「ねえ、あれがそう?」 はしゃぐように先頭を歩いていたリンスが、峠の頂きに立って後ろを振り返りながら 叫んだ。後れてそこに立ち登ったシグルーンが、リンスの指し示す先にある大きな町と その中心にそびえる、四つの塔を随えた白亜の城郭を認め、表情だけは笑って応えた。 「そうよ。あれがアーハイムの町、そして……」 「アーハイム城、大陸全土にその名をとどろかす名君、ユネル=ド=アーハイムの居城 というわけね。さっすが、聞きしに勝る壮麗さだわ」 エリスンがシグルーンの言葉を遮るように知識をひけらかせた。残りの少女たちもま た興味深げに駆けより、彼女が自慢げに続ける解説をBGMに、整った町並みと美しい 城の遠望に見入っていた。 (まさか、今ここに戻ってくるなんてね……) シグルーンは自分が輪から外れたのを幸いにと、一歩退いて町並みを改めて見直す。 (そっか、あれからもう七年になるのか) 彼女がこの町を初めて訪れたのが十二の時。国王ユネルの聖誕祭に捧げるリュートの 演奏のためだった。あの時、この国の近衛兵として仕えていた父に連れられ、初めてこ の丘の上に立って見たのと全く同じ風景。 (あの時は、まだ何も知らない子供だった) 郊外の学校で剣の勉強をし、両親やリュートの師から様々な知恵や技術を学び、恵ま れた天賦の才のおかげでどの方面にも優れた成果を挙げ、幼くして近隣にその名を知ら れるに至った子供の頃。増上慢におちいり、恐いもの知らずで王国の要請を承諾してし まった挙句、この巨大な権威の前で自らの小ささを思い知らされたあの日。 それから、いくつもの出逢いがあった。いくつもの別れもあった。 自らの無知を悟り、鍛え直そうと、王国の誘いを振り切って修行の旅に出た。 (そして、この人と出会った) シグルーンは、皆に後れて今ようやく峠を登りきった少年を見つめる。 「着きましたよ、セイル」 少年は、悔しさと悲しさを合わせたような瞳をシグルーンに向け、ゆっくりと眼下を 見渡した。ぎゅっと、その手が握られる。そして彼女にだけ聞こえるように、とても小 さな声でつぶやいた。 「ごめんなさい、またあなたたちを……」 シグルーンの胸の奥が締め付けられる。 結局この人は、いつまでたっても私たちを理解してくれない。 私たちがあなたに付き従うのは、私たちがそれを望んでいるからだというのに。 (自分はまだ、好きになったひと一人の支えにすらなれない) そう、シグルーンにとって、まだ自分の旅の目的は果たされていない。 それなのに、必然であるとはいえ、出発点に戻ってきてしまった。 苦しい。 悔しい。 悲しい。 でも、今はただ、こうするしかない。 ふと、道端に懐かしいものを見つけた。 小さな草花。青い花弁が寄り添うように風にそよぐ。 「私を忘れないで」 その花言葉が、三年前の決心を思い起こさせる。 (そう、忘れちゃいけない。私の誓いを……) |
グナガンはなぜ復活したのか? それは、伝説をひもとけば自明と言えた。 伝説は語る。 五人の「永遠の勇者たち」の物語。 神と魔の争いの下、人はただ翻弄されるだけだった。 力の無い人の身ではどうしようもない天災だった。 幾つもの悲劇が生まれ、避けようの無い犠牲と死が量産された。 その中で、自らを極限にまで鍛え上げた五人の存在があった。 神速の剣技と体術を持つ暗殺者。 神の御技すら防御し得る結界を生み出す白魔術師。 あらゆる物を切り裂く妖刀を駆使する剣士。 岩山すら一撃で破壊する超魔法を操る黒魔術師。 そして、彼らをその人望と力量とで統率した聖騎士。 神魔大戦を終結させるべく彼らが導き出した結論。 それは「五体の魔神を同時に封じること」。 五体の魔神は、各々が互いを補完しあう。 故に、五体の連結全てを同時に破壊しなければならなかったのだ。 術と力を尽くして封の紋を練り上げた後、五人は散じる。 そして各々は協力者となる使徒を四人ずつ得た。 彼らが誓いを立ててちょうど一年後、 五つのパーティは、同時に、五体の魔神を封じることに成功する。 だが、その死闘から生還できたものは一人もいなかった。 今や誰も知らない伝説。 後に「永遠の勇者たち」と呼ばれる魂人(たましいびと)の物語。 だが、やがて伝説はほころびを見せる。 今から百年前。 一体の封印が解けかけた。 その魔神、グナガンの監視の任に就いていたマーティスは、五体の連結を封鎖しうる 力を持つ巫女を全世界から探し当て、召喚した。事態を了承した五人の少女は、グナガ ンに繋がる他の魔神たちの連結を改めて封鎖した後、自らの存在それ自体を「鍵」と変 えて四散し、魔神たちと共に眠りについた。鍵が散じられた巨大迷宮は地脈が生み出す 魔奈(マナ)の堆積によって怪物や魔物の温床となり、もはや全ての鍵を集めることは 不可能となったかに思われた。 が。 決して解かれるはずの無い「パッティの封印」は、一人の少年の強烈な意志と運命の 操り人の巧妙な操作により解除された。それは同時に他の魔神の目覚めを誘い、グナガ ンのみならず、世界各地に封印されていた残りの四体をも覚醒させてしまう。 それは、五体の相互補完が復活したことを意味する。 もはや、単にグナガン一体のみを打倒しても意味が無い。 五体全てを同時に封じなければ、再び地上は地獄を見るだろう。 状況は最悪だった。だが、まだ猶予はある。 復活は未だ完全ではない。それに一千階にも及ぶ地下迷宮それ自体が防壁となった。 (実は、ここには神が配置した封所が幾つか存在した。例えば地下五百階には、マーテ ィスが自らの分身を門番として配していた。これは地下から上層へ上ろうとする存在を 防ぐためのものだった。またこの地下迷宮は、ほとんどの階で訪れるたびに地形が変化 していたのに気付かれただろうか? 実は、各階の連結は物理三次元的なものではなく 異次元を介した四次元連結を成していたのである。それにより、単なる物理的な迷宮の 破壊では攻略できないようになっていたのだ。ただこれらの封印は、既にセイルたちに よって解除されてしまっている) 地下迷宮第一層、五人の巫女たちが復活を遂げたこの階こそが、実はグナガンを霊峰 の地下に封じた際の「最後の蓋」なのだ。ここは階それ自体がある種の防御結界を成し ており、これある限り五魔神の完全なる相互補完は果たされない。 そして一番重要な点だが、グナガンは五魔神の相互補完の「要」だったのである。グ ナガン以外の四魔神は、実は単身では他者との相互補完ができない。四魔神は各々が特 徴的な力を持つが、グナガンを介してのみその力を他者に投射することが可能なのであ る。意思の疎通だけなら自在だが、力の干渉はグナガン抜きでは無理なのだ。だからこ そフラドはグナガンを封じるのに細心の注意を払い続けた。百年前の復活寸前の時、グ ナガンだけを抑えれば事が済んだのもそのためである。 グナガンはパッティの封印から解放された直後、他の魔神たちを目覚めさせ、その力 を呼び込もうとした。だが第一層の結界のために、手下の妖獣たちを増殖させるに足る 程度の力をかろうじて得たに過ぎない。ましてや他の魔神たちに完全な相互補完をもた らすことなど現時点では不可能である。 それを悟った魔神たちは、グナガンの現し身(うつしみ)を物理的に地上まで浮かび 上がらせ、その圧力で最後の蓋を突破させようとしているのだ。地下迷宮が妖獣たちに よって満たされ、グナガンが地上に達するまで、現在のペースでおよそあと一年。その 間に他の魔神たちの力を奪い、巫女の封力によって補完を完全に遮断できさえすれば。 現在のセイルたちには、魔神とわたりあえる力がある。 つまり、今なら各個撃破が可能なのだ。 残りの四体が封じられている場所はわかっている。 状況を理解したセイルに、選択の余地は無かった。 それはまた、この二年間彼と共にあった少女たちを道連れにすることでもあった。 一人で事を成し得るなら彼も苦しみはすまい。 だが結局、彼一人ではどうしようもなかった。 苦悩し、自らを苛むセイル。 そんな彼に少女たちは、一人残らず笑ってこう言う。 「さあ、行きましょ。セイル?」 自分は一体何をしているのだ。 セイルは、自らの果たすべき責任の所在を見失いつつあった。 |
「それじゃ打ち合わせ通りに別れましょうか」 リムリアが音頭を取った。何せ総勢二十名の大集団である(それも男一人に残り十九 名全員女という)。このままぞろぞろ動いたのでは要らぬ誤解を招くだけだ。ここまで くるのにも、町や人通りの多い街道を通るたびに、幾人かの別集団に分かれてきていた くらいである。まあパッティの五人を除けば、全員が一軍に匹敵する能力の持ち主であ るがゆえ、女だけの集団でも危険は「まったく(笑)」なかったのだが。 ぞろぞろと、この数日間で自然発生的に構成された組み分けに別れていく。 が、ふとその動きが止まった。パッティの五人は不思議な顔をしたが、残りの全員は 皆同様に緊張の表情を浮かべた。そして彼らの視線が、町へと続く峠の下から迫ってく る一団に向けられた。 軍隊、いや、騎士団である。 白一色。白馬に乗った白い甲冑の騎士が一部隊。 そして先頭の騎士が掲げる旗に描かれた竜の紋。 シグルーンの表情が激変した。 「アーハイム聖騎士団! それも竜騎士隊!?」 アーハイム王国軍の象徴とも言える国王直属親衛隊、聖騎士団。平時にあっては王都 の治安維持部隊として、戦時にあってはアーハイム王国全軍十二個軍団それぞれの最高 幕僚として国防を司る、王国で最高の知勇と武勲を兼ね備えたエリート中のエリート。 よりにもよって、その筆頭部隊が何故? シグルーンはあの時と同じ戦慄を感じていた。 彼女のただならぬ様子から事態を悟った他の少女たちも、一様に困惑の表情を浮かべ る。説明と指示を求めてシグルーンを見やるのだが、何せ本人がこの有様ではどうしよ うもない。ルーなどは、何なら一戦交えるかとでもいう雰囲気すら漂わせはじめた。 騎士団が近づいてくる。 緊張が高まる。 思わず、幾人かが剣に手をかけた。 その時、彼女たちを遮るように、一同の先頭にセイルが進み出る。 少女たちを後ろ手で制する。そしていかにも代表者らしい態度で騎士団に相対した。 セイルたちの数歩先で、騎馬が足を止めた。 無言。 緊張の限界。 その時、旗手の横手から一人の騎士が馬と共に進み出た。 彼は馬を下り、そして兜を外さないままセイルの前に立った。 セイルより頭一つ高い背丈。 何かを見定めるような視線。 それをたじろぐ事無く見かえすセイル。 騎士が、ふっと笑ったように見えた。そしてセイルの後ろにいる少女たちをみやり、 そこにいたリュートを背負った緑の髪の少女にいったん視線を止めた後、改めてセイル に頭を下げた。 「お迎えに上がりました、勇者たちよ」 絶句するセイル。他の少女たちも。 一呼吸おいて、シグルーンが「あっ」と小さく声をあげた。 それを無視して、騎士が続ける。 「王がお待ちです。これから私たちがご案内致しますので、どうかお続きください」 セイルは、自分が試されているのを悟った。 彼は、ためらう事無く、自分を飾らずに応えた。 「わかりました。お役目ご苦労様です」 騎士は頭を上げ、再度セイルの瞳を見つめた。 そして今度は、心の底からの歓迎を示すような態度で応じた。 「それでは」 騎士は再び騎上の人となり、騎士団の一員となって峠を下り始めた。 迷う事無くそれに従うセイル。 幾人かの少女は戸惑いを見せるものの、すぐに胸を張って彼に従った。 シグルーンはあらためて、自分が好きになった人を誇らしく思った。 道中、幾度か先刻の騎士に話しかけようとしたが、騎士は何も応えなかった。 |
一同は人気の無い町の裏通りを通り、城へも裏門から通された。先刻セイルたちを出 迎えたときにひるがえしていた部隊旗もいつのまにか納められ、甲冑の上には地味な灰 色のマントを羽織って、なるべく目立たないようにしているのが明らかだった。 「申し訳無いのですが、これでも私たちは有名人なもので、それだけで余計な人目をひ いてしまうんですよ」 セイルに笑いながら言い訳する騎士。セイルも屈託無く笑って応えた。 どうせ人目につかないほうが彼らにとっても後々楽なのである。別に否は無かった。 最初に通された部屋は、余計な装飾こそ省かれているものの、十分な実用性と広さを 持った落ち着いた感じのロビーだった。 「ここは、以後皆様がご自由にお使い下さい。会議でも休憩所にでも。後ほどお一人ご とのお部屋に案内させて頂きます。そちらもとりあえずの場所として用意したものです ので、不都合がございましたらその都度おっしゃって頂ければ直ちに善処致します」 セイルたちの案内役となっている件の騎士は、相変わらず兜をつけたままであるが、 少なくともセイルは何の疑念も抱いていないかに見える。だが、その後に続いた騎士の 言葉に一同は色めき立った。 「それでは神官様、王がお待ちです。あなただけこちらへ」 セイルだけを引き離して何をするつもりなのか? 私たちをここに閉じ込めてどうするつもりなのか? 少女たちの心配に対して、セイルは変わらぬ笑みを浮かべた。 「大丈夫ですよ。すぐ戻ります。シグ、後を頼みます」 自分の名を呼ばれて、シグルーンは慌てた。 「そんな、私も行きます!」 そのやりとりを見て漏らした含み笑いを隠しながら、騎士は言った。 「おやおや、王が謁見を望んでいるのは神官様だけなんですけどね」 「え、あ……あの、私、わたしは」 「シグルーン、いいんですよ。大丈夫、なにも問題ありませんよ」 「でも、私は以前王に……」 まるでその先を遮るように、騎士が提案する。 「ふむ、確かに心配かもしれませんね。わかりました。一人だけ付き添いを許可しまし ょう」 そう言われると他の少女たちも黙っていない。なにせあの有名人、ユネル王への謁見 が叶うのである。誰だってこの機会を逃したくないと思うだろう。我も我もという歓声 があがる。早速クジを作りはじめた者までいる。 「ここはやっぱりあたしでしょう?」 「いえいえ、研究者として私が」 「護衛ならやっぱりオレだよな」 「私も……たまには……」 「ンミャ、ゆねるッテ、ソンナニウマイノカ?」 まあ誰が誰とは言わんが(爆)。状況的に蚊帳の外に置かれてしまったシグルーンも、 半ば意地になって参加する。 「あの、私だって……」 「はいはい、シグルーンは自動的に除外ね」 「そうそう、だって一度会ってるんでしょ? 二度もなんて贅沢よねえ」 その一言が騎士に聞こえてしまった。 発言者は「口は災いの元」という言葉をもうすぐ実感することとなる。 「おや、そんな方がいらっしゃるのですか?」 「え?」 「ならば言ってくだされば良かったのに。そういう方ならこちらも安心です。さあどう ぞ、ご一緒に」 「え、え、え?」 ほとんど引きずられるように、一瞬にして部屋の外へ連れ去られたシグルーン。 呆然とする一同。そして最初に我に返ったセイルが、くすりと笑って少女たちを振り 返りながら後を追った。 「じゃあ、少し外します。皆さん喧嘩しないでね」 その後、余計な一言の発言者が集団リンチに遭ったことは言うまでも無い。 まあ誰とは言わんが(爆)。 |
「ちょっと、ちょっと、あの、あの」 パニックに陥っているシグルーンと、構わず引きずりまわす騎士。 そしてセイルが追いついたのを確認して、騎士はシグルーンの手を離した。 「ちょっと……いいかげんにしてください! 別にこんなことしなくても!」 急に騎士が無口になった。雰囲気が変だ。 シグルーンは、何か変なことを言ったかな、と心配になって口調を控えた。 「いえ、あの……だ、だって急に腕を引っ張られたら……誰だって……」 と、突然騎士が吹き出す。 声をあげて笑いはじめた。それこそ、おかしくておかしくてたまらないという風に。 「はあ?」 シグルーンとセイルは、先刻までとまるで違う騎士の様子に付いていけない。 そんな二人の前で、騎士はようやく兜を外した。 「相変わらず生真面目なひとですね、あなたは」 騎士がにっこりと笑う。その顔はシグルーンの記憶にあった。それどころか、つい先 刻までもしかしたらと思っていた顔そのものだった。でも寸前のドタバタで失念してい たのである。 端正な顔。金色の髪。青い瞳。そして均整の取れた肉付きの良い体格。 七年前、幼かった自分が見たのと同じ姿。 王の聖誕祭でリュート披露の大役を仰せつかったは良いものの、いざという時になっ てすくみ上がり、震えていた彼女の前に現れたのがこの人だった。震える少女に、若き 聖騎士はこう諭した。 『あのねシグルーン、君は前に歩くとき、どうする?』 『……足を、動かします』 『そうだねシグルーン。それは、全てのことに共通して言える事なんだという事を知っ ているかい?』 『え?』 『勉強も修行も、歩くことと同じなのさ。一生懸命、自分自身を使って前進する。大事 なのは、自分が道を進む意志があるかどうか。止まっている事もできるけど、それでい いのかい?』 『……』 『身分はどうあれ、君のことを必要としている人がいるんだ。自信を持って、胸を張っ て進めばいい』 (アリスソフト「DALKヒントディスク」、番外編小説より) 聖騎士の言葉は、この聡い少女に安堵と勇気を与えた。 そして少女は見事大役を果たす。彼女の天才は広く知れ渡ることとなった。 それから三年後、近衛兵隊長だった父が病でこの世を去る。更にその一年後、母親と の話し合いの後に彼女は修行の旅に出た。既に彼女の腕は王宮内でも認められており、 近衛兵隊長として人望のあった父の名もあって、聖騎士候補生として王国に仕える道も 用意されていたが、彼女はあえて、より自らを高めようとする道を選んだのだ。 その動機の一つが、十二の時に出会ったこの人物の言葉であったことは確かである。 「サフィル……さん! やっぱり!?」 「お久しぶりです、シグルーン。でもまさかあなたが勇者の一人だったとは。峠で君の 姿を見つけた時、正直自分の目を疑ったよ」 「あ……それは……」 「いいんだよ。それに君ならふさわしい気もするな。国王自らの要請を袖に振って旅に 出てしまった君だ。これくらいじゃないとね」 「あ……」 瞬間、シグルーンは自分の立場を悟った。 私は、今から国王その人に会おうとしているのだ。 表情の変化から彼女の心情を正確に読み取ったサフィルは、穏やかに話しかけた。 「大丈夫だよ、王はそんなことを気になさるお方ではない。君だってわかっているだろ う? それに……」 「それに?」 「今は、君のような人にこそ、王に会って欲しい。王もきっと喜んでくれる」 「?」 意図を解しかねるシグルーンをそのままに、改めてサフィルはセイルに向き合った。 「失礼しました。懐かしい顔に出遭ったもので、ついはしゃいでしまいました」 「いえ……でも、何か嬉しいです。仲間が再会を喜び合う姿というのは」 仲間、とセイルが発してすぐ、サフィルは気付かれないようにシグルーンの表情をう かがう。予想通りの表情を彼女に認め、内心で小さくため息をついた。 「でも、その「勇者」というのは一体?」 「それは……私から申し上げてもよろしいのですが、それこそが王の用件でもございま すので、謁見の際、直に」 「……わかりました。それでは」 「こちらです。どうぞ……」 二人が連れ添うように歩き出す。 シグルーンは、サフィルの言葉に引っかかりながらも後に従った。 長い廊下。 シグルーンの記憶が過去へとさかのぼる。 そう、この通路だった。 この通路の先に、扉がある。 扉が、あった。 そう、この重くて、大きくて、自分の力なんかじゃ絶対開けられないと思った扉。 誰か他の人の助けが無くちゃ、絶対に開けられないと思った扉。 あの時は父が、そしてこのサフィルが助けてくれたのだ。 でも、何か違う。 この扉は、こんなに小さかっただろうか? この扉は、こんなに軽々しいものだったろうか? 小指でちょんと突けば、跡形も無く壊れてしまいそうだ。 なぜ? なぜ私はこんなことを考えるのだろう? サフィルが、扉を前に直立した。 息を大きく吸う。 「勇者様、ご到着です!」 ごごご……。 開く。扉が開く。 光があふれる。 この先に、あの人がいる。 あの人がいなくちゃいけない。 私を徹底的に打ちのめした人。 私の全存在をもってしても、爪の先ほどにも足りない巨人。 その人がここにいる。 そうでなくちゃいけない。 なのに。 |
二週間ほど前、アーハイムの町を小さな地震が襲った。 特に被害も無く、ただそれだけのものだと民の誰もが気にも留めなかった。 でもそれがはじまりとなった。 アーハイム城は東西南北に向かう四つの塔を持ち、内部の敷地はかなり大きい広場の 体を成している。祭りや公の行事などの際、国民を直に招き入れることもある。そして 中央には十メートル四方に区切られた塚と、建国理念と王統を記した碑がある。 例えば国王の聖誕祭では、王自らがこの碑を詣で、宣誓の儀を行うことが祭りのクラ イマックスを意味する。それゆえ国民全てに敬意を持って扱われる碑ではあるのだが、 それは所詮象徴であり、碑は碑でしかないというのが一般的な認識だった。 しかしその碑には、王族にしか知らされていないもう一つの意味がある。 それはつい先日まで、彼らすら単なる御伽噺としか信じていなかった伝説だった。 太祖アルハイム。アーハイムの国と町の名の由来ともなった英傑。 世にあまた存在する英雄伝説の例に漏れず、彼もまた竜退治、ドラゴンスレイヤーの 偉業によって英雄として祭られ、崇められる。彼は太古、この地を荒らしていた神にも 等しい力を持つ竜を退治し、まさに今城が建ち、碑が建つこの場所にその亡骸を封じた という。彼はその令名と尊敬によって人心を掌握し、近隣諸国をまとめた末に初代王位 に就いた。 王は長寿に恵まれ、現在まで連綿と続く王国の基盤を築き上げる。そして晩年、臨終 の床において彼は、子孫に対し絶対の遂行を義務付ける詔(みことのり)を発した。 「この地を死守せよ。あらゆる外敵と干渉を排除せよ。 この地は聖地なり。汝らは、この地に鎮められし力を治むる義務を持つ者なり。 この地を荒らすこと無かれ。もし守らずんば、それは世の終焉を意味せん」 太祖の死後、例の場所に碑が建てられた。 生前王が用意させておいたその碑には、不思議な紋様が記されていた。 だが残された者誰一人として、その意味を解することができなかった。 今日この日、王国を訪れた少女たちの一人。 パッティの封印の弐、ハンナの持つ紋様と同じものであると知れるまで。 地震の直後、王宮は大混乱に陥っていた。 碑の真後ろに、ぽっかりと人三人が通れるほどの穴が開いていたからである。穴から は明らかにそれとわかる瘴気が溢れ出し、同時に、どう考えても人のものとは思えない 鳴き声や唸り声が聞こえてきた。 賢者会議を構成する高位魔道師たちが周囲に張った結界により、とりあえずの安全は 確保されたが、このまま放置しておくわけにはいかない。万全を期すため、敢えて王国 最高の能力を持つ聖騎士団を投入し、地下の様子を探らせることとなった。 そして最悪の状況が招来される。 慎重を促されつつ、しかしエリートとしての自信に満ちて意気揚揚と地下に乗り込ん だ精鋭たちは、わずか半日で半数を永遠に失い、かろうじて生き残り生還できた者も、 皆瀕死の状態であった。探索隊を指揮した部隊長が三日間生死の境をさまよい、何とか 峠を乗り越えて意識を取り戻した後に語った内容から、おおよその状況を把握すること ができた。 地下は幾つもの広間を組み合わせたような洞穴となっており、その広さは少なくとも 城の敷地全体にも及ぶと考えられる。今の所当の一層しか確認できていないが、ところ どころに開いていた穴や高低差の存在から、同じような階が幾層も存在する可能性があ る。そしてあちこちには、これまで見たことも戦ったことも無い化け物どもが数多く徘 徊し、「明らかに統一された戦術意図をもって集団で攻撃してきた」というのだ。 何かを守るように。 洞穴の奥にいる何かに誰も近付けないように。 王国で最強の戦闘部隊をもってしても歯が立たない存在に満ちた迷宮。 今の所、地上に出てくる様子は無いが、果たして現在の状況がいつまで続くのか? 王国の最高意思決定機関、先述の賢者会議が王の名で緊急召集される。 その場で王は、王国史上初めて、太祖の詔を王族以外に公表した。 笑って済ませられる状況ではないことを、その名に相応しい賢者たちは理解する。 途方に暮れる彼らのもとへ、申し合わせたかのように神殿から使いがやってきた。 アーハイム王国が守護神として奉る力の神、ファントム神。 その神殿の大神官に、神の啓示がもたらされたというのだ。 会議に招聘された大神官は、神からの預言をそのまま王に伝える。 「過日、地の果てにて魔神目覚めん。 魔神、同胞(はらから)を求め、その忌わしき力を発す。 一つ、この地に眠る魔神、太祖の縛(いまし)めを破りて目覚む。 猶予、次の季節の一巡るまで。 勇者、彼の地を発し、拠の地に至らん。 御姿、女子とも見紛(みもご)う神の御使いなり。 従者、数多(あまた)の聖女たち、術を極めし戦士なり。 以て、彼等に封を委ねよ」 次の新月の正午、彼らは町を見下ろす峠に現れると、大神官は最後に付け加える。 王国を司る賢者たちにすがるべきものは、ただそれだけだった。 |
「……それにしても、久しいなシグルーンよ。本当に美しくなった」 「いえ、王も変わらぬご壮健のご様子。誠に喜ばしく存じます」 嘘だった。内心の動揺を悟られないようにするのに必死だった。 形式通りの謁見の後、セイルとシグルーンは奥の間へ通され、賢者会議への出席を求 められた。そこで彼らは王国を襲った変事のいきさつを聞かされた。その上でユネル王 は、改めて彼らに迷宮の探索と事態の収拾を「依頼」したのだ。 無論王の立場を利用すれば、有無を言わさずセイルたちに「命令」し、強制すること も可能だったろう。しかし彼は、セイルたちが世界破滅の危機を招来した張本人である という事実を知っても、あえて彼らを賓客として扱い、文字通り、自ら頭を下げて事を 依頼したのだ。 噂に違わぬ名君であると、セイルは感動する。一も二も無く、彼は依頼を承諾した。 そもそも入国の目的自体がそれなのだ。本来なら石もて追われて当然のところである。 それが、王国府の全面協力を得られるというのだ。 ユネルもまた、セイルが勇者を束ねる力量を持つことを知り、彼に形式的なものでは ない信頼を置いたようだった。こうして用件がつつがなく済んだ後、ユネルはわざわざ 席をシグルーンに向け直し、先述のように穏やかに語りかけたのだ。 王とセイルの会見中、シグルーンは一言も発せなかった。 遠慮していたのではない。驚愕で自失していたのである。 彼女が見たのは、見ようによっては好々爺ともとれる老いと落ち着きをもった初老の 男だった。なるほど、確かに知性、判断力ともに往年のそれに劣るようには見えない。 だがそれは、かつて発散していたぎらつくような鋭利さを備えた切れ味によるものでは なく、老練な、というよりも世捨て人や隠者の発する厭世的なしたたかさに思えた。 (なぜ? ……たった数年で、どうして?) 彼女の記憶の中に、額縁付きの肖像画として最上段に飾られているのと同一人物とは とても思えない。それはシグルーンの主観ではなく王国の民全て、実際に王の元で政務 や軍務を担当した者全てに共通の認識のはずだ。それがゆえに、ユネル王の名はありき たりの名君ではない、全世界にその名をとどろかす力と闇とを備えた大王として流布さ れたのだから。 |
ユネル=ド=アーハイム。第四十六代アーハイム国王。 歴代の王の中でも、間違い無く最高クラスの統治能力を持つ王。 彼の即位前、アーハイムは長きに渡る貴族偏重と硬直した官僚組織によって醸成され た淀んだ空気に支配され、周辺諸国との関係悪化もあいまって、国家それ自体が存亡の 危機にあるも同然の状態だった。 先王の謎の死とその後の宮廷闘争の結果、当時まだ十四歳だったユネルは、言わばお 飾りとして一部の重臣に担がれて王位に就いた。実際の政務は自ら摂政を名乗る彼らに 完全に掌握されており、ユネル自身も全く政治に興味を示さず、宮廷内を遊び場として 年の近い青年たちを引き入れては好き放題をしていた。うつけ王の通り名を冠せられた のもこの頃である。 しかし彼が二十歳になった時、状況は一変する。摂政を降り、次は関白として再び国 政を牛耳ろうとしていた重臣たちは、王に成人のお祝いを述べようと参上した玉座の前 において、突然現れた騎士団によって残らずその命を奪われたのだ。 同時に、王城や王都の各所で、国政を壟断してきた貴族や政商たちが一斉に処断され た。いわば逆クーデターとも言うべきもので、成人前に引き入れ、遊び仲間として周囲 を欺いてきた歳若い仲間たちとの、周到に練られた計画の結果だった。 直後、人事は一新され、ユネル王が独断で強権を行使することができる親政政権が一 夜の内に築きあげられていた。粛清を免れた貴族や他国の指導者たちは、そのあまりに 独裁的な体制に、アーハイムが暗黒政治に包まれ、内部崩壊してしまうだろうという悲 観的とも希望観測的とも言える推察をたてた。 だが、事態の推移は全く逆だった。 長期的な展望をもって対処できる大胆さと、それを実現する強固な政府。 短期的な変化に即座に対応できる身軽さと、しなやかさを維持する軍隊。 その両者を、若く優秀な友人たちと共に作り上げることに成功したユネルは、圧倒的 な国民の支持の得、大胆な改革と王国の拡張を両立させる。十年後にはアーハイム史上 最大の版図を手に入れ、改革によって復活した強大な経済力と共に、西方世界の覇権を 認められるに至ったのだ。 ユネルが単純な英明の人で無かった事は確かである。逆クーデター及びその後の侵略 戦争や治安維持において、秘密裏に暗躍した粛清組織を持っていたことは、公には認め られていないものの、ほぼ周知の事実である。 ユネルは多くの尊敬を受けると共に、信仰的な畏怖の対象ともなった。必要以上の粛 清や度を越した暴虐を行ったわけではないが、それが皆無であったわけでもない。臣下 は王を恐れて政務に励んだが、同時に、忠誠が正しく評価される王であることも知って いた。それこそがユネルの地位とアーハイムの国威を磐石の存在としたのだ。 「王は仁慈の対象であってはならない。王は恐怖の対象でなくてはならない」 古代、ある政治思想家が理想の王の条件をこう述べた。 ユネルはある意味で、その体現者足ろうとしていたと言える。 |
シグルーンは幾度と無く、王を見て感じた戸惑いを同席していたサフィルに向けた。 彼は、わかっている、という目でシグルーンに応える。その時やっと、案内の途中で彼 が言った言葉の裏を取れたように彼女には思えた。 (老いられた、のか……) でも、本当にそうなのだろうか? あれほどの人が、たかが老い程度でここまでになってしまうのか。 違和感は賢者会議それ自体にあった。議事の進行や事態の説明など、ほとんど他の賢 者や軍人たちの主導で行われ、ユネルの存在感が全く感じられなかったのだ。 以前の王宮では、こんなことは決してあり得なかった。 たとえ一番奥の玉座に座っているだけでも、皆が王の一挙一動を意識していた。 たとえ一言も発しなくても、皆が王に全てを見透かされているかのような緊張の中で 行動せざるを得なかったのである。 なのに、この場は一体何なのだ? 王は、ユネル王は、一体「何」になってしまったのだろう? 「おおそうだ、リュートはまだ弾いておるか?」 思いに耽っていたシグルーンは、つい慌ててしまう。 「あ、は、はい。もちろんでございます」 「また一層腕を上げたのであろう? どうじゃ、今宵の晩餐で披露してはくれまいか」 「あ……」 想いが七年前にさかのぼる。またも彼女は躊躇してしまった。 思わず視線を巡らす。二人の男性の視線に出会う。 信頼する師の同意を求める視線。 愛する人の誇らしげな喜びの視線。 成長しない自分を自嘲しながらも、勇気を得た彼女は先刻までの思いを振り切って、 胸を張って答えた。 「はい、喜んで」 ユネルとサフィルに等しく、意外そうな、驚きの表情が浮かんだ。 そして二人が各々の思いをもって微笑んだ。 が、そんな和やかな雰囲気が突然破られる。 「こんな女子の吟遊詩人風情に、本当に迷宮の突破がかなうとお思いですか、王!」 それはサフィルと共に会議に出席していた、聖騎士団の別部隊の隊長だった。先の探 索で犠牲を出したのは彼の部隊であり、指揮していたのはこの隊長が能力を極めて高く 評価する部下の騎士だったのである。 エリート意識が高いとはいえ、それに見合う実績を挙げてきた集団である。僻み意識 にとらわれない客観的な判断においても、地下に徘徊する怪物の恐ろしさはほぼ正確に 認識できていた。口調の厳しさはともかく、この発言は当然のものと言えよう。 「ふむ。信頼できぬか、卿は?」 「信頼するもなにも、少なくともその力を見せてもらわねば納得できません!」 王は目を閉じ、玉座に背を預けて顎を反らした。 少し考えているようだった。そして目を開けるとシグルーンに問いかけた。 「どうかな、シグルーンよ?」 「もっともだと存じます」 彼女もまた当然だと思っている。そう思わない方が不思議なのだ。 「では、どうすれば良いと思うか?」 この問いが発せられた事でシグルーンは再度、ユネルに対する、そう言うことが許さ れるのならば、失望を感じていた。が、もう余計な意識をまわす状況ではない。 「私はこの一年、彼の地において幾千もの怪物たちと戦ってきました。魔神そのものと すら剣を交えました。どのような存在であろうと後れを取るつもりはありません」 「だったらそれを証明して見せろと言っておるのだ!」 先刻の騎士が割り込む。シグルーンは彼に応えた、少しだけ強気に。 「ではどうしろと? ここに化け物を連れてきてくださるとでも?」 にっこりと笑う美しい少女に、騎士は思わずたじろいだ。 「……す、少なくとも、我々より強いことを示してもらわないとな」 「ならば、御前試合など?」 「お、おう。望むところだ」 「よろしいですか、王?」 王は面白そうに二人のやりとりを眺めていたが、そう確かめられて顔を引き締めた。 「長旅の直後であろうに。疲れてはおるまいか?」 「別に問題ございません。それより、時間の余裕がございませんので、可能であれば今 すぐにでもご披露致したいと存じますが」 自信に満ちた口調と意外な進展に、騎士の方が慌てた。 「う、人選もあるからな、今すぐというわけには……」 「では、明日など」 「う、うむ、よかろう。……いや、それでようございますか、王」 ユネルは抑えていた笑みを漏らしながら了承した。 「急ぐが良かろうな。一応言っておくがこの娘は強いぞ。三年前の時点で既に今のそち よりも強かったくらいじゃからの」 騎士は真っ赤に赤面し、準備のためと称してすごすごと退席する。扉が閉まった途端 に、王は今度こそ声を上げて笑った。そして残ったもう一人の聖騎士であるサフィルに 向かって言った。 「そちも仲間なら助けてやったらどうじゃ。……ふむ、そうじゃな。何ならそちがこの 娘の相手をしてみるか?」 「ご勘弁下さいませ。私などではもうとてもとても」 「ふふ、筆頭騎士にまでこう言わせるのじゃ。シグルーンよ、大物になったな?」 今度は彼女が顔を赤らめる番だった。それ以上に、サフィルが筆頭騎士となっていた ことを知らされて驚いていた。言葉を見つけられない彼女に、ユネルは穏やかな口調で 話しかける。 「そちも、今日はゆっくり休むがよい。残念だが、歌の披露も後日としよう」 「あ、そんな。わたくしの方は何も……」 「シグルーン=フレグランス」 口調こそ穏やかであったが、その圧力は彼女の背筋を寒くした。 彼女は戦慄を感じる。そうだ、これこそが。 「今日は休め。それも戦士の義務である」 「……御意」 そして、完全に蚊帳の外だったセイルに向き直ったユネル。 「ばたばたしてしまって申し訳ないな、セイル殿」 「いえ、暖かいお心遣い、重ねて御礼申し上げます」 「……セイル殿」 「は……?」 「この娘を、よろしく頼む」 シグルーンとサフィルが、えっと驚きの視線を王に向けた。 「これは私の友人の娘なのでな。なまじな者に預けたくはないのだが、貴殿ならよろし かろう。大事にしてやってくれ」 セイルは戸惑いの表情を浮かべる。それを完全に払しきれず、頭を下げた。 「……わたくしの力の及ぶ限り」 「うむ。……シグルーンよ」 「は、はい」 「墓参りは、欠かすでないぞ。それに一度は母の所に顔を出しておくがよい」 シグルーンは、声を出せなかった。 部屋を去る王の背に、ただ深く頭を下げるだけだった。 |
「お父上が亡くなられて、もう四年になるのですね」 「親不孝な娘だと、お思いですか?」 「いえ、誰でも進むべき道を進んでいる時には仕方の無いことです」 「……ありがとう、ございます」 夕食後。シグルーンはサフィルの部屋を訪ねていた。 予想以上に長引いてしまった謁見に待たされて暴発寸前だった他の少女たちのお相手 に、セイルは今てんやわらわの状態にある。用意された見事な個室や、これまで口にし た事も無い豪華な料理を揃えたディナー。それら全てが彼女たちの巻き起こす騒動によ ってめちゃくちゃになってしまうところだったのだ。 とりあえずの山は超えたものの、何せ「彼女たち」である。遊び場にはうってつけの 城内で、この先どんな騒ぎを巻き起こすことになるか。セイルは幾人かの理性的な少女 たちと一緒に、保父さんモード全快で頑張っている最中である。 でも、シグルーンにだけはゆっくりさせていた。 先刻の会見から、彼女に考える時間が必要なのを悟ったからである。 シグルーンもまたそれに甘えた。そして語るべき事のために、サフィルを訪れた。 「……まさか、王が父のことをご存知とは思いませんでした」 「近衛兵隊長を務めておられた方ですよ。ご存じないはずはないでしょう」 「でもあんな、友人だなんておっしゃられるなんて。そんなことは」 「……お父上は、あなたに何も話しておられなかったんですね」 「え?」 「恐らくは母君も。……やはり、獅子の友は獅子、ですか」 「どういう、ことですか?」 「あなたのお父上は、王が政権を取られた時に獅子奮迅の働きをした、いわゆる七傑の 一人ですよ。それも、王の右腕とまで呼ばれた人物だったんです」 「そんな……だってそんなこと、誰も、なにも」 「……「暗黒の十年」、知っていますよね?」 「え、ああ、はい。あの事件から十年間の、隆盛と粛清の時代のことですよね」 「当時、王の覇業を支援するために秘密警察が組織されました。国家再生の時代の、必 要悪の組織でした。裏で情報を操作し、時には暗殺や粛清の実働部隊として暗躍してい たといいます。戦時には敵国に対する諜報や謀略行為も行っていたそうです。綺麗事を 言うつもりはありませんが、そんなものが必要な時代だったんです」 「でもそれが一体……あ!」 「そう。あなたのお父上が、それを指揮していたんですよ」 「嘘……そんな、あの父様が!?」 「王の覇業が完成し、必要悪が不必要になる時がきて、王はお父上に再び表舞台の政務 を補佐する地位を用意なされました。でもお父上はそれを拒み、ただ静かに、近衛兵の 職のみをお受けになられ、政務の一線には決して顔を出さないようになされたんです。 理由は私も知りません。色々詮索はできますが、それは失礼に当たりますので」 「確かに、父ならそれは……でも、なぜサフィルさんがそれを?」 サフィルは、シグルーンから視線を外す。そして背を向けた。 「今でも、リーナスからは何の連絡も無いのですか?」 「え?」 リーナスとは、シグルーンのリュートの師である。彼女が十歳の時、一人の女性と共 に突然姿を消した。彼女は後にそれを、親に反対されての駆け落ちだと聞く。彼はリュ ートの師であると共に、シグルーンの淡い初恋の人でもあった。彼女が後にセイルに惹 かれたのは、彼に初恋の人の面影があったことが一因である。 実は彼女は後にリーナス本人と、同時に失踪した女性及び二人の間にできた子供に遭 遇している。なにをかくそうショートラムの町で。一瞬、それが口をついて出そうにな ったが、思わず彼女は口篭もってしまった。 「……は、はい」 「そう、ですか……」 「あの、なぜサフィルさんが師の名前を?」 「私とリーナスは、共にあなたのお父上の元で学んだ同窓の士なんですよ」 今日は一体、なんという日だろう。 シグルーンは最早、驚きの言葉すら失っていた。 「聖騎士候補生だった私とリーナスが指導を受けたのが、他ならぬあなたのお父上でし た。……すばらしい方だった。剣術とか単にそういうレベルのものではなく、騎士とし て、人としての生き方、生き様全て、私たちの指針となるべき方だった。私はこれまで ユネル王以外であれほどの方を見たことが無い。お二人が友人、いや親友と呼べる間柄 であったとしても、それは何の不思議も無い」 「そして私とリーナスも……友人だった。私は今でも、彼を親友だと思っている。共に 語り合い、学びあい、競い合う仲間だった。ただ、私は単なる戦闘屋でしかなかったが 彼はそれ以上に詩人の心を持つ男だった。知っているでしょう、彼の天才を? あの細 身でありながら操る剣の技は冴えわたり、それにも増して示す音楽の才能はまさに神業 だった。私は彼に憧れると共に……」 「懺悔すべきは私だ。私は彼に嫉妬していた。彼の才能に、人格に、そして無垢さに。 誰もが彼を愛した。私だってそうだ。あれほど素晴らしい友など他にいるはずがない。 だから……だからユナが彼を愛したのだって当然だった。私の最愛の存在二人が愛し合 う事態を許容できなかったのは、それは私の罪だ」 「私には耐えられなかった。二人の微笑が私に向けられず、ただ二人の間でのみ消費さ れてしまうことに。私は彼を恨んだ。最早共にいられないと思った。どこか遠くへ行っ てしまえとさえ思った。そんな時、私はお父上の身の上を知った。それは私にすら衝撃 的で、世の理不尽さを感じさせるものだった。そしてふと、私は思った。リーナスが、 あの無垢な魂がこれを知ったら、彼は一体どうするのだろう、と」 「そして予想は現実となった。数日後、王国に、騎士の地位に失望した彼は書き置きを 残して王城を去った。私はその行方を知らなかった。知ろうともしなかった。ユナに問 われても、何もわからないとしらを切りとおした。それで全てが終わったと思った。ぽ っかりと穴の開いた、でも心静かな日々が戻ってきた。そう思った、なのに」 「三年後、師の十歳になる娘さんが、地方のリュートコンクールで優勝したという話が 伝わってきた。そう、君のことだよシグルーン。そして同時に少女を指導したリュート の師の名前もわかってしまった。私は驚愕し、恐怖した。もしこれをユナが知ったら? ……ユナの父は、娘を私たち二人のどちらかに嫁がせようとしていた。聖騎士の伴侶と もなれば、相応の地位が保証されるからだ。だがリーナスが失踪したことで、候補は私 一人になっていた。私は混乱の挙句、ユナを表に出さないよう彼に頼んでしまった。逆 にそれが、彼女に真相を悟らせてしまったのだ」 「数日後、師が辞令を持ってきた。私の聖騎士への正式な昇格辞令だった。同時に師は 一通の手紙を私に渡した。それはリーナスが私に当てて書いたものだった。そして私は 彼が全てを知ってしまったことを知った。私が彼への嫉妬に駆られて彼を王城から追い やるに至ったこと全てを。それなのに彼は私に恨みの言葉一つもらさず、こともあろう に詫びの言葉さえ残し、これ以上私に心労をかけまいとユナと共に姿を消してしまった のだ」 「師は、全てを了解なさっておられた。そして師もまた私を一言も責めなかった。ただ こう、私に餞別の言葉を下された。人は、罪を犯す生き物なのだと。それによって苛ま れるのは、他の誰でもない、自分自身なのだと。それが、私が師と交わした最後の言葉 だった」 「……君が初めて王城を訪れたあの日。私はあの場から逃げ出したかった。私が傷つけ た人たちの娘が、愛弟子が、私に助けを求めてきたのだから。私は偉そうなことを言っ たけれど、あれは私自身に対する言い訳でもあったんだよ。なんて卑怯な男だろうね。 そして今私は、君に懺悔することで自分自身をなぐさめようとしている。救いがたい男 だよ。君は……」 「君は、そんな私を、どう思うのだろうね?」 これほど残酷な過去を。 これほど残酷な問いを。 いきなり突きつけられて答えられる人間などいるのだろうか? 人は、これだけのものを背負って生きていかねばならぬものなのだろうか? (でも、それを背負える人間になりたいと思ったからこそ、私は……) 自分の旅の目的。 父を、庇護者を失った時に感じた、自らの無力感。 人とはそういうものだと見切ってしまえば、それで済んでしまうことかもしれない。 でも、シグルーンはそうありたくなかった。 無知な自分。それを支えてくれた多くの人たち。そんな人たちすら抱える苦悩。 それに無関心な、何の負い目も感じないような人間にだけはなりたくない。 そのためには、強くなければならない。単に肉体だけでなく、心も。 でもそれは至難であると、彼女は改めて思い知らされる。セイルに対しても、そして サフィルに対しても、彼女は自分が未だに無力であることを知っている。それを常に突 きつけられる。 だからといって、答えないわけにはいかない。自分の欲する強さを手に入れるために は避けて通れない関門であることもわかっている。それでも彼女には、答えを出すのに いささかの時間が必要だった。 彼女は「答え」を紡ぐ。 それが正解だったかどうかなどわからない。でも「応え」るしかなかった。 「ありがとう、ございます」 「……なにが?」 「教えて下さって。過去を、全てを」 「単に、私の気まぐれだよ」 「でも、勇気が要られたでしょう? ありがとうございます、本当に」 「私は君に感謝されるようなことなど、何もしていない」 「そうかもしれません。でも……」 「……?」 「あなたはやっぱり、私が師と呼べる人です。私にとってかけがえの無い人です」 サフィルはシグルーンに背を向けたまま、うつむけていた顔を上げた。 そして低く、なにかにくぐもるような声で小さく発した。 「ありがとう」 静かな時が流れた。 シグルーンはそのまま、部屋を去ろうとした。その時。 「シグルーン?」 「はい?」 サフィルは相変わらず背を向けたまま、こう尋ねた。 「あの子と一緒で、幸せかい?」 シグルーンは、足元が崩れていくような喪失感に教われる。 これほど衝撃的な一日の、最後の最後にこんな落とし穴が控えていたなんて。 知らず、涙があふれてきた。 それに気付き、彼女は何も答えることができず、部屋を飛び出た。 残されたサフィルは、自嘲するように一人つぶやく。 「駄目だな、私も……」 開け放たれた窓枠に手をかけ、ぎゅっとそれを握り締めた。 月明かり一つ無い、暗く深い星空に向かって彼は語りかけた。 「恩師よ、リーナスよ……。私はまた、罪を犯してしまいました……」 |
翌日正午。王と賢者会議、そして騎士団の立会いの元、御前試合が開かれた。 試合それ自体はあっけなく終わる。 セイルたちには当然という納得をもって。 騎士や多くの賢者たちには、自失を与えるほどの衝撃をもって。 シグルーンが純白のマントと、羽飾りのついた神々しい兜を身につけて試合場に参上 したとき、一部の賢者から驚きの声が上がった。 「DALK」 天上32神を構成する神々の中でも、絶対神フラドと同じく男女の対となっていない 「戦いの神」。凛々しい乙女の姿をした軍神。一説に、神に与えられた試練をまっとう した功績を持って、神々の末席に連なることを許されたという人格神。 シグルーンが示していたのは、紛れもなくその姿だったのである。また、風貌には一 切の違和感が無かった。こけおどしでも見栄でもない、正にそれをまとうに相応しい存 在として、シグルーンは人々の前にその姿をあらわしたのだ。 選ばれた戦士は、知性や情緒の面ではいささか問題はあるものの、人間として持つこ とが出来る恐らくは最高の体格とパワーを備えた、聖騎士団中最強の戦闘力を持つ男だ った。一部には、彼が探索隊に参加していれば、あんなことにはならなかったのにとす ら言われるほどだった。 男は目の前に立った、確かに威圧感はあるものの所詮は細身で、大したパワーも感じ させない少女を完全になめてかかっていた。隊長に手加減無用と言われていたこともあ り、さっさと切り上げて約束の酒をもらうことばかり考えていた。 試合開始の合図が鳴る。 同時に、男はその体格からは想像もできないほどの素早さで少女に突進した。 あっという間に剣の間合いに入る。 そして体格と重量を生かした、確かに人間として尋常ではない一撃を振り下ろした。 少女は動かない。まるでおびえてすくんでいるかのようだ。 男は勝利を確信する。そして。 きいん。 高く響く金音。 男が叩いたのは、まるで鍛え上げらた鋼鉄で形作られた彫像だった。 いつのまにか少女は、片手で剣を振り上げ、男の受けられるはずのない一撃をいとも 簡単に受けとめていたのである。 異常な光景だった。 王すら、思わず玉座から腰を浮かび上がらせた。 渾身の力をこめ、なのに振り下ろすことがかなわない大剣を汗だくになって握り締め る、二メートル以上はあろうかという大男。 微動だにせず、まるで何の質量も感じていないかのごとき涼しい表情でカチカチと震 える剣を受け止める、相手の胸ほどの身長しかない少女。 次の瞬間、人々は更に恐るべき光景を見る。 少女が、まるで降りかかる木の葉を払うように、右手に持つ剣をすい、と払った。 大男が吹き飛ばされていた、およそ十メートルも横に。地面に叩き付けられて呆然と し、自分に何が起こったかがまるで理解できない男。当然である。セイルたち以外に、 この現実を許容できるものなどいるはずがないのだから。 男は恐慌に陥る。 自分は一体、「何」と、戦っているのだ!? 死に物狂いで大剣を振り回す。再び少女に襲いかかる。 なのに今度は一撃も当たらない。 少女の姿が残像としか見えない。 少女がどう動いているのかすら、まるで把握できない。 息が完全に上がってしまった。 手に持つ剣が重い。こんなに重いものを、自分は振り回せていたのだろうか? 男を襲う、これまで感じたことのない恐怖。 それが、ほんの数歩前に存在する。 もう動けない。恐ろしくて、剣を向けることすらできない。 「助けて」 なのに。 少女が、今度は剣を両手で持って、頭上に大きく振りかざした。 「殺される」 男は失禁していた。 どこかで、試合中止を告げる鐘が鳴った気がした。 それにも関わらず、少女の剣が振り下ろされる。 男が覚えているのはそこまでだった。 人々がその後に見た光景は、後に伝説として語り継がれる。 少女が振り下ろした剣から発せられた青白い光と爆風。 それが男をなぎ払った。 誰もが、男の死を確信せざるを得なかった。 轟音。巻き上げられる土煙。 それが次第に収まっていく。その向こうに現れたのは。 男のいた場所から試合場の壁まで一直線にえぐられた、幅五メートルほどの溝。 その半ばほどに大の字に倒れている大男。 不思議なことに、身につけていたはずの甲冑が全て剥がされている。 鎧下と下着だけの姿。なのにその体には傷一つついていない。 慌てて騎士たちが、倒れている男の元へ駆け寄る。 生きていた。本当に外傷一つない。 考えてみれば、この状況で心臓が止まらなかっただけでもたいしたものだ。 全員が、畏怖に満ちた視線を少女に向ける。 少女が使ったのは、魔力を剣圧に乗せた複合剣技だった。 最弱の魔力を彼の周囲で爆発させて甲冑を吹き飛ばす。 それと全く同じタイミングで、実際の剣圧が生み出す爆風が彼をないだ。 魔法の爆発が逆に爆風に対するバリヤーとなったため、彼は死なずに済んだのだ。 超絶的な魔法剣士としての能力を持つDALKにして初めて可能な剣技だった。 人々は納得する。 そうだ。 人外のものに対抗するには、人外の力を持つ存在でなくては敵わぬ、と。 迷宮探索指揮の全権限は、セイルたちに委ねられることが決まった。 |
「ちょっと、やり過ぎじゃない?」 リムリアが苦笑しながら、控え室で普段着に着替えているシグルーンに尋ねた。 「……やっぱり、そう思う?」 「いくらなんでも、あれはね」 「ごめんね、多分これでみんなに迷惑かけることになると思う」 口を閉じたまま、肩をすくめてため息をつくリムリア。 わかってる。もうその状況が生まれつつあったからだ。 御前試合の前と後で、彼女たちに向けられる視線はまるで違うものとなった。 それまでは所詮小娘と馬鹿にした、でもよくあるありきたりのちょっかいがひっきり 無しだった。試合場の観戦席に陣取る彼女たちに好奇の視線も絶えなかった。でもそれ も、試合が始まるまでだった。 試合後、人々の視線には明らかな怯えの色が混じり始めた。一部の、本当に単純な感 動をもって彼女たちに教えを請うような騎士もいるにはいた。だがほとんどの騎士は、 彼女たちをシグルーンと同類の「化け物」として見るようになっていたのだ。 力、スピード、剣技。全てが人の域を越えていた。 人の世界で最高の能力を持つと自負する彼らだからこそ、見せつけられた力が異常で あることを悟った。シグルーンだけではない。彼女の見せた驚異を当然のものと受けと める仲間たちも、間違いなく同類なのだ。 彼女たちが、先に魔神との戦いを経ているというのはただのたわ言だと思っていた。 しかしそれは紛れもない事実なのだと、彼らは思い知らされる。そして先日、自分たち の仲間が成す術もなく殺される羽目になった理由も、正確に理解した。 なぜなら、地下にいるのもまた彼女たちの同類なのだから。 とはいえ、リムリアたち観戦席にいた「そちら側」の一同にとっても、この時のシグ ルーンの戦いぶりは異常だった。無論この力は当然である。それどころか、シグルーン が一応セーブして戦っていることも、彼女たちにはわかっていた。 でもシグルーンであれば、もっと穏便に片付けることができるのも知っていた。 普段の彼女であれば、後のトラブルを考えて、必要以上の力を見せまいとしたはずな のだ。なのに今回、殺しはしなかったものの、明らかに「人に対して振るうには巨大過 ぎる力」をもって事に臨んでいた。一部の少女たちにはそれがわかった。そして疑問が わいた。どうして、と。 この二年間で構築された少女たちの人間関係に基づき、質問の役目はリムリアが自発 的に引き受けた。それと知って、現在控え室にはこの二人だけが残されている。他の少 女たちは皆、二人の会話を邪魔しないように(邪魔させないように)気をつかっている のだ。 シグルーンにもそれがわかる。それが辛い。 「ホントに、ごめんなさい」 「いいのよ、そんなこと。……それより」 「聞かないで、って言ったら、勘弁してくれる?」 「無理に聞くつもりはないけど……でも、やっぱり嫌じゃない、仲間が苦しんでるのを ただ見てるだけって」 シグルーンの着替えの手が止まる。 そう、それは私が言わなくちゃいけない言葉なのに。 私が言えるようになろうと思ってる言葉なのに。 苦しい。切ない。 はっとするリムリア。 シグルーンが、涙を流していた。 「ちょっと……どうしたの、シグ!?」 「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」 駆け寄るリムリア。そして嗚咽を漏らすシグルーンを、胸に抱く。 関が切れたように、シグルーンは大声を上げて泣き出した。 リムリアは、シグルーンが落ち着くまで、ずっとその頭を抱いていた。 |
「……ごめんね」 「いいってば、お互いさまよ」 泣きじゃくりながらシグルーンは、昨夜知らされた事実をリムリアに吐露していた。 そして一通り告白が終わって、ようやく落ち着きを取り戻したのだ。 「でも、凄い人生送ってるわよね、シグって」 「……結局は自分で選んだ道なんだけどね」 ふっと笑いあう。 シグルーンは、この仲間たちと共にある自分を幸せに思う。 そして思いがセイルに至った時、最後の告白をしなければならないと思った。 「でもね、今日あんなことしたのは、父様やサフィルさんのことで混乱してたからじゃ ないの」 「え?」 「昨日の事は昨日でけりがついたつもり。ただ最後にサフィルさんがこう聞いたのよ」 「……なに?」 「セイルと一緒にいて幸せかい、って」 リムリアすら愕然とした。 そして、今日のシグルーンの行動が本当に理解できてしまった。 「……わかっちゃうんだよね。あれくらいの人にだと」 「そんな……卑怯よ、それは……」 「今思うと、王にもわかってたんだと思う。あの王がわざわざ私をよろしくなんてセイ ルに言うわけないもん」 「う……」 「ねえリムリア?」 「……なに?」 「わたし、本当にセイルが好き。あの人無しじゃ生きられない」 「……」 「リムだってそうでしょ? いいえ、みんなそうでしょ?」 「……そうよ」 「だったら、わたしたちこれからどうしたらいいんだろう? 今はいいの。あの人の役 に立てるんだもん。でもあの人にとってわたしたちが必要なくなったら、わたしは一体 どうしたらいいんだろ?」 「……シグ、駄目!」 「最初はね、道具でいいと思ってた。あの人の役に立てるんだもん。こんな幸せなこと はないんだって。きっとそれが、自分が旅に出た成果だと思ってた。それくらい自分は 強くなれたんだって思ってた。嬉しかった、自分が強くなることが」 「シグ……」 「でも気付いたの。あの人はわたしがどんなに強くなっても全然喜んでくれない。それ どころかどんどん苦しんでく。わたしがあの人を強く愛するほど、あの人はそれを重荷 と受けとめてしまう。わたしは……わたしはそんなことのために強くなろうと思ったん じゃないのに」 「やめてシグ……つらいよ、それ……」 「昨日サフィルさんの告白を聞いてね、ああ、この人も同じなんだって思った。だから ってわけじゃないけど、彼が罪を犯したとは、わたしには全然思えなかった。でもわた しは、そこで止まりたくないと思ったから旅に出たんだ。そこで止まってしまえれば、 きっと人として幸せになれるんだろうって、わかってるのにね」 「……駄目なのかな、それじゃ」 「ううん、単にわたしが馬鹿なだけよ。ただの意地っ張りなだけ。サフィルさんも言っ てたけど、自分の言葉に背けない、不器用な生真面目人間なのよ」 「うらやましい……気もするな」 「うっとうしいだけよ。時々、自分が凄く愚かに見える」 シグルーンは、ついとリムリアを突き放す様に立ちあがった。 「……みんなにも、謝らなくっちゃね」 「そんなこと、気にしなくていいのに」 「駄目なのよ。それがわたしだもんね」 リムリアは、思わず苦笑をもらした。 「ホント、生真面目過ぎるよ、シグ?」 そう言いながらリムリア自身、心にとげが刺さってしまったのを感じている。 シグルーンがさっき発した疑問。 考えてみれば、彼女にも答えを出せない難問である。 単に今はそれを考えずに済む状況に過ぎない。 でも、いつか答えを出さざるを得ない日が必ずやってくる。 その時、自分はどんな答えを出すつもりなのか。 リムリアは想像すらできなかった。 |
既に得られた情報に基づき、まず四人が迷宮内に入って状況を確認した。 セイル、シグルーン、リムリア、ミコの現時最強構成である。 そして彼らは、攻略が決して容易でないことを知る。 はっきり言えば、戦闘で負けるような相手ではない。 ただ迷宮が予想以上に広いのと、敵の数が異常なまでに多いのが問題だった。 四人で入っていったのが幸いした。確かにおくれを取る相手ではないが、あれほど数 が多いと、もし一人の状態で囲まれでもしたら、幾ら彼らでも体力が持たなくなるのは 明らかだった。 そして先の報告にあった通り、ここの怪物たちは、迷宮の地理を利用した待ち伏せや 挟み撃ち、狭い通路で行動の自由を奪っての攻撃などをし掛けてきた。背後に戦闘集団 を構成し、統率する「意思」が存在するのは明白である。対抗するには、こちらも戦闘 集団を構成し、それを制御する必要がある。 そしてまた、もう一つ問題が生じた。パッティの少女たちである。 例の碑を見て、一同はここが紛れもなく魔神の封所なのを知る。同時にそれは、この 城の構成、四方にそびえる塔の意味を明らかにした。この城もまたトラム山地下第一層 と同じく、他の魔神たちとの連結を封鎖する結界なのである。 グナガンは他の魔神を目覚めさせたが、それならば何故彼らは自ら行動を起こさなか ったのか? その理由がようやく判明した。グナガン以外の四魔神に対しては太古の、 「永遠の勇者たち」の時代の封印がまだ生きているのである。特にこれは魔神ごとの力 に特化した対抗結界であり、グナガンを介して他の魔神の力を呼び込まない限り、突破 できない性質のものだった。 とすると太祖アルハイムとは一体何者だったのか、という疑問が一部の少女たちの頭 に浮かんだが、今はそれを考える時ではない。不完全ではあるものの、既に他の魔神た ちとの疎通が復活している以上、外部からの干渉を排除しておかねば攻略に不都合が生 じる危険がある。 セイルたちが迷宮に入る時、ここの封印を持つハンナ以外の四人、シーラ、ネーナ、 ココリコ、そしてライザが実際に碑の四方に位置し、各々の持つ封印によって他からの 干渉を排除していた。ハンナ自身は、最終的にここの魔神が攻略された時の再封印を行 う任を負うこととなる。 だがセイルたちが一通りの探索を終えて地上に戻ってみると、彼女たちはひどく消耗 していた。不完全とはいえ、仮にも神々の力を遮断しようというのだ。これは致し方な かろう。疲労具合から見るに、一度探索を行うたび三、四日は休息を取らせないと彼女 たちの体がもちそうにない。 そうは言っても、決して時間に余裕があるわけではないのだ。 猶予はおよそ一年。その間に四体の魔神全てを攻略できねば、グナガンが地上に再臨 してしまう。そうなったらもう現在の手数では対抗できない。そもそも、ショートラム からここアーハイムに来るにも二週間近くかかった。封所間の移動時間を考えると、一 体の攻略を二ヶ月程度で済まさねば間に合わない。 戦術的要請と時間的制限。 この二つを両立させるため、セイルたちは幾つかの戦闘集団に分かれることにした。 それぞれが協力し強調し合うことで迷宮の速やかな探索と攻略を果たそうというのだ。 セイルと十四人の少女、そして魔神の最終的な封印を果たすのに必要な力を持つハンナ を加えた十六人を、とりあえず四つの集団に分けてみることになった。無論、状況に応 じて人数の増減や集団の分離合併を行うこととする。 セイルをリーダーとし、ハンナを守ることを最優先義務とする封印部隊。 シグルーンをリーダーとする主力戦闘部隊。 リムリアをリーダーとする移動力に長けた機動遊撃部隊。 そして迷宮の探索や索敵を優先に行う補助部隊。現時ではシルヴィアがリーダー。 敵の強さがさほどではないといえ、回復魔法が有効に使えないことが問題になった。 だが逆に、一週間に一、二回しか迷宮に入れないという皮肉な余裕も生じていることか ら、致命的な負傷を負わない限りはなんとかなる、という空気が支配的だった。王国の 医療機関から完全なサポートが保証されたこともあり、万一のために回復薬の携帯をも って代えること、必要以上の無理はしないことという原則を守ることで、本体制が発動 した。 ともかく、時間的余裕がないことが最大の問題だった。 この状況で採りうる最善の、そして唯一の手段だったことは確かである。 しかしこの強行軍は、ずっと後になって、世界の命運を左右する一因となる。 |
本格的な迷宮探索が始まって既に一月が経過していた。 既に二層までが攻略され、第三層に着手していた。 いつ魔神と遭遇しても良いようにと、ハンナを同伴していたことが幸いした。 地下迷宮には地形や地脈から生じる魔力の「ツボ」とでもいうべきものが存在する。 それを探り当て、ハンナの封印によって浄化することで、迷宮内に「陣地」を確保する ことができたのだ。 それが判明した後、迷宮攻略はいわば陣取り合戦ともいうべき様相を帯びた。各層に はフロアマスターが存在し、下の層への通路を守るべく進入者たちに攻撃を仕掛けてい た。だが有効な陣地を奪われるとその付近への進入が妨げられ、彼らの攻撃能力が減少 してしまうのだ。それは層を突破されることに繋がるため、彼らもまた陣の防衛線を強 化するようになった。 セイルたちにとっても、陣の攻略は単に層の攻略に直結するだけでなく、生存の可能 性を高めるのに必須のものだった。確保した陣はいわば自分たちの安全地帯となるので ある。避難場所、負傷者の手当て、部隊の再編、各部隊との連絡など、陣取りという手 段を採ることで、容易かつ速やかな攻略が可能となったのである。 下に降りるほど敵の強さも増した。魔神から発せられる波動も増した。 だが逆にそれは、この迷宮の規模も明らかにした。 全部で五層。そこに魔神がいる。 少女たちは更なる経験を積み、攻略自体は確実となった。 急ぐ必要はあったが、焦る必要はなかった。 下手に焦って失敗したら元も子もなくなることを、彼らは熟知していた。 攻略が進むにつれ、彼らはますます穏やかに、ますます謙虚になった。 それを見て周囲の人々は、事態の終息が近いことを悟った。 |
第三層の攻略が完了した翌々日。 シグルーンは、改めてリュート披露の要請を受け、王の個室に招かれた。 そこには、王以外に二人の人物がいた。 まだ幼い少年と、美しいが少し線の細さを感じさせる、おどおどした感じの女性。 ユネルは、この名君と呼ばれる存在の唯一の公的欠点であったが、未だに正妻、王妃 を立てていない。無論幾人もの側室がおり、既に幾人かの子供も生まれているが、その いずれも立太子せず、自らの後継者を定めようとしなかった。 この少年は、ユネルの子供では今のところ一番最後に生まれた男子であった。 母親は下級貴族の娘で、宮廷内においては珍しい、権力欲に乏しい、温和な貴婦人と して知られていた。ユネルの好みを知る重臣たちは、最終的には彼女が国母となるだろ うと噂しあい、しばしば接触を試みた者もいるが、賢明にもそれらに煽動されることな く今日に至っている。 シグルーンは彼女を見てその噂が事実なのを理解したが、それは彼女が賢明なのでは なく、むしろ愚鈍で小心ゆえの自己防衛に過ぎないのではないかという印象を持った。 ただ現時ユネルが一番かわいがっているのはこの子だとも聞いており、後継者の母親と して不適格だとは思わなかった。 王の涼しげな、しかし温かみのある視線と、少年の期待に満ちた澄んだ瞳を交互に見 やり、シグルーンは既に調律を終えてあるリュートを胸に抱いた。 白い指が、しなやかに、細やかに弦をつまはじく。 この同じ指が、怪物たちを紙のように切り裂く剣撃を生み出すなどと、誰が信じられ ようか。それほど指の動きは優雅さに満ち、奏でる音律は澄み渡っていた。 静かに、まるで弦の奏でる音の一つのように、シグルーンが唱を重ねる。 リュートの音色もさることながら、その美しさをどう表現しようか。 「人の操りし至高の楽器とは、人の声である」 メゾソプラノの美しく張りのある音域。 どうしてここまで、と感じさせるほどの完璧な和音。 美しくも悲しい物語のメロディ。 情緒豊かに、薄紅色の唇が紡ぎあげる言の葉。 快感。 音と旋律 声と詩。 音楽(music)、「唱の女神の御技」と言う名の魔法。 いつそれが終わったのか、シグルーンにすらわからなかった。 ただ興奮して拍手を繰り返す少年の叫び声で、やっと我に返った。 「すごい、すごい、ねえすごいよね、かあさま!」 少年は立ち上げってあちこち振り向きながら、大声で何度も何度も叫んだ。 「すごい、まるでどこかにつれてかれそうな気がした。天国ってこんなとこかも」 無遠慮な賞賛の言葉に赤面するシグルーン。 少年がその笑みに飛びついた。 「ねえお姉ちゃん、ボクにも教えて、ボクも弾いてみたいよ、それ」 膝にしがみつく少年。 いいですよと言おうと、頭に手を伸ばす。 瞬間。 少年が膝から引き剥がされた。 その少年を、守るように両の腕でしっかと抱きしめる母親。 彼女の瞳に浮かぶ、怯えの色。 「あ……」 行くあてを失う指先と想い。 シグルーンの寂しげな視線にはっと我に返り、申し訳なさそうに、しかし決して少年 を離そうとはせず、目を伏せて許しを乞う女性。その二人の不可解な表情にあれ、あれ と首を振ってとまどう少年。 王が静かに、女性に対して退席を求める。 女性は繰り返し頭を下げながら、少年の手を引いていった。 変わらない笑い顔でシグルーンを見つめ、手を振る少年が視界から消える。 沈黙が、部屋に満ちた。 「済まぬな」 まず王が。 「いいえ、そのようなことは」 そしてシグルーンが応えた。 「悪い女ではないのだが、な」 「致し方ない事です。むしろ当然のことかと」 「当然、か。そちはそう思うか」 「え?」 王は呼び鈴を鳴らし、茶を用意させる。退席を求めようかとも思ったが、今なら、と 思うこともあって、あえてシグルーンはそれを受けた。 「どうだ、城内は」 「皆様良くして下さいます。何も不自由ございません。誠にありがたく存じます」 「別に杓子定規で答えんでもよい。言いたいことがあるならしゃべってしまえ。皆が私 たちを化け物扱いして困っています、と」 うっと、言葉に詰まる。指先が小さく震える。 苦笑いのユネル。 「そういうところは全然変わらぬな。力ばかり手に入れても、心が育たんでは何の意味 も無いぞ」 「(……言われなくたって)」 「ほらの。また言葉を飲み込んだな。息と同じで、吸って吐いてこそ意味があるのだ。 ただでさえ余計な力を背負っておるのだから、出すもの出さんと死んでしまうわ」 「……余計な力って、仕方ないでしょ! ……あ」 これが一国の王に向かって吐く言葉かい(苦)。 だが、王は心の底から笑っている様だった。 「わっはっは……よく似ておるな、シルヴァーナに。あれもそういう女じゃった」 「母……も、知っておられるのですか」 「あたりまえじゃ。予が自ら求婚したただ一人の女じゃぞ」 全く、この城の男たちは、なぜこうも恐ろしいことをあっさり口にするのか。 「それを無下にしおって、ぬしの父の所に行ってしもうた。ふふ、シグルーンよ。ぬし は世が世なら一国の王女だったのじゃぞ」 「え、あ……」 「ははは、昔のことじゃ。そう言えば、もう二十年近くも会っておらぬか」 こっちには笑って済むような話じゃないのに。 と、その時。ふと感じた。 今なら、聞けるんじゃないか。 「……王」 「ん、何じゃ」 「父は、どのような人だったのでしょうか」 ユネルの顔から、笑みが消えた。 「聞いてどうする?」 「いえ、ただ知りたいだけです。……私は父を尊敬していますが、それにも関わらず、 私は父のことを結局何も知りませんでした。王は父のことを友と呼んで下さいました。 ……不躾な、無礼な質問であることは承知しております。でも、もしも……」 その時シグルーンは気付く。王が顔を背け、何処か遠くを見ているのに。 瞳には虚無が浮かんでいるように見えた。 何も見えていないのだろう。 何が見えているのだろう。 「……気の合う仲間たちじゃった。ただの遊び友達じゃった」 ユネルが、何かにとり憑かれたように唇を動かした。 それはまるで、あの時のサフィルにそっくりだった。 「馬鹿な連中は傑物だの英雄だの言いおるが、そんな奴など一人もおらん。無鉄砲で考 え無しで行き当たりばったりで、ただ面白いことが好きなだけの、どこにでもいる連中 に過ぎんかった」 「そんな男たちの中に一人だけ女がおった。勝ち気でお転婆で怖いもの知らずで、でも たまらなく魅力的で美しい、……そう、そちと同じ、美しい緑の髪を持つ女がおった」 「男は女に惚れておった。だが女は、別の男を好いておった。男は嫉妬し、女を力ずく で奪おうとしたが、女は男をまっすぐ見据えてこう言いおった。私が欲しいなら、私に ふさわしい男になってから出直せ、とな」 「男は考える、どうすればいいかとな。そしてこう思った。この世で最強最大の存在に なってやると。世界全てを統べる王になってやるとな。そうすれば女にこの世のありと あらゆるものをくれてやることができる。どんな望みもかなえてやれる。それがあの女 にふさわしい男なのだ、と」 「男は仲間たちを煽動して、まずこの国を手に入れることから始めた。理想の国、理想 の軍、理想の民、そして理想の王。そんなものが実現できると信じさせた。そんなもの になってやろうと焚きつけた。最初は冗談半分じゃった。そんなことが簡単にできれば 苦労せんとな。……だが、いつしか皆本気になっておった。自分たちはそのために生ま れてきたんだと言う奴まで出てきおった。もう引き返せんかった。そして」 「やってしまって、皆呆然となった。俺たちならできるんだと口にし、信じておったく せに、本当にできてしまったら恐怖だけが残ってしもうた。次に何をすればいいのか、 誰にもわからんかった。だがその時、あの、女の好いておった奴が、男に向かってこう 言った。俺たちが、お前を本当に地上最強の王にしてやる。俺たちを信じろ、と。俺た ちは何も望まない。ただお前が、この世に本当の理想郷を実現してくれればそれでいい と。その言葉で、周りの連中も立ち直った。それこそ本当に、自らの使命に目覚めたか の如く、全てが恐ろしい速さで動き出した」 「そやつは鬼神の如く働いた。仲間たちの中でただ一人紳士的で良識的で善人だと思わ れていたそやつは、誰にも想像すらできないような恐ろしく、卑劣で、残酷な手管を縦 横に駆使して皆の道を切り開いた。この国のためにと、どんな手段をも厭わなかった。 仲間たちもそやつにならって全身全霊を尽くしおった。本当に、皆喜んで死んでいきお ったわ。……十年後、男が気付いた時には、そやつと女しか残っておらんかった」 「男は、本当に自分が何でも叶えることのできる存在になったことを知った。だがその 目に入ったのは、女がそやつの元へ嫁ごうとしている姿じゃった。男は女を呼び、なじ った。俺はお前にふさわしい男になったのに、なぜお前は俺の所にこないのか、と」 「女はただ一言、可哀相な人、とだけ男に言った。男は逆上し……」 「男にはわかっておった。そう、自分は決してそやつに敵わないのだということをな。 この王国最大の功労者にふさわしい地位を与えてやる必要があったにも関わらず、男は そやつを一介の近衛兵とし、しかもそれを奴が自ら望んだことであるかのように言いふ らした。なのにそやつは、一言もそれに反論しようとせんかった」 「そやつは女と共に居を郊外の小さな村に構え、近衛兵として以外決して国事に関わろ うとせんかった。ただ静かに女と、生まれた娘と共に静かな生活を送り続けた」 「残された男は……いや、最初から男には一人の仲間もいなかったのかもしれん。ただ 地位だけが男の持ち物じゃった。そしてはじめて気付いた。自分に与えられたものの巨 大さを、重さを、恐ろしさを、そしてかけがえのなさをな。もう誰も助けてくれんかっ た。男はただ己のみを信じ、必死に己を支え続けた。もうこれ以上、何かを失うことが 怖かった。この地位を維持することだけが、これまでの自分の全てを繋げ続けることな のだと、ようやく悟ったのじゃ」 「ある日、そやつが臨終の床についたと聞いた。男は、あれ以来そやつに会えずじまい じゃった。会う勇気がなかったのじゃ。最期と聞いてすら、男はそやつを見舞うことも できんかった。……数日後、女の名前で男の元に便りが届いた。そやつが終にみまかっ たこと、そして男に言い残した言葉を伝えるものじゃった」 王は、そこで話を止める。 シグルーンは、つい、聞いてしまった。 「父は何と、王に?」 王は、じろりと、シグルーンを睨み返した。 彼女は、自分が聞いてはいけないことを尋ねてしまったことを悟り、口を噤んだ。 「シグルーン=フレグランスよ」 「……は」 「人を動かす、最も強い動機とは何か、そちにわかるか?」 「……いえ」 「嫉妬、じゃよ。人とは、ことほど然様に救い難いものじゃ。承知しておけ」 「……」 「特にそちの様に、到底人の身にかなうはずのない荷を背負おうなどと分不相応な夢を 抱く者はな。万に一人、いや、億に一人とて叶えられるものではないぞ。……そちの父 のような者など、二人は多すぎるわ」 シグルーンは、自らの父が、やはり想い通りに自らの目標であることを知った。 そして王が、自分にその想いを受け継ぐ資格があることを教えてくれたことも。 「王よ」 シグルーンはユネルに胸を張って相対する。 「私ことシグルーン=フレグランスは、父アルベルト=フレグランスの娘であること、 並びに、父が親愛なるユネル=ド=アーハイム陛下の臣下であったことを生涯の誇りと するものであります」 ユネルが一瞬、驚きの表情を浮かべたようにシグルーンには見えた。 そして次に彼が起こした行動に、彼女の方が驚かされた。 ユネルは自らの首に手を回し、何かを掴む。 それを二人が向かい合っていたテーブルの上に置いた。 ペンダントだった。 先端には小さな、小指の爪の半分もないような濃紺色の宝石が付いている。 一見大した価値もなさそうだったが、仮にもDALKとして高度魔法を駆使するシグ ルーンである。水滴の形をしたその物体が、大きさからは想像もできないような、何か とてつもない力を備えた神器のひとつであることを看破した。 「そちの父との友誼の証として、娘たるそちにこれをつかわす。受け取るがよい」 「王!」 「見ての通りの小粒で大した価値もないが、あまり目立つものを……」 「王、おやめ下さい! 私にはわかります、これは!」 「シグルーン=フレグランス!」 物凄い威圧感だった。 そう、先の会見の最後に放ったのと同種の、そしてそれより数倍上の。 これこそが「ユネル=ド=アーハイム」なのだ。 ユネルは、ゆっくりと、一言一言区切る様に、力強く宣した。 「これは、そちのものである。そちにはこれを受け取る資格と、義務がある」 「ははっ」 「重ねて、そちの任務遂行のため精進せよ。大儀であった」 シグルーンが部屋を辞す。扉が完全に閉められ一人きりになって後、ユネルは含み笑 いをもらしながら一人ごちた。 「アルベルト、そちの育てた娘は、そちと全く同じことをぬかしおったわ。まったく。 ふふふ……結局、最後の最後までわしはお前に勝てなかったな。つくづく嫌な奴だぞ、 お前は。ははは……」 誰もいない部屋に、小さく笑い声が響く。 時折、そこに涙声が重なったことを知る者はいない。 |
一体目攻略、最終局面。 この魔神の持つ力は「風」。 認識不能の圧倒的なスピード。 防御不能な攻撃を駆使する、グナガンより一回り小さい巨体。 攻撃力自体はグナガンほどで無いものの、手数は圧倒的である。 魔神のもたらす攻撃に、セイルたちは最初消耗戦を覚悟した。 だがまもなく、シルヴィアとエリスンが攻撃パターンの解析に成功する。 魔神の攻撃後に示す態勢によって、次の攻撃の方向が高確率で特定できたのだ。 いくら神速の攻撃でも、当たらなければ恐れるには値しない。 ティロルとファローラが協調して囮となり、魔神の動きを制御する。それによって生 まれた死角に、シグルーンやリムリア、そしてルーたちの攻撃が集中する。ミコなどの 魔法系、アリーヌなど移動力に劣るナイト系のメンバーは十分に距離をとり、しかしい ざという時の援護が可能な状態を維持し続けた。 魔神の動きが鈍り始める。 明らかに体力が尽きかけていた。 あと少しで、この魔神の活動を止めることができる。 自らの出番に気負ったハンナが、思わず一歩を踏み出した。 まだ、とセイルがその前に立ちふさがる。 そのほんのわずかな動きに、魔神が反応した。 それが自らにとって致命的な力を持つ存在だと気付いたかのようだった。 危ない。 シグルーンが全速で反応する。 魔神が最後の力を振り絞る。 その体躯が生み出す神速の空撃が、二人に向かって発せられた。 セイルだけならよけられただろうが、彼がそんなことをするはずが無い。 魔神が最後に結集した力は甚大だった。 下手をすると、セイルですら。 少女たちが叫ぶ。 そして。 二人に攻撃が当たると思った瞬間。 その数歩前で、青い光の爆発が起こった。 シグルーンが、二人の前に飛び込んでいたのだ。 彼女もまた、死を覚悟しての行動だった。 致命傷ではないものの、既に幾度かその身に攻撃を受けている。 その上にこれを受ければ恐らくもたない。でもセイルを守るためなら。 シグルーンにすら何が起こったのかまるでわからなかった。でも、彼らをなぎ倒して いたはずの攻撃は、突然発生した青白い光によって遮られ、何の効果も現すことなく四 散していた。もし冷静に観察できていたなら、それが御前試合でシグルーン自ら用いた 技と同じ現象であることに気付いただろうが。 残りの少女たちが、はっと我に返る。 そして、今度こそ本当に断末魔の状態にある魔神に、とどめをさした。 大丈夫? セイルに、シグルーンに問いかける仲間たち。 まだいささかの戸惑いは消せないものの、それでもまず一つ、事を成就したことを悟 って、皆は喜び合った。 まだですよ。 ハンナが今度こそ、自分の本当の役目を果たすべく、魔神の屍の前に進み出た。 深呼吸を一つ。そして、神から預けられた御言葉を紡ぐ。 魔神の周囲に巨大な魔方陣が現れた。 いくつもの文字らしき模様が薄暗い地下に躍る。 セイルと少女たちはその幻想的な光景に見入っていた。 シグルーンもまた、先刻の危機を忘れてそれを見ていた。 だから。 彼女の胸の奥に見えないように下げていたペンダントから、ゆっくりと光が消えてい くことに気付くことはなかった。 |
翌日。 既に全員が身支度を終えていた。 本来ならパーティの一つも開かれて当然のところである。 何しろ、王国の建国理念そのものに直結する危機が回避されたのだから。 セイルたちの成したことは、いわば太祖の偉業にも匹敵する大事なのだ。 無論、もしそうなったとしても、セイルたちは受けなかっただろう。 時間が無いのだ。彼らにとっては、やっと四分の一が済んだに過ぎない。 ここに来てから既に二月以上経過している。もう、ぎりぎりの状態なのだ。 この後も順調に事が成し得る保証などどこにも無い。 一日たりとて、無駄な時間を使う余裕はなかった。 せめてパッティの少女たちの疲労が取れるまで、と思わなくもなかった。だが彼女た ちが一刻も早くと望んだこと、そして最終戦自体がそれほどの時間を要しなかったため に、彼女たちの疲労もさほでではなかったことから、ここはあえて無理を強いたのだ。 王国側も、諸手を挙げて彼らの偉業を祝おうとはしなかった。 彼らにして見れば、さっさと厄介払いしてしまいたいという態度がみえみえだった。 確かに王国の恩人である。いくら礼をしてもいい。名誉をくれてやってもいい。 けれど、彼らにとってセイルたちは、やはり化け物の仲間なのだ。 ひ弱な虫けらである自分たちにとって、彼らの持つ巨大な「力」は、そばに存在する だけでも恐怖なのである。 もうこれ以上は嫌だ。 早く恐怖から解放されたい。 臆病者と言わば言え。 だが我々にとっては、以前通りの、静かで穏やかな普通の生活こそが大事なのだ。 セイルの苦悩は計り知れない。 自らに対するもの、迷惑をかけた王国に対するもの。 そして、こんなことに巻き込んでしまっている愛すべき仲間たちに対するもの。 それがわかるからこそ、少女たちも文句一つ言わない。 それどころか、もう次の町のことを考えている。 どんな町なのかな、どんな人がいるのかな。 はしゃいでる。まるで、楽しみにしてる旅行にでも向かうかのようだ。 「……どうしました、セイル?」 「いえ……また、みんなに無理させちゃってるんだな、と思って」 「またそう言う」 「でも……」 「わかりませんか? みんな、本当に楽しみにしてるんですよ?」 「そんな。こんな酷いことに巻き込んで」 「だから、本当にそうなんですってば」 「でも……」 「セイル? あんまりうぬぼれないで下さいね」 「え?」 「自分が、一人でみんなを好き勝手にできるなんて思わないで下さいね」 「もちろんです。なんでそんなことを、シグ?」 「あなたが、みんなの心を自分勝手に決め付けているからですよ」 「……あ」 「いいじゃないですか。本当に楽しんじゃいましょうよ。みんな自分で自分なりの理由 を見付けてるんです。みんな本当は、自分勝手なんですよ。だからあなたも自分勝手に なってください。嫌になったら、みんな勝手にやめちゃうでしょうしね」 「……少し、変わりましたね、シグ」 「そう、ですか?」 「ちょっと……寂しいかな。置いていかれた気がします」 「何を言ってるんですか。男の子でしょ、しっかりして下さい」 「……はい」 「そうですよ。……私の好きな人なんですから」 セイルは、ぽっと顔を赤らめた。 彼から離れて、改めて荷物の確認をしているシグルーンに、リムリアが近づいた。 「少し、ふっきれたのかな?」 セイルとの会話を聞かれたらしい。 「ふっきれたというか……男の人って自分勝手なんだなって、思い知らされただけ」 「そうね。いつも泣くのは女ばかり、ってとこ?」 「そう思いこんでるのも男の身勝手」 「あははは、そうかもね」 「ふふふ」 そう、今は笑ってしまおう。 本当は、やっぱり泣いてしまいたいけれど。 |
それでも、一応の壮行会が開催される。 王が半ば強行する形で、それは慎ましく行われた。 セイルには永世筆頭騎士の位が、残りの少女たちには準聖騎士の位が与えられた。 褒賞と、以後訪れる予定の地の有力者たちへの進言状も与えられた。 後者の方をセイルが至極喜んだのは言うまでも無い。 西方世界の覇王の進言である。相応の力となってくれるのは間違いなかった。 王もまた事態を承知している。 不必要に彼らを留めようとはしなかった。 形だけは最上級の礼式をもって、セイルたち一行は城外へと送られる。 その時だった。 聖騎士団の一部が、突然一同の前に立ちふさがった。 場がざわめく。 騎士たちは抜刀し、それを両手で顔の前に掲げる。 中央の騎士が高らかに宣言した。 「救国の英雄たちに、礼!」 そして二列に分かれる。 一同の進む道をあけ、剣をかざして花道のトンネルを作った。 皆が皆、彼女たちに恐れだけを抱いていたわけではない。 自らをエリートと信じながら、及ばぬ力に歯がゆい思いを抱いていた者たち。そんな 彼らの目に写ったのは、乙女の身でありながら全身を傷だらけにし、怪物たちの返り血 を頬に受けつつ、疲労しきっているのは明らかなのに、お互い微笑み合って事を成そう とする、気高き少女たちの姿だった。 「自分たちは一体何をしているのだ?」 恐れは、やがて敬意に変わる。 そして意を決した一人の騎士が、少女の一人に話しかけた。 少女は、本当に当たり前の、どこにでもいる年頃の娘のまぶしい笑みを返した。 騎士と少女たちの交流が始まる。 一人、また一人と、別の騎士たちがその輪に加わる。 ここで語られることの無い、いくつものエピソードが生まれた。 本当にありきたりの、少女と騎士のよくある物語。 その果てに、騎士たちは理解した。 この少女たちが。 彼女たちを導く少年が。 ただ単に、巨大な力を持つだけの、普通の人間であることを。 そしてそれが故に、彼らが「真の勇者」であることを。 恥ずかしく思った。 彼らを正当に評価しなかった自分たちを。未だに評価しない人たちを。 自分たちだけでも、彼女たちに礼を言わねばならぬ。 自分たちだけでも、彼女たちを暖かく送らねばならぬ。 そんな思いが、騎士としての秩序と王国に対する忠誠を超えた行動に彼らを駆りたて たのだ。 少女たちは、その顔を知る騎士たちに駆け寄った。 手を握り合う。 抱きつく少女もいた。 笑いあう。本当に楽しそうに。 そして、別れを惜しみあう。再会を約束して言葉を交し合う。 シグルーンは。 自分がこの輪の中にいられたことを、死ぬまで忘れまいと心に思った。 そして、ついと最愛の人を見やる。 そこには、本当に久しぶりに見た、少年の心から嬉しそうな顔があった。 「シグルーン」 サフィルも、いつのまにかそこにいた。 彼らしくもない、少し伏目がちの笑顔で。 「最後まで気まずいままなのも、嫌なのでね」 あの日以来、二人はお互い言葉を交わすのを避けていた。 でもこの先、再び会えるかどうかもわからない未来が待っている。 「シグルーン、私は……」 「サフィルさん?」 シグルーンは、唇に指を当てて、言葉を抑えた。 えっ、とサフィルが覗きこむ。 その時。 ぱあん。 その場にいた全ての人間が、思わず言葉を失った。 それほど、見事なまでに響き渡る音だった。 何が起こったのかわからず、じんじんと痛みが走る頬を抑えるサフィル。 振り切った手のひらをそのままに、シグルーンが微笑みながら言った。 「これでおしまい。女の子を泣かせた罰ですよ」 ふふふ、と口に手を当てて笑い出す。 様子を見ていた周りの少女たちも笑い出した。 つられて、サフィルもぷっと吹き出してしまった。 そして今度はシグルーンが驚いた。 サフィルが、よっと彼女をその肩に担ぎ上げたのだ。 そう。七年前、彼が彼女にしたのと同じように。 「ちょ、ちょっと、サフィル!」 「……シグルーン?」 「は?」 「もうちょっとやせたほうがいいんじゃないですか? 少し……重くなりすぎ」 そう言いながらわざとらしくよろめいて見せる。 シグルーンがかあっと赤面した。 「ば、馬鹿。何言ってんですか、こらーっ!」 ぽかぽかと頭を叩かれながらも、サフィルは彼女を担いだまま、先頭に立って外へと 向かって歩き出した。 少女たちも、騎士たちも、そしてセイルも。 笑いながら、その後について走り出した。 まだ見えぬ未来に向かって。 どこかで、王の笑い声が聞こえたような気がした。 |
アーハイムの町から一日ほどの距離にある小さな村。 その村を見下ろす、小高い丘にある墓地。 二人の女性が、その中の一つを見参っている。 同じ緑の髪を持つ母娘。 アーハイムを出た一同から分かれて、シグルーンは一人、故郷の村の母に再会してい た。彼女の足なら追い付くのはわけないし、王やセイルたちの薦めもあった。そしてな により彼女自身が、一目母に会い、父の墓を詣でたいと思っていた。 三年ぶりに会う娘を母はまるで、その日の仕事から帰ってきたいつも通りの帰宅でも あるかのように迎えた。そして娘も、恐らくずっとそうしてあるのであろう、家を出た ときとまるで変わらない自分の部屋のベッドと、食卓に用意された二人分の食事を、昔 通りの母娘の会話と共に堪能した。 翌日。シグルーンは、もう皆の後を追わねばならなかった。 父の墓に報告を終えてから、そのまま旅立つつもりだった。 二人は、それでも言葉少なだった。 逆に言えば、多くを語る必要がなかった。 母は娘を見て、彼女が多くのことを知り、そして未だに自分の目標を見失っていない ことを知った。 娘は母を見て、彼女が多くの過去の果てに、今の自分を育て上げてくれたのだという ことを知った。 シグルーンは、この一家が王から与えられた唯一のものを母に見せる。 母は、それでもやはり静かに笑うだけで、父も喜んでくれる、とだけ言った。 娘は、王に言ったのと同じ言葉を、母にも繰り返した。 それで終わりだった。 娘の姿が見えなくなるまで見送る母の後ろに、騎馬のひづめの音が聞こえた。 彼女は振り返りもせず、こう言った。 「やっと、アルベルトに会いに来てくれたのね、ユネル?」 王と呼ばれる男は、無言で馬を下りた。 そして彼女に並び、目前に立つ墓碑を見つめた。 「……あの子に、「王の涙」を渡したのね」 「もう、この国には必要無いものだ」 「……太祖も浮かばれないわね。こんな無能な末裔を持って」 「全くだ」 二人の間に再び訪れる沈黙。 「……ありがとう、ユネル」 「何が」 「色々と、娘を助けてくれたみたいで」 「……ふふ」 「なに?」 「いやな、「女神の毒蛇」、希代の薬師シィルも、歳をとれば丸くなるか」 「ふん……シィルなんて呼び方しないでよ」 「ワシを呼び捨てにできる唯一の生き残りが、偉そうに言うわ。なあアルベルトよ」 「全く、そういうところはちっとも……」 彼女は、実に二十年ぶりに、その男の顔を見た。 そして、その顔に浮かぶ死相を見取った。 「ユネル、あなた!?」 「……ふふ、やはりお前にはわかるか。王宮の医師どもがせめてお前の半分でも使える 輩なら、もしかしたらどうにかなっていたかもしれんがな」 「一体、いつから……」 「さてな。あと一年もたぬと言われて、もう半年ほど過ぎた気がするが」 その通りだ。恐らくは現時、地上最高の能力を持つ薬師である彼女にも確信できた。 この人は、もうすぐ死ぬ。 「……それで、だったの?」 「一応隠してはみたが、駄目だったな。もうワシにはこの国を制御する力がない。お前 たちには及ばぬが、まあ二流どころの連中はのこっとる。今の状態を維持するだけなら あと十年やそこらはもつだろうよ」 「そんな……あ、でも」 「そう、問題は後継者だ。言いたくはないが問題はそっちの方だ。はっきり言うが、あ んな王族など、もうこの国には邪魔だ」 「ユネル……」 「本当に済まぬ。ワシは……アルベルトとの約束を守れなかった」 「……そんなこと」 「奴を、お前を、あいつらを犠牲にした果てに、ワシはどうやらこの国をつぶすことに なるらしい。どうしようもない無能者だよ。アルベルトにあわせる顔もない」 「……もしかして、だからあの子に?」 「ふふ、言ってるだろう。もうこの国には王も、太祖の詔も、そして国自体が存続する 公の理由などどこにもない。あとは民が自らの力で立ってくれることを祈るだけだが、 なにせワシは少々やりすぎたからの、もうそんな馬鹿すら出てきてはくれん。自業自得 だよ」 「だったらなぜ?」 「……ただ、託したかっただけさ。ワシらの夢を。お前とアルベルトが育ててくれた、 あの娘にな。お前たち二人の娘にな」 シルヴァーナ、シグルーンの母であり、七傑の一人としてユネルと一時代を共にした 女性は、その横顔をじっと見つめ、そして微笑みながらこう言った。 「変わったわね、ユネル」 「そんなことはないぞ。相変わらずの見栄っ張りだ」 「そうね。私は見栄っ張りが嫌い。だからあの時、意地っ張りのアルベルトを選んだ。 あなたたちはよく似てたけど、その一点で、あなたは私にふさわしくなかった」 「そうだな。ワシは最後まで、それに気付かなかった」 「ねえユネル。……最後くらい、一緒にいてあげましょうか?」 「ふん。あの時、もうワシには一生会わないとまで言いきったお前が何を今更」 「だって」 「なんだ」 「あなた、意地っ張りじゃない?」 ぷっと、ユネルが吹き出した。 次いでシルヴァーナも。 「こっちからお断りだ。今更お前にこられてワシの場所を滅茶苦茶にされてたまるか」 「いいじゃない、どうせ最後よ。祭りの終わりはパーっとやんなきゃ」 「祭りの、終わりか」 「そうよ。国造りなんて、あたしたち以外誰も見ることなんてできなかった、大馬鹿者 の夢想でしかないとんでもない夢を、やっと見終えることができるんだもん。最後くら い、本当に好き勝手しましょうよ」 「ふふふ、やっぱりワシらは、うつけのNaughtyBoys(悪戯小僧たち)ってことか」 「生き残った者勝ちよ。あいつらの分まで楽しんでやんなきゃ悪いじゃない」 二人は、長く、本当に長く笑いあった。 笑い終えて、「王」が言った。 「シルヴァーナ=A=フレグランス」 「……は」 「余生、静かにおくるがよい。大儀であった」 「……王」 「?」 「私ことシルヴァーナ=A=フレグランスは、ユネル=ド=アーハイム陛下に永遠の忠 誠を誓うと共に、その臣下であることを生涯の誇りと致すものであります」 王は、それに応えず、彼女に背を向ける。 ただ、小さくこうつぶやいた。 「お前たち一家は、全く……」 王は馬を駆り、ゆっくりと去っていく。 これが「ユネル王とその七傑」の、物語の最後であった。 |
半年後。 最後の魔神攻略に着手していたシグルーンの元に、母から手紙が届いた。 そこにはユネル王が崩御なされたこと、先に彼女がリュートを披露した少年が次期王 位にお就きになられたことが記されていた。 あの幼い少年が、賢臣賢者の補佐があるとはいえ、あの大国をどう治めていくか。 だが、シグルーンがその思いにとららわれることはなかった。 現時、彼女には成すべきことがある。それに全力を尽くさねばならないのだ。 それでも、ただ心静かに、今はもう亡き王の冥福を祈った。 これで彼女と王国の絆はいったん途切れるのだと、その時彼女は思った。 しかしそれからおよそ二年後。 彼女は、慮外の境遇をもって、この国を再び訪れることとなる。 「最終戦争(The Last of Lasting War)」 彼女は未だ、その身にふりかかる運命を知らない。 2000.2.5 The First Chapter, 1st Story : ”Identification” written by Sayah=Otokami |