないつもり!?」

 バン、とテーブルに手をついてリムリアが立ちあがった。大恥をかかされた乙女の怒
りはとどまるところを知らない。だが青年は、ポリポリと頭を掻いてう〜んと困った顔
をするだけだ。どうしようかと迷ったように辺りを見まわした彼は、壁に掛かった時計
の針を読んで驚いた。

「しまった、もうこんな時間だ!」
「は?」

 青年はリムリアをほとんど無視するように身支度をはじめた。えっとと辺りを見まわ
し、忘れ物が無いかと指差しで確認し終えると、さっさと出口へと向かって歩き出す。

「ちょっとちょっと、何よ、逃げるつもり!?」
「すいません、急いでるんです」
「だからって、あなた!」
「あ、え〜っと、二番街のアレナ劇場って、知ってますか?」
「はぁ?」
「大抵そこにいます。それじゃ」
「ちょっとぉ!!」

 リムリアも驚くほどの素早さだった。バタンと叩き付けられた扉が、収まりきらずに
ゆらゆらと揺れている。急におとずれた静寂。はあーっと辺りを見まわし、テーブルの
上に積もった、おそらくは彼のフケの山に気付いて、チッと毒づいた。

「……逃げられたか」

 しぶしぶと彼がふき飛ばしたり汚したりした室内を片付ける。何せ彼女はこれが本業
である。仮にもプロたる自分の使ってる部屋が、ファローラやエリスンと同レベルの有
様では我慢できるはずも無い。ささっと手早く整理を終え、お茶でも淹れるかと部屋を
出る。するとそこにチョルラが歩いてきた。

「あらぁ。もうおしまいですの?」
「おしまいって、何が?」
「だって殿方を引き込んでおられたじゃありませんか。ずいぶん激しかったようですけ
ど、もしかしてあの御方、早い御仁?」

 ……チョルラの言葉を理解した瞬間、リムリアのこめかみがぶち切れた。ついでに顔
を真っ赤っ赤にし、頭から蒸気機関車のような湯煙をピーと噴き出した。

 というのは嘘です、もちろん。
 たいして変わらない有様なのは確かですが。

「あ、あ、あ、あ、あた、あたしは、そそそそそんなことしません!!!」
「あらぁ、我慢しなくてもよろしいのに。殿方に可愛がっていただくのも、女の幸せで
ございますよ」
「ちがいますってば! あの野郎は人前であたしに抱きついてきたんですよ!」
「おやぁ、そういう趣味をお持ちの方? 激しいのはよろしいでしょうけど、なさるな
ら一応はつつしみをお持ちになってなされた方がよろしいかと」
「だからっ!! そういう意味じゃありませんっっっ!!!」

 あまりに悲しくなって、リムリアは部屋に引きこもってしまう。
 ベッドにうつむけに倒れこむ。枕に顔を押し付け、う〜っと唸り声を上げる。
 あの男の憎ったらしい顔が脳裏にちらついてきた。

(二番街の、アレナ劇場、だったわよね……)

 完全武装で乗り込んでやる。
 もうどうなったって構うものか。

 リムリアの瞳に、本気(と書いてマジと読む)の殺意がともっていた。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 最初、攻略は極めて順調に思われた。

 先の探索での経験が今回も生かされたのだ。
 四人程度の集団で行動するという選択が妥当だったことが、改めて認識された。

 各人はショートラムにおいて各々の戦闘術を極めており、その分野に特定してしまえ
ば正に「人とは思えない」ほどの能力を発揮しえた。だが例えば、幾らミコが魔術師と
しての術を極めたとしても、持って生まれた肉体的な非力さまでを完全にカバーできる
わけではない。
 無論一千階もの迷宮を、二年に渡って生死の境をさ迷いながら攻略し続けたのだから
明らかに常人の域を越えてはいよう。だがそれは「人間が持ちうる最大の能力」、いや
「ミコという個人が生来持っている肉体的限界」を極めた、ということでしかない。実
を言えばこれはミコに限ったことではなく、他の少女たちも全く同様なのだ。

 では何故、シグルーンが見せたような奇蹟を彼女たちは起こせるのか。

 答えは「経験」である。例えば相手の攻撃一つ受けるにしても、パワーやスピード、
角度や攻撃の筋、更には攻撃を生み出す敵の肉体構造まで、どう動けばダメージを最低
限に抑えられるか、どう受ければ攻撃を流せるか、どう対応すれば敵が攻撃をできなく
なるかなどを、文字通り「骨身にしみて」知っているのだ。

 確かに、DALKのように神の庇護を受けて能力向上が果たされたり、バルキリーの
ように、捨て身ではあっても攻撃力を最大限に引き出すための技術を継承されたりする
こともある。でも所詮は「人」なのだ。シグルーンが一度に百人を殺せる攻撃を生み出
せるとしても、それは彼女が人の百倍の力を持っているのではなく、百人を一度に殺せ
る状況を作り出す能力と、それを実行し得る肉体の完璧な制御能力を持っているという
ことでしかない。
 人生の半ばを修行に費やした職人が、原石の「目」を正確に見抜いて慎重にカットを
行い、見事な輝きを放つ宝石に仕立て上げる。彼女たちがしているのはそれと同じこと
である。彼女たちはそうした修行をわずか二年で、かつ通常の何倍ものレベルで成し遂
げただけだ(無論、それはそれで畏怖に値しようが)。

 『人は所詮、人以外のモノにはなれない』。

 よって彼女たちのできることにも限界がある。ショートラムのように、階数は多いも
ののフロアがさほど広くは無く、敵の数もこちらの数倍程度で済むならば、ある程度の
単独行も許されよう。だが今回はどちらも個人の手に余る。そこで集団行動の必要が生
じた。パーティを組めば、攻防ともに個人の死角を埋めあうことができるからだ。
 この場合、リーダーの指揮能力が要求されるのは言うまでも無い。幾ら個人の戦闘力
が高くとも、他との連携を考えない(例えば昔の)ルーなどに指揮させたら、彼女一人
生き残って仲間全員あの世行き、なんてことになりかねない。正規の軍事教育を受けて
いるシグルーンは能力的にも適任だったが、独学で高度の戦術能力を習得したジーマや
エリスンなどは、職種的に指揮が難しい状態だった。
 よってアーハイムにいる間彼女たちは、迷宮に入れない時間を利用して戦術に関する
セッションを繰り返し行ってきた。ここにきてようやくそれが実を結びつつあり、ほと
んどの少女が一応の指揮能力を身に付けるに至る。これはパーティの連携を強め、集団
行動の際の効果的な戦闘力発揮にも結びついていた。迷宮攻略の基本手段が確立された
のである。

 第二の魔神攻略においても、この手法は確かに有効だった。
 焦りさえしなければ、事は十分成し遂げられる。

 最初はそう思えた。

 しかし魔神たちは、もう既に一体が完封されてしまったことに気付いている。
 当然、この小賢しい虫けらたちの行動を阻止すべく手を打ちつつあった。

 最初はリムリアだった。

 第一層を攻略中の時である。ふと、視界がまるで水面(みなも)に写った映像のよう
に揺らいだ。最初は強行軍の疲れかとも思ったが、他に変わった様子もなく、パーティ
の仲間たちとも一応言葉を交わした後、探索を続けていった。
 しばらくして前方に気配を感じる。「明らかに」敵のものだった。それもかなりの力
を持つ集団である。一同は緊張し、奇襲をしかけるべく態勢を整えた。敵はリムリアた
ちの間合いに入ってくる。まだこちらに気付いていないようだ。

 今だ。

 パーティはリムリアを先頭に、敵の一団に襲いかかった。

 勝った。

 先手を取れた。勝利を確信する。そして最初の一撃を驚いた様子の敵に振り下ろそう
とした瞬間、また先刻と同じように一瞬視界が揺らいだ。

 そこにいたのは、セイルだった。

 リムリアは必死に制動をかける。驚いている暇もない。後ろに続く少女たちも制止し
なければならなかった。身に攻撃を受けるのを覚悟で、仁王立ちで振り返る。百戦錬磨
の彼女たちだからこそとっさに剣を引くことができたが、それでも勢いを殺しきれずに
衝突。二つのパーティは幾人かの怪我人を出してしまった。

 リムリアは自らの失敗を悔いたが、どうもおかしい。自分一人が疲れて間違えただけ
なら問題はないが、注意を促しておいた仲間たちも、眼前に現れたセイルたちを「敵」
だと確信していたのである。薄暗い地下であり、敵との遭遇頻度が高いことからこのよ
うな間違いが起きる可能性はあるが、仮にも「彼女」たちである。相手が人かそうでな
いかくらい確実に判断できる経験は備わっている(むしろ人型の敵を味方と間違える可
能性の方が高かった)。釈然としないものを残したまま、探索が続けられた。

 そして同様の接触が、次々と起こるようになった。
 迷宮の奥へ進むほど。下の階へ降りるほど。
 ここに至り、やっと彼らは気付く。
 これは恐らく、地下にいる魔神の干渉なのだと。

 ホリュースの神殿に残されていた記録から、ここの魔神の特徴が判明した。
 第二の魔神の持つ力は「水」。

 人が使えば癒しや護りの力となるが、魔神に使われたら強固な防壁や精神攻撃の術と
なる。元々が生命に対する干渉力であるため、人のような存在には極めて有効な効果を
もたらしてしまうのだ。
 現状、彼らに有効な対応策は存在しなかった。幸いセイルのパーティは一度も干渉を
受けていない。恐らくは同伴しているシーラの力のおかげだろう。魔神への対抗封印を
持つ彼女には、いかな魔神でも半封状態では力が及ばないのだ。だからといって、彼女
を同伴したパーティだけでことを済ませられるかといえば、明らかに否である。時間に
余裕があれば確かに可能だが、今はその時間がないからこうしているのだ。

 結局彼らには従来の方法を押し通すしか手がなかった、これまで以上に慎重に行動す
るということで。そのため敵との戦闘では、あえて不利な状況を選択せねばならなくな
る。もちろん余計な時間がかかるし怪我人も増える。攻略は可能だろうが、アーハイム
の時以上に時間がかかることは間違いない。魔神側にしてみればそれで十分だった。グ
ナガン復活は間近なのだ。

 セイルたちは焦る。そうしてはいけないと知りつつも。
 そんな心の動揺が、更なる魔神の干渉を呼びこむ隙となった。

 一同の心労はピークに達しつつある。

 リムリアが町に出たのもストレス解消の一環だったが、そこであんな目に遭えばぶち
切れるのも仕方なかろう。特に今回は、神官として神殿につめ切りのセイルが近くにい
ないこともあり、少女たちは皆それぞれ鬱憤を溜め込んでいるのだ。そんなみんなのた
めに得意の美味しいお茶でも淹れてあげよう思っていただけに、彼女の怒りは尋常でな
かったのである。

 一月かかって、地下二階までの攻略の目処が立った。例の一件から十日ほども経って
いたが、ようやくリムリアは二番街を訪れることができた。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

『魔王カーズ、みんなから奪った「夢のかけら」、今こそ返してもらうぞ!』
『はっはっは、貴様ごときに何ができるというのだ。この間は見逃してやったが、今度
は死をもって無礼を償うが良い!』
『そうはいくもんか。見ろ、この剣を!』
『ま、まさかそれは「レムスの剣」? 貴様、一体どうやってそれを!』
『みんなの想いが、願いが、ボクにこの力を与えてくれたんだ! いくぞ!』

 ありきたりの、どこにでも転がっている英雄物語。
 リムリアが手に汗握って思わず見入っているのは、そんなお芝居だった。

 この町の繁栄が生み出した副産物、娯楽。

 生活と物資と情報に満たされた人々が手にした余裕という名の退屈。人はその退屈す
ら商売の対象とした。退屈と等価交換可能な娯楽という名の商品。その最たるものが、
退屈の対極に存在する「物語」という名の刺激なのだ。

 リムリアとて、別にこの手を芝居を見るのは初めてではない。だが幼いうちに母親を
亡くし、父と二人で実家の宿を切り盛りしていた少女にとって、こうした娯楽は何より
も楽しいイベントだった。
 例の青年のことを尋ねようと劇場の前に着いた時、目に入ってきたのは芝居の大看板
と、楽しそうにそれを見に来る親子連れだった。幼い頃の幸せな思い出がフラッシュバ
ックされたこともある。しかしなにより彼女自身が、「芝居鑑賞」という刺激を味わい
たいと思ってしまった。この程度の金と時間に困っているわけではないし、見終わって
からでも用事は済ませられる。そう思った時にはもう、満員で立ち見するしかない劇場
の中に入ってしまっていた。

『……見事だ、勇者カルス。ごふっ、さあ、さっさとこれを奪い取るがよい』
『魔王、どうしておまえは、そんなにこの「夢のかけら」に執着したんだ? あれほど
たくさんの人を不幸にしてまで……。昔のおまえは、そんなじゃなかったはずなのに』
『ふふ、聞いてどうする勇者よ。所詮、貴様などにワシの気持ちがわかるものか』
『そうかもしれない……けど……』
『ふふふ、うごっ。もうこの城も終わりだ。なんなら道連れにしてやろうか』
『……さらばだ。魔王カーズ。皆を不幸にした報いだ。城と共に眠るが良い!』
『……ははは。行ったか、愚か……者め。あれを、取り戻した、とて……』

 轟音と暗転。
 しばらくして舞台に照明が戻る。
 明るい顔を取り戻した町の人々と、彼らに見送られて再び旅に出る勇者の姿。

 ハッピーエンドのフィナーレと共に、舞台の幕が降りる。
 子供たちの歓声と拍手。アンコールに応える役者たち。

 幾度かの盛り上がりの後、本日の上演終了のアナウンスが響く。
 ぞろぞろと出口を通って帰っていく親子連れ。
 リムリアはそれを、複雑な思いで眺めつづけた。

 最後の一人が出て行く。
 一人、ぽつんと残されたリムリア。なにか思いに耽っている。
 だから観客が去った後の清掃をしていた女性にポンと肩を叩かれるまで、ずっと劇場
の後ろに立ち尽くしていた。

「あの、どうしましたか、お客さん?」
「……え? は、はいっ、あたし!」

 そしてようやく彼女は、当初の目的を思い出すに至った。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

「すいませんたびたび。どうぞ、ゆっくりしてって下さい」

 そう言ってファルは席を外す。舞台裏の一室には女性二人だけが残された。

「……しかし。なんていうか、腰のすわらない人ですね」
「ごめんなさいね。あれで仕事はきちんとする人なんですよ。特に今は大変で」

 リムリアに苦笑いの言葉で応える、二十代後半と思われる女性。
 彼女の名はヒルデガルド=バッハ。先にリムリアに声をかけた清掃係の女性だった。

 慌てながら彼女に訪問の目的を告げたリムリアを、彼女は最初驚きの表情を浮かべて
見つめていた。しかし訪問理由を解すると共に、ああという顔をしてこの部屋に通して
くれたのだ。
 数分後、彼女はファルを連れてくる。彼女はまるで彼の保護者でもあるかのように、
彼の頭を抑えつけてリムリアに謝罪させた。先の芝居鑑賞ですっかり気をそがれていた
リムリアも少々ばつが悪くなり、謝罪を受け入れた後に改めて説明を求めた。

 しかしその説明も済まないうちに、別の男性が現れてファルを呼びにくる。彼は後を
女性に頼み、ささっと出ていってしまったのだ。

「でも、彼があのお芝居の脚本を書いていたなんてね」
「全部じゃないんですよ。彼はまだ補佐ですから。それでも、やっと仕事をもらえるよ
うになったからって、結構はりきってましたわ」
「うん、面白かったです。本当に。あたしこういうお芝居見るのって久しぶりだったん
ですけど、凄くワクワクして、思わず手を握り締めちゃったりして。いつの間にか子供
たちと一緒に声も出しちゃった。ちょっと恥ずかしかったけど、でもそれがまた気持ち
よかった」
「ありがとうございます。ファルも喜ぶわ」

 笑みを浮かべる女性の顔を見て、リムリアはちょっとした引っかかりを感じた。

「……あの、ヒルデ……ガルドさん?」
「ヒルダ、と呼んで下さい。その方がこっちも助かります」
「は、はい。あの、ヒルダさん。一つお伺いしてもいいですか?」
「何でしょう?」
「あのですね、さっき私に声をかけられた時、ちょっと驚いた顔をされてましたよね」
「……やっぱり、気付きました?」
「ファルさんが私に抱き付いてきた時も同じ感じだったんです。もしかしたら、なにか
理由をご存知なんじゃないか、って思って」

 ヒルダは最初、言おうかどうしようか迷った風だった。
 そして辺りに視線を巡らす。それは部屋の片隅に置いてあるカバンに留まった。
 リムリアもそれに気付く。何てことのない、ちょっとくたびれたカバンだった。

「ファルの、です」
「ファルさんの?」
「……いいわよね、貴方になら。彼の『夢』を知っておいてもらっても」

 何かに言い訳するように、ヒルダは席を立ってそのカバンを取り上げた。テーブルの
上にそれを乗せると、中から数枚の紙を取り出す。

 それは落書きのようにも見えた。幾人かのキャラクターの描かれたデッサン。
 その中央に一番大きく描かれている少女。名前は「リル」となっている。

「……えっ、嘘!?」

 それはまさしくリムリアだった。
 幾つかの衣装案。それが示すのはいずれも戦士の装束。
 まるで、バルキリーとして魔神攻略に臨む姿をスケッチしたかの如き絵面。

 どうして彼がこれを知っているの?

「驚かれたでしょう? 私も一瞬まさかと思ったもの」
「え、あの、だってこれ……」
「ファルがあなたに抱きついたのも無理ないわ。自分の物語の主人公が、現実の世界に
抜け出してきたんですものね」
「……自分の、ものがたり?」
「そう。これはね、ファルがいつか手掛けたいと思ってるお芝居の主人公なの。名前は
リル。旅の冒険者。そして伝説の宝、あらゆる願いを叶えることができるという『奇蹟
の徴(しるし)』を求める少女」

 納得すると共に、ちょっとほっとする。
 よかった、知られてるわけじゃないんだ。
 でも……。

「……ここまでそっくりだと、なんか怖いです」
「本当に。もしかしたら、何か縁があるのかもしれませんね」
「は?」
「どうですかリムリアさん。もしこの企画が実現したら、貴方が演ってみませんか?」
「う、うそ。そんなこと簡単に言わないで下さい!」
「あら、これでも私、一応プロデューサですから。結構本気ですよ」
「ええっ? だってさっき?」
「まあプロデューサって言っても雑用係ですからね。ここは人手が足りないし、実際に
舞台が動いちゃえば一番暇になるのはわたしですから」
「……そういう、ものなんですか?」
「そういう、ものですよ」

 釈然としないものを残しつつ、リムリアは再度固辞した。
 くすくすと笑うヒルダ。

「ふふっ。実現のめどが全く立っていない企画ですから。気にしないで下さい」

 からかわれたのだと知り、でもほっとした彼女は、そろそろ帰ろうかと思った。
 その時もう一つ、今度はさっき見た舞台に感じた引っかかりについて尋ねた。

「……あの、さっきのお芝居ですけど」
「はい?」
「最後、魔王は一体、何を言おうとしたんでしょうね?」

 あ、という顔をしてヒルダが目を伏せる。
 リムリアは訊いちゃいけないことを訊いてしまったのかと慌てた。

「いえ、別にどうでもいいですよ、ほんとに」
「あそこは、ファルが書いたんです」
「えっ……」
「貴方の言う通り、本当はあの後に続きがあるんです。でもメインの脚本家さんが削っ
てしまわれたんです」
「どうして!?」

 ヒルダはまっすぐ見据えてくるリムリアから視線を逸らして言った。

「このお芝居は、その方の作品だからです」
「でも!」
「リムリアさん。私たちが作っているのは、子供たちを楽しませるためのお芝居です。
子供たちが見て喜んでくれるものでなければ、誰も見に来てくれないんですよ。私たち
にとっては、自分の作りたいものを作れたかどうかではなく、作ったものが売れたかど
うかで全てが判断されてしまうんです」
「そんな! そんなことで満足なんですか?」

 ヒルダは、ふっとため息をついた。

「この話はやめましょう。今すぐわかってもらえることではありませんし」
「……逃げるんですか?」
「そう思って下さっても結構です。ただ一つだけ言えるのは、私たちは私たちなりに満
足しているということです」
「……ファルさんも、そう思っているんですか?」
「ご自分で、お聞きになって下さいね」

 挑発的なヒルダの微笑み。リムリアは湧き上がる闘争心に駆りたてられ、心の奥底に
沈んでいった小さな疑問をかえりみることができずにいた。

 部屋を出たリムリアは、改めてファルを探す。
 間もなく、舞台裏で他のスタッフと打ち合わせをしてる彼を見つけた。
 仕事中に悪いかな、とも一瞬思ったが、あえて彼女はファルに話しかけた。

「ファルさん!」
「えっ……あ、ああ。リムリアさん」
「すいません、お仕事中。あたし、これで失礼します」
「そうですか? ごめんなさい、何もお構いできなくて」
「いいえ。でも、その代わりと言っては何ですけど」
「代わり?」
「今度の日曜日、空いてますか?」
「日曜? にちよう……そうですね、楽日明けですし、暇のはずです」
「それじゃ、あたしに付き合ってください」
「は?」
「待ち合わせは中央広場の噴水前で、十時でいいですよね。それじゃ」
「ちょっと、リムリアさん!?」

 その時もう彼女は、呆然としているファルたちに背を向けて立ち去っていた。
 少しして、野郎どもの汚いわめき声と、明らかに殴る蹴るといった感じの音が聞こえ
てきた気がしたが、リムリアは一顧だにしなかった。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

「さあ、それじゃ今日も頑張りましょう!」

 リムリアのやけに元気な声が神殿のホールに響く。
 彼女は満面の笑みを浮かべたまま、結界の所にいるパッティの少女たちの方へと歩い
ていった。その後ろ姿を不思議そうな顔で見つめる仲間たち。

「どうしたのリム。今日はやけに元気じゃない」
「なんかうきうきしてるみたいですね。どうしたんでしょう?」
「チョルラさん、何か知ってます? 宿同じでしょ?」
「おほほほ。実はですね……」
「実は?」
「どうやら、お気に入りの殿方ができたらしいですわよ。この間なんて……」

 この時チョルラが何を言ったか、賢明なる読者の皆様には察しがつきますね。

「えーっ、うそーっ。あのリムが?」
「はー、人って見かけによらないわね」
「それってホントなの? ちょっと信じらんない」
「確かにね。だってリムだもんね。シグとは別の意味で堅そうだし」
「私とは別の意味って、なによそれ」
「それこそチョルラさんならわかりますけど」
「あらぁ。お疑い?」
「そりゃあ……」
「あの様子を見ても、そうお思い?」

 そう言ってチョルラが指差す先にいるのは、パッティの少女たちと楽しそうに話すリ
ムリアだった。確かに上気しているのは間違いない、男がらみだとしても不思議ではな
いくらいに。

 う〜んと考え込んでしまう一同。
 そこに、セイルが遅れてやってきた。

「おはようございます、皆さん。……どうかしたんですか?」
「あ、セイル……いえ、その……」
「あのねあのね、リムリアに彼氏ができたんだって!」

 誰とは言わんが、またしても余計な一言を漏らす考え無しが一人。
 一斉に周りの少女たちがその口を抑えたが、時既に遅し。

「リムリアさんに!?」
「あ、あのセイル……違うのよ。そのね……」

 困惑する彼女たちをよそに、セイルはあっけらかんと言ったものだ。

「それはよかった。なるほど、ずいぶん楽しそうですね。ここのところ結構ふさぎがち
でしたから、いいことです」

 唖然とする一同。
 そう、セイルが「本当に」そう思って言ったのがわかるからだ。
 ジト目でセイルを見つめると共に、全員情けない表情になる。

 彼女たちの頭の上に巨大な雲形のフキダシが出現する。
 48ポイントの影付きゴシック体で描かれた文字曰く。

 『この朴念仁!』

 同時に、パッティの少女を除く全員の頭の上に矢印付きで「関係済み」という小さな
バルーン表記が出現していたが、読者以外それに気付くことはなかった。

(いや実際、よく「この男」をこれだけの少女が慕い続けるものだと思います。かつて
本作は古いアリスファンに毛嫌いされたけど、初代闘神都市のカスタムのような一途な
タイプを理想の主人公としていた節のある彼らにしちゃ、セイルはランス以上の外道に
映ったことでしょうね(苦))

 あだしごとはさておき。

 この日の迷宮攻略でも相変わらず魔神の干渉は激しかった。
 だが、ひとつ不思議なことが起きた。

 リムリアのパーティには、それほどの影響が出なかったのである。
 正確に言うと、リムリア個人には、である。

 パーティの他の少女たちが幻惑されている中、リムリアだけが状況を正確に把握し、
適切な行動へと仲間を導いたのである。リムリア自身も不思議だったが、その日は全く
違和感を感じずに済んでいた。それが余計に彼女の気分を高め、この日の成果はライザ
ッハに来て以来最大のものとなっていたのである。

 一日の攻略が終了し、神殿に戻ってきた時も相変わらずリムリアは上機嫌だった。
 皆は疲れ果てながらも、彼女を苦笑いで見ている。

 その時、幾人かが気付いた。
 もしかして、と。

 ミコとシグルーンが、エリスンとシルヴィアに視線を向けた。
 二人は、解ったという顔をして、直ちに神殿の資料室へと向かう。

 推論が立ったのは翌日。
 思い付きではあったが、考えてみれば当たり前のことだった。

 精神への干渉。それは脳の情報認識のかく乱である。
 情報認識とは即ち、人が環境から得る一連の情報の解析に他ならない。

 魔神の行う精神干渉とは、その連続情報の一部分に何らかの負荷をかけることで認識
演算を間違わせることなのである。別の言葉で言えば、一意のメロディを途中でいきな
り転調することで、メロディの生み出す雰囲気をまるで別にするようなものだ。

 認識を誤るまいと一心に集中しようとする。逆にそれは魔神にとって好都合なのだ。
なぜなら認識の筋道が簡単に特定できるからである。前方だけを凝視していたら脇道に
気付く可能性は減る。つまり必要以上に注意を凝らさせれば認識の選択肢をそぎ落とせ
るのだ。魔神が彼女たちをこれほど容易にかく乱できたのは、実のところ彼女たち自身
が生み出した陥穽に落ちこんでいたからに過ぎない(現実に存在する催眠術とはまさに
この精神陥穽の応用である)。

 では今回のリムリアは?

 「全く攻略に集中していなかった」、これに尽きる。魔神が彼女をかく乱しようとし
ても、彼女はすぐにどうでもいい思考をあれこれと巡らせ、実際に敵に遭遇した段にな
ってようやく、反射的な対応をしていただけなのである。

 魔神が干渉を行う暇がないくらいの反射神経をもって、である。
 実は、それがよかったのだ。

 何なのだ一体。

 そもそも魔神側には、セイルたちを防衛する十分な力が無い。
 無いから、このような奇策を駆使してきたのである。

 奇策に対する最善の対策とは結局、正面からの真っ当な力押しだった。
 彼らにはそれを強行し、罠に落ちたとしても強引に打ち破るだけの力がある。
 だったらそうすればいいのだ。行き当たりばったりでどうにかなるのである。

 何なのだ一体。

 この推論を聞かされた一同は、皆一様に落ち込んでしまった。
 だがそれはそれ。実際の対策はどうするのか。

 ベタな解決策ではあったが、彼女たちのとった策、それは。
 「大声で歌を歌うこと」。

 何なのだ一体。

 もちろんこれは敵を呼び寄せたが、敵とて無限に涌き出るわけじゃない。慎重になっ
て余計な時間と被害を受けるくらいなら、徹底的な強行で敵の戦闘力を殺ぎまくった方
がずっと楽だし、なにより早かった。

 それは傍目で見れば、異常な集団だった。
 大声で笑い、歌いながらせっせと敵を殺していくのだから。
 殺人快楽者に陥るんじゃないかと心配したくなる娘もいたが、幸い無事だった。

 ともかく。
 この対応を取り始めて、攻略スピードが実質二倍にアップしたのだから凄い。
 でもそれより、一同に活気と笑顔が戻ったのが一番の成果だったかもしれない。

 皆が、表向きはリムリアの浮気(?)を心配しつつも、相手の男性に心の中で感謝の
気持ちを抱いたのは言うまでも無かろう。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

「どうも、すいません!」
「ううん、予定通りよ」
「は?」
「時間通りにくるなんて思ってなかったから、あたしも三十分ほど遅れてきたの」
「ええ? それじゃ僕が時間通りにきてたらどうするつもりだったんです?」
「もちろん」
「もちろん?」
「あなたに待たせるに決まってるじゃない」

 ファルの顎ががくんと下がる。
 その馬鹿っ面を見てリムリアは溜飲を下げた。

 実は、彼女は約束より三十分も早くきてしまっていたのだ。

 別にそんなつもりじゃないのに、仲間たちが察していたようにリムリアは不思議とワ
クワクしていた。朝も日の出前にはもう目が完全に覚めてしまい、調理場に入って宿の
人と一緒に朝食の用意までしていたくらいである。本人は何でもない風を装おうとして
いたが、悲しいくらいにバレバレの状態であり、なかば照れ隠しで早めに宿をでること
にしたのだ。

 それにも関わらずファルは、なんと四十分以上も遅れてきやがったのだ。リムリアは
再び怒り心頭に達し、こんな噴水なんてぶち壊してやろうかという衝動に駆られていた
が、息せき切って必死に走ってくるファルの情けない姿を見て馬鹿馬鹿しくなってしま
い、からかうだけで済ませたのだ。

「でも……うん、結構ちゃんとした格好できるじゃない」
「そうですか? 実は出掛けにヒルダが」
「ヒルダさん?」
「ええ。ヒルダが『女の子のエスコートするんだからちゃんとしないと』って、こんな
格好を無理やり」
「ふーーーん」
「え? なんです?」
「ファルって、ヒルダさんと一体どんな関係なのかな、と思って」
「どんなって言われても、仕事仲間としか」
「ホントにそう思ってる?」
「はい」

 リムリアは脳裏に、自分が想いを抱くとある青年の顔を思い浮かべたが、口には何も
出さず、心の中ではぁ〜っとため息を吐いた。

「なんで、あたしの周りってこんな人ばかりなんだろ?」
「は?」
「なんでもない。さ、それじゃ行きましょ」
「行くって、どこに?」
「これから決めるのよ。そうね、まずは服でも見たいな。どこがいい?」
「どこがいいって言われても」
「あなたこの町の人でしょ? あたしはただの旅行者よ。いい店の一つや二つ、すぐに
紹介できるでしょ?」
「店ったって、僕は何も知りませんよ」
「……あなた、この町に住んで何年なの?」
「え〜っと、もう二十年くらいになるのかな?」
「なんでそれでわかんないのよ?」
「いや、だって僕は食べ物屋しか知らないし、服なんてそこらで安いの買うだけだし」
「……ヒルダさんも大変だわ」
「うん、そうなんですよね。ヒルダって、僕が気付かないうちにちゃんと新しい服とか
用意しておいてくれるんですよ。どうして新しい服が必要なタイミングがわかるのか、
いつも不思議で」
「うわあぁーっ」
「どうしたんですか、頭なんか抱えて」
「駄目、これ以上何も言わないで。身に覚えがありすぎて悲しくなる」
「……」
「どうして何も言わないのよ!?」
「だって、何も言うなって」
「もういいっ、自分で見つける! ついてきなさいっ!」
「えっ、あ、うわっ、リムリアさん!?」

 リムリアはファルの襟首をぐっと掴み、ズズっと音を立てて引きずりながら大通りの
方へと足早に歩き出した。つくづく、いい見世物である。公園で休日を過ごしていた人
たちも、その異様なカップル(?)に思わず目が行ってしまう。

 そして二人が公園から消えたかと思った瞬間。

 今度は噴水の裏手にある植え込みから、いきなり十人ほどの少女たちが出現した。
 彼女たちは服や顔に泥だの葉っぱだのをつけたまんま、寄り添って人目をはばからず
大声で話しだしたのである。

「……で、あれがお相手?」
「なんかさえない男ね。リムの趣味ってあんななのかしら」
「でも、優しそうな人ですね」
「あれは優しそうっていうんじゃなくて、トロそうって言うのよ」
「女の子を一時間以上も待たせるなんて最低よ」
「その割にリムも楽しそうだったじゃない」
「あ〜あ、いいわね若いって。あたしも昔は……」
「そんな昔があったんですか?」
「おだまりっ」
「でもホント、あんなニブい男じゃリムも大変ね」
「一応真面目ではあるみたいですけど」
「真面目ったって、限度があるわよ」
「デートの相手の前で、他の女の名前出すかしらね普通」
「……まるで、セイルさんみたいですね」

 その一言に全員が凍りつく。
 そしてさっきのリムリアと全く同じ顔をして、一斉にため息を吐いた。

「とにかく、追うわよ」
「でも、これってなにか覗き見みたいで」
「そうですよ。失礼です」
「何言ってんの! 仲間の一大事よ。友人として見過ごせないわ」
「何を見過ごせないんだか」
「リムだってまだ若いの。こんなところでもし過ちなんて起こしたら」
「いいじゃないですか。恋愛は個人の自由だし」
「よくないっ! 一人だけいい思いさせてなるもんですか!」
「おいおい」
「さあ、若い二人の熱い情熱を見届けるのよっ、続けーっ!」
「……いいのかしら、それで?」
「別にいいんじゃない、ヒマだし」
「あたしたち、何やってんでしょうね」
「世界の命運を左右する戦いの真っ最中なのは確かなんだけど」
「別の意味じゃ、こっちも未来を左右するかもよ」
「誰の未来よ、誰の」
「……ともかく」
「そうね、いきましょうか」

 先の二人にも増して異様な集団は、自分たちもまたいい見世物であるということに全
く気付くことなく、一応はコソコソと隠れるように、折り取った植え込みの枝で顔だけ
は隠したりなんかしながら、けれどやっぱり異常に目立ちまくって公園を後にした。

 後にこの公園には、「ピーピング娘。」(ピーピング=覗き見、出歯亀)と呼ばれる
パフォーマンス集団が現れるという伝説が生まれ、五番街の漫才妖怪と共にライザッハ
の新たな観光名所として一時期ブームを呼んだらしいのだが、それが事実かどうかは定
かでない。

 ……すいません、ベタベタで(爆)。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 大通りに面したカフェテラス。窓際のテーブルで向き合う男女。
 女は頬杖ついてしかめっ面。そして男は顔を突っ伏して息も絶え絶え。

「しかし。この程度にバテちゃうって、あなたホントに男?」
「……」

 もはやファルには返す言葉も無い。

 いや実際、彼は責められまい。先刻までのリムリアの凄まじい行動力についてこれた
だけでも、その精神力と忍耐力は賞賛に値する。それほどまでに彼女のはしゃぎぶりは
常軌を逸しており、しかも彼女は体力全開で店から店へ移動しまくりしゃべりまくった
のである。……考えるだけでも恐ろしかろう。

 リムリアにしてみれば確かにこれまでの鬱憤晴らしの意味もあった。が、やはり彼女
も年頃の娘である。こんなどこにでもいる普通の少女としての自分を発見できた喜び、
そんな自分を演じられる喜びに、思わず我を忘れていたのだ。

 そう。こんなこと二年以上も忘れていた。
 正確には母を亡くして以来ずっと。もう十年近くも。

 楽しくて楽しくて仕方ない。
 なのにどこか、淋しさと怖さが見え隠れしている。

 こんなこと、もう二度とできないかもしれない。
 こんなこと、もう誰ともできないかもしれない。

 だから今この瞬間を失うのが怖かった。
 明確な意識として自覚したわけではない。
 でも、彼女は自らを止めることができなかった。

 止めたくなかった。

 ファルは、そんなリムリアにずっと付き合ってくれていた。
 うれしかった。
 そして限界ぎりぎりまで、彼に甘えてしまった。

 お礼の言葉を言おうとしたのに、口をついて出るのは嫌味の言葉。
 リムリアは自分を恥じたが、だからといって優しい言葉一つ出てきやしない。

 ここで素直になれるなら、少女は少年の永遠の女神でいられように。
 こんな意地っ張りもまた、どこにでもいる少女のありのままの姿か。

「ちょっと、ホントに駄目なの?」
「……すいません、昨日もあんまり寝てないもので」
「寝てないって、何して……きのう、『も』?」
「はい……」
「……全く」
「すいません……」
「あやまらないでよ。……あたしが悪いみたいじゃない」
「……すいません」
「……バカ」

 リムリアは思わずそっぽを向いた。
 ファルを見ているのが辛くなったからだ。

 バカみたい、あたし。

 しばらく視線を宙に漂わせ、やっとお詫びを言おうかとファルに向き直る。
 なのに。

 彼はすやすやと小さく息音を立てて寝入っていた。

 ため息。もう何度目だろ。
 でも、笑っちゃう。こんなものね、と。

 セイルも、こんななのかな。

 思わず浮かんだ考えに苦笑する。
 身勝手なものだと。他の女(ひと)もこんな身勝手なのかな、と。
 他の男性と一緒にいて、好きな男(ひと)を重ねて見てるなんて。

 そう言えばシグが言ってた。
 男って身勝手だと。

 女だってそうじゃない。
 だからおあいこよ。でしょ?

 そのまましばらく、リムリアは通りを行き交う人の波を見つめていた。
 小一時間もそのままだったか。
 う〜んと、ファルの目覚める声がして、彼女は我に返る。

「……もういいの?」
「え……あ、ああ。そっか」
「もう、いいの?」
「すいません、寝ちゃって……いえ、慣れてますから」
「慣れ?」
「暇なときに交代で仮眠をとるって癖がついちゃってまして。少し休めば、結構頭もす
っきりしますしね」
「……ありがとう」
「は?」
「今日はありがとう。わがままに付き合ってくれて」
「いえ……約束ですし」
「約束ったって、あたしが勝手にした約束じゃない」
「そうですけど……」

 ふっと、交わす言葉が途切れる。
 うつむいたままの二人。

 言葉を探すリムリア。そしてやっと、その言葉を思い出した。

「ファルさん?」
「はい?」
「『リル』って、どんな子なんですか?」

 ファルは一瞬驚きの表情を浮かべたものの、得心のいった顔をして微笑んだ。

「僕の、思い込みですよ」
「でも、いつか本当に……」
「はい。それが僕の夢です」
「それって、本当に叶う夢なの?」
「叶えようと思ってます」
「今のままで叶うの?」
「わかりません」
「わからないって……それなのに、自分の夢を放っておいて、人のために働くの?」
「……なんとなく、ヒルダがリムリアさんに何を言ったかわかる気がします」
「う……」

 顔を赤らめ、うつむくリムリア。
 そんな彼女に優しく語りかけるファル。

「ねえリムリアさん。『物語』って、何だと思いますか?」
「何って言われても、物語は物語としか。お話でしょ」
「僕はね、『魔法』だと思ってます。夢を叶える魔法だと」
「まほう?」
「物語の中でなら、僕はいろんな人に、いろんなことをさせてあげることができます。
空を飛ぶことも、地の底に潜ることも。お姫様と恋をすることだって、竜を倒すことだ
って。死ぬ運命にある人を助けることも、そして……誰かを殺してしまうことも」
「まるで、神様ね」
「ふふ、そう言う人もいますよ」
「でもそれは」
「そう、もちろんそれは造りもの。ホントの魔法じゃありません」
「そんなもののために?」
「でも、人はそんなもので喜んでくれたり、泣いてくれたりするんです。……ヒルダが
言ってくれましたよ。あのお芝居を見てあなたも楽しんでくれたって」
「それは……確かにそうだけど」
「自分の『造る』ものが、人の心に何かを『創る』ことができるんです。これってやっ
ぱり、まぎれもなく魔法だと思います。『物語』という呪文を唱えれば、僕は僕の夢を
叶えることができるんです」
「……つまり、あなたの夢って、人を感動させることなの?」
「そう、ありたいと思ってます」
「そうありたいって」
「僕も、どこかに我侭なところがあるんですね。時々、人を感動させるより先に、自分
が言わせたい言葉や、させたい行為を無理やり物語に押しつけちゃうことがあります。
そうするとどこか歪んじゃうんですよね。観客っていうのはとても正直で、そういう所
にはすぐ反応してくれますから」
「もしかして、それがあのお芝居の最後の?」
「はい。師匠にはとても怒られました。こんなことを書くのは十年早いって」
「……」
「最初は僕も納得いかなかったんです。だってああした方がずっと彼らの姿がよく見え
るはずなのにって。でも、物語っていうのはバラバラのピースじゃないんです。ピース
が全て組み合わさってできた一枚の絵が物語なんです。ピースの一個が他よりやたらと
綺麗だったり大きかったりしたら、絵が変になっちゃうんですね。……実際に上演され
たお芝居を見て、ああこれでいいんだってよくわかりました。だから逆に、最後の場面
で余計なことしちゃったなって」
「余計なこと?」
「リムリアさんも気付いちゃったでしょ? あそこ中途半端だって。あれ、師匠がわざ
と残したんですよ。それを僕にわからせるために。……それがわかって、とてもありが
たいと思うと同時に、師匠に申し訳無いことしちゃったなって。だって自分のお芝居を
犠牲にしてまで、僕に教えてくれたんだから」
「そうだったのね……」
「本当に、幸せだと思います。そして自分の境遇には満足してます」
「満足、か。……ヒルダさんも、そう言ってた」
「でも、あくまで自分の立場についてです。僕の夢にはまだまだ届かない」
「どうして?」
「僕の物語を実際にお芝居にするには、とてもたくさんの人の協力が必要です。そして
その協力を得るには、僕と、僕の物語ににそれだけの価値があると認めてもらわなけれ
ばならないんです。そのためにはまだまだたくさん努力しないと」
「それが、人のために働く理由ね」

 その時初めて、ファルは、歳相応と言える枯れた苦笑いを見せた。

「……リムリアさんみたいな若い人には、いいわけに聞こえるかもしれないけど」

 痛い。

「そんなこと、ないわよ」

 確かにあたしはあなたより年下だけど。
 でも、ずっとずっと狡猾で卑怯で残忍な「存在」に操られてるのよ。

 それと知って「あの人」のために働いてるんだもの。
 この世界の理不尽さなんて、この身体に嫌というほど沁みついちゃってる。

 でも、だから。
 あなたたちのような「普通の人」には。
 そんなことを言って欲しくない。

 ……それもまた、リムリアの未熟さか。
 彼女は未だファルの心遣いに気付いていない。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 日が傾きはじめていた。
 二人は、再び元の中央公園に戻ってきていた。

 ベンチに並んで座る二人。
 あれから、特に何の話もしていない。

 言葉がつかまらない。
 どうしたらいいんだろう?

 そんな風にもじもじするリムリアだったが、ふと視線を感じる。
 ファルが自分を見つめていた。優しい瞳だった。
 ちょっと恥ずかしい。またうつむいてしまう。

 その時、ファルが空を見上げながら話しだした。

「リムリアさんは、大神殿に用事があってライザッハにこられたんですよね」
「え? は、はい」
「だったら、ここの神話、ご存知ですか?」
「あ……あの、あんまりよくは……」

 ファルは目を閉じ、何かを読み上げるように語り出した。

 もうこの世界には残っていない物語。
 誰もそれとは知らない、「永遠の勇者たち」の一節。

「大昔、もう誰にもわからないくらい大昔。この町がまだ大都市なんかじゃない、田舎
の小さな一村落だった頃のことです。村を酷い流行り病が襲いました。たちまちのうち
に村人の半分が死んでしまい、残りの村人でも無事な人はほとんどいません。もうこの
村はおしまいだ。誰もがそう諦め、死を覚悟しました」

「その時、一人の少女がこの村を訪れました。美しい女神のような女性だったとも、あ
るいはどこにでもいそうなそばかす娘の姿だったとも言われています。確かなのは、彼
女がとても優秀な魔法使いだったということ。彼女の持つ薬草や治療の知識は、当時の
どんな賢者にも劣らない、素晴らしく広範で深遠なものだったといいます。彼女は村人
たちの不幸を嘆き、寝る間も惜しんで生き残った人たちの介抱にあたりました」

「彼女の献身行為のかいあって、皆の様態は快方に向かいます。でも、どうしても全快
に至りません。彼女は原因を探り、その答えを見つけました。村のはずれの洞窟に一匹
の悪魔が住みつき、村人たちに呪いをかけていたのです。彼女は村人たちの制止を振り
切り、その悪魔退治に向かいました。でも、幾ら優れた魔法使いとはいえ、彼女の力は
悪魔を退治できるようなものではなかったのです。村人たちは彼女の運命を嘆き悲しみ
ます」

「でも幾人かの勇気ある若者たちが、村を救おうとしている彼女のために自分の命をか
けようと決心します。彼らは少女の後を追いました。そこで彼らが見た奇蹟、それは」

「今まさに悪魔の牙に引き裂かれんとする少女。
 その少女が胸の前に組んだ両手が、突然まばゆい光を発しました。
 光は、少女もろとも悪魔を飲み込みます。
 全てを溶かしてしまうような熱さに見えるのに、なぜか冷たく感じる白い光です。
 その光はやがて小さくなっていき、最後には豆粒ほどの白い真珠になりました」

「少女も、悪魔も。もう二度と、村人たちの前に姿を現すことはありませんでした」

「村人たちを悩ませていた病も完全に村から消え失せていました。彼女の後を追った青
年たちから事情を聞いた村の長老は、その洞窟を聖地と定め、彼女を祭る神殿を作らせ
ます。彼女の英知を称えたその神殿は、後に知恵の神ホリュースと同一視されて現在に
至るのです」

「そして彼女の消えた後に残った真珠も、いつの間にか姿を消していました。村人の一
人がいずこかに持ち去ったとも、神殿の築かれた洞窟の地下に封じられたとも言われて
います。これは後に『奇蹟の徴』と呼ばれ、いかなる願いも叶えることのできる秘宝と
して語り継がれる伝説となりました」

 謳うように物語を奏でるファルの声に聞き入るリムリア。
 そして最後の一節に記憶を刺激される。

「……『奇蹟の徴』、って」
「そう。僕の物語の主人公、リルが探し求めるものですよ」

 ファルはいったんリムリアに視線を向けた後、再び空を見上げていった。

「幼い頃この町に来て、両親が最初に連れていってくれたお芝居が、まさにこの話だっ
たんです。それからですね、僕が物語にとり憑かれたのって」
「とり『憑かれた』?」
「そう、明らかに憑き物でした。寝ても覚めても頭の中に物語の登場人物たちがいて、
自分勝手にいろんな話をしたり冒険をしたりしはじめるんです。そのうち僕にも話しか
けてくるようになって。大変でしたよ、友達たちはみんな僕を変な目で見てましたし」
「そりゃ、そうでしょうね」
「そのうち、一人の少女が頭の中に居座るようになりました。元の姿はあの伝説の少女
だったんですけど、やがて別の姿になっていました。多分、僕の分身だったのかもしれ
ません。憧れの少女を追い求める僕の願望が生み出した仮身だったのかも」
「もしかしてそれが?」

 ファルはただ笑うだけで、直接答えようとはしなかった。

「少女はとても活発で明るくて、ちょっとお転婆な年頃の娘。病気がちな母親と二人暮
らし。夢は、月並みだけど素敵な男性と恋をすること、そして母親の病気を治して自分
の花嫁姿を祝ってもらうこと。……そんなどこにでもいる少女です」

 ふとリムリアの脳裏に、父の顔が浮かんできた。
 あたしとは父さん母さんが逆だけど。
 でも、似てる。

「でも彼女が十七になった時、母の様態が急に悪化します。お医者様に診てもらっても
どうにもなりません。このままでは。少女は悩み苦しみ、そしてある伝説にすがろうと
します。それが『奇蹟の徴』。あらゆる願いを叶えることができるという宝。これなら
きっと母の病気も治せる、と」

 ファルは改めて、リムリアの全身を見回した。
 そう、まさにこの少女。この姿。
 そして、この「魂」。

「……なんだか、本当にリルと話してるみたいだ」
「あたしは……」
「わかってます、ごめんなさい」

 口では謝ってるけど、顔が笑ってる。
 ……しょうがないな。別にいいけど。

「その時たまたま、一人の冒険者が町を訪れます。青年は武者修業のため、この町にあ
る洞窟の探索をしようとしていました。少女は彼に同行させてもらいます。この洞窟の
どこかに『奇蹟の徴』があると聞いていたからです。当然、冒険なんて初めてなので、
最初は大変でした。でも次第に、彼女自身気づかずにいた、自らの冒険者としての才能
が目覚めはじめます。……数ヶ月後には、少女は青年と同等、いやそれ以上の力を持つ
冒険者に育っていました」

 いやだ、まるで。

「……ここから先は、よくあるお話ですよ。この時二人はもう、お互いを意識しあって
いましたが、二人の力関係が変化すると共に、いろんなトラブルや諍いや……恋物語が
編み出されていきます。でもやがて二人は本当の絆を結び、そしてついに『奇蹟の徴』
を見出すのです」

 ……なんかズルい、それって。
 あたしなんて、さ。

 と、その時。

 ファルが、リムリアの手をすっと取った。
 彼はその手を自分の両手で優しくはさむ。
 自分の意志をそこに受け渡すかのように。

「……リル。君はこの手に、自分の未来を持ってるんだ」

 何? この人は、一体誰に何を言っているの?

「自分の夢を信じて。……それが本当、の、『奇蹟の徴』、なん……だ、よ……」

 ファルのまぶたが、ゆっくりと閉じられる。
 それと重なるように、彼の言葉も小さく途切れて行く。
 リムリアは最初、ファルは疲れてまた眠ってしまったのだと思った。

 ところが。

 自分の手に重ねられたファルの手から、急にぬくもりが失われていく。

 ぞくり。

 ちがう、これは眠りによる体温の低下ではない。
 生命の息吹が抜け落ちていく冷たさだ。
 まさかそんな。

「……ファル?」

 リムリアはそっと彼の手を離し、その肩に手をかけて小さく揺すった。

「ファル、ファルさん?」

 返事が無い。
 繰り返す。
 やはり返事が無い。
 というより、反応が無い。

 ぶるっ。

 震える指先を、彼の首筋に当てる。
 そこに脈とぬくもりを確かめて、思わずほっとするリムリア。
 でも再び戦慄が彼女を襲う。
 脈動は不安定で弱く、ぬくもりもかろうじてそれを保っているのが明らかだった。

 いやだ。
 なにこれ。

 彼女はこれまで幾千の命を奪ってきた。
 自分や仲間たちの瀕死の状態に幾度も遭遇してきた。
 だからわかってしまう。これがどういう状態か。

 なのに冷静になれない。
 どうしよう。
 どうしたらいいんだろう?

 その時。

「ちょっと見せて」

 真剣な顔をしたシグルーンとミコがそこにいた。
 リムリアの前に割り込むように、ファルの様態をうかがっている。

 え?
 思わずよろけそうになるリムリアを、後ろからシルヴィアが支えていた。

「は?」

 改めて周りを見ると、そこには仲間たちか集っていた。

 なに?
 一体、これって何?

 そんなリムリアを半ば無視して、シルヴィアが肩越しにファルの様態をうかがってい
る二人に話しかけた。

「どう?」

 シグルーンの顔も蒼白だった。

「……近くに、病院ある?」
「あ、あたし知ってる」

 ジーマが即答した。

「急がないと。すぐ運びましょう」
「それじゃ」

 ルーがファルを抱き上げる。

「気をつけて。あまり揺らすと」
「わかってる」

 少女たちの見事な連携。
 チョルラがリムリアに問いかけた。

「彼のご両親とか、お知り合いをご存知?」
「え、あの、あの……」

 しどろもどろに、やっとヒルダと劇場の名前を思い出す。

「それじゃあたし、すぐ行ってくる」

 ティロルがもう走り出していた。
 誰もが既にそれぞれの役割を果たしていた。

「とにかく、一緒に病院へ行きましょう」

 年長者らしく、シルヴィアがリムリアの肩を優しく抱いて誘導する。

 どういうことなのか、なんとなくわかる。
 恥ずかしさと、小さな怒り。
 だけどそれを追いかけられない。
 そう、今はシルヴィアのいう通り、ファルの後を追おう。

 リムリアはふと、自分の手のひらを見つめた。
 ファルの、今だ消えないぬくもりが残ってる。

 なに?
 一体、これって何

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

「あたしの、せい?」
「違います」
「でも、あたしがファルをあんなに連れまわしたから」
「リムリアさんのせいじゃありません。……来るべき時が来ただけ、です」

 ヒルダの沈痛な表情。確かに彼女が嘘を言っていないのはわかる。
 でも、最後のたがを外したのは自分なのだ。
 リムリアはその事実から逃げられない。
 そしてヒルダもまた抗弁できない。だから、ただ真実を暴露するだけだ。

「ファルは……そういう身体なのです。昔から……」
「昔から、って……あなた、わかってて? それなのに」
「止めても聞く人じゃありません」
「そういう問題じゃないでしょ? あなたそれでも!」
「わたしとファルとは……」

 ヒルダはそれに続く言葉を飲み込んだ。
 リムリアにもその理由がわかる。だから深く追求できない。

 なんでよ。なんでこうなっちゃったのよ?

 今、ファルは処方を受けて眠りについている。
 しかし、彼がいつ目覚めるのか、誰にもわからない。
 それどころか、目覚めることがあるのかどうかすら定かではない。

 全ての感情の消え失せた表情で横たわるファル。
 そのベッドの横に並んで座る二人の女性。

 三つの息吹から生み出される二つの苦悶。
 この病室を満たすものは、ただそれだけ。

「……十年前からわかっていたのです。むしろ今までもっていたのが不思議なくらい」
「そんなに?」
「演劇学校で初めて彼に出遭った頃は、こんな風によく倒れてました。本当にそのまま
目覚めないんじゃないか、って思うくらい酷い時もあって。五年前に一番酷い発作があ
ったんですけど、その時は何とか助かったんです。でもお医者様が言うには次が本当に
最期だと。それまでは普通の人と変わらない生活が送れるだろうけど、もうそれがいつ
起こっても不思議じゃない、と」
「ファル……さんは、知ってたの?」
「もちろん。……ふふ、それなのにね、ファルったら笑ってましたわ。自分がもうすぐ
死ぬんだと知らされても。だったら、もっと一生懸命頑張らなきゃって。本当に、見て
てこっちが死にたくなるくらい一生懸命仕事して。彼が爆弾抱えてるのなんてすっかり
忘れてしまうくらい。本当に、ついさっきまで忘れてて……もうそんな時なんて二度と
こないんだなんて思い込みたくなるくらい」

 ヒルダは組んだ両手を額に当て、うつむいてしまう。
 語尾が震えていた。嗚咽が漏れそうになるのを必死で抑えているのがわかる。

「……この一ヶ月。ファル、本当に楽しそうだった。これまでにないくらいいい仕事が
できてたし。どうしてかと思ってたけど、この前あなたが訪ねてきてなるほどって思っ
たわ。そう、もしかしたら彼は、あなたに会うために今日まで頑張ってたのかも」
「そんなこと言わないで下さい! そんなこと言われたら、やっぱりあたしが悪いみた
いじゃないですか。まるであたしが……ファルの死神だったみたいじゃないですか」
「あなたを責めてるんじゃないわ。むしろ感謝してる。だって『あなた』だったんだも
の。ファルが本当に会いたかった人に会えたんだもの」
「やめて! やめてよ!」

 ガタン。
 椅子から立ちあがるリムリア。そして叫んだ。

「あたしは『リル』じゃない!」

 先に、リムリアの瞳から涙があふれてきた。
 それを見てしまったヒルダは、泣きたくてももう泣けない。

「……ごめんなさい。でも、あなたがファルと出遭ってくれたことで、ファルが救われ
たのも確かなの。このまま誰にも何にも残すことなく眠るだけだとしたら悲しすぎて」
「あたしに、それを背負えっていうの?」
「……」
「なんで? なんであたしなのよ? あたしはもう、これ以上……」

 わかってる、こんなこと言ったって仕方ないこと。
 でも。

 誰か助けてよ。
 いや、こんなの。

 リムリアの嗚咽。
 ヒルダの沈黙。

 小さな啜り泣きが、次第にその間隔を開けていく。
 そして、泣くのに飽きたかと思えるほどの静寂が過ぎた時、ヒルダが語り出した。

「わたしもね、昔は脚本家を目指してたの」

 リムリアは応えない。
 億劫だった。
 今は何も心を揺さぶらない。

「故郷の町じゃ結構有名だったのよ。神童だって。子供の頃から作文はうまかったし、
作ったお話を祭りで上演したりして、いい気になってたものよ。だからライザッハに来
ようって思った時も、全然心配なんてしてなかった。誰だって私のことを認めるに決ま
ってるんだから、って」

「……ふふ。でも演劇学校に入って驚いた。お話一つ書くのに、お芝居一つ作るのに、
実はこんなにたくさんの『もの』が必要だなんて思わなかったんだもの。知識とか道具
とか経験とか人間関係とか。そして一番大事なものが一つ。それは『才能』。神様って
ホントに残酷よね。いくらそれを望んでも、決して手に入らないようなものをこの世に
創っておくんだから」

「努力が全てを解決するなんてお題目、ここじゃ何の意味も持たないわ。確かにね、積
み重ねの上にのみ築くことができる成果も存在するわ。でも真の『才能』っていうのは
選ばれた本当に一握りの人にしか与えられていないの。能力と才能は全く違うってこと
を、人はなかなか認めたがらないんだけど、それは大抵、本当の才能に出会ったことが
ないから。凄い能力なんていくらでも転がってるわ。だから人は、凄い才能も能力の向
上によって実現できるなんて勘違いするの」

 それがなんなのよ。
 能力も才能も、それが違うからってあたしに何の関係があるの?

「……ファルに出会って、ファルの作品を見て。技術は稚拙で、わたしの方がずっとま
とまりのいいものを作れるのはすぐわかった。でも、わたしには彼のような作品が決し
て作れないということもわかった。わたしが作るのは、今この世界にあるお芝居の中の
一つ。でもファルは、新しい世界の物語を手掛けられる才能を持ってた。それが認めら
れるかどうかはわからないけど。衝撃だった、これが才能なんだって思い知らされた」

「卒業の時、わたしにはいろんな所から引きが来たんだけど、ファルには全然こなかっ
たわ。どうしてかと思ったけど、担当の人から話を聞いて納得したの。この世界で求め
られるのは、モノをきちんと決まった枠組みの中で作り上げる能力であって、当たるか
どうかも判らない才能なんかじゃないってこと。わたしはこの世界に失望した。そして
ファルがやっと認めてもらえた小さな劇場に一緒に入ったの。ファルの作品がいつか人
々に認められるように、その助けになろうと思って。……だってファルってこの通りの
人だから。自分で自分の才能を認めさせることを、なかなかできない人だから」

 ヒルダの横顔が、リムリアには一瞬、鏡に写った自分の顔に見えた。
 だから訊くつもりは無かったのに、心の奥底に沈めていた問いが口をついて出た。

「ヒルダさんは、ファルさんのことを好きなんですか?」

 それこそが、訊いてはいけない言葉だった。
 ヒルダはリムリアから顔を背る。
 そして今度こそ耐えきれずに泣き出した。

 号泣だった。

 居た堪れない。
 リムリアにできるのは、そこから逃げ出すことだけ。

 静かに部屋から出る。
 そっと扉を閉める。

 そこに、セイルがいた。セイルだけがいた。
 皆がわざわざセイルを呼んでくれたのは明らかだった。
 そして二人きりにしてくれたのも。

 愛しい人の顔を見て、リムリアの何かが途切れた。

 その夜、実に半年ぶりに、彼女は愛しい人の体温を感じて眠った。
 しばらくの間、彼女は探索のメンバーから外れることとなる。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 既に攻略の糸口を見つけたセイルたちにとって、課題は時間だけだった。

 結界維持のコツを掴んでいたパッティの少女たちの協力もあって、探索は驚くほど迅
速に進んだ。リムリアの脱落は確かに痛かったが、それをサポートできる能力と経験を
身に付けていた少女たちは、リムリアに心理的負担をかけまいと、皆彼女の穴を埋める
以上の成果を挙げた。

 魔神の攻略第一で迷宮構造の探索に余計な時間をかけなかった事もあり、わずか一月
で、当の魔神に相対する直前まで来ていた。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 リムリアは。

 ヒルダと共に、眠ったままのファルの看護を交代で行っていた。
 だがファルの目覚める様子は無い。
 それどころか、彼が次第に衰弱していくのは明らかだった。

 駄目か。

 二人の心を絶望が侵食していく。
 それでも彼女たちは、奇蹟を信じて世話を続けた。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

「ゴメンね、みんな」
「いいってば。お互い様でしょ」

 シグルーンがリムリアに言う。
 アーハイムの時と逆ね。
 それを思いだし、二人はぷっと苦笑した。

 ファルを見舞うリムリアを見舞いに来た仲間たち。
 魔神との決戦は明日に迫っていた。

「明日はあたしも」
「いいってば。あなたはファルさんを看てあげて」
「でも……」
「そうよ、あたしたちをバカにしないでよ」
「リム一人いなくたって全然大丈夫なんだから」
「あー、それってヒドい」
「でもホントだもんね。ねえシグ」
「ホントよ。だからこっちは気にしないで」
「……ありがと。ゴメン」

 リムリアとて、彼女たちの気遣いを無にするつもりはない。
 そんな安堵の表情を見て、シグルーンが続けた。

「真面目に、そろそろこういうことを考えてもいいかも」
「なにを?」
「余裕ができてきたから。交代で休みを取るようにしてもいいかな、と」
「でも、そんなに時間があるわけじゃ」
「そんなこと言ったって、なるようにしかならないわよ。むしろ、セイルの負担を減ら
してあげられるかもしれないし。彼って余計な気を回し過ぎなんだから」
「……そうね。そうかも」

 皆が、眠り続けるファルに視線を向けた。
 もしかしたら、セイルがこんな風になるかもしれない。

 それだけは絶対に嫌。
 だからあたしたちも無理はできない。そう見られちゃいけない。

 大変だけど、辛いけど。
 もし本当にそうなるくらいなら、今のほうがずっと幸せだもんね。

「でも、本当に大丈夫なわけ、あっちの方は?」
「大丈夫でしょ? もうヤツの包囲陣は完成してるもの。力もアーハイムのヤツより下
みたいだし」
「油断禁物よ。仮にも魔神なんだし」
「わかってる。実際、あいつらなにしでかすかわからないものね」
「もう幻惑の方は平気なわけ?」
「ライザたちがシーラのフォローもしてくれてるんで、今はこっちが逆干渉してるくら
いよ。大丈夫。なんとかなるわ」
「わかった。お任せします」
「お任せされます」

 シグルーンが自分の言葉に笑う、皆も。
 リムリアもつられた。この部屋に入り浸って、久しぶりに笑えた。

 病室ということで、一応は声を抑えて会話を楽しむ少女たち。
 その時である。リンスとシグルーンの会話に、ふとリムリアの興味が引かれた。

「……それってどういうこと?」
「うん、今は魔神攻略が最優先で、地下のどうでもいいところは無視してるんだけど」
「あのねあのね、地下五階って面白いんだよ。ちょうど左右対称になってるの」
「ふーん」
「片方には全然魔物とかいないのよ。だからあっという間に探索終わっちゃって。一番
奥の扉を開くと広間があってね。結局何にもなかったけど」
「でも扉になんか書いてあったじゃん?」
「うん、シルヴィアに調べてもらった」
「なになに? 何だったの?」
「この地方の古代語で、なんでも『奇蹟の徴』っていう意味だって」
「きせきの、しるし!?」
「へえ〜。ここの伝説と同じじゃん」
「そう。でも何もなかったでしょ。シルヴィアの言う事には、昔、まだ魔物がそんなに
いなかった頃の神事の場所だったんじゃないかって。まあ昔話よね」
「ステージみたいなものかな?」
「そうね」
「昔はあたしみたいな子が歌を歌ったりしたのかな?」
「ふふ、そうかも」

 リムリアの心がざわめく。
 なんだろう、これ?

「……で、反対側の同じ場所が魔神の居場所だったってわけ。敵は多かったけど、道が
わかりやすかったんで助かったわ」
「うんうん、こういうこともあるよね」

 奇蹟の徴。全ての願いを叶える秘宝。
 もしそんなものが本当にこの世にあったら。

「……リム、どうしたの?」
「え? う、うん。なんでもない」

 そう? シグルーンたちもいぶかしげに思ったが、特に追求はしない。

 じゃあそろそろ。
 うん、ありがとね。気をつけて。

 そんな言葉を交わして皆が立ち去る。
 一人残されたリムリア。

 眠り続けるファルの顔を見つめる。

「『奇蹟の徴』、だってさ」

 改めて口にその言葉を出すと、リムリアは奇妙な現実感を覚えた。
 それは確信だった。

 『奇蹟の徴』は実在する。

 それがあれば。
 それさえあれば。

 リムリアはヒルダに連絡を取った。
 明日一日、ファルをお願いします、と。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

「リム!? どうして来たの?」

 シグルーンが、バルキリーの戦闘服姿に身を包むリムリアを見て驚きの声を挙げた。

「やっぱり最後だしね。皆と一緒に戦いたくて」
「ファルさんは?」
「大丈夫、ヒルダさんが看てくれてる」
「でも……」
「お願い、今回はわがまま聞いて」

 リムリアの真摯な瞳。シグルーンは拒否できない。
 そこにセイルがやってくる。リムリアを認めて近づいてくる。

「今日は、お願いします。セイル」
「いいんですか?」
「はい」
「……わかりました。こちらこそよろしく。助かります」

 セイルはにっこりと笑った。
 ちょっとだけ、心の奥がちくりと痛む。

 ごめんセイル。今日だけは、あなた以外の人のために戦うね。

「それじゃ……今日もいつものように、チョルラさんたちと一緒に」
「うん、わかった。道案内、よろしくね」
「お任せ下さいませ。リムリアさん」

 チョルラはまるで、リムリアの真意を知っているかのような優しい笑みで応えた。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 仲間たちが切り開いた安全路を通って地下五階まで降りる。

 あちこちに、生々しい死闘の跡がうかがえる。
 リムリアはその一つ一つを心に刻み込む。
 自分が迷惑をかけた仲間たちの苦労を決して忘れまいと。

 苦もなく、地下五階に到着する。

 そこで一同はパーティ毎に分かれる。リスク分散のためである。
 魔神の部屋までの経路は幾通りか確保してあり、万一の事態に対応できるよう各地点
での安全確認を行っておく必要があったのだ。

 リムリアのパーティもまた、その一つを進んでいく。
 第一の陣に到着する。今のところ何の問題もない。

 いったん休憩を取る。
 そしてリムリアはパーティの仲間を振り返った。
 何かを言おうとする。でも、一度戸惑ってしまう。
 迷いを振り切るように頭を一振り。
 そして再度、口を開こうとするリムリアを、チョルラが制した。

「後は、大丈夫でございますことよ」

 チョルラは、そう言ってくれた。
 後ろからティロルが進み出て、一枚の紙切れを渡してくる。

「これ、シルヴィアさんが。五階の地図ね」

 現在地と、リムリアの目的の場所がよくわかるように描いてある地図。
 参ったな。全部お見通しか。

「正直、お役に立つかどうかわからないんですけれど」
「でも、リムが納得できるようにしてくれればいいよ」
「だいじょーぶだいじょーぶ。へいきだよー」

 わかってるのかわかってないのか、相変わらずの能天気で笑うアルピナ。

「ごめんみんな。最後まで迷惑かけちゃって」

 思わず泣き出しそうになる。
 みんな、ホントに優しすぎるよ。

「リムリア?」

 チョルラが、時々見せる歳相応の大人びた落ち着きで語りかけてくる。

「時にはね、好きな人より友達のほうを大事に思う心があったっていいんですよ」

 意外な言葉だった。でもそれは今のリムリアにとって一番嬉しい言葉。

「生きていれば、いつかなんとかなります。だから」

 リムリアは、仲間たちに向かって精一杯頭を下げた。

「……ありがと。ホントにありがと」

 涙を見せたくない。
 だからそれに気づかれないようにさっと背を向けた。

 くもってよく見えない地図を凝視する。
 うん。道はわかる。
 行こう。

 暗闇の中に消えていくリムリアの背中を見送りながら、ティロルがつぶやいた。

「ホントにあると思う?」
「神のみぞ知ることです」

 いつの間にかイヤリングを外していたアルピナのマジな言葉に、チョルラとティロル
は思わず言葉を失った。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 幾つもの玄室を通りぬける。
 幾つもの扉をくぐりぬける。

 迷路などというのもおこがましい単純な道筋。
 シグルーンたちが言っていたように、敵の姿もない。

 彼女は全力で走る。
 一刻も早く、一刻も早く、一刻も早く!

 そして。

 それまでの扉とは明らかに違う、一つの大きな扉の前に立つ。
 何か書いてある。
 彼女には読めないはずなのに、なんて書いてあるのかすぐわかった。

 『奇蹟の徴』。

 荒ぶる呼吸を整える。
 一つ、深呼吸。
 そしてしっかりと扉に手をかけ、力を入れる。

 音もなく、それが開く。

 そこは広間。
 何もない広間。
 何の変哲もない、何の仕掛けもありそうにない、ただの広間。

 でもリムリアにはわかる。
 いる。誰かいる。
 誰だかわからないけど、多分誰だか知っている。

 だから叫んだ。

「いるんでしょ! 出てきて!」

 静寂を震わせて広間を満たす響き。
 けれど、応えるものは何もない。

「お願い、出てきて。応えてよ!」

 何度も何度も叫ぶ。
 応えるものは何もない。

「あなたの力が必要なの! あたしに力を貸して!」

 応えるものは何もない。

「お願い、あたしに!」

 リムリアの足が、無意識のうちに広間の中央に差し掛かる。

「あたしに、『奇蹟の徴』を見せて!」

 叫びと、彼女の足が広間の真中央を踏みしめるのとが全く同時に起きたその時。
 奇蹟が起きた。

「!?」

 突然、彼女の足元から光が発した。
 それは一気に一つの模様を描き出す。
 シーラの持つ第参の封印、その『反転模様』。

 リムリアが声を挙げる暇もなかった。
 彼女は光に包まれ、そして消えた。

 当時に、床に出現した模様もまた、何一つその痕跡を残すことなく消滅していた。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 セイルたちは眼前に龍を見つけた。
 全身が水の鱗に覆われた一匹の龍。

 まぎれもなく、それは魔神だった。
 うずくまって眠っている様に見える。
 それでも、存在の発する波動の強烈さはセイルたちの心胆を寒からしめた。

 セイルたちは怯まない。
 初めてではない。自分たちはもう「この恐怖」と幾度も対峙しているのだ。

 全員が所定の行動を取る。配置に着く。
 セイルが腕を挙げた。手が頭上で止まる。
 少女たちは、それが振り下ろされる瞬間を待った。

 その時。

 突然、彼らの眼前に水の壁が出現した。
 彼らをして、回避行動を取る余裕すら与えないほどの完璧な奇襲だった。

 全員がその水に囚われる。
 呼吸ができない。
 苦しい。

 セイルたちは罠に落ちたことを知る。
 でも何故?

 後ろで、シーラが倒れているのが見えた。
 何故気づかなかったのか。彼女の力が失われていたのだ。
 つまり、最後の最後に彼らは魔神の幻惑に陥っていたのである。

 セイルたちは知らぬ。
 その時、入り口で結界を張っていたライザたちもまた気を失っていたことに。

 魔神が最後に取った手段。それはセイルたち戦闘員ではなく、ライザたちの方を無力
化することだった。今魔神たちの力を制している実体は彼女たちである。それを悟った
生き残りの魔神たちは、現在使える力の最大値を持って、同時に彼女たちに力を発した
のである。
 いくら慣れてきているとはいえ、四体の魔神の同時干渉に耐えるには、彼女たちは普
通の人間でありすぎた。死ぬわけではないが、しばらく気を失うくらいは覚悟する必要
がある。

 魔神側にとっては、それで十分だった。

 仲間の補助を失ったシーラは、眼前に何の障害物もなく存在する水龍の波動をまとも
に受けてしまう。彼女の意識が遠のくと共に、対抗封印の力も減少する。それは水龍に
最後のチャンスを与えたのだ。

 セイルたちは残らず、その力に囚われた。
 後悔しても遅い。

 感情を整え、魔神の力に対抗しようとするセイルたち。
 だが既に意識すら奪われつつある。
 このままでは。

 しかし採り得る手段は何一つ存在しない。
 彼らの命運は尽きていた。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 そこは、小さな山間の村だった。
 なんとなく見覚えがある。自分が何者なのかという記憶がある。

 あたしの名前はリル。病気がちの母親と二人暮し。
 どこにでもいる女の子。
 夢は母さんの病気を治すこと、そして素敵な男性と出会って恋をすること。

 嘘。
 それは偽りの世界。
 物語の中の、現実には決して存在しない世界。

 リムリアにはそれがわかる。
 でも、自分がリルであることも知っている。
 だから彼女にはわかった。「彼」の居場所が。

 村にあるただ一軒の宿屋。
 一階の、酒場を兼ねた食堂の扉を開けた。

「リル!?」

 予想通りの声だった。そこには、ファルがいた。
 入ってきた少女の姿を見た途端、彼は飛び跳ねるように立ちあがって少女に抱き付い
てきた。最初に出遭った時と同じように。

「リル、リルだよね! よかった、ホントにいたんだ……あ?」

 彼の表情が、ゆっくりと失望の色を浮かべる。
 少女の肩を掴んでいた手から力が抜け、彼は残念そうに椅子に腰を下ろした。

「ごめんなさい、人違いでした。……あ、でも」
「やっぱり、わかっちゃうんですね」

 少女の言葉に、再度ファルは驚きの表情を浮かべた。

「もしかして、リムリアさん? どうしてあなたがここに?」
「ねえファル」
「……はい?」
「一緒に、『奇蹟の徴』を見つけに行きましょう」

 ファルは驚きと嬉しさの表情を交互に浮かべた後、しかし悲しみを瞳に宿らせた。

「ありがとう。でも……」
「でも?」
「君は、リルじゃない」
「わかってます」
「だったら」
「違うのファル。『奇蹟の徴』を求めているのはあたし、リムリア=キャラウェイよ。
あなたの物語の主人公じゃなくて、あたしが、自分の願いを叶えるために『奇蹟の徴』
を求めているの」
「……」
「はっきり言って、ずうずうしいお願いよね。勝手にあなたの世界に入り込んで、自分
の願いを叶えようとしてるんだもの。でもお願い。あなたの協力が必要なの。あたしを
助けて。一緒に冒険して」

 ファルはしばし戸惑った後、苦笑いするように応えた。

「わかりました、僕の力の及ぶ限り。でもリムリアさん。一つ質問していいですか?」
「はい?」
「あなたは『奇蹟の徴』で、どんな願いを叶えるつもりなんですか?」

 リムリアの瞳と、ファルの瞳が正面から向かい合う。
 全てを覗き込まれてしまうかのような深い輝き。

 多分、彼は答えを知ってる。
 あたしが自分で言わなくちゃいけないことも知ってる。
 でも今は言いたくない。今言っちゃったら、彼は多分。

 そんな感情のうつろいすら見透かしたのだろうか。
 ファルはにっこりと笑って答えを求めるのを止めた。

「いいんですよ。……それじゃ、さっそく行きましょうか」
「え?」
「冒険するんでしょ? 『奇蹟の徴』を見つけに」
「は、はいっ!」
「僕の造った物語は半端じゃないですよ。覚悟はいいですか?」
「もちろん。あたしを誰だと思ってるんです?」
「誰なんですか?」
「……あはは、そうか。ファルは知らないんだね。あたしこれでも、魔神と戦ったって
勝てるくらいの力があるんですよ」
「ふふふ。それは頼もしい。じゃあ行きましょうか」
「ええ!」

 宿を出ると、すぐそこに洞窟の入り口があった。
 あははっ。さすが物語。ご都合主義よね。

「それじゃあ、まずは……」

 ファルのつむぐ言葉が、次々と現実としてリムリアに襲いかかる。

 なるほど、ファルの考えることってまともじゃない。
 これってある意味面白いけど、一般受けしそうにないわよ。

 ヒルダさん、あなたも大変ね。

 次々と襲いかかる様々な力を持った魔物たち。
 幾つもの謎の果てにようやく手に入れるアイテム。
 複雑に入り組んだ迷宮。そこここにしかけられた罠やゲート。
 冒険の中で出会うキャラクターたち。心に残る言葉と振る舞い。

 そして、冒険の中で育まれる二人の関係。

 楽しかった。面白かった。
 そう、これが物語。
 普通の人は決して体験することのない、刺激と感動に満ちた「もう一つの現実」。

 そして。

 一体どれだけの時間が経ったのか。
 一体どれだけの戦いを経てきたのか。

 二人はついに、『奇蹟の徴』を手にする。
 それは、小さな豆粒ほどの大きさの、クリーム色ににぶく輝く真珠。

 リムリアは、ファルと一緒にその輝きを握り締める。
 これで、願いが叶う。

 目の前に扉が現れた。

 あたしにはわかる。
 この扉を通れば、願いが叶っている。

 さあファル、一緒に行きましょう。
 これであなたも、自分の願いを叶えられるのよ。

 リムリアはファルの手を握り締めて、その扉へ向かおうとした。
 だが、彼は動こうとしない。

 なんで?
 行こうよ一緒に。あの扉の向こうへ。
 あたしたちの求める世界へ。

 その時。
 リムリアは気づいた。

 ファルの後ろに人がいる。
 一人の少女がいる。
 どこかで見た少女。いいえ、いつも鏡の中で見ている少女。

 リムリアの驚いた表情と視線に気づき、ファルが後ろを振り返った。
 そして、リムリアが初めて耳にする、彼の本当に嬉しそうな声を聞いた。

「……リル。ほんとうの、きみなんだね?」
「はい」

 少女はにっこりと笑い、リムリアの方へと歩いてきた。
 ファルの手を握り締めるリムリアの手に、自分の手を重ね合わせる。

「ありがとう、リムリアさん。私の代わりにファルさんをここまで連れてきてくれて」
「え……あの……」
「でもね、これは私とファルさんの物語なの。物語の結末を導くのは私たちの仕事。私
は、私の力でそれをなし遂げたいの」

 そう言って、リルは二人の手を解く。
 彼女は創造主であるファルに向かってこう言った。

「ファルさん? ファルさんは私にいろんな体験をさせてくれました。人との出会い、
成長、悲しみ、苦しみ、友情、裏切り、そして恋。そうしたすべてのものを越えた後、
私は、私自身の道を選ぶ力を手に入れたんです」

 両の手のひらを上に向ける。
 なにかをすくい取るように、それをファルに見せる。

「そう、私はこの手で、自分の未来を掴み取れるんです。だから私は、私の物語の結末
は自分で選び取りたい。……そうでしょう、ファルさん?」

 自分の愛娘を見るように優しい瞳。
 それはリムリアに、自らの父の瞳を思い起こさせた。

「ああ、好きにおし。リル」

 それは父が、セイルと一緒に旅に出ることを告げた時に言ってくれたのと同じ言葉。
 突き放した言葉では決して無い、慈愛と信頼に満ちた言葉。

 自分を、一人の人間として認めてくれた言葉。

 そしてファルは、リムリアにそっと『奇蹟の徴』を渡す。
 リムリアは驚いてそれを返そうとした。だが。

「リムリアさん、これはあなたが手に入れたものです。あなたにとって必要となるもの
です。あなたが、あなたとあなたの仲間たちとの未来を作るために必要となるものです
よ。ですから」
「あたしの、未来?」
「覚えてますか、僕の言葉。今リルも言った言葉。未来って、本当はこんなモノなんか
で手に入るものではありません。自分の手で掴み取るもの、いや、自分の手の中にある
なにかを見つけること、それが未来なんです。……あなたにもその力はあります。だか
ら大丈夫。この『奇蹟の徴』なんてただのシグナルに過ぎません。あなたが信じれば、
心の底から信じれば、奇蹟はきっと起きます」

 ファルはリルと手を繋ぎ、リムリアに背を向けた。
 そして今までたどって来た世界へと戻っていく。

「ファルさん!」

 引き留めたかったけど、引き留めていいのかどうかわからない。
 でも、この言葉だけは。

「ファル! ヒルダさんは!?」

 ファルの歩みが止まった。
 うつむいている。迷っているようにも見える。
 でも、振り返ったその顔に曇りは無かった。

「大丈夫。彼女もまた、『奇蹟の徴』を持つ人ですから」

 ……ずるいよ。そんな。
 あたしたちの心に、勝手にそんなもの残して。

 バカ。馬鹿野郎。大馬鹿野郎。
 だからそう言ってやる。

「……さようなら」

 誰にも聞こえないくらい小さな声。
 だけと二人には聞こえたらしい。
 遠くで、二人して手を振ってる。

 バカ。

 もう見えない。誰もいない。
 何にも無い世界。最初っから、きっと何も無かった世界なんだ。

 なのに、なんであたしの後ろには、こんな扉があるのよ。

 もうやだ、こんな世界。
 さっさと出てってやる。
 あたしは、あたしの世界に戻るんだ。

 セイルたちのいる、あたしの世界に戻るんだ。

 リムリアは、そのぽつんと立つ扉に手をかけた。
 取っ手を握る。
 回そうとする手が震える。そう、回してしまえば最後。
 本当に最後。

 後ろを振り向きたかった。
 もしかしたらそこにはまだ、ファルがいるかもしれないから。

 でも。
 ファルの本当に満足そうな顔が見れたから。

 最後の力をこめた。
 あっけなく、扉が開く。

 光が満ちた。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 セイルの意識も限界だった。
 既に幾人かの少女たちの抵抗も尽きている。

 助けなきゃ。
 でも、己の身一つままならない。

 くやしい。
 こんなところで。

 その時。
 奇蹟が起きた。

 対面の水壁の向こうに、突然光の球が出現した。
 それは大きさを増す。人の形を作る。

 パン、とその光がはじけた。
 そこに、リムリアがいた。

 リムリアさん? どうして今ここに?
 いや駄目だ、来ちゃ駄目だ。
 せめてあなただけでも。

 勿論、魔神がそれを見逃すはずが無い。
 水壁から放たれた水流が彼女に向かって襲いかかる。

 やめろ!
 ところが。

 リムリアの正面に、水面の波紋のような揺らぎが生じた。
 それが一気に、襲いかかる水流を飲み込んだのだ。

 驚く魔神。
 セイルも、そこまで確認するのが限界だった。
 意識が遠のいてゆく。

 その時、リムリアが行動を起こした。
 目にも留まらぬ早さで突進。
 そして何かを掴んでいるかのようなこぶしを、水壁に叩き付けた。

 瞬間。

 水壁が一瞬にして弾け散った。
 大量に存在していたはずの水そのものが、一瞬にして消え去った。

 ごほっ、ごほっ。
 かろうじて意識をたもっていた幾人かの咳き込み。
 その脇をすり抜けるように、リムリアは水龍に向かってまっすぐ歩いていく。

 水龍が、残された力を振り絞って彼女に攻撃を加える。
 その全てが、彼女の周囲に発生する波紋によって遮られた。

 水龍はその時ようやく思い出す。

 一千年前。
 全く同じ力で自らを封印した少女の存在を。

 自らの力が失われる直前、最後の魔力でこの世界から弾き飛ばしたはずの存在。
 その力が復活している。

 『自らと全く同じ力を持つ存在』、その象徴。
 自分に向かってくる少女の手に、それが握られている。

 水龍は。
 もし感情というものが存在するのなら、水龍は絶望した。

 だから。
 目の前に立った少女が、己の眉間に剣を突き立てるまで、何もできなかった。

 むくろとなった魔神の前に立ち尽くすリムリア。
 しばらくして、ようやく意識を取り戻した仲間たちが彼女の元にやってくる。
 でも、彼女たちの誰一人として、リムリアに声をかけられなかった。

 リムリアは、小さく嗚咽を漏らしながら、涙を流しつづけた。
 ずっとずっと、涙を流しつづけていた。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 『Stein=Farm ここに眠る 享年29歳』

 月の光が明るく照らす墓碑銘。
 既に旅装束のリムリアは、持参した花束を墓前に捧げた。

「ありがとう、こんな時間まで」
「いえ……あたしも、またすぐ次の旅に」

 人目につかないように、旅立ちは夜。
 ヒルダが苦笑した。

「みんな、次のお芝居の準備で忙しくて」
「しかたないですよ。でも皆さん、本当にファルのことを慕ってくれてたんですよね」
「……うん」

 次にアレナ劇場で上演されるお芝居のタイトルは『奇蹟の徴』。
 リムリアに、それを見るまでライザッハに滞在する時間はない。
 でも何も心配していない。きっといいお芝居になる。
 だって。

「脚本、頑張って下さいね」
「八年ぶりよ、こんなこと。期待されたって」
「ううん、ヒルダさんならできるわ。皆そう言ってるじゃない」
「そんなこと言ったって……」

 と、リムリアがヒルダの手を取った。
 ヒルダの手のひらを上に向けて、そこに自分の指を当てる。

「大丈夫。あなたはここに、未来を持っているんですから」
「? ……あ」
「夢を信じること。それが、『奇蹟の徴』。そうでしょ?」

 ファルが生前、ヒルダに託しておいた遺稿。
 その一節を思い出して、ヒルダは微笑んだ。

「そうね」
「ファルさんが言ってました。ヒルダさんもまた『奇蹟の徴』を持つ人だって。だから
大丈夫。ファルさんは、いつだってここにいますから」

 二人の手が、ぎゅっと握られる。
 リムリアは、ファルから与えられたぬくもりをヒルダに手渡した。

 もちろん、それは錯覚。
 でも信じよう。これも奇蹟の一つだって。

「それじゃ、またいつか。きっと、絶対絶対、またこの町に来ます。その時に」
「うん。……本当にありがとう。リムリアさん」

 笑顔で去っていくリムリア。
 その背中を見て、ヒルダははっと気づいた。

 なんてあの娘、物語の科白知ってるの?
 それにファルの言ってたことって?

 ヒルダはリムリアを呼びとめようとする。
 その時。

 墓地の出口に、一人の青年がいた。
 少し離れて、幾人かの少女たちがいる。
 そう言えば彼女たち、時々病院にも来てた。
 あの娘のお仲間さんたちなのね。

 リムリアが、先頭の青年に寄り添う。
 一目でそういう仲だとわかる、そんな距離。
 青年は恥ずかしそう。
 ふふ、若いっていいわね。

 月明かりの下、遠ざかっていく二人。
 ふと、ヒルダは自分の目を疑う。

 それは、ファルと、ファルの物語の主人公、リルに見えた。

 数歩を踏み出す。
 手を前に伸ばし、それを掴もうとする。

 でも。

 やっぱりそれは夢。
 どこにでもいる少年と少女。

 ヒルダは、自分の手のひらを見つめなおす。
 さっきの、少女のぬくもりがまだ残っている。

 変なの。

 勇気がわいてくる。
 ファルを失った悲しみ。それを力に変える勇気が。

 そう、私が、あの娘たちが。
 ファルを覚えている限り、ファルの夢は叶えられるんだ。

 それが奇蹟。
 「物語」という、夢の魔法の奇蹟。


                    2000.2.28

                    The First Chapter, 2nd Story :
                    "Mahou no Signal"
                    written by Sayah=Otokami