▽兄貴補完計画 ※華苑兄が若干…そ、うとう、捏造された形で出ています。ご注意をば。


―――だから、ちっとも悲しくなんてないですよ。
笑みの形に眇められた青い瞳は、澄み切って美しかった。




「全く、どうしてあなたはいつもそうやって無理をなさるんですかッ!!」
「はっは、仕方あるまい。なんとか内外ともに体裁は整ってきたが、まだまだ人手不足だからな」
豪奢なベッドの上で胡坐を掻きながら、少年自身の提出した書類の束にもの凄い速度で眼を通していく男の肋骨に弾性包帯を充て、少年は深く溜息を吐く。
「俺はここ三ヶ月でずいぶん応急手当の技術が上がりましたよ…」
恨めしい顔つきで男の横顔を見つめながら、少年は慣れた動作で包帯を捲き始める。今のように、報告書を提出すべく非常識を知りつつも夜更けに彼の私室を訪い、そうして己の腹部を縫う彼を見てしまったのはいつのことだっただろうか。
とにかく医者を、と叫んだ少年に、今自分がそんなところに行けば周囲は不安になるし、よからぬことを考え出す輩も出てくるから、と男は笑って首を振った。あまつ、そんなのは詭弁です、とぱっくり開いた傷口から蠕動する内臓器官を見てしまい蒼白する少年へ、丁度良い、とばかりに未だ血の滴る刀傷のある背を向け、こう云った。
「文字通り、後ろにまで手が廻らん。悪いが、消毒を頼む」


「…最近は目立つような負傷をなさらなくなったと思ったら、これだ。どうしてあなたほどの技倆の持ち主が、防御を忘れたような振りをなさるんです」
男は少年の知るなかで最も強く、かつまた理性的な思考回路の持ち主であったが、時々見ていてひやりとするような闘い方をするときがある。それは窮境に追いつめられれば追いつめられるほど顕著になる男の性質で、最初は自棄になっているのかと辟易し、不安に思ったが、やがてそれは勘違いなのだと思い知らされた。
あるものを、見たからだ。
今日も見た、敵の首魁へと向かっていくその横顔、その眼に、くち許に、
「それも仕方ない。忘れた振りではなく、本当に忘れてしまうんだ。今までの人生、至上最弱であることを誇りにしてきた男だぞ、俺は。半年かそこいらで喧嘩に慣れるものか」
ようやく出番が来たとばかり、愉しそうに、
「…笑っていたくせに…」
「は?」
常日頃、男が見せる権謀術数に長けた姿など表面でしかなく、この男のこころの一番奥底にあるのは、その瞳と同じ色の抜き身の剣なのだと少年は思う。
少年は聞き返す男の追究を何でもありません、と断ち切って、救急箱を閉じた。そうして男が十数枚に及ぶ報告書を読みきっているのを確認し、いかがですか、と問う。少年が提出したのは新しい、特体生を中心とした自治体制の概要だ。
男は尋ねた少年に対し、にんまりとくちの端を吊り上げた。
「面白い」
そのひとことは、事実上のゴーサインなのだと少年はもう知っている。だから少年は、仕事が半分済んだことに対して微笑い、近いうちにもっと詳細まで述べた草案を提出しよう、とベッドから立ち上がる。
「ふむ…戦闘能力も高い、内政面も明るい……」
その立ち上がる少年をじろじろと無遠慮な視線で観察したあと、男は破顔一笑してこう云った。
「いやー、やはりナンパして正解だったな!はっはっはっ!」
「っ〜〜〜〜〜気色のッ悪い云い方を、なさらないでくださいッ!!―――失礼します!!」
重厚な烏木製の扉が荒々しく閉められる。廊下に敷かれた絨毯の毛足は十分長いはずなのに、それでも聞こえてくる荒々しい足音に男は苦笑し、坐っていたベッドから立ち上がる。天井中央で輝く豪奢なシャンデリアの灯りを消し、再びベッドに戻るとそのまま躰を後ろに倒してスプリングの効いたそこに躰を投げ入れた。
脇腹の骨が軋むのに、微かに苦笑する。
「冗談ではなく……轟火のおかげだと思うのだが、な」
呟いたのは一言。暗がりに波紋するそれは酷く疲労に沈みこんだような声で、男は自ら発しておきながらそのあまりの弱弱しさにまた苦笑う。



―――この力があれば、私はあなたを、あなたの大切なものを護ることが出来るんです。
―――だから、ちっとも悲しくなんてないですよ。
笑みの形に眇められた青い瞳は、玉瑠璃のように澄み切って美しかった。
雪奈、とこころの中だけでその名を呼んだ。今も魔界孔を封じているはずの、少女の名前。
彼女と別の道を行くと決めたいつかに、その名をくちに出すことを己に禁じて随分経った。
彼女と自分の行く道は二度と交わらないかもしれない。
それでもまだ自分は彼女を護る剣であれるだろうか。
そして自分の中にある抜き身の刀身は、未だその切れ味を損なっていないのか。
解らない。解らないけれど、でも、

男はそこで思考を断って、そうして眼を閉じる、







何故なら、明日はまた剣に戻るから。