大陸の中央にそびえる霊山。 その地下迷宮、実に一千階。 気の遠くなるような深遠の地の底で、今、まさにこの瞬間、世界の命運を左右する戦 いが繰り広げられているなどと、一体誰が想像し得ようか。 もうこれ以上、生きとし生けるもの全ての存在が踏み込むことの出来ない地の底から 絶え間無く生まれいずる、超絶的な力を持った妖獣たち。 ある者は剣で、ある者は素手で、そしてある者は自らの命を削って生み出す魔法によ って、その神にも等しい化け物と対峙する少女たち。 その少女たちが守るのは、一対の男女。 少女とも見間違う、神官の装束をまとった美しい少年。 伝説の中でしか存在し得ない軍神の姿をした、緑の髪の少女。 その二人が立ち向かうのは、まごう事無き「神」。 太古、天上の神々との争いの下、この世界を破滅寸前にまで追い込んだ存在。 太古、もう誰もその名を知らぬ、五人の英雄により地の底に封じられた存在。 そして百年前、封の解ける寸前、聖なる巫女の犠牲にて再度封ぜられた存在。 いくつもの想いが重なり合い、いくつもの偶然が重なり合い。 知らず、その封を解いた少年は叫んだ。 「なぜ人だけが犠牲になるのか?」 少年は、最後の戦いに臨む。 彼を信じ、彼を愛する少女たちと共に、全ての幕を下ろすため。 だが、未だ彼は知らぬ。 この戦いこそが、本当の「はじまり」であったことを。
シグルーンの剣が、魔神の胸にある巨大なクリスタルを粉砕した。 「グアアアァァァーーーッ」 瞬間、彼女とセイルを守るために次々と迫りくる妖獣たちと死に物狂いで戦っていた 少女たちの動きが止まった。魔神の断末魔の叫びに気を取られたからではない。戦って いる相手の妖獣たちが、一斉に動きを止めたからだ。 うっと息を飲む少女たち。彼女たちの眼前で、妖獣らは支えを失ったかのように崩れ 落ちたのだ。殺意という明確な意志を持って自らを形作り、止むことなく彼女たちに襲 いかかっていた存在が、本当にまばたきするほどわずかな時間の後に、まるで最初から そうであったかのような、ただのゼリー状の物体に成り果てていた。 暫時、誰一人として口を開かなかった。いや、開けなかった。 ゆうに五十ほども数えることのできた後。 最初に口を開いたのは、リムリアだった。 「……終わった、の?」 少女たちは無言でお互いを見渡す。 そして申し合わせたかのように、彼女たちの背後にそびえる巨大な像を見上げた。 魔神、グナガン。 世界を破滅に追い込む力を持つ「神」。 しかしそれはもはや、その名に値しないただの偶像だった。つい先刻までこの世の全 てをなぎ払うかのごとき強暴な力で腕を振るい、光の柱とも思えるほどの巨大な雷や火 炎を撒き散らしていたのが嘘であるかのように。 元々感情の存在を感じさせない双眸に不気味にともっていた青白い光は失われ、攻撃 のたびに怪しい光を発していた胸のクリスタルも破壊されている。今もそのかけらが床 に一つ、また一つと、不気味なほどの静寂に包まれた世界の唯一の音源となるかのよう にこぼれおちている。 「……終わったの?」 再度、リムリアが同じ言葉をつむぐ。 それがきっかけとなった。 「キャハ、ハハハ……」 ファローラがぺたんと腰を下ろしてうつろに笑い出す。 「う、うううっ……」 ジーマとアリーヌが、うずくまるように泣き出す。嬉しいのか、それとも戦闘の傷の 痛みが今になってその身を苛みはじめたのか。 「…………」 未だに状況を実感できず、呆然と立ち尽くすリンス。つまりそれまでの状況が、彼女 をここまで追い込むほどのものだった、ということだ。 ……無理も無い。 グナガンとの戦闘が始まってから、もう一昼夜に及ぶ刻が経過していた。ましてや時 計など存在しない地の底である。彼らの主観的な感覚には、どれほど長い拷問と感じら れたことか。 地下迷宮最強クラスの妖獣が跋扈するフロアを横断するだけでも至難だった。それを 突破したと思ったら、いたのはまぎれも無い「神」の眷属。こちらの攻撃が通用しない わけではないが、グナガンが次々に繰り出す物理、魔法双方の複合攻撃に耐えうる防御 力と耐久力を培ってこれたのは、結局のところ神の庇護を受けたDALKのシグルーン だけだったのである。 結果、攻略の切り札であるシグルーンと、唯一回復魔法の使える神官のセイルを守る ことが至上命題となる。その回復魔法すらシグルーン優先となるため、残りの少女たち は皆自らの全知全能を尽くして防衛と生存を図らねばならなかった。そう、この極限状 況においては死ぬことすら許されなかったのである。もし一人でも脱落すれば、たちま ちのうちに防衛線が決壊し、皆の命を道連れにするのが明らかだったのだから。 全員、心ここにあらず、という状況。 そんな中で最初に行動を起こしたのは、意外にもミコだった。彼女は、ただのむくろ となったグナガンを見上げて寄り添いあう男女の元へ歩み寄る。 「……お疲れさまでした」 ビクっと反応し、慌てて振り返ったのはセイルだけ。シグルーンは反応できない。そ して声をかけてきたのがミコだとわかり、一瞬驚きの表情を浮かべてしまう。それでも セイルは、何かに全てを漂白されたかのような透明で無垢な笑みを浮かべた。 「本当にありがとう。……本当に」 二人を見留めて慌てて駆け寄ってきたリムリア。彼女もまた、いったん息を整えた後 にっこりと笑って言った。 「終わったのね。ホント、死ぬかと思った」 全然洒落になっていない。 リムリア自身、洒落のつもりで言ったわけではなく本心だったのだが、この状況では ただの出来の悪い冗談だった。でもそれが逆に場の雰囲気をやわらげるのに役立った。 皆が一斉に笑い出す。セイルも、ミコも、そしてリムリアも。ファローラがつられて やってきた。次にリンスが。アリーヌとジーマも腰をあげた。 一同に会する。皆の疲れ果てた顔。傷だらけの身体。 それを確かめ合い、改めて、全員で言葉を交し合う。 意味のない言葉。けれど決しておざなりでない言葉。 が、ただ一人、その輪に入らない少女がいる。 リムリアがそれに気づいた。 「……シグルーン、どうしたの?」 彼女は未だに、呆然とその巨像を見上げていた。 手がこわばっている。剣を握る手に必要以上の力がこもり、震えている。 「どうしたの、終わったのよ、ねえ?」 リムリアが、嫌な予感を振り払うように叫ぶ。 それに対し、シグルーンの唇が小さく震えた。 「……ちがう……」 息を飲むリムリア。そして問いただす。シグルーンが再度声を絞り出した。 「ちがう……ちがうの……そうじゃない……」 その瞬間である。 全員の視界が失われた。 「え……っ!?」 声を出す暇もない。 至近に無音の雷が落ちたかのような光の洪水 白い世界。 無限とも思える時間。 もしかしたらそれは、ほんの一瞬のことだったのかもしれない。 ゆっくりと、現実の色彩世界が再び姿をあらわす。 それを理解した後、少女たちは見た。 倒したはずの魔神の双眸から光が発せられ、空中に「像」が結ばれているのを。 「!?」 まるで幼児が描いた落書きであるかのように歪んだ映像。 それが何を意味するのか、その時の彼女たちに理解できようはずもない。 いくつもの映像が、画像が、入れ替わり立ち代り現れては消えてゆく。 その全てが歪み、欠損し、白いノイズになぞられている。 まるで、断末魔の魔神の記憶が不完全なまま流出しているかのように。 誰一人、その異常な光景から目を離せない。 その中で、ただセイルだけが奇妙な感覚にとらわれていた。 (あれは……?) 確かに意味の無い映像に思えた。 しかし時折、ほんの一瞬だけ、彼の深層意識を刺激する映像が差し挟まれていた。 魔神に挑みかかる一人の青年。 彼を補佐する四人の人物。 その内の一人を、知っている。 なぜならその人物は……。 そう感じるや否や、再度状況は一変した。 (ゴゴゴゴゴ……) 地の底が震え出す。同時に、先刻まで絶えず妖獣を吐き出していたフロアに点在する 「穴」が一斉に輝きはじめた。そして全員、もうこの世で二度と見たくないと思ってい る光景を再び目の当たりにすることとなる。 再度、妖獣たちがその穴から這い出てきたのだ。 しかも今度は、先刻とは比べ物にならないほどの早さと量である。 たちまちのうちにフロアは妖獣で埋まり出した。更に。 「グオオオォォォーーーッ」 身の毛がよだつ声。もし彼らが常人であれば発狂していたかもしれない。でもこの一 年に及ぶ戦闘の日々が彼らの心を鍛え上げてしまっていた。いや、単に摩滅されられて いただけかもしれない。どちらにせよこの時狂わずにすんでしまったのは、彼らにとっ て幸だったのか不幸だったのか。 グナガンが、復活していた。 胸のクリスタルに「四方」から異なる色の光が集まる。 破損個所が、その光に埋められていく。 光は混じり合い、新たな結晶となって再び輝き出す。 弛緩していた戦闘本能が彼らの精神をきつく締め上げた。しかし、既に彼らは戦える 身体ではない。心身の傷もさることながら、もはや立っているだけの気力も体力も使い 果たしていたのである。 真に、死の恐怖が彼らを包む。 ところが。 突然、彼らの眼前の床に、円く光り輝く「陣」が出現した。 次いでセイルの頭の中で声がする。 (早くその中に、急いで!) 「マーティス様!?」 (話は後です! とにかく今は脱出しなさい!) セイルは迷わなかった。というより、他に選択肢が無かった。 一同に向かって叫ぶ。 「みんな、この中に!」 少女たちもまた迷わなかった。ただそれは理性的なものではなく、衝動的なものだっ た。この時もう全員パニックにおちいっているも同然の状態だった。でもそれゆえに、 どんなにわずかでも助かる可能性があれば、それにしがみつくしかなかった。 セイルと七人の少女が魔方陣の中に入りきった瞬間、円陣の周囲からぬっと光の壁が 立ち上がる。次の瞬間、寸前まで迫っていた妖獣たちがその壁に触れた。少女たちが悲 鳴を上げたが、すぐ安堵の声に変わる。妖獣は壁に触れるやいなや、たちまちのうちに 蒸発して消えてしまったのである。次々と襲ってくる妖獣全てが同じ運命をたどった。 どうやら奴らにこの結界を突破する能力は無いらしい。 とりあえずの安全を確認して、セイルは光の壁の向こうを見た。 既に妖獣たちはフロア全体に満ちていた。いや、もうそういうレベルの話ではない。 あまりに密度が高くなってしまったためか、妖獣たちは原型すら留めてはいなかった。 ただゼリー状の物質がフロア全体に洪水のように満ち溢れ、刻一刻とその水位を増して いるのだ。 魔方陣が第二の発動を開始する。 セイルは、自分たちがどこかに転送されるのを悟った。 そして視界が暗転してゆく直前。 グナガンが妖獣の海に満たされ、ゆっくりと浮かび上がっていくのを見た。 「……ここは?」 気付いた時、セイルは妙に見覚えのある場所にいた。しばらく辺りを見まわした後、 そこが霊峰トラム山の頂にある神の間であることに気付く。 同時に、そこに一同が会していることにも気付いた。先刻まで一緒に戦っていた少女 たちのみならず、控えていた残りの七人も、更にはつい先日、百年間の束縛からその身 を解放された五人の封印の巫女たちも。 見知った顔の少女たちは、皆一様に悲しそうな戸惑いの表情。 見新しい顔の少女たちは、諦めたようなため息混じりの表情。 彼女たちの背後に、二人の神がいる。 セイルが気付いて叫んだ。 「マーティス様、それにミラ様!?」 二人の超越者たちは、寂しそうな笑みを浮かべてセイルに応えた。 「ご苦労様でした。セイル」 「皆が無事で良かったわ、本当に……」 その真摯ないたわりの言葉は、しかし、この時のセイルたちを深く苛んだ。 思わず、セイルのぎゅっとつむられたまぶたの端から涙がこぼれ落ちる。 何も言えない。誰もそんな彼に声をかけられない。 わかっている。そう、彼らは失敗したのだ。 あれほど偉そうなことを言っておきながら、魔神を倒して人だけが犠牲になるような 世界など終わらせてみせると誓っておきながら、彼らはそれを果たせなかったのだ。 いたわりの言葉に何の意味がある? 結果が全てではない。全てはないが、失敗した 選択の結末など、初めから選択それ自体を放棄した無責任さにすら劣る。ましてやこの 結末は、彼ら個人の責任の範囲内で済むようなことではないのだ。 そう。既に魔神は復活してしまった。そして彼らは気付いている。 魔神が地上目指して地下から這い上がりつつあることを。そして。 もし魔神が地上に再臨し、あの強大な力を発動させたら? 彼らの名は、人類最悪の災厄として歴史に残ることになるのだろう。 いやもしかしたら、その歴史すら消滅することになるかもしれない。 (でも、それでいいのかもしれない) セイルは、ふとそんなことを思った。自暴自棄と言わば言え。だがこれも一部の同胞 を犠牲にして偽りの安逸をむさぼってきた人類全体の罪の結果なのだ。この世には無知 であることそれ自体が罪である状況も存在しうるのだ。 そんな心の暗黒面に己を逃避させてしまおうかと思った時。 不意に、空気の手触りが変わったことに気付く。 何だ? マーティスとミラが、つい、とセイルの前をあけた。 その眼前に、光の粒子が集まっている。 空間が歪む。人の形となって湾曲が収束し、輪郭を光がふちどる。 そうだ、これは以前にも一度見た。これは。 絶対神、フラドの降臨。 巨大な光の神像。 あまりにも出来過ぎな威厳に満ちた風貌。 そしてセイルたち人間を、変わらぬ蔑視の色を浮かべて見つめる瞳。 その印象通りの尊大な口調で、視線はそのままにマーティスをなじり出した。 「不手際だな、マーティスよ」 フラドに頭を下げたまま、マーティスは神妙に応える。 「申し訳ありません。私の不徳の致すところ」 「謝って済むようなことでもあるまい。どうする、この始末?」 「は、この期に及んで申すのもはばかりながら、我が非才なる身の全能を上げて対処致 す所存」 「ふん、このように無能の下賎な輩に世界の命運など委ねるような考え無しに、これ以 上一体何が出来るというのだ」 セイルたち人間を意図的に無視し、ただマーティスのみをなじり倒すフラド。 かあっと、セイルの頭に血が上る。 この身が責められるのなら幾らでも甘んじて受けよう。その責任は確かに私にある。 だが、何故マーティス様が責められる? 悪いのは全て私なのに。 セイルが表向きの紳士的な仮面の裏に、激しい、良く言えば正義漢の、悪く言えば短 慮な気性を秘めているのを既に嫌というほど思い知らされてきた仲間たちは、その時の セイルの表情の激変に危機を感じた。 ミラがセイルの後ろにいるシグルーンと目を合わせ、視線を横に走らせた。 彼女もすぐさま彼の袖をつかんで自制を促す、が。 「お待ち下さい、フラド様!」 一手遅かった。いや、間に合っても同じことだったろう。 セイルと、つい先日までその身を封印としていた五人。 それ以外の全員が。 新たなる戦いの「はじまり」を確信した。 2000.1.20 Prologue : ”Rainbow” written by Sayah=Otokami #補遺:「記録」 ●グナガン初攻略:1993年4月……98DOS版発売5ヶ月後 ●メンバー:セイル(神官戦士)Lv131 シグルーン(DALK)Lv171……以下7名全員同Lv リムリア(バルキリー)・ジーマ(スナイパー)・ミコ(ミネルバ) アリーヌ(パラディン)・ファローラ(アサシン)・リンス(闘気士) 以下控え(Lv55・7名同じ) シルヴィア(DALK)・ティロル(アサシン)・ルー(トーロード) チョルラ(アーチャー)・エリスン(ミネルバ)・アルピナ(闘気士) クウ(パラディン) |