『血盟』

それは血と血で括られた盟約――








血で滲む世界の中央に、貴女が立っている。

(良かった・・・)

纏っている服装に汚れ一つ無い貴女の姿、私はそれを見て安心した。軽い感銘さえ覚えた。

何故ならば、貴女が傷一つ負わないことが、私の使命であり、存在理由でもあるのだ。

貴女と私の間で結ばれている、血で結ばれた契り――それを守り通せたという事ほど、嬉しい事はない。

主に尽くす者としての至上の悦び、その悦びが私の胸を満たす。

(良かった・・・本当に・・・)

私の口元から自然と笑みが零れた。軽く笑うたびに、鈍痛が身体を襲うが、それも大して気にはならない。

痛みは、何故かもう大分麻痺していたからだ。

(だが、何故なのだろう・・・?)

憂いを帯びて私を見下す貴女の瞳は、微かに濡れている様に見える。貴女が涙する理由がいまいち判らない私は、戸惑いを隠し切れない。



「嘘つき・・・」



そう呟きながら、貴女のしなやかな手が私の頬を撫でた。・・・次いで、その繊細な指先が私の唇を掠る。

目の前で屈んだ貴女は、不意に私の身体を抱き寄せた。

(いけない)

いけない。私の身体に触っては――と意志を込めて、貴女を優しく押し返す。

べったりと黒い血が付着した私の全身は、醜く、汚れきっている。

無数の裂傷、銃創が今も血を流し続けているのだ。それが貴女を汚すのは、私には我慢ならない。

だが貴女は、汚れた私の身体を、その細い腕で更に抱きしめた。

そして・・・まるで子供の様に、嫌々と、頭を振る。

貴女の艶やかな唇から漏れる、その小さな小さな嗚咽が、私の心を酷く軋ませる。

(何故?)

(何故、泣くのですか?)

(何が悲しいのですか?)

(貴方の敵は、見ての通り全て討ち滅ぼしたのですよ?)

(なのに、何故ですか?)

声にならない声が、私の胸の中でぐるぐると廻った。



「――ゃだよ。やだよ。嫌だ――」



まるで呪詛の様に、小さく呟く貴女。貴女のこんな姿は、まだ、貴女が小さかった頃に・・・それも、数える程しか見た事がない。

こんな貴方の姿は、私には辛すぎる。

「嘘っき・・・嘘つき・・・嘘つきぃ」

貴方の震えた声は、私の心を痛い程に穿つ。

(泣くのは、止めてください・・・)

そう。貴方が悲しむのは見たくない。

貴方が苦しむのも見たくない。

その為に私が出来る事は、貴方と、貴方の夫であるあの男の敵を打ち倒す事だけなのですから。

ですから。貴方が泣く事は無いのですよ?

私は、そんな思いを込めて、貴方に向かって微笑んだ。

けれど――

「・・・っぐ、ひ、うう・・・わ、私に」

「わ、私に・・・や、優しくしないで!も、もう、死んじゃうのに、私に優しくしてる場合じゃないのに!私の所為なんだよ!?私の――っなのにっ!」

駄々を捏ねる子供の様に、貴方は大声を上げた。

「おっ・・・おかしいよ!こんなの!ねえ!何か言って、怒ってよ!私の所為だって、私が居たからだって!」

「あっ、あんな、あんな下らない契約が無ければ、きっと二人共もっともっと幸せで――」

「貴方は、人の生き死にとか、そ、そんな重たい物に、関わらなくてもっ・・・良かったかもしれないのにっ!!」

(それは・・・それは違います・・・)

私は、ゆっくりと首を横に振った。

そう、それは違う。それだけは絶対に違う。

貴方がいなければ、貴方との契約が無ければ、この血と血で結ばれた絆が無ければ・・・

私はきっと・・・きっと駄目になってしまった筈だ。

(知っていましたか?私は、私の血を呪っていました・・・)

(生まれた時から一生を定められ、その通りにしか生きる事を許されない一族)

(私は、そんな一族を心の底から憎んでいました)

(そして、その元凶でもある貴方の一族も、同様に憎んでいました)

(けれど、貴方が私と同じだという事に気付いたあの時――)

(籠の中から出る事すら出来ず、その身を見えざる鎖で縛られ・・・)

(それでも、誰にも気付かれぬよう、涙を零していたあの時・・・)

(初めて、私に心を開いてくれた、あの時・・・)

(あの時、私は、この運命を受け容れる事を決めたのですよ?)

(貴方を・・・生涯を通して守る事を心に刻んだのですよ?)

(ですから・・・私は、後悔していません)

(むしろ、今では、忌まわしい一族の掟に、感謝すらしています)

(その御蔭で、貴方と出会う事が出来たのですから・・・)

そして、私は私の胸で泣く貴方を見て、思った。

(あの時と、同じですね・・・)

そう、あの時と全く同じだった。

貴女が大事な人を失ったあの時。

あなたの心に深く残っているであろう傷痕が刻まれた遠い日。

お互いがまだ弱く、ただ打ちのめされる事しか出来なかった遥か彼方。

遠い遠いいつかの貴女と、今の貴女が、重なって見えた。




だから・・・だから私が思いついた貴女に出来る事は、一つだけだった。




あの日と同じ様に、貴女を優しく抱き寄せて、その頭をゆっくりと撫でる。

あの時、貴女が泣き疲れて眠ってしまうまで、いや、貴女が眠った後も、こうして手で髪を梳った事が、まるで昨日の事の様だ。

貴女の成長を見守ってきた私の、一番心に深く刻まれた顔が、あの日の貴方の寝顔だと言ったら、貴女はどんな顔をするのだろうか?

(ふふ・・・)

何だか、懐かしい気持ちが、胸に溢れる。まるで暖かく優しい光の様な物が、身体に行き渡る様だ。

懸命に震える指先を堪え、襲い来る睡魔に耐えながら、泣きじゃくる貴女の背中を優しく叩く。

『こいつにとって・・・あんたは父親そのものらしいからな――』

あの男が、別れ際に言った言葉が、ふと脳裏に蘇った。

(父親か・・・)

貴女がもしそう思ったのなら、それは私には光栄すぎる。私如きがあの方と同じ役割など・・・

(知っていましたか?貴女が思う以上に、あの方は父親として貴女を愛していたのですよ?)

(もっとも、それを表に出す事は無かったかもしれませんが・・・)

そこまで考えて、私はふと気付いた。私とあの方の共通点に。

(私があの方と同じなのは、不器用な所だけですね)

そう考えると、苦笑するしかない。えてして、父親と呼ばれる者は不器用な人種なのだ。

その点でのみ、私も貴女の父親であったのかもしれない。

(もし、私の中で娘という存在を挙げるなら、間違いなく貴女の事ですね)

髪を鋤きながら、そんな事をぼんやりと思う。

(ああ・・・そうだ・・・)

不意に、突飛な考えが、頭の中に浮かんだ。

(貴女が泣くのを止めたなら、聞いてみよう)

訊ねても『内緒』としか答えてくれなかった、貴女とあの男の間に出来た赤ん坊の名前を・・・

(そうだ。そうしよう。だから今は――)






・・・今は、貴女が泣き止むまで、貴女の髪を――










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