アトラク
アトラク・ナクア前章《お市》


『プロローグ』

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□□□ 終章 □□□

明智光秀は、礼節に通じ、戦略に優れ、武勇もひとかたならぬ男だった。
だが、知に優れた分、繊細な所がある。

元々信長のやり方には不安があったが、
先日自分が見たものは、抑えがたい恐怖を生んだ。

『なるほど、お前が見たのはそれか』
銀が密かに施した破邪の印は、同時に激しい感情を伝える力がある。
恐怖に震える光秀を見て、その脳裏に浮かんだものを読んだ。

『次は、お前自身が食われるかもしれんな』

銀は笑いながら、恐怖をさらにあおってやった。
光秀自身が考えたことのように送り込む。

「敵は、本能寺にあり!」

京都へ襲いかかる軍勢を面白そうに見ながら、銀は清洲城へ向った。

「う、嘘じゃ、うそじゃろう?!」

京からの極秘の早馬に、お市は狂乱した。

「兄様、兄様が、兄様が死んだなぞ、うそじゃああああっ!!」

取りすがる侍女たちを、恐ろしい力で振り払う。
何人もの女が、血反吐を吐いた。

「おのれ、おのれおのれおのれ、光秀えええええっ!」

憎しみ、呪い、怒り、悲しみ、

感情が乱舞し、渦を巻き、鮮やかにきらめいている。

蜘蛛は、これほどの豊かで強烈な感情に、痺れる様な快感を感じていた。

沸き立つ感情のままに、力が体からほとばしり出る。

無数の糸が、指から、口から、身体中から伸びていく。

お市の叫びか、蜘蛛の叫びか、
それにあわせるように、城や周辺に巣くう無数の蜘蛛が呼応する。

蜘蛛たちが糸をつむぐ、
おびただしい糸が、どこまでも伸びていく。

巣から巣へ、
蜘蛛から蜘蛛へ、
お市の狂気が糸を走り、京へ伸びていく。

屋根裏で、木の陰で、溝の底で、
蜘蛛の目が妖しく光った。

糸が伸びる、伸びる、

目に見えぬほど細い糸が、深夜の京を取り囲み、
巨大な結界を作り上げた。

「う、うわああああっ!」
仮眠を取っていた光秀が、絶叫した。

燃えさかる火の中で、信長が笑っていた。
炎を帯びた剣を振り上げ、光秀の脳天に打ち下ろした。

頭蓋が割れ、脳漿が飛び散り、想像を絶する痛みが走った。
信長は剣を振り上げた、

ザクッ!

目から血が流れ、痛みが再び身体を焼き焦がした。

ザクッ!、

痙攣する身体に、死ぬよりもつらい痛みが繰り返し打ち下ろされた。

ある武将は、血まみれの兵士に取り囲まれた幻を見、
侍大将は、燃えている小姓たちから、火矢を繰り返し打ち込まれた。

『クハハハハハハ』
『死ね、死ね、死ね、死ね、死んでしまえぇぇぇぇ!』

お市が笑っていた、その背後に2本の脚で立ち上がり残り6本を踊らせる蜘蛛の姿が揺らぐ。

血が沸き立つ、
復讐の甘美、憎悪の絶頂、人の心の何と甘美なことか。
どのような美酒も快感も、この歓喜にはかなうまい。

もはや、お市にも蜘蛛にも、自分がどちらなのかすら分からない。
ともに嘆き、ともに叫び、ともに笑い続けた。

「ここか・・・」
銀が清洲の城にふわりと入り込んだ。

天守の広間で、お市の狂気の笑いが続いていた。

銀はまるで重さなど無いかのように、
2階へ、3階へ、屋根から屋根へ飛び移った。

笑い狂うお市を、蜘蛛を見て、銀は首をひねった。
「はて、『あれ』の気配のような気がしたのだが・・・?」

『なんじゃ銀か、貴様などに用は無い、いね。』

「なんだと?」
プライドを傷つけられ、銀は獰猛な怒りを表す。

「わしのことを知っているとは、やはり『あれ』の蜘蛛か?」

だが、蜘蛛もお市もそれに答える気すら持たなかった。
何度も何度も、幻に怯えるものたちを殴りつけ、踏みにじる。
その狂気に酔い痴れていた。

「なぜ逃げぬ?」
『だって、面白いもの。この娘とおると。』

背後の蜘蛛がにへらと笑った。

『何よりも、この娘の願いをかなえることが、面白い。』

蜘蛛が銀を指差した。

『おぬしは、なぜ私を狩ろうとする?、それも面白いからであろうが』

銀がむっとした顔をする。
お市が急に怒りに染まった顔を向けた。

「下郎、推参なり、立ち去りやぁ!」

すでにその顔は般若のように鬼相を帯びていた。
天守に無数に集まっていた蜘蛛が、お市の気を受けて襲い掛かる。

だが、銀の錫丈は、風車のように回転し、蜘蛛をなぎ払い、蹴散らした。
銀がお市の前に飛び込もうと飛んだ。

「かかりましたわね」

潰され、蹴散らされた蜘蛛たちの尻から、無数の糸が伸びていた。
銀の動きにそれが巻きつく。その糸に、また大勢の蜘蛛がしがみついていた。

中空に銀の姿が止まった。

一つ一つは小さくとも、数え切れぬ蜘蛛が糸にたかり、銀に群がり寄る。

「お、おのれらあああああっ!」

同族の蜘蛛にたかられかけ、銀は錫丈の石突(後端)を床に叩き付けた。

気が爆発的に膨れ上がり、巻きついた糸が外へ膨らむ。
銀の姿が、蜘蛛の糸を抜け、上へ飛び上がった。

錫丈が唸りを上げた。

ドスッ!

背後の蜘蛛をかばおうとしたお市ごと、錫丈が突き通した。
錫丈の先端で、1メートルを越える巨大な女郎蜘蛛が、もがきあがいた。

お市の首の皮膚だけがわずかに破れ、
痣のあとから血がしたたっていた。

お市ごと突き通したはずのそれには、血の一滴もつかず、
蜘蛛だけが腹を突きぬかれ、血を吐いた。

『ゲフッ・・・どうやら、光秀は、正気を失ったようじゃ・・・』

「それが、おぬしに巣食っていた物の怪よ。」

「!!」

恐ろしげな蜘蛛に、お市は恐れもせず取りすがり、泣いた。

『たのしかったのう・・・お市』

パサリ、

蜘蛛の黒い禍々しい姿は、灰のように崩れ落ちた。

お市は、血のような涙をこぼしながら、銀をにらみつけた。

「なぜに、なぜにわらわごと殺さなんだ!!」

銀は理解不能な言葉に、あきれ果てた顔をすると、
ぷいと気分を害したように歩き出した。

「わずらわしい・・・」

わずらわしい、ただそれだけのこと。

銀はかつて神としてあがめられたこともある。そして神とは残酷なもの。

もはやお市に何の関心も無く、
何事も無かったかのように、天守を飛び降りた。

「兄上も死んだ、物の怪どのも死んだ、なぜ、なぜわらわだけ生かされるのじゃあああっ!」

お市の嘆きは、銀には地を這う虫の鳴き声にすぎなかった。

半年後、光秀を討ち取った元藤吉郎こと羽柴秀吉と、
信長の家老だった柴田勝家がにらみ合いを続けていた。

お市はまだ生きていた。
自害をしても、兄様と同じ場所にいけねば意味は無い。
できれば、同じ死に方をしたかった。

戦いの中で、炎に焼かれて死ねば、
兄様のそばに行けるかも知れぬ。

お市は3人の娘にそっとささやいた。

「お前たち、よく聞いておくのじゃぞ。
わらわがあの愚か者の柴田に嫁げば、
猿どのは嫉妬に狂い、全力で攻め滅ぼしてくれりょうぞ。
兄様のおられる地獄へ行くには、それしかあるまいからのう。」

「私たちも行くのですか?」
「いいや、私は地獄におろう兄様の元に嫁ぎたいだけじゃ。
そなたらは、この世で猿殿を頼りに、嫁ぎ先を見つけるのじゃ。
所詮猿、おぬしらが飼うのも面白かろう。」

この言葉が、3人の運命を大きく狂わすことになる。

お市は、柴田勝家の元へ嫁ぎ、
柴田勝家は、羽柴秀吉に攻め滅ぼされた。

全てはお市の望むままに。


FIN



あとがき

まずは一匹目の子蜘蛛の物語、
いかがでございましたでしょう?

騎手が主か、駒が主か、
もしかすれば、
騎手は駒に乗せられているだけなのかも知れませぬ。

今宵はこれにて、
それでは、次の夜伽をおたのしみに。

MORIGUMA