| バリバリ女郎蜘蛛 |
蜘蛛の名は初音。 妖しくも禍々しき魔性の雌蜘蛛。 里に降りては人を弄び、巣に連れ帰ってはまた弄ぶ。 蜘蛛が人の姿となれば、たちまち瑞々しい黒髪が妖しく風に舞う。 黒髪の美しき蜘蛛は血肉を欲した。 生きる力だけでは足りぬ。 求める力は戦う力。 敵を迎え撃つ力。 蜘蛛は山を降りた。 たどりついたのは冷たい場所。 暗きまなびや。 夜の冷気にひっそりと佇む。 蜘蛛はほくそ笑んだ。 人の生気の残り香が香ばしくも鼻孔をくすぐったから。 蜘蛛の名は初音。 黒き髪の女郎蜘蛛。
初音はフェンスをよじ登った。 「君、何をしているのかね?」 自転車に乗った警官が懐中電灯を当ててきた。 初音はそちらをじっと見つめる。 「……カランバ」 「そうか、カランバか」 警官は蜘蛛の力で認識を狂わされ、納得して立ち去った。 初音は一人、腹を叩いて大笑いしていた。 「カランバ……カランバですって。可笑しいわ。カランバなんてわけのわからないことを納得するなんて、ああ、可笑しい」 初音はフェンスを越えてからも転げ回ってひいひい笑った。 「いひひひひひひひひ」
「軽く腹ごしらえと行こうかしら」 力任せに鍵を壊し、小さな動物たちの前に立った。 「数週間何も食べてなかったの……お許しあそばせ」 初音はその場にはいつくばり、口を大きく開いた。 容赦なく咀嚼する初音に、兎は怯えて動くことも出来ない。 「ああ、美味しかったわ……」 初音は兎が食べ残した人参を食い尽くすと、満足そうにげっぷした。 「げぷっ」 兎のうち一匹が初音の足に噛みついたのはその時だ。 楽しみのために残しておいた人参を奪われ、怒りが恐怖を上回ったのだ。 「い、いたや、いたやっ!」 古語じみた口調で初音は悶え苦しんだ。その様に無数の兎たちが勝機を見いだす。 兎らの猛攻に初音は泣きじゃくった。 「うええええええっ、痛い、痛いぃ!」 初音はほうほうの体で逃げ出した。
「あ、こら、何をやってるんだ!」 宿直の教師だろうか。二十代後半の男性が鶏小屋に駆け込んできた。 「せ、先生、先生、助けてくださいな!」 初音は教師にすがりついた。 「こら、しっしっ」 教師は初音を救い出すと、宿直室まで連れて行って熱いココアを淹れてくれた。 ココアの甘さと暖かさが初音の傷ついた心を癒してくれる。安心すると、また涙がこぼれてくる。 「おお、よしよし」 初音は肩を優しく叩かれた。人情の温かさになおさら泣けてきた。 でも力も欲しかったので、とりあえず暗示をかけて食った。 あまり美味しくも無かったが、動物より人間の方が暗示を受けやすいことがわかったので大満足だった。
明日は兎と鶏にリベンジしてやると心に決めて、日課の腹筋背筋腕立て伏せを十回ずつ三セット済ませてから畳に寝転がる。 お気に入りのテディベアにしがみついて眠る。これが無いと夜泣きしてしまうのだ。 「うにゃ……肝臓は個人差が大きいけど脾臓はコンスタントに食べられるのよぉ……」 よだれを垂らして爆睡。
「グルルルルルルルル」 初音は唸り声を喉で転がした。 兎たちは鼻で笑っている。昨夜のことで初音を完全に莫迦にしているようだ。 「ギシャー」 初音は雄叫びと共に兎らに飛びかかった。 昨夜とは比べ物にならない動きだった。兎たちの顔が驚愕に染まる。 数分後、血まみれで転がる初音がいた。 なまじ初音がレベルアップしたために、兎らも本気にならざるを得なかったのだ。
飼育当番だろうか。バケツ一杯の餌を持った女生徒が初音に駆け寄った。 初音の目が妖しく輝く。 血まみれの美女が突然立ち上がり、バケツに顔を突っ込む。 そんな様を、女生徒は唖然と見守るしかなかった。 「ムシャムシャ」 初音は目をギラつかせてむさぼった。 バケツを空にすると、再び兎と向かい合う。 「考えてみれば、朝餉も取らずにいたのでは、力が出るはずもないわね」 口周りに野菜屑を付けたまま、初音は細く笑う。 「自分たちの不運を呪いなさい」 でもさっきより血まみれになって終わった。
そして、彼女の前に最強の敵が現れた。 野犬である。 山をさすらっていた時も、初音は野犬に幾度食い殺されかけたかわからない。 「ムキイイイイイイイ」 初音は猛った。全身全霊を以て、蜘蛛の力を振るう。 でも足を噛まれて終焉目前。 「痛い、痛いよぉ、あんよイタいイタいぃ」 初音は泣き叫んだ。 こんな所で自分は死ぬのか。 恐怖が初音を震わせる。 痛みが恐怖か。 恐怖が痛みを強くするのか。 初音は、しかし、歯を噛みしめた。 まだ死ねないのだ。 もう一匹の蜘蛛を倒すまで、自分は死ねない。 銀に輝く髪の蜘蛛。初音を生み出した古き蜘蛛を倒すまで、命の灯火は消えることを許されないのだ。 決意を胸に、初音は這って逃げようとした。でも髪の毛を噛まれて引っ張られて逃亡失敗。 「ふええええ、いたいいたいいたいっ、もうやだぁ」 涙と鼻水で顔がぐしゃぐしゃになる。 そんな中、彼女は無数の希望の光を見た。 兎だ。 兎小屋の主たちが犬に飛びかかり、次々に歯を立てていく。 野生化したプードルはたまらず逃げ出した。 「あなたたち……」 初音は兎を見つめた。 兎らは幾度も戦った初音を好敵手と認めていた。 それは決して友情などではなく、交わる感情では無い。 初音は腹が減れば兎の食料を奪い、兎は全力で抵抗することだろう。 何故助けたかと問われれば、兎らはこう答えるはずだ。 気が向いたからさ。 感情を通わせる必要も無く……ただ、助けたという事実のみが横たわる。 初音は感謝の言葉を述べない。それが兎らへの最大級の賛辞だから。 最後に笑みだけ、兎に向ける。 その時だ。 兎らが一瞬で蹴散らされたのは。 小動物らは、圧倒的な力の差に、這々の体で逃げ出す。 初音は呆然と見つめていた。 銀色の髪の宿敵。 古き蜘蛛。 初音を生み出した魔性の者。 「見つけた……」 初音の良く知る声は、かすれるほどに小さく、そして消えゆくように……初音の心に恐怖を生じさせた。
三つ編みにされ、胸元に垂らされた銀髪……蜘蛛の血が通う髪だ。 古き蜘蛛は初音に微笑みかける。 「ねえさまぁ」 呼びかけられ、初音の顔が恐怖に歪んだ。 「か、奏子おかあさま、娘にむかって姉様はないでしょう」 「何を言うの。あなたは初音ねえさまの生まれ変わりなんですから、私にとってはねえさまなのよ」 呪われた出自が今、明らかに。 初音にしては生まれてから何千回と聞かされた話なので、いい加減うんざりしている。 「ていうか、気持ち悪いんよ、おかん」 「なんて言葉遣いをするの。ねえさまはそんなことは言わなかったわよ……あ、でも初音ねえさまが言うんならアリかも」 古き蜘蛛は鼻より緑色の血を垂らしつつ、上気した顔でにじり寄る。 「さあ、初音ねえさま、昔のように私をいじめてくださいな。はしたない子ね、かなこ……そんな風に私を蔑みつつ髪を撫でてください……」 「ううっ……おかん、やっぱキショいよぉ」 初音は背を向けて逃げようとした。自尊心すらうち負かす悪寒が背筋を走っていた。 今はまだ勝てない。自分が手も足もでなかった兎を、奏子は赤子扱いしたのだ。 「ねえさま、どこに行くの、ねえさま……ねえさま、ねえさま、ねえさま……」 「うるさい、くそばばあ」 「ね、ねえさ……ま……」 奏子の声が一旦すぼまった。 爆裂は直後のことだった。 「初音ぇっ!」 奏子の跳躍は風と一つに。 初音の目前に着地し、先ほどよりもさらに大量に緑色の血を撒き散らす。 初音は知っていた。奏子が今浮かべている笑みの意味を。 「いけない子ね、初音……折檻してあげる」 初音はお尻ペンペンされた。 泣いた。 「ああ……美しいねえさまのお尻をペンペン出来るなんて……奏子はいま、極上の幸せ噛みしめてます……ああ、ねえさまぁん」 初音は奏子に連れ帰られて、さんざん可愛がられたとさ。 物語は、寂しくも終幕を迎える。 されど、蜘蛛の生は人より見ればとわの永さ。 彼女らの狂宴は、いつ果てるともなく続く……
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