アトラク
アトラク・ナクア前章《お市》


『プロローグ』

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□□□ 2章 □□□

目を覚ますと宿主が少し成長していた。
かなり長い間眠っていたらしい。

白く美しいうなじの、後れ毛の中に、
小さなシミのような痣が生まれていた。
それが蜘蛛の影。

蜘蛛は、宿主がひどくそわそわしているのに気づいた。
宿主の五感を通してそっと外を見ると、
城内が殺気立っている。

「今川義元公は出陣じゃと」
「我らは篭城か?」
「そんなことではだめじゃ、打って出るべし」

駿府の大大名、今川義元が天下統一をめざして出陣したという。
その通り道にあるのが、信長の領地であり、この清洲の城だった。
敵は4万、こちらはせいぜい5千、勝負になるわけが無い。


蜘蛛は周りの思考を読み、つまらなそうにつぶやいた。
『人間同士の争いごとか・・・』

だが、宿主の不安はだんだんひどくなっている。
同化している蜘蛛には、お市の意識も見ようと思えば見えた。

どうやら信長という兄がこの城の城主らしい。
争いごとの向きによっては、自害せねばならないかもしれない。
彼女にとって、自分の死などどうでも良いが、兄様が討ち死にすることは、
この上も無い恐怖であった。

『せっかくの居心地の良い宿主なのに、迷惑な・・・。』

また外に出るのは億劫だった。


蜘蛛は少しだけ『力』を使った。


「これ、そこなお方」

お市は縁側に出ると、
通りかかった一人の武将を呼び止めた。

お市の黒曜石のような瞳が、妖しい金色で縁取られていた。

白と赤の千鳥が舞い立つ上掛けに、淡い紫の着物が鮮やかに映える。

すらりとした肢体が、風に揺れる百合のように美しかった。

妖しい目に囚われ、美しい姿に引き寄せられ、
堂々たる武将が、その足元にひざまづいた。

呆けたようにお市を見つめ、
そのかぐわしい息を嗅ぎ、ふくよかな香りに包まれ、
意識が途切れた。




「はて・・・わしは何をしておるのだ??」


縁側に座っていた男は、誰かに呼ばれたような気がしたあと、
何も覚えていなかった。
ただ、ふと頭に浮かんだことを、急いで信長に言上せねばならぬ。

男は急いで立ち上がると、信長の下へ駆け込んだ。



蜘蛛は長く空を飛んでいたので、
地形や道筋にはひどく詳しかった。
現代で言う航空写真を持っているようなものだ。


この時代は道も狭く、平坦な場所はむしろ少ない。
4万もの大軍が一箇所に集まれるわけが無い。

このような大軍は、前衛、本体、後衛と分かれ、
戦いながら進むのではなく、前衛が織田軍を潰すまで本隊は休みを取り、
安全が確認されれば進めるよう、全軍を掌握できる開けた場所にいるはずだ。
だが、そのような状態の部隊は、単なる烏合の衆に過ぎない。
奇襲が成功すれば、何倍いようと蹴散らすことが出来る。

道中でそれが出来る場所は一箇所しかなかった。
蜘蛛に操られるお市は、魔力で囚われた武将に地図の一点を指し示した。

その場所を桶狭間と言った。


武将は、自分の献策であるかのように信長に報告し、
信長の奇襲により、今川義元は討ち取られ、献策した武将は一番の手柄となった。


蜘蛛にとっては、ただの遊びにすぎない。
再び宿主の胎内で寝付いた。