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第四話 「付き合わせてしまってすいません」 麻美は歩みを並べる巨漢の男に頭を下げた。 「礼には及びませんよ、山沢さん。どうせ用もない身ですから」 男はそう言って屈託無く笑った。巨体に似合わぬつぶらな瞳が細められる。 オオサカ、サカイ。 麻美と巨漢の男――真わかめ組団員、大杉剛は共に昼下がりの街道を歩いていた。 「でも、お疲れなのにせっかくの休日を私の用に付き合わせて、申し訳なくて」 「なに、ちょっとした小競り合いがあっただけですよ。あの程度では働いた気にもなりません。若が休めと仰ったので戻りましたが、朝から暇を持て余して居たところです」 退屈というのはどうも苦手で、と大杉は再び笑った。 外見にそぐわぬ大杉の笑顔に思わずつられ、麻美も久しぶりに微笑った。 真わかめ組の管理区域内に麻薬の流通が確認されて三日。 依然として流通ルートは割れず、麻美はやり場のない苛立ちを抱えたまま過ごしていた。 本当ならばオオサカ中を駆けめぐってでも麻薬の捜査をしたかったのだが、悪司の命令で大々的な捜査は行われず、結局麻美にはミドリガオカ周辺の巡回という普段と何も変わらぬ仕事が与えられた。 当然、不満はあった。 しかし、真わかめ組が麻薬を扱うと疑う渓奈が現れ、現に流通が確認された以上、場合によっては組全体の大きな動きは向こうに捜査の口実を与えることにもなりかねない。渓奈の麻美に対する接触も、麻薬流通の事実をあらかじめ知った上での揺さぶりであった可能性も無視できないからだ。 いくら真わかめ組が麻薬を扱っていない事が事実だとしても、立ち入り捜査が行われればその他の違法行為が露見する可能性は十分ある。なにしろ当の麻美自身、市議会に追われる身である。 叩いて埃が出ない訳は無いのだ。 しかも相手はあの渓奈だ。ここは十二分に慎重な姿勢で望んで然るべきだろう。 麻美はそう考えたのだった。 もちろん、悪司が同じ考えだという可能性は皆無に等しいが。 ともあれ、納得したのは事実である。結局麻美は素直に悪司の命令に従った。 「小競り合い――ですか。やはり例の宗教組織の?」 「ええ。拮抗状態もそろそろ終わりかもしれんですな。随分と手こずらせてくれましたが」 オオサカ西部を舞台とした真わかめ組と新興宗教組織の抗争は一進一退の様相を呈していた。ウメダ、ナンバを防衛ラインとする教団の抵抗は当初の予想を大きく超え、周辺の勢力図は日々猫の目のように変化していた。 だがここ数週間、それまでは統制のとれていた信者達が、どこかちぐはぐな動きを見せだした。 「以前ほどの手応えを感じんのですよ。最初はそれこそ死にもの狂いで向かってきましたから。我々の様な渡世ならともかく、それこそ女子供までが一丸となってくるのだから信仰というのは恐ろしいと、そう思いましたからなあ」 麻美はうなずきで同意を示した。麻美自身、何度か信者との交戦を経験したが、その気迫は凄まじいものだった。 それもそのはずだ、と麻美は思う。彼らは信仰という名の正義を信じているのだ。自らを悪と知りつつ強くなれる者はそうはいまい。己の行いを真に正しいと信じる、後ろめたさのない者は総じて強靭い。 渓奈がそうで在るように。 麻美がそうで在りたかったように。 無論、個人としての絶対的正義がすなわち社会一般の絶対的正義ではない。一個人の倫理観が社会全体を支配するような状況が間違いであるということは麻美も理解している。これは自身の在りようの問題なのだ。 だから信者達との抗争のなかで、麻美はその独善的な信仰を拒絶し、同時にその強固な信条に羨望の念を抱いた。それは現在の麻美に決定的に欠けているものだからである。 「戦力的に限界がきた、ということでしょうか?」 麻美の質問に大杉は首を振った。 「信者の絶対数はむしろ増えてますからな。単純な数の話ならまだ我々よりも遙かに多いです。量の問題ではなく、質の問題でしょう」 「質――ですか」 信者のほとんどは特に訓練も受けていない者である。それらを指揮する教団の幹部は実力者揃いではあるが、信者全体の数の上ではもとより僅かなものである。ならば質的な低下など急激に起こり得るのだろうか。 麻美の表情に疑問の色を見て取ったのか、大杉は言葉を詰まらせた。 「なんといいますか――」 「あの、説明し難いことなら結構ですよ」 大杉の困惑した表情を見て麻美はそう言った。組の幹部である大杉には言えぬ事も多かろうと考えたのである。そもそも自分は組にとっては新参者だ。知らぬ方が良いことならば無理には聞くまい。今、大杉が麻美に同行している事にしてもそうだ。私用で出掛けたい旨を悪司に告げたところ、前日にウメダから戻ったばかりの大杉が護衛役として同行することになった。渓奈を警戒して、というのがその理由である。 断る理由も無く、麻美は大杉を伴って出掛けることになった。 だが、釈然としないのも事実である。確かに渓奈によって麻美の身柄が拘束でもされれば、それを糸口として真わかめ組の立ち入り検査を行うことも可能だろう。しかし、それならば先日接触してきたときにすでに麻美は渓奈の手に落ちているだろう。 ならば、麻美自身の監視の為か。 悪司の命令に従っているにせよ、麻美が麻薬に対して拘っているのは事実である。命令を無視して暴走する可能性のある麻美を悪司が警戒し、大杉を同行させた可能性もある。 麻美が悪司を完全に信用出来ないように、悪司も麻美を信用してはいないのだろうか。 ――と、そこまで考えて、麻美は急に虚しくなった。これは、いくら何でも悲観的に過ぎる。 「違うのですよ、山沢さん」 心を見透かしたような大杉の言葉に麻美は驚いた。言葉にしていたのかと慌てる。 だが大杉は麻美の疑問に答えるべきかどうかを迷っていた様だった。 「山沢さんには言い難かったのですが――実は教団の支配地域で麻薬の被害が多発している様子なのです」 ――また麻薬だ。 麻美は自分でも驚くほど冷静にその言葉を飲み込んだ。 「さすがに詳細な実態は掴めませんでしたが、教団の幹部やかなりの人員がそちらの方に割かれているようですな。現場の足並みがあからさまに悪い。信者以外の麻薬患者が圧倒的に多いようですが、あの教団はそういう人々を放っては置きませんから」 敵ながら大したものですよ、と大杉は複雑な表情を浮かべた。 「こちらの麻薬と同じ物なんでしょうか?」 「わかりません。ただ我々のシマに比べると被害は甚大の様です。最も、こちらも実態を完全に把握してはいませんが。あと、これも未確認の情報ですが、PMの支配地域でも被害が出ているとか」 PM、つまりはオオサカの東部全体である。それならばオオサカ全体に麻薬が拡がっていることになる。事実だとすれば、かなりの規模の話である。 だが、麻美はもう一つ気になることがあった。 「そんな大事な話を私なんかにして良いんですか?」 麻美に、先程までの悲観的な考えが浮かんだ。 「事が麻薬ですからな。山沢さんにお話するのは気が引けたのですが――。迂闊に口を滑らせたのは私の不注意でした。申し訳ない」 そう言って大杉は頭を下げた。 あまりに腰の低い大杉に麻美は慌てる。 「そっ、そんな。謝らないで下さい。ただ――私みたいな新参者にそんな重要なことを話しては、大杉さんが山本さんに叱られるでしょう」 卑屈であると判ってはいる。だが麻美はそう言わずにいられなかった。それは悪司や大杉を信用しきれない麻美の本音でもある。 「そんなことはありませんよ、山沢さん。あなたはもう真わかめ組にとって重要な人です。若も私も、組の者は皆あなたを新参者などとは思っておらんでしょう。それに今の組はあなたの知っている地域管理組合わかめ組ではない。若が一から創った真わかめ組です。言うなれば皆新参者ですな」 大杉は真面目な顔でそう言った。その真摯な態度に思わず麻美の視線が逸れる。 「大杉さんは――山本さんが正しいと信じているのですか」 「なにが正しいかなど私には判りません。ただこの大杉、若を信じて支えていくと心に誓っております」 真っ直ぐな言葉が耳に痛い。 その視線を、言葉を、正面から受けることの出来ない自分が情けない。 ――この人も、強い人だ。 「心配無用ですよ。あなたが思っている以上に、若はあなたのことを買っておられます」 そして大杉は三度目の笑顔を見せた。 「――あの人のことは、よく解りません」 麻美は小さく、呟くようにそう言った。 以下次話 |
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