アンビヴァレンツ
転生(うつしみ)
〜AMBIVALENZ 異伝〜
by KCA

Act.1  Act.2  Act.3 


Act2.陽暮(ひぐらし)


「じゃあ、シュラさん、有馬さん、行ってきまぁーす!!」

 教会に元気な女の子の挨拶が響くと同時に、声の主が玄関から姿を見せた。
御使いの資質を持つ少女、花梨である。

「いってらっしゃい、花梨ちゃん」

「……気をつけてな」

 見送る2人の男性に手を振ると、花梨は早足で学校へと向かった。

「うーん、いいですねぇ、毎朝娘が「お父さま、いってまいります」って
挨拶して学校へ出かけるのって、僕のアコガレだったんですよ」

 有馬がまたフザけたことをヌかしているのにとりあわず、シュラは眉を
ひそめた。

 「−どうかしましたか?」

 「いや、そこの電柱の影に誰かがいたような気がしたんだが……気のせい
だろう」

「有馬さん、寝坊したときでも、朝ご飯抜かせてくれないんだもん。あーん、
このままじゃ遅刻しちゃうよぉ〜、よーし……」

 片道10分かかるはずの学校までダッシュしようとした花梨は−コケた。

「キャッ!」

 地面に倒れ込む寸前で電柱の影から飛び出してきた人物が花梨の体を支える。

「まったく、なんであんたは、何も無い所でコケるなんて芸当ができるのよ。
あいかわらずなんだから!!」

「あ、ありが……」

 礼を言いかけた花梨の言葉が、救いの主の顔を見て途切れる。

「あ、あ……」

「ただいま。それと……ごめんなさい、花梨」

 幼いころからよく知っている−けれどもう2度と会うことはできないと思
っていた暖かい笑顔を目にして、花梨の視界が涙にボヤける。

「亜沙子ォ!!」

     × × × × × × × × × × × ×

「さて、と」

 興奮する花梨をなだめ、なんとか学校に向かわせてから、亜沙子は花梨の家
の方角を振り返った。

「あなたはどうするつもりなの、修羅さん?」

 十字路の横道から、その身にまとう色彩こそ変わったものの忘れようのない
姿をした長身の男が姿を現す。

「招斬」

修羅の右手に、彼女にも見覚えのある剣が出現する。

「あたしを−殺すの?」

 草薙をつきつけられていても、亜沙子の表情は不思議と穏やかだった。

「……おまえは花梨の敵か、クドルシュチス?」

逆に問い返されて、少女は首を傾げる。

「そうね、少なくとも2度と花梨を裏切るような真似はしたくない、
って思っているわ。それから−あたしの名前は二宮亜沙子よ」

「……斬封」

 修羅が草薙をおさめるのを見て、亜沙子はホッと息をつく。

「”亜沙子”を斬れば花梨は悲しむだろうからな。だが、ひとつ聞きたい。
どうやって甦った? それから−甦ったのはおまえだけなのか?」

 亜沙子は悪戯っぽい笑みを浮かべる。

「そのことなら、あたしより喜んで説明してくれる人がいるわ」

「……?」

「学校へ行ってみればわかるわよ、修羅”先生”」

     × × × × × × × × × × × ×

 何度か足を運んだ場所とは言え、いまだに自分が場違いな場所にいるよう
に思えてならない。
 900年の半生の内でも数えるほどしか締めたことないネクタイをわずかに
緩めながら、修羅はため息をついた。まさか、自分が教師として教壇に立つ
ことになろうとは……。

 職捜しを始めたことを有馬に気づかれたのが運のツキだった。
 クリスマスの後、なし崩しに教会で暮らすようになって、1週間ばかり過
ぎたころ。花梨のそばで普通の人間として生活すべく、この町で職につこう
と修羅が考えたとしても、あながち責められまい。
 だが、それを−おそらくは花梨の口から漏れたのだろう−有馬に嗅ぎつけ
られたのはマズかった。まさかこんなことになろうとは……。

「修羅さん、仕事を捜しているんですって?」

 例のニコニコ笑いを浮かべながら、有馬が尋ねてきたときも、だから修羅
は無言で首を振ることで、肯定の意を表した。別に隠すほどのことはないと
思っていたのだ。しかし、それから3日とたたないうちに有馬が花梨の通う
ミッション系女子校の大学部に講師の座を見つけてきたときには、さすがに
驚いた。

「ちょうど、西洋史の講師が欲しかったんだそうです。その点、修羅さん
なら歴史の生きた証人としてうってつけでしょう?」

 本来なら資格審査やら面接やらいろいと面倒な手続きがあるはずだろうに、
どのようなコネを使ったものか−おおかた、バチカンかそこいらだろう−有
馬が修羅に話を持ってきたときには、すでに彼の就任は9割がた既定事実と
して決まっており、あとは修羅本人が契約書にサインすればいいだけという
段取りまで話が進んでいた。
 もちろん、それでも修羅は断るつもりでいたのだが、アスタロトの暗黙の
脅迫と花梨の強い薦めによって、1年だけという条件つきで渋々この職を引
き受けることになったのだ。

 人を教える……という立場にたったこと自体は、今まで何度かあった。
 故国サエルーナがいまだ世にあった時分は、騎士隊長として後輩や部下に
剣の持ち方から騎士の礼儀作法に至るまで厳しく指導していたし、ルネッサ
ンス華やかなりしころの北イタリアの大学で、日々の糧を得るために不本意
ながら教壇に登ったこともある。

 ただ、それらの経験を通して得たものは、自分は教師に全く向いていない
という結論だった。基本的に無口で無愛想なせいか、行き届いた配慮という
ヤツが全く欠けているので、いつも生徒の不評を買うのだ。

(そういえば、今朝方亜沙子に言われた言葉も気になるな……)

 そんなことを考えながらも、いつの間にか修羅は文学部講師の控え室の前
まで来ていた。形ばかりのノックをして、扉を開ける。
 中にいた4、5人の講師が一斉にこちらを振り向いた。新任の同僚を迎え
る反応としては珍しくもないが、彼らが一様にホッとした様子を見せたのが
少し気にかかった。すでに何度か顔をあわせたことのある学課主任の老シス
ターまでが、なぜかこの部屋に来ているのも妙だ。

「ああ、今日から着任なさる佐伯修羅先生でしたね。そう、ちょうど良い
ところに来てくださいました」

 その学年主任がやや言いにくそうに、話を切り出す。

「じつは、高等部のほうで、急きょ社会科の教師に一人欠員が出たんです
の。大学部の講師のかたに応援を頼みたいと要請があったのですが、あいに
くとみなさんご都合がつかない様子でして」

「オレにそれをやれ……と?」

「申し訳ありませんが。修羅先生はいまだこちらでの講義時間に余裕がおあ
りでしょう?」

なるほど、新入りにさっそく貧乏クジを引かせようというわけか。
 とはいえ、特に断る理由もないので引き受けることにする。

「先生に受け持っていただくのは2年の世界史ですわ」

 2年……となると花梨のクラスで教えることはないだろう。
 だが、廊下などでいきなり顔をあわせたとき花梨はどんな顔を見せるだろ
うか? その場面を想像すると、修羅の表情は彼にしては珍しくほころんだ。

     × × × × × × × × × × × ×

 キーンコーン、カーンコーン……

 チャイムの音がすると周りの娘たちはめいめい自分の席に戻ってゆく。
 新学期になってやって来た外国人の転校生にみなの関心が集まるのはあた
りまえだが、さすがに4時間目ともなると好奇心もいくぶん薄れるらしい。
ようやく周囲の質問攻めから解放され、彼女はひと息ついていた。
 学校というのは、どうやら思っていたより疲れるものらしい。
 数百年の齢を重ねた彼女も、これほど多くの(見かけ上は)同年齢の娘たち
と一緒に過ごすのは初めてのことだ。その騒々しさにやや圧倒されてはいた
が、決して不愉快な感覚ではなかった。

 (いつも……ひとりだったものね)

 生まれてすぐ黄泉の底に監禁されていたため、じつは妹以外の存在と身近
に触れあうという経験すら殆ど無かったのだ。そう、あの人を除いて……。

 ガララッ。

 教室の扉を開けてあの人が入ってきた時、だから彼女は思わず椅子から立
ち上がってしまった。周囲のけげんそうな視線も気にはならない。いにしえ
の姫君から受け継いだ想いが、胸の奥で激しく疼いていた。

「シュラ……」

 あぁ、あの人がこちらを見た……。

     × × × × × × × × × × × ×

 高等部の教頭に案内されて、2年B組と書かれた教室に足を踏み入れた瞬
間、修羅は奇妙な視線を感じた。女生徒たちの好奇に満ちた目に混じる、何
事かを訴えるような気配−。

 ガタンッ!!

 椅子を蹴って立ち上がった娘を見たとき、修羅はそこに見知った顔を見出
していた。

「マハ……か?」

 黄泉の底で彼が抱き−そして消滅させたはずの少女がそこに立っていた。
彼を愛した女ドゥエンディ。彼のかつての想い人、シィアの情念をもっとも
色濃く受け継いだ存在が……。
僅かに驚いたものの、すぐにその驚きは理解へと変わる。

(なるほど、亜沙子が言っていた言葉の意味はこれか……)

 修羅が軽くうなずくと、少女は喜びのあまり泣き出しそうな表情を見せる。

「さぁ、座りなさい……」

 彼自身が想ってもみなかったほど優しい声が出た。ようやく気持ちが落ち
ついたのか、マハは素直に従った。

「−松浦先生の代わりにしばらく西洋史を教えることになった佐伯修羅だ。
短い間だが、よろしく」

 簡潔に自己紹介を済ますと、修羅は早速授業に取り掛かった。背中にマハ
の視線を痛いほど感じながら……。 

     × × × × × × × × × × × ×

 昼休み。執拗にまとわりついてくる生徒たちから逃げるようにして、屋上
にやって来た修羅を、ひとりの少女が待ち受けていた。もちろんマハだ。
 彼女は問わず語りに自分達が再生したいきさつを修羅に教えてくれた。
 確かに納得はいくが、容易には信じ難い−そんな面もちでマハの顔を
見つめる修羅に、少女はニッコリ笑って包みを差し出す。

「はい、コレ。お昼御飯まだでしょ、シュラ。いっしょに食べよ」

 どうやら手製の弁当らしい。
 この少女が自分に純粋な好意を寄せていることは知っていたので、とまど
いながらも、修羅は包みを受け取った。

「んー……こうして、太陽の下でシュラと一緒にお弁当を食べられるなん
て、夢みたい!!」

 無邪気にはしゃぐマハの笑顔には、あらためて見ると確かにシィアの面影
があった。花梨のように、顔形そのものが似ているというわけではない。
いうならば、表情や仕草から受ける印象−とでもいったようなものだ。

「ううん、シュラとまた会えること自体、奇跡みたいだわ……」

 その一言にも、マハの自分に対する痛いほどの想いがうかがえた。

「マハ……」

「あ、心配しないでね。まえにも言ったけどシュラが花梨のことを、いちば
ん大切に思っていることは、ちゃあんと承知してるから。でも……できれば、
その次くらいにあたしのことも大事に思ってくれると嬉しいな」

 修羅には答えることはできなかった。以前ならその沈黙は、花梨以外の存
在に対する無関心からきていたものだったろう。しかし、いまは?

「ちょっと困らせちゃったかな? でも、これがあたしの正直な気持ち」

 ニコッと微笑むと少女は修羅の傍らから立ち上がった。

「じゃ、あたしもう行くわ。お弁当、できれば残さず食べてね、修羅先生」

 屋上からマハが消えた後も、修羅は暫し何事かを考えているようだった。