『とーさんへ オヤジへ』
正和三十四年六月。
その日、多くの命と共に、空の青さが失われた。
ウイミィの新型爆弾による空襲によってのことだった。
『本日正午、オオサカにウィミィの新型爆弾が投下されました。詳しい被害状況は出ていませんが、投下付近にいた住民は全滅という報告が……』
ラジオから流れる掠れぎみのアナウンサーの声。
その声が慌ただしく状況を伝える中、コウベにある中華料理屋『水陸両用』に、1人の女性のすすり泣く声が木霊した。
そして時は過ぎ、翌年のある夜……
「……じーちゃん」
あの日涙を流した女性が、オオアナ……もはやかつての名前など忘れられた街に佇んでいた。
「……じーちゃん」
女性が、いくつも立てられた慰霊碑へと近づき、そしてその瞳を閉じた。まるでそうすれば、彼女の呼ぶ人の姿が見えるかのように。
だが、実際にはそんなことは起きない。
瞳を閉じる彼女の目の間にあるのは、古びた一丁の中華包丁だけだった。
「……じーちゃん。今日はじーちゃんに伝えることがあって来たんだ」
彼女の前髪を揺らすように、夜風が流れる。
「私……明日……結婚します」
夜風を前に、その小さなささやきは掠れぎみに夜中を飛んだ。
そして彼女はそれから口を閉ざす。
風の音を聞きながら……聞こえることのない『じーちゃん』の声を待つように。
「それで、その結婚相手なんだけど……」
頬を赤らめながら、彼女の声に潤みと張りが出る。
凛とした、例えるならば冬の寒空のように透き通った、純度の高い張り。そして春の小川のような柔らかく、暖かい潤み。緊張感に溢れ、そして同時に内に揺れる炎を思わすような……そんな声。
自分のそんな声に勇気づけられるように、彼女の瞳が開いた。
その瞳に一丁の中華包丁が飛び込む。
彼女の言う『じーちゃん』が生前愛用していた包丁だ。それも今は新型爆弾の前に跡形もなく吹き飛んだ遺骨の代わりと成っていたが……。
だが、その包丁こそが何よりも『じーちゃん』がこの世に生きていた証しだと彼女は知っている。
産まれたばかりの自分を、異国で拾ってくれた『じーちゃん』
幼い自分への愛情を、料理という形で表してくれた『じーちゃん』
数年前、隠居を考え出し、その技術を教えてくれた『じーちゃん』
釣った魚を捌いて、酒の肴にすると嬉しそうに話していた『じーちゃん』
その包丁はそういったモノを2人と一緒に歩んできた代物だった。
だから彼女は慰霊碑にこの包丁を捧げることを躊躇無く選択した。そう、これは紛れもなく『じーちゃん』なのだから。
「その結婚相手はね、山本……山本悪司さん」
躊躇いがちに、だがそれでいて力強い言葉。
相手を思う気持ちに溢れた、暖かみのある言葉。
「悩んだんだ。悩んだんだけど、やっぱりあたしあの人のことが好きだった」
そう、やっぱり自分は彼のことが好きだった。
昔はその気持ちにも素直になれなかった。
でも今は違う。そしてこれからは変わりたいと思ってる。
彼だけに変わることを望んじゃいけない。自分だって変わらないと。
そう、彼女は心に誓っていた。
「だからね、じーちゃん。じーちゃんは反対するかもしれないけど……っていうかやっぱ反対かな?」
苦笑する自分がおかしくて、つい頬をほころばせる彼女。
だが、不意にその笑顔に涙が混じった。
笑い顔のまま零れる涙が、荒れた地に小さな染みを作った。またあるいは、荒れた地に咲く草に湿り気を与えた。
そしていくつもいくつも涙が零れ、そして染みを作った。
「へへ。なんだか、変な気分」
袖で無理矢理涙を削ぎ落とし、彼女はもう一度笑顔を作った。
気を抜いた途端、また涙が零れそうになる。
でも彼女はそれを堪えた。
私は明日嫁に行く。
それはけして仕方のない選択でもなければ、とらざるをえない選択でもない。
それは自分が望んだこと。自分が……そして自分の愛する人が幸せになるために自身が選んだ選択。
だから、何も心配はいらないんだよ……。
そう言いたいから、彼女は微笑みを失わずに、立っていた。
「……じーちゃん。何も心配いらないよ。私は山本さんとこで幸せに……2人……皆で幸せになるんだから」
そう言いながら頭を下げて、
「じーちゃ――とーさん……今までありがとうございました!!」
自分の出せる精一杯の声で感謝の言葉を掛けた。
『とーさん』……と。
「……とーさ……うぅ」
そしてまた、涙が落ちた。
落ちた涙が中華包丁に落ち、キラリと反射した。
『……民華、幸せにな』
その輝きが、彼女にはじーちゃんの無愛想な言葉に思えてならなかった。
「……うん、もちろんだよ、とーさん!!」
彼女はそのまま涙を流した。
歪んだ視界で、包丁はいつまでも、語りかけるかのように輝いていた。
そして
「へっ、まったく……照れちまうぜ」
彼女が去ったその慰霊碑の前に、1人の男が現れた。
「……まぁ、じーさんよ。そんなわけで民華さんは任せてくれよ」
そしてその男は、彼女がそうしたように包丁に語り掛けた。
「大丈夫だ。俺以上に民華さんを守れる奴なんて――」
ヒョォン!!
突如起きた突風にふかれ、落ちていた木切れが勢いよく男に飛び掛かった。
「おわっと!?」
男はその木切れを見を剃って交わし、風が落ち着いたのを確認してから、包丁を睨む。
「ったく。死んでも変わらねーじーさんだな」
包丁がその言葉を理解したかのように、風にカタカタと揺れた。
「……ま、でも約束したぜ。民華さんは俺が守る。俺の命に変えてもだ」
男はそう言い、真剣な面持ちで包丁を見つめた。
そして包丁も、まるで意志があるかのように彼女の涙で輝いていた。
父と息子がそうするように、2人は暫しそのまま向かい合った。
そして長い沈黙を破り……。
「じゃぁな、じーさ……や、オヤジって呼ばせてもらうぜ」
男は背中越にいいながら、その場を去っていってしまった。
包丁はその背を見つめるように、ただその場で佇むだけだった。
ポゥ……
そして誰もいなくなった慰霊碑の上……晴れることのない厚い雲を掻き分け、月明かりが差し込んだ。
「……おう、民華さん」
「や、山本さん!?」
「どうしたんだ、こんな時間に出歩くなんて」
「や、山本さんこそ、こんな時間にどうしたの?」
「ま……散歩だよ」
男は彼女の頭を軽く叩いてから、歩き始める。
彼女がそれに遅れないように、慌てて並ぶようにして歩き始めた。
「散歩って、こんなところで?」
「どこで散歩したって俺の勝手だ」
「そうだけどさ〜」
「いいから、ほれ。さっさと帰って、明日の初夜に備えねーと」
「や、山本さん!?」
「気にすんな。マジだ」
「気になるっしょ!!」
そんなやり取りをかわしながら、2人はのんびりと歩きながら、コウベにある水陸両用へと歩いていった。
月の明りは2人に気付かれないように、だがけして離れることなく、2人の行く先を照らしていた。
男の名は『山本 悪司』……明日、彼女の夫になる者。
彼女の名は『白 民華』……明日、男の妻になる者。
明日、彼女はその氏を『山本』と改める。
それは、苦節苦難の道だろう……だが、その2人の行く末は……
「山本さん、元気な男の子ですよ!!」
「おぉ!! 頑張ったな、民華さん!!」
「へへっ、これで悪司さんもお父さんだ」
この不思議な月明かりが照らすような、温もりに溢れた日々なのでした……。
あとがき
どうも、今回この作品を掲載して頂いた『蒼皆詩歌』という者です。
まずは最後まで御読み頂き、まことにありがとうございます。
書き手としましては、それが何にも勝る喜びです(笑)
この作品は、短めのお話にまとめようという考えからできました。
なんとなくやっぱヒロインのお話を書こう……で、民華の話に決定。
じゃぁ民華の話でどんな話がいいかな?
大悪司の取り説を見たら、そういえばじーちゃんがいたなぁ……じゃぁじーちゃんと民華の関わりを書こう。
そう思った後は、ずらずらと文章を並べたらこうなっていました(笑)
他の作家様に比べると見劣りいたしますが、それでも何かしらを感じて頂けると幸いかと存じます。
それと、もしこの作品を呼んで頂いて、私の作品を気に入って頂ける方がいらっしゃいましたら、ぞひとも私のページにも遊びに来て下さいませ。
善し悪しはかわりませぬが、作品がおいてありますので(笑)
HP:http://shimakiyo.hoops.livedoor.com/
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