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アトラク・ナクア前章《お市》
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明智光秀は、礼節に通じ、戦略に優れ、武勇もひとかたならぬ男だった。 元々信長のやり方には不安があったが、 『なるほど、お前が見たのはそれか』 『次は、お前自身が食われるかもしれんな』 銀は笑いながら、恐怖をさらにあおってやった。 「敵は、本能寺にあり!」 京都へ襲いかかる軍勢を面白そうに見ながら、銀は清洲城へ向った。 「う、嘘じゃ、うそじゃろう?!」 京からの極秘の早馬に、お市は狂乱した。 「兄様、兄様が、兄様が死んだなぞ、うそじゃああああっ!!」 取りすがる侍女たちを、恐ろしい力で振り払う。 「おのれ、おのれおのれおのれ、光秀えええええっ!」 憎しみ、呪い、怒り、悲しみ、 感情が乱舞し、渦を巻き、鮮やかにきらめいている。 蜘蛛は、これほどの豊かで強烈な感情に、痺れる様な快感を感じていた。 沸き立つ感情のままに、力が体からほとばしり出る。 無数の糸が、指から、口から、身体中から伸びていく。 お市の叫びか、蜘蛛の叫びか、 蜘蛛たちが糸をつむぐ、 巣から巣へ、 屋根裏で、木の陰で、溝の底で、 糸が伸びる、伸びる、 目に見えぬほど細い糸が、深夜の京を取り囲み、 「う、うわああああっ!」 燃えさかる火の中で、信長が笑っていた。 頭蓋が割れ、脳漿が飛び散り、想像を絶する痛みが走った。 ザクッ! 目から血が流れ、痛みが再び身体を焼き焦がした。 ザクッ!、 痙攣する身体に、死ぬよりもつらい痛みが繰り返し打ち下ろされた。 ある武将は、血まみれの兵士に取り囲まれた幻を見、 『クハハハハハハ』 お市が笑っていた、その背後に2本の脚で立ち上がり残り6本を踊らせる蜘蛛の姿が揺らぐ。 血が沸き立つ、 もはや、お市にも蜘蛛にも、自分がどちらなのかすら分からない。 「ここか・・・」 天守の広間で、お市の狂気の笑いが続いていた。 銀はまるで重さなど無いかのように、 笑い狂うお市を、蜘蛛を見て、銀は首をひねった。 『なんじゃ銀か、貴様などに用は無い、いね。』 「なんだと?」 「わしのことを知っているとは、やはり『あれ』の蜘蛛か?」 だが、蜘蛛もお市もそれに答える気すら持たなかった。 「なぜ逃げぬ?」 背後の蜘蛛がにへらと笑った。 『何よりも、この娘の願いをかなえることが、面白い。』 蜘蛛が銀を指差した。 『おぬしは、なぜ私を狩ろうとする?、それも面白いからであろうが』 銀がむっとした顔をする。 「下郎、推参なり、立ち去りやぁ!」 すでにその顔は般若のように鬼相を帯びていた。 だが、銀の錫丈は、風車のように回転し、蜘蛛をなぎ払い、蹴散らした。 「かかりましたわね」 潰され、蹴散らされた蜘蛛たちの尻から、無数の糸が伸びていた。 中空に銀の姿が止まった。 一つ一つは小さくとも、数え切れぬ蜘蛛が糸にたかり、銀に群がり寄る。 「お、おのれらあああああっ!」 同族の蜘蛛にたかられかけ、銀は錫丈の石突(後端)を床に叩き付けた。 気が爆発的に膨れ上がり、巻きついた糸が外へ膨らむ。 錫丈が唸りを上げた。 ドスッ! 背後の蜘蛛をかばおうとしたお市ごと、錫丈が突き通した。 お市の首の皮膚だけがわずかに破れ、 お市ごと突き通したはずのそれには、血の一滴もつかず、 『ゲフッ・・・どうやら、光秀は、正気を失ったようじゃ・・・』 「それが、おぬしに巣食っていた物の怪よ。」 「!!」 恐ろしげな蜘蛛に、お市は恐れもせず取りすがり、泣いた。 『たのしかったのう・・・お市』 パサリ、 蜘蛛の黒い禍々しい姿は、灰のように崩れ落ちた。 お市は、血のような涙をこぼしながら、銀をにらみつけた。 「なぜに、なぜにわらわごと殺さなんだ!!」 銀は理解不能な言葉に、あきれ果てた顔をすると、 「わずらわしい・・・」 わずらわしい、ただそれだけのこと。 銀はかつて神としてあがめられたこともある。そして神とは残酷なもの。 もはやお市に何の関心も無く、 「兄上も死んだ、物の怪どのも死んだ、なぜ、なぜわらわだけ生かされるのじゃあああっ!」 お市の嘆きは、銀には地を這う虫の鳴き声にすぎなかった。 半年後、光秀を討ち取った元藤吉郎こと羽柴秀吉と、 お市はまだ生きていた。 戦いの中で、炎に焼かれて死ねば、 お市は3人の娘にそっとささやいた。 「お前たち、よく聞いておくのじゃぞ。 「私たちも行くのですか?」 この言葉が、3人の運命を大きく狂わすことになる。 お市は、柴田勝家の元へ嫁ぎ、 全てはお市の望むままに。 FIN あとがき まずは一匹目の子蜘蛛の物語、 騎手が主か、駒が主か、 今宵はこれにて、 MORIGUMA |