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第二話 オオサカ、ミドリガオカ。 地域管理組合真わかめ組事務所の一室は、香ばしい臭いで充満していた。 「で、お前さんはそのまま黙って見送っちまったのか?」 焼きあがったばかりのたこ焼きを頬張りながら、黒い上着を着たその男は言った。 「――はい」 麻美は答える。別段責める口調ではないが、自責の念から麻美の声は自然と沈む。 まあ立場上強ぇことは言えねえか、と男はたこ焼きを頬張ったままの不明澄な発音で喋った。 平然とした表情である。 男は手に持ったたこ焼きの皿を麻美に向けて、食べるかと聞いた。 麻美が遠慮すると、そうかうまく焼けたんだがな今日は、と言って残りを食べ始める。 地域管理組合真わかめ組平団員、山本悪司。 それがその男の名だった。 表向きは、である。 ウィミィへの対応から平団員という立場にはあるが、この真わかめ組は実質悪司の支配下にある。 そして現在、悪司は麻美の雇い主でもあった。 麻薬中毒のまま街を逃げ回っていた麻美をここへかくまったのはこの悪司である。 麻美が追っていた犯罪者、素敵医師を悪司が逮捕――退治といったほうが適切だろうか――したことを知った麻美が悪司に接触したのがきっかけだった。 そのころ麻美は、すでに市議会から追われる立場にあった。 麻薬中毒だった麻美に、素敵医師の仲間になったという嫌疑がかけられたのだ。 悔しくなかったといえば嘘になる。 麻美は、ただ自分の信じる正義だけを頼りにして監督官の職務についていた。 戦後の混乱するニホン。例え自分のできる範囲だけでも正義を全うし、市民の平和を守りたい。 それが麻美の信条だった。 しかし、その信条は麻美にとって最も不本意な結果をもたらした。 思えば些細な誤解の果ての逃避行ではあったし、その誤解さえも麻美が自制心を欠いた結果だと――言って言えなくもない。 それでもこれが、正義を信じてきたはずの自分の結果だと思うと、麻美は無性に虚しくなる。 自分は何をしてきたのだろうか、と。 しかし麻美はこうも思う。 あの時、自分に他の選択があっただろうか。 素敵医師復活の報を聞いて尚、病院のベッドで一人安穏と寝ていられただろうか。 ――否。 断じて否だ。 それでは麻美の正義は立ち行かない。 正義なき麻美は麻美ではない。 しかし、それなら。 現在の麻美はいったい何なのだろう。 現在の麻美のどこに、正義があるのだろうか。 ――どこに正義が。 「また小難しいこと考えてるんじゃねえのか?」 能天気な声が麻美の思考を遮った。 いつの間にか悪司はたこ焼きを食べ終わり、すこし眠そうに麻美を見ている。 「嬢ちゃんは物事を難しく考え過ぎるとこがあるからな。もっと気楽に構えたらどうだ」 「私にとってはこれが普通です」 「だから、その普通がすでに考え過ぎだっての」 悪司は大きな欠伸をしながら腹を掻いた。 ――理解できない。 それが麻美が悪司に対して持っている、偽らざる気持ちだった。 聞けばこの男は、以前の地域管理組合であるわかめ組――麻美が担当していた――の跡取り息子だったという。 戦争が終わり、ニホンに戻ってみればそこは女性上位のウィミィ統治下。当然男の出る幕はそこに無く、悪司は死地より戻ってすぐに生家を追われたという話だった。 普通はそこまでだ。その後はどこかで野たれ死ぬか、道を外した外道極道とでもなるのが定石だろう。実際、麻美はそうして死んでいった戦場帰りの若者を数多く見てきた。ウィミィ統治下、ニホンにおける男たちの立場は戦前とは比べるべくもない。多くの男はその現実が受け入れられないのだ。 そして、いまなら麻美はその男たちの心情が理解できる。男性上位主義から女性上位主義へ。それは単純な制度の転換ではない。「男である」ということ「だけ」に自らの存在意義を見出していた者には、それはもはや死刑の宣告に等しい。彼らの存在意義は失われたのだ。そして現在の麻美も、市議会監督官という存在意義を失った脱殻にすぎない。 しかし悪司は組を追われた後、市井の自衛組織である奉仕青年団へと潜り込み、これを掌握。地域管理組合であるわかめ組と抗争を開始したのだ。 無謀である。 確かにわかめ組は、戦後のウィミィ統治下では以前のような盤石な組織ではなくなっていた。とはいえ地域管理組合であることに変わりはない。市井の組織ごときが正面からやり合って如何にかなる相手ではない。 わかめ組を担当していた麻美も、最初にこの話を耳にしたときはただ呆れたのを憶えている。 しかし見る見る間に双方の形勢は逆転していった。詳しい内部情報を知らぬ麻美には不思議でならなかった。 そして追い詰められたわかめ組は、あの男を呼び寄せてしまったのだ。 狂気を振りまくあの男を。 そしてわかめ組は瓦解した。 監督官としての麻美が知っていたのはここまでである。次に関わったとき麻美は市議会監督官ではなく、ただの山沢麻美だった。そして地域管理組合真わかめ組団員山沢麻美となったのは、そのすぐ後のことである。 真わかめ組に入って、麻美は悪司の手腕を見せつけられた。 悪司はあらゆる手段を使っていた。金、女――そして暴力。手練手管の全てを使い、ある時は強引に、ある時は狡猾に。計算高く横車を通し、かと思えば奇策も弄する。そこには良心の咎めや、甘えからくる躊躇は見て取れなかった。 異質である。麻美にとってこの男はあまりに異質だ。 無論、反発心を抱かない訳は無い。例えば、悪司の判断次第では避けられた争いで、無駄に血が流れたことも一度や二度では無いし、麻美自身がその先鋒に立った事も何度かある。 しかし現在麻美はこの男の配下であるし、命を救われた事に恩義を感じているのも事実である。それに麻美自身、真わかめ組に入団する際ある程度の覚悟は決めたのだ。いくら信条に反しようと、無闇に離反する気にもなれない。 それに――これが最も不可解だが――悪司は横暴ではあるが、無法ではない。真わかめ組は地域管理組合として充分機能している。確かに勢力を拡げる際の闘争では冷酷とも思える手段を使うが、一度管理下に置いた地域の治安管理は十二分に行っている。そういう意味では、名目だけでなんら動かぬ市議会とは比べようもない。 もちろん、悪司だけでこの組を完全に操舵しているわけではない。真わかめ組は幾人もの優秀な構成員が悪司を支えて成り立っている。そして不思議なことに、それらの構成員にしても、どこか利害関係を超えた関係で悪司の元に居るように麻美には見えるのだ。 つまりは悪司の人徳、か。 利害を超えて人同士が結びつくのであれば、そこには何かしらの理由が存在するはずだ。愛情か、仁義か――それとも理想か。いずれにしてもこの山本悪司という男にそれだけの器があるということになる。 ふと見ると、悪司は腹を掻きながら漫画を読み始めていた。下品な笑いが部屋中にこだましている。 ――考えすぎ、ね。 緩みきった悪司の笑い顔を見て麻美はそう思った。 「これからどうするんですか、山本さん」 目の前の麻美を気にもせず漫画を読みふける悪司に、麻美は構わず話を進める事にした。しかし悪司は漫画から視線を上げようともしない。 「ん〜。なにをどうするって?」 「川瀬さんのことです。来ますよ、あの人」 「鴉葉がなんとかするだろ。その為にあいつと俺は仲良しこよしなんだからよ」 軽薄な笑い顔が麻美の脳裏に浮かぶ。しかしすぐに泣き顔に変わった。 「たぶん――鴉葉さんでは止められないと思います」 「止められねぇって言ったって、今のここの監督官は鴉葉だぜ? 監督官でもないのにどうやって管理組合の立ち入り捜査までやるんだよ。大体ウチは代々クスリだきゃ手ェ出さなかったんだ。どんなに突っついてもホコリも出やしねえよ」 「捜査の理由は何とでもつけますよ。川瀬さんの口振りからいってここに長谷川――素敵医師が運び込まれたことの裏付けは取ってあるはずですし、鴉葉さんから捜査権限を取るのも時間の問題です」 麻美は昔を思い出す。あの頃も、猪突猛進の渓奈を止められる人間など市議会には居なかったのだ。ましてや鴉葉が相手では、それこそ赤子の手を捻るが如し、である。 「おいおい、なんだよそりゃ」 ようやく悪司が視線だけを挙げて麻美を視た。麻美は冗談を言う質ではない。 「なんで市議会でそんな横暴が通るんだよ」 自分を棚に上げて悪司は毒づいた。 「昔からそういう人なんです。思い込んだら真っ直ぐで。それに、事前の情報収集も綿密にしますから、思いがけず他人の弱みを知ってしまうこともあったみたいで」 「それをチラつかせていいなり、か? 市議会職員のやる事じゃねえな」 「市議会には後ろめたい人が多すぎるんですよ」 しかし渓奈の怖いところはその行動力と情報収集能力だけではない。手に入れた切り札を最も有効に使う判断力。そして自分の危険をかえりみない強固な意志。それらを支える強靱な正義感が渓奈の本質だ。 「川瀬さんは不正は嫌いますが、使える手段は全て使います。あの人は――強い人ですから」 ――私とは、大違いだ。 「――ふ〜ん」 奇妙な声に麻美が顔を上げると、悪司は妙な表情でこちらを見ていた。 「嬢ちゃん、随分とそいつの肩持つじゃねえか。まさかそーいう関係じゃねぇだろうな?」 「ばッ! 馬鹿なこと言わないで下さいッ!!」 耳まで真っ赤に染まった麻美ががぶりを振る。悪司はそれをみてニヤついた。 「冗談だよ。相変わらず嬢ちゃんは揶揄うと面白れーな。んで、実際はどうだったんだ」 「川瀬さんは――尊敬できる先輩でした。一緒に働いたのは私が市議会職員になって半年足らずでしたが、唯一尊敬できた人です」 「そんな凄腕が、なんでオオサカ市議会からいなくなった? 損失じゃねえか」 「不正を働いていた旧市議会の幹部議員を摘発したんです」 あれは麻美が市議会監督官となって半年程のことだっただろうか。渓奈はウィミィ新体制後も私腹を肥やし続ける元幹部職員を単独で検挙したのだ。 その頃はオオサカもウィミィ体制に移ったばかりの不安定な時期で、旧体制で甘い汁をすすっていた官僚たちはいまだ享楽の夢の中にいた。旧体制時から監督官だった渓奈は、長年その幹部職員の不正を追ってはいたが男性上位の旧体制時では手も出せず、ウィミィ体制になって初めて検挙の機会が巡って来たのだった。 渓奈に味方は居なかった。新体制になったとはいえ、権力の構図は表向きほどは変わらない。他の職員は元幹部職員を恐れ、渓奈は捜査令状だけを手に独りでその元幹部職員邸へと向った。巻き込まない為か麻美にはなんの説明もなく。 「元市議会職員といっても、その頃はヤクザも同然です。屋敷には百人からの戦闘員が居たようですが、近隣からの通報で治安課が到着したときは、証拠の山に腰掛けた川瀬さんが元幹部職員を捕らえていたそうです」 「――無茶苦茶だな」 確かに荒唐無稽な話である。直接現場を見た麻美がそう思うのだから、悪司には想像もつくまい。しかし麻美はまるで昨日の事のように思い出せる。 贅をこらした屋敷の至る所に転がる屈強な男たち。 治安課に連行されながら麻美を見つけ、微笑みかけてきた、あの笑顔を。 それが麻美が渓奈を見た最後だった。 「証拠はそれこそ山の様に出ましたし、違法な武器や薬の類もありましたから、その元職員が罪を免れることは出来なかったんですが、川瀬さん自身も捕まってしまって」 「そりゃ、それだけ暴走すりゃ捕まるだろうよ。町中で戦争したみたいなモンだしな」 「それだけではないんです。市議会の上層部で川瀬さんを処罰、というか逮捕すべきだという声が強くなって」 「ははぁん。自分のケツに火でもつきかねねぇって慌てた訳か。そんでどうなった?」 末端の監督官に過ぎない麻美には当時の事情はよく判らなかった。だが事の理不尽さに憤った事は良く憶えている。危険をかえりみず自らの正義を通した者への、これがとるべき態度かと憤ったのだ。だが、麻美のその怒りが天に届いた訳では無いのだろうが――渓奈には思いがけない助けがあった。 「ウィミィが介入してきたらしいんです」 「あん? ウィミィが、たかが市議会の監督官一人の扱いに口を挟むわきゃねえだろ」 「ええ、私もそう思ったんですけど、事実みたいです。なんでも、これからのニホンはこういう強い女性が必要だ、と。それで結局川瀬さんはオオサカ市議会からヒロシマ市議会へ転勤ということで話はついたと聞きました」 「――気にいらねぇな」 悪司は面白くなさそうに横を向いた。なにか考えている様にも見える。 ともあれ、当時の事の真相はともかく、麻美は渓奈が罪に問われず、そして市議会を辞めることなく済んで心から安堵したのだ。次に再会したときは、自分も渓奈の様な監督官になっていようと心に決めて。 それが、このような最悪の状態で再会することになるとは。 「ともかく、川瀬さんは間違いなく来ます。早く誤解を解かないと」 「誤解を解くってもなぁ。ウチはクスリは扱ってねえからそっちの方じゃ叩かれようがねえし。そもそもその川瀬ってのが勘違いしてるだけだろうが。嬢ちゃんのことでとやかく言ってくるなら他人の空似ってことでシラ切るしな」 「長谷川――素敵医師の事はどうなんですか? そもそもどうして素敵医師の死体を市議会に届けなかったんですか」 麻美は真わかめ組が素敵医師を逮捕したとの話を聞きつけて悪司に接触したが、具体的に素敵医師がどうなったかを知らなかった。気にならないわけではなかったが、薬物中毒であった麻美にそんな余裕はなかったのである。 「素敵医師? ――ああ、あのミイラ男か。実はアレ、生け捕りにして捕虜にしてたんだよ」 「え?」 初耳である。 「そっ、そんな! 初めて聞きましたよっ!!」 「そりゃそーだろ、聞かなかったじゃねえか」 悪司は胸を張って威張った。 「一応使い道でもあるかと思ってな、捕虜にしたんだよ。使えなきゃ市議会に突き出しゃいいし」 「――それで、いまは何処に?」 「えーと。始末した」 麻美の目の前が暗くなる。 「ど、どうしてですか!」 「臭かったんだよ、アレ。他の捕虜が臭いで卒倒しそうになるし、それに地下室にあんな臭いが染みついてみろ、これから先捕虜が保たねえしよ。つーわけでサッサと始末した。ウチの連中は優秀だからな、始末した後は誰にも見られてねえはずだ」 絶望的である。せめて素敵医師の死体を市議会に届けていれば、いらぬ誤解をされることもなかっただろう。 「な、なにか、素敵医師が死んだことを証明するような物はないんですか? 遺品みたいなものは?」 「ねーよ。言ったろ、その手の始末は厳命してある。下手を打ったら組全体が厄介なことになるからな。――ところでな、嬢ちゃん。その川瀬ってのは、間違いなくあのミイラ男がウチに運ばれたって情報を持ってるって言ったんだな?」 悪司の眼が凄味を帯びる。麻美は無意識に体を後ろに引いた。 「――え、ええ。間違いなく」 「そりゃあ、妙な話だな」 「妙――ですか?」 「あのミイラ男な、捕まえたときから臭かったんで棺桶に突っ込んで連れてきたんだよ。それもとっ捕まえたのは夜で、しかもこの辺りじゃねえんだ、これが。そんな状態でな、どーやってあのミイラ男がここ運ばれるのを目撃できるんだ?」 一瞬、麻美の思考が止まる。 嘘を――吐いていた? 「単に嬢ちゃんにカマかけたのか、それとも――」 その時、ドアをノックする音が悪司の言葉を遮った。 「おう」 悪司が短く答えると、島本純が静かに姿を見せる。 「若、よろしいですか――ああ、山沢さんもご一緒でしたか。ちょうどいい」 麻美は頭は緩慢な思考を続けている。言葉は耳に届いても意味をなさない。 「どうした」 島本は一瞬視線を麻美に向けた。 「それが、どうやら我々の管理区域内に麻薬が流入しているようです」 ――麻薬。 麻美の頭がその言葉にだけ反応する。 「そりゃあまた、絶妙なタイミングだな」 「僅かな量ではあるんですが。現在ルートの発見に人員を割いて――」 島本の言葉を最後まで聞かずに麻美は駆けだした。 「嬢ちゃん、どこ行くんだ?」 悪司が静かに麻美を呼び止めた。麻美は悪司に顔を向け、思考を言葉にしようとする。 私は。 ――どうしようというのだ? 「今は下手に動くな。逆効果になる。大人しくしてな」 「――はい」 麻美は僅かな逡巡のあと、絞り出すように答えるとドアの向こうに消えた。 「山沢さん、どうかしたんですか」 麻美を見送って島本が悪司に訪ねる。 「んー、古傷に刺さったままの棘が疼くんだろうよ。どうするかは嬢ちゃん次第だな。それより島本、二つ三つ調べてくれや」 「わかりました。――そうそう、今日は上手く焼けましたね」 「あー、旨かったよな。やっぱさっちゃんが焼いた方が旨ぇな、たこ焼きは。悔しいけど俺よか上手ぇ」 「若では生焼けか焼き過ぎのどちらかが多いですから」 悪司は皿の上のソースの残りをつまようじでなぞる。 「こんな旨いたこ焼きも喰わねぇで、嬢ちゃんも慌てモンだね」 面倒ごとにならなきゃいいがな、そう言って悪司は一つ欠伸をした。 以下次話 |
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