アンビヴァレンツ
転生(うつしみ)
〜AMBIVALENZ 異伝〜
by KCA

Act.1  Act.2  Act.3 


Act3.縁生(であい)


 はじめはほんの好奇心からだった。

 保護者である二人−とくに有馬がうるさいので、一応学校には通っていた
が、すでに留年を宣告されている身としては、熱心に授業を聞く気になどな
れはしない。周囲の同級生たちからも、自分のことをどことなく敬遠してい
る気配が伝わってくる。そんな環境がおもしろかろうはずもなく、自然と学
校を途中で抜け出すことが多くなっていた。

 その日も午後の授業をフケて、駅前の繁華街をブラついている最中だった。
なにげなく雑居ビルのひとつに目をやると、ちょうど業者が看板を換えてい
る最中らしく、真新しい広告が由羅の目を引いた。

「フィットネススクール新講座開講……合気道に薙刀、少林寺拳法かぁ」

 自分もキックボクシングのジムに通っているだけあって、武道や格闘技と
呼ばれるものには結構興味があった。もちろんこういった場所で教えている
ものの大半が型を重視したごく基礎的な技法にすぎないことは承知している。
修羅から実戦的な技のてほどきを受けている自分から見れば、もしかして噴
飯もののお遊戯なのかもしれない。

「ま、いっか、どうせ暇なんだし」

 結局好奇心のほうが勝ち、由羅は少しだけ見学してみることにしたのだ。
だが、そこで目にしたのは彼女の予想を大きく裏切るものだった。

 白刃が円弧を描いて緩やかな宙を舞う。薙刀の動き自体は決して速くは
ないはずなのに、それを振るう人物には髪の毛一筋ほどの隙も見出すことは
できなかった。
 頭上から振りおろされた薙刀は瞬時もその動きを止めることなく、足元の
空気を切り裂きながら右側方へと流れる。同時にその使い手自身は左足を軸
に回転して自然な流れで体を半身に開く。その動作のひとつひとつが、流れ
る水のように留まることを知らず、それでいて見る者を圧するほどの気合い
がこもっていた。
 優雅にして勇壮、華麗にして豪快な白刃の舞踊に由羅は思わず視線を奪わ
れる。由羅ばかりではない。おそらく武道などロクに知らないはずの10数人
の見学者全員がその演武から目を離せずにいたのだ。

 薙刀の使い手は最初、男かとも思えた。
 修羅をも凌ぐ長身とがっしりした肩幅がそう誤解させたのだが、豊かに盛
り上がった胸元や、白い胴着から覗くうなじのラインを見ればすぐにそれが
誤りだとわかる。並外れて大柄だが見事なプロポーションを持つ女性なのだ。
 さらに驚いたことに、演武の主は明らかに日本人ではなかった。
 ハチマキでまとめられたクセのある赤髪。凹凸のはっきりした彫りの深い
造作。健康的な褐色の肌は日焼けというより生来のものらしい。ラテン系を
ベースにいくつかの民族の血が入り混じった、国籍不明な印象を与える顔立
ちの女性だ。目、鼻、口など個々のパーツはやや大ぶりだが、配置のバラン
スが絶妙で、なかなか整った容貌に見える。男を蕩かす淫らな娼婦の表情も、
戦さに臨む女戦士のひりつくような殺気も、その顔には同じようによく似合
うだろう。

 異国の美女の手による薙刀の舞……単に美しいばかりでなく、うかつに触
れれば死を招くような危険なワルツ。練習用に薙刀の刃を潰してあるからと
て、彼女ほどの使い手ならば、いささかもその威力を減じることはあるまい。
 紛れもなく人を殺せるであろう一連の動作は−しかし、それ故にこそ常人
には無縁なレベルの緊張感を内包し、見る者の視線を捕らえて離さないのだ。

 どれくらい時間が過ぎたのだろうか。緩やかにかつ一瞬も止まることなく
円、螺旋、8の字と様々な軌跡を描き続けていた薙刀が、ピタリと持ち主の
頭上で静止する。

 ひとつ、ふたつ、みっつ……。

 「イェヤーッッ!!」

 よっつ目の呼吸を数える寸前に裂帛の気合いとともに、薙刀は縦一文字に
振りおろされる。先ほどまでと異なり、由羅も含めて誰の目にもその軌道を
正確に見究めることはできなかった。
 青眼よりやや下方の位置まで得物を振りおろした姿勢のまま、赤い髪の女
武者は動きを止める。と思う間もなく構えを解き、観衆のほうへ向きなおり
軽く一礼をしてみせた。

 同時に、演武に魅了されていた一同は我にかえった。

 夢から覚めたような面もちで互いに顔を見合わせ、やがてためらいがちに
拍手が起こる。
 すぐにその拍手は熱狂的なものへと跳ね上がり、10数人の観衆たちは、
演武の主−どうやら、新しく始まる薙刀講座の講師らしい−を口々に讃える。
 そして、由羅はというと……何事かを考えているらしい表情のまま、やや
うつむき加減に顔を伏せ、講師を中心にできた華やかな雰囲気の人の輪に背
を向けて立ち去ろうとしていた。
 女武者が自分のほうをまっすぐに見つめていたことにも気づかずに。

 それは断じて恋ではなかったが、恋慕にも似た熱情であることは確かだった。
 初めてあの女性−フェンリル・D・サエルーナという名前らしい−の薙刀の
舞を見た日。由羅はフィットネススクールの彼女の講座すべてを受講するこ
とを決意し、その日のうちに手続きを済ませていた。
 フェンリルは月水金に薙刀を、火木に合気道、土曜日に中国拳法を教えて
おり、さらに毎日そのあと水泳かウェイトトレーニングの講座を持っていた。
 幸い……というべきか、彼女の講座は全て午後3時以降に始まるため、
由羅は毎日、学校の6時限目をサボるだけで、遅れることなく参加すること
ができる。受講料のほうも、笙姫の遺産が実は結構残っているため当分は
心配ない。

 今日の最後の講座は水泳の日であった。自由形で100メートルのプール
を5往復したあと、15分ハーフで簡易水球を行う。OLを中心とした若い
女性向けのクラスにしては、ハードなスケジュールであったが、今のところ
脱落者がいないのは、フェンリルの指導の上手さと彼女自身の魅力のおかげ
だろう。
 一見、強持てに見えるフェンリルだが、意外と面倒見がよく、野生的な美
貌と相まって男女問わず人気があったのだ。
 プールサイドで膝を抱えた由羅は、生徒への手本に背泳で泳ぐフェンリル
の姿をボンヤリと目で追っていた。
 どんな風に身体を動かしていても、フェンリルには力強さがあった。
 プールで優雅に水を掻いている今でさえ、大型の猫科の獣が水浴びを楽し
んでいるが如き印象を与える。決して粗野ではないのに、ソフィスティケー
トという言葉とは対極の野性の息吹きが感じられる。

 (この人なら……)

 由羅は確信していた。

 (修羅たちみたいに特別な力を持たなくても、魔物と互角に渡り合えるに
ちがいない)

 それは、密かに由羅が抱いているコンプレックスをうち砕くための、理想
像にきわめて近い存在だった。
 ほとんどのドゥエンディが滅びたとはいえ、すべての魔物がいなくなった
わけではない。とくにこの町は地獄の釜の上に位置するため、様々な闇のも
のが集いやすい。あの決戦のあとも、修羅が陰で何度か魔物たちを始末して
いることを、由羅はその独特の情報網から知っていた。
ディアドラが死んだ今、修羅が戦う理由はただひとつ。大事な存在−一番
は花梨だろうが、少しくらいは自分も入っていると信じたい−の平穏な生活
を守るため。相手の殆どが雑魚とはいえ、以前は問題にならなかった程度の
傷も、不死でなくなった修羅にはそれなりのダメージとなる。そんな修羅の
ケガを花梨が必死で癒している場面を、由羅は何度か目撃していた。
新たな「姫」となった有馬も修羅に力を貸しているらしい。
 修羅を、「男性」ではなく「兄」や「父」として考えるようになったとはいえ、
彼が最も身近で大切な存在であることに変わりはない。できることなら彼の
力になりたかった。彼の傍らで戦い、彼の背中を守れる能力が欲しかった。

 元騎士で限りない実戦をくぐり抜けてきた修羅はともかく、純粋に格闘技
に関して言えば、花梨はもちろん有馬も(実際必ずしも断言はできないが)、
幼いころから鍛えてきた自分に及ばないと思う。
 それでも、彼らは修羅の力になれる。呪術や御使いの資質という特別な能
力によって。由羅は足でまといにしかならないのに……。
 特殊能力というものは生来の素質に大きく左右されるということを、希代
の呪術者、笙姫の曾々孫である由羅は、十分に心得ていた。その素質が自分
にはまったく欠けているということも……。

 「何をボンヤリしている?」

 「え!?」

 突然背後からの声に由羅はあわてて反射的に振り向いた。

 「もうじき終わりの時間だよ。泳がないのかい?」

 全身から水滴をはじき飛ばしながら、フェンリルが笑っている。

「一条由羅…さんだっけ? 考え事もいいけどさ、ここへ来てるときくらい
は思いきり体を動かして、悩みごとを忘れたらどうだい?」

 ニヤリと頬を歪めると、男にも稀な長身を屈め、悪戯っぽく由羅の耳もと
で囁く。

 「十代の青い性の悩みなら、あとでおねーさんが相談に乗ってあげるよ」

 「ち、違うよッ!!」

 真っ赤になって反論しようとする由羅に爆笑で応えると、フェンリルは
踵を返してプールサイドに歩み寄った。

 「ま、気が向いたら道場で待ってな……どれ、もうひと泳ぎしようかね」

 空宙に大きな弧を描いてフェンリルの身体が水面へと舞う。突入角度の
妙か、ほとんど水沫をあげずに沈んだ彼女の姿は十呼吸ほども経ってから、
ようやくプールの向こう側近くで浮かび上がってきた。

 「じゃ、待ってるからね!!」


 無邪気といっていいくらい屈託のない表情で手を振るインストラクターに
背を向け、由羅は黙ってプールサイドをあとにした。

 近代的なビルの1室には似合わない、板敷きと畳張りの空間。フィットネ
ススクールで主に武道教練の場として使われ、道場と呼ばれているスペース
に、由羅はぼんやりとたたずんでいた。

 (なんで来ちゃったんだろ、あたし……)

 その答えはわかるような気がしていたが、あえて深く考えたくはない。
 壁際に立てかけてある練習用の薙刀を手に取ると、手持ち無沙汰を紛らわ
すように由羅は軽く振るい始めた。いままでにフェンリルから習った基本技
を、自分なりにアレンジして組み立てた演武の型だ。多人数とわたりあうこ
とを想定して考えたので、実戦でもかなり有効に使えるはずだった。

 シュウと横に薙いで牽制。
 前を突くと見せて石突きで背後の敵に一撃。
 右上段から袈裟掛けに撫で斬り、その勢いを殺さずに下段の脛を払う……

 由羅の脳裏には、あの戦いのとき目にした人外の魔物の姿が浮かんでいた。
想像の中の魔物(ドゥエンディ)たちは、由羅の斬撃をあざ笑うかのように
執拗に彼女を取り巻いて放さない。最初は五分の力だったのが、幻影の仮想
敵に向かっていくうちに、いつまにか由羅は根身の力を込めて薙刀を振るっ
ていた。
 その全力をもってしても、魔物たちには傷ひとつつけることはできない。
 由羅の心が倦怠と絶望に満たされようとしたとき……。

 「ハッッ!!」

 いつのまにか由羅の背後に立っていた影の手から銀光が飛ぶ。
鈍い音ともに由羅の足元に突きたつ短刀。そこに込められた気迫が、半狂
乱になっていた彼女の心に平静さを取り戻させる。

 「フェンリル、せんせい……」

 まだ呆然とした顔つきの由羅に向かって、フェンリルは信じられないほど
やさしい声音で呼び掛ける。

 「落ち着いたかい、由羅」

 薙刀を取り落とし、力が抜けたかのように立ち尽くす由羅に歩み寄ると、
フェンリルは少々乱暴に……だが暖かさを感じさせる仕草で彼女の頭をその
豊かな胸に抱き寄せた。

 「霊力や呪力がないからといって、あせることはない。あんたはあんたに
しかできないやりかたで戦えばいいんだ」

 まださほど親しくもない相手のはずなのに、なぜか由羅は素直にフェンリ
ルの好意を受け入れることができた。

 (なぜだろう……いつかコレと同じようなセリフを聞いた気がする)


 −あせることはないさ。スピカはスピカにしかできないやりかたで戦えば
いいんだよ

 それは遠い昔、彼女がスピカと呼ばれる新米騎士だったころの記憶。
姉のように慕っていた女騎士が、非力な女性の身に苛立つスピカにかけて
くれた言葉だった。
 17人衆の座を若いスピカに譲り、自らは一介の衛兵隊長の座に留まった
ものの、女性には稀なる長身から繰り出される彼女の槍さばきは、並みの
騎士では太刀打ちできないほど鋭かった。

 フェンリルもまた同じような感覚を味わっていた。
 ディアドラが生まれて10年後。辺境の警備についていたサエルーナの兵士
たちを彼の闇の太母が自らの「子」たちを使って、戯れに嬲り物にしたことが
あった。
 そのとき兵士たちを率いていた者こそが、スピカに体術の手ほどきをした
女騎士アリエスなのだ。部下たちが次々と倒れるなか、ひとりで1体でも多
くのドゥエンディを屠ろうと、死力を尽くして戦い続けた不屈の勇士。気を
直接武器に注ぎ込んで敵を斬るアリエスの闘法は下等な男型ドゥエンディに
なら十分通用するものだった。

 だが、皮肉にもそんな彼女の狂戦士ぶりがディアドラの目にとまり、アリ
エスはディアドラの2番目の娘の「核=殻」として食われることになったのだ。
 すべてのドゥエンディは、原則として邪気を原料にディアドラの胎内から
産み出される。だが、最初から成体として生まれてくる男型と異なり、より
高等な女型のドゥエンディは、ディアドラの胎内で発生した直後は精神的に
も肉体的に未成熟な幼生といえる状態なのだ。そこで、これらの幼生は、
ちょうどクドルシュチスが亜沙子に対して行ったように、人間の女の肉体と
精神を喰らって己がものとし、一人前になる必要があった。
 そして、フェンリルの核となったのが、女騎士アリエスなのだ。当然フェ
ンリルはアリエスの記憶も受け継いでいる。由羅がスピカの生まれ変わりだ
ということも、一目でわかっていた。

 (なるほど。因縁ってのは、あるもんだねぇ……)

 人間−いまだ完全にそうとはいえないが−となったいまのフェンリルにと
って、だから由羅は、ある意味でいまの姉妹たちより身近に感じられる存在
なのだ。
 由羅の肩に手をかけると、その瞳を覗き込む。

 「強くなりたいか?」

 無言のまま、少女の目が激しく肯定の意を示す。

 「ならばあたしが教えてやる。毎日、レッスンが終わったあとでここへ来な」

 ぶっきらぼうなもの言いのなかにこもる親愛の情に由羅は気付いたろうか?