大悪司



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  棘 −麻美−
第十話


「つまりは不可抗力なんですよ。不可抗力」
 鴉葉月は鼻にかかった涙声に大袈裟な身振りを交えてそう訴えた。
 無論――演技である。
「僕としちゃあモチロン捜査に了解なんてしたかぁなかったですよ、ええ。でもね、僕にも立場があるワケです。その辺を酌んで貰いたいワケです。それはもう涙を堪えて断腸の思いで――」
「あー、わかったわかった」
 鴉葉の目の前でふんぞり返った男――悪司が、ぞんざいに手を振って言葉を遮る。
 こちらは机上に脚を投げ出し、いかにも脱力した様子である。
「別にお前さんにどうこう言うつもりはねえよ。ハナから期待もして無いしな。話が進まねえから普通に喋れ」
 悪司が投げ遣りにそう言うと鴉葉は、ああやっぱり嘘ってわかっちゃったかと悪びれることなく演技を止めた。
「んな嘘じゃ子供でも騙せねえよ。大体お前、普段自分がどー見られてるかまるで分かってねえだろ」
「あ、ひどいなー悪司さん。否定はしないけど。でも、頼まれてた資料はちゃあんと用意したんだから、それで差し引きゼロってーことでひとつヨロシク」
 なにがヨロシクなんだか、と悪司は退屈そうに言った。

 真わかめ組事務所内、事務室。
 いつもの席でふんぞり返った悪司。
 その前には、座り心地の悪い来客用ソファに気取った姿勢で鴉葉が掛けている。
「そんで――結局、あの川瀬ってー女ぁナニモンなんだ?」
「わかんないです」
 鴉葉は即答した。
「おめーなぁ。仮にも同僚だろうが」
「いや、昔はともかくこっちに復帰してからはホントに分かんないんですってば。管理課所属じゃ無くなったのは確かだけど、それ以外の事はなーんにも。それ以前に市議会庁舎じゃ殆ど姿は見ませんし」
「そりゃお前さんがサボってるから見ないだけじゃねえのか?」
「あ、やだなあー悪司さん。否定はしないけど。でもこれは仲のいい受付のコに聞いたから間違い無いですって」
「あの取り巻き連中もか?」
「そっちは偶に見かけるね。一応、試しに何人かに声かけてはみたんだけど、みんな素っ気なくて相手してくんないの。まあ、いっつもサングラスしてるから肝心の顔はわかんないんだけどね。やっぱ気になるじゃない? どんな素顔なのかなーとか」
「見境ねえなー」
 否定はしません、と鴉葉は軽薄に笑った。
「でも彼女達、市議会所有の車両なんかをかなり優先的に使えてるみたいだよ。治安課のコがぼやいてたもの。外部の連中に大きな顔させてるってね」
「あん? そりゃ、アイツ等がオオサカ市議会の所属じゃねえって事か?」
「違いますよー。だってあの制服見たでしょ? 黒ですよ黒。真っ黒け。葬式帰りじゃあるまいし、いくらお役所でもあんな縁起でもない制服採用しませんって。みんな陰じゃ鴉部隊とか呼んでるんですよ。カラスカラスって、無関係な僕まで肩身が狭いですよ」
「カラス仲間ってか? 嘘吐けよ。そんじゃあ、アイツ等はドコの連中なんだよ」
 そこで鴉葉は珍しく声を潜めた。
「ま、あくまで噂なんですけど――どうも上の方と繋がってるっぽいですね」
「上だぁ? 市議会の上ってえと――ニホン政府か?」
「んー。まだ上、かな」

「――ウィミィか」

 悪司は吐き捨てるように言った。
 瞳が鋭さを増す。
「噂ですよ、噂。エデンで川瀬さんを見かけたとか、そんなカンジの」
「それだけじゃねえんだろ?」
「――んー、まあね。彼女達、ちょっと前までヒロシマ市議会に居たらしいんですよ。で、いきなり十数人単位でオオサカ市議会に異動です。所属もはっきりしないのに結構な権限を与えられてるみたいだし――こんな人事、普通ありえないでしょ?」
「ウィミィが圧力掛けでもしない限りな」
「掛かってますねえたっぷりと。いちおう広域麻薬犯罪捜査課とかなんとか大層な名前を聞きましたけど――ドコまでホントなのかは謎です」
「まあ――全く嘘ってワケでも無いみたいだがな」
 悪司は机上から一枚の紙片を取り、無造作に鴉葉に投げた。
「わわっと。なに? この汚い紙切れ。えーと『拝啓、真わかめ組代表 山本悪司殿――貴殿の所有する、素敵医師の遺産を渡されたし。これ以上、墓標を増やす事が望みで無いならば、貴殿の賢明な判断を期待する』。うん? 素敵医師って例の? 悪司さん、これって何?」
 色気のねえラブレターだよ、と悪司は素っ気なく言った。

「そんなことがあったんだ。悪司さんも大変だねー」
 悪司の大雑把な説明を聞いた後、鴉葉は抑揚無くそう言った。
「人ごとみたいに言うがな、お前さんも無関係じゃねえんだぜ。ウチになんかあったらそん時ゃ芋蔓だ」
「やだなー。わかってますよう――そんじゃ悪司さん、麻美ちゃんの容態はそれからどうなの?」
 悪司は首を横に振った。
「意識がハッキリしねえし、熱も酷いな。大っぴらに病院とかは無理だから、ヤミ医者手配して診させてるが――なかなかな。倒れてからもう五日だし、いくら嬢ちゃんでもボチボチ体力がやべえ」
「原因はその変な薬なんだろうけど、こんなの見ちゃあさすがにショックで寝込みもするかな。んー、やっぱ、まだ拘ってんのかな。あの事件のこと。気にしてもしょうがないと思うけどねー」
 鴉葉は机の上に置いた紙片を眺めてそう言った。
「しかも川瀬さん絡みじゃキツイなー」
「ああ、それだよ。あの二人一体何なんだ? あの女の前だと嬢ちゃんガチガチだぜ。まさかお前さんみたいに弱みでも握られてるんじゃねえだろうな」
「ハハハハハハハハ。弱みだなんてなに言ってるんですか」
 乾いた声で否定した後、鴉葉は再び紙片に視線を落とした。
「ま、どこにでもいる先輩と後輩ですよ。仲は良かったです。姉妹みたいにね」
「それだけか?」
「さあねー。僕にはわかんないですよ。蚊帳の外だったし。ただ――理想と現実の違いを突きつけられて、それでも理想を貫いてる人が目の前に居たら――やっぱ尊敬とかしちゃうんじゃないですか?」
 そんなもんかね、と悪司は言った。
 そんなもんでしょ、と鴉葉は返した。
「まぁ、僕は専ら現実担当でしたからね。蔑んだ眼で見られはしても、尊敬の眼差しにはとんと縁がなくて」
 人徳ってやつかなと鴉葉はカラカラと笑った。
「それとな、お前さんに頼んでた嬢ちゃんの処分な。あれ、どうなってる?」
 鴉葉は首を振って否定の意思表示をした。
「麻美ちゃんの件は治安課の管轄だからね。もう僕にはどーしよーもないですよ。もう一人のこわーいお姉さんが眼を光らせてるんだから」
「それを何とかするのがお前さんの仕事だろ」
「無茶言わないでよー。治安課長を変に突っついたらそれこそヤブヘビもいいとこですよ。融通の利かなさじゃ川瀬さんと良い勝負なんだから。でもまあ、現状じゃ手配以上の措置はしてないみたいだし、治安課が直ぐにどうこうするという事は無いと思いますけど。それなら真わかめ組が惚けたらなんとかなるんじゃないですか?」
「その手配はどの程度のもんなんだ?」
「程度って――そりゃ、あれだけの大事件の共犯者扱いですからね。顔写真付きで全国に手配書が廻ってますよ」
「匿ってんのがバレたらウチはどーなる?」
 鴉葉は両の手でバツの字を作った。
「治安課長の事だからなぁ。地域管理組合の免許取り消しは間違いないでしょ。そうならない為に僕が骨折ってるんじゃないですか。目撃情報なんかは揉み消してるしね。だから結局、麻美ちゃんにはココ――オオサカの真わかめ組が一番安全な場所なんですよ」
 ふん、と悪司が鼻を鳴らす。
「――そんじゃあやっぱり、いまんトコは向こうに切り札が在る訳か。――ムナクソ悪ィ」
「切り札?」
 悪司は鴉葉の疑問に答える代わりに――ひとつ欠伸をした。

「若、失礼します」
 静かなノックの後、音もなく、滑り込むようにして島本が姿を見せた。手には書類の束を抱えている。
「おう、どーだ?」
「材料が揃ってきた感じはしますね。もっともまだ推論の域は出ませんが――ああ鴉葉さん、ご苦労さまです。資料の方、お返しします」
「どもー。もういいんですか? 僕は気にせずゆっくり調べて下さい〜」
 ソファにだらけきった姿勢で横になった鴉葉が、書類の束を受け取りながらそう言った。
「頭の中に入っていますからご心配なく。それに最低限の控えも取りましたから。ただ、一つ気になる資料が――」
 島本は自分の手に残っていた真新しい封筒を鴉葉に示した。
「この資料の出所をお聞きしようと思いまして」
「あー、それねー」
 鴉葉は島本に示された封筒をみて、たった今思い出したという顔をした。
「出掛けに川瀬さんに渡されたんですよ。悪司さんに渡してくれって。返さなくてもいいらしいですよ、それ」
「――ほう。鴉葉さんから頼んだ訳では無いのですね?」
「そんな事しませんよう〜。おっかない。――あれ? それって僕がなにしてるかバレてるって事ですよね。――マズイなぁ」
「今更慌てても遅ぇよ」
 悪司が平然とそう言うと、鴉葉は大袈裟に慌てる素振りをしながら島本から返された資料を纏めだした。
「いやーマズイマズイ。というわけで今日はこの辺で」
「なんだよ急に。どうせ戻っても仕事するわけでもねえんだろ」
「んー、でも今から川瀬さんの話とか色々するんでしょ?」
「その為にお前さんに資料を集めて貰ったんだからな。当然だ」
「ここに居るとその話を聞いちゃうじゃないですか」
「そうなるな」
 それはマズイんですよ、と鴉葉は繰り返した。
「マズイって、どこが」
「知らないならともかく、知っちゃうと――ねえ。もし問いつめられても、隠し通す自信全然無いですから、僕。それなら初めから知らなきゃ隠す必要もないわけです」
 鴉葉は胸を張ってそう言った。
「前向きなのか後向きなのか判らんな」
「まあ、鴉葉さんの言いたいことも解りますし、こちらの手の内だけ知られるというのも面白くないですね」
「そーそー。さすが島本さん。分かってらっしゃる。そんじゃ失礼しまっす。またなんかあったらラブレター出しますんでヨロシク〜」
 そそくさと事務室を後にしようとした鴉葉が、ドアに手を掛けたままで不意に動きを止めた。
 そして、そのまま顔だけを悪司に向ける。
 普段見せたこともない真剣な表情だった。
「悪司さん――出来るだけ、川瀬さんと事は構えない方がいいよ」
「あー? 構えるも何も、難付けて来たのは向こうだぜ? こっちは市議会と事構えるなんて大それた事、さらさら考えてねえよ」
 白々しい表情で悪司が言う。
「うん――それならいいんだけどね」
「なんだよ、気持ちわりいな」
「あの人ね。まあ昔から、何考えてるかよく理解らない人ではあったんだけども――こっちに復帰してからはちょっと、違うんですよ」
「違うって、どんな風にだ?」
「なんていうのかな、恐い――いや、恐いのは昔からか。うん――上手く言えないけど、こう、全部見透かされてるみたいでね。そう――畏ろしいんですよ」
「オソロシイ? 何言ってんだお前」
「ああ、悪司さんには理解んないか――同じタイプの人間だしね。とにかく――」
 出来れば僕はこれ以上あの人に関わりたく無いですよ、そう言い残して鴉葉は姿を消した。

「なんなんだ、ありゃ」
 眠気覚ましの為に身体を伸ばしながら悪司が言った。
「鴉葉さんにしては珍しいですね。余程苦手な相手という事でしょうか」
「こりゃあホントに弱みの一つも握られてるかもな。冗談だったんだがな」
「どうやらこの件に関しては、これ以上鴉葉さんからの協力は期待出来そうにありませんね。あるいは最悪の場合――」
「切り捨てる事も考えとくか。まあ、そん時ゃそん時さ。ふぁ〜っと、よし――とりあえず判ったことから報告してくれや」
 欠伸を噛み殺す悪司に、島本はわかりましたと答えた。


「川瀬監督官――」
 眼前を音もなく歩いていく漆黒の後ろ姿に、森薫はそう声を掛けた。
 オオサカ市議会、中庭に面した渡り廊下である。
 声を発するのと同時に歩みを止めたその背に近寄りながら、薫は自分の気配がすでに相手に悟られていたことを知った。
「私は監督官ではありませんよ、森課長。赴任の際に説明申し上げた筈だが?」
 振り返ることもせず、背中越しに無感情な返答がなされる。
 声の主――渓奈の、その礼を欠いた態度にも薫は眉一つ動かさなかった。
「――それは失礼。しかし、私は現在のあなたの正式な役職を知らされていないのです。昔の呼び方が気に障ったのなら――」
「別に気にはしませんよ。ただ――少なくとも今は監督官ではない。それに、ご承知の通り私の部隊は市議会の正式な部課ではないし、私はあなたの上役でもない。あなたが気を使う必要も無いでしょう。呼び捨てで結構」
「では川瀬隊長。先日の真わかめ組に対する強制捜査令状の発行、及び市内における武力行使の許可。これらの進捗あるいは事後報告が今日まで提出されていないのは如何なる理由なのか、納得のいく説明を頂きたいのですが?」
 慇懃な口調の中に有無を言わせぬ迫力が込められている。
 だが対する渓奈はまるで意にしないのか、振り返りもしない。
「五日前、真わかめ組本部事務所に多数の麻薬中毒者による襲撃があったとの市民からの通報を受けて、我々の部隊が出動した際、その場に居合わせた真わかめ組構成員との協力の元でこれを鎮圧。その後、組合側の了承も得られたので、任意での捜査を行うことが出来ました」
「つまり令状を行使する必要が無かったと? では真わかめ組の麻薬容疑は晴れたという事ですか?」
「残念ながら完全には。よって令状は今後の捜査次第では切り札として機能する為、私が管理しています」
「令状の有効期間は過ぎている筈です。速やかに返却し、再度の発行の場合は新たに市長の押印を貰って下さい」
「それならば――既に無期限の有効期間を取り付けてあります」
「そんな莫迦な話が――」
 薫はそこで何かに気付いて、続く言葉を飲み込んだ。

 ――エデンの小娘司令官か。

 口中でそう呟く。
「こと麻薬犯罪に関しては、我々は完全に独立した権限を与えられていると思って頂いて結構。治安課といえども口出しは無用に願いたい。だが――もちろん我々も市議会の統制を乱すようなつもりは毛頭在りません」
「――そう思うなら少しは自重して頂きたい。すでに職員達からあなたの部隊への不平不満が少なくない数報告されています」
 内面の憤りを押さえつける為か、薫の口調は更に冷淡なものになる。
「それは心外ですね。自戒の為にも是非拝聴したいが」
 柳に風である。
 薫は溜息にも似た息を吐いた。
「最も多いのが車両の専有についてです。数少ないトラックをこれだけ自由に使われたのでは、治安課課長としてもこれを看過することはできません。有事の際の機動力欠如がどういう結果に結びつくか、解らないあなたでもないでしょう」
 諭すような口調に転じた薫の言葉の所為か、渓奈は僅かに身体を傾け、薫に横顔を見せた。
 だが、視線は鋭く別の場所へ向けられる。
「お言葉ですが――それは地域管理組合に委ねれば済むことではありませんか。有事の際に役に立たない地域管理組合にどれ程の存在意義があるというのです。日頃から監督官との連携さえ執れていれば、そうそう治安課の手を煩わせることもないでしょう。尤も、人並みに機能する監督官が居ればの話ですが――オオサカ市議会の現状では、それも高望みでしょうが」
 何処か別の場所を睨み付けてそこまで捲し立てると、渓奈の口調が少しだけ柔らかいものに変わった。
「失礼――これは本来、管理課の領分ですね――あなたに言っても始まらないことだ」
「――仰りたいことは解ります」
 薫は複雑な表情で渓奈の言葉を聞いた後、呟くようにそう答えた。
「しかし――形だけでも市議会に属する以上は格差を公然とするわけにもいきません。それは、あなたにならご理解頂けると思いますが?」
「それで、私にどうしろと?」
 横顔を向けたまま、冷たい視線が薫に向けられた。
 だが薫はたじろぐことなくその視線を正面から承ける。
「あなたから隊員達へ、他の職員との無用の衝突は控えるようにとの指導をお願いしたいのです」
「それは治安課課長としての命令ですか?」
「いえ――」
 薫はそこで言葉を切り、より真剣な表情で渓奈の横顔を注視する。
 静かに二人の視線が絡み合う。
「これは、同期の友人としての頼みよ」
「――それじゃ、聞かない訳にもいかないわね」
 渓奈は大袈裟に肩をすくめると――。
「融通が利かないのは相変わらずね、薫」
 そう言って、薫に顔を見せて笑った。


「良いの? 悪評高い鴉部隊の隊長と居れば、悪い噂の一つも立ちかねないでしょうに」
「かまわないわ。それでどうなるものでもないし」
 庁舎中庭に備え付けられている古びたベンチは、至る所の塗装が剥げた結果、すでに元々どんな色で塗られていたかの判断すら難しくなっていた。
 そこに二人が並んで座っている。
 薫は中庭の樹木に、渓奈は庁舎越しに見える曇り空へ視線を向けていた。
「鬱陶しい空――こっちは変わらないわね。あの市長も少しは自覚でも持ってマシになっているかと思っていたのに、いまだ前市長の傀儡だなんてね。薫もいい加減お守りが板に付いてきているんじゃないの?」
「傀儡は傀儡で使い道はあるわ。下手な野心を抱かれるよりは扱い易いものよ。任期満了まで大人しくしておいて貰えれば、これといって問題はないわ」
「随分と余裕ね。野心家の薫らしくもない。それとも、すでに実権を握っている事からくる自信?」
「慌ててもどうしようも無いというだけよ。いずれ時がくれば、旧い世代は駆逐される。それだけの事」
 そういう態度を自信というのよ、と渓奈は笑った。

「例の麻薬組織だけれど――いまだに市議会には被害の報告すらないわ。あなたの情報を疑うわけではないけれど、すこしは確証を示してもらわなければ、市議会としてもこれ以上協力のしようがないのよ」
「表向きの被害がないのは単に訴える者がいないだけよ。こちらの情報では、シキナに居座っている宗教組織の勢力下で最も被害が多いようだけれど――あの連中が市議会に対してどれだけ非協力的なのかはよく知っているでしょう?」
「――内々で処理していると?」
 渓奈が肯定の頷きを返す。
「地域管理組合への昇格を狙っているなら――市議会に弱みを見せるはずもないわ。尤も、他の組織ではそれほど被害は酷くは無いようだけれどね」
「それは統制の甘い組織の支配地域を狙っているという事?」
「抗争の混乱を突かれた結果ね。あの宗教組織はもう駄目よ。大勢はもう覆らない。抗争は近い内に終わるわ」
 薫は広く露出した額に手を当て思考を巡らせる。
「抗争相手の真わかめ組が麻薬組織と手を組んで麻薬を流入させ内部崩壊に導いた――それがあなたの仮説だったわね。たしかに結果としての辻褄は合うけれど、それを裏付ける証拠は出なかった。それでも、まだ真わかめ組を疑っているの?」
「組織ぐるみでとまではいかなくても――私は真わかめ組がこの件に無関係だとは思っていないわ。いずれかが『あの組織』と繋がっているとして仮定すると、真わかめ組以外では利が無さすぎるのよ」
「組織――ね」
 薫はあからさまに疑わしい表情を渓奈に向けた。
「ウィミィ本国から手配が来ているような麻薬組織――俄には信じられない話ね。しかも軍隊並の戦闘集団となると――」
「疑う気持ちも理解できるけれど――残念ながら事実よ。薫の事だから、ヒロシマでの私の部隊の事も調べがついているのでしょう?」
 渓奈が悪戯じみた表情でそう言った。
「――調べられる範囲ではね。正直に言うと、何も理解らなかった。まず市議会や地域管理組合を差し置いて、一部隊だけに捜査の全権が与えられるというのが現実的では無いわ。しかも、軍に属している訳でもない、名目上はニホン政府直轄の一部課でしかないい部隊にね」
 さすがによく調べているわね――と渓奈は両の手を挙げて戯けた。
「まるで理解らないわ。あなたの部隊の正体――いったい何なの?」
 正体と言われてもと渓奈が笑う。
「本国の口さがない連中には『ダークロウズ』だなんて呼ばれているわ」
「ダークロウズ?」
「闇夜の鴉というわけよ」
 渓奈は自分の制服を指し示してそう言った。
「居るかどうかも判らない――か」
 戯ける渓奈相手にこれ以上の詮索は無駄だと察したのか、薫はそれ以上の追求を止めた。
「解ったわ。詮索はここまで。――あなたこそ相変わらずね。愚問だとはおもうけれど――勝算は?」
「そうね――ヒロシマでは結局その影を踏む事さえ叶わなかった。しかし、オオサカでなら話は違う。人脈も情報網もまだ生きている。どんな些細な動きも見逃さない」
 渓奈が右手を握りしめた。
 それを見てとると、薫は何かを決意したように溜息を吐いた。
「わかったわ――以後、そちらの捜査活動を最優先させるように職員達に通達しておく。その代わり――治安課はあなたの部隊の如何なる補佐も援護も行わない」
「それだけで十分」
「ただ、一つだけ教えて。その麻薬組織の目的は何? 組織がヒロシマからこのオオサカに拠点を変えた理由が在るのでしょう?」
 そう言って薫は真剣な眼で渓奈を視る。
 渓奈は暫く沈黙したままその視線を承けて、やがて了解したように瞳を細めた。

 遺産よ――と渓奈は言った。

「遺産――?」
「ある人物の『遺産』。その入手――それが組織の目的。そして同時にウィミィから私に与えられた任務でもある」
 薫が微かに驚きの表情を見せた。
「――ウィミィ、も?」
 続いて開こうとした薫の口を、渓奈が自分の口に指を当てる仕草で止めた。
「ここから先は――あなたが見聞きする様な事では無いわ」
 渓奈が立ち上がる。
「次の市長選、楽しみにしてるわよ、薫。あなたなら、きっといい市長になるでしょうね」
 そう言い残して渓奈は歩いていく。
 薫は別れの言葉も残さず去っていく漆黒の後ろ姿を、視界から消えるまで眼で追った後――。
 渓奈がしていた様に、濁った空を観た。
 ――本当に。
「鬱陶しい――空ね」
 薫はそう呟くと、静かに瞳を閉じた。


「――隊長」
 庁舎の中へと入った途端、一人の黒い職員が音もなく渓奈に歩み寄る。
「真わかめ組に動きがありました」
「――ほう。もう少し手間取ると思ったが――存外能なしという訳でも無いようだな」
「かなり早い段階で網を張っていた様です」
「わざわざ念を押す必要は無かったか。では――高見の見物といこう。監視を怠るなよ」
「了解」
 現われたときと同じように、その職員は音もなく姿を消した。
「なるほど。面白い男であるのは間違いないわね――」
 渓奈は嬉しそうに含み笑うと、そのまま市議会庁舎を後にした。


「つまりヒロシマでもデケぇ麻薬騒ぎかあったってのか?」
 だらしなく頬杖をついた悪司がそう言った。
「春先の事ですが――どうやら地域管理組合同士の小競り合いが発端の様ですね。ヒロシマといえば高山組が最大手ですが、戦後の混乱で小規模な組織も随分発生している模様です」
「はん、ドコも似たようなモンだな」
「全くです。それでその幾つかの地域管理組合――といっても正式に認可されているのかどうか怪しいですが、それらが麻薬の流通を巡って抗争を始めたようです」
「コストは少なめアガリは上々ってか。トーシロは恐いモン知らずだな。そんで?」
「お決まりのパターンです。街中に麻薬中毒者が急増した事によって抗争の事実が発覚。自体を重く見たヒロシマ市議会が懲罰警察の出動を要請――結果、抗争を繰り広げていた泡沫組織は全滅です。文字通り泡と消えた訳ですね」
「だろうな――おい、そんで終わりか? それじゃメデタシメデタシじゃねえか」
「いえ――」
 島本が眼鏡の位置を指先で直した。
「麻薬を扱っていた地域管理組合が消滅した後も、麻薬中毒者の数は減るどころか逆に増えていった様です。やがて麻薬中毒者は次第にグループを形成。暴徒と化し各所の施設や商店などを無差別に襲撃します」
 ハッ、と悪司が小さく笑った。
「ホントに似たような事が起きるもんだ」
「ヒロシマ市議会の要請によって各地域管理組合は捜査にあたりますが、一向に成果を挙げられ無かった様です。麻薬の流通元、暴徒の煽動者共に不明。ただ、ヒロシマ市内で麻薬らしきものを所持したミイラ男を目撃したという噂が多数寄せられていますが――市議会は単なる流言として取り合っていません」
「役人ってのは堅ぇからな」
「やがて数週間経つと暴徒化した麻薬中毒者も次第に数を減らしていきます。同時にミイラ男の目撃情報も減っていきますが――若、この事をどう思われますか?」
「飽きたんだろーよ」
「おそらくは。ただ、その頃少々変わった事件が発生しています。それまで麻薬中毒者は十数人単位で徒党を組んで暴動を繰り広げていましたが――単独の暴動犯が現われます」
「単独ったって、一人じゃどうしようもねえだろうが。麻薬中毒者なんぞ酔っぱらいと変わらねえ。一発シバきゃ終わりだぜ?」
「それが、そうでもなかったようです。当時の新聞記事を入手しましたが――これです」
 島本は懐から折りたたまれた新聞の切れ端を取り出した。
「随分と小さい記事ですが――抜粋します。――ヒロシマ市議会庁舎に現われた男が突然暴れ出し、取り押さえようとした職員五人に暴行を加えて死亡させるという事件が発生。男が市長室へ向かったため治安課職員が発砲して応戦するが、十五発の弾丸を全身に受けても尚暴れ続け、最終的には頭部への銃撃により死亡した――とあります」
「合計十六発か――飲んだビールが全部こぼれちまうな」
 悪司が姿勢を後ろに傾けると、安物の椅子はぎいっと耳障りな音を立てた。
「後日の新聞には、何らかの武術の達人だと目されていた犯人が、実際にはなんの武術も習得していない普通の男だという後追い記事が数行在るだけで、それ以降は続報も、また、同種の事件の記事も一切見あたりません。ですが表沙汰に為っていないだけで、ヒロシマ市議会には少なくとも十数件はその手の暴漢事件が報告されていますね。進駐軍の関係施設でも同様の事件が発生しているようですので、これはウィミィの検閲だと思われます」
 島本は机の上に直筆のメモと数枚の用紙、そして切り抜かれた新聞記事を並べた。
「逮捕の際射殺を免れた何人かの麻薬中毒者は収監された際に検査を受けています。天才病院経由でカルテを入手する事ができました。裏ルートで少々値は張りましたが」
 島本はそう言うと何枚かの用紙を悪司に示した。
「どんなヤクかは判ったのか?」
「正確な薬物の種類については不明です。強力な酩酊状態や思考の錯乱等、様々な症状が見られた様ですが――特徴的なのは、それらに加えて痛覚の減少、そして筋力の異常な増強が認められた事です」
「――似てるな」
「ええ。ただ、全く同じという訳でも無いようです。場合によっては五感全てが麻痺したり、記憶のフラッシュバックや人格障害を引き起こしている場合もあった様で、とても他人の命令に従うような判断力は残されていないと思われます」
「依存性と禁断症状は?」
「依存性については不明とあります。どの麻薬中毒者も複数の薬物の中毒症状を発症していて、問題のヤクの依存性を特定するまでには至らなかった様です。ただ、禁断症状に関しては共通した報告があります」
 島本はカルテの一部を指し示すが、悪司にとっては見たこともない文字が躍っているだけだった。
「暴漢事件を起こした麻薬中毒者は共通して痛覚の麻痺を発症していますが、薬物の効果が収まると逆に全身の神経が過敏になり、僅かな衝撃でもまるで棘が刺すような痛みが生じます」

 棘――か、と悪司が繰り返した。

「その他、異常な発熱を併発したり、幻覚症状に襲われ更に凶暴性が増すようなケースもあるようですが――多くの場合、過剰な痛覚から心肺機能に過度の負荷がかかり、結果、心臓発作などが原因で――」
 早期に死亡します、と島本は結んだ。
「やれやれ。ヤクってのはこれだからメンドくせーんだよ。そもそも、売った客にいちいち死なれちゃ商売にならねえじゃねえか。シノギってのはお得意様が大事なんだよ」
「私見ですが――このヤクに関しては、実際には商品にしていなかったように思うのですが。わかめ組の引き起こした麻薬騒動の際も、このヤクが原因と思われるような同種の事件は報告されていませんし」
「試しに作ったヤクをバラ撒いたってのか? まあ、考えられない事でもないがな」
「これだけ致死率が高くては、常用させることが出来なくなります。市場への拡散率も低いでしょう。真っ当な使い道があるとも思えません」
「しかしまあ、ロクなモンを残さねえな。あのミイラ男はよ。やっぱ――始末しといて正解だったぜ」
 のけぞり返った悪司の躰を支えて、耳障りな椅子の音が再度響いた。

「この何件かの暴漢事件の後、地域管理組合に対する捜査の要請は取り下げられ、入れ替わるようにしてヒロシマ市議会内部にこれら麻薬犯罪に関する専門の捜査課が設立されます。ですが、捜査員は全てニホン政府直轄という扱いで、命令系統的には市議会には属していません」
 島本は机上のメモを指し示しながら説明する。
 数件の暴漢事件のあらましの下に、麻薬課発足と書かれていた。
「ニホン政府も関係ないだろうさ」
「麻薬課設立後、ヒロシマの麻薬犯罪の発生件数は例年並みまで減少します。逆に言うなら、麻薬課があっても通常と変わらないだけの麻薬犯罪が発生しているという事ですが――鴉葉さんに集めて貰った資料ではこれ以上の詳細な経緯は不明でした。どうやらヒロシマ市議会も正確に把握はしていない様です。このカルテも殆ど偶然で手に入ったようなものですから」
「そんなモンがよく残ってたな」
「どこにでも不心得者は居るものですよ」
 違いねえと悪司は笑った。
「早めに目星を付けたおかげでなんとかこれだけの情報は集められましたが、結局肝心な事は不明のままですね。麻薬課の実態や捜査内容は殆ど機密扱いです。まるで軍隊ですよ」
「はみ出しモンの不良監督官が左遷の末に行き着くにしちゃあ、随分大袈裟な職場だな」
「不自然――いえ、こうなると逆に」
 ああ、と悪司は気怠げな返事をした。
「最初からあつらえたみてえだぜ」


「結局のところ、目先の事から片付けていかなきゃならねえのに変わりはないか」
 数分後、島本の報告を聞き終えた悪司は大儀そうにそう言った。
「その目先の話ですが、キタハマの方はまもなく制圧出来る見込みです。ですが、最近また信者達の動きが活発になっています。ウメダ、ナンバの一部施設が占拠されたという報告もありますが」
「んー、とりあえず本体が先だ。その辺りはテキトーにやっとけ。頭押さえりゃ同じことさ」
「事務所の守りはどうしますか? また奇襲があるという可能性も捨て切れませんが」
「しゃあねえな。協力金が渋いところから優先して回せ。そうそう何度も夕子さんに守って貰うワケにゃいかねえからな」
「先日は報告を受けてさすがに肝を冷やしましたからね」
「おうよ。あの日、夕子さんがな〜んとなく事務所に寄ってなかったらヤバかったぜ。俺だって、たまたまさっちゃんと約束してたから先に一人で戻っただけだしよ。しかし――あんな簡単に奇襲されちまうとはな」
「申し訳ありません」
 島本がそう言って頭を垂れる。
「まあ、大杉に嬢ちゃんの付き添いさせたのは俺だしよ。おめえも朝っ端からタレコミの確認に走り回ってたんだしな。そもそも人手が足りてねえ上にこの麻薬騒ぎだ。結果オーライとしとこうぜ。当分夕子さんに足向けて寝られねえけどな」
「夕子さんがいなかったら、守りは突破されていたでしょうね。尤も、直ぐに例の職員達が駆けつけていたでしょうが――。夕子さんの強運に助けられたという訳ですね。そういえば、夕子さんはまだ山沢さんに?」
「ああ。付きっきりで看病してるよ。なんだか、すっかり嬢ちゃんのこと気に入った見てえだぜ」
「よろしいのですか? 手が余っている訳では無いですし、あまり肩入れすると切り捨てる事が難しくなります」
「んなこたわーってるよ。でもよ、夕子さんのワガママなんて滅多に聞けねえからな。一人ぐらいどうとでもなるだろ? 構わねえさ」
「失礼しました。それでは細かい調整はしておきます。――ああ、すいません若。この書類を忘れていました」
 島本は鴉葉から渡されていた真新しい封筒を取り出した。
「んー? ああ、さっき鴉葉が言ってたヤツか。カラス女から預かったとかいう。中身はなんだ?」
「お読みになった方が早いかと」
 悪司は封筒をぞんざいに受け取ると、更にぞんざいに中身を取り出した。
「どれどれ――あん? 紙切れ一枚かよ。しかも掠れて読みにくいなー。こりゃあコピーだな。便利なんだよなコレ。ウィミィじゃ随分普及してるらしいが、ニホンじゃまだ見ねえなー」
 軽口を叩く悪司の声が直ぐに止んだ。
「――島本」
「はい」
「俺はウィミィ語は話せるけど読めねえんだよ。知ってるだろーが」
「一応、こちらに訳しておきました」
 島本はそう言って新たに紙を取り出す。
「なら最初っから渡せよ。どれ――第二十九次中間報告?」
「何らかの文書の一部分のようです」
 読み進める悪司の眼が凄味を帯びてくる。
「例の組織の存在を裏付ける証拠を我々に示す意図かと。この、『イレギュラーな事態』というのがあの部隊の介入を指すのなら、一応の筋は通ります」
「ギブ&テイクつってたからな。情報提供のつもりなんだろうよ。どっちにしても、もう取り引きには乗っちまってるんだ。精々利用されるだけにならないように気をつけるさ。――にしても実験とはな。ナメられたもんだ」
 悪司は手に持った紙をおもむろに丸めると、屑籠めがけて投げ捨てた。
 屑籠の縁に紙屑が当たって跳ね返ると同時に、事務室の外から騒々しい声が聞こえてくる。
「ずいぶん騒がしいですね」
 確認するために扉を開けた島本の元に、彼の部下らしい男が慌てて駆け寄って来ると耳打ちをした。
 島本が短い言葉で指示を下すと、その男は現われたときと同じように慌てて去っていった。
「例の男、確保したそうです」
 島本が悪司を振り返ってそう告げると、悪司はああと気の抜けた声で答えた。
「思ったよりは手間取ったな」
「とりあえず地下室の方に移しておきました」
 悪司は一際大きな欠伸をすると、緩慢な動作で椅子から立ち上がった。
 その拍子に、悪司から開放された椅子が小さく鳴る。
「よし――そんじゃあひと仕事といくか。いつまでも女に主導権握られてるなんてなァ、俺のシュミじゃ無え」
「我々が先んじて『遺産』を手にすれば、連中も動かざるを得ないでしょう。まだゲームは始まったばかりです」
「『遺産』ね――どうにも気に入らねぇな」
 悪司は床に転がる紙屑を踏みしめると、事務室を後にした。


以下次話